アヒンサー・スレイヤー|絶対に人を屠る魔剣が、虫をも殺さぬ思想   作:寳田 タラバ

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Trace Ⅱ

「む? ユイくんに習わんかったのか?」

 

「最近忙しくて……講義、寝ちゃったんだよね。それにロポの話が面白すぎて」

 

「感心せんのう。それに、わしを言い訳に使うでないわ」

 

「言い訳じゃないよ! 本当に楽しくてさ、夢中になっちゃうんだ」

 

 心のこもった誉め言葉を素直に受け取れないのは、長生きの副作用かもしれない。アロポスは困ったように眉を寄せたかと思うと、すぐに「あー、もう」と肩をすくめた。

 

「……仕方ないのう。ネームドというのは、諱付きの武具のことじゃ。七つの国が一つずつ持っておる。どれも国の礎となるほどの力を有しており、知性まで備えとるとされる。一説では、創世記の時代から存在するとかのう」

 

 説明モードに入ると、彼女の声はどこか講義室のそれに似てくる。聞いてる側は脱落しがちだが、今回はちゃんと聞いた。

 

「エリオンにはないの?」

 

「わしの知る限り、ないのう。……まあ、わしがネームドみたいなものかもしれんがな!」

 

「それはどうかな」

 

 軽く流すタイミングを間違えなかった。が、次の瞬間にはもう姿がない。まるで返事と引き換えに透明になってしまったみたいだった。

 

「ちなみにじゃが、当のタンランのネームドは『ゴルド卿』と称されとる。黄金を操るとかなんとか言われとるんじゃ。お主もいずれ王子として外交するじゃろうから、知っとけ。とはいえ、ネームドの詳細はどの国も国家機密じゃが、あのタンランだけは妙に情報が出回っとる。内部からリーク情報を売る輩がいるらしいわ」

 

 この図書館では、本より人の方が消えたり現れたりする。声だけがあちこちから聞こえてくるこの奇妙な現象も、もはや日常だった。アレンは椅子をきぃ、と引いて、深く座り直した。

 

「やだねえ、金、金ってさ。そんなに金が大事?」

 

 誰に言うでもなくつぶやく。が、言ってから思い出す。ここにはひとり、絶対に聞いている相手がいるのだった。覗き込んだ本棚の隙間は、やっぱりぎっしり本で埋まっていて、そこに手を突っ込む勇気はなかった。倒したら終わり。アロポスの説教は一時間コース確定である。

 

「金が全てじゃとは言わんが、ある側面ではそれもまた事実じゃ。タンランは特にその典型じゃろう。我らがエリオンに近いこともあって、あの国の動きは見過ごせん」

 

 今度は後ろからの声。もしかしたら、アロポスは図書館全体の空気にでもなったんじゃないかと思えてくる。そんな高度な魔法、あるいは嫌な冗談。

 

 ちょっと意識を現実に戻そうと、アレンは手元に視線を落とした。ちょうど机の端に、なにやら目を引く表紙の本があった。金髪の美女が水着で腰に手を当ててポーズをキメている。国の重要参考資料にしては、視線のやり場に困るタイプの装丁だった。

 

「……これも大事な資料ってやつ? ロポ、こんな本まで読んでるの?」

 

「ん? ああ、それか。参考資料じゃよ……隠しておいたんじゃが、忘れとったな。あ、あったあった! これがその手がかりじゃ! って、うわあっ!」

 

 次の瞬間、悲鳴とともに派手な音が鳴り響いた。崩れたのは、右前方の本の塔。とても優雅とは言いがたい崩壊音だった。

 

「ロポ、大丈夫!?」

 

 アレンは読んでいた本を机にバシンと投げつけ、椅子をけちらして立ち上がった。緊急時における貴族らしからぬ全力行動である。

 

「ふう、危ないとこじゃった……。む? 椅子はちゃんと起こしておけ。それから、本は丁寧に扱え。この部屋の資料はどれも貴重なんじゃからな」

 

 下敷きになったはずのピンク髪が、なぜか次の瞬間にはアレンの真横に立っていた。なんだこの存在の移動速度。アレンはその瞬間移動にびくっと肩を跳ねさせた。

 

「うわっ! もう、いいけどさ! とにかく気をつけてよ、ロポ!」

 

「む? まあ後で積み直すからええわ。それより、これを見てくれ」

 

 言いながらアロポスが手元の紙束をふわりと放ると、それはまるで魔法のように空中でほどけて、ふわふわと舞いながら、ちゃんと一列に並んで停止した。焦げた紙もちらほら。その中の一枚を指差し、アロポスが示したのは──タンラン語の記述だった。

 

『エルフの国、エリオン周辺で瞬間的に極大な魔力反応を検知。数秒で消失』

 

「極大な魔力……? それが消えた? まさか……」

 

「ああ、そのまさかじゃと、わしも睨んでいる。このタンラン語の紙は、さっきの侵入者から唯一回収できたんじゃ。一緒にこれも焼こうとしたんじゃろうが、熱風で飛ばされて逃れたようじゃわ。ただ、ところどころ焼け落ちとる。ある程度復元に時間がかかっての。読了次第、ワシの独断で、すぐさまタンランとエリオンの間をくまなく捜索したのじゃが、特に得るものはなくての。タンラン側が何を企んでいるかわからぬ。が、よからぬことじゃろうて、悟られんように戻ってきた」

 

 喋りながら、アロポスは紙を叩く。トントントンと、人差し指でやたらと。イライラしてるときのロポの定番ムーブである。

 

「謝ることがある。殿下、申し訳ない。先ほど一体の遺体は鑑定治癒術師に依頼をかけたが、もう一体は何故か跡形もなく消えとった。誰かを使わしてなんとしてでも周辺を探索し、回収するべきじゃったが、殿下も分かっとるように最近国内も信じれるものが少ない」

 

「え、誰がどうやって……。見間違いじゃないの、ロポ。実は一人だったとか」

 

「ワシが駆けつけた時は、すでに爆炎魔法の詠唱中で、詠唱時の光が二人分のシルエットをしていた。あまりに光の苛烈さに、魔法の威力を鑑みて、少し離れた物陰から観察していたんじゃが、見間違いではないはずじゃ」

 

「そうか。でもそれを聞く分には、侵入者の同士討ちってこと?」

 

「殿下。シルエットしか見えなかったのじゃ。他国同士の小競り合いも可能性がある。周辺施設の管理者の可能性も考慮して、連絡はしているが、今の所返事はない」

 

「いずれにしても、良いことはないって話ね」

 

「ああ。至急調査せねば。して、その紙の続きじゃが、その魔力は、各国が有する最大の軍事兵器《ネームド》に匹敵、またはそれ以上じゃったと綴られている」

 

「そんな魔力! 我々が気づかないわけがない!」

 

「それが、そうでもないんじゃ。観測された日付を見とくれ」

 

 

 観測された日付は、四年前の八月一日だった。

 

「ボクが十歳の時の夏、そうか。お父様が」

 

 記憶の奥の扉が、きぃ、と開く。あのときの光景がぶわっと溢れて、声が上ずった。思い出というやつは、いつだって不意打ちで胸を突いてくる。

 

「そうじゃ。国王が、凶刃に抗った日じゃ。辛い思い出をぶり返して申し訳ない。ワシもあの時、不在にしていたとこを、今でも悔やんでいる。あの日ワシさえいれば、ルイスは今も前線に立っとるじゃろうに」

 

 アロポスは、すとんと肩を落として、視線を床に向ける。いつものロポなら「うっかり怒ってたら手が出ちゃった☆」みたいな顔をしてるところだが、今回は違う。どんより沈んだその背中は、まるで世界の重さを半分背負わされたようだった。

 

「大丈夫だよ。父様は、他国の使者とも会話できる様なくらいには精神面、肉体面ともに快復してきているしさ。たまたま現場近くにいたからって、国連平装から除隊してでも駆けつけてくれたユイ先生のおかげでもあるけどね」

 

 そう言って、アレンはそっと両手でアロポスの肩を支えた。がくりと沈んでしまいそうなその肩を、ぎゅっと抱え上げるように。気丈な言葉の裏に、いまだ疼く傷が隠れているのは、おそらく本人も気づいていない。

 

 ユイ先生──正式には、国際連合平和維持装置・元医務総監。肩書きだけで本が一冊書けそうな人だけれど、普段はそれを全く感じさせない軽やかさの持ち主。現場担当じゃないのに、偶然近くにいたからと光速で駆けつけてくれたのだという。人類規模の偶然が、アレンの父を救った。

 

「そうじゃな。医務総監という立場を捨ててまで来てくれたユイちゃんに改めて感謝せねば」

 

 アロポスの目元に、きらりとひとしずく。だけど、それを誤魔化すみたいに、無理やりつくったような笑顔を浮かべた。この国の砦。そう呼ばれるだけの重圧を、その小さな背中で支えてきたのだろう。

 

「確かにこの日なら、国中、いや世界中が混乱していたからね。気づかなくても、訳はないか」

 

 アレンの口からこぼれたため息は、たぶん本人が気づくよりも先に、部屋の空気を冷たくした。

 

「そうなんじゃ。そしてこの魔力の正体だが、おそらく」

 

「「封牢か」じゃ」

 

 二人の声が、ぴたりと重なる。ひとつの単語が、図書館の静寂を震わせるように響いた。

 

 その言葉だけで、空気の色が変わる。

 まるで、図書館の薄明かりがひときわ暗くなったように感じるのは──きっと気のせいじゃない。

 

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