タダとフロルの子供達は全寮制の学校に入り、タダとフロルは再び惑星開発専門の宇宙飛行士として働き始めた。超光速通信網のおかげで家族は何光年も離れていても毎日バーチャルルームを使用して家族の団らんを続けていた。
子供達が高等部に進んだある日、タダとフロルの乗る宇宙船で事故が起こった……。

※こちらの話も設定の説明を加えましたが、前日譚となる「学びもまた楽しく」をあらかじめ読んでいただけると状況が鮮明になると思います。


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第1話

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「リーファスフェルド・フロル・レーン!」リーファはバーチャルルームに入るや否や誇らしげに名を名乗った。

「あれ?」毎日ファミリータイムに入るバーチャルルームには誰もいなかった。

だいたいリーファが使っているバーチャルルームには4人しか登録されていない。タダとフロルとその子供達のリーファとエリだ。

リーファは時計を見上げてその理由がわかった。なぜか今日は普通の時間よりも30分も早くバーチャルルームに入ってきてしまったのだ。その理由も思い出せた。今日は宿題を手早く昼休みに仕上げてしまったからだ。

――ま、いいか。

いったん出ようかとも思ったが、リーファはソファに座ったまま、1人でここで待つことにした。

 だいたいバーチャルルームに入るのに名前を名乗る必要はない。リーファは何度かシベリース学生連合が主催する10万人規模の広大なバーチャルルーム(ルームというよりもはや都市だった)に入った事もあったが、AIは誰1人間違える事なく認識しログインできて活動できた。今いるのは個人の4人のみのバーチャルルームだ。だからリーファが名前を名乗ったのは、必要だからではなくて単にリーファが自分の名前が好きで誇りを持っているからに過ぎなかった。リーファは母がさんざん考えて付けてくれた自分のヴェネ語の名前が大好きだった。

 

 タダとフロルの子、リーファとエリが通う学校は全寮制だが、初等部では毎晩ファミリータイムに超光速で通信できるバーチャルルームに入って家族の団らんをすることが義務づけられていた。中等部や高等部に上がると家族の団らんは義務ではなくなる。しかしリーファとエリと両親のタダとフロルは今でも毎晩ファミリータイムにバーチャルルームを利用して、家族の団らんを続けていた。特にタダとフロルは不規則な宇宙船での業務の中でなんとかいつも時間を合わせてファミリータイムに参加していた。

 

 リーファは周りを見渡した。いつもは話すのに夢中であまりしっかりとバーチャルルームを見ることは少なかった。バーチャルルームは使用者がデザインを自由に変えることができる。フロルは家族のバーチャルルームをリーファとエリが生まれ育った、そしてタダが幼い頃から育った、あの海辺の家のリビングにできるだけ似せて設定した。同じ色の壁紙と床。同じ色のソファ。そしてタダはあるとき庭の映像を丸一昼夜かけて撮り、その庭の映像が壁一面にはめ込まれていた。だから本当にあの我が家のリビングにいるような感覚になる。庭の映像はほとんど動きもないが、よく見ると風に木々の葉がゆらぎ、時々野鳥が飛んできたし、雲がのんびりと移動していた。長期休暇になると必ずこの家に戻る。そして本物のリビングで一緒に食事をしたりおしゃべりをしたりする。

――この家は本当にいい思い出がいっぱいだな。

リーファはそう思って微笑んだ。

 

「あれ、リーファ?早いな」フロルが入ってきた。簡易宇宙服を着ている。という事は今日の業務は終わり、宇宙船内で休憩の時間だという事だ。

「パパは?」リーファが聞いた。タダはバーチャルルームにいつも一番乗りして子供達が来るのを待っていたからだ。時にはバーチャルルームで端末を使って仕事をしながら待っている事もあった。

「タダはついさっき、急に予定外の船外活動の仕事を頼まれてさ。ブツブツ言ってたけど、ファミリータイムの後にはやりたくないから、先に済ませるって出て行ったよ。だから少し遅れるよ」

「ふーん」

 

「エリルナチェルヌム・フロル・レーン!」続いてエリが名前を名乗って学校の寮の自分の部屋から入ってきた。むろん名前を名乗る必要は全くない。

「ねえねえ、今日のニュース見た?銀河連邦のやつ」エリは不満げな表情で話し始めた。

「紛争地域にもっと平和維持活動のためのスタッフを送れってやつ?」

「うん、なんでシベリースは平和なのに人もお金も出さなきゃならないのさ」

「そうだね。でもさ、余力のある所が送らないとね。シベリースが本当に平和で犯罪率も低くていい所なのはラッキーだと思う」フロルが笑いながら言った。「オレの星なんてしょっちゅう戦争ばかりしてたよ」

「知ってる。だから昔の人が男になれるのは長子だけって決めたんだよね」

「まあ、女を増やしたからって本当は平和になる訳ではないってわかってきて今じゃ封建的なヴェネでも性別自己決定法ができたしね」

「パパはシベリースが平和なのは直感力を持ってる人が多くて、大規模な犯罪がすぐにバレてしまって計画しにくいからだって言ってたよ」リーファが熱心に話した。

「やあ、遅くなってごめん」不意にタダが入ってきた。フル装備の分厚い宇宙服を身につけている。

「ごつい格好してるな。仕事終わったんだから着替えてくればいいのに」フロルがからかうように言った。

「これ、脱ぐのに10分はかかるんだぜ。ファミリータイムが終わってからゆっくり脱ぐよ」タダも笑いながら言った。

 その次の瞬間子供たちは恐ろしい光景を目にした。

「きゃっ!」フロルの叫び声が聞こえた。そしてそれと同時にフロルの下半身がまるで爆発したかのように霧のように細かく千切れて消え、上半身が右上のありえない方向に飛ばされて消えた。

「フロル!」タダは叫ぶとフロルの方に向かってジャンプし、彼もそのまま消えてしまった。

「えっ?パパ?ママ?」エリが悲鳴を上げた。

「ステータス!」とっさにリーファが叫んだ。空中に四人の名前と顔のアイコンとその横に状態を表す4つの円が現れた。

 

 ステータスは文字通り、参加者の健康状態を表に表す機能だ。しかし最初に2、3度使っただけで、すぐにこの機能を使わなくなってしまった。これは多人数のバーチャルルームで管理者が参加者の健康状態を知る時に使われる機能だ。しかしリーファ達はいつ見ても4人の横に健康状態良好の緑の丸しかないのですぐに使わなくなってしまった。このファミリータイムでステータスコマンドを使ったのは、最初を除けば1回のみ。中等部だったある日、エリが体調が悪いと言った時にタダが「ステータス!」と4人の表を呼び出した時だ。

「うわ、エリのステータスが黄色になってる。初めて見たなあ」フロルがおもしろそうにのんびりと言った。

「初めて見た、じゃないだろ!エリ、すぐにルームを出てドクの所に行くんだ!」タダが怒った。

「大丈夫だよ。いつもみたいに話したい。これが終わったらすぐにナースのとこに行くから」エリは少し熱っぽい顔をしながら言った。

 

 そんなのがステータスコマンドだった。緑が健康、黄色が軽症、赤が重症、そして黒が死亡だった。

 

 リーファがステータス一覧を呼び出すとフロルの横にはいつもの緑ではなく赤丸があった。

フロル——重症。

「ママ‥」エリが震える声で言った途端にビーッと大きなアラームがなり、フロルの横の赤丸が黒丸に変化した。

フロル——死亡。

 

 タダの姿はなかった。

「パパは‥大丈夫なんだよね」エリが震える声で言った。タダの姿は見えないが、タダのアイコンの横には「ログインしていて健康」を表す緑の丸が表示されていた。

「エリ、そっちに行く。待ってろ!」リーファは叫ぶとゴーグルを取り小脇に抱え、部屋を飛び出した。

 

——僕の方がエリよりも11ヶ月年上なんだから。だから僕はエリを守ってあげなきゃ。

 

 年上とは言っても同学年で年も一年も違ってない。本当に小さい頃はリーファにできてエリができない事はいくつかあったが、エリはあっという間に何もかもリーファに追いついてしまった。2人が学校に入る時にタダはもう2人は年上とか年下とか考えなくていい、同じだよと宣言した。

 ——でも今は僕は年上としてしっかりしなきゃいけない。エリのところに行ってエリを助けなきゃいけない。

リーファはそう思って全力で走った。

 

 同じ寄宿舎だから2人の部屋はそんなに離れてはいない。隣の建物だ。リーファは階段を駆け下りながら先ほど見た光景を頭の中で再現し何が起こったのかを素早く考えた。

 

——宇宙船の事故だ。ワープ中ではなく通常空間だから、隕石かデブリがぶつかった可能性がある。隕石が宇宙船を直撃し、フロルの下半身が飛ばされたんだ。

——ではタダが消えた訳は?

リーファは長い廊下を走りながら情景を思い出して理由を考えた。

——そうか。パパはフル装備の宇宙服を着ていた。宇宙船に穴があき、気圧が低下した。宇宙服は気圧や温度の急激な変化があると首の後ろにたたみ込まれている予備のヘルメットが自動で飛び出して頭部をおおうようになっている。パパの宇宙服は予備のヘルメットが作動し、そしてそれはバーチャルルームに入るためにつけるゴーグルを弾き飛ばしたんだ。だからパパはログインしてるけど、ゴーグルが外れたから消えてしまったんだ。ママの簡易宇宙服も同じ機能がついている。フロルの姿が消えたのもやはり予備のヘルメットがゴーグルを弾き飛ばしたのだろう。

 

 フル装備の宇宙服はあらゆる場合に備えて様々な機能が取り付けられていて、何かの事故で宇宙に放り出されても助かるようにできている。濃縮された酸素はゆうに300時間はもつ。栄養価の高い非常食も背中のパックに入っている。水分は基本的に身体から回収してフィルターを通して再利用するからほぼ無限にもつ。宇宙に放り出された場合は電波を発信して救助を待てるようになっている。ただ宇宙服を着ていても宇宙に放り出されて救助を待つのは精神的に非常に困難だ。だから強力な睡眠薬もセットされていて基本的には眠って待つ。実際事故で放り出されて眠って待ち、10日後に救助された例もあった。

——パパはママを助けに行ったんだ。だからパパは大丈夫だ。

 

 やっとエリの部屋に着いた。ドアをバタンと開けると同時にリーファはゴーグルをつけ、素早くエリと同期させるとエリの手を握りしめてバーチャルルームに入った。

 ルームにはタダの姿もフロルの姿もなかった。目の前にはこの非常事態にはまるで似つかわしくない、明るい我が家のリビングと広い庭が広がっていた。

「パパは大丈夫なんだよね」エリが弱々しい声で言った。タダのステータス画面にはいつも同様アイコンの横に緑の丸が表示されていた。リーファはその下のフロルの横の黒丸を見ないようにした。

「ここに名前があるって事はパパはまだログインしてるんだよ」

——そしてパパは緑だ。大丈夫‥。

そう思った時、またけたたましくアラームが鳴った。そしてタダの横の緑の丸がぱっと黒丸に変わった。

タダ——死亡。

 

 2人は言葉を失ったまま床にぺたんと座って抱き合っていた。ヴァーチャルルームはそんな状況とは裏腹に明るい陽の光が差し込み、庭の画像からは小鳥の鳴き声が聞こえていた。

「エリ、まずはヴァーチャルルームを出よう。ここにいても何もならない」

エリもうなずくとゴーグルを外した。

ゴーグルを取るとそこは寄宿舎のエリの個室だった。ベッドと勉強机、クローゼットに小さなテーブル。

 

するとドアがノックされる音がした。

「どうぞ」エリが弱々しく言った。立ってドアを開けに行く気力もないようだった。

「ああ、エリ、ここにいたのね!あら、リーファも一緒なの?」寄宿舎での生活をサポートしてくれる寮母だった。彼女はすぐに校長に連絡した。

「はい、ええ、自分の部屋に。それからリーファも一緒にいます」

 

 すぐに校長先生とドクターが部屋にやってきた。

——そうか、校長先生のところにも知らせが行ったんだな。

「エリ、リーファ、ああ、なんて事でしょう!しかもあなた達、ファミリータイムだったのね!」

「先生!」エリは校長先生にしがみついて涙を流した。しかしリーファは校長先生の立場もわかりながらも、そっとしておいてほしいと思った。僕とエリだけにしておいてほしい。校長先生はとても良い人で大好きだけど、両親を一気に失ってしまったショックは分らないだろう。この悲しみを共有できるのはエリだけだ。リーファはそのエリが校長先生にしがみついて泣いているのが不満だった。エリ、君がしがみつくのは僕じゃないのか?そして次の瞬間、そんな事を思った自分を恥じた。

 僕は混乱してるな。

 

「リーファ」校長先生はリーファの名を呼んでそっと頭に手を当てた。校長先生はパパ並みに優れたテレパスだ。

——ああ、なんて言って慰めたらいいのかしら。

校長先生の暖かい感情がリーファを包んだ。リーファはそれを素直に受け入れる事ができず、そんな自分に嫌悪感を感じた。

「ごめんなさい」リーファはつぶやくように言った。自分の利己的な感情が校長先生には見えてしまっているだろうと思ったからだ。

校長先生は首を横に振ると腕と優しい意識と両方でリーファを包んだ。

エリの鳴き声が小さくなり、すすり泣きになってきた。

「無理もない」ドクターが優しく言った。「難しいかもしれないが休ませる事だよ。心も身体も。もう夜遅い。できるならぐっすり眠りなさい。身体が休まると心も休まるものだ」

寮母がホットミルクのカップを2つ持ってきた。

「先生、僕は今日ここでエリと一緒に寝てもいいですか?」リーファはきいた。

「もちろんですとも」先生は微笑んで言った。「すぐに簡易ベッドを運ばせましょう。まずはミルクを飲みなさい」

暖かいミルクは美味しかった。飲み終わった後でリーファはおそらくミルクに睡眠薬と鎮静剤が入っていたなと気付いた。

 雑用ロボットが軽々と折り畳み式の簡易ベッドとリーファのパジャマを持ってきた。

「じゃ、おやすみなさい。でも何かあったら遠慮なく私を呼ぶのよ」

校長先生はそう言って出て行った。

 

 2人は無言で着替えるとそれぞれベッドに潜り込んだ。薬のせいだろうか、たちまち眠気が2人をおそった。その時2人の端末がほぼ同時にヴンと鳴った。エリは身を起こすとタブレットを見てチェックした。

「リーファ、長老からメールだ。『なるべく早く一度こっちに帰っておいで』だって。君の方にも同じものが行ってるはずだよ」

 リーファはもう眠くて「うん」と答えるのがやっとだった。

長老のところに帰る。あの海辺の家に帰るんだ。ヴァーチャルルームじゃなくて本当のあの家に。それはこの大きな悲しみの中でほんの少しだけ暖かく心に響いた。リーファは微笑むと悲しみを抱えながらも深い眠りに落ちて行った。

 

 

 

2

 

 次の日リーファとエリは朝一番に家に帰る事を申し出た。どうやら長老の方からも学校に直接要請してあったようで、朝ごはんを済ませると寮母がもう飛行機のチケットが取れているから確認して旅行の準備をするようにと伝えてくれた。

 

 飛行機で最寄りの空港に降り無人のドローンタクシーに乗り換えて海辺の家を目指した。やがて見慣れた家の屋根が見えた。

 

 ドローンの羽根の音に気がついたのか、玄関のドアが開いて長老が出てきた。ドローンは家の前の空き地に静かに着地した。

「長老!」2人は叫ぶと長老に抱きついた。

「おお、よく来た、よく来た」

長老は2人を抱きしめると家の中へ連れて行った。

 2人は長老を挟んでソファに座り改めて長老に両側から抱きついた。

「おお、よしよし」

伸び盛りの2人はもう長老よりも少し背が高かったが、長老は小さい子にするように2人の頭を撫でた。リーファはその時長老もタダとフロルの死を深く悲しんでいることに気づいた。長老はエリを除けばリーファの悲しみを共有できる唯一の人だった。校長先生には抱きつけなかったリーファは長老には子供のようにしがみついて声をあげて泣いた。

——タダ、ありがとう。

それはリーファの心にいきなり飛び込んできた長老の思考だった。リーファとエリの頭を撫でながら長老はタダの子供の頃を思い出していた。

——ありがとう、タダ。お前を引き取って本当に良かった。独身で子供もいないわしが、子供など育てられるかと思ったが、お前は自分で逞しく育って行った。わしはただ横で見ているだけだった。お前は素直になんでも吸収していった。お前の成長を見るのは楽しかった。

長老は涙を流しながら微笑んだ。

——お前がいたからフロルにも会えた。あの子を一目見た時に、なぜお前がフロルを選んだかよく分かったよ。あの子はいつも周りの人の心を暖かく包んでくれた。

長老はリーファとエリの肩を抱き、背中を優しく撫でながら思った。

——お前がいたからリーファとエリにも会えた。赤ん坊の頃からどんどん大きくなるのを見るのは実に楽しかった‥‥。

 

——やっぱり家に帰ってきて本当に良かった。

リーファは思った。悲しみを共有できる人がいるのが単純に嬉しかった。

 

 リーファとエリの泣き声はだんだん小さくなり、時々思い出したようにすすり泣いていた。

 長老は立ち上がると「お茶を淹れよう」とポツンとつぶやいた。

 棚には茶葉を入れた透明な瓶がいくつも並んでいた。普段から長老はお茶を淹れる際には2種類か3種類の茶葉を調合してお茶を点てるのだが、この時は時間をかけていつもよりもさらに多くの瓶から少しずつ茶葉を加えて湯を沸かし、茶葉に慎重にお湯を注いだ。そして水色を真剣に見つめると、ちょうど良いところでカップに注いだ。

 そのまま出すかと思いきや、長老は棚の奥から別の瓶を取り出した。

「ハチミツ!」エリがつぶやき、2人は顔を見合わせてクスッと笑った。

 

——あ、またハチミツ入れてる!

声が聞こえてきそうだった。

シベリースのハーブティーはハチミツや砂糖を入れずに飲むのが普通だが苦味があって子供にはちょっと辛い。リーファとエリも子供の頃は必ずハチミツを入れてもらっていた。

 しかし長老は子供達が学校にあがってもハーブティーにはハチミツを入れた。その度にタダは「まだハチミツ入れてる!」と大袈裟にあきれて見せた。「僕の時には学校に行くようになったらハチミツなんか入れてくれなかったのに!」と。

 

 学校で中等部に上がる頃、クラスにハチミツなんかいらない、苦いのがいいんだ、などと言う生徒もいて、なんとなく皆背伸びをしてハチミツを入れなくなってしまった。高等部になった今は苦味がかえって良いと思えるようになったが、この時は長老がたっぷり入れてくれたハチミツがありがたかった。

「さ、どうぞ」

長老が出してくれたカップを手に取るとお茶の良い香りに包まれ、心が落ち着くのが感じられた。そっとカップに口をつけるとお茶の苦味とハチミツの甘みがうまく混じり合い一口飲むごとに気分が落ち着いていった。

 

 その日は軽い食事をとって早めにベッドに入った。子供部屋は久しぶりだったが、まるで変わってなかった。子供部屋はリーファとエリが共用していた細長い部屋だった。2人が大きくなったら2つに分けるつもりだったが、2人は全寮制の学校に入ってしまい、長期休暇も旅行したりキャンプに行ったりで、部屋をリフォームするのは後回しになったままだった。

 長老はまずエリのベッドの脇に座り手を取るともう一方の手で優しく髪を撫で何かささやいた。エリはすぐに眠ってしまった。次に長老はリーファの枕元に座り同様にした。リーファもあっという間に眠気がさして最高に気持ち良く眠りに落ちていった。

 

 次の朝、リーファはカタンという小さな音で目を覚ました。起き上がるとエリが部屋の中央で床に座っていた。細長い部屋はそれぞれの端にリーファとエリのベッドが置かれ、その横には子供用の小さな勉強机と子供用のクローゼットが一つずつ置かれていた。部屋の中央部は2人の共用部分で壁には天井まで作り付けの棚が設置されてあり、絵本やおもちゃの入ったかごが一杯収納されていた。おもちゃはつみきやロボットやロケットから人形やドールハウスなど様々だった。しかし2人の一番のお気に入りはブロックだった。そしてエリはそのブロックを引っ張り出して遊んでいた。

「あ、起こしちゃったかな」エリは少々気恥ずかしげにリーファの顔を見て言った。

「ブロックかあ」リーファも横に座り込んで懐かしげにブロックを手にした。

「ねえ、覚えてる?ロケットと基地作った時の事」

「もちろんだよ!」

 

 それは2人がまだ学校に行き始める前、父と母の操縦するフロル号に乗って、母の星ヴェネまで行って帰って来た時の事だった。家でブロックを見ていてリーファはブロックでフロル号を作れないかと思い一生懸命考えて作り始めた。

「おや、すごいもの作ってるな。フロル号かい?」タダがやってきて聞いた。

「それじゃ、僕は母船を作る!」エリは横でブロックを集めると作り始めた。

タダは笑って見ていたが、そのうち「じゃ、僕は宇宙基地の司令塔を作ろう」と建物を作り始めた。

「あ、おもしろそう。じゃ、オレ、基地全体をまとめるよ」とフロルも加わった。

 4人はおしゃべりもせずに黙々とそれぞれブロックを組み立てた。タダは時々子供達を見て曲線部分はどのブロックを使うとよいとか、時々全体のバランスを見るんだよとかアドバイスした。

 たくさんあったブロックはどんどん減っていった。タダは途中で追加のブロックを注文した。それも2回も!

 注文して30分もたたないうちに配達用ドローンがブロックがいっぱい入った大きな箱をいくつも運んできた。

「ご飯ですよ!」育児ロボットのナニーに叱られて4人はやっとダイニングでお昼を取り、午後もブロックに没頭した。夕方またナニーに叱られてみんなで手早く夕食をとった後、またブロックに没頭して、宇宙基地はその日の夜遅くに完成した。確かに基地の司令塔に比べるとリーファの作ったフロル号は大きすぎたし、エリの母船は左右が対称でなくて歪んでいた。でも4人は出来栄えに大満足だった。

 今、2人はその時の事が思い出されて自然と微笑んでブロックを組み立てていた。

 

「1週間ぐらい何もせずにのんびりしなさい」長老はそう言って2人をしたいようにさせてくれた。子供時代の思い出に浸りながらゆったりと日々が過ぎていった。そして毎晩寝る時には長老は1人ずつ枕元で頭を撫でながら独り言とも呪文とも子守唄ともわからぬ言葉を小声で呟きながらまるで小さな子供にするように寝かしつけてくれた。長老に頭を撫でられると、なぜか心が落ち着いて毎日真っ直ぐに眠りに落ちていけるのだった。

 

 2人は楽しかった子供時代を思い出すように毎日昔楽しんだ様々な遊びを繰り返した。宇宙船やロボットを丁寧に手入れをして並べ替え、ドールハウスの模様替えをした。庭でオレンジの木に登って実を取って食べたし、庭でドローンを飛ばした。部屋の中でプロジェクションマッピングをデザインして子供部屋の壁に映し出した。また2人で海辺に行き泳いだり潜ったりし、魚と貝を取ってお昼ご飯にした。全て子供の時に両親が——特にタダが——教えてくれたものばかりだった。

 

 あっという間に毎日が過ぎていった。ある日朝ごはんを食べている時、エリが「今日はキャンプに行きたい」と言った。

「そうか、では気をつけて行っておいで」長老は優しく言った。

 

 キャンプは近所の山だった。子供達が両親に連れられて最初に行ったキャンプだ。もちろん他の山にも登ったが、1番近くて手軽なので何度も登った山だ。

 2人はリュックを背負って出かけた。川辺でかまどを作り手際よく火をおこし、持ってきた肉と野菜を焼き、登ってくる途中で道々採った木の実や果実を添えた。食べ終わると湯を沸かしてハーブティーを淹れた。

 食べ終わると2人はかまどをきれいに片付け水を汲んで上の野原を目指した。乾季のシベリースは滅多に雨が降らないし、天気予報は明日まで快晴と言っていたが、2人は父に教わった通り、川べりで寝るつもりは全くなかった。

 

 テントは持って来なかった。陽が沈むと、2人は虫除けの静電気のバリアを張り寝袋に入った。山頂に近い開けた場所で、見上げると満天の星が輝いていた。

「懐かしいね」エリが言った。

昔、いや学校に入ってからも長期休暇にはこの山でキャンプをして4人で寝袋を並べて寝たものだ。子供達を真ん中に挟んで、タダとフロルが外側だった。

「うん、いつも星をずっと見て起きているんだって思うけど、いつの間にか寝ちゃって朝になってるんだよね」リーファも言った。

「星を見ながらいろんな事を話したよね。何を話したかまるで覚えてないけど、とにかく楽しかったな」とエリ。

 2人はしばらく何も言わずにただ星を見上げていた。

「ねえ、僕たちってものすごく恵まれた子供時代を送ったよね」しばらくしてエリがポツンと言った。

「そうだね」リーファも同意した。「今考えるといつもパパもママも一緒にいてさんざん遊んでくれたよね」

 友達の家に行ったり、子供の頃の思い出を話していてそんな事がわかってきた。母親がいつも一緒にいたと言う子は少々いたが、父親もいつも一緒という子はほとんどいなかった。

——なんて濃厚な子供時代だったんだろう!

「毎日絵本を読んでもらったよね」

「うん、パパやママの両膝に1人ずつ乗ってね」

特にお金をかけた訳ではない。でも今振り返ると毎日がきらきらと光っているような子供時代だった。

 

「ねえ、でもさ」リーファが言った。「僕たちの家族の一番良かった事ってとっても仲が良かったってことじゃない?」

「うん、そう思う」エリも同意した。

——家族みんなが仲がよかったし、パパとママは本当に仲がよかった。

「ねえ、覚えてる?パパとママがベランダで抱き合ってるの見ちゃった時の事」

「うん、2人ともものすごく幸せだったよね」

 幸せそう、ではなく幸せだったと言い切れるのはリーファとエリが未熟なテレパシーで2人の感情を読み取ってしまったからだ。

「僕たちも幸せだったよ」エリが眠そうな顔で言った。

 

 キャンプから戻ってくると、2人は子供時代の遊びを一通り済ませたような気になった。それはまるで濃厚な子供時代を1週間で再度体験したようなものだった。

 次の日、子供達は長老に明日は学校に戻ると伝えた。

「そうか」長老は短く答えると戸棚の引き出しから書類の束を取り出した。

「法的な事はわしができる限りはやっておいた。弁護士にも話してある。おまえさん達は成人するまでは何も相続できんが、経済的な事は何も心配せずに学校に通えば良い」

 2人はうなずいた。

「それから」と長老は言って別の封筒を取り上げた。「こちらはクローン研究所からの通知じゃ」

 リーファは身体が凍りつくような気がした。タダは一度だけフロルがいない時に、リーファとエリに自分達のクローン体があるという事を話した。彼はその時それが大したことではないように簡単に一言言っただけで、子供達もそれ以上何も聞かなかった。というよりなぜか子供達もそれが大した事ではないように振る舞わなければならないような気がしたのだ。

 タダもその時に「この事は忘れてしまって構わない」とも言った。「もし必要になったら思い出せばいいさ」と。

 ——クローン

リーファはなぜか身震いした。が長老はその封筒の中身を出さなかった。

「これはまだ後でいい。誰もただ1人の存在だからの。生を受け入れる事は死を受け入れる事と同じくらい重いものじゃ。まだ考えなくていい」

 

 

 

 2人は学校に戻り、自分達も驚くほどあっけなく以前と同じ学校生活に戻っていった。確かに毎日行っていたファミリータイムはなくなったが、2人は勉強を始めやりたい事は山ほどあったので、その時間はあっという間に他の事で埋められていった。

 

 リーファは勉強に没頭した。それは両親の死を考えない事の言い訳のようでもあったし、宇宙大学に入る事は両親との約束を果たすように思えたからだ。それに高等部に上がって勉強の中身が濃くなるに従って勉強そのものが面白いと感じられるようになってきた。エリも同じように勉強していた。

 

 高等部になると生徒の中には週末にも家に帰らない者が増えてきた。学校の図書館で勉強したり、友達とスポーツを楽しんだり、また単に友人とおしゃべりするのも楽しかった。

 しかし次の長期休暇にはリーファとエリは数日間長老の元に帰った。長老は2人が帰ってくると寝る前には必ず1人ずつ寝かしつけてくれた。

 

 いつしかリーファは何か迷った時にパパならどう考えるだろうか、ママならどうやって決めるだろうかと考えるようになっていた。タダは常に全体の情報を組み合わせて最善の方法を考え、じっくりと最適解を考える。フロルはあまり考えずに感覚的に物事を決めていた。リーファもエリも父親譲りの直感力を持っていたが、時にはタダのように最適解を考え、時にはフロルのように感覚によって決めていた。

 

 両親の死から1年が経っていた。リーファはある晩ずっと向き合わずに心の奥底にしまってきた疑念と向き合おうと思った。読んでいた本を閉じ、心の底にしまってずっと敢えて思い出さなかった記憶を引っ張り出した。

 

——あの時、フロルは隕石が下半身に直撃して粉々に吹っ飛んだ。ステータスは一瞬重傷を表す赤丸になり、その後死亡を表す黒丸になった。そこには何の疑問もない。

——問題はタダの方だ。タダはフル装備の宇宙服を身につけていた。

「フル装備の宇宙服は小さな宇宙船だ」父の声が記憶の中で聞こえてきた。「見た目は分厚くてごついけど、相当のダメージでもびくともしない。恐ろしく丈夫なんだ」

そしてあらゆる事故やトラブルに備えて様々なものが取り付けられている。

 リーファはふっとため息をついて意識を集中させた。

——タダは隕石には当たらなかった。少なくともダメージは受けなかった。タダはフロルを追って宇宙船から飛び出して行ったけど、ステータスは緑だった。しかもフル装備の宇宙服を着ていた。

——なのに記録ではフロルの死の2分15秒後にタダのステータスはいきなり緑から黒丸になった。

 宇宙開発会社が後から送ってきた事故報告書はリーファ達が知った情報と矛盾はなかった。宇宙船に直径10cmほどの隕石がおよそ時速120kmという高速でぶつかり、壁に直径1.5mの穴をあけフロルの下半身を直撃し宇宙船を貫通して次は80cmほどの穴を開けて出ていった。フロルは宇宙船からもれる空気の流れに押されて宇宙船の外に投げ出された。タダも同じく宇宙船の外に吸い出されていった。他の乗組員達はすぐに宇宙船を減速させて2人を救助する準備を始めたが、すぐにフロルの生体反応が消え、続いてタダの生体反応も消えた。そのため宇宙船は2人の救助をあきらめ、航路を変更することはなかった。

 それはわかる。宇宙船はものすごい高速で移動していたはずだ。どちらかが生きていれば、全力をあげて救助に向かうが、2人とも死んでしまった以上、宇宙船を止めて遺体を回収するのは割にあわない。

 

――しかしタダの場合、健康体からいきなり死だ。なぜだ?

 ある考えがリーファの心の底に浮かんだが、リーファは身震いしてそれについて考えるのを拒否した。

——まさか。

 

 ある日の授業後、担任の先生が2人に声をかけた。

「リーファ、エリ、応接室に行って。お客様がおいでだそうよ」

「お客?」

「ええ、ご両親のお友達ですって」

2人は校長室の隣の応接室のドアをノックし、「失礼します」と言って中に入った。

 ソファーに座っていた大柄な男性が振り向いて満面の笑みをたたえて「やあ」と言った。その顔を見て2人は同時に「ガンガおじさん!」と叫んだ。

 

 ガンガは穏やかな顔で2人を見つめた。

「2人とも大きくなったなあ」そしてつぶやくように続けた。

「俺は今日はタダとフロルに会いに来たんだ」

2人は顔を見合わせた。

「あのう、おじさん、父と母は‥」

ガンガはそれを制するように手をあげた。

「そりゃ俺だって事故の事は聞いてるさ。俺のところにも連絡がきたからな。でもタダとフロルはクローン体を持ってただろ?」

2人は顔を見合わせて言葉をさがした。

「そりゃ俺だって君たちが事故の一週間後に2人を再生させたとは思ってないさ。でももう2年近く経つんだ」

2人は何も言えずにうつむいた。

「ああ、すまない」ガンガは慌てて言った。「君たちは本当に辛い思いをしたのに俺はなんてことを……」

3人はしばらく沈黙していた。しかしまたガンガが口火を切った。

「だけど、タダは君たちにどんな指示を残していったんだ?」

2人はまた顔を見合わせた。それは実は2人もずっと疑問に思っていた事だった。フロルはともかくタダは何も遺言のような物は残していかなかったのだ。

「じゃ、タダが君たちにクローンの事を話したとき、どんな事を話したんだい?」

「あの、本当に簡単に……」

ガンガは2人の話を聞いて首をかしげた。「どうも解せんなあ。あいつは自分の直感力を使っていつも完璧な計画を立ててきたヤツなんだ。なんでこんな大事な事に関して子供達をほったらかしにしてるんだ?」

ガンガは遠くを見つめていたが、やがてまた口を開いた。

「本人が残していない以上、俺がどこまで話していいものか解らんが……。タダがクローンを持つことを考えたのは、君たちが中等部に上がって、自分たちもテラ系だけでなくまた辺境の星域での仕事を始めた時だったよ」ガンガは優しい表情で続けた。

「ちょうどそのとき、サバ系星域での仕事がはいり、そのついでに2人で俺の星に寄ってくれた事があったんだ。辺境の星域での仕事は危険を伴うがやりがいがある。あいつは『誰も行ったことのない星域に行くだけでわくわくする』って言ってたなあ」

2人はガンガをじっと見つめて話を聞いていた。

「あいつはフロルと君たちを本当に愛していた。でも自分の仕事も愛していた。どちらもあきらめたくないって言ってたよ。…そして彼が出した結論は自分に万一の事があってもいいようにクローンを作る事だった」

ガンガは少しためらった「…これは本当に君たちに話していいのか解らないが…タダが2人のクローンを作った時、フロルが泣いた話は知ってる?」

 子供たちは顔を見合わせて首を横に振った。

「クローンができあがった時にほっとして『僕が死んだら遠慮無くクローンを再生してくれ』とフロルに言ってフロルを泣かせてしまったって言ってた。だから君たちに話すときも慎重だったんだろうな」

2人は初めて聞く話をじっと聞いていた。

ガンガは改めて2人を見つめた。

「クローンを作るのは今でも簡単じゃない。危険を伴う仕事に従事する人に限られるし、申請しても認められない場合もある。認められても費用も結構かかるんだ。タダは言ってたなあ。今までに大きな支出が3度あった。探査船フロル号を購入したこと。君たちの誕生に合わせて2人とも6年近くパイロットの仕事を中断して2人で君たちを育てたこと。それから3つ目がクローンを作った事だった。そしてどれも全く後悔していないと言っていた」

2人は真剣に聞いていた。

「だから、あいつがクローン体を作ったのはどんな事があっても君たちを愛し続けたかったからなんだ。君たちとフロルをね。だからどこかにあるはずだよ。タダが残した君たちへのメッセージが」

2人は黙ってガンガの言葉を聞いていた。

「すまん、俺ばかりしゃべってしまって」ガンガは微笑んだ。

「実は俺は今40代半ばだが、これでもトレドレーガの平均寿命を10年ほど上回ってるんだぜ」

2人は驚いてガンガを見つめた。ガンガは笑った。

「もっともまだまだ死ぬつもりはないからな。トレドレーガの平均寿命は30才前後だが、俺は子供の頃にクロレラ培養を受けているし、普通の人より免疫細胞を多く持っているからまだ生きられると思う」そこまで言ってガンガはふっと黙った。

「俺は大学を卒業してしばらくしてからずっと親父の後を継いでトレドレーガの中央生命研究所の所長をやってきた。昨年娘が所長の仕事を引き継いでくれて、俺はやっと仕事から解放された」ガンガはくすっと笑った。

「まあ研究は死ぬまで続けるつもりだが、娘が所長になってくれて雑用はぐっと減って自由な時間ができた」

リーファは昔のタダの言葉を思い出した。

――ガンガはまるで休みってものを取らずに年中働いてるんだ。所長としての仕事の合間に自分の研究も続けている。休むって発想がまるでないみたいなんだ。

「自由な時間ができて、まずやりたいと思った事は、久しぶりに友人達に会うことだった。まだ生きるって言ったが、いつお呼びがかかるかわからないからな」

彼は微笑んだ。

「突然やってきて悪かった。実は事故から半年ほど経った頃から何度も連絡しているんだが、タダもフロルも一向に返事がなくてね。俺は君たちの連絡先は知らなかったんだが、シベリースの全寮制の学校に入っている事はタダから聞いて知っていた。それで調べて、校長先生に頼み込んだのさ」

ガンガは立ち上がった。

「俺が知っている事を話してよかったのかわからないが、君たちの元気そうな顔が見れてよかったよ。俺はもう行くけど、できたら良い知らせを聞けると嬉しいな」

そう言ってガンガは去っていった。

 

4

 

 その晩エリは久しぶりに1人でこっそりとバーチャルルームに入った。父と母が亡くなって以来、ここにアクセスした事はなかった。ゴーグルをつけてログインすると懐かしい家のリビングが目の前に広がった。

エリは「AIタダ」というとAIを呼び出した。

 2人が中等部に上がった時、タダは今までのファミリータイムの会話をコンピューターに解析させて、AIタダとAIフロルを作った。タダとフロルはこれからはテラ系以外の仕事も受けて行こうと思っていた。辺境の星域では超光速通信でバーチャルルームを使ってリアルタイムで話し合うことはできない。そんな時にリーファとエリの相手ができるようにAIタダとAIフロルを設定したのだ。そしてファミリータイムの会話は圧縮されてタダとフロルの元へ送られ、タイムラグはあるが2人は子供達の様子を知ることができた。

 

「やあ」AIタダが現れてにっこり笑った。

AIタダは本人の今までのやりとりを記憶していて、子供達の話にタダらしく相手をしてくれる。

「パパ、私たちはパパとママのクローンをどうすればいいの?」エリは単刀直入に聞いた。

AIタダの動きが止まった。

――やっぱりね。

エリは思った。AIは通常の会話なら本人そっくりに相手ができるが、想定外の問いを受けると答えるのに時間がかかったり、そもそも答えることができなかったりする。

といきなりAIタダの服装が変わった。今のタダは宇宙大学のロゴの入ったゆったりしたトレーナーを着ている。タダがお気に入りで部屋着としてよく着ていたものだ。

「今、君たちがこれを聞いているという事は僕はもう死んでいる訳だね」タダは穏やかな表情で続けた。

エリは叫んだ。「パパ、これ、AIじゃないわね!録画でしょ!」

AIの声が「そうだよ」と答えた。

「ストップ、ストップ!」エリは叫んだ。タダは凍り付いたように動きを止めた。

エリはゴーグルに付いている通信装置をオンにして叫んだ。

「リーファ、すぐにバーチャルルームに入って!パパの録画を見つけた!」

 

 リーファとエリはバーチャルルームで並んでじっと目の前のタダの録画の画像を見つめていた。

「……もしフロルが生き残っていたら……そのときは彼女の意向を最優先にしてほしい。フロルが僕のクローンを再生したがったら、すぐに再生してほしい。でもフロルがそれを拒んだら……無理に再生する必要は全くない」

 タダはフロルが生き残った場合について細かく指示を続けた。

「幸い……と言っていいのかな……2人とも死んでしまったら、再生決定権は君たちにある。すぐに、という訳にはいかないだろうが君たちがもう一度僕たちに会いたいと思ってくれたら、ためらいなく再生させてくれ」さらに指示は細かく続いた。

「最後に……君たちにはとても辛い思いをさせてしまって本当に申し訳ない。危険な仕事とわかっていても辞められなかった僕を許してほしい。そしてもしクローンでもいいからもう一度会いたいと思ったら、ぜひ再生してほしい。

 リーファ、エリ、君たちが生まれてきてくれて本当に嬉しかった。フロルと一緒に君たちと過ごした6年間は僕の人生の中でも最高の時間だった。心からありがとう」

 

 2人はぽかんとしてバーチャルルームの床にぺたんと座っていた。

「パパ……こんなところに……」

 でもリーファはなぜタダがバーチャルルームの中に録画を置いたかわかるような気がした。自分たちがクローンを受け入れようと思うのにどれぐらいかかるか、タダもさんざん考えたのだろう。そもそも受け入れてくれるのか確信も持てなかったのだろう。そして2人がもう一度自分に会いたいと思った時に会えるようにしくんでおいたのだ。

「エリ、とにかくクローン研究所に連絡しよう」

「うん!」

 

 

5

 

 タダはゆっくりと目を開けた。クリーム色の天井が目に入った。

――やれやれ。記憶を登録しに来て眠ってしまったなんて初めてだな。

ゆっくりと身体を起こしながらタダは違和感を感じてかすかに眉をひそめた。自分の身体のはずなのに何か他人の身体のような気がした。タダは自分の右手を見つめた。確かに自分の手だが……。

「パパ?」声がした。見るとリーファとエリが心配そうな顔をして見つめている。

「おまえ達、なんでここに?」そこまで言った時、タダの意識下では得られた情報が目にもとまらぬ速さで処理されていった。ここがクローン研究所であること。一番最近の記憶は先ほど記憶を登録した事。なのに眠っていて目を覚ましたこと。自分の身体に感じる違和感。リーファとエリの心配そうな表情。すべてが無意識のうちに組み合わさりタダは自分が得た結論を2人に尋ねた。

「……僕はクローンか?」

ところが2人の反応は予想外だった。

「ほらね!」エリは自慢げな表情でリーファに言った。リーファはわかったよ、と言うような表情を見せ、タダに向き合った。

「そうだよ。僕たちはパパがバーチャルルームに残したメッセージを見つけてクローン研究所に連絡したんだ」

 タダは一瞬ほっとしたが、次に心を占めている最大の問題について聞いた。

「……フロルは?」声は微かに震えていた。

「ママは明日目覚めるわ。だから一緒に迎えに来ましょう」エリがやさしく言った。

「完璧だ!子供達!」タダは本当にほっとした明るい表情で言うと、2人を抱きしめた。

「パパ!パパ!」エリとリーファは両方からタダにすがると声をあげて泣き始めた。

「辛い思いをさせたね。ごめんよ」

「ううん、謝らなければならないのは私たちよ。ずっとずっとパパとママを放っておいて」

タダははっとしてエリの顔を見つめた。

「エリ、君……」

「ええ、私は女性になったの」

「僕は男性になったよ」とリーファ。「今から3ヶ月ほど前かな」

「そうか」タダはため息をついた。

「君達が変化する大事な時期に僕はそばにいてやれなかったんだな」

「ううん、何も心配する事はなかったよ」とリーファ。

「そう、パパとママが全てちゃんと教えてくれてたから、何も迷う事はなかった」

「ところで今は一体何年なんだ?」タダは聞いた。リーファの答えを聞いてタダはため息をついた。

「事故から2年近くもたっていたのか」

「ごめんなさい。ずっと何もできなくて」

タダは首を横に振ると再度子供達を抱きしめた。

「しかし‥‥女性か。なんとなく2人とも男性になるかなと思っていた。何かあったみたいだね」

「ええ、あったの」エリはにっこりして言った。「でも話すのは今じゃない。明日ママが目覚めたところで全部話すね」

「素晴らしい!」タダもにっこりした。

「タダトス・レーンさん、体調はどう?」ドアが開いて看護師が入ってきた。

「上々ですよ」

看護師はてきぱきとタダのバイタルデータを取った。

 

タダは2人の子供達とクローン研究所を出て、ひとまず学校の近くのマンションに戻った。ここもほぼ2年ぶりに子供達が借りておいてくれた。

 食事をしながら2人は2年間の様子を話した。またタダだけを先に再生した理由も話した。

「最初は僕たちも2人一緒にって思ってたんだよ。でも次の日にエリがまずパパだけ再生させようって言ってきたんだ」

「クローンの再生は今ではほとんどトラブルはないらしいけど絶対ない訳じゃないわ。それに思ったの。パパは直感ですぐに自分がクローンだとわかるだろう。でもママは話してもわからないかもしれない。そうなったらママには私達よりもパパに説明してもらった方がいいと思って」

タダは微笑んだ。「すごいな。完璧な計画だ。で僕がすぐにクローンだとわかったからドヤ顔してたのか」

「まあね」エリはにやにやしながら言った。

 

 その後子供達はタダの体調を気遣って、早めに寝ようと言いだした。

「そうだね。そうだ、久しぶりに僕のベッドでみんなで寝ないかい?子供の頃みたいに」

「わ、いいね!」

 2人がまだ本当に幼かったころ、海辺の大きな我が家で、2人はいつも夜になるとタダとフロルの寝室に行って、2人の間で寝かしつけてもらった。タダとフロルの寝室はキングサイズとシングルベッドが並んでいるという豪華なもので、子供2人が間に入っても充分にスペースがあった。絵本を読んでもらったり、お話を聞かせてもらったりして寝入るのが日課だった。親たちも子供に合わせて早く寝てしまい、その分朝早く起きて活動していた。

 4人が寝入ってしまうと、育児ロボットのナニーがリーファとエリを1人ずつ抱っこして子供部屋に連れて行った。だから子供の頃は両親の部屋で眠り、朝は自分のベッドで目を覚ますのが日課だった。

「ただ今日はナニーもいないし、僕は君たちをわざわざ運んであげる気もないから朝までここのベッドだよ」

「構わないよ!」

 

 3人はキングサイズのベッドに寝転んだ。子供の頃と違って今回はタダが真ん中でリーファとエリが両脇だった。取り止めのないおしゃべりを続けやがて3人が寝入ると明かりがそれを感知して自動的に最小限の明るさになった。

 

 

 

6

 

 タダは宇宙船の船外活動を終えてハッチから中に入った。タダとフロルが毎日ファミリータイムで子供達と話すために時間を合わせて休息を取るのはクルー全員が知っていて、タイムテーブルを作るスタッフは言わなくてもその時間は2人の任務を外してくれる。なのに今日は船長がいきなりタダにファミリータイムに重なる時間帯に船外活動を命じたのだ。

 実は昨日タダは他のクルー数人と共にこれからの航路について船長に談判した。このE-6830星系はまだ調査が充分なされておらず、実際にワープから出てみると予想外に小惑星が多いことがわかった。大きな物は避けるとしても小さな物は近づくまでコンピュータでも感知できず、ごく小さな物でも事故につながる。タダ達はそれを避けるためにすぐにまたワープに入ることを提案したが、船長は良い顔をしなかった。ワープするには莫大な電力、つまり燃料を必要とするからだ。

 タダは慎重に1人作業を進めながらあの船長との仕事はもう絶対に引き受けないと心に決めた。

 やっと作業が終わり宇宙船の中に戻る。宇宙服を脱ごうとして思い返した。フル装備の宇宙服は脱ぐのにも10分ほどかかる。このままバーチャルルームに入る事にした。

「ごつい格好してるな」すぐにフロルがからかった。

 そのときドオンという鈍い音がして宇宙船が激しく揺れた。「きゃ!」フロルの叫び声が聞こえた。フロルの下半身は粉々にちぎれて散らばり、壁にたたきつけられ、宇宙船のボディに空いた穴に吸い込まれていった。

「フロル!」タダは叫んでフロルの後を追って宇宙船の外に出た。気がつくと予備のヘルメットが作動して頭部が覆われていた。

フロルは目の前に浮いていた。しかし下半身はなく目を閉じていた。タダは肘についている小型ジェットを操作してフロルのところまで移動した。フロルを抱きかかえる。フロルがもう事切れているのは明らかだった。

「……フロル」

後ろを振り返った。宇宙船はすごいスピードで遠ざかっていたが、それでも経験に富んだタダの目には宇宙船が全力で減速しているのが見て取れた。

「……フロル」

もうその目は開かない。はしばみ色の美しい瞳。

しかしこうなることは、いつか起こるかもしれないとタダが想定していた範囲内だった。タダは船外活動に伴いフル装備の宇宙服を身につけていた。救助信号を出せばクルーはすぐにそれを察知して、巨大な宇宙船を減速させ自分を助けに来てくれるだろう。しかしそうやって生き延びてどうするというのだ?フロルなしで?

 昔フロルに自身のクローンを見せたとき彼女は泣いて、自分はタダのクローンを再生できないと言った。タダ自身も生き延びて帰っても自分にはフロルのクローンを再生できないとわかっていた。

ならば取る道は一つしかない。

 タダはまずフロルのヘルメットを外した。もう必要ないからだ。そして次に左手でフロルの身体をしっかりと抱え込むと自分のヘルメットに手を掛けた。

 宇宙飛行士としてタダは宇宙空間でヘルメットを取ったらどうなるか熟知していた。酸素がないのはもちろんのこと、ゼロ気圧とマイナス270°の超低温が瞬時に襲いかかる。タダは数回呼吸すると息を吐き出して安全装置を外し目を閉じてヘルメットを取った。水泳の時のように肺に空気を入れて真空にさらされるとゼロ気圧により肺の空気がすさまじく膨張して肺が破裂するからだし、目を開けていると眼球の水分が沸騰するからだ。しかしヘルメットに手をかけた時、タダの手にためらいはなかった。

 たちまちゼロ気圧と超低温がタダをおそった。身体の表面付近の血液が沸騰し始めた。それでも数秒は身体を動かせるはずだ。タダはヘルメットを捨てフロルの唇に自分の唇を重ねた。しかし彼の唇はもうその感覚を脳に伝える事ができなかった。身体の水分が表面から徐々に沸騰し始めた。肺は酸素を求めて喘いだがもう満たされる事はなかった。幸い意識が遠くなった。意識を失う最後の瞬間、タダは自分のクローン体を思った。

——頼むよ、タダ、フロルと子供達を。そして幸せになってくれ。

そして愛する者たちを世界一信頼できる相手に託す事ができるのはラッキーだと思った。信頼できるはずだ。なにしろ自分自身なのだから。

 

「う、うわー!」

タダは叫び声をあげて飛び起きた。

「パパ、どうしたの?大丈夫?」子供達が両側からタダに取りすがった。

――ああ、ここは僕の家のベッドだ。

瞬時に記憶が戻ってきた。

「ああ、すまない。夢をみたんだ」

「夢?」

しかしタダは確信していた。あれは夢ではない。オリジナルのタダが最後の瞬間に送った思考だ。しかし事故が起きたのは2年近く前で、しかもあの時はセグル星系の辺境地区にいたはずだ。でも時にテレパシーは人の常識を越えた働きをする。

「事故は……?」

「え?」

「宇宙船の事故はどんな風に起こったんだ?」タダの声は震えていた。

エリはベッドから降りると「パパのパソコン、使うよ」と言って電源を入れた。

ロックがかかってるよ。と言おうとした時、パソコンは顔認証もパスワードもなしに立ち上がった。

 最近のパソコンは所有者が死亡したという通知が届くと自動的に全てのロックとパスワードがキャンセルされる。細かく設定しておけば、不都合なファイルは自分が死んだ時には自動的に削除される。タダはパスワードがキャンセルされた自分のパソコンを見て、改めて自分は死んだのだと実感し、こんな事で死を確認した事に苦笑した。

「これが開発会社が送ってきた事故報告書」エリはファイルを表示して見せた。タダはスクリーンの前に座ってファイルを読んだ。しかし自分が知っている以上の事は特に書かれていなかった。

――フロルの生体反応が消えてから2分15秒後、タダの生体反応も消えた。そのため宇宙船を止めて2人を回収することはあきらめてそのまま航行を続けた。

 

 リーファはタダの反応を見ていて、タダの最後についての自分の憶測が当たっていたと確信した。しかし自分はクローンのタダにこのことを話すことは一生涯ないだろう。そしてタダも決してそのことを自分たちには告げないだろう。

 リーファの胸に熱い物がこみ上げてきた。父は母と共にこの世を去ることを決心した。それは自分とエリとクローンのフロル、さらにはクローンのタダを愛していたからだ。

 

「今、何時だ?」

「夜明けよ。まだ起きるには早いわ。パパ、できたらもう一眠りして」

エリの優しい声を聞いてタダはまた眠気を覚えた。

「ああ、そうしようか」

 

7

 

 朝になり、3人はクローン研究所が指定した時間に合わせて、研究所に出掛けた。昨日タダが目覚めたのと同じ部屋に今度はフロルがベッドに眠っていた。

「もうすぐ眠りから覚めますから」研究所の所員が優しく言った。

やがてフロルのまぶたが微かに動き、目をぱっちりと開けた。

「フロル?」タダは優しく呼んだ。フロルは身体を起こしてタダを見るとにっこり笑った。

「あ、オレ、寝ちゃったみたいだね」

タダはもう自分を抑えることができなかった。

「フロル!ああ、フロル!」タダは思いっきりフロルを抱きしめた。――ああ、また君をこうして抱けるなんて!

「痛い!タダ、どうしたんだよ?」

「ママ!」リーファとエリが両脇からフロルに抱きついた。

「あれ、おまえたち、なんでここにいるの?あれ、リーファ、おまえ男じゃん!それからエリ、おまえ、女になってる?」

「さすがだな」とタダ。「僕は言われるまでわからなかったよ」

「どうなってんだよ?」フロルはまだきょとんとした表情だった。

「フロル」タダはフロルの正面に腰をおろすと、両手で優しくフロルの両頬を挟み顔をのぞき込んで言った。「いいかい、ここはクローン研究所で君の最後の記憶は先ほど記憶を登録した事だと思う。でもリーファとエリもここに来ていて、彼らはそれぞれ男と女に変化している。ねえ、フロル、実は僕たちが記憶を登録したあの日から2年近くが経っているんだよ。あの後僕たちは仕事でセグル星系に行ったけど、実はそこで宇宙船の事故があって、タダとフロルは死んだんだ。……僕たちはクローンなんだよ」

「クローン?」フロルは眉をひそめてつぶやくように言った。

「実感がわかないかな。まあいい。僕たちは2年という時間を飛び越えてしまったけど、そんなのはすぐに慣れるさ」

 

 家族が4人そろったのでこの日はみんなで海辺の我が家へ帰ることにした。

「長老にメール送ったよ。『急ですが、僕たちは今晩そちらに帰ります』って」とリーファ。

「で、長老はなんて?」

「『気をつけて帰っておいで』だけ。でも僕は嘘は言ってないよね」リーファは笑った。

 

 

8

 

 ドローンタクシーが我が家に近づくと、長老が音を聞きつけて戸を開けて出てきた。

「おお、リーファ、エリ、お帰り」ところが続いてタダとフロルがドローンから降りると長老は目を丸くして2人を見つめた。

「長老、ただいま。子供達が本当にお世話になりました」タダが言うと、長老は涙を浮かべて「おお、お帰り、お帰り、いつかはまた会えると信じておったが、ああ、本当に帰ってきたんだなあ」そういってタダとフロルを抱きしめた。

「長老!」フロルも小さな子供のように長老に抱きついた。

 

 5人は食事を取りながら様々報告した。

「ねえ、やっぱり僕はパパとママに謝らなくちゃ」リーファが口火を切った。

「え?どうして?」

「あの事故があってから、2年間近くも僕たちは何もしなかった」エリもうなずいた。

タダは遠くを見て黙っていたが、やがて口を開いた。

「それは……それだけの時間が必要だったって事だよ」

しかしリーファは首を横に振った。

「ううん、この家に1週間いてから学校に帰って、僕はパパ達の事を全然考えなかった。というよりずっと考えないようにしてたんだ」

「考えなかったから悩まなかったという訳ではないよ」長老が優しく言った。「人は時には意識の底で悩む事もあるものだ。おまえ達は2年間意識の底でタダとフロルの死を悲しみ乗り越えようとあがいていたんじゃよ。2年かかっておまえさん達は両親の死を受け入れた。だからこそ両親の生を新しく受け入れることができたんじゃよ」

 タダは黙って長老の言葉を聞いていた。クローンの再生は実は非常に繊細な問題をはらんでいる。悲しいからとすぐにクローンを再生しても全ての人がそれで幸せになれるわけではない。愛する人のクローンを再生しても愛するが故にクローンを愛せなかったりするケースは数多く存在した。

――それを考えると2人は本当によくやってくれた。僕たちの死を悲しんで、そして今度はクローンの僕たちを受け入れてくれた……。僕は幸せだ。

 

「さあ、今度はエリが女性になった話を聞かなくちゃ」

タダが促すとエリは微かに頬を赤らめながら話し出した。

 

 アーディことアルデライト・レオマンはリーファとエリが初等部に入った時からよい友人だった。2人が未分化の両性種だということも自然に理解し、アーディの家に遊びにいって、親が「じゃリーファがお兄ちゃんなのね」と言った時も「違うよ。2人は未分化の両性種だから「年上の子」なんだよ」と自ら訂正してくれたほどだった。

 中等部に上がり、周りの子供達が二次性徴を見せ始め、リーファとエリだけが置いてきぼりをくったように感じていた時も、からかう子供達に憤然と立ち向かい2人を守ってくれた。また未分化で二次性徴が感覚的にまるでわからない2人に、オープンに自分の体験を語ってくれた。

 高等部に入った時、アーディはエリにイーリアという同級生の女の子を好きになったと打ち明けた。「デートに誘ったんだ。だから今週の週末はイーリアとデートするから」

「わかったよ。またどんな事があったか話してね」そんな会話をしていた。

 週明け、エリが授業後に芝生で本を読んでいるとアーディがやってきて隣に座った。

「デート、どうだった?」エリは興味津々に尋ねた。

「うん、楽しかったよ」アーディは言った。「映画を見てランチを食べて港を散歩したよ」

「いいじゃん」

「うん」アーディは短く答えた。「イーリアはかわいいし、素敵な人で今でも好きだよ。でもデートしてはっきり一生一緒に生きる人じゃないってわかったんだ」

「どういうこと?」

「一生共に過ごすパートナーじゃないってわかったんだ。パートナーは何でも話せて一緒にいて楽しくて、安心できる人がいいって思ったんだ」

「ふうん」

「で、そんな人は他にいるってわかったんだ」

「ふうん。だれ?」

「……君だよ」

「え?」

「僕は異性愛者だ。女性に惹かれる」

「うん」

「でさ。エリ、君は未分化で変化の時期が来たらどちらにもなれるんだろ?」

「うん……」

「エリ、お願いがある。女性になってくれないか?」

「え?」エリは言葉を失うほど驚いた。

「ねえ、エリ、君、変化の時期が来たら男性女性どちらになるつもりなんだい?」

「うん……僕まだよくわからない」

「『私』って言ってみて」

「……私はまだよくわからない」でもそのときエリはなんだか女性になることがとても自然なように思えた。

「ごめん。僕の考えばかり言って。エリ、君の人生なんだから君の考えで決めるべきだね。でもこれは僕の本当の気持ちだよ。エリ、もしできるなら君が女性になってずっと一緒に生きていきたい」

――これはわなだ!エリは思った。子供の頃から百回も聞いた話。母フロルが男性になる権利を得るために猛勉強して宇宙大学を受験し、不合格で自分の星に帰って女性になるしかないと絶望していた時に、タダが結婚しようと言ってくれた話。

「ごめん。ゆっくり考えて。でも僕の気持ちは本当だよ」アーディはエリの髪にキスをすると去って行った。

 

 それから半年ほどたったころ、リーファが「体温が2度上がった」と言ってきた。2人の身体には他の子供同様、血管の中に赤血球と同じぐらいの大きさのナノロボットが20個ほど入れられている。そのロボット達は身体中を巡りながら基本的なバイタルデータを送り、ガンやその他の病気の兆しがあればそこに集まって治療するようにプログラムされている。そのロボットが体温の上昇を伝えてきた。

「君も近々体温があがると思うよ」

案の定、次の月にはエリも体温が2度ほどあがり変化の時期が来たとわかった。

 学校の保健室の冷蔵庫にはタダとフロルの要請で、2人が中等部に上がった時から男性ホルモンと女性ホルモンがそれぞれ2人分ずつ保管してあった。毎年新しい物が補充され、古い物は破棄された。

 2人は養護教諭と相談した。

「ねえ、お母様の星ではホルモンを注入するときに何かするの?」

「性ホルモンを貰う時には儀式をするって言ってた。でも僕たちは好きなようにすればいいって」

2人は担任や校長先生とも相談して、ちょっとしたパーティーを開くことにした。校長先生の提案で長老も学校に招待した。

 

 当日は友人達が集会室を飾り付け、お菓子を用意した。リーファとエリは自分たちの両性種という特性を改めて説明し、母から聞いていた儀式をまねて重々しくそれぞれに性ホルモンを授けた。その後まずリーファがエリの肩に女性ホルモンを注射し、次にエリがリーファの肩に男性ホルモンを注射した。集まった友人達は拍手して2人の変化を祝った。

 誕生日と同じような感じで、友人達はお祝いの品を用意していて1人1人順におめでとうを言ってくれた。

 アーディの番だった。「エリ、女性への変化、おめでとう」

「ありがとう!」

すると次の瞬間アーディは「僕はこの日を待っていたんだ」と言うと突然エリの前にひざまづいて胸ポケットから小さな箱を取り出してエリの目の前で開けた。中にはかわいらしい小さな指輪が入っていた。

「エリルナチェルヌム・フロル・レーン、僕の一生のお願いです。僕と結婚してください」

エリは本当に驚いて目を丸くしたが、次の瞬間アーディに抱きついた。

「ああ、アーディ、もちろんよ、なんて素敵なの!」周りの友人達はアーディの行動を知っていた者も知らなかった者もこぞって歓声をあげ拍手をして2人を祝った。

 

「へええ、その場にいたかったなあ」フロルが言った。

「わしはその場におったぞ」長老が満面の笑みをたたえて得意げに言ったのでみんなは笑った。

「大丈夫だよ、ママ、動画がファミリーアーカイブに保存してあるから、後で見てね」

「よかった」フロルがぽつりと言った。フロルの目には涙がたまっていた。

「本当によかったよ。オレみたいに失敗しなくて」

「ううん、それはママが自分の失敗を全部私たちに話しておいてくれたからよ」エリが言った。フロルが悪質ないたずらにあい身体が男性化しかけた一部始終を、タダとフロルは子供達が中等部にあがるころにすべて隠す事なく話していた。

 

「でもさ、両性種ってこういう物なのかもしれないけど、僕たちはずっと未分化だったろ?それで急に変化して、ママの星ではみんなこんな風だから普通なのかもしれないけど、シベリースでは僕たちだけだから、僕はよく考えたよ。性ってなんだろうって」

「そうだねえ」とタダ。

「性は‥命だよ」急にフロルがいつになく真面目にしんみりと言ったのでみんなはフロルを見つめた。

「ほら、オレって未分化の性のない時期が長かったろ。で色々あって……女性になって身体が変化して……結婚して、それで今度は子供を産んで……。自分の身体の中に別の命がいるってなんか本当にすごかった」

 家族の語らいはいつまでも続いた。

 

 

9

 

 しかし翌日の朝、子供達は朝ご飯に降りてくると「僕たちは今日学校に帰るよ」と言った。

「おやおや、やっと2年ぶりに両親に会えたっていうのに、もう帰るのかい?」長老が聞いた。

「逆だよ。パパとママが元気で家にいるってわかってるから安心して学校に帰れるんだ」

タダは笑って何も言わなかった。

——子供達。もう完全に自立したな。

「今から出れば午後の授業には間に合うよ。今日はテラ系現代史の授業があるんだ。今、民主主義の変遷ってとこやってるんだけど、すごく面白い。で、僕は今日はディスカッションの司会の番なんだ。そりゃ休んだら他の子がやってくれるだろうけど、そんなのはイヤだし」

子供達は朝ごはんを済ませると手早く荷物をまとめ、玄関で長老とタダとフロルを1人ずつハグすると元気よくやってきた無人ドローンタクシーに乗って行ってしまった。

 

「これからどうするの?」急にがらんとした広いリビングでフロルが聞いた。

「そうだな。まずしばらくはジムでリハビリだな」

クローン体は対象年齢まで「育てて」あるが、筋肉はあっても鍛えられていなかった。

「そして‥」タダは広い庭を眺めた。

「それが一段落したらトレドレーガに行こう。ガンガと話したいし、お礼も言いたい。ガンガが子供達の背中を押してくれなかったら、僕たちはまだクローン研究所の冷凍倉庫で眠っていたかもしれないよ」

「うん!いいね!」フロルはにっこり笑って答えた。

 

 




お読みいただきありがとうございます!

前作「学びもまた楽しく」を書いた頃から全体の構成はできていましたが、忙しさと自分の怠惰から投稿がのびのびになっておりました。

次回の構想は……あるにはあるのですが、期待せずにお待ちくださいませ。

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