艦これ戦争終結RTA   作:poox

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矢矧ちゃんが提督にめちゃくちゃに振り回される話。
ひとつの話のつもりでしたが長くなりそうなので分けます。
苦しんで書いたのに全然進みませんでした。イライラ苦手な人はこの話飛ばしてもいいです。


矢矧 - 颱風

 

 

 どんな奴か、ひと目見ずにはいられなかった。

 張り子の戦果を携えて、そのために多くを犠牲にし、彼らは私たちのことをどれだけいいように扱えば満足するのだろう。

 ブルネイの司令官がざわめきを佩くようにしてホールに現れる。姉の心を弄び、死地へ追いやった提督。私はそれを視線で殺そうとする。

 だらしなく下品に垂れた目尻を予期する私の視界に飛び込んできたのは、しかし、想像とは似ても似つかぬ、淡く光る抜き身の刃のような眼光だった。

 その瞳に一瞬射抜かれて、私ははっきり動揺した。なにかのメッセージが伝わってきたというわけでもない。形容できない感情に胸が騒いで、ただ突然、なんとなく落ち着かなくなった。

 

 やがて始まった戦果報告で、巨大なスクリーンに投影された中に轟沈艦の文字は無かった。

 小さな子供でも不審に思う、都合の良すぎる大勝だ。これほどの式典まで用意しておきながら、発表するのはチープな虚構。私が知る大本営はそんな手抜かり犯さない。心を疑念が占めた。いったいどういうことだろう。

 

 まさかあるいは、全てが真実なのか?

 

 そんな甘い幻想に思い至った瞬間、私の中の弱い部分が境界を越えて決壊する。これほどの大勝をもたらした指揮の下でなら、姉が従事した作戦も、大成功裡に終わっているのではないか。

 手紙の内容を脳裏で浚う。たった三日間で擦り切れるほど読み返したから、文章の一言一句は当然に、所々強く滲んだ筆圧まで全てが思い出せる。機密保持の都合で詳しい作戦内容が書かれていなかったことがもどかしくてたまらない。

 

 しかし続く報告の中で東沙島攻略作戦の概要が明らかになってゆくにつれ、抱いた惨めな希望は萎んでいった。作戦とも呼べぬ杜撰な計略。星名という司令が持つのは、どうやら類稀な指揮の才能ではなく、類稀な運だった。

 鳴り響くファンファーレが私の甘い内心を嗤うようで、釣られて私は自嘲の笑みを零す。姉を水底に追いやったのはやはりあの司令官なのだと目を細め、白々しい勲記を聞き流した。

 元帥が席に戻り、代わって星名提督が演台に立つ。張りぼての英雄が果たして何を語るのか。静まり返るホールの中、耳を傾ける。

 

 

 

 そして、声がホールに響くたび、私は混乱した。

 

『もしそれが閣下の気の利かぬ冗談でないとすれば、それは断じて看過できぬ、重大な誤りです――』

 

 星名提督は、海軍の神輿ではないのか。

 それとも、これすら彼らの筋書き通りなのか。

 訳も分からぬ私を置き去りにして、提督は言葉を重ねる。

 

『本日より、六日前。我がブルネイ鎮守府の主力艦隊は、沖ノ鳥島沖に展開する敵主力機動部隊と接触し、これを撃滅。フィリピン海の制海権を、完全に奪還いたしました――』

 

 にわかに話し声がさざ波立って盛り上がり、ホールはどよめきに揺るがされた。前列のほうの将官のいくらかが慌てふためいている姿が見える。これは予期された流れではない。

 そして、私は確信する。姉が参加した作戦はこれだ。

『難しい任務』どころではない。まさかフィリピン海の奪還作戦なんて想像だにしていなかった。南シナ海の解放だけでも大ごとだったが、これも均衡に風穴を開けるとてつもない作戦だ。

 作戦は成功した。能代姉は戦況を変えたのだ。

 手紙の内容が段々と理解できるようになっていくことが、一種の快感でもあった。こうなると、まだ明らかになっていない『すごく大事な役目』というのが何を指しているのか気になって仕方がない。単に攻略部隊にアサインされただけと読んでいいものか。そう信じるにはあの手紙は不穏すぎた。

 姉は帰りつくことができたのだろうか。

 作戦詳細をこの場で明らかにしてほしい。戦果はいい。東沙島のように参加艦艇とその被害状況を知りたい。

 しかし星名提督は海域奪還を明かすにとどまり、演説の内容はもどかしくも逸れていく。

 

 

 謝辞の中で、あの人は私たちのことを頑なに『少女』と呼んだ。いっそ大本営に喧嘩を売るような清々しさだった。まるで私たちのために艦娘擁護派が地獄から舞い戻ったよう、なんて思ってしまうのは夢見が過ぎるだろうか。

 これほどまでに艦娘を想う人なら、みすみす艦娘を沈める作戦など立案しないのではないか。都合のいい解釈の中で、姉の生存を願う思いが膨らんでいく。

 マイクを切られ、マーチの音に遮られ、なおも国民へ真摯に語り掛けようとするその姿に、いつしか私は心奪われていた。英雄的な後光の中に、姉の生存を見る。それを確信したからこそ、私は星名提督に心奪われたのだ。見る者全ての目を惹き付けて灼かんとするその眩しさは、まさしく手紙にあった『太陽』に相応しい。

 

 提督は、まさに今勇壮に鳴り響く『軍艦行進曲』の詩の引用で謝辞を結ぶ。

 拍手が湧き起こったのは、ホール後方、マスコミの席からだった。林立する三脚を背にひとりの老人が立ち上がり、我が手よ壊れろとばかりに激しく打ち付ける。それを皮切りにして、やがて彼の周囲は総立ちになり、それは来賓の席にまで及んで、ついには佐官たちの一部までが立ち上がり、爆裂な拍手を送った。不満げなのは前列近い将官たちだけだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「困りますなあ、星名司令官。足並みは揃えてもらわないと」

 

 粘りつくような声が星名提督に投げかけられる。あれは沖縄の参謀長だったか。

 

「各鎮守府司令が長い時間をかけて積み上げてきた、海域攻略のための準備、そのことごとくが、貴官の大変なスタンドプレーによって完全に水泡に帰した。これは貴官が他鎮守府にもたらした、計り知れない損害ですよ。これについていったい、どうお考えなのかな」

 

 海域攻略が成れど、その準備が『完全に水泡に帰す』ことなどない。生まれてもいない損害に賠償を要求するとはこじつけもいいところだった。

 

「それは申し訳ないことをしました。長きに渡ってお歴々に苦戦を強いる敵部隊が、まさかあれほど惰弱とは、予測もしていなかったものですから」

 

 開会以前から満ちていたひりつく空気が、星名提督のその言葉で丸ごと怒気に変じる。

 

「余剰戦力を新たな方面に振り向けることができるようになるということですね。最前線の将として頼もしいかぎりです」

 

 主張した論理の無茶苦茶さを自分で理解しているから、沖縄の参謀長は目を血走らせ鼻息荒く押し黙るしかなかった。涼しい風に言うのが余計に癇に障るようだ。

 

 

 

「フィリピン海まで奪還したとは素晴らしい。しかし、いつから海軍の報告義務は、一般への発表に劣後するようになったのかな?」

 

 軍令部の将官が静かな口調を装って詰め寄る。

 会場で見て取れた通り、やはり海軍内でも公開の方針が定まっていなかった戦果だった。議場全体の星名提督を敵視する雰囲気から、独断で明らかにしたのかもしれない。もしもそうなら信じられぬ暴挙だ。

 

「詳報は事前に提出しております」

「提出されたのは今朝だぞ。参謀本部の確認も済んでいない。詭弁ではないか」

「しかし、実際に出しておりますので」

 

 演説から、星名提督が海軍上層部の意識改革を迫りたいことは分かる。だが逸りすぎだ。合意を取らなかったのは拙速以外の何物でもない。

 この隙を彼らは逃そうとしないだろう。この人の軍人生命はここで終わりを迎える。会場の艦娘の多くが抱いたであろう儚い夢も。

 

「戦果の公表は、しかるべき手順と議論を踏んだのちでなければならない。貴官はこの手続きを踏みにじり、一個人の功名心から国家の機密を暴露した。その目に余る規律違反、不問に付すわけにはいかない」

「拝受した命は『国民に対し七年ぶりの大戦果を報告せよ』、ただそれだけでありました。私は言われた通り国民へ戦果をアピールしたに過ぎません」

「件の戦果とは、南シナ海を指すに決まっているだろう! フィリピン海はまだ我々の預かり知らぬところで……」

「報告からフィリピン海解放の戦果を除外せよ、とは伺っておりません。屁理屈ではないでしょうか」

「それこそ屁理屈だ! そんな言い訳が通ると思っているのか! 貴官は演台で国民、国民とほざいていたが、その国民が今、誰を信じていると思っている。我々海軍だ。我々こそが、国民最後の希望であり、総意なのだ。その我々に楯突くとは、国民の総意に弓引くということだぞ!」

「お言葉ですが、恥知らずにも国民を欺き続けてきたあなた方に言われたくない」

 

 息の根を止められた将官は顔を真っ赤にして言い返す言葉を探しているが、意味ある響きは出てこない。

 

「どうやら行き違いがあったようです。公表の方針が決定されていない戦果を明らかにしたことについては、謝罪します。閣下らにも色々と都合があったことでしょうから」

 

 無事切り抜けられたことに安堵のため息が漏れ出る。きっと見ているこちらの方が緊張していた。

 すっかり対抗の論理まで用意していた故意犯が『どうやら行き違いがあった』とは、随分な胆力だった。『都合』というのも手柄の横取りを揶揄するようで、他の将官たちはさぞ不愉快だろう。

 

 

 

「謝罪で済めば軍紀は必要ないのですよ。しかし、そもそも報告にあった戦果の信憑性こそ疑わしいですな。ブルネイ単独で海域を奪還するなど、にわかには信じかたい」

 

 息をつかせてはならぬというように、別の将官が新たな疑義を提起する。

 

「南シナ海については、高雄警備府が後詰として睨みを利かせております。戦果は確実なものでしょう。しかしフィリピン海は違う。この華々しい戦果が誤認であった場合、国民の失望は計り知れない」

「どうなのですか、星名司令。ああまで言い切るくらいなのですから、確固たる証拠をお持ちなのでしょう」

 

 星名提督は、売り言葉に買い言葉だった先の勢いをすっかり無くして言った。

 

「いいえ、ありません」

 

 まったく予想だにしていなかった言葉に、血の気が引いて目の前が一瞬暗くなる。

 嘘でしょう、と声にならない響きが漏れた。

 絶世の演説に茹って凝固していた私の脳が、遅れを取り返すかのように回り始める。

 

 作戦は成功し、能代姉も生きている。

 ……本当にそうだろうか?

 

 

 

 作戦が成功したのは事実のはずだった。現に三人の帰還者がいるのだから。

 しかし冷静に考えれば、帰還者がいることと作戦の成功は決してイコールではない。

 もしもあの三人がただの『生き残り』で、それをあたかも勝利の証人であるかのように演出し、作戦の成功を私たちに信じ込ませていたとしたら。

 思い至った可能性に全身の力が抜け出していく。唐突な地震と思った揺れは、私の脚の震えによるものだった。

 

 フィリピン海の奪還発表で、星名提督は被害状況についてひと言も言及しなかった。東沙島攻略作戦では嘘か真か轟沈艦ゼロと報告されたように、誰も沈んでいないのならその手柄をアピールしない理由がない。まさか面倒くさがった訳でもあるまい。

 それならば、なぜアピールしなかったのか。考えられる可能性はひとつだけ。

 華々しい戦果の影で、フィリピン海の犠牲者は巧妙に覆い隠されているのではないか。

 

 疑いは当然、提督自身へも向かう。

 作戦の成否や味方の犠牲すらも平然と偽るのなら、演説で語られた言葉のどこまでが真実だと断じられるだろう。

 大勢の連中と同じように、私たち艦娘を消費することに何の痛みも感じない人間なのではないか。

 

『新しい、すごく大事な役目をいただきました』

『一緒に出撃する仲間は、艤装の扱いに慣れない子たちばかりです』

 

 目を背けていた最悪の予想が手紙の記述と重なり、私の思考を満たしていく。

 姉の部隊は、囮として使われたのではないか。

 

 劇的な演説の熱に浮かされ完全に呑まれ、何の疑いもなく星名提督を信じ込んでいた。

 こうして冷や水を浴びせられた頭で考えてみると、あの時根拠と思った全ては、幻ではなかったか。

 あの演説で語られた理想も、私たちを『少女』と呼ぶ瞬間の優しい眼差しも、全てが自分の名誉欲を満たすためのポーズであり、虚言だったのではないか。

 一度そう思い始めると、もう何もかもが信じられなくなる。

 頼もしく思っていた泰然とした姿。目の前に座る星名提督の全てが、今は不気味な化け物のように見えていた。

 

 

 

「フィリピン海はブルネイからあまりに遠く、攻略のための遠征でさえ大変な苦労を強いました。哨戒を向かわせるだけの余力がブルネイにはなく、海域鎮護は未だ行えておりません。私の不徳の致すところです。力及ばずただただ申し訳ない」

「つまり、確保もできん海域を無駄に引っ掻き回した、と。感心致しませんな」

「やはり弱小鎮守府か」

「まさか、具体的な恒久確保の算段もなしにあの海域に手を出した、などと言うのではあるまいな?」

「その無防備な海域が敵に再奪還された場合、貴官の勝手な発表の分、我々はより大きな政治的ダメージを負うことになる。そのリスクを考えなかったと言うのではないだろう」

 

 議場の将官が盛んに頷く。反省の言質をとって首輪を付けようとする試みは、しかし失敗に終わる。

 

「皆様の懸念はもっともです。当方に哨戒の余力がない以上、フィリピン海がいつ敵の手に渡ってもおかしくない。お歴々にあたりましては、苦しい戦況の中幹部を割いていただくことになり心苦しいですが、海域安定のためには、やはり近い拠点を早急に再建するしかないかと」

「……となると、スービック泊地か」

 

 提督はこの展開を見据えていたかのようにあくまで平然と告げる。

 老獪な司令官たちやその副官が、餌が吊られるや否や目の色を変えた。自らの派閥の力を最大化するにはどのように動くのが最も効率的か、新しい泊地のどのポストに誰を据えるのが最も角が立たないか、それぞれの頭の中で巡っているに違いない。

 提督の言を責めれば、すなわち泊地再建を厭うことに繋がる。それはポスト争いから降りるという意思表明に他ならず、だから権力に呑まれたこの場の誰もが否定できなかった。

 

「皆様は極めて困難なる戦線を七年もの長きに渡り維持し続けておられる。その敏腕にかかれば、南シナ海とフィリピン海、ふたつの海が決して敵の手に渡ることがないことを、小官は確信しております」

「……うむ」

 

 相手の苛立ちを自らの要求にすり替える見事な手腕だった。星名提督の中でここまでが既定路線だったのだろうか。手練手管弄する将官の攻勢をいなし、手玉に取るかのようなその様に、畏怖にも近い感情が湧きあがる。姉の手紙にあった人物像とは全く別のひとに見えた。断じて太陽などではない。これではまるで、暗い嵐ではないか。

 星名提督への信頼の最後の拠り所は姉の手紙だが、この抜け目のなさを鑑みるにそれすら改竄の可能性を帯びてくる。実の姉妹へ向けた遺書に手を加えるだなんて立派な外道の所業だが、必要とあらば躊躇わないだろう。

 ただの名誉欲からの動きではない。目の前のこの人を突き動かすものの正体が分からなくて、私は恐れと共に困惑する。

 

 

 

「……貴官の誇張された戦果は聞き及んでいる。しかしだね、我々には長年培ってきた戦線の秩序というものがある。一部だけが突出しては、全体の均衡が崩れる。もう少し、周囲の状況を慮るということを覚えていただきたいものだ」

 

 横須賀鎮守府の司令長官、天井実邦(あまいさねくに)が口を開いた。周りの将官たちが論破され、あるいは欲望に目をぎらつかせる中、まるで対岸の火事でも眺めるかのように面構えを崩さない四大鎮守府の司令長官たちは流石と言える。

 

「まったくだ。独断専行が過ぎる」 

「万が一、想定外の反撃でも誘発した場合、その責任を貴官一人で取れるのか」

「君のその功利心が、我々が七年間血で守り抜いてきたこの危うい均衡を壊さねば良いのだがな」 

 

 星名提督の後ろに並ぶ三人が拳を握り締める様が見える。深く信頼する提督の功績を功利心と断じられ、庇う者もいない。

 けれどこの場は軍議であり、私たち艦娘に発言は許されていない。反論しても自らの提督の立場を悪くするだけと分かっているから、それを健気に理性で抑え込んでいるのだ。哀れだった。

 

「これ以上、この国を危機に晒さないでいただきたい……!」

 

 佐世保の長官の、迫力を持ったしゃがれ声だった。

 背後の艦娘たちが目を見開き、怒りを露わに震えるが、星名提督は何も言わない。私は眉をひそめた。

 理解できない。海軍という組織には暗黙の序列と力関係が存在する。それを無視して自分の信念だけで突っ走るなど自殺行為だ。生き残るには力学に従わねばならず、それは出世や名誉を望むならなおさらのこと。ここは下手に出るべきだった。

 

 新たな権力を餌に懐柔したかと思えば、今度は這うような恫喝に真っ向から対峙する。

 合理的ではない。あまりにも合理的ではない。さっきまでのあの計算高い立ち回りは何だったというのだ。

 一貫しない姿勢が私の目には異常極まりない存在として映る。

 この人は、何なのだ。この人には、いったい何が見えているのだ。

 

 

 

 

「いかな道具といえど、貴官ほどの酷使に遭っては持ちますまいな」

 

 長い目配せのあとの、どこかの副官の発言だった。会場の空気が変わる。ひりつくような緊張から、泥水のような粘つきへ。

 

「実際のところ、攻略にいったい何隻消費したのです?」

 

 すぐに直感した。海軍の方針に従おうとしない星名提督に、もはや理詰めの糾弾が通じぬと見た将官たちが、別の攻め口で失言を引き出そうとしている。

 ゼロだと明け透けに言うだろうか、あるいは本当のことを告げるだろうか。

 とっくに諦めきったつもりなのに、だというのにどうしてか、まるで自分のものではないみたいに心臓が勝手に早鐘を打つ。

 発言は、思いもよらぬ人物からあった。

 

「司令官は誰も沈めてない!」

 

 さあっ、と私の世界から音が急速に遠のく。誰か将官がわめいているがもう聞こえない。

 ……誰も、沈めていない? 本当に?

 そんな都合の良い話があるものか。『直接手を下したのは深海棲艦だから、司令官は沈めていない』。そういう子供じみた屁理屈に違いない。

 そうだ、そうに決まっている。期待なんてするだけ無駄だ。

 そう自分に言い聞かせながら、どうしても私の妄想を否定して欲しくて、フィリピン海の帰還者たちを縋るように見た。

 

 怒りからか頬を真っ赤に染めた霞が、私へ向かってかすかに、しかし力強く頷く。

 駄目だ、やめてほしい。

 だって、もしもそれが本当なら、あの式典での演説も、私たちを少女と呼んだあの言葉も、全部。

 この人を突き動かしているのは、本当に、ただ純粋な――。

 

 ぐちゃぐちゃの内心を見透かしたかのように星名提督が視線を寄越す。研ぎ澄まされた刃のような鋭さの中には、わずかに憐憫の色が含まれている気がした。あまりにも優しいその光に気づいた瞬間、混乱していた思考が激情の形へまとまって突然に暴れ狂う。

 哀れだとでも言うのか、私たちが。私たちは自分の意志で耐え、戦ってきた。その感情を向けるな。私たちは望んでそうしてきたのだ。私も阿賀野姉も、沈んでいった横須賀の仲間たちも、決して可哀想な存在などではない。絶対に……。

 決意を持って強く睨み返したはずの私の視線は、いつの間にか爪先のほうへと俯くように垂れていた。

 

 私はもう、私のことがよく分からない。

 

 

「上官を庇うとは、実によく躾けたな。貴官が羨ましいよ。我々のように、大多数のハズレをどうにかこうにか調整して使う本当の采配というものを、君はまだ知らんだろうからな」

 

 天井司令が机を叩いて威圧した。壁に立つ幾人かの艦娘の肩が跳ねる。ブルネイの三人は微動だにしない。

 ぬう、と司令の首がねじれて私を向いた。

 

「お前も星名提督のところを見習え」

 

 見習うって、なんだ。私たちが必死でやっていないとでもいうつもりか。戦果を挙げさせないのは誰の指揮のせいだ。姉の手紙にあったブルネイのような環境を用意しないお前が、それを口にするのか。勝利を一度も見据えたことのないお前が、『本当の采配』を見せた星名提督に語るのか。私たちを、阿賀野姉を平気で傷つけるお前に、その資格があるのか。

 その全てを飲み込んで、私はただ頭を下げる。

 私に許されているのはその行為だけ。居並ぶ将官たちが盛んに頷く様子が横目に見えて、喉の奥がひきつった。

 

 

 

「いっそ、どうかな、星名提督。その大当たりとやらを、一度こちらに試用させてはくれんか。我々の熟練した手腕にかかればどれほどの戦果を記録するか。まあ、結果が良ければ正式に譲渡という形で、我々の栄誉ある本土艦隊に加えてやっても良いがね」

 

 呉の司令長官が半笑いで発した提案にブルネイの三人が固まるのが見えた。

「名案ですな」と同意した末席近い将官のその瞳にぞっとする。

 

「貴官のその幸運な個体……例えば、そこな重巡。我々の方で高度な運用データ収集の対象として、特別に引き取ってやろう。君のところでは、その稀少サンプルの真価を正しく評価できんだろうからな」

 

 大本営に連なる将官たちが艦娘を徹底して兵器として扱うのは、かつて少女と認めたがためのトラウマによるものだ。私たちへ性愛を向けることは心ある人間として見ることに他ならず、それは彼らの壊れた心が許さない。だから私たち兵器に色目を向ける将官はいない。そのはずだった。

 涼月を品定めする表情は卑猥なにやけ面で、だらしなく下がった目尻が気色悪い。獣じみた口呼吸で吐き出される息さえ臭い立ってきそうだ。

 席順から察するに鎮守府や警備府クラスの長ではない。呉に阿諛追従(あゆついしょう)する姿勢から、紀伊の潮岬要港部の司令だろうか。

 要港部に艦娘は配属されない。ほんのわずかな護衛艦と哨戒機を頼りに、近海の索敵と哨戒、そして管轄鎮守府への通報を行うことが役割だからだ。見張り台たる要港部は常に危険に晒されているにもかかわらず、世間と軍内で喧伝されるのは鎮守府の成果ばかり。腐った野心の捌け口もなく、彼の中には提督と艦娘への歪んだ羨望と劣等感が充満しているのだろう。たまに寄港する艦娘のことをどんな目で見ているのか推して知れた。

 爪先から頭の頂まで、舐めまわすという表現がぴったりの粘ついた視線が、涼月の肢体へ這うように注がれる。直接向けられていない私ですら怖気が立った。彼女は耐えかねたように自らの身体を抱いて身震いする。

 

「強力な戦力は特別に我々の保護・管理下に置くのが筋というものだ。代わりにこちらの豊富なストックから標準的な消耗品を融通してやってもいいが、どうだろう」

「筋! まさしくその通りですな。星名提督、在籍艦娘の詳細なリストを早急に準備するようお願いしますよ。この譲渡は決定事項です」

 

 下劣な含み笑いが服の下を這い回る。星名提督の立場のため、涼月は唇をぎゅっとつぐんでいる。『嫌です』のひと言すら口にしない健気さが笑えた。いい気味だった。

 

「なによ、それ……めちゃくちゃじゃない……!」

「黙れ、艦娘の分際でさえずるな」

 

 霞と川内さんが涼月を庇うように立つ。二人は敵愾心を隠そうともしていなかった。これ以上は提督よりも彼女たちのほうが耐えられないかもしれない。部下である彼女たちが暴言のひとつでも吐こうものなら、老獪な狸たちはこれを口実に寄ってたかって星名提督を引きずり降ろすだろう。

 

「さあ、星名提督。お返事は」

 

 潮岬の司令が下卑た笑みで迫る。星名提督は静かに目を閉じた。それはもはや視線を合わせる価値すらないとでも言うかのようだった。

 

 

 

「拒否する」

 

 断固たる語気が会議室に響き渡る。

 たったそれだけでブルネイの三人は雰囲気を落ち着かせ、潮岬の司令はたじろぎ何も言えなくなってしまった。変わって呉の司令が、穏やかな、しかし有無を言わさぬ口調で口を開く。

 

「ブルネイを自分の城とでも思っているようだが、もっと広い視点を持つべきだ。君が守るべきはブルネイという一拠点ではない。この日本国そのものなのだぞ。大局的な戦力バランスを鑑みれば、突出した戦力は再配置を行うのが戦略的に妥当というものだ」

「ブルネイの戦力は、ここ一か月何ら変わっておりません。増員や新型装備の配備があったならまだしも、我々は現状の戦力で手一杯です。これ以上の引き抜きはブルネイ泊地の防衛能力を著しく低下させる行為に他ならない。妥当な指令であれば謹んでお受けしましょう。しかし、今回の要求は到底是認できません。拒否します」

「そういきり立つな。私はそこな潮岬の彼のようにただ寄越せと言うのではない。貴官の大当たりと、こちらのいくらかのストック。一対多の交換であれば、貴官にとっても決して悪い話ではあるまいと言っているのだよ」

 

 本心から対等な取引を思っているのか、侮辱するためだけの提案なのか、呉の司令の柔和な表情からはまるで読み取れない。

 ただ星名提督の纏う空気が、ごう、と燃え上がったことだけははっきり分かった。

 

「お言葉ですが、試用だろうが譲渡だろうが交換だろうが、全て選択肢にありません。彼女たちは『物』ではないからだ。彼女たちは私の部下であり、家族であり、パートナーだ。私は彼女たちの命を預かっている。今、彼女たちはこの私の、魂の一部だ。何度でも言おう。断じて、拒否する」

 

 演説で見せた、あの熱だ。

 胸で大きくなったざわめきが口元までせり上がって、ああ、とため息が漏れる。

 提督の後ろ、三人の艦娘は憤然とした気を立ち昇らせながらも、誇らしげに胸を張り私たちを睥睨する。揺るぎない瞳が、私には、マウントを取ってその優位を誇示するものに感じられた。

 

『私の司令官は、お前たちの主人とは違う』

『私はこの人とこそ、共に在るのだ』

 

 そんな声すら聞こえてきそうなあまりにも強い信頼の光に、私は目を逸らす。

 

 どうして私の提督は、あの人ではないのだろう。

 

「譲渡はさておき、不良品の回収をさせるのは良い案かもしれんな。実は、先達として資源を融通できなかったのを心苦しく思っていた。どれ、あとで似合いのものを見繕ってやろう」

 

 星名提督が満たした気高い空気を、侮蔑の嘲笑が押し流していく。いっそ過剰ともいえる笑い声の大きさが、せめて後ろめたさの裏返しであってほしい。私たちの中に不良品なんていない。私たちは物じゃない。

 星名提督が「それはどうも。あいにく返品対応は受けつけておりませんが」と明らかに苛立った様子で言ってくれて、ほんのわずかだけ溜飲が下がった。

 

 

 

「ところで貴官の艦隊は、出撃回数が他と比べて格段に少ないようだが。海域攻略が成ったからといって油断しすぎではないか? 老婆心ながら忠告してやろう。 兵器とは、我々のように、常に臨戦態勢を強いてこそ、その真価を発揮するというものだ」

 

 これまでの返答の語気は、私の弱点は艦娘への情だ、とこの場の全員に教えて回ったようなものだ。案の定、彼らはその唯一の弱点を寄ってたかって攻め立て始める。

 

「指揮官と艦娘は馴れ合うべきではない。貴官はいつか最も大切な時、判断を誤るぞ」

「そうだ。その英雄気取りの人情ごっこは、戦場では何の役にも立たん」

 

 中には温和な派閥からの他に比して真っ当な懸念もあった。

 

「その偽善的な態度で、いったい何隻の艦娘を気持ちよく死なせてきたのですか?」

 

 しかしほとんどは、難癖としか言いようのない、ただ星名提督とその艦娘を逆上させることだけを目的とした侮辱だった。

 まるでその在り方に当てられてしまったかのように、普段は理性的であるはずの人たちまでが我を忘れて敵愾心を振りかざす。

 

「あの演説といい、貴官のやり方は軍人としての品位に欠けるのではないかね。それに付き従う艦娘も同類だな」

「前任者の遺産を食い潰した心地はいかがかな」

「第一に星名司令官の艦娘を徴収するべきだ。詳細な検証の必要がある」

「ブルネイの裏は艤装の残骸でいっぱいなのだろうな」

 

 艦娘のことを馬鹿にされたときは提督が怒りを堪え、提督を馬鹿にされたときは艦娘が唇を噛み締めて怒りを堪える。

 その微妙な機微は、艦娘に無理解な者には決して察知できない。だからこそ議場は排斥の熱を帯びた。

 会議室にいる多くの者が本当は知っているのだ。指揮官と艦娘の間に結ばれる、今は亡きその美しい信頼の形を。

 故にこそ彼らは、提督とブルネイの艦娘たちが放つ、そのあまりにも眩しく、ほかの何よりも目に毒なそれを、執拗に遠ざけようとする。

 

 

 その光景をどう見たのだろうか。横須賀の天井司令が、「なるほどな。勉強させてもらったよ」と吐き捨てた。

 彼は議場の注目を一身に集め、言う。

 

「無能のゴミも使いよう、というわけか」

 

 星名提督が大きく深呼吸するのが分かった。

 ゆらり、と音もなく立ち上がる。その全身から立ち昇る肌を灼くような敵意に、私は生きた心地がしない。この場の全員の首元に見境なく刃を突き付けるかのようだ。はっきりと、殺意にも似ていた。

 まずい。このままでは、本当にまずい。

 上層部の思想へ後ろ盾もなしに真っ向から立ち向かうなど、土台無理な話なのだ。

 艦娘を想うそのたったひとつの隙を見せたが最後、一丸となった将官たちの狙いはあまりにも正確で、効果的だった。

 もはや星名提督は止まらないだろう。この場で彼らを完膚なきまでに論破し、叩き潰して、それでおしまいだ。二度とブルネイに日は昇らない。

 

 なぜそうまでして急いでしまうのか。もっと時間をかけて周到に変化を促せばまだやりようはあったはずなのに。

 あなたは私たちに信じさせてしまった。希望を見せるだけ見せておいて勝手にいなくなるなんて、この場の艦娘全員が許さない。

 どうか先のように、また鮮やかな逆転の一手を見せてほしい。この詰みを打開してほしい。

 

 しかし、私たちの願いは届かない。

 必死の願いは、他ならぬ提督自身の行動によって無に帰す。憤然とした気がほとばしりその口が開かれようとしている。

 あるいは世界は、別の祈りを聞き届けたのかもしれなかった。

『どうか、私たちを導く本当の提督が現れますように』――誰かがいつか心の奥底で願った、子供じみた祈りを。

 私たちへの理不尽な扱いを自分のことのように憤って、戦争終結を望む目の前のひと。星名提督が今まさに破滅へと向かおうとしているのは、皮肉にも、私たちが待ち望んだひとであるが故に他ならない。私たち艦娘を本気で想うからこそ、それを弱点として将官たちの策に嵌まり、ここで潰えようとしている。

 嬉しさと悔しさ、あるいは怒り、そして嫉妬。もはや判然としない感情の渦の中で、ただ立ち尽くす。

 ふっ、と星名提督の背後に歩み寄る影があった。

 

「――提督は、あなた達の言うような方ではありませんッ!」

 

 少女の凄まじい怒気に会場がたじろぐ。声には自らの処断すら覚悟した決然とした響きがあった。

 彼女の内側で巻く憤慨の火が大きくなっていくのを軍議の開始から感じていた。幾重にも葛藤があったに違いない。それでも提督の立場を鑑み歯を食いしばって耐えていたそれを、ついに暴発しそうになったあの人の身代わりとなるために、あえて表明したのだ。

 ただの司令官と艦娘がひと月で築ける信頼ではない。その悲壮な覚悟を、私も抱いてみたかった。

 一歩前に出た川内さんが低く唸る。

 

「提督が、へ、平和のために、どんな危険を冒してるか、知ろうともしないで……ッ!」

 

 昂る感情のせいで言葉すらつっかえていた。彼女の瞳孔は限界まで開かれている。整った顔が激しい怒りに歪む様は、これほどまでに迫力を持つものだったか。諦観に支配された私の周りではとうに失われた、感情の曝露だった。

 彼女たち三人が発する憤怒の気は、もはや物理的な圧力となって、周囲の空気を圧し潰しているかのようだ。提督を侮る全てを傷つけんとしている。

 

 

 

 提督の麾下がついに犯した明確な軽挙に、居並ぶ将官が諸手を挙げて殺到しようとする。しかしその気配を、誰よりも早く響く咳払いが制した。

 

「何と言ったかな。越名司令? ああ、星名司令ね」

 

 一瞬の責めるような空気は霧散した。声の主は兵器派筆頭、舞鶴の藤田大将だったからだ。彼に同調する侮蔑の失笑が満ちる。

 その嘲りを聞いた涼月の右腕が、ぴくり、と跳ねた。反射的に肘を曲げた動作は明らかに、ここにあるはずのない艤装を探るものだった。眼光の冷たさに息を呑む。

 

「星名司令のところは、実に運が良いようで何よりですな。我々が長年、慎重に戦線を支え、地道にお膳立てしてきた努力が、思わぬ形で実を結んだということでしょう」

 

 その顔面に刻まれた年季をありありと感じさせる、恐ろしいまでの言葉の紡ぎ方だった。

 藤田大将のたったひと言で、星名提督の全ての功績が既存の将官たちの手柄へとすり替えられてしまう。座ったまま艦娘の奮戦を運の一字で片付け、提督の功績を侮蔑と共に自分たちのものとするやり口は、あまりに上品で、これ以上なく残酷だった。

 議場のそこかしこから同意の声や満足げな頷きが生じ、この場の熱が一瞬燃え上がる。彼らの多くが心の底で求めていたのは、まさしく、ただ気に食わない相手が気持ちよく遣り込められる姿だったのだと知った。

 藤田大将が差し出したそれが彼らの乾いた自尊心に沁み込み、自らさえも気づいていなかった渇望を満たしていく。そうして将官たちの溜飲がすっと下がっていくのを、私は肌で感じた。

 

「勢いがあってよろしいが、それがいつまで続くか。見ものですな」

 

 藤田大将は勝ち誇るかのような薄い笑みを浮かべた。それを見た将官たちは、格付けは決したと見て前のめりの姿勢を解く。彼が元帥に促し、有無を言わさぬひと言が長い軍議の終わりを告げた。

 

 長く細い息をつく。一切の歩み寄りがない、ひどく疲れる軍議だった。

 だが、星名提督は助かった。首の皮一枚繋がったのだ。

 

 この後居並ぶ将官たちは満足げに、あるいは侮蔑を込めた視線をブルネイの四人に投げかけながら、ひとりまたひとりと退室していくのだろう。

 鼻を鳴らして真っ先に席を立った天井司令に続き、他のどの艦娘よりも早く会議室を後にする。

 人の気配が遠ざかっていくのを感じながら、私は霞の頷きを何度も思い返していた。

 

 

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