「――だから、兵器じゃない。私の艦娘は艦娘だ」
「しかし、困ります」
「だいたい、式典案内にも書いてあるだろう。将官は艦娘を連れてよいと。兵器でなければ通さないという道理はない」
「ですが、藤田大将閣下じきじきの命でありますから……」
珍しいものを見た。
ひとりの人物が三人の艦娘を連れて、ホールの受付にいちゃもんをつけている。第一種軍装の後ろ姿しか見えないが、どこかの泡沫鎮守府の司令官だろうか。
「わかった。何かあったら私の名前を出してくれていい。全ての責任は私が負う。だから彼女たちを通してくれ」
「いえ、でも……」
どうやら、入場に際し麾下の艦娘を『人型兵器』と認めたくなくて口論をしているらしい。今どき
見知らぬ提督はなおも引き下がらず、「彼女たちは兵器じゃない」との主張を崩さない。あれで本当に艦娘のことを想っているつもりなのだろうか? 自らの振る舞いが耳目を集めていると分からないだろうか。
受付のあれは、現在の海軍にまつろわぬ爪弾き者を炙り出すための儀式だ。『艦娘は兵器である』という共通認識を持たないものは、それだけで例外なく敵対視される。とくに上層部ではそれが徹底されていた。
それとなく声を掛けて知らせようか。そう逡巡してすぐに諦めた。周りに目が多すぎる。
壁に立つ私が他の案に考えを巡らす間にも、周囲からの視線はますます集まり、そこかしこで悪意を持った囁きが交わされ始める。
ほら見たことでしょう、あなたが自分に嘘をつかないから。そう強く思うことで罪悪感を誤魔化した。
建前としての受け入れすら拒否する頑固な軍人に付き従う艦娘たちが、可哀そうだった。
小用を済ませた呉鎮守府司令長官がお手洗いから現れる。
視界の端で存在感を放つ見知らぬ提督から顔を逸らし、司令の後ろを付き従った。司令は言葉ひとつ、視線ひとつ寄越さない。
当然だ。私は優秀な兵器なのだから。
式典は、日本で最も格式高いホテルの大宴会場で行われる。
ホールに入った瞬間、圧倒的な存在感を放つシャンデリアが私を豪奢に睥睨した。眩さが照らすステージの中央には巨大な日本国旗と軍艦旗が掲げられ、脇からひな壇下にかけては菊や白百合など国の花が目いっぱいに咲き誇る。なんという華やかさだろう。舞台最前列の座席へ向かう司令と別れ、私はその花の賑わいに並んだ。
ホール前方、舞台に相対する最前列は、横須賀・舞鶴・呉・佐世保といった名だたる鎮守府の司令長官らが席を占める。その後ろに四大鎮守府の次席や高級官僚、枝葉鎮守府の司令官の席が並び、さらに後方には佐官クラスの士官の席があった。
正面右側には特別に用意された来賓の座席があり、国営農場・国営畜産場の各地区長や軍需工場の社長、造船所のお偉方が陣取る。左側には種々の楽器を携えた横須賀海兵団軍楽隊が、背筋をぴんといかめしく伸ばして、荘厳な行進曲を静かに奏でていた。
軍人たちの区画の後方、ホールに残された部分は記者席となっていて、大きなレンズや背の高い三脚を伸ばして準備するマスコミで超満員だ。
ある種この国の今を象徴した、すべてが張りぼての空虚な式典だった。
将官席の脇で文字通りの『壁の花』になって立ち尽くす私たちもまた、このプロパガンダを彩る添え物に過ぎない。
式典の開始時刻が迫り、続々と入場がある。次第に会場は人の影で埋め尽くされんばかりになった。とてつもない規模だ。これだけの軍人とマスコミが集まるところは見たことがない。四大鎮守府の司令長官がすべて出向いているし、過去最大の式典と言っても過言ではないのではないか。
「壮観ね」
私の隣に新たに加わった花が言う。横須賀鎮守府司令長官付きの矢矧さんだった。当然ですね、とわずかな口の動きで返す。
誰もが諦めていた海域の奪還。それが劣勢の中、七年ぶりに成ったのだ。
さらに言えば、取り戻したのは矮小な海域ではなく、ブルネイという一大資源地域と高雄を繋ぐ最重要航路を含んだ、南シナ海。
大戦果を挙げたのは当の最前線、ブルネイ泊地だという。あそこは司令官の代替わりがあったばかりと聞く。前任者は間違いなく現状維持に専念しただろうから、奪還にある程度の見通しを付けてからの交代だったということはありえない。そうなれば代替わり直後の司令官が、どこの支援も受けず単独で成し遂げたことになる。
「何隻沈んだんですかね」
「……やめて」
矢矧さんの声は震えていた。はっとして謝る。ブルネイには彼女の姉、能代さんがいるのだったか。
突然、ホールに満ちるざわめきがひと際大きくなって、一種の指向性を持った。
「あれが噂の」
「まるで手負いの獣のようだ」
今日の主役が現れたに違いなかった。
ブルネイの司令。現状維持の合意を颯爽と破った人物。どのようなひとなのだろう。
すぐに爪先立ちをして首を伸ばしたけれど、群衆の背に紛れて見えない。
「雪風、あまり目立つと後で……」
「わかってます。もうちょっとだけ――あっ」
剣呑な空気を隠そうともしない三人の艦娘が、中央の人物を守るようにしながらホールを横切る。囲む艦娘の顔から思い至り、思わず声を漏らしてしまった。
「さっきの、擁護派の提督……!?」
何度確認しても間違いない。受付で押し問答をしていたあの人の艦娘だ。
「知り合い?」
「いえ。私も受付で背中を見かけただけで」
人混みに隠されて顔は見えない。私より身長の高い矢矧さんには見えたのか、彼女は「あっ」とこぼす。
「見たことある人でしたか?」
「分からない。知らない……気がするんだけど」
煮え切らない返答だった。私は首を伸ばしたり縮めたりの試行錯誤を続け、そしてようやくわずかに人の波が切れた。軍装の群れからその目元が覗く。
一瞬見えた眼光は、その研がれた切っ先をここにある全てに刻み付けるかのように、鋭く光っていた。
知らない人だ。今日会うのが初めての他人、そのはずなのに、視線が惹かれて離せない。
「なにかしら、この感じ……」
矢矧さんが言った。喉のあたりが勝手にぐっとせり上がってくる。この感情の名前を探したけれど、中々出てこない。
ブルネイの司令官と思しき鋭い眼光の人は、最前列の一番端の席に案内されて腰を下ろした。周りの将官たちはそれを一瞥だにしない。当然だった。
仮にあの人が本当の艦娘擁護派だとすれば、この戦果は、額面以上のものを持つ。
パンドラの箱だ。あの人は、開けてはならないものを開こうとしている。
七年前の敗北から必死に積み上げた
最悪な想像だけれど、あの人は近く、同じ名前の別人にすり替わっているかもしれない。
この式典の豪華絢爛さの訳がなんとなく透けて見えた。ブルネイの司令に対し大将たちのはらわたは煮えくり返っているだろう。しかし腐っても将の椅子に腰掛ける者たちだから、感情と計算を切り分け、この戦果をプロパガンダとしてとことん利用するつもりなのだ。
市民感情の高まりは酷く、誤魔化しもそろそろ限界に近いと小耳に挟んだ。これ幸い、という声が聞こえてきそうだ。
ブルネイの三人の艦娘は向かい側の花の列に加わった。軍楽隊の音楽がそっと止まり、ざわめきの波が急速に引いてゆく。
ステージに、海軍元帥、海軍大臣らの歴々が現れた。彼らは壇上右脇に特別に用意された椅子に腰かける。
『ご列席の皆様。本日ここに、日本海軍戦勝祝賀、並びに勲章授与式典を滞りなく執り行えますことを、ご報告申し上げます』
統制された盛大な拍手が司会を迎え、式典が開幕した。
『皆様、恐れ入りますがその場でご起立願います』
軍人たちは一糸乱れぬ動きで立ち上がる。音が、ひっそりと鳴り始めた。
チェロとコントラバスの荘厳な低音、ヴィオラの内声が力強くも静かに響き流れる。
歌は、好きだ。歌声の中では、人間も艦娘もない。軍人たちの野太い声も『君が代』の中で個性を失った。
最後の母音がホールの空間に溶けてゆく。斉唱を終えて皆が立ち尽くし、見計らったように言葉が響く。
『この大戦において、祖国の安寧のためにその尊い命を捧げられた全ての英霊に対し、一分間の黙祷を捧げます。皆様、ご起立のまま、深くこうべをお垂れください』
黙祷。
司会が述べ、会場は静寂に包まれる。
艦娘は兵器、と言って憚らない彼らが思い浮かべる中に、果たして私たちはいるだろうか。
祈りが届かぬことを知りながら、それでも私は、これまで沈んでいった仲間と沈みゆく仲間に黙祷を捧げる。
『皆様、ご着席ください』
そうして静まりきった会場に、最も効果的なタイミングで、厳粛な声が告げる。
『これより、日本国海軍の最高指揮官たる聯合艦隊司令長官、南郷宗八郎元帥閣下より、式辞を賜ります』
水を打ったような静けさをそのままに壇上の元帥が立ち上がり、演台へ歩みを進める。煌びやかなシャンデリアの光がすっと暗くなり、彼のまわりにだけ柔らかいスポットライトが当たった。
『――ご列席の諸君。並びに、中継をご覧の、我が日本国臣民諸君。
我々は永きに渡り、深海棲艦という未曾有の国難に対し、耐え、そして、忍んできた。終わりの見えぬ夜に挫けそうになった者もいたであろう。しかし、我々は信じていた。必ずや、この暗雲を貫く一筋の光明が、現れることを。
本日、その光は現実のものとなった。ブルネイ鎮守府、星名百々司令官。その敢然たる指揮の下、我が精強なる艦娘たちは、敵占領海域の奪還という七年ぶりの
これは星名司令官の功績ではない。麾下艦娘たちの勇猛さによるものでもない。これは、歯を食いしばり今日まで耐え抜いてきた、国民諸君、一人一人の、勝利なのだ!』
会場の前部分、軍人たちの座席から割れんばかりの拍手が湧き起こる。
私たち艦娘を軽視するのは置いておくとしても、はっきり『星名司令官の功績でない』とまで言い切った面の皮の厚さには驚く思いだった。まるで邪魔者扱いではないか。星名提督に対する上層部のスタンスが透けて見える。
元帥は拍手を静かに制して続けた。
『この戦果は、敵が決して無敵ではないということ、そして、我々が一丸となり、大和の魂を燃やす時、いかなる困難をも打ち破れるという、揺るぎない証明である!』
拍手の中で無数のフラッシュが焚かれ、元帥の姿が白に眩む。
たっぷりと間を取った彼は「無論」と大きくトーンダウンさせて口を開く。
『これで戦争が終結するわけではない。道は、未だ遠く険しい。しかし、我々は本日、確かな反撃の第一歩を踏み出したのだ。
国民諸君には、今後もなお一層の奮励努力を期待する。日本国海軍は、諸君の信頼と期待をその両肩に背負い、必ずやこの聖戦を勝ち抜くことを、ここに、固く、誓うものである!』
強く断言する口調に再び拍手が巻き起こった。
元帥の言葉は何も保証していない。国民に『これからも苦しい生活に耐えて頑張ってくれ』と言い、ただ精神論を語っただけだ。
それでもプロパガンダとしてはこれで充分なのだろう。私たちにとっては、拍手の音までまるで空虚だった。
『天皇陛下、万歳!』
元帥が力強く寿ぐ。整ったリズムのまま鳴り止まない拍手の中、鹿爪らしい表情のなかに満足げな口端のゆるみを含ませて、彼は演台を後にした。
『南郷元帥閣下、誠にありがとうございました。続きましてこれより、先の「東沙島沖海戦」における詳細な戦果報告を執り行います。報告は軍令部第一部作戦課、鏑木中佐』
入れ替わりで演台に立った中佐が、ステージ左方に垂れるスクリーンに投影された図を指しながら戦果の報告を始める。
轟沈艦、なし。隣で息を呑む声が聞こえた。にわかには信じられない。
今回の戦果がいかに実りあるものであるか、東沙島に位置取る敵艦隊がいかに強大で、それによって国民がいかに苦しめられていたか、海戦において我が軍の艦隊がいかに精強であったか、それらが言葉を尽くして語られた。
作戦として明かされた中に真実はほとんどないだろう。星名提督がどのように攻略を成したのか興味があったが、聞くだけ無駄だった。
千キロ以上の遠征に堪える練度の艦娘が少ない。それは分かる。
だから挟撃や誘引をする別動隊や支援部隊を用意できない。これも当然。
よって単一艦隊で出撃し、敵機動部隊のアウトレンジ攻撃は夜間に凌いで肉薄し、薄明から一気呵成に攻め上げる。これが分からない。無茶苦茶だ。
まともな司令官なら一顧だにしないだろう。勝てる訳がない。艦娘をみすみす沈めるだけだ。
しかし星名提督はこれを実行に移し、誰の犠牲も出さずに見事な大勝を刻んだという。
もしもこれが本当なら、あの人は運だけの無能か、あるいは自らの艦娘の勝利を疑いなく信じた(着任ひと月未満で!)弩級の馬鹿か、どちらかだった。
中佐が舞台を降りると、突然ラッパの勇壮なファンファーレが高らかに鳴り響く。思わず身体を跳ねさせた私を、堪え切れなかったのか矢矧さんがこっそり笑う。普段なら決してそんな仕草は見せないはずだから、やはり彼女もこの戦果に動揺し、そして浮足立っているのだろう。
『ご列席の皆様。永きに渡る暗闇の時代は、今、終わりを迎えようとしています。本日、この栄誉ある席におきまして、我が海軍の輝かしき勝利をご報告できますことを、誇りに思います。
これより、新たな英雄の比類なき戦功に対し、
最前列の星名提督が立ち上がる。背筋を伸ばし、割れんばかりの拍手の中を悠々と往き、ステージ中央へ上がる。
その完璧な敬礼に答礼を返した元帥は、控える副官から勲記を受け取った。
はかったように軍楽隊が奏で始めた『海ゆかば』の勇壮な音がホールを満たす。
「ブルネイ鎮守府司令官、 星名百々。君を、金鵄勲章に叙する。君は、この戦役の勃発以来永きに渡り、我が海軍が、敵、深海棲艦の、堅牢なる
元帥は勲記と引き換えに、副官の持つビロード張りの箱から勲章を取り出す。金の正賞がぶら下がる浅葱色の綬が星名提督の左胸に付けられる瞬間、拍手がさざ波のように湧き立ち、沸騰し、そして壇上が光に染まるほどのフラッシュが焚かれた。
再び敬礼を交わした元帥は自らの席に戻る。
『ただいま金鵄勲章の栄誉に輝かれました、星名司令官より、謝辞を賜りたく存じます』
演台に立った星名提督は向き直り、会場を睥睨した。楽器の音が絶え、拍手の音も徐々に小さくなっていく。
時代錯誤の艦娘擁護派が、大戦果を成し遂げた英雄が、果たして何を語るのだろう。
私の心臓は高鳴りを止めない。緊張か不安か分からなかった。
口内が渇いているのが分かる。願わくは、私たち艦娘に希望を持たせない言葉であってほしい。落胆するのはもう、うんざりだ。
完全な静けさをもって、英雄の声が響く。
手に原稿はない。真っすぐな瞳と、凜とした立ち姿。
そして、後の世へ語り継がれる謝辞が始まった。
◇
ただいま受勲賜りました、星名百々であります。
元帥閣下、並びに、ご列席の各位。この度の栄誉、身に余る光栄に存じます。
先のお言葉で元帥閣下は、この勝利を私、星名の功績ではないと仰いました。全くもってその通りであります。
ですが、それが艦娘たちのものでもないというお言葉。もしそれが閣下の気の利かぬ冗談でないとすれば、それは断じて看過できぬ、重大な誤りです。
この勝利と栄誉は、耐えがたきを耐えてこられた国民一人一人のものであり、そして何より、その盾となって血を流した、少女たちのものであります。
故にこそ、私はこの栄誉ある壇上から、改めて誓わねばなりません。この栄光にふさわしい未来を創るという、我々海軍、いや、この国に生きる全ての者に課せられた責務を。
この場をお借りし、国民諸君に、私の不退転の決意を申し上げる。
私が目指すのは、ただ一つ。長年この国を蝕み続ける戦いの、不可逆的かつ完全なる終わり。
『戦争終結』であります。
これはお題目などではありません。私がこの命に代えても成し遂げると誓った、唯一無二の使命です。
しかし、その使命も、ただ言葉を弄するだけでは国民諸君の心に届かぬでしょう。あまりにも長い間、我々海軍は言葉だけの勝利を喧伝し、諸君の信頼を裏切り続けてきた。
ですから私は、本日ひとつの『証』を携えて参りました。謝辞の壇上ではありますが、この場を借りて開陳することをお許しいただきたい。
本日より、六日前。
我がブルネイ鎮守府の主力艦隊は、沖ノ鳥島沖に展開する敵主力機動部隊と接触し、これを撃滅。
フィリピン海の制海権を、完全に奪還いたしました。
南シナ海に加え、フィリピン海が開かれた。これが何を意味するのでありましょうか。
それはすなわち、我が国の生命線である、ブルネイからの資源輸送船団が、ようやく大手を振って本土へ帰ってくることができるということです。
国民諸君――!
あなた方の生活は、必ず上を向く。
『だろう』とか『でしょう』ではありません。絶対にそうなる。そうならなければならない。
これは私から、そして海軍からの血判であります。
もし、このついに勝ち取った好機を、活かさぬ者がいるとすれば。
それはもはや怠慢ですらない。国民への、国家への、
果たして、その尊い血を滴らせて我々にこの好機をもたらしたのは、いったい誰なのか。
諸君。どうかその目で、会場の壁際をご覧いただきたい。
そこに、椅子も与えられず、壁の花同然の扱いで立たされている少女たちがいる。彼女たちこそ、我が国の海を守る、艦娘たちであります。六日前、沖ノ鳥島沖での海戦に参加した私の艦娘も三名、そこにおります。
彼女たちの顔をよく見ていただきたい。このまだ幼さの残る顔で、敵艦跋扈し殺意はびこる冷たい海を、必死に戦い抜いているのです。
彼女たちを兵器と言って憚らない者に、私は問う。このどこが『兵器』だというのか。
兵器が、私たちと同じ言葉を介し、あどけなく笑い、仲間を案じて涙を流し、そして理不尽に傷つくというのか。兵器が、守るべき誰かのために、自らの命を懸けるというのか。
断じて違う。彼女たちは、兵器ではない。
ここにおられる司令官諸氏の中には、その事実を誰よりも深くご存知の方がおられるはずだ。
彼女たちは、ただ深海棲艦に対抗できるというだけの、ただ、
その少女たちが、守るものの本当の姿も知らされずに、今も最前線で戦い続けている。
なぜ、このような理不尽がまかり通っているのか。なぜ、彼女たちはただ戦うことだけを強いられているのか。
その答えは、悲しき哉、我々大人たちの中にあります。
彼女たちを心ある『少女』としてではなく、『道具』として扱うことは、確かに楽な道でしょう。そうすれば我々は、心を痛めずに済む。
それはたとえば、七年前、泣きながら、叫びながら、海の底に沈んでいく『少女』たちの断末魔の叫びを聞き続けたあなた方が、ただ心を閉ざしたように。
だがそれは、彼女たちの命の重さから逃げているだけだ。そしてそれは、戦争終結から最も遠い道であると、私はここに断言する。
どんなに辛くとも、私たちは向き合わねばならない。ただの少女を物言わぬ兵器として犠牲にし、その上で成り立つ仮初の平和に、いったい何の価値があるだろうか。
再び断言しよう。そこに価値など
ゆえにこそ、私は進むのです。たとえこの身が引き裂かれようとも、私は必ず、この誤った現状を正し、戦争の終結を成し遂げる。
そしてその先に、彼女たちが『艦娘』である必要のない、ただの少女として当たり前に笑って暮らせる世界を取り戻す。
この誓いは――
◇
息をするのも忘れていた。
そのことを、星名提督の声が聞こえなくなって初めて自覚した。
提督はなおもマイクに熱っぽく語り掛けるが、二度とスピーカーは震えない。
最前列の司令長官たちがステージ脇へ身振り手振りでなにか指示を送っている。
マイクを切られたのだとすぐに分かった。
『戦争終結』を誓う海域奪還の英雄。明らかにされたその本当の覚悟。
ホールの空気は、完全に星名提督のものと化していた。
フィリピン海の奪還が明かされた時、謝辞の最中にもかかわらず莫大などよめきが満ちた。それほどまでの衝撃があったのだ。
一度だけなら奇跡と言える。けれど二度も重なれば必然だ。星名提督は類稀な指揮能力をもつことを、私も認めざるを得ない。星名提督は本物の英雄なのだ。
そこからはもう、皆がまるで魅入られんばかりに聞き入った。
奪還を公にしたのは、ブルネイから持ち込まれる資源の独占に釘を刺すためだろう。
元帥に反旗を翻すのみならず、ついに海軍はおろか国民全体への啓蒙にも及んだ演説に、誰もが夢中になった。ある者は期待から、ある者は興味から、ある者は下世話な想像から、そしてある者たちは、魂を惹いて止まない強烈な衝動から。
提督は開けてはならぬ箱を開けるばかりか、箱の中身を全て取り出して底を見せびらかし、そしてそこに残る希望を、国民に知らしめたのだ。
けれど、おとぎ話にも終わりは来る。
反応しないマイクを前に立ち尽くす姿に、席のあちこちでざわめきが強くなって、会場が浮足立った。
視界の端で司会が息を吸い込む。降壇を促そうというのだろう。
もうどうしようもないはずなのに、私の中の熱が、提督を見つめることを止めさせてくれない。
だめなのに、がっかりするだけなのに、私の心が、狂おしいほどの期待を止めさせてくれない。
けれどそんなもの、私たちに都合のいい願いに過ぎない。
壇上で何もできない星名提督を将官の嘲笑が襲った。会場の熱が急速に引いていく。私たちの短い夢が終わる。
「――この、誓いは!」
そのはずだったのに。
「この誓いは、決して平坦な道のりの上にはありません! それは、深海棲艦を退ければ終わり、という単純な物語ではない!」
あなたは、どうして惨めな私たちに諦めさせてくれないのでしょう。
「この七年の間に根付いた、少女たちの犠牲の上に成り立つ平和を是とする、歪んだ価値観そのものを変えなければならない! 旧体制にしがみつく者たちの抵抗を乗り越えねばならない!」
剥き出しの肉声が、人に吸い込まれ、張りぼての装飾に吸い込まれ、なおも大きく響く。
怒鳴りつける声に、辺りは気圧されて静まり返った。
提督から立ち上る気は尋常のものではない。これから死すべき命の、まさしく不退転の、真実の覚悟だ。私はあれを、戦場でしか見たことがない。
「それはもはや、海軍だけの戦いではない! この国に生きる全ての人々が、自らの問題として、少女たちの命の重さと向き合うという、偉大にして困難な革命なのです!」
唾をまき散らし叫ぶ提督の必死な様子が、英雄もひとりの人間であることを雄弁に物語る。その姿が、私の目にはあまりにも眩しく、誇り高く映る。
突如としてシンバルと金管の大音声がこだました。
人々の耳目は軍楽隊へ無理やり集められる。奏でられ始めた勇壮なマーチが、提督の肉声をかき消した。これほどの規模の式典を用意しておきながら、なんと姑息な手だろう。
提督、と私は叫んでいた。
隣の矢矧さんも、喉を枯らしていた。
声はかき消されて届いたとは思えない。
けれど星名提督は、その覚悟を示すように視線を送って、頷いた。見ず知らずのはずの私たちに向けて、力強く。
「だからこそ私は、これを聞く全ての国民諸君に、心の底からお願いする!」
魂を震わす大声量が空間を震わせた。
絢爛の舞台、喉を枯らす英雄の背後で、鳴り響く『軍艦行進曲』が最高潮に達する。
「私の力だけでは足りない。どうか、あなたの力を貸してほしい――!」
皮肉にもそれは、至高のプロパガンダの演出として機能していた。
「どうか、信じてほしい。そして、祈ってほしい。今もこの瞬間、万里の波濤を乗り越えて、どこかの海で我々のために戦ってくれている、全ての少女の、その未来を」
止まぬマーチが鳴り響く。
いつからかそれに混ざって、ぽつぽつと手を叩く音が聞こえ始めた。
雨のようなそれは束となり、波となり、やがて行進曲を押し流すまでの怒涛となって会場を揺るがす。津波の如く押し寄せて止まらない拍手は、今まで聞いたことのない爆発的なものとなって、ついに星名提督を迎えた。
この光景に震えずにいられるだろうか。死に絶えたはずの艦娘擁護派が、その剣と弁をもって、世論に風穴を開けたのだ。
呉のみんなに伝えたい。こんな司令が、まだいたのだ。
提督は、以上、と口の形だけで表して壇上を辞する。
鳴りやまぬ拍手によって、司会進行や閉会の辞もままならなかった。
式典後、呉の司令の席まで迎えに上がると、すぐ近くの星名提督を彼らが憤怒の形相で睨みつけているのがわかった。
ほんの椅子数個しか離れていないあの人に声をかけたくてたまらない。あなたを突き動かすものはいったいなんなのか、と。
けれど兵器にそんな出過ぎた真似は許されないから、私は黙って司令に傅く。
司令は懇親会の参加もそこそこに肩を怒らせて会場を出てゆく。向かう先は同ホテルの大会議室だ。各鎮守府の司令が集まって意見の交換と方針の確認を行う軍議が予定されている。
先ほどまでいたホールがあまりに巨大だったせいで感覚が狂うが、この会議室も立派な大きさだった。空間を贅沢に使ってロの字型に配置された机には、既に幾人もの司令官が着いている。いずれも雰囲気は落ち着かない。軽い雑談が交わされるのが常なのに、今日はピリピリとした空気が漂って、身じろぎの衣擦れすらも耳目を集める。
トラウマを掘り返された軍人たちの敵意は、ここにいないひとりに集中していた。
あの演説が、前々から関係各位に根回しをして、将官たちにも水面下で話を通し、そうした上で発されたものだったら、こうはならなかったに違いない。
準備期間なしの強熱は、むしろ彼らから受け入れの余地を奪ってしまったのではないか。
彼らの心を溶かすには、星名提督の行動はあまりに性急過ぎた。どうも提督自身がそれを分かっていない様子であることが、一番の気がかりだった。
机は各鎮守府の司令に埋められてゆき、それぞれお付きの艦娘が椅子の背後の壁でそれを見守る。
いっそ軍議をすっぽかしてブルネイへ帰っていてくれないだろうか。こんな場、あの人にとってなんの益にもならない。
そんな私の思いをよそに星名提督は現れ、大会議室は一触即発の雰囲気を纏う。
やがて最も遅れて入室した元帥が、軍議の開会を宣言した。
「いやはや、先ほどの謝辞、実に感動的でありましたな。あの弁舌の巧みさ、まるで現場に明るくない政治家の演説を聞いているようでありました。我々にはとても、真似できん芸当です」
嘲るような笑いが会議室に満ちる。
捻じくれた陰湿さが、星名提督に牙を剥いた。
「しかし、困りますなあ、星名司令官。足並みは揃えてもらわないと。各鎮守府司令が長い時間をかけて積み上げてきた、海域攻略のための準備、そのことごとくが、貴官の大変なスタンドプレーによって完全に水泡に帰した。これは貴官が他鎮守府にもたらした、計り知れない損害ですよ。これについていったい、どうお考えなのかな」
部屋中の視線がたったひとりに殺到する。
これから彼らは、躍起になって失言を引き出そうとするだろう。
星名提督、あなたにどうか、どうか耐えてほしい。彼ら自身をも飲み込んだ、その理不尽に。