アヒンサー・スレイヤー|絶対に人を屠る魔剣が、虫をも殺さぬ思想 作:寳田 タラバ
ユイ先生の絶叫と、クラスメイトたちの歓声は、まるで置き去りにされた風船のように、あっという間に風にさらわれていった。代わりに、どんどん広がってくるのは、吸い込まれそうな青い空。
二人はその空の中にぽつんと浮かび、ふわり、ぴかり、すっ──と消えては、また現れる。アロポスの転移魔法は、まるでリズムゲームのステージみたいに、どこか音楽めいた心地よさを伴っていた。
「こうして上から見ると、僕らの都市って本当に丸いね! エリオンって、紅茶でも注げそうな形だよ!」
テンション高めのアレンが指差すのは、空の下でくっきり見える都市の全景。北側の海は光を跳ね返してきらきら輝き、地上はティーカップをひっくり返したようなフォルムで整っている。中央にはお皿みたいにまんまるな首都、そしてその中心には──迷路みたいな建物群と、空へ向かってそびえる一本の塔。あれが、ついさっきまでいた学園都市。
「ほお、新しい角度から見ると、いつもの街も芸術品じゃの。エリオンは国の形が花に似とるから、ピオニーとも呼ばれとる。丸いのは、言うまでもなく首都じゃな。そのど真ん中の輪っかが、学園都市。ええご身分じゃのお前さんらは、ほんに」
アロポスはわざとらしく感心してみせて、指先でひょいと地上を示す。アレンの目には、あの日、父から聞いた言葉がうっすらよみがえっていた。
──識字率は世界最高水準。学問は国家の誇り。教育の質は輸出できるレベル──
そんな、何かのパンフレットに載ってそうな売り文句。
「でもさ、あそこが国のど真ん中にあるせいで、どこ行くにも毎回まあまあ遠いんだよなー。近くも遠くもないっていうか」
アレンがぼやくと、アロポスは「贅沢なやつじゃ」とあきれ顔になる。
「それを悩みと言えるのは、選ばれし民だけよ。部外者は、学園祭でもなきゃ入れんのじゃからな。そもそもショートカットもできん。お主らも卒業したら、その特権とはおさらばじゃぞ?」
「そのときは、ロポのコネにフルダイブします!」
アレンの笑顔は、悪びれた気配ゼロ。アロポスは一瞬目を丸くし、それから堪えきれずに爆笑した。
「なっは! 小賢しいにもほどがあるわ! でもまあ──そのくらい図太い方が、こっから先の世の中、生きやすいのかもしれんのう」
二人の声は、くるくると回る風に混じって、空の彼方へ流れていった。
まだ旅は途中だ。転移の魔法が弾むたび、青空の景色はどこまでも、次のページをめくるように姿を変えていく。
次の瞬きで、アレンが立っていたのは──なんとも言えない、怪しい空気の漂う木造ホールの真ん中だった。
ホール、と言っても優雅な舞踏会が開かれるわけじゃない。むしろ、うっかりすると背後から「見えざる手」が肩を叩いてきそうな、そんな場所。
天井はおそらく十メートル。いや、気分的には十五メートル。けれど、その半分の高さには既に無数の本棚がずらりと並んでいて、左右に、前後に、限界を忘れた配置で幾重にも連なっている。そして──どういう物理演算を経たのか、天井からもまた本棚がぶら下がっている。いや、浮いてる。たぶん浮いてる。物理法則はここではオフラインらしい。
その中心に、ぽつんと置かれた木の机と椅子が一脚。どちらも一人用、つまり「来客歓迎度ゼロ」。机の上には、まるで蕾を閉じた花のような形をしたランタンが一つ、控えめに明かりを灯していた。明かりのくせに、部屋を照らす気はあまりないらしく、せいぜい「迷子になるなよ」くらいの最低限の輝度。
本棚だけでも圧巻なのに、周囲の床には、さらにそれを補うように本の山・山・山。積み上げられた本の塔は背丈を軽々超え、しかし意外と崩れない。物理法則、やっぱりログアウト中。
その隙間を縫うように、人がようやく通れるだけの通路。アレンの視界はほとんど迷路の中にいるかのような錯覚を覚えた。
足元には、アプヤヤ産の手織り絨毯。やけに高そうでオリエンタルなそれは、ランタンの灯に照らされて時折模様が浮かび上がり──また次の瞬間には、ふっと闇に沈んでいく。まるで呼吸してるみたいだった。もしくは見てはいけないものを見た時の顔の消え方。
一見すると、ここは完全にダンジョン。地図の隅に「ここには二度と来るな」とか書き込まれるタイプの場所。
──でも、アレンにとってはわりと普通。
というのも、ここにはアレン、下手すると自室より頻繁に来ている。だってここ、アロポス管理の図書館。言ってみれば彼女の巣。
アレンが感傷に浸る間もなく、どこからともなくふわりとアロポスが現れた。空間のすき間から滲み出てきたかのように。魔法使いにありがちな登場ムーブである。
彼女は無言のまま、アレンの前をすたすたと通り過ぎ、机の方へと歩いていく。
机のランタンが、彼女の背中をふわっと照らした。
「何を語るにも、ここが一番じゃ。落ち着くのう、ここは。アレン殿下もそう思うじゃろ?」
桃色のツインリングからぴょんと飛び出したアホ毛を、指先でくるくると巻きながら、アロポスは満足そうに頷いた。その顔はどこか誇らしげで、自分の秘密基地を案内している子供のようにも見える。おまけに年齢的には立派な秘密結社の黒幕枠なのだから、なおのことタチが悪い。
「殿下とかやめてよね。それにしても、ほんと小綺麗で、素敵な部屋だよね。僕も、この国ではここが一番好きかも」
「はん!? 馬鹿にしたな?」
ぷくーっと頬を膨らませて、アロポスは腕組みしながら仁王立ち。こっちは文句ひとつ言わずに褒めてるというのに、このリアクションである。怒ってるのか甘えてるのか、もはや怒ったふりしてるのか甘えてるふりしてるのかも判然としない。
「してないしてない。それで、話って何?」
アレンは小動物でも撫でるように、ぽんと彼女の頭に手を置いた。身長差も相まって、遠目に見れば完全に『おばあちゃんと孫』の逆転構図である。
「あっ、そうじゃった! すまねえ、すまねえ。最近忘れっぽくてな。認知症かのう」
しれっと被害者ぶりながら、アロポスは机のそばの椅子に腰を落ち着けた。あまりにも自然な流れで座るので、思わず隣に座りたくなる。ここはお茶会会場だったろうか。
「やだなあ、おばあちゃん。夕飯ならおととい食べたじゃない? この国一番の頭脳が何言ってるのさ」
アレンもノリよく付き合う。顔を伏せて、手のひらをひらひらさせるその姿は、なかなかの演技派である。
「むう、また馬鹿にしおってからに!」
再びの抗議モーション。だが、今度はすぐに表情が引き締まった。ぷりぷりモードから、ぴたっと真顔へ。
ほんの一呼吸で、場の空気が変わる。
「実はな、エリオン近郊で、侵入者がおったのじゃ」
その声に反応して視線を戻すと、アロポスは机の上から、こつ然と消えていた。驚く暇もなく、本の塔の間から布をこすれるような音が聞こえる。どうやら、気づかぬうちに本の迷宮に潜り込んだらしい。忍者なのか。魔法使いじゃなかったっけこの人。
「学園祭の関係者じゃない侵入者が二人おってな。捕まえようとしたんじゃが、奴ら、爆炎魔法で自死しおったわ。危うくわしまで巻き込まれるところじゃった。相当なやり手じゃぞ。はあ……悩みが尽きんわい。最近はタンラン周辺もきな臭いしのう。また戦争じゃなきゃいいが」
声だけが、本棚の迷路のどこかから届く。しかもやたらとサラウンド音響なので、視線が勝手に上下左右に泳ぐ。姿が見えない分、不安が倍増する仕様。しゃべってる内容が内容なので、なおのことよろしくない。
「物騒だね。その侵入者ってどんなやつだったの?」
「二体とも、頭から足の先までまるでわからん。死体を見ても、炭化しすぎて男か女かも判別できんかった」
なんとも夢のない情報。もっとこう、背中に謎の紋章があったとか、見知らぬ言語をつぶやいたとか、そういうのを期待したアレンの胸はしぼむ。爆炎魔法、恐るべし。
「手がかりなしってことか。あとタンランって、西の大国だよね? あのお金にうるさい国?」
「そうじゃ、タンランは西方の国。金の亡者の巣窟と言われるだけある。奴らは魔物の使役具を独占しとるから、金なら腐るほどあるはずなんじゃが、それでも足りんらしいわ」
「らしいね、父様も言ってたよ。『歩けば銭の音がする国』だって。それにタンランと交渉するなら、まずコストの話をしろ、ともね」
金の匂いしかしない国家の話をしているはずなのに、アロポスの返事は一拍おいて、明後日の方向から飛んできた。
「ところでアレン。夕飯は毎日出せよな。ボケが古典的じゃの、どこで覚えた?」
突然、過去の軽口に対する時差ツッコミが入った。しかも、なぜか本棚の陰からである。話題が本棚の迷路をぐるっと回ってきた感。
「ボケはロポの本棚にあった小説に書いてたよ」
「有害図書はロックをかけているはずじゃが?」
今度は本棚経由での抗議。もはや本棚が感情を持ち始めている気すらしてくる。
「規制って突破するためにあるんだって偉い人が言ってたっけな?」
「やかましいわい」
怒声という名の雷鳴が、棚の狭間で鳴り響く。が、そこに恐れを抱いたアレンは、瞬時に話題を元の路線に引き戻す。よく訓練された王子だ。
「それで、侵入者事件の方は迷宮入りしそうなの?」
「一応、一体は国の鑑定治癒術師に依頼をかけておるが、あの有様では望み薄じゃろうな。それにしても、他のもう一体は……。まあ、あの国のネームドの噂も絡んでおるようじゃがの」
声が一瞬、低くなる。棚の隙間からしゅるっと何かが這い出てきそうな空気感。情報と一緒に不穏も漏れている。
「ネームド?」
素直にぽかんとしてしまったアレンに、アロポスは机の向こうから、心底呆れたような顔をひょっこり覗かせてきた。