今回は結構長めです。
厳重に封鎖された部屋に繋がる通風口。
その小さな穴から、ずるりと球状の物体が転がり落ちる。
人というには歪な方向に曲がった手足の間接は、子供が見れば泣き出してしまうだろう。
ゴキッ、ペキッ。人気のない廊下に音が響く。
傍から見て五体満足とはとてもいえないそれは、みるみるうちに正しい人の形へと戻っていく。
「ふう、ようやく抜け出せた」
体内を影で弄りまわしていたクロは、伸びをして体の調子を確かめる。
海では気分が悪くなったが、今回はそこまでである。
ここのところの練習の成果だろうか。
ある意味、監禁生活のおかげで成長できたのかもしれない。
そんなことを考えながら、クロは周りの様子を伺った。
廊下のあらゆる場所には、金属で保護された魔道具による明かりが設置されている。影はどこにも見当たらない。
影を介した魔法を警戒しているのだろう。
分厚く補強された壁越しでは外の音も聞こえなかったが、部屋の外に出てみれば多くの足音が耳に入る。
おそらく見回りの人数もかなりのものだ。
慎重に行動したとしても、完全に人の目を避けるのは困難を極める。
目標は、奪われた『勇者の遺物』を取り返した上でグレンを打ち負かすこと。
(できれば警戒されずに、グレンの元まで行きたいが……)
悩んだ末に、クロはそこら辺の用心棒から身ぐるみを剥がすことにした。
通路の角に隠れて待ち伏せをする。押し倒して口を手で塞げさえすれば、あとはなんとでもなるはずだ。
一人分の誰かの足音が近づいてきたのを確認し、物陰から飛び出す。
やってきたのは、リアであった。
(っ……!? ご飯を運んでくる時間には早いのに、なんでここに?)
勢いで取り押さえはしたものの、身ぐるみを剥がすわけにもいかない。
そもそも、部屋に訪れるリアの服を奪ったり、脅して部屋を出ることだってクロにはできたのである。
しかし、クロはそうはしなかった。その大きな理由は、行動指針に反するからだ。
原作の『ブラックムーン』は極悪人でもない限り、基本的に女の子を丁重に扱う。
その紳士っぷりは筋金入りで、女の子なら自分を罠にかけてくるライバルであってもお姫様扱いである。
よって『ブラックムーン』に憧れているクロが、女の子を利用することはない。
手で口を塞がれたリアは、面食らって少しは抵抗したもののすぐに大人しくなった。
「リアを傷つけたくない。見なかったことにしてくれる?」
クロの提案に、リアはこくりを頷いた。
ゆっくりとリアの口を塞いでいた手をどけると、リアは一呼吸置いてから話し始めた。
「完全に閉じ込めるのは無理でしたか。一応自信もあったのですが。まだまだ未熟のようですわ」
立ち上がったリアは、肩を落とす。部屋を破られたことを悔しがっているようだ。
「ここら辺で、服の代わりになりそうなものはある?」
「グレンの命令で、全て片付けられてしまってますわ」
どうやら、この建物にはほとんど服や布が無いらしい。クロの魔法を対策してか、用心棒たちの服装もほとんど半裸だという。
ちゃんとした服を身に付けているのは、グレンとリアだけのようだ。
リアの着替えも、別の場所にあるらしい。用心棒たちの面倒を見ながら、共同生活しているのだとか。
用心棒たちがリアを慕うのも、納得である。
(……しばらくは、この服のままでいいか)
グレンに奇襲をしかけたいクロは、着替えるのを諦める。
外に取りに行っている間に、脱出に気づかれるのも面倒だ。
「グレンのところに行くのでしょう? それなら、この建物の最上階ですわ」
「いいの? 私に協力しちゃって」
「私の言葉は、結局グレンには届きませんでした。こうなればもう、クロがグレンの心をこじ開けるのを信じるしかありません。勝算はどのくらいありますの?」
「あの剣さえどうにかなれば、制圧できるとは思う。問題は剣を持っているグレンの強さが、とんでもないことだね」
グレンの攻略法については未だに未解決のままである。
腕を組んで頭をひねるクロに、リアが口を開く。
「……なら私も戦いますわ」
「こちらとしては嬉しいけど、大丈夫? グレンは私の目から見ても、相当強い」
前に対峙したときに、リアは用心棒に助けを求めていた。本人が戦いに慣れているとは、とても思えない。
「確かに魔法の腕前は、そこまで無いかもしれません。ですが、地属性魔法とは、蓄積が本領の魔法。時間を費やして作ったこの建物こそ、私の武器ですわ」
リアの言葉には、自信が見え隠れしている。
貴族にとって、自分の住処は陣地のようなものだ。ましてや自分で建物を作ったとなると、武器と同義なのも頷ける。
「なら、早速グレンのもとに向かおう」
「用心棒たちは、どうしますの? できれば、あまり怪我をさせないでほしいのですが」
「それなら心配しないで。私にいい考えがある」
名案をリアに話すクロは、悪戯を思いついた子どものような笑みを浮かべるのだった。
◇ ◆ ◇
街を見渡せる窓から、グレンは夜景を眺めていた。
魔道具によって灯された明かりは、この街の発展の証である。元貧民街は、いまや商業区と比べてもなんら遜色ない。
そんな街で圧倒的な存在感を放つ『土竜商会』は、いまや貴族にも比類しうる富を持った。
しかし、その長たるグレンの部屋には、有り余る富を誇示するような豪華さは一切存在しない。
最低限の調度品のみが置かれており、その部屋の寂しさはまるでグレンの心を表しているかのようである。
グレンがどれだけ力を手に入れても、クロの心は未だにグレンではない遠くを見つめている。
これが空虚でなくてなんだというのか。
(それでも……。たとえ恨まれても満たされなくても、クロ姐さんを失わないならそれでいい)
部屋の扉が叩かれて、グレンは思考を中断する。
「入ってくれ」
やってきたのは、リアだった。
「失礼します」
「リア。いい加減、クロ姐さんのことは諦めてほしい。ずっと気苦労をかけるのも申し訳ない。悪いようにするわけじゃない」
グレンは優し気でありながらも、はっきりとそう告げた。
「今回は、その話ではありません。グレンのその剣についてです。綺麗な保存状態とはいえ、相当な年代物なのです。ヒビなどがあれば、補強する必要があります」
リアは、グレンの腰の剣に目を向けた。
「それはこの場でやってくれるのかい?」
その言葉に、リアは無言で頷く。
「なるほど、どうすればいい?」
「私に持たせていただければ、地属性魔法で傷を確認できます」
「ああ、分かった」
グレンは、リアに剣を譲り渡す。
次の瞬間、リアの纏っていた上着のボタンが弾けとんだ。
中から伸びてきた拳が、グレンへと伸びていく。
「なっ!?」
さすがのグレンも、虚をつかれる。
拳を繰り出したのはクロだった。リアの服の中にある影に隠れて、隙を伺っていたのである。
クロの拳を避けたグレンは、剣を持ち後ずさるリアの方へ駆けよろうとする。
だが、その前にクロが立ちはだかったことで、足を止めた。
「……まあ、リアがクロ姐さんに肩入れする可能性も考えてはいたけど。思ったより遅かったね」
「遅かったのは、私の我儘です。私自身の言葉で、グレンの心を開きたかった。直接クロに改心させられたなら、あなたはその傷を一生抱えて後悔するでしょうから」
「世話焼きだな。余計と煩わしくなるほどには」
「お慕いしていますので」
淡々と語るリアの言葉を、グレンは黙って聞き届ける。
「ですが、いつまでも我儘でクロに迷惑をかけるわけにはいかないので。『
そう言ってリアは、部屋に備え付けられた明かりを装飾部分の金属で覆っていく。暗い部屋を『勇者の遺物』の剣の放つ光が、薄く照らす。
リアはその剣を背中に隠し、クロに有利な環境を作り出した。
剣を奪い、光を覆い隠す。悪くない戦略だ。
有利になった状況で突進してくるクロだったが、グレンの光る体を見て足を止めた。
「武器だけを頼りにしてはいけない。クロ姐さんから教わったことだよ。光の魔力とやらは、あらかじめオレの体に流し込んだ。半日は保つだろうね」
剣を奪えばなんとかなるとでも、考えていたのだろう。
急接近してグレンが放った回し蹴りを、クロは両腕でガードして受け流した。
衝撃で怯んでいるうちに、間髪入れずに猛攻を続ける。
クロからの反撃は、相変わらずグレンの鋼のごとき体には通らない。
確実にクロを押している。しかし、横やりによって、一方的な応酬に邪魔が入った。
「『
リアがそう唱えると、石でできた床から巨大な腕が現れる。
その腕はゆっくりとした動きで、グレンへと接近する。
握りこまれたら、ただではすまない。
だが、グレンがその腕に拳を放つと、石の腕は地面に落ちて動かなくなった。
『勇者の遺物』の力。リアは光の魔力とか言っていたか。
この魔力は、魔法に対して相性がいいのだろう。
続けてリアが部屋の四方八方から魔法によって攻撃を繰り出すが、光の魔力と人間離れした身体能力で悉くの攻撃を無力化していく。
しかし、この手数では、クロから意識を逸らさざるをえない。
視界の片隅には、リアに近づいていくクロの姿が映る。
「ちょっとごめん」
クロはリアから『勇者の遺物』の剣を手にして、グレンへと向かってくる。
(光の魔力には、光の魔力というわけだ)
警戒して、距離を取ろうとするグレン。
しかし、回避をしようとするグレンの足首を、小さな石の手がしっかりと掴んだ。
「させませんわ」
グレンの回避を阻んだのはリアだった。
すかさず剣を振り上げて踏み込んでくるクロ。淡く光を放った剣の側面が迫り、鈍い音がグレンの頭上に響く。
ダメ押しとばかりに、クロがグレンを蹴り飛ばした。
壁へと叩きつけられたグレンは、苦悶の声を漏らす。
先ほどまで通っていなかった攻撃が、少しは通るようになったいる。剣で叩かれた影響で、光の魔力が無効化されているのだろうか。
リアは先ほどの魔法を最後に、魔力切れで意識を失っている。
クロは、グレンから目を離さない。その眼付は、倒れてくれと祈っているかのようだった。
先ほどまでの強靭さが嘘のように、グレンは壁にもたれかかりながら膝をつく。
ここで立ち上がらなければ、クロが遠くに行ってしまう。
倒れるわけにはいかない。いかないのだ。
しかし、体はいう事を聞いてくれない。意識の意図がぷつんと途切れて、グレンの視界は黒く染まった。
負けた。失う恐怖が隣り合わせの日常が戻ってくる。
落ちていく意識の中で、未来への不安に飲み込まれそうだ。
溺れているかのような息苦しさは、いつの間にか押しつぶされるかのような息苦しさに変貌する。
まるで、前後の壁が迫ってきているかのような。……ような?
急速に意識が浮上する。グレンが目を覚ますと、外にいた。
(先ほどまで戦っていたはずだが……?)
そうして記憶を辿ろうとしたグレンだが、目の前の違和感に思考が停止する。
地面が低い。というか顎の下にある。
体を動かそうとするが、全く動かせない。
グレンは自分の体が地面の中にあると気が付くまで、そう時間がかからなかった。
「気が付いた?」
クロがそう言って、グレンを上から覗き込む。
「クロ姐さん……。そうか、オレは意識を失っていたのか」
「ごめんね、強く叩いちゃって。痛かった?」
クロはしゃがみこんで、グレンの頭を撫でる。
グレンは一瞬その心地よさに身を委ねそうになるが、すぐさま我に返った。
クロに可愛がられ、守られる自分とは、決別したはずだ。
撫でられるのに抵抗しようとするが、埋まった自分の体はぴくりとも動かない。
「……クロ姐さん、やめてくれ」
その言葉を聞いてか聞かずか、クロは満足気に手を放した。
◇ ◆ ◇
地面から顔だけ出したグレンを、クロは可愛がる。
背が伸びて可愛げが無くなったと思っていたが、こうしてみると全く変わらない。
「光の魔力が抜けるまで、半日以上はそこにいてもらうよ。安心して。ここは誰もこないし。食事は私が運ぶ。トイレだけはどうにもならないから、そこでしてね」
今グレンの体は、石でできた地面に埋まって固定されている状態だ。
埋め込んだのはリアの魔法だが、すでに魔法は解けている。
ここにあるのは、人がぴったりおさまるだけの固い地面だ。
分解する魔法もないのだから、光の魔力であっても抜け出すことはできない。
この状況は、グレンにとってかなり苦痛だろう。
だが、グレンの目は全く諦めていなかった。
「オレは姐さんを諦めきれない。自分でもどうにもできないんだ……」
そういってクロを見上げるグレン。
どれだけここに埋めて言い聞かせたところで、グレンはまたクロを保護しようとするだろう。
クロがどれだけ監禁されても、義賊『ブラックムーン』であることを曲げないように。
ここまでは、クロとリアの想定通りである。
「なら、ここから出たらまた勝負しよう。今度は互いに剣も魔法なし。一対一の素手の喧嘩で、私を打ち負かしたらグレンの言い分を聞こう」
グレンの言い分に、クロも思うところはあった。
確かにこれまでの行為は、周りの心配を考えていないものだった。
幼き日の盗みの贖罪として、自身を蔑ろにしていた部分もある。
今は考え方も少しは変化しているが、やっていることはほとんど変わらない。
自分を大事にしているからこそ、憧れを追って義賊として活動する。
その危険な行為を認められないのは、親しい人なら当たり前のことだ。
理解を得られないことだって、当然あるだろう。
「それは……」
「あの剣がないと勝てる自信がないか? でも、あれは友人のものなんだ。どうしても欲しかったら、その友人から買い取ってくれ」
まあ、オルターはどれだけお金を積まれても、あれほど魅力的な研究対象を売ることはないだろう。
というか、そうでないと困る。
正直、あの剣を持っているグレンを倒せる自信がない。
バーン王子のような絶対に越えられない壁というわけではないが、致命的に相性が悪い。
今回グレンに勝てたのは、剣を手に入れたばかりで慢心していたというのが大きい。次は勝ちの目はほぼないだろう。
何としても剣なしでの戦いに持ち込まなければいけない。
「ここに誓約書がある。君が用意させた魔道具だから、どんなものかは分かるだろう。内容は書いておいた。もしこれに同意するなら、今すぐ君を解放してもいい」
そういってクロは、その紙をグレンに目を通させる。
『グレンの決闘にクロは必ず応じる。決闘は、クロが万全のときに一対一でお互いに素手のみのものとする。グレンが勝利した場合、クロは義賊から足を洗ってグレンの庇護を受け入れる。この決闘は何度挑んでもよい』
これが紙に書かれた内容である。
剣を諦めさせるために、かなりグレンに譲歩した内容になっている。
「不安になれば、いつでも挑んでくれて構わない。その度に私の強さを示して、その不安を取り払おう。悪い話じゃないはずだ」
黙りこくるグレンに、クロは早く同意するように急かす。
グレンの頭の中では、きっと色々考え込んでいるに違いない。冷静になる前に条件を飲ませなければ。
焦った末クロが取った行動は、グレンの頭に手をのせることだった。
「クロ姐さん」
グレンは嫌そうな顔をするが、クロの手は動きを止めることはない。
(頷くまで撫で続けてやろう)
そうやってクロは頭を撫でていると、ふとグレンと出会った日を思い出した。
最初にならず者から助け出したあとも、泣き止まないグレンの頭を撫でてやったものだ。
懐かしがりながら、クロはまるで昔のように優しく撫で続ける。
「……わかった、わかったから撫でるのをやめてくれ!」
結局、グレンは条件を飲んだ。
誓約書によるお互いの意思確認が完了し、魔道具を起動させたクロはリアを呼ぶ。
掘り起こされたグレンは、ばつが悪そうにリアにから目を逸らした。
しかし、その先にリアが回り込んでじっと目を合わせる。
「すまない、リア。こうなるなら最初から意地を張るべきじゃなかった」
観念して謝罪するグレンに、リアは言葉を返す。
「全くです。言っておきますが、積まれた仕事を片付けてからでないと、決闘は許しませんからね!」
そう言ってリアはクロに挨拶をすると、グレンを連れて行った。
グレンは完全に『ブラックムーン』を認めたわけではない。そういう意味では、解決はしていないのだろう。
だが、グレンの纏う雰囲気が以前の緩いものに戻った気がする。それだけでも、今回は良しとしよう。
(グレンの不安も、時間の経過とリアの支えでなんとかなるに違いない)
そう考えるクロは、改めて帰ってきた貧民街を見渡す。
以前とは違う、力強く生まれ変わった貧民街。
──あの二人なら、きっと導ける。
そんな確信とともに、クロは帰路についた。
服装についての言及が長いので、あとで気になったら削るかもしれない。