読み飛ばしても問題ないっちゃない話です。
巨大な船を返り討ちにした後、クロたちには帰る日が迫っていた。
クロの体も万全まで回復したため、各々の日常へと戻らなければいけない。
荷物を整理するクロは、フローレス家の別荘から海を眺める。
「せっかく来たから、ビーチや砂浜は見たかったけど」
そんな風に独り言を言ったその時。
轟音とともに、海のほうで巨大な水柱が立った。
その水柱の大きさといえば、海から少し距離がある別荘の窓にも水滴がつくほどである。
クロは窓から飛び降りて、海へと向かう。
(また!? 海賊の次は巨大なタコでも出るの!?)
海賊たちのこともあり、また何かが攻めてきたのかと警戒するクロ。
海岸に行くと、意外な人物にクロは素っ頓狂な声をあげた。
「バーン王子!? なんでこんなところに……。というか、さっきの音は?」
「おお、クロか。あれは、跳んできた俺が海に突っ込んだ音だ。気にしなくていい」
びしょ濡れのバーン王子は、困惑するクロを見てそんなことを口走る。
「気にしなくても、って。びちょびちょだけど」
「ドラファイス王国では、よくある事だ」
「よくあるんだ……」
「敵の侵攻などの緊急時には、王族が全速力で跳躍してでも駆け付ける場合がある。着地するのは人気の無い場所を選ぶからな。森や海に突っ込んでいるというわけだ」
「もしかして、王城からここまで来たの? 地面を蹴って?」
「心配するな。道中で地面を蹴ったときも、人がいる所は避けている。森の一部が剥げているのは、だいたい過去の王族が通った跡だな」
その説明に、クロは口が開きっぱなしであった。
森の剥げている部分は、たまにクロが訓練で使っている。
特に疑問を感じてはいなかったが、王族の移動によるものだというのは初耳だ。
(身体能力は、ほぼ規格外。……初めて会ったとき、なんで制圧できたんだろ?)
クロは、自身の過去の無謀さを改めて自覚した。
ワーグが王族の相手をするなと念を押していたのも頷ける。
「最初のときって、やっぱり手加減してくれてた?」
クロの疑問に、バーン王子は自身の服を熱で乾かしながら返答する。
「してやったというより、せざるを得なかったな。王城の中で全力を出せば、死傷者が出かねない。クロに殺意が無く、侮ったというのもあるが……」
「バーン王子の優しさに、救われてたんだ。ありがとね」
クロの言葉に、バーン王子はふっと笑った。
「やはり怖がらないのだな。お前からは恐怖というものを感じない」
「そんなことまで分かるんだ」
「竜の体というのは色々便利でな。気配である程度は分かる」
上機嫌そうなバーン王子を見て、クロは前と違う感覚を感じ取った。
(前にあったときより、明るくなった気がする)
そんな感想を抱いていると、二人の間を風が吹き抜けた。
遅れてウィンが駆け付ける。
「ウィン・グリームか。他の者は?」
「あとから来ますが、一足先に私が参りました。この海岸周辺の被害を確認しにきたのですね?」
「ああ。観測所が風属性魔法による狼煙を確認したからな。襲撃とは珍しい」
「海賊によるものです。尋問中ですが、裏で何者かが糸を引いているのは確実でしょう」
ウィンと語らうバーン王子からは、先ほど上機嫌さは消えていた。
先ほどの明るさは気のせいだったのかと、流すクロ。
「ウィンが嵐を呼んでいたけど、そんな中で狼煙なんて使えたんだ?」
「少し離れたところまで馬を飛ばしてもらい、そこから狼煙をあげました。あとは、各地の風属性魔法を使う貴族たちが狼煙を引き継ぐといった具合です」
風属性魔法のおかげで、バーン王子はここまで早くに駆け付けたようだ。
これほど迅速に動けるなら、他国から恐れられるのも納得である。
その後、オルターがやってきて、事の仔細を報告していく。
「──という次第です」
「この場の人員で片づけられたのなら、俺の出番はいらなかったな。ご苦労だった。『勇者の遺物』の取り扱いも含めて、事後処理は王城で後日行う。各自に褒賞も出そう」
淡々とバーン王子とオルターが話を進める中、場違いな声が辺りに響く。
「ちょっと待ってほしいのですわ!」
そこに現れたのは、ルージュこと『スカーレットムーン』だった。
「……この者は?」
バーン王子は奇妙なものを見る目を、『スカーレットムーン』に向ける。
突然、水着姿の少女が現れれば、その反応も仕方ないのかもしれない。
「私は『スカーレットムーン』。『ブラックムーン』の弟子ですわ! ……恰好の方は、気にしないでいただけると。普段着は泥だらけで、洗っている最中ですので……」
「首謀者を捕まえたというのは、お前か。それで、要件は?」
「褒賞についてですわ。私は正体を隠す日陰者。個人的な褒賞の受け渡しで、記録に残るのは不都合ですの。なので、『スカーレットムーン』に対してバーン王子が感謝を述べるという形にしてほしいのですわ」
ルージュは、もともと『スカーレットムーン』としての名前を売ることが目的である。
個人的な褒賞を貰うよりも、名前を知らしめることの方が重要なのだろう。
「……謙虚なことだ。ではそのように。だが、それだけでは俺の気が収まらん。何か欲しいものとかはないのか」
そうバーン王子に返答されて、ルージュは困り果ててしまう。
悩んだ末、口にした要求は意外なものだった。
「砂浜がある場所を教えてほしいですわ」
「砂浜?」
「ええ。お母さまから聞いて、昔から憧れていたのです。砂浜で遊んでみたいのですわ。クロも砂浜を楽しみにしていたのです。」
ルージュの要求に、バーン王子は少し悩む様子を見せた。
あの身体能力で各地を移動しているなら、近くの砂浜を知っているかもしれない。
しかし、バーン王子が口にしたのは、ルージュの求める返答ではなかった。
「砂浜のある場所は知っている。だが、ここらでは何日歩いても砂浜はない」
「そうですか……」
沈んだ声で返答するルージュに、オルターが説明する。
「この辺りは、もともと切り立った断崖が多い場所なんだ。海抜が最も低かったこの別荘地ですら、砂浜は無かったと聞いている」
落胆した様子のルージュに、何と励まそうかと言い淀むクロ。
きっとクロが考えていたよりも、ずっとルージュは砂浜を楽しみにしていたのだ。
「そう落ち込むな。俺は何も、砂浜に行けないとは言っていない」
バーン王子は頼もしい様子で、鬱々とした空気に切り込んだ。
「オルター・フローレス。この辺りには、誰も近寄らない切り立った断崖があったな?」
「ええ。……まさか、砂浜を作るつもりですか」
「お前の妹のせいで、ちょうど書類に参っていたところだ。気晴らしに体を動かすとしよう。断崖とて、砕き続ければ砂になる。」
どうやら、バーン王子が手ずから砂浜を作ってくれるようだ。
話の規模がでかすぎるが、バーン王子の自信からして難しいことでもないのだろう。
「一日待て。そうすれば、完全に砕けてサラサラになった砂を披露してやろう」
「バーン王子に、そこまでしてもらうもらうわけには……」
「案ずるな、『スカーレットムーン』。こんなものはただの気分転換だ。それで、他の者も喜ぶならやらない理由はない」
そう豪語するバーン王子の不適な表情は、あまりに頼もしく。
竜の化身の規格外さを、改めて全員が実感したのであった。
◇ ◆ ◇
バーン王子が岩を削り取る度に、轟音が辺りの空気を揺らす。
別荘から遠方の岸に見えていた断崖絶壁は、半日で消え失せることとなった。
その後も謎の破裂音が空に響き渡り、危険により離れているクロたちのところまでしっかり届く。
定期的に様子を見に行っていたウィンによると、崩れた岩を砂粒レベルにまで砕いていたようだ。
次の日の朝には、綺麗な砂浜ができていた。
「出来栄えとしても、かなり満足している。唯一の不満は、魚が逃げてしまったことだが」
そう語るバーン王子の後ろには、まさしく『ブラックムーン』の小説に出てきたような砂浜があった。
白いとまでは言えないが、きめ細かい砂の感触は地面を踏みしめる足を飽きさせない。
深い青色の海がすぐ側に広がる光景は、海に自身が引き込まれるような錯覚を与える。
「海だー!」「海ですわー!」
クロが真っ先に海へと飛び込み、それにルージュが続く。
二人は、子供のようにはしゃぎ、お互いに水をかけあった。
「深いところまで言ってはだめですよー! ……私はここで座ってますが、オルター様はどうされますか?」
「せっかく椅子も持ってきたことだからな。それに賛成だ。」
ウィンとオルターは、砂浜に座って日光を浴びている。
さながら、子供を見守る年長者といったところだ。
話している内容も、今後この砂浜は観光地にしようかなどと現実的な話ばかりである。
クロは、ウィンとオルターの二人の事を盗み見る。
「あの二人って、もしかしてそういう関係ですの?」
「うん。ただ、お互いに全然進展してなくて。海の力でも借りれたらいいんだけど」
ルージュは、それを聞いて微妙な表情をした。
「焦れったいですわね。お二人が水着を着ていたら、意識をするのも早そうなのですが」
「ウィンの方は、あまり肌を見せたくないだろうから。あそこまでが、限界だよ」
二人を砂浜に連れ出した以上、クロの役目はここまで。あとは二人の問題である。
そうして各々が気ままに時間を過ごし、海が夕日で赤く染まった頃。
「ふー、楽しかった。皆も泳げばよかったのに」
「同感ですの。師匠がいなかったら、私だけ水着で浮いているところでしたわ」
クロとルージュが海から上がる。
ウィンたちに合流しようとするクロは、バーン王子の姿が無いことに気が付いた。
「バーン王子は?」
「それなら、あちらですの。……私は道中お礼を言ったので、先に戻ってますわ」
見回すクロにそう告げたルージュは、クロを追い抜かして前へ走っていった。
そういえば、クロはお礼をまだ言っていなかった。
ルージュの願いとはいえ、クロが楽しんでいたのも事実である。
筋を通すために、クロはバーン王子のもとへと向かった。
「……クロか」
「バーン王子。砂浜を作ってくれて、ありがとう──ございます」
王族が王族たる所以を知ったクロは、不格好ながらも畏まった口調で頭を下げる。
「今更、敬語などよい」
岩に腰掛けるバーン王子は、沈む夕日をじっと眺めている。
そんなに良いものなのだろうかと、バーン王子の隣に立つ。
岩の上のバーン王子が自然と横にずれたので、そこに座るクロ。
「日が沈むことに何も感じなかった。同じことの繰り返しでしかなかった。前まではな」
「前までってことは、変わったの?」
「ああ、そうだな。沈んでしまうのが、今は惜しく感じられる。……クロのおかげだ」
クロは、その言葉にドキリとする。
思わずバーン王子の方を見ると、二人の視線が重なり合う。
周囲の音が消えたような感覚で、自身の動悸だけがはっきりと聞こえる。
バーン王子の目に、クロはつい見とれてしまう。
理性のベールに覆われた瞳の奥に、荒々しく獰猛な光が揺らいでいるような。
「──きれいだ」
クロは一瞬、自身の思っていたことが口から出てしまったのかと、焦る。
その声を発していたのは、バーン王子の方だった。
「え──」
「そろそろ、戻るか」
バーン王子は、岩から立ち上がってスタスタと歩いていく。
クロは後を追いたかったが、すぐには立ち上がれなかった。
顔に熱が集まっているのを、自覚していたからである。
きっと今のクロの顔は、赤くなっているだろう。夕日の光と言えば、皆にバレずにすむだろうか。
そんな風に誤魔化し方を考えながら、遅れてクロも立ち上がった。
前を歩くバーン王子の背中を見つめながら、あとを追う。
(今のバーン王子は、どのような表情をしてるんだろう)
そう考えそうになるのを堪えて、別のことに意識を向ける。
これ以上考えたら、熱さで水に飛び込まないといけなくなってしまう。
──火照る顔も、高鳴る鼓動も、きっと海のせいだ。
そう自分に言い聞かせ、クロはバーン王子から視線を逸らして、海を睨みつけるのだった。