艦これ戦争終結RTA   作:poox

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山城 - 眩光

「山城、次弾装填は!?」

「終わった。あんたもよそ見しないで!」

 

 六基の41cm連装砲から徹甲弾が飛翔する。回避を試みたツ級は、しかしどこにも逃げ場がないことを悟り、甘んじて肩口に砲弾を受け容れた。左腕が弾け飛びよろめくがすぐ反撃に移ってくる。いくつもの砲弾が舷側をなめるように殺到し水柱が林立した。高角砲の強みを押し付けるような、高初速の連射だ。

 開戦当初の初期型とは比にならないほどの性能を持つ後期型の軽巡ツ級。小さな防空戦艦とも称されるその艦の動きが、隙が、手に取るように分かる。

 恐るべき速さで飛来する絶望の雨も、今ははっきりと見えていた。背負う重さの違いが、私たちの常ならぬパフォーマンスを引き出しているに違いなかった。砲弾の間隙を縫い、どてっ腹目掛けて主砲をぶちかます。

 直撃に思えたそれは、わずかに逸れて脇腹を掠めるに留まった。

 

「ああもうっ!」

 

 何度目の舌打ちか分からなかった。またイメージとズレた。思うようにいかない。

 

「二時から五時にかけて敵潜多数! 距離三〇〇、深度六三!」

「そんなに近くてなんで分かるのよ、ありがたいけど!」

「分かんない。でもなんか、分かるんだ!」

「敵機直上! 急降下っぽい!」

「十時から攻撃機も来てます!」

 

 空から、海中から、攻撃が殺到する。指揮するはずの川内もツ級二隻の相手にかかりきりだ。

 

「時雨は潜水艦、ほかの駆逐は爆撃機を見て! こっちは私が!」

 

 攻撃機は既に海面を這うように飛行していて小口径砲での防御は間に合わない。機銃の照準を定め両舷から射かけるも、イメージと射線がずれる。当たらない。丸っこい深海の艦載機は異形の魚雷を投下し、遅れて火を噴いた。舌打ちして身体を操り、余裕をもって航空魚雷を回避する。

 

「山城さん!」

 

 瞬間、凄まじい衝撃が私をつらぬいた。鉄片交じりの飛沫が私の半身をずたずたにする。やられた、潜水艦!

「機関損傷!」ほとんど反射で言って、右脚の感覚がないことに気づく。他の子たちは。

 漣と夕立は雄叫びを上げながら対空砲火を続けていた。無事だ。爆雷投射を終えた時雨も加わり敵機を次々墜としていく。活躍と裏腹に表情は晴れない。

 

「くそ、なんで、なんで!」

「分かるのに、当たんないっ!」

 

 私と同じだ――。

 不気味なほどの好調に振り回されているのは彼女たちもだった。背中に羽が生えたように、あるいは船底にごっそりこびりついた付着物が一掃されたかのように、身体が軽い。

 しかしなおそれを上回るほどの冴え渡る思考に、艤装の操作がついていかないのだ。

 文字通りの飛ぶ鳥を落とす勢いで的確な弾幕が張られる。普段では考えられない実力だった。単なるモチベーションの違いで、果たしてここまで戦力が飛躍的に上がることがあるだろうか。

 

 逸れた思考は『ツ級撃破』の報で戦場に引き戻される。

 敵水上艦隊は私の砲撃と川内の雷撃によって打撃を受け、残すところ空母二隻とツ級一隻にまで減じていた。

 

 

 

「固すぎだよ。警戒正面からじゃ私の攻撃も山城のも届かない。どうにかして隙を作らないと」

「策は?」

 

 敵空母は一隻がほぼ無傷、もう一方は中破しているものの、強力な副砲で戦闘を継続している。

 川内はきっぱり「ない」と言い切った。

 

「正面は副砲とツ級、背後は直掩の攻撃隊がカバーしてる。空も劣勢だ。制空権を完全に奪われるのも時間の問題」

「単純に押し負けてるわね。このままじゃジリ貧か……」

 

 残されたツ級は護衛に徹し進出してこない。時間をかけるほどエアカバーが厚くなることを理解しているのだろう。急いで勝負をかけないとやられる。どうする。

 航跡で巨大な弧を描いて敵の様子をうかがう。朝日と彼我が直線上に並ぶ一瞬、燃える真紅を瘴気が日食のように侵していた。

 

「突撃……」

「え?」

「朝日を目眩ましにして、正面から突撃するのはどうかしら」

 

「うわあ」と引いたような声を上げた後、川内は魚雷を逆手に構えた。「アリだね」

 

「なんだか今、すごく調子がいいの。敵が狙いを定めにくい眩光下なら、副砲もツ級の砲撃も躱せる気がする」

「奇遇だね、私も変に調子いい。でもいけるの? ボロボロじゃん」

「やらなきゃやられるだけ。これくらいなんでもないわ。急いで。じき朝日が水平線から離れる」

 

 彼女は頷いて指揮を飛ばした。

 

「これより肉薄する! 龍鳳は全機緊急発艦、援護して! 駆逐は残弾気にせず撃ちまくれ!」

 

 龍鳳は煤けた弓を構え、時雨たちは力強く頷いた。

 

『龍鳳航空隊、全機緊急発艦。目標、敵直掩!』

 

 戦速をそのままに大きなターンを描き、烈風と流星改が海面に落とす影と共に波を超える。同航から反航の形に持ち込んだ。

 朝日を背にした私に対し、無傷の敵空母は眩しそうに腕を上げる。空いた脇腹目掛けて斉射した。奴はめり込む衝撃で苦しそうに呻く。まだ足りない。離脱するか、このまま再装填まで耐えるか。決断は一瞬だった。このまま詰める――!

 

 彼我の距離はどんどん小さくなる。敵の攻撃を躱すことも難しくなってきた。川内のほうを横目で窺おうとした一瞬の隙に、ツ級の砲撃が眼前まで迫る。

 首がねじ切れるかと思う衝撃があった。瞬時に頭を回したが受け流しきれていない。続けざまの副砲を躱す余裕はとっくに失われて、左舷の装甲で受けざるを得ない。衝撃が反対の横っ腹まで浸透する。砲塔もいくつか誘爆した。装填はまだか、まだか。

 回避運動を続けることも限界に達したその時、リロードが終わる。互いの目の色がはっきり分かる距離。敵の砲炎を間近に見ながら、私は主砲を斉射した。

 

 

 

 

 血にむせて意識が浮上する。瞬きの間気を失っていたようだ。

 既に敵空母とは交錯を終え、背後にはその健在な姿があった。中破だ。あの距離で一発しか当たらなかったのか。仕留め損なった。

 

『空母一、ツ級一轟沈。残る旗艦は健在』

 

 涼しい声の通信が入る。元から中破していた空母を、川内はしっかり仕留めたらしかった。おまけにツ級まで処理している。

 輪形陣に滑り込もうとする私へ向けターンする敵は、えぐれた腰部を押さえて憤怒の形相を浮かべていた。

 何か来る、そう感じた瞬間、敵直掩が散開する。

 

「緊急発艦した艦載機に補給します。再発艦まで持ちこたえて――きゃあっ!?」

「対空防御、間に合わない……!」

 

 突撃の援護のために直掩を欠いていた龍鳳たちへ航空攻撃が襲い来る。龍鳳の甲板は破壊され、駆逐艦たちも爆撃の破片で広く損傷した。

 

「山城さん、早くこっち!」

「みんな機銃の残弾切れかけっぽい、近接防御お願い!」

 

 陣の中央に滑り込むと、すぐ後ろの航跡を航空魚雷が混ぜていった。もはや驚く力も残っていない。動かない身体で必死に対空防御を続ける。

 

 龍鳳の発着艦が封じられ艦載機の補給が不可能になった以上、すぐにでも制空権は喪失する。時雨たちは既に対空で手一杯だ。私の身体はもう思うように動かない。

 頼みの綱の川内は正面から健闘しているが、執拗な副砲に牽制されて痛打を与えられそうにない。私に残る二基の主砲でどうにか隙を作れないかと思ったが、息も上手く吸えない有様では難しいか。

 

「敵の格納庫にまだ機体が残されているなら、詰みね」

「今展開してる奴だけでも詰んでますよ」

 

 漣がそう言った傍から、舷側に爆炎が上がる。狙いを外した敵の爆撃だった。こちらの防空網をすり抜ける敵機の数は秒ごと増してきている。艦隊に死の足音が聞こえ始めた。

 

 

 

『誰か動ける艦は! 援護!』

 

 副砲を身体のあちこちに掠め川内が叫ぶ。満身創痍の艦隊に、応えられる者はいなかった。

 

『今決めないと、早くして!』

「もう動かないのよ、身体が」

 

 忸怩たる思いで通信に告げる。『私だけでも』と彼女が言ったその時、敵空母が金切り声を上げた。甲板が水平に固定される。まさか。

 

「そんな」

 

 そう呟いたのは誰だったか。空母からわずかな攻撃隊が飛び立つ。身をよじり苦悶の声を上げる様は、まるで自らの命を削って艦載機を生み出したかのようだった。

 攻撃隊はこちらを見向きもせず川内へ向かう。輪形陣には声もなかった。元よりない勝ちの目だが、彼女が沈めば唯一の希望すら消えることになる。

 

 川内は私を一瞬見た。全てを賭けろ、と視線で言っていた。

 彼女は雄たけびを上げ、猛然と海水を撒き上げる。捨て身の装甲は見る間に削れていく。彼女の覚悟が伝染するには充分な光景だった。

 

 

 

「各艦、主砲打ち方やめ」

 

 艦隊が悄然として振り向く。

 

「近接防御を自艦上空へ集中」

 

 上空では敵機が我が物顔で旋回している。龍鳳たちは悲鳴を上げて抗議した。

 

「機銃だけで対空防御を? そんなことしたら私たちが!」

「無茶だよ!」

「あいつはまだ諦めてない。川内の道を拓くのよ」

「川内さんの……」

 

 誰かが息を呑んだ。

 至近で爆薬が炸裂する。食いしばって喉を枯らした。

 

「主砲目標、川内の突撃軸線上空。彼女へ傘をかけろっ! てぇーっ!」

 

 合図と同時、駆逐艦三隻と私の副砲から砲弾が飛翔した。

 最大の脅威を狩らんと飛びかかる敵機が、殺到する砲弾によって次々に排除されていく。誰もが目を見張る精度だった。

 川内と離れたこちらにも、直上から、舷方向から攻撃隊が襲い来る。機銃は気休め、そのはずだった。

 まるで頭の中の軌道をなぞるが如く飛んでいく機体へ、次々と弾丸が吸い込まれていく。

 戦場海域に到達してからずっとあった異様な冴えが、そのキレを増していた。

 

『このっ、くそっ、鬱陶しい!』

 

 副砲の雨を踊るように掻い潜りながら肉薄を試みる川内だが、敵も同航の形で詰めさせない。どうにか彼女に隙を。そう思って放つ苦し紛れの主砲は、敵の気を惹きすらしない。

 あと一歩なのに。

 

「もう機銃残弾持ちません!」

「砲身過熱やばいっぽい!」

 

 龍鳳が、夕立が、絶叫のような報告を上げた。

 全艦、損傷の蓄積は限界に達している。

 ここまでか。私たちは、ここで沈むのか。

 

「誰か助けて……」

 

 時雨がささやく。漣はただ涙を流していた。

 

 このぼろぼろの身体で、私はまだ囮の役目を果たせるだろうか。

 下手したら輪形陣を抜けた瞬間袋叩きにされ、近づけすらしないかもしれない。

 それでも諦めたくないのは、私の醜い意地だった。

 この子たちを沈ませたくないから。私たちなら勝てるって、あの人が思っているから。

 まだ足が動くのなら、動かしてみせよう。

 

 そうして私が踏み出そうとした瞬間、時雨の祈りは聞き届けられる。

 

 

 

 

 

 

 

「電探に感あり! 水上艦です、IFF応答――友軍コード!?」

 

 聞き間違いではないのか。

 息を呑む龍鳳から艦隊へリンクがある。電探は間違いなく味方艦の存在を示していた。

 

「馬鹿な。一隻だし高雄の友軍って訳でもないでしょう」

 

 仏か、鬼か。

 ありえない、と戸惑う私たちに彼女が艦名を告げる。

 

「識別名AX-FCLC-01。なにこれ、艦娘じゃない……!?」

 

 砲火の切れ間、敵機の離脱、波の凪。そのすべてが重なり合った一瞬の静寂に、低い音が海を渡る。

 

 風に乗って聞こえてくるその音は、連続する破裂音にも似ていた。

 頼りないエンジン音。冗談と思えるほど矮小なボート。

 

 ――東の海、むき出しの素肌に、眩い朝日を背負った提督だった。

 

 

 

 戦場の誰もが闖入者に釘付けにされる。

 私はたったひとり、敵空母の前方へ主砲を放った。

 

「川内!」

 

 海面にぶつかると同時、爆薬と運動エネルギーが膨大な水を撒き上げる。飛沫のベールが川内の姿を覆い隠す。そして裂帛の気合。

 

 降り注ぐ海水が晴れた時、敵艦の胸には風穴が開いていた。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「敵残存戦力なし。戦闘行動終了」

 

 川内の号令で、艦隊は大きな息を吐いた。

 

「終わった」

「死ぬかと思いました」

「私も意識飛びそう」

 

 アドレナリンが抜けて、損傷箇所が強烈に痛み出す。

 

「今は、帰路のことを考えたくありませんね……」

「もう動けないっぽい」

 

 痛むのはこの子たちも同じであるはずなのに、皆笑っていた。

 

「無事でよかった。よくやってくれたね」

 

 ありえざる声が聞こえた気がしたので振り返る。ボートに座って微笑む提督だった。

 

「もうだめかも。幻覚見えてる」

「僕もだよ。お揃いだね」

 

 こんな場所に、こんな船に乗って、こんな姿で、提督がいるはずがない。

 あれは極限状態の私たちが見た幻ではなかったのか。

 

「私は本物だよ」

 

 本物なのだとしたら――めまいがする。

 

 

 

「なんでいるんですか。てかなんで下着なんですか」

 

 漣が疲れ切った顔で総意を代弁する。

 そうなのだ。彼女の言う通り、下着姿なのだ。

 提督がいるのはまだしも、いや『まだしも』で片付けていいことではないが、下着姿なのは輪をかけて意味が分からない。

 念のため再確認し、慌てて目を逸らした。やはり見間違いではなかった。

 

「ここに来たのは、それが必要だったからだ。服装も、その必要があったから」

「はあ? 日本語喋ってくれますか?」

 

 思考がそのまま漏れ出てしまったが、繕う元気も残っていない。時雨がお上品に爆笑しているのを見て、あとで締めることを決める。

 

「あの、提督。服を着てもらえませんか。その、視線のやり場に困るというか」

「すまないが龍鳳、持ってきていない」

 

 彼女は紅潮したままあんぐりと口を開けた。意味不明すぎて死にそうだった。あるいはここが常世かもしれない。

 いや、こんな支離滅裂な死後の世界があってたまるか。

 

 

「私も訳分かんないんだけど、とりあえず高雄に連絡して引き受けてもらったほうがいいよね」

「でも高雄は信用できないって、提督さんが」

 

「そうだ」と提督が言う。「一刻も早くブルネイへ帰るよ。皆も疲れただろう」

 

「え、どういうことですか? まさかとは思いますがご主人様、そんなのに乗って漣たちと一緒に帰るつもりですか?」

 

 頷き、「帰りの燃料はない。曳航頼む」などとのたまう提督。

 

「もしかして馬鹿ですか?」

 

 艦隊の口にブレーキが効かなくなっている気がする。

 

 

「そんなボートで一七〇〇キロも無理っぽい。高雄にも頼らないでどうやってここまで来たんですか」

「よく見て。ほら、エンジンが付いているだろう。今までのものとは違う」

「やっぱり例の支援組織が……えっ?」

 

 提督は少し自慢げにポン付けのエンジンを指さした。どうやって来たって、そういうことを聞きたいわけじゃないのだけれど。

 

「これで来たって? 本気で言ってる?」

 

 川内がボートのへりをぺちぺち叩いて言った。「そうだ」とか返ってきたので、艦隊は全員この場での理解を諦めた。生身の人間である提督が野ざらしになっている以上、この場を離れるのが先決だろうという共通認識だった。

 

 

「姫級を斃して統率が乱れたとはいえ、はぐれの艦隊といつ遭遇するか知れない。急ごう」

 

 提督は曳航を急かす。榛名たちが提督の乗るボートを護衛しながら近海を回ったという話を聞いてはいたが、まさか自分たちも命じられるとは想像だにしなかった。

 

 危険すぎる。鎮守府近海とは訳が違う。万全でない艦隊での護衛は不安要素がある。艦隊は改めて、絶対に高雄経由で帰還した方がいいと進言するのだが、提督は提督で、護衛もいるのだからそのままブルネイへ帰るとの無茶苦茶な主張を曲げない。

 ついにはブルネイ鎮守府司令官として命令を振りかざす始末だった。

 その上「かくなる上は手で水を掻いてでも帰る」とまで言われてしまえば、私たちも折れざるを得ない。

 ボートの曳航は、最も機関損傷の小さい夕立が充てられた。彼女を輪形陣の中央に据え、艦隊はブルネイへ針路をとって海を滑り出す。

 

 

 

 

 

「で、あなたはなぜ、どうして! あんな戦場のど真ん中にいたのかな! 鎮守府までたっぷり時間はあるんだから、全部聞かせてもらうよ!」

「提督参戦、なんて今後は冗談でもやめてください。漣の心臓蛾物故割れますた」

「服……服を着てくださいっ……!」

「ねえ提督、聞いてるの? 僕もすごい怒ってるんだから」

「早く納得のいく説明するっぽい!」

 

 先ほどまではすぐにあった穏やかな声が返らない。

 

「……提督?」

 

 ボートを覗き込む。提督は小さなボートの底にぐったりと横たわり、浅い息をしていた。

 

「提督っ!」

 

 艦隊は急制動をかけた。慣性力で全身の傷が痛む。

 

「どうしたの、山城」

「提督の意識がない」

 

 騒然となって皆がボートを囲む。

 提督の額に手を当てて川内が言った。

 

「……すごい熱だ。それに今まで動転し過ぎて気付かなかったけど、酷く日に焼けてる」

 

 川内が下着をわずかにずらすと、紅白さながらのコントラストが露わになった。指の隙間から見ていた龍鳳の表情の豊かさも、加速度的に失われていく。

 

「待ってください。これって、まさか、提督は本当に、鎮守府からずっとボートに乗って……」

「そうじゃないと説明できない。火傷レベルで焼けてるよ」

「なら、どうやって敵の遊弋する海を抜けてここまで」

「漂流物を装えば可能じゃないですか。船を失った漁師さんがそれで帰ってきたって話があったっぽい」

「あれは沖合数キロメートルの話でしょ。ブルネイからここまでなんて、そんな馬鹿げたこと……」

 

 ありえません、と漣が強く断言する。怯えにも似た口調だった。

 

「だって一七〇〇キロですよ。こんな小さなボートじゃ燃料が足りない。不可能です」

 

 川内は意に介さず、船体のへりを叩いて言った。

 

「これ、二重船殻(ダブルハル)だ。それも特殊な」

「ダブルハルって、タンカーとかのですか。それって船殻の間に海水を入れるやつじゃ」

「うん。ただしこいつの場合、間に挟むのは海水じゃない。たぶん船体そのものが燃料槽になっているんじゃないかな。喫水下の感じも、今はないけど、流線形増槽の取り付け余地がある」

「艦種記号AX、Auxiliary……補助艦艇、給油船? それにしたって船体が小さすぎます。何なんですかこのボートは」

 

 漣の困惑に答える者はいない。

 川内の視線に誘われ、ボートの内側を詳細に眺めてみる。つるりとした側面と底面には、提督以外には何もなかった。通信設備はもちろん、非常用の信号弾、食料、水すら備えがない。遭難者だってもっとまともな荷物があるだろう。

「帰りの燃料はない」と提督は言っていた。事実から、ひとつの仮説が導き出される。

 

 

 

「提督は東沙島に辿り着くために、パッケージの軽量化を限界まで試みていた」

 

 川内が頷く。龍鳳たちが自らのゼリー補給食を甲斐甲斐しく口元へ運ぶも、提督のがさついた唇は動かない。

 

「この人はそうまでして、東沙島に行く必要があったんだ。こんなに衰弱して……」

「必要って、なんのために」

「――いい加減気付きなさいよ!」

 

 時雨が身を縮こまらせる。彼女だって本当は分かっている。分かっていて、気づかないふりをしているのだ。

 唾液が塩辛い。戦いの中でさえ漏れなかった嗚咽が、私の喉から溢れた。

 

「提督の作ってくれた隙がなかったら、私たちは壊滅してる」

 

 口にしただけで、自らの存在自体がぐらつく感じがした。

 艦娘として、これ以上に惨めな言葉があるだろうか。

 

 安全な鎮守府から命令を下すことが仕事の提督は、深海棲艦の跋扈する海を人の身ひとりで越え、あまつさえ敵旗艦に突貫を仕掛けて、値千金の隙さえ作った。

 

 私たちのために。

 私たちが、至らないがために。

 

 

 

「……今は一刻も早くブルネイへ戻らないと」

 

 川内の言葉を皮切りに、重苦しい空気が一塊となって動き出した。強く噛まれた彼女の唇からは血が滴っている。

 舵は無事でも艦隊はほとんど大破だから、まともな速度が出なかった。

 

「やけに遅いと思ったら、向かい潮です。行きが追い潮だったから」

 

 頼もしかった潮の流れも、今は文字通りの逆風となって私たちを海域に押し留めようとする。

 

「このままじゃ何十時間かかるか……」

 

 あれほど念願だった海域の奪還を成し遂げたというのに、艦隊の表情には澱のような絶望が淀んでいた。

 誰もがしきりにボートの中の提督の容体を気にする。

 

 私たちが自らの存在意義を遂行できていれば、こんな事態は招かなかった。

 提督が信じていたのは私たちじゃない。敵の強さと、私たちの弱さだ。

 この人が命を掛けてここまで来てくれて、やっと勝てた。

 出撃前のブリーフィングが滑稽だった。なにが勝算だ。なにが対艦戦闘の主力だ。

 提督は今も弱々しい呼吸をしている。この人にこんな無茶を強いたのは誰だ。この人がいなければ沈んでいたのは誰だ。

 全部、私たちのせいじゃないか。

 

 

 今はなにもかもが足りていない。

 悔しい。悔しい悔しい悔しい。

 情けなくてたまらない。

 私たちは弱い。

 

 

 

   ◇

 

 

 

「水上電探に感あり。航路上に敵軽空母の反応を認む」

 

 こんな時に、という呻きが艦隊じゅうから込み上げる。

 

「道中に遊弋してるっていう奴らか。相手してる暇はないのに」

「艦隊がこんな損傷じゃまともに戦えません。戦意だってもう。いったん退くしか……」

 

 隠れて敵をやりすごして、そうしてどれだけの時間が無駄になるだろう。

 成すべきはそんな怯懦にまみれた行為ではない。

 

 

 かつてない戦意に血が巡り、艤装が軋みを上げる。全身の傷が開いた気がしたが構わない。

 碧海の彼方の敵艦隊へ、私に残された二基四門が指向した。

 今は提督を、鎮守府へ。

 

 

「――そこをどけぇぇッ!!」

 

 

 

 

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