艦これ戦争終結RTA   作:poox

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涼月の二話を読み返してからだとより楽しめます。

前回までのあらすじ:
 7年ぶりに海域奪還の大勝を成し遂げたほも君は、本土での式典に招かれる。
 大喝采のうちに式典の謝辞を終えたほも君は、軍議の場での将官たちの追及を躱し、ついに兵器派筆頭である藤田大将との協力関係を爆速で築くことに成功する。

 そうして式典会場のホテルから足早に立ち去ったほも君一行の次なる目的地は、横須賀の商店街だった。
 帰りの便までのわずかな時間を利用して、フラグ立てと好感度上げのための爆速デートを行うのであった。ホモはせっかち――。



霞 - 可視光線

 

 

 

 電車に揺られる間に日はすっかり傾いて、降り立った横須賀には嘘のような涼風が吹いていた。着替えたTシャツとハーフパンツでは少し肌寒いくらいだ。私と同じ格好の涼月と川内さんが軽く身を震わせる。

 

 あの兵器派筆頭と目される藤田大将を味方に引き込んでしまったことが、数時間経った今でも信じられなかった。司令官との会話は途中からしか聞けなかったけれど、その口ぶりには今まで抱いていた印象との大きな齟齬を感じた。

 今ならその理由がはっきり分かる。彼の奥底には軍人としての高潔な心が確かに残っていたのだ。会談を終えて小会議室を出て行く時の彼の、赤熱する熾火のような瞳が今も瞼に焼き付いている。

 傷つき、堕落によって眠っていたその心を、司令官は、あの演説や軍議の場で示した戦争終結にかける強い思いや私たちへの熱をもって、ついに完全に呼び覚ましたのだ。

 

 今私の脳裏に蘇るのは、以前漣から聞いた話だった。

 海域奪還を宣言する司令官に対し、いつか彼女が「不可能だ」と具申したことがあったのだという。中央が足を引っ張るだとか、目を付けられるようなことをしてはただでは済まないだとか。

 その時、司令官はこともなげに言い放ったそうだ。向こうの手を回させなければいいだけだ、と。世間が無視できないほどの戦果を打ち立てるとか、派閥の有力な将官を後ろ盾に据えるとか――誰もが現実離れした夢物語と思っただろう。

 漣からその話を聞かされた当時、私も鼻で笑った。できるわけがないと。

 

 けれど今、あの藤田大将の心を動かしてみせた司令官を見ていると、その話が決して絵空事ではなかったと思い知らされる。

 司令官は成し遂げた。

 司令官はあれを、本気で言っていた。

 

 まったく想像も及ばないことだけれど、藤田大将との会談の糸口となったあの軍議の理不尽な攻めを受けることさえも、この人の計算ずくだったのではないかという気がしてくる。本土に来てからの全てが司令官の手のひらの上の出来事だったとしても、私は驚かない。

 

『私は、君たちの存在意義を無くすつもりでいる。君たちが「艦娘」である必要のない世界。兵器というくびきから解放され、ただ人として生きられる世界。それを、一日も早く実現することこそが、私が自らに課した使命だ――』

 

 あの始まりの日の言葉は私たちにとって、自らの存在そのものを揺るがすような、とてつもなく恐ろしいものに聞こえていた。

 けれど今はもう、何の疑いや不安も抱いていない。

 私たちには見えないものが司令官には見えている。

 

 

 

 

 そんな司令官が珍しく私たちを急かしてまで向かう『買い物』とは一体何なのか、式典会場のホテルを出た私たちはずっとそわそわして落ち着かなかった。

 続く深謀遠慮のなにかの暗喩だろうか。たずねる私たちに「行ってからのお楽しみだ」とばかり繰り返す司令官に連れられて、電車を降りた私たちは商店街の入口に立っていた。

 人の声がする。大勢の生活が交差するところに生まれる有機的なにおいもだ。深く呼吸するのを少しためらってしまうようなにおい。けれど数度吸い込んだだけで、私の鼻と肺は今までこの空気でずっと満たされていたみたいにすっかり馴染んだ。

 ささやかだが、生きている商店街だ。

 もう少しで夕ご飯の時間ということもあってか、車一台が入れるくらいの通りの中ほどには、袋を下げた主婦がちらほらと行き交っていた。あのあたりに食料品のお店があるのだろう。商店は通りの奥の方まで連なって立ち並んでいる。

 

「まずは服を買おうか」

 

 そう言って、すぐ脇の寂れた呉服店の引き戸の中へ吸い込まれるように入っていく。建物上の看板は掠れて読むことができない。角に書かれた『TEL』の白い字だけが無意味に自己主張していた。

 帰りの便はもうすぐなのに何のためだろう。昨日泊まった民宿で洗濯させてもらったから下着の替えだってちゃんとある。

 今まで合理性を一貫させてきた司令官のことだからこれにも理由があるのだろうけれど、その意図を誰もがはかりかねていた。脈絡のなさでは本土に来てから一番かもしれない。

 

「ほら、おいで。時間は待ってくれない」

 

 胸より上だけを入口からひょっこりと出した司令官が私たちを手招きする。どこかせっかちそうな雰囲気に、私たちは我を取り戻して駆け寄った。

 むっとした埃の匂いが鼻をつく。店内は薄暗かった。黄ばんだベージュの壁がつくる空間は奥のほうに伸びた細長い形をしていて、私の首くらいの高さのハンガーラックと、それにぎゅうぎゅうに詰めて引っかけられている洋服たちが店内を埋めている。

 通路というより隙間といったほうが適切な床の先を追うと、隅には雑然と散らかった会計と思しき台があった。白髪に紫のカーラーを巻いた老婆が椅子に座り、焦点の合わない瞳で私たちをぼんやり見ている。

 

「どうした?」

「いや、どうした、って」

「ああ、好きなようにコーディネートするといい」

「はあ?」

 

 その意を汲み取ろうと必死に頭を回す。先の司令官は「まずは服を買おう」と言った。まずは、なのだから、この後の行動を想定したうえで選択すべき。

 店内を見渡しても品ぞろえに特異な点はない。ラックに吊り下がる大量の衣服や小物はどれも薄く埃をかぶっている。入口のほうに吊られたジャージやワゴンの中の下着類だけが相対的にきれいだった。要するに大衆向けの、ひょっとしたら年配向けな、普通のお洋服屋さんだ。

 

 涼月と戸惑いの視線を交わし、そこで彼女の子供っぽい服装にようやくピンと来た。

 ひるがえって自身の服装に目を向けてみれば、規格品のラフなTシャツに毛玉の目立つグレーのショートパンツ。制服以外に持っている洋服と言えばこの寝間着しかない。先ほど遠目に見た商店街の雰囲気からは明らかに浮いている。

 なるほどね、とひとり頷いた。ふさわしい服を購入して一般人になりすまし、この商店街で秘密裡に市民感情の調査と情報収集を行おうというのだろう。

 

 

 

「しかし、提督、いいんですか」

「もちろん」

 

 服に釘付けにされた目を爛々と輝かせながら、涼月が唾を飲み込む。

 カモフラージュを第一に考える必要があるとはいえ、まさか自分で自由に服を選ぶ機会が訪れるなんて思ってもみなかった。私も口角が吊り上がることをどうやっても我慢できない。

 

「設定はどういう風にする?」

 

 私が涼月と川内さんにたずねると、視界の外の司令官が「設定?」と訝しそうに言った。

 

「何を勘違いしているのか知らないが、そんなこと気にしないでいいんだよ。せっかくのお出かけなんだから、好きなようにおしゃれした方がいいだろう」

「え……」

 

 司令官は口端をわずかに上げて分かりにくい笑みの形を作った。私たちに期待をかける時ともまた別の、なにか純粋な楽しさのようなものがにじみ出ている気がした。

 私は店内に並ぶハンガーラックと膨大な量の洋服を茫然と眺める。この中から、好きなように……。

 まるで夢のようだった。

 

 ブルネイには私たち艦娘以外の誰も知らない本がある。それは、いつか誰かがどこからか手に入れてきたファッション雑誌。

 前の司令官の代から、もしかしたらそれよりもずっと前から秘密にされてきたその一冊は、ブルネイの艦娘全員に何十回何百回と読みまわされてくしゃくしゃになっている。私もページ端のコーナーから広告の注意書きまで、隅から隅まで何度も読み返した。

 他に娯楽がないから刷り込みに近いものだったのかもしれない。部屋着以外には専用の艤装と制服しか着用することのない私たちにとって、ファッションで『自分らしい自分』を表現するという概念は、あまりにもきらきら輝いて、そして同時に自分ごととして憧れることのできるぎりぎりの領域にあった。

 本を読みながら、あるいは薄い布団にくるまりながら、雑誌の中の彼女たちに何百回も自分を投影した。紹介された衣服を纏い、お出かけのシチュエーションの中に入り込んで、世界を歩き回る姿を想像せずにはいられなかった。

 

「霞ちゃん、見てください。これ全部、ぜんぶ、お洋服ですよ……!」

 

 分かり切ったことを言いながら、涼月がハンガーに吊り下げられた洋服を次々めくる。見る間に紅潮していくのが分かった。

 川内さんでさえも「どれにしよっかな」と声を弾ませ服の群れから目を離せないでいる。

 私も正面に手を伸ばす。ハンガーにかかる洋服たちを、カーテンを開くようにしてこじ開けた。古い布のすえたような匂いが鼻腔にこびりつく。けれど現実として存在する洋服の存在に比べれば、取るに取らない些細なことだった。

 えんじ色のカーディガンを手に取ってしげしげと眺め、戻しては生成りのブラウスを手に取る。今度は似たような色合いの黒いベストを両手に持って見比べて、また別の服を物色する。

 

「ああ、すごい……!」

 

 夢中だった。もう全てが嬉しくて楽しくて仕方がない。

 私の目の前にある一枚の布は今、どんな宝石や財宝よりも価値がある。

 

「おしゃれは、いいわよねえ」

 

 店の奥の会計に座るおばあさんの声だった。ぼんやりとしていた瞳は今やはっきりと私たちを認め、柔らかく口元を緩めている。先ほどは彼女との間の服が邪魔して気付かなかったけれど、おばあさんは首元に花柄のスカーフを巻いていた。彼女にとって今日は何でもない日のはずで、それでもこうして当たり前のように着飾っているのだから、よほどおしゃれが好きな人なのだろう。

 

「私のころは花柄がすごく流行ったの。今でも好きだから、前はそんなんばっかり仕入れてねえ」

 

 ほら、そこらへんにね、と涼月のほうを指して彼女が言う。花の総柄のワンピースやおばあさんのものと同じようなスカーフがひとつのエリアを陣取っていた。見た目がものすごくやかましい。派手派手だ。

 

「わあ、素敵ですね」

 

 どうやら涼月は花柄が気に入ったようで、おばあさんの温かい視線を受けながらハンガーを引っ張り出しては胸元にかざして合わせたりして見比べたりしている。そういう方向でいくのね、とひとつ頷いた私は落ち着いた色合いのコーナーへ進んだ。

 双子コーデにも憧れはあるけれど、もしかしたら二度とない機会なんだから、ここはかねてからの念願である大人っぽい印象のコーデにしたい。

 ラックの隙間を縫ってブラウンやベージュ系のアウターが並ぶエリアへ向かう道すがら、時計を気にする司令官の姿が目に入った。そうだ、帰りの便が近いんだった。こうしていたら無限に時間を使ってしまう。私は涼月と川内さんに軽く注意を促したあと、焦りながら服の海に没頭した。

 

 しかし、私は間を置かずして思い知ることになる。

 好きなように選べと実際に言われてみると、逆にどうしたらいいか全然分からなくなってしまうことに。

 

 

 

 あの本の中で着飾っていたのは、榛名さんや翔鶴さんくらいの年頃の若い女性だった。私たちのファッションセンスは100%彼女たち由来だが、当の彼女たちが着ていたような洒落た洋服は、どうやらここにはない。

 ラックに吊られる洋服はどれも埃っぽくて、肩の部分には内側からハンガーの跡がついている。シルエットや色合いも雑誌のものとは程遠い。

 どの服も『おしゃれ迷子の出口はこっち!』の中で『みんながハマる“うっかり”NG図鑑』に紹介されていた微妙なアイテムとして映る。

 

「なんか、これもちょっと……。うーん……」

 

 要するに、私の視点において洗練されたものがないのだ。全然。

 遠目で見た商店街に若い世代は見えなかった。きっと彼らはここではなく内地にいて、民宿で話に聞いた国営農場や国営畜産場で働いているのだろう。この品揃えは商店街の客層をターゲットしていることによるのか、あるいは長引く戦争のせいで趣味の範囲のものが入ってこないのか、私には判別がつかなかった。

 

 

 ともかく三人のコーディネートは想定の何倍もあっけなく出揃った。

 涼月は真っ黒で厚手の半袖コットンワンピース。

 腰はゴムが入っているようだけれど、彼女の腰つきに追いついていない。胸の先から足首まですとんと下りて、メリハリの利いた体つきがすっかり抑制され、非常に太くたくましい寸胴の体形に見えた。いかにもおばちゃんたちが好きそうなシルエットというか、喪服みたいな起伏のない抑制されたデザインというか……。

 首元に巻かれた大判の花柄スカーフが哀愁を漂わせている。

 

 川内さんはシンプルな白のブラウスと、シンプルなブラウンのスラックス。

 シンプルだ。素材が良ければ小細工は不要とは美容製品の広告ページにもあったけれど、度を越したあまりのシンプルさに顔の良さが負けている。こんなことってあるんだ。

 休日のおじさん臭いと言ったら怒るだろうか。あるいはまるで、お父さんの服を借りてきたみたい。

 

 そして私はと言えば、生成りのブラウスにブラウンのカーディガンを重ねて、ボトムスはベージュのロングチェックスカート。

 試着室の小さな鏡で確認するけれど、何度見ても『全身茶色い人』という印象を拭えない。なんか茶色い。

 ベージュとブラウンは落ち着いた色って聞いたのに、そういうのを集めたのに、全然大人っぽく見えない。なんならもうひと回りして老け込んだ印象すらある。

 

 試着室を出ると微妙な笑顔の三人が出迎えた。司令官までそんな顔をしていることに若干傷つく。一番ましなコーディネートをしたのは川内さんだろうか。

 とにかく三人とも地味な気がしたので、三人とも目についた派手な色の鞄や帽子を身につけてみた。目の前の二人の惨状から推して量るに悪化した気がする。おしゃれは足し算ではないらしい。

 

「まあ、得てして初めてというのはそういうものだよ」

 

 めげない涼月は「これ、とっても気に入りました」と笑顔で司令官と店主のおばあさんに微笑む。彼女の機嫌の良さは本当に美徳だと思う。相変わらず例のワンピースのせいでとても体格が良く見えた。

 一方で川内さんは「こんなもんか」とでも言いたげに片足を上げ、つまらなさそうな顔でスラックスのしわを眺めている。

 私も「これじゃない」という拭い切れないもやもやを抱きながら一回転してスカートを舞わせた。ふわりとカビの匂いが広がる。いったい何十年眠っていたロングスカートなのだろうか。

 

「こんなはずじゃ……」

 

 台無しになってしまった。せっかく司令官が与えてくれた貴重な機会なのに。

 自由に服を選べるだけでも素晴らしいことなのに、今はどうしても自分の格好が惨めに見えてならなかった。

 

 

 

「ふむ」

 

 司令官が顎に手を添えて私を一瞥する。心遣いを無駄にしたことが申し訳なくて視線を合わせられない。

 

「少し待っていなさい」

 

 そう言い残して店内を巡り始めると、あっという間に両手に服を抱えて戻ってきた。命じられて大人しく試着室に入り、渡された服へしぶしぶ着替えていく。月日が経って少しくすんだ白のセーター、おそらくメンズのぶかぶかなベージュジャケット、それに、腿上のハーフパンツ?

 

「半ズボンなんて、こんなの子供っぽく見えるだけじゃない……」

 

 暗く呟きながら着替えた。最後にブラウンのベルトを締め終える。

 鏡を見た私は、自分の目を疑った。

 ボリューミーな上半身とすらりとした素足の、メリハリがばっちり利いたシルエット。オーバーサイズのジャケットの丈とハーフパンツの丈が図られたように揃って、そこから下には私の脚がすらりと伸びている。大き目のサイズとの対比でほっそりとして見えた。まったく別の場所に置いてあったジャケットとハーフパンツを組み合わせているのに、まるでセットアップみたいに調和している。

 ジャケットとハーフパンツの重たいベージュは、中に着たセーターの清潔感あるオフホワイトが差し色になって中和していた。細めのベルトもアクセントになって可愛い。

 ひと通り眺めた私は慌てて試着室のカーテンを開けた。驚いた顔の涼月が口に手を当てる。川内さんまで目を丸くした。おばあさんさえ「まあ」と立ち上がっている。

 

「あとはこれだね」

 

 ぽふんと頭に帽子が乗る。鏡を振り向くとベージュのキャスケットだった。改めて映った全身にため息が漏れる。私が夢想していた大人っぽいコーデにアクティブな可愛さがプラスされて、理想のさらに先を行くコーデに昇華していた。正直なところ余り物としか思えなかった商品が、組み合わせと工夫だけでこんなになるなんて。

 雑誌の中のモデルになった気分でポーズを取ってみる。鏡の中で、私の妄想はさらに加速してゆく。

 

 ――「隣を歩くひとの考えていること。それが、今の私が世界で一番知りたい秘密かな」

 凛としたベージュのジャケットは、私のユニフォーム。好奇心を映すハーフパンツから伸びる足で、あの人の歩幅に合わせて石畳をタップする。

 いつものカフェ、古本屋の角を曲がる時、ふと目が合って笑うあの人。その笑顔に隠された本当の意味は?

 全てが、恋の証拠品になるかもしれない。

 クラシカルなジャケットに身を包む日は、恋のターゲットがいつもより少しだけ、ミステリアスに見えるんだ。

 

 ……なんて、大げさなモノローグ風の煽り文がいきいきと頭の中に踊る。

 これがあの本に乗ったら、きっと見出しは『少女探偵の休日デート』かな。

 そうして続けてステップを踏んでポーズを取って、興奮の面持ちの涼月と川内さんが指先だけで控えめな拍手をしていることに気づいて、何より私の視線が自然と司令官に向いていたことに気づいて、たまらなく恥ずかしくなってすぐにやめた。顔が熱い。

 

 

「川内は難しいけど……これとか」

 

 ひょいひょいと店内から服をつまみとった司令官が川内さんを試着室に押し込む。出てきた彼女は別人みたいだった。

 トップスには風化でシアーの風味が出たオリーブグリーンのシャツを羽織って、中には身体にフィットした黒ニットを着ている。ボトムスの色合いはブラウンのまま、先ほどのスラックスから縦のうねりが特徴的なコーデュロイに着替えていた。

 全体的に黒っぽい落ち着いたダークトーンでまとめられていて、すごくシックでクールな印象を受ける。いわゆるアースカラーで秋冬っぽいけれど、シャツのシアーのおかげで涼しさも感じられた。地味っぽい沈んだ印象も、オーバーサイズのゆったりした抜け感と川内さんの顔のおかげで一気に華やいで、本当に格好よくて可愛い。

 これだ。素材を活かすシンプルっていうのは、こういうやつのことを言うんだ。私はひとりで興奮していた。

 

「提督、すごいじゃん。私こういうのすごい好き」

 

 彼女も興奮気味に鏡の前でポーズしたり背中のほうに首を振り向けたりしている。

 最後に涼月の番になって、うきうきで試着室へ入ろうとする彼女を司令官が止めた。

 

「その服が気に入ったのならそのまま使おうか」

 

 引き留めた彼女の腰をどこからか取ってきた黒いベルトでワンピースごと絞る。華奢な腰つきに合わせてきゅきゅっと窄まって、たったそれだけで一気にメリハリの利いたシルエットになった。続けて司令官は涼月の首元に手を伸ばし、巻かれていたど派手な花柄スカーフをほどく。

 

「んっ」

 

 くすぐったそうに目を強く瞑る彼女に目もくれず、司令官はスカーフをベルトループに通して腰を一周させ、結び、斜め前から垂らす。頷いた司令官が彼女から離れると同時、私たちは感嘆の息を漏らした。

 目の前にいたのは、Aラインシルエットの上品なクラシカルドレス姿にすっかり変身した涼月だった。真っ黒で物憂げだったトーンも腰の花柄に華やいで、この上なくお淑やかに見える。深窓のお嬢様が物語の中から抜け出してきたみたいだった。

 

「彼女たちが着ているものをください。ああ、ついでにそこの……これとこれも」

「服のお金だけでいいよ。もう誰も買わない在庫だから、サービスね」

「いえ、払います」

「それじゃあ、ありがたく貰っておこうかねぇ。星名さん、本当にありがとう。ありがとうねぇ」

 

 司令官は手早く会計を済ませると、手元の小物を私たちに押し付けた。

 私には名も知れぬメーカーの合皮のショルダーバッグを、川内さんにはカジュアルな帆布のボディバッグを、そして唯一半袖の涼月には、からし色をしたボレロのような丈の短いカーディガンと、年季の入った革の小さなポシェットを。

 

「可愛くしてもらえてよかったねぇ。すごく似合ってる。かわいいかわいい」

「そう、ですか?」

 

 えへへ、とだらしない笑みが溢れそうになるのを堪えて一回転してみせる。彼女は大げさに手を叩いて喜んでくれた。私たちの姿に何度も何度も頷いて、それから最後に少しだけ寂しそうに笑って送り出してくれた。

 司令官は呉服店のすぐ隣にあった靴屋にも私たちを連れ立って、私と涼月はローファーを、川内さんはレースアップのショートブーツを買ってもらった。今や私たちは司令官のセンスに完全に任せきりだった。

 

 

 ついに完成した隣のふたりのファッションはそれぞれが足元から爪先まで完全に調和していて、まるで雑誌から飛び出してきたみたい。いいや、あるいはそれ以上かも。

 だって、こんなアイテムの選び方と着こなし方は『全スタイリストが本気で選ぶ!“神”着回しアワード』にも『着回しサバイバル術・最終章』にも載っていなかった。

 私もふたりからたくさん褒めてもらって、相当にいけている格好なのだと口角が上がる。

 軍略や雄弁の面においてのみならず、おしゃれにおいても司令官に失敗の字はない。しかも料理まで上手だ。この人はなんでもできる超人なのではないか、そう疑ってしまうことも無理のない完璧ぶりだった。

 

「しかし、三人とも本当に可愛いね」

「そ、そう?」

 

 上擦った返事を咳払いで誤魔化す。司令官はしきりに私たちを眺め、満足そうに頷いていた。

 

「選んだ甲斐があるというものだよ」

「どこでファッションを学んだの?」

「特には。君たちを誰よりも可愛くしてみせる自信は誰にも負けないけれどね」

 

 司令官は瞳を全く逸らそうとしない。こんなに見つめられるのは初めてだった。いわゆる熱っぽい視線って、きっとこういうのだ。あの、恋人や好きな人にだけ向けるとかいうやつ。雑誌でも『もう迷わない!彼の“本気度”を見抜くための最終チェックリスト』に挙げられていた最重要項目。

 視線がくすぐったくてわざとらしく顔を逸らした。熱くなっているのがばれていないだろうか。川内さんの頬も心なしか赤くなっている気がする。

 

「……なに? 提督、ちょっと見過ぎなんだけど」

「いや、それにしても可愛いなと思って」

「も、もう。それはいいから」

「可愛いし、かっこいい。可愛い」

「いいって!」

 

 普段なら誇らしげに胸を張りそうな彼女がもじもじしているのがおかしかった。同じく攻撃を受けた涼月も「うぅ」とか「あの、えっと……」とか顔を真っ赤にして必死の照れ笑いを浮かべている。

 しかし私が笑っていられたのも矛先が自分に向かないうちで、可愛い可愛いと褒めそやされるとまたすぐに顔が熱くなってしまった。まともに司令官の顔を見られない。

 一周してまた川内さんの番に戻ってきたところで、しびれを切らした彼女が司令官の腕を引く。照れ隠し以外の何物でもなかった。

 

 

 

 

 上がった気分のままに商店街を歩く。ひと昔前はシャッター街だったこの場所も、今は大型商業施設が休業している関係で活気が戻ってきているのだという。通りの中ほどの一番賑わっている場所では魚や野菜が盛んに取引されている。あれらは国営の施設によるものではなく、ここ横須賀の住民たちが漁船や畑、庭で自ら獲ってきたものなのだと司令官が教えてくれた。

 

「この町にこんなに人がいたなんて」

 

 涼月の言葉に頷く。電車の車窓から眺めた風景は荒れ果てていて人の生活を想像できなかった。

 商店街の奥までに見える人数は二十人くらいだけれど、誰もが入れ代わり立ち代わりで顔ぶれが変わっていく。

 人間というのは思ったよりもたくましいんだな、とどこか勇気付けられる気持ちで通りを歩く。以前は本土の鎮守府にいたという川内さんもこうして外を歩くのは初めてなのか、物珍しそうに商店街を見渡していた。

 あっ、と涼月がすぐ近くの魚屋を指さす。

 

「昨日教わりながら捌いたアジって、きっとあのお店のものだったんですね」

 

 魚屋の軒先には硬そうなプラスチックの四角い桶が並べられ、その中のひとつには少しの氷とアジが入っていた。私の顔くらいの丈があるだろうか。昨日見たような立派なアジだ。一尾あたり二千円の値が付けられていた。見る間に買われていく。

 店のメインは作り置きの利く干物のようで、腹を開かれた大きな魚から見たことのないような雑魚まで、様々な魚がスペースを取って並べられていた。

 ふわり、と香ばしい匂いが流れてくる。

 

「お嬢ちゃんたち、これ食べてきな」

「え、えっ、いいの?」

 

 店主から半ば強引に串を握り込まされる。知らない魚の一夜干しの串焼きだった。おじさんは下手なウインクをしてみせて、私たちはそれに笑ってお礼をした。

 もらった串焼きをしげしげと眺める。私の手のひらくらいの赤い魚だ。開かれていないからそのままかぶりつく。鼻を抜ける香ばしさと焦げのわずかな苦み、柔らかく利いた塩の味、そして魚自身の旨味。ぱりぱりに焼かれていて、あっという間に頭ごと食べきってしまった。

 

 視界の端で店主と何かしら言葉とお金を交わした司令官が戻ってきて、私たちはまた四人で歩き出す。心なしか、商店街じゅうの視線が司令官に集まっている気がした。

 青果店には不揃いの野菜が並んでいる。さつまいも千五百円、じゃがいも八百円、トマト千二百円、長ねぎ千円。すべてひとつあたりの値段だ。『野菜・果物買い取ります』という手書きの立て看板が品物よりもアピールされて置いてあった。

 

「今日はここで晩御飯の代わりにしたいから、あれも食べようか」

 

 司令官の指は先の店の『いももち』の字を指す。やわらかくもちっとした肉厚なフォントで手書きされていて、もはや字面の時点でおいしさが約束されている。名残惜しく魚の串を持ったまま「おいしそう」とつい零すと、司令官はそそくさとお店へ向かっていった。

 驚いたように手元の火箸を取り落とした店主のおばさんは、私たちのほうをちらちらと伺いながら司令官と何ごとか言葉を交わしている。

 戻ってきた司令官から受け取った串には、黄金色の丸いいももちが三つ連なっていた。三つ目は串からほとんど落ちそうになっている。ぎゅうぎゅうだ。かぶりつくともちっとした食感が歯を埋める。続けてさつまいもの素朴な甘味が口いっぱいにじんわり広がった。炭の風味も合わさって、とってもほくほくだ。

 

「おいしい!」

「本当ですね。もちもち」

「こういうの鎮守府じゃ食べられないもんね」

 

 舌の上に残っていた魚串の塩気も相まってあっという間に食べ尽くしてしまう。そんな私たちの様子をすっかり気に入ってくれたのか、いももちの向かいの店の店主が声を掛けた。

 

「うちのも食べていきな。おいしいよぉ」

 

「おでん!」とすぐさま看板に反応してしまう。四人分は持ちきれないからか、今度の司令官は私たちも来るように言った。透き通って輝く出汁が器に注がれていく様子を間近で眺める。

 

「はいよ。熱いからね」

「ありがとうございます。……あつっ!」

「大丈夫? 冷ましてあげようか」

「えっ、提督、でも」

 

 初めはためらっていた涼月だったけれど、すぐにもじもじしながら「……お願いします」とあざとく器を差し出した。すり身のつみれを司令官がふー、ふーと冷ます。ひと吹きごとに涼月の口角が微妙に上がっていって、なんだか怖い。

 

「これくらいかな」

「もっと」

「えっ」

「もっと冷ましてください」

 

 語尾にハートマークでもついていそうなとろける甘え声で涼月が言う。司令官は息をしぶしぶ吹きかけた。

 

「……提督が冷ましてくれたから、とっても美味しいです」

 

 その表情があんまり幸せそうだったから、一瞬、本当に一瞬だけ、私も涼月を真似してみようか、なんて思ってしまう。けれどプライドが邪魔してやっぱりやめた。全然羨ましくなんて思っていない。馬鹿らしい。全然どうでもいい。

 

「霞ちゃんもしてほしいんですか?」

「はあっ!? そんな訳ないでしょ、馬鹿! いいわよ別に!」

「あんなにつんつんしてたのに、ずいぶん軟化したんですね?」

 

 ふふ、と微笑む涼月をよそに、しっかりと冷ましてから大根を口に運ぶ。じゅわあ、と強い旨味が広がった。魚醤と塩の味付けだ。中まで沁みた味が口中に広がってみずみずしさでいっぱいになる。はふはふしながら「おいしい」と夢中になった。司令官のことを誤魔化す意は断じてない。おでんが美味しかっただけだ。本当に。

 

「いくらでしょうか」

「いや、いいよ。お金なんて取れる訳ないよ。ばちが当たるよ。だってあんた……」

「申し訳が立ちませんから」

「いいって。悪い悪い。悪いよ」

 

 押し問答のあとで店主が渋々とお金を受け取る。司令官は自分のおでんをぺろりと平らげ出汁まで飲み干した。私たちも倣って冷ましながらお汁をすする。飲み込んだ後に吐く息がすごく熱くて、なんだか素敵だ。

 

 

 

 

 おしゃれして、美味しいものをたくさん買い食いして(司令官のお金だけど)。

 まるで『ふたりの“好き”が見つかる週末さんぽ:海沿いよくばりフードトリップ』みたい。

 でも、それにしては二人きりじゃないことだけが――。

 いや、は? だから何よ。二人きりじゃないから何?

 慌てて頭を振って余計な考えを追い払う。おでんの器を返した私たちは足を弾ませたままに司令官の隣を歩いた。

 

 そんな中ふと、遠方からまっすぐに歩みを進めてくるひとつの影に意識が引かれる。

 やがて見覚えのある顔つきが見えてきた。

 

「ねえ、あれって」

 

 すぐにピンときた。昨晩泊まった民宿のおばあさんだ。両手は空だった。買い物袋も持っていない。

 彼女は私たちのもとへ一直線に歩みを進め、彼我の距離はどんどん小さくなる。視線がはっきりと合う距離になり、さらに縮まって、ついにすぐ目の前で足を止めた。急いだのだろうか、荒い口呼吸が聞こえる。

 彼女は茶色の目で、涼月を見つめ、次は川内を、そして私を見つめた。私たちはしばらくそうして無言で見つめ合っていた。

 やがて満を持したように彼女の視線が司令官に注がれる。おばあさんは深く腰を折った。頭が地に擦れてしまうのではないかと思うほど深く、腰を折った。

 

「――すみません」

 

 声は力強くも掠れていた。

 

「頭を上げてください」

「いいえ」

「困ります。そうしていては、彼女たちにあなたの顔を見せてやれない」

 

 司令官がそう言うと、おばあさんはようやく頭を上げた。

 

「旦那と一緒に、中継見てました。星名さんが言うてた……私、星名さんたちが……」

 

 彼女の黄ばんだ白目がみるみる充血していく。たるんだ涙袋いっぱいに涙を溜めながら、上手に出てこない言葉を絞り出すように口を喘がせている。

 おばあさんは一度大きく息を吸って、吐いた。

 

「フィリピン海の話、私にはよう分からんかったけど、とんでもないことやってだけはじゅうぶん分かりました」

 

 いつの間にか、商店街を行き交う人の多くが私たちのまわりで足を止めていた。

 

「奪還、やて。偉い人が言ってる時は全然信じられへんかったのに、星名さんが言うてるのはすぐ、ほんまなんや、って信じられました。こんなん今までなかった。普通じゃない功績やって。星名さんが喋るたび、胸のあたりが、かぁーって熱くなって、こんなのいつぶりやろ、って」

 

 司令官から視線を切ったおばあさんは、私たち三人へ語り掛けるように口調を変えた。

 

「あの人なんて、星名さんの話が終わったらすぐ畑に飛び出してってねえ。もうすぐ収穫する落花生やのに土掘り返して、小さな実をひとつひとつ摘んでてな。今さら間引いてどうなんねん、言うたのに、『いや、今からでも、できることはある』って聞かへんねん」

 

 彼女は一歩歩み出て、私の手を握る。

 

「ぜんぶ、あんたたちが戦ってくれてるおかげやねえ。私ね、『艦娘』が戦ってるって知ってたけど、それだけでね。中身全然知らなかったの。あほやね」

「おばあさん……」

「昨日、あんなに泣いて、『私たちが、良くしてみせます』って、言うてくれたのにね……」

 

 すすりきれていない鼻水が彼女の顔を汚す。握った私の手にぐちゃぐちゃの顔面を押し付けるようにして、おばあさんは背を丸めた。

 

「こんな小さい子たちに、全部を背負わしてもうてる。ごめん。ごめんなさい。私らのために命懸けさして、ごめんなさい。すみません」

 

 私たちはそれが当たり前だからそうしてきただけだ。だって私たちは戦うために生まれた艦で、それしか知らない。

 今、なんと言えばいいのか分からなかった。

 守るために戦うのも、戦って沈むのも、当たり前のことだ。

 だから私も涼月も川内さんも、何も言えなかった。

 気付けば私たちを取り囲んでいた商店街の人々が、それぞれ懺悔するように謝罪を口にしても、何も言えなかった。

 

「彼女たちは、謝ってもらうために戦っているわけじゃない」

 

 どこか憤りを感じさせる口調で司令官が言う。

 おばあさんはゆっくりと顔を上げて司令官を見た。頷きを贈られた彼女は「せやね」と小さく言って、花柄のハンカチで顔を拭った。

 私たちを見つめ直す表情には、民宿を訪れた際に見たような、野太いたくましさが宿っていた。

 

「ありがとう」

 

 彼女は唇を長く噛み締めて続けた。

 

「頑張って」

 

 私たちに全てを背負わせたと、ごめんなさいと謝罪を繰り返した彼女が、その言葉を口にする。私たちを戦いへと追い立てる言葉を。果たしてそこに、いったいどれだけの葛藤があったのだろう。

 奇妙な感じがした。今まで私だけのものだった私が、私以外の思いによっても動き始めた気がした。私が生み出すもの以外にも私を動かす燃料があるのだと初めて知った。今なら私たち三人で、全ての海の深海棲艦を平らげることも夢ではない気がした。

 

 

 けれど、私たちの近傍の静寂を取り囲むざわめきが聞こえてくる。

 

「なんだいあのヒラヒラした服は。遊びに来てるわけじゃないんだろ」

「普通の子じゃないか。あんな子供がどう深海棲艦と戦うんだよ」

「今さら希望だの平和だの、笑わせるね」

「なんでもっと早くそうしてくれなかったんだ」

「どうせ、しばらくしたらまた深海棲艦が来る。騒ぐだけ無駄だ」

 

 遠巻きに何も言わずただ眉を顰める人も少なくない。彼らの無理解や諦めが私たちへ遠慮なく突き刺さった。星名司令官という英雄の唐突な出現に驚いているのは私たちや海軍だけではない。彼らも急激な変化に戸惑っているだけなのだと思いたかった。

 私たちは彼らに何も言わなかった。もはや海軍に信頼はない。行動で示すしかないのだ。それはまさしく、司令官が演説で語ったように。

 私はむしろ戦意に火が点いたような気持ちになった。絶対に司令官のことを見返させてやろう、絶対笑顔にさせてやろう、と。きっと涼月と川内さんも同じに違いない。

 司令官が睨みつけると、彼らはたまらないというように顔を背けて早足に通過していった。

 

 

 不意に、とん、と軽く肩を突かれた。五十代くらいの女性だった。

 

「あの、これ。基地に持って帰ってください。干し芋です。みんなで食べてください」

「……ありがとう」

「こんなことしか言えないですけど。応援してます。頑張ってください」

 

 小さな紙袋を抱きしめる。彼女を皮切りにして、今度はすぐ傍、四方八方から声が掛けられる。

 

「いつも守ってくれてありがとう」

「お嬢ちゃん、頑張ってな」

「艦娘さん、本当にありがとうねえ」

 

 もみくちゃにされて、私たちの両手はすぐに種々の袋や風呂敷でいっぱいになった。干し芋、魚の干物と燻製、漬物、玄米茶……。

 

「負けないでください、艦娘さん」

「今度は友達も連れておいで。待ってるよ」

「お願い、無事でまた顔見せに来てね。お願いだから」

「風邪ひかないようにね。ブルネイはもっと暑いんでしょう」

「また海の幸、山ほど獲れるようになるんだろ? 頼むぞ」

「孫が安心して暮らせる世の中にしてください。どうか、お願いします」

「諦めないでくれ。俺たちも、諦めないから」

 

 ばしん、と背中を叩かれて背筋が伸びた。

 

「今の私たちには、こんなに……」

 

 川内さんが茫然と呟く。

 はじめブルネイで汚泥のような生活を送っていた私たち。ずっと戦い詰めで、たまに海上で他の船舶を助けたかと思えば、もっと早くしろとなじられる。守るものの形も忘れて、生を擦り減らし、死なない理由に永らえさせられていた。

 そんな私たちのすべてを、司令官が変えてしまった。

 もう私たちは、私たちだけじゃない。

 

「星名司令官。お嬢ちゃんたちを頼むよ。大事にしてやってくれ。もう、こんな、孫と同じ年の子が……」

「もちろんです。その代わり、私からもお願いがある」

 

 それにしても司令官は、私たちにたくさんのものを背負わせすぎだ。なんて重たいんだろう。

 もうこの道を後戻りすることはできない。少しだけ足が震えた。だって、今までずっと受け身だったから。

 私たちはこれから、全ての人の未来を切り開かなければならない。できるだろうか。ほんの少し前まではぼろぼろだった私たちに。

 

「私から言わせてください」

 

 民宿のおばあさんが歩み出る。静かに微笑んで言った。

 

「星名さんが言ったように、せめて祈らせてください。霞さん、涼月さん、川内さん。あんたたちの未来を」

 

 あの謝辞が、軍艦マーチと共にリフレインする。

 胸の温度が際限なく熱くなっていくのが分かった。

 

 

 

 隣で涼月が司令官と顔を合わせる。涼月が何ごとか囁くと、「待っていてください」と二人は連れ立ってその場を離れた。

 二人はすぐに戻ってきた。もらったお土産を片腕の中に寄せて、涼月のもう片方の手の中には、先ほど皆で食べた小魚の串焼きがある。

 涼月は串を手におばあさんへ歩み寄った。「あの」と呼びかけられて彼女が目を開く。

 

「これ、よかったら食べてください」

 

 意図を酌めない、といった上目遣いが涼月に注がれる。私も同じだった。どういうつもりだろう。

 

「すごくおいしかったんです。それで……」

 

 取り囲む大勢が、彼女の次の言葉を今か今かと待っている。涼月は天真爛漫な笑みを顔に咲かせて、串をぐっと突き出した。

 

「本当においしかったから、おばあさんにも味わってほしいんです。おばあさんがうれしいと、私たちも嬉しいんです」

 

 素直な涼月らしいな、と思う。

 彼女はほんのわずかに首を傾けて髪を揺らす。震える手で串を受け取ったおばあさんは、目のあたりを手で押さえたまま動かなくなってしまった。

 

 

 

「託されてしまったね」

 

 司令官が私たちへ呼びかける。「ええ」と強く頷いた。

 ちらと時計を見やる動作に「もう行くんですか」と市民のひとりが問いかける。司令官は何でもないことのように「ブルネイへ帰ります」と言った。

 

「海軍の偉いさんみたいに本土を楽しんでいけばいいのに。横須賀にはしょっちゅう来ますよ」

「いえ。すぐにでも海域奪還に取り掛かりたいですから」

「奪還……」

「あなたたちのおかげで、より一層、海を取り戻さない訳にはいかなくなりました」

 

 わずかな間を置いて商店街が湧き立つ。怒涛の盛り上がりの歓声というよりも、深く感銘を受けての声が自然と漏れだして連鎖するような、静かな熱狂だった。

 望もうが望むまいが、人は司令官に惹き付けられてやまない。たとえそれがどんな形であっても。

 私は上から目線で鼻息をついた。そうだ。私の司令官はすごいのだ。やっと司令官の良さが分かったか。ここにいる人たちには秘密だけれど、戦場海域でボートに乗って一緒に戦ってさえくれるのだ。こんな提督、よそにはいない。私たちだけの提督。私たちだけの司令官。

 

「おみやげ、もう十分かい? それで基地の分、足りるかい?」

「こんなにあれば、みんな喜びます。ありがとう。涼月と霞もいいよね」

 

 川内さんが笑顔を振りまいて、また周りが湧き立った。私は腕の中の風呂敷包みたちを見下ろして、ショートパンツのベージュが目に入る。

 そういえば、司令官は食べ歩きばかりで、何も形に残るものを買っていない。なんとなく、私から急に贈りたくなった。今日のことをいつでも思い出せるように。

 

「なんか欲しいもんあるの? なんだい?」

 

 老年の男性から孫に向けるような猫撫で声で訊ねられて、私は司令官を振り返った。鎮守府で私服を着てる姿を見たことがないので服はなし。時計はもう持っている。ネクタイがないからネクタイピンもなし。カフスボタン――これだ。これなら軍装にもつけられて、いつでも見返してもらえる。

 

「ボタンが欲しくて。袖につける……」

 

 私が言うや否や伝言ゲームのように伝わって、すぐに時計屋の店主が人垣を割って出た。手を引いて商店街の店のひとつに招かれる。

 店の中は静かだった。時計屋さんなのに針の音がしない。電池が貴重品だからだろうか。店主はショーケースの隅を指さした。鈍い銀の光を放つボタンが肩身を狭そうにして佇んでいる。

 裏に回った店主がすぐに出してくれた。お金を払おうとして一文無しなことに気づく。

 

「いいよ。持って行ってよ。どうせずっと売れてないんだ。ボタンも、置いてあるよりそっちのほうが幸せだよ」

「ありがとうございます」

 

 手のひらに落とされる。ずしりと重たかった。鐘のようなシルエットが三つ連なって刻印された、鈴蘭がモチーフの上品な銀ボタンだ。今は黒くくすんでいるけれど、磨けばまばゆい輝きを取り戻すに違いない。

 帰って磨いてから渡そうか。少しだけ迷ったけれど、どうしても今すぐに渡したかった。今日の思い出にしたい。

 駆け足で戻ると、司令官たちは既に人垣から脱して見送られるような恰好になっていた。すぐ横に並び、袖を引っ張って振り向かせる。

 

「あの、これ……」

「私に?」

 

 そっぽを向いて頷いた。

 

「司令官だけお土産ないの、かわいそうだし」

「そうか」

 

 反応が薄かったので、つい表情が気になって振り返ってしまった。

 たぶん、司令官のこんな顔を見た艦娘はブルネイで私だけだと思う。

 司令官は私だけにこっそり笑いかけて言った。

 

「ありがとう」

「……んっ」

 

 心臓の鼓動が速すぎて、今は何を喋ってもぼろが出そうだった。胸いっぱいの温かい感情を抱きしめる。紙袋が音を立てた。

 

 

「私もちょっといいかな?」

 

 川内さんは司令官から頷きをもらうと、民宿のおばあさんを手招きする。

 

「これから横須賀鎮守府に行くんだけど、おばあさんの家ってその通り道だよね」

「うん、せやね」

「かぼちゃの種が欲しいんだ。行きがけにもらったらだめ?」

「何を言うてんの」

 

 乾いた涙の跡を拭いながら、おばあさんは嬉しそうに「あほ」と付け足した。涼月の浮つきと動揺した雰囲気が伝わってくる。川内さんは目を丸くしたままの涼月にウインクを飛ばした。

 

「畑作業のときすっごく熱中してたでしょ。遠くで見てたよ。それに、鎮守府に畑を作ればいつでも大事なことを思い出せると思って」

「それ、すごくいいです。素敵です!」

 

 涼月は目を輝かせて何度も川内さんに頷く。そしてすぐにおばあさんへ「だめですか」とたずねた。果たして、このはにかみながらの甘えるような声に抗える人が世界に何人いるだろう。

 

「だから、そんな分かりきったこと聞かんといて、もう! 聞かなくてもあげるに決まってるやんか!」

 

 商店街を発つ。手を振る人々に、私たちは深いお辞儀と、司令官を真似て敬礼を返した。

 私たちはもう戦う意味を見失わない。司令官とこの人たちがそれを教えてくれたから。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「ずいぶんと楽しまれていたようですね。ようやくお戻りですか」

 

 横須賀鎮守府の正門から棟に入る。入り口の小ホールに足を踏み入れた途端に棘のある声がかけられた。長い黒髪の若い女性だ。横須賀の司令長官付き秘書官、天井澄実香だったか。あの歳で大尉と知って驚いたからよく覚えている。

 

「ブルネイでは見れないものばかりでしょうから仕方ありませんね。それにしても、まさかここまで攻めたお時間でいらっしゃるとは。さすが海域奪還の英雄は違いますわね」

 

 司令官は事も無げに「空き時間を有効活用したまでだ」と言う。それがますます気に食わないようだ。彼女は、ふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。

 

「私、ずいぶん前から待っていたのですけれど?」

「それはすまなかった。では、行こうか」

「すまなかったって、それだけですか!?」

 

 この人は腹芸というものをまるで知らないのだろう。素直な人だ。司令官に食ってかかる失礼な姿も、あの軍議のあとだから私たちの心になんのさざ波も喚起しなかった。

 

 天井さんは「あら」と初めて私たちに視線を向ける。「まあ可愛い」とため息のような言葉が続けて漏れた。

 

「可愛い子たちですね。どこからいらっしゃったの?」

 

 途端に恰好が崩れて、私たちに微笑みが向けられる。司令官が選んだ服を着たままの私たちに、彼女は目線の高さを合わせて「綺麗」とか「素敵ね」とかとにかく褒めそやす。司令官を下に見た昨日の対応も許してしまいそうになるくらい気分が良かった。あんたが嫌ってる目の前の司令官が選んだのよ、と鼻高々に言ってやりたい。

 

「昨日も顔を合わせただろう。私の艦娘だ」

「……艦娘? これが?」

 

 天井さんは動きを固め、かがんでいた腰をゆっくりと真っすぐに戻した。

 

「私が知っているものと違いますね」

 

 横須賀の艦娘はもっと薄汚れているとか、目に輝きがないだとか、そういうことを言いたいのだろうか。天井さんは「ああ、そうだ」と司令官を睨みつける。

 

「演説、ありがたく拝聴しました。戦争終結を目指すあの宣言には感銘を受けましたわ。伯父も他の鎮守府も守勢に専念するばかりで、私、悶々としていたので。しかし――」

 

 藤田大将の秘した内心を聞いた後では能天気な台詞にしか聞こえない。この人は兵器派の覚悟も、リアルな戦況も、徹底した現状維持を採る理由も知らないのだろう。涼月が不快そうに眉を上げるのが見えた。

 

「艦娘の話には到底賛同できません。艦娘は兵器であり、それ以上でもそれ以下でもない。少女だなんて笑止ですわ。兵器は感情など持ち合わせません。そして国家の犠牲となることも躊躇いません。あのような場で国民を欺く真似はお止めになってください。彼らへの真摯な配慮を求めます」

 

 後ろめたさの見えない真っすぐの純真な視線が、語る内容とアンバランスだった。

 彼女の中で艦娘は『そう』なのだ。

 

「君は、艦娘と触れたことが?」

 

 司令官が静かに問いかける。天井さんの艶やかな唇が迷うように動いた。

 

「……ありませんけれど。それが何か?」

 

「そうか」と司令官は彼女から視線を切った。彼女の視線をその全身で受け止めながら、司令官は「澄実香くん」と呼びかける。名を呼ばれることを想定していなかったのか、彼女の身体が大げさに跳ねた。

 

「君にもいつか、艦娘のことをたくさん知って欲しいと思う」

 

 不思議に優しい、厳しく道を示す父性と全てを許し育む母性が同居したような声の音色だった。彼女の焦りや憤りも丸ごとすっぽり包み込んで溶かしてしまうような包容力をもって、視線を上げた司令官が彼女に淡く微笑みかける。

 まさかそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったのだろう。司令官へ視線を固めた天井さんは眉間にしわを寄せて、ゆっくりと首を傾げる。明らかな困惑の最中にあることが容易に見て取れた。

 

「艦娘を? これ以上、何を知れと?」

 

 脳内で司令官の言葉を何度も反芻しては、理解が及ばずまた噛み砕こうとする、そんな出口のないループに嵌まり込んでいるようだった。

 天井さんは『納得いかない』と顔に書いたまま、不承といった感じで「ともかく」と背中を向ける。

 

「じきに高雄への便が発ちますから。さっさとお帰りあそばせ」

 

 滑走路へ案内する彼女の後に続く。やはりこの絨毯の柔らかさは落ち着かない。

 

「次はちゃんと宿泊の段取りよろしくね、大尉さん。このままだと無能と勘違いしちゃうからさ」

「なっ、この……!」

 

 からかいのトーンだが、川内さんの目は全く笑っていなかった。

 

 私は手のひらの中のかぼちゃの種を握り締める。ブルネイに帰ったらすぐに、本土で出会った全てを、皆に話したい。

 私たちが守っている、見えないもの、見えるもの、全てを。

 





この物語に書き残したことがあるので戻ってきました。

次回ついに実家(ブルネイ)へ帰り、終盤の海域攻略が始動します。
政争しかしない提督は提督ではないな!
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