アヒンサー・スレイヤー|絶対に人を屠る魔剣が、虫をも殺さぬ思想   作:寳田 タラバ

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Prologue Ⅱ

 

 

 

 

 

『悪夢というものは、眠ることを営みとする我々にとって逃れられないものであるようだ。私たちは2歳の頃から悪夢を見始め、じきに回数が増加し、10歳の頃には最も頻繁に生じてくる。

 

 悪夢からスタートした一日はなんだかずっと気乗りしないこともある。

 

 文献では、友達や家族への認識にも影響を与え、実例では、夢の中で死んだ旦那の葬儀を、現実だと思い葬儀の準備をするも、実際にはそもそも独身だったものもいるようだ。

 

 夢と現実の境で悩むものにとって、夢か(うつつ)か定かではなくなってしまうのは、生きていく上で容易なことではない。

 

 鮮明な記憶を携えて夢から覚めると、実際に起きたこととの判別がつかなくなる。PTSD(心的外傷後ストレス障害:トラウマ)を持つものにとって心の底から忘れたいと思っている事象が、悪夢によりその威力をリフレインさせる事例もある』(*注)

 

 ──あのときの僕も、結局はその「事例のひとつ」にすぎなかった。

 何年もかけて、そうやって自分に言い聞かせてきた。禅問答のような、終わりのない独白で。

 

 最初は「違う」って思ってた。でも、そのたびに記憶はむしろ鮮明になって、悪夢は親切なふりをして、見たくない映像を補完してくれた。

 やがて僕は「誰にでもあることだ」とか「他の誰かもきっとそうだ」なんて言葉で、自分を誤魔化す術を覚えた。

 

 夢と現実の境界が曖昧になる──なんて理屈は、傍から見れば理解しやすいけど、渦中の僕にとってはさして慰めにもならなかった。

 朝になっても目の奥は真夜中のままだった。心が追いつけないまま、ただ目を開けていただけだ。

 

 それでも、生きるしかなかった。

 エルフとして、じゃない。僕として。

 呼吸をして、水を飲んで、普通のふりをして、日常に紛れ込んでいった。

 

 ──けれど、それが演技だったのか、本心だったのか。

 未だによく分からない。

 

 

 

 

 

 

 ⸻

 

 目を開けた。何かが、まとわりついていた。

 

 寝汗。──ではない。

 

 肌に触れた湿り気は、体の奥まで染み渡っていた。寒気を誘うぬるさで、体温よりも僅かに高い。鼓動のリズムすら、この不快な水分に奪われているようだった。空気は重く、喉にまとわりついて息がしにくい。

 

 何より、そのにおいが決定的だった。

 

 鉄と、煤と、焦げた何か。人の中身がこぼれたときの、あの臭い。

 

 僕は、足を動かそうとした。夢の続きを断ち切るために、冷えたシーツを探し、そこに身体を預けたかった。

 

 ──ずるり。

 

 足先が、何かをなぞった。液体ではない。固体でもない。その中間にある何かを、足が引っかき回した。次の瞬間、全身の重心が崩れて、何かにもたれかかる。

 

 ──バキバキ、と音が鳴った。

 

 耳を劈くような火の音と、肌をなぶる熱風。そのすべてが、薄膜のように自分を包んでいた夢の境界線を、無理やり破り捨ててくる。

 

 瞬きをした。強く、何度も。視界を覆っていたベールが剥がれ落ち、瞳の奥に光が流れ込んだ。

 

 ──それは、朝日ではなかった。

 

 燃え尽きかけた残火が、煤けた世界を照らしていた。その赤さは希望の色ではなく、血液の温度で煮詰められた光。

 

 首を巡らせた。筋肉に命令し、頭を左右に振った。ちゃんと動いた。悪夢とは違う結果に、一瞬だけ安堵した。

 

 だが、それはほんの、数秒だった。

 

 目の前にあったのは、僕だけの──否、かつて“僕のものだった”王国だった。だが、もはやその呼び名すら過分だった。

 

 そこにあるのは、ただの瓦礫と、火の海と、──人だったものの肉塊の山。

 

 僕の手は、ひときわ異様な質感の柄を握っていた。見知らぬ大剣。背丈ほどもある刀身は、今もなお血を滴らせている。

 

 その血が、僕の皮膚を濡らしていた。不快の正体。──乾いていない、死者たちの体温。

 

 剣は、まるで意志を持っているかのように、僕の意思に関係なく、静かに肉から引き抜かれていった。

 

 そして、聞こえた。

 

「争いは、何も生まないというのに。──とは、なんと恐ろしい生き物なのだろう。──は、甘かった。──のためにも、──は根絶やしにせねばならん。俺は、必ずやり遂げる」

 

 耳ではなく、骨伝いに届いてきた声。囁きのような、それでいて、誰よりも確かな意志を持つ声。

 

 恐怖で、体が軋む。反射で身を引いた僕に向かって、声は一転して陽気に語りかけた。

 

「おお、お目覚めか。まるで眠り姫みたいにぐっすりだったな」

 

 その明るさが、何よりも恐ろしかった。

 

「……お前……いったい……」

 

 喉が渇いていた。言葉にならなかった。

 

「急に気を失うから、吾輩は困り果てていたんだぞ。記憶にないのか?」

 

 剣の声は軽快だった。あまりに軽すぎて、この地獄絵図との落差が、吐き気を呼び起こす。

 

「……お前……なにを……」

 

「何をって、お前がやったんだろうが。ああ、──については理由があるが、他は見ればわかるだろう? たわけ」

 

 一瞬、声の温度が凍った。そしてまた、何事もなかったように戻る。

 

「だがな、アレン。ひとつだけ言っておくぞ。無益な殺生は、俺は好かん」

 

 その声を聞くだけで、僕の背骨が凍った。

 

 ──こいつは、知っている。

 

 ここに至るまでの、すべてを。

 

 この剣こそが、この地獄の根源だ。

 

 悪夢には続きがあったのだ。

 

 悪夢よりも、なお凄惨な──現実という名の続きが。

 

 

 




(*注 夢の正体 夜の旅を科学する より一部引用)
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