艦これ戦争終結RTA   作:poox

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金剛 - 薄明光線

 

 

 星名提督が小会議室へ踏み入り、藤田大将もそれに続く。小ぶりなシャンデリアの下、楕円のテーブルを囲って置かれた十脚の豪奢な椅子にはどちらも腰掛けようとせず、二人はテーブルを挟んで静かに対峙した。

 藤田提督からの目配せを受けて、私は頷きと共に扉を閉じる。

 

「どいてください」

「どきまセン」

 

 すぐさまドアノブに手を伸ばそうとするブルネイの艦娘たちの前に仁王立ちして立ち塞がった。

 

「金剛さんも軍議をご覧になっていましたよね。邪魔だから、と提督に危害を加えかねません」

「そうよ。二人きりにして万が一のことがあったら」

「大将は理性のひとデス」

 

 強く反論したい気持ちを強く堪えて言った。それに、と続ける。

 

「星名テートクの言葉を聞いていなかったんデスカ? 『少し二人で話がしたい』とはっきり仰いマシタ」

「ですが、だとしても――」

 

 無理に反駁しようとする時点で話にならない。完全に頭に血が上っている。『提督を想っているのだ』という態度を見せながら、その実自分の衝動のために動こうとする涼月と霞へ苛立ちが抑えきれなかった。

 

「先の軍議でも、アナタたちは自らのテートクを危機に晒しましたネ。そして今度はテートクの意図を酌もうとしない。アナタたちは星名テートクに仕える前に、まず自身の理性に仕えるべきではないデスカ?」

 

 語気を強めてしまったが致し方ない。そうして三人が正論に押し黙った隙に扉へ耳を澄ませた。話し声は漏れ聞こえてこない。私はほんの少しだけ緊張の糸を緩める。

 

 

「あの舞鶴で平気な顔をして暮らしているあなたには言われたくない。理性に仕えるべきと言うなら現状にこそ異を唱えるべきだ。提督が誰のために戦っているのか、金剛だって演説を聞いたはずだよ。どうしてそっち側につくの」

 

 論点をずらしてまで川内が食い下がってくる。見上げた忠誠心だった。彼女がここまでのぼせるなんてよっぽどの劇薬だ。

 たしかにあの演説は、私でさえ一瞬夢見てしまうほどに素晴らしいものだった。実現不可能という一点を除けば、だが。

 

「星名テートクの主義主張はnone of my businessデス。あの人が『二人で話をしたい』と言い、藤田大将もそれを止めなかった。私は単に星名テートクの要望を叶えているに過ぎないネ」

 

 強く区切った音節に英式のアクセントをはっきりと乗せて、分かったかしら、と意気を挫くように言った。室内の話を三人に聞かせる訳にはいかない。

 

 星名提督の目的には簡単に当たりがついた。このままでは何かと理由を付けてブルネイの司令官から外されることが必至だ。藤田大将が軍議で庇い立てるような真似を見せたことに活路を見出し、なんとか協力関係を築いて後ろ盾にしようというのだろう。

 また同時に、戦果を挙げたことへの叱責を受ける最中であろうことも想像がついた。あの提督は現実が見えていない。

 

「じゃあ、話を聞くだけなら問題ないね」

 

 伸びてきた川内の手首をとっさに掴んだ。彼女は私を無言で睨み上げてくる。しつこさに舌打ちしそうになった。

 星名提督の発言を拠り所にしたことの隙を突く論理に、私は筋の通った反論を持たない。せいぜい一般論として盗み聞きを咎めるくらいしか手が無いが、彼女たちがそれを聞き入れるはずもなかった。このままではまずい。

 艦娘の躾以外は抜け目のない星名提督のことだから、室内ではきっと庇い立ての理由を探ろうとしているだろう。大将がその理由を零すとも思えないが、あるいは艦娘を深く愛する星名提督には打ち明ける可能性も、限りなく低いがゼロではない。

 

 

 あの人の氷の上を歩くような慎重な歩みを、私たち舞鶴の艦娘はずっと垣間見てきた。

 藤田大将は決して簡単に人を信用しない。協力者となりうる人物は身辺を徹底的に洗い出し、その覚悟を魂の奥底まで見極めて、初めて腹心として側に置く。現在ではそうして選び抜かれた者たちだけが舞鶴で艦娘に直接接している。

 

 表では非情な兵器派の首魁という仮面を被り、将官からの気色の悪い同調と艦娘からの憎悪を集めることさえ厭わない。汚名を甘んじて受けることで、彼は舞鶴を、表向きには『艦娘の墓場』として誰の目からも孤立させてきた。

 しかしその舞鶴鎮守府の本当の姿は、傷つき疲弊した少女たちがようやくその身を横たえることを許される、秘密のサナトリウム。

 いつか彼は、贖罪なのだ、と言っていた。

 今の舞鶴のために一体どれほどの孤独な忍耐があっただろう。同志が斃れ、戦況は逼迫し、心折れた提督らに歪な艦娘兵器論が蔓延する。そんな極めて困難な状況で、それでも藤田大将は私たちを守り抜いてきた。

 

 藤田大将が星名提督に事情を明かすだけならばいい。それは大将自身の決断だからだ。

 しかし万が一にも、部外者である三人にこの尊い偽りが知られる訳にはいかなかった。口の堅さも不明な三人に伝われば、そしてこの真実が流出してしまえば、『受け入れ先』としての舞鶴の立ち位置も、これまで藤田大将が築き上げてきた立場も、全ては水の泡になる。

 

 

 私は後ずさりするふりをして、わざと踵や肩を扉にぶつけて音を立てた。藤田大将ならば必ず察する。

 救うべき仲間たちのために、そして藤田大将の献身のために、この秘密は守り抜かれなければならない。

 今私にできるのは、大将が星名提督へのrevealを終えるに十分な時間的猶予を稼ぐことだけだった。

 

「将官同士の会話を盗み聞きしようだなんて、そんなに星名テートクを貶めたいのデスカ?」

「私が勝手にやることで司令官には関係ないったら」

「果たしてあのテートクがアナタたちを見捨てマスカ? 進んで責任を負って庇おうとするのではないデスカ?」

「それは……」

「提督は大将に『二人で話をしたい』と言った。それは私たちに『部屋の外にいろ』と命令したことにはならないよね。金剛は提督の言葉を拡大解釈して、藤田大将の都合のいいように動いているだけじゃないの?」

 

 相変わらず痛い所を突いてくる。瞳が完全に据わった涼月、昂る感情で目を充血させる霞に対し、川内だけは未だ冷静な態度にあるように見えた。押し黙った一瞬の隙に、彼女の手の甲が私の臀部に這う。身体へ押し付けるようにして隠していたドアノブに手が伸びていた。

 私はせめて最後のあがきにもう一度踵を扉へ打ち付けて、藤田大将への警鐘とする。

 広がりゆく扉の隙間から光が漏れてくる。川内は厚い扉を明け透けに開け放つことはせず、室内を見渡せる程度のわずかな隙間を開けて静止させた。

 

 

 

 

「――頼むからこれ以上の戦果を挙げてくれるな」

 

 その第一声に安堵した。二人が室内へ入ってから決して少なくない時間が経っている。経過時間と現在の話題から鑑みるに、星名提督への開示は行われていないか、あるいは既に終わっている。ブルネイの三人に藤田大将の本性が知れることはない。

 一声に殺気立った二人を川内が手振りで制していた。「なぜでしょうか」と問う星名提督の声が、絢爛の小会議室の高い天井に反響する。

 

「君はただ戦線を維持さえすればいいのだ。欲を出すな。もう奴らを刺激するな」

「どうしてそうまで現状維持に拘泥するのですか。どうしてあなたが、永遠に戦いを続けろと彼女たちに言うのですか」

「勝てんからだ」

 

 魂ごと引きずり込まれるような、あまりにも痛烈で、重苦しい響きだった。

 

「まともにやり合っても深海棲艦には勝てない。そのことは七年前のあの日に証明された。当時より大幅に減じた戦力で、どうして太刀打ちできる」

 

 軍議での星名提督への苛烈な攻撃は、彼ら将官たちの恐怖の裏返しでもあった。じりじりと戦線が後退していく中、突如として星名提督は二つの海を取り戻した。そのことを引き金として再び七年前のような大規模反攻が起こるのではないかと気が気でないのだ。

 深海棲艦に勝てるとは、もう誰も思っていない。

 

「彼女たちを想うのなら、この戦いを終わらせることこそが一番だと分かっているはずだ。そうして全てを放棄して現実逃避して、あなたは満足なのですか」

 

 黙れ、と激しい語気がドア越しの三人までも圧倒した。今まで決して表情を崩そうとしなかった提督さえもほんの少したじろぐ。籠められた意志の重みはそれほどまでだった。

 

「それは我々がとうに通り過ぎた論だ。理想だけで奴らに勝てるのならば、我々は戦友を誰ひとりとして失っていないし、艦娘も誰ひとりとして沈んでいない」

 

 そして紡がれた言葉の全てに、私の胸は引き裂かれるようだった。

 

「我々は多くを喪った。優秀な指揮官たちを、基地運営から後方支援に至るまでのあらゆる人員を。そして、その小さな肩には重すぎる荷を背負った少女たちを。彼らがその数え切れぬほどの命を燃やして守ったもの、それが我々が今立つこの国であり、戦線なのだ。

 この戦線はただの境界線ではない。彼らの骸で築かれた、最後の防波堤なのだよ。

 彼らが命と引き換えに守ったこの国を侵させることは、その死を無意味なものへと貶める最大の冒涜に他ならない。

 志半ばで散っていった仲間たちの、自ら戦地に追いやった少女たちの、その死を賭した献身を無に帰すことが、果たして君にできるのか。そんなことができる者がいるとすれば、それはもはや人ではない。

 我々が彼らの死をどうして無駄にできるだろうか。いいか、そんなことは断じて許されんのだ。

 だからこそ、戦線の維持という一点でのみ、我々海軍は全ての派閥やしがらみを乗り越えて一致し、これを遂行しているのだ。

 我々がどれほどの思いでこの戦線を維持してきたと思っている。君が言うような安易な現実逃避などでは、断じてない」

 

 言い切った藤田大将は大きく肩を上下させて荒い息をした。

 長く戦場に立ち続けた彼だからああも断言できる。彼らの思いの強さが、今を作り上げていた。

 

「私は、満足ですか、と申し上げた」

「満足……満足?」

 

 はっ、と笑いを吐き捨て、藤田大将は射殺さんばかりの視線を注ぐ。怒号が空気を震わせた。

 満足なわけがあるか――。

 

「仕方がない。仕方がないからこうしているんだ。奴らには勝てない。あれは敵ではない。深海棲艦だ。あれは天災と同じようなものなのだ。過ぎ去るのを待つことしか、我々にはできんのだ。我々は、人類は、深海棲艦に勝てない――!」

 

 初めて聞く、大将の悲痛な告白だった。

 

「我々にはこうする以外にないのだ。それを君も分かれよ!」

 

 ひどく息切れした彼は頭を押さえてふらつき、手近な椅子の中に転がり込んだ。

 彼の手が細かに震えているのが見える。今やブルネイの三人も消沈し、その成り行きを静かに見守っていた。

 

 

 

「それは、敗北主義です」

「だが、勝ちの目の無い中で少しでも猶予を伸ばそうという合理的判断でもある」

「劣った対症療法に過ぎません。いくら延命したとて待つのは死だ。膠着させているのもいい加減限界です」

「話にならん。君は何も分かっておらんのだ。それはいたずらに死期を早める行為なのだぞ」

「現状こそ緩やかな自殺です」

「敵の戦力も正しく認識できん者に、この国の行く末を語る資格はないと言っているのだ!」

 

 提督は、初めて声を荒げた。

 

「それを正しく認識しているからこそ、私は二つの海域を奪還したのです!」

 

 荒げた声に刺々しさはない。聞く者の心を奮い立たせるような、励ますような叫びだった。届けようと込められた気迫は勇気だ。

 藤田大将は視線を切って黙り込む。戦線の維持だけに注力して攻勢に出ることはなかったとはいえ、七年ぶりの海域奪還がいかに達成困難な偉業であるか、彼と私たち艦娘は骨の髄まで理解している。星名提督はこの劣勢の海で、どこの支援も受けず、確かに成し遂げた。

 藤田大将の言葉が事実である一方で、星名提督の語った言葉もまた揺るぎない事実だった。

 

「……少女が戦っているんですよ」

 

 囁くような声に、藤田大将は唇を強く噛み締める。

 私は不意に泣きそうになった。

 

「南シナ海とフィリピン海はブルネイの力だけでなんとか奪還することができました。しかしここから先、ブルネイ単独では厳しい。これより先には、何物にも揺るがぬ信念を持った、絶対の信頼をおける仲間が要る」

 

 星名提督がテーブルを回り込んで藤田大将の横に立つ。窓の外の曇天を一瞬見やった後の、燃えるような瞳が彼を射抜いた。

 

「はっきりと申し上げます。私はあなたを必要としている」

 

 見上げた彼に、星名提督は手を差し伸べる。

 

「藤田大将、いや、藤田提督。私たちの手で、この戦争を終わらせるのです」

 

 

 長い静寂があった。

 風の流れはなく、動く者もおらず、空間は完全な凪にあった。時間が止まったかとさえ錯覚した。

 すぐ傍の三人の息の音だけが、鮮明に聞こえた。

 だから、気を張っていなければ聞き逃していた声も聞き取れた。

 

「それが君の本心か」

 

 既に藤田提督の手の震えは止まり、今はしきりに手指が動いて、何かを掴もうと、あるいは手放そうともがいていた。

 

「私の本心には、先の謝辞で述べたものと寸毫の相違もありません。たとえこの身が引き裂かれようとも、私は必ず、この誤った現状を正し、戦争の終結を成し遂げる。そしてその先に――」

「――『そしてその先に、彼女たちが「艦娘」である必要のない、ただの少女として当たり前に笑って暮らせる世界を取り戻す』、だったな」

 

 朗々と諳んじた藤田大将は、言葉にならない鋭い唸りを幾度か漏らした。指が忙しなく動く。

 あの演説で最も心を動かされた者は、きっと並み居た将官や艦娘ではない。目の前のこの人だ。だからこそ彼はこうして深く自分の中に潜り、苦悩し、苦悶の呻きを上げている。

 

 その揺れを、私は最初嗚咽によるものかと思った。しかし違った。くすくすという笑い声が、肩の揺れと同期して漏れる。やがて彼は狂ったように大声で笑い出した。

 

「海域奪還? 艦娘の待遇改善? ははあ、結構じゃないか。どんとやってくれたまえ。上のことは気にするな。ブルネイから外されぬよう手を回すことくらい、私にもできる」

 

 乾いた音が鳴る。

 明らかに馬鹿にした調子で伸ばされた手のひらを、星名提督が強く拒絶していた。

 

「やる気がないなら老害はそこでくたばっていろ。あなたがそれを望むのなら、所詮あなたもその程度の男だったということだ。私は諦めない。私だけでもやる。私のほうが艦娘を愛している」

 

 藤田大将は嘘のように一瞬で表情を欠落させ、提督をじっと見つめる。

 向き合う星名提督のいっそ狂気ともいえる覚悟に身が震えた。

 

「……本気かね」

「もちろん」

 

 大将の拳が固く握りしめられたかと思えば、何かを絞り出すように五指が別々に動いたり、何かを引っ掻くような形を取ったりと、またせわしなく動く。

 

「本気かね、星名提督。君が振りかざすその妄執とでも言うべき旗が、どれほどの血と涙の上に立っているか。どれほどの絶望を乗り越えねばならぬか。君は、本当に理解しているのか」

「彼女たちが血を流すのはもう十分です。これから流れる血も涙も、私のものだけでいい」

「……私は」

 

 唇を噛み締めて瞑目する彼の脳裏には、今まで失ってきた全てが去来しているに違いなかった。

 歯のわずかな隙間から漏れる言葉には聞き覚えがある。

 それは、今はない戦友や、かつて孫のように可愛がっていた艦娘たちの名だった。

 

 

 

「この私が、とうの昔に墓場に捨てた理想だぞ、それは」

 

 手の動きが、ぴたりと止まる。

 

「今更そんな眩しすぎる絵空事を、この老いぼれに信じろと……言うのかね?」

 

 縋るような目の藤田大将を、星名提督はばっさりと切り捨てる。

 信じる信じないではありません、と提督は言った。

 

私たち(・・・)で掴み取りに行くのです」

 

 いつの間にか、すぐ隣の川内と互いの手を握り締めていた。そうでもして互いを抑えていなければ、今にも飛び出してしまいそうだった。

 

 

「簡単に言うが、それが一体どれだけ困難なことか……。それに、君の理想を達成するためには外だけでなく内とも戦わねばならないのだぞ」

 

 逡巡する彼の言は、舞鶴を除く上層部を占める兵器論者、現状維持論者の意識を変えなければならないことを指していた。

 今や戦線死守の名のもとに一致している彼らを、傍流だった兵器派の名で呼ぶものは少ない。自称するなら『護国派』とでも名乗るだろう。

 

「君は私を兵器派の首魁と思っているかもしれないが、実際のところ単に艦娘兵器論の思想的先駆者であるに過ぎない。他の鎮守府を裏から操るといった大それたことは到底不可能だ。彼らの心変わりを促すことなどできん」

 

 藤田大将に勝るとも劣らない覚悟で国を守る彼らの考えを変えることは、あるいは深海棲艦を打ち倒すことよりも難しいかもしれなかった。

 

「しかし、根からの兵器派が全てという訳でもないのでしょう」

「ああ。道具はしっかりと手入れをし、常に最大のパフォーマンスが発揮できるよう細心の注意を払う……当然のことだ。行き過ぎる主張が生まれることを予期して、私が当時そうやって広めた。それに、そもそもが少女を死なせる後ろめたさに耐えきれず隆盛した考えだから、兵器派と言っても、大多数の提督は管理や手入れの名のもとに必要なものを十分に与えている……そのはずだ」

 

 兵器派に堕したのは、自らの弱さと現実に耐えられなくなった者からだった。

 ――敗北は自分たちの見通しが甘かったせいではない。兵器の性能が悪かったから。

 ――大切なところで判断を誤ったのは自分たちのせいではない。艦娘への情が足を引っ張ったから。

 ――泣きながら、叫びながら沈んでいくあれが少女であるはずがない。自分たちがそのような鬼畜の所業を強いた外道であるはずはないから。

 

 数多の人の全ての思考が、『艦娘は人ではない、人であってはいけない』というひとつの出口に先鋭化していった。その終着こそが、艦娘兵器論。

 

 本来であれば守るべき年端も行かぬ少女を死地へ追い立てた彼らが、もしも私たちのことを『心を持ったひとりの人間』だと認めてしまえば、まともな人間がその罪悪感の重さに耐えられるはずがない。

 自らを深く慕った艦娘の、あるいは深く通じ合った艦娘の、その沈む瞬間の断末魔の通信を今でも夢で見る兵器派の提督は、少なくないという。

 長引く劣勢のストレス。時間が経つにつれ深く実感させられる、失ったものの大きさ。

 彼らをおかしくしたのは戦争だ。

 

 

「どの将官も艦娘に対する言葉は厳しいが、本当に厄介なのはごく一部だ。筋金入りは――横須賀の天井くらいか」

 

 その名を口にする瞬間、彼の顔にはっきりと嫌悪がよぎった。

 

 兵器派とひと括りに言ってもその内実は様々だ。だがその在り方は、大別してふたつの類型に集約される。

 ひとつは、建前として私たちを兵器と呼んでいた者たち。

 藤田大将が広めた論を忠実に守るごく僅かな原理主義者たちは、私たちを欠かすことのできない兵器として扱い、あたたかな施しを与えてくれる。

 しかし七年という月日は人の心を麻痺させるに十分すぎた。多くの将官たちの中で、艦娘が兵器という建前は紛れもない『事実』へとすり替わってしまっている。

 長すぎる停滞がもたらした底尽きぬ権力という甘い蜜に魅せられて、今では見る影が無くなってしまった者も少なくない。

 

 そして、ごく少数だけ、初めからその建前すら必要としない者たちがいる。

 開戦当初から何ひとつ変わることなく、ただ一途に私たちを憎み続ける者。

 その筆頭である天井実邦(さねくに)は、当時から艦娘を強く憎んで、藤田大将が旗揚げした兵器派の枠に収まらない人物だった。

 横須賀から舞鶴に『処分』されてくる艦娘は皆心身に深い傷を負っている。彼の憎しみには何らかの理由があるのだろうが、優先順位の問題で藤田大将も私も探り切れていなかった。大将はその根底に鉄の艦への強すぎる憧憬と強烈な女性蔑視思想の存在を示唆しているが、憶測に過ぎない。

 

「であれば、なんとかなりましょう。私に考えがあります。まずは彼らの心変わりのきっかけとして、希望を示さねばならない。手伝ってもらえますね」

「……私がしてやれるのは、舞鶴の覆いを取り去らぬ範囲でのみだ。資源の融通や大それた戦力の供与などはできん。期待しているなら考えを改めるのだな」

 

 上目遣いの大将の台詞は、もはや言い訳めいて最後のあがきにしか聞こえなかった。

 

 

「七年もの間、人知れず艦娘を守り続けてきた。あなたより心強い味方は、今の海軍に存在しません」

「……馬鹿な話だ」

 

 星名提督の手が再び差し出される。

 下を向いて頭を振る藤田大将の思いを正確に推し量ることはできない。思いやるだけでも胸がいっぱいになって苦しかった。

 あなたが必死に耐えた時間は決して無駄ではなかったのだと、全ては今日この日のためにあったのだと、今すぐに言葉をかけて差し上げたい。

 

「ああ、本当に馬鹿だとも。ああ、ああ! 人生最悪の日だ!」

 

 震える息を整える背中が、滲む視界の中でいつになく大きく見えた。

 

「何十年かかるか、分からんのだぞ」

「もっと早く終わらせます。あなたの働きなくして戦後の艦娘の暮らしはありえない」

「君は本当に、どこまで見て……」

 

 季節の終わりに訪れる一陣の風のような、どこか爽やかなため息が吹いた。

 いいだろう。大地を踏みしめた藤田大将が、ゆっくりとその腰を上げる。

 

「もしも、本当にそんな未来が。あの娘たちが、ただの少女として、太平の世で笑い合える日をこの手に掴めるというのなら。私は――」

 

 手を取り合った瞬間の二人のほんのわずかな微笑を、私は一生忘れないだろう。

 打ち捨てられて錆びついた時間が、想いが、軋みを上げて今、ゆっくりと動き出した。

 

 

 

 

 対等なパートナーを得た星名提督は、軍議で溜まった鬱憤を晴らさんとばかりに藤田大将へ要請を告げた。

 久方ぶりに耳にした聯合艦隊という単語、そして、解放海域を治める新たな鎮守府に海域攻略の戦力は期待していないという意外な言葉。そのひとつひとつが、この人は本気で深海棲艦に立ち向かうつもりなのだという実感を伴ってお腹の底へ落ちていく。

 

「あくまでブルネイだけが突出することで敵に脅威の認識を刷り込み、意図せぬ場所での反攻を抑制します。それから最後に第二次改装の権限と、艤装の改装設計図もいただきたい」

 

 聞き慣れない単語に耳を疑った。艤装に二度以上の改装を施すなど聞いたこともない。

 

「第二次改装だと? しかしあれは机上の空論で……」

「深海棲艦に対抗するには必要な戦力だと判断しました」

「あんなピーキーなもの、一体誰が扱えるというんだ。欠陥兵装だぞ」

「ブルネイの艦娘を舐めないでいただきたい。たとえば扉の外で待つ川内ならば十全に扱えると確信しております」

 

 すぐ傍で肩が跳ねるのが分かった。あるいは驚きというよりも、明かされた深い信頼に身を打ち震わせているだけかもしれない。私が同じ立場だったならばそうしていた。羨望を深呼吸で抑え込む。

 

「君がそう言うのなら、分かった。手配しよう。今後の連絡はこの宛先を通してくれ。こちらでも何が動きがあれば知らせる」

「ありがとうございます。では、誰が通らないとも限りませんから、私はこれで失礼します」

 

 極秘の会談が幕を引く。この一室から、戦争の終わりが始まる。

 ああ、という大将の返事を聞き流しながら、私はブルネイの三人に視線をやった。明らかな盗み聞きの体勢が見つかってもいいのか、という意を込めたつもりだったが、案の定察した三人は扉を速やかに閉じ、廊下の端の方へ逃げ出した。

 間髪入れずに会議室の扉が開いて星名提督が顔を出す。私は万感の思いを込めて腰を折った。

 

「金剛」

 

 呼び止められて顔を上げる。間近で見る星名提督は、印象よりもずっと優しい眼差しをしていた。あれほどの激情と覚悟を見せた人と同一人物とは思えない。

 

「――君たちのことが、ずっと好きだった」

 

 あまりにも唐突なひと言に私の思考が停止する。

 どういう意味だ。

 好きだった? ずっと?

『君たち』とは誰のことだろう。私と藤田大将のことか。舞鶴の艦娘のことか。

 それとも――。

 

 ありえない。そんなはずはないのに。

 なぜこのひとの言葉は、まるで私の魂の一番深い場所に直接語りかけてくるような響きを持つのだろう。

 

「また会おう」

 

 答えを訊ねる前に、わざとらしい足音を立ててブルネイの三人が駆け寄ってくる。彼女たちの強い独占欲に巻かれるようにして、星名提督は踵を返した。

 このひとは、どこまで私の心を搔き乱せば気が済むのだろう。

 遠ざかっていくその背中のことを、どうしてか私はずっと前から知っている気がした。

 

「待って……!」

 

 掻くように伸ばした腕が空を切る。意識の外で零れた声は引きつる喉に塞がれて、この廊下に溶けてしまった。

 提督の姿が曲がり角に消える。名状しがたい感情が胸を支配して、私は強烈に駆け出したいのと同時、この場にうずくまってしまいたくなる。

 むなしさはいくら深い呼吸をしても消えてくれなかった。怒鳴り付けてあの提督の人格ごと糾弾したい思いさえ湧き出す。もう届かない背中に強く惹かれる心が胸を締め付けて止まない。

 あるいはこの想いを、切なさと呼ぶのだろうか。

 

 

 

「この老いぼれにも、まだ命を燃やせる場所が残っていたのかもしれんな」

 

 藤田大将の声だった。振り返らない私に彼は続ける。

 

「本物だ。本物の英雄が現れた。私と君たちが長く待ち続けた、本物の英雄が……!」

 

 語気は口にするごと熱っぽくなっていく。仰ぎ見た藤田大将の顔は歪んでいた。その意が、声に出さずとも通じてくる。

 初めは別のことを私に伝えようとしたのだろうが、今ここにあるのはひたすらな嘆きだった。

 なぜ、もっと早く現れてくれなかった。

 なぜ、あの子を救ってくれなかった。

 そしてなぜ、我々はもっとうまくやれなかった。

 立ち尽くす彼の胸中には、それら過ぎ去った過去のむなしさに対する怒りが駆け巡っている。

 そっと肩に触れて、驚く彼に頷いた。私も同じ気持ちだと伝えたかった。

 

「分かっている。分かっているとも」

 

 藤田提督の足が持ち上げられる。

 最初は靴の半分にも満たず錆の軋むようだった歩みは、靴一個ぶんになり、二個ぶんになり、やがて風を切る大股となった。

 

 

「水交の懇親会はキャンセルだ。すぐに舞鶴へ戻る」

 

 首肯してタスクを脳内に刻む。

 人気のない廊下には七年の間燻っていた彼の残り火が燃え上がって充満するようで、長く続く緋色の絨毯はまるで燎原だった。

 

「もう光が絶えぬよう、せめてこの身を灰まで燃やし尽くそう」

「灰になってしまったら元も子もありまセンヨ」

「それを言うなら、この戦争を終結させられなければ、だ」

 

 彼は前だけを見据えたまま不敵に笑う。

 やがて訪れたひとつの分かれ道で、藤田大将は「すまなかったな」と穏やかに言った。

 

「長年、君を付き合わせてしまった」

「いいえ。大将のお側にお仕えできたこと、それだけが私の誇りでしたカラ」

 

 その言葉に嘘はない。私たちを救ってくださった、大恩人。彼の誇りを胸に抱きながら、私はずっと夢を見ていた。たったひとつの夢を。

 

「また会おう、か」

 

 星名提督が最後に私へ告げた言葉を、彼は確かめるように呟く。そして、ふっ、と小さく笑った。決意を終えた後の潔さと私たちへの後ろめたさが混じり合ったような、複雑な笑みだった。

 

 

「――君の異動願いを、聞き届ける時が来たのかもしれないな」

 

 一瞬で身体が熱を持つ。

 この場でそれを持ち出す意味などひとつしかない。

 

「……それは」

 

 燃え上がる身体の中で、私は今、この瞬間に、理解してしまった。

 長く燻り続けてきた私自身の残り火もまた、ブルネイのあの太陽にはっきりと焦がれているのだと。

 

「戦況をひっくり返すのだ。最前線にはひとつでも多くの戦力が必要だろう」

 

 絶望的とも言えるこの戦況を覆す。最前線で、星名提督のもとで、私の力で――。

 滾る思いが全身の血管の隅々まで駆け巡る。

 私の中の戦艦としての魂が、激しく打ち震えている。

 それは、歓喜と呼ぶにはあまりにも猛々しい奔流だった。

 

 今すぐに、という訳にはいかないだろう。けれどブルネイの海に立つその未来を思うだけで、もう何も怖くはなかった。

 

 

 私はその場に深く一礼した。ゆっくりと顔を上げたその先に、大股で廊下を征く藤田大将の大きな背中が見える。

 窓の外の厚い雲の切れ間から、糸のようにか細い、けれど目の覚めるほど強烈な光芒が差し込んで、老いた軍人の影を長く伸ばしていた。

 私はそれが、眩しくてたまらない。

 

 

 

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