アヒンサー・スレイヤー|絶対に人を屠る魔剣が、虫をも殺さぬ思想 作:寳田 タラバ
「ふふん」
それは、なんの意味もない含み笑いだった。意味がないからこそ、余計に嫌な予感がする。
ユイ先生は、ラッツの顔面を的確に砕いた(物理)杖を慈しむように撫でてから、悪戯を思いついた猫みたいな顔でこちらを見た。
アレンはその視線を食らった瞬間、精神的に即死した。
──なぜだ。息を潜めていたつもりなのに。教室の壁と一体化できていたと思ったのに。
ついさっきまでラッツに全振りされていた「不幸」の照準が、自分の方向にカチリと回された音が、聞こえたような気がした。
「何か不満か?」
ふいに話しかけながら、ユイ先生は黒板のチョークをポイと投げて、それを器用に後頭部でキャッチしつつ、まっすぐ歩き続ける。
見せびらかしているつもりか。愉快犯め。
「ならこうしよう。問題に答えられたら、職員室行きはナシだ。お得プランだぞ、挑戦するか?」
こちらを見ないまま、ひらひらと片手を振る背中には、完全に「捕まえたウサギの前で、あえて背を向けて歩いてみた罠猟師」の余裕が漂っていた。
「……拒否権は?」
震えそうな声で、アレンは一縷の希望に縋った。もしかしたら、世界は優しいのでは? という幻想を、最後の最後に見てみたくなった。
「そんなもん、あるわけないだろ」
即答。そして斬首。幻想は即座に処理された。
「じゃあ……なんで聞いたんですか」
気づいた時には、もう言っていた。口が勝手に、反抗期を始めていた。
「遊び心ってやつだ。教育には必要だぞ?」
ニコッと笑って言うその顔が、あまりにも真剣だから余計に腹が立つ。
遊び心じゃない、完全に加虐心だろ……と、アレンは心の中で毒を盛る。
いやむしろ、毒を飲んでいるのはこっちのほうだ。強制的に。
ユイ先生は教壇の端っこにぴょんと飛び乗るような勢いで到達すると、そこに両手を置いて、教室全体に笑顔を投げた。ついでに問題も投げた。
「では問題だ。ドラゴンよりデカい口を持つって言われてる、かつての大魔王。その歯の中で、特に特徴的だったのは?」
きた。
これは、いける。
アレンの脳内に、昨夜読み込んだ資料の文字列が高速で流れ込む。珍しく徹夜してよかった、と思える瞬間だ。
「上顎の両側犬歯──いわゆる、糸切り歯です。その異様な長さと鋭さは、『笑っただけで敵軍が総崩れになった』って逸話があるくらいで……」
胸を張って言い切ると、静かだった教室の空気がさらに静かになった。
ん? 妙に、冷たい。冷房か?
──いや、黒板か。
そこには、堂々と同じことが書いてあった。
まさかの答え合わせ状態。
「……寝てても答えられるだろ、これは」
ユイ先生が軽く肩を竦めた。悔しいけど、否定はできなかった。
「じゃ、次だ。その歯、何層構造になってる?」
「三層構造です。エナメル質、象牙質、歯髄──で、エナメル質の硬度は、伝説の魔石『オルハレイコン』よりも上だったという記録もあります。って、確か、ゴルメ書庫の古い書に……」
言い切る前に、今度はざわっという音が教室に満ちた。
ざわざわポイント、ゲット。
さっきまでの冷めた空気が一変して、教室中の目がアレンを見ていた。
さすがにちょっと、鼻が高くなる。
そして、ユイ先生がふっと笑った。
「へえ、なかなかやるじゃねえか。お前、本当に十四か? 顔と態度は三十路手前だけどな」
毒のつもりか。褒めてるのか。どっちだ。
そしてさらに毒を垂らすように、ユイ先生は最後の質問を投げた。
「じゃ、その歯を、お前ならどうやって砕く?」
詰んだ。
アレンの口が「えっ」と言った後、何も出てこなかった。
「だよな!」
ユイ先生は、謎のガッツポーズを決めて満足げに笑った。
「私は思うんだよ。あの時代の技術は現代より発展してたんじゃないかってな? なら、魔王だって歯科治療くらい受けてたかもしれない。つまり──」
「そろそろ、そのへんで勘弁してやりなさい、ユイくん」
声に振り向いた瞬間、視界にレースと桃とくすんだ緑が勢揃いして襲ってきた。ツインテカフスにツインリングヘア、そしてそのあいだにサンドされている小顔が、にゅっとこちらを覗いていた。なんか、マカロンみたいだった。声の主は、肩から足首までローブに包まれて、教室のドアにもたれかかっていた。
「いや、これからがクライマックスなんですよ。盛り上がってきたところなんで──って、えええ!? アロポス相公様!?」
「だからその“様”が堅いっちゅうに。呼び捨てでええんじゃ。そっちのほうがコスパええし、今どき敬語なんか使っとったら老けるぞ」
ざわっ──と、教室が揺れる。もはや地鳴りかと思うくらい、生徒たちが一斉に声をあげた。
「アロポス様!」「相公様!」「お美しいですぅ!!」
学園のアイドル参上、である。実際、アイドルというよりも、神輿である。みんなの視線を一手に引き受け、ツインリングの揺れ方までが視覚効果バリバリだ。おまけに喋り方が、ちょっと古臭いけど逆に刺さる。つまり、最強。
「ご、ご無礼を! アロポス様はエルフ族の最長老にして──年齢もご本人が分からないほどのご高齢だとか! 我々としては、当然の敬意を──」
先生の平伏スタイル弁明が始まったが、その横をぬるっと滑ってきたツインリングが、突然明るく笑い出した。
「はっはっはっ! そんな固っ苦しいのはもう古いんじゃよ。今は共学の時代、種族なんて関係ない時代。ユイくんみたいな人間がエリオンで活躍しとるんじゃけえ。ワシもちゃんと見とるぞ。うんうん、立派なもんじゃ」
笑うたびにツインリングがふよんふよんと舞い、もはや気流を操ってるレベル。生徒たちはさらに盛り上がった。もはや授業とか関係なかった。
「ま、年の話になるとな……まあ千年は軽い軽い。数えとらんから正確には分からんけど、数える気も起きんからな。それよりユイくん」
アロポスは、ふっと手招きして、ユイの耳元で小さく何かを囁いた。ユイは小さく頷いて、チラッとアレンを見る。
「──というわけなんじゃよ」
謎のわけだ。が、生徒たちにはそれがどうでもいいらしい。アロポスがまた、くるりと向き直る。
「ま、エルフ族の子らもみんな長生きじゃ。言うたら卵みたいなもんよ。ぴよぴよよ。だが、そこのは別じゃな」
と、ウィンク。アレンに。
「ロポおばあちゃん、帰ってきてたんだ!? なんか用事?」
アレンは、半分友達で半分推しみたいなテンションで話しかけた。アロポスは彼のことが結構好きらしい。
「おう、このとおりじゃ。愛称までつけてくれて──って、誰がババアじゃ! 耳引っ張るぞこら。……ま、用件はここでは話せんのじゃ。ユイくん、借りるぞい」
もはや恒例行事のように、教室から不満のさざなみが広がる。
「またアレン!?」
「ズルすぎじゃん!」
「せめて文化祭のヒロインやって!」
でも、そんな声もアロポスには届かない。あるいは届いた上で、完無視している。どっちでもいいけど。
アロポスはアレンの席まで移動すると、がっしり腕をつかみ、なぜか勢いよく窓へと向かって──
「ちょっとアロポス様!? 授業が! あと文化祭の劇のヒロインが! 練習が! ていうか演目が!!」
「あー、補講はワシがやっとく! それに代役くらい、ユイくんでええじゃろ! じゃあのっ!」
ぴゅん、と転移。
抗議の声は、その場にふわふわと残されたまま、教室にやけに似合わない沈黙が一瞬だけ落ちた。
そして──
「……私がヒロインて、どーゆー了見だよ……」
ユイ先生が、遠くを見た。
遠くには、なぜか鳥が飛んでいた。関係ないけど、いいシーンには鳥がいる。たぶん世界の仕様だ。