今回は比較的会話文が多めです。
ウィンがいる檻の前には、明らかに不自然な服装をした人物がいた。
身長は、ウィンより少し高いぐらいである。
作った声色な上にマフラーでくぐもっているので、性別は分からない。
黙って様子を伺っていると、その不審者はまた口を開く。
「これは失礼した。我が名は『ブラックムーン』。しがない義賊だ。名乗りもせずに名前を聞いてしまった非礼をお詫びしよう。改めて、お嬢さんの名前を聞いてもいいかな?」
大仰な言葉遣いで自己紹介をした不審者『ブラックムーン』は、どうやら侵入者のようである。
ご主人様に伝えれば、しばらく折檻をしないでくれるかもしれない。
大声を張り上げようとして息を吸うウィンを、不審者が慌てて止める。
「おおっと、その顔は誰か呼ぼうとしているような顔だ。ちょっとだけお喋りしないかい? 呼ぶのはいつでもできるからさ」
そう言って不審者は一瞬床に沈んだかと思うと、なんと牢屋の中に入ってきた。
幽霊か何かなのだろうか。
警戒するウィンの前に、何かが差し出される。
「ほら、お腹空いてない? 私の携帯食料を分けてあげよう」
差し出されたのは、小動物の干し肉のようだった。
お腹を鳴らしたウィンは、結局誰も呼ばないことにした。
干し肉を齧りながら話を聞いたところ、どうやらこの不審者は悪い貴族を探すために潜入調査をしているらしい。
「ウィンは、なんで牢屋に入れられてるの? 子どもがやんちゃしてお仕置きされてるとか? それにしては、度が過ぎてるように見えるけど。もしかしてここの貴族って悪い人?」
ウィンは首を振った。
ここにいるのは私が悪いことをしたからだ。
「君はどんな悪いことをしたんだい?」
優しく声をかけられ、言葉に詰まるウィン。
そういえば、なんでここにいたんだっけ。
お父様が死んで……、そうだ、所有物。所有物だった。
「所有物? 悪いことをしたんじゃないの?」
ウィンの言葉を聞いても、目の前の不審者は納得してくれない。
見ず知らずの相手なのに、言葉がするすると頭に入ってくることにウィンは困惑する。
まるで、誰かの言葉を代弁するかのように。
次々と浮かぶ
今まで何度も繰り返したその行為は、ウィンの頭を上書きする。
私は所有物で、私が悪くて、ご主人様の言うことを聞かないといけない。
「君は本当に悪いことをしたの?」
お母様とお父様に会いたい。
私のせいで、お母様もお父様も死んじゃった。
分からない、悪いことって何?
私が、悪い。
お腹が空いた。
私は、人間じゃない。
痛くしないで。やめて。
私は、所有物。
「君は助けを求めているんじゃないのか?」
抑えつけていたウィンの感情が、震える。
だって、それはずっと待ち望んでいた言葉だったから。
私は、
私は、
「……私は」
言葉が続かなかった。
涙がせき止められなくなる。しゃくりをあげるのを抑えたくても抑えられない。
痛いのは嫌だから泣いてはいけないのに。謝って赦しを乞わないといけないのに。
俯いて震えるだけのウィンは、頭に温かい感触を感じた。
顔をあげると、不審者がウィンの頭をなでていた。
ウィンは不審者の胸に飛び込んで、わんわんと泣いた。
優しく背中に手を添えたクロは、そんなウィンを静かに見守り続けるのだった。
◇ ◆ ◇
『ブラックムーン』として潜入調査をするようになったはいいものの、成果は芳しくなかったクロは行き詰っていた。
数字が並んだ書類を見ても、暗い部屋で行われている怪しい話を聞いても、学のないクロには悪事の手がかりなのかさっぱり分からなかった。
そうして潜入活動を続けてしばらく経ったあと、ついに悪事を嗅ぎつけた。
なんと、牢屋に囚われた子どもを発見したのである。
訳ありかもしれないと思って、話を聞くクロ。
どうやら、この子どもは虐待を受けているようだ。それも並大抵のものではない。
つっかえつっかえで話したものなので詳しくは分からないが、貧民街ですら見たことのないほどの悲惨な境遇にいるのだろう。
最終的に、その子ども──ウィンは、私を信じて一緒に逃げ出すことにしたようだ。
行き当たりばったりに決めたので、普段よりも危険も伴う。
だが、クロが一旦準備をするために撤退して、警戒態勢が厳しくなっても問題である。
ウィンも、こんな場所に一秒でも長くいるのが耐えられないという様子だ。
(ここに辛い思い出しかないから、無理もないだろうな)
一刻も早く連れ出してやりたいクロだったが、いくつかの難点があった。
まず、この檻である。見たところ鍵穴がない。
ウィンによると、ここの貴族は折檻のときだけ魔法で檻を変形させて出入りしていたらしい。
「教科書で見た地属性魔法ってやつだな、多分。となると鍵を探すのは無理か」
クロ自身や物体なら『
加えて、誰かを連れ出すとなると、単独行動以外経験が無いクロでは危険が伴う。
どうしたものかと、腕を組んでクロは考え込む。
こんなとき、原作の『ブラックムーン』ならどうするだろうか。
『ブラックムーン』は作中、ピンチの時には新能力に覚醒していた。
ピンチの度に『ブラックムーン』は限界を超えて成長し続けた。
つまり、ここから導き出される突破法は、今この場を切り抜ける魔法を習得することである。
これは何も適当を言っているのではなく、ちゃんと目論見があってのことだ。
具体的には、他人を影に入れるのである。
(いままで機会がなく試したことがなかったけど、ここでやってみよう)
協力してもらいながらウィンを影に入れようとするクロだったが、新たな問題が生じる。
「──っ!? 」
クロの中から、ごっそりと何かが抜け落ちる。
ウィンがつま先を影に沈めただけで、クロの魔力をとんでもなく消費したのだ。
しかし、これしか突破方法が無いのも事実は事実。
なんとか魔力を振り絞って、ウィンを檻の外に出したクロ。
かなりの疲れを感じるが、魔法が成功したことにクロは安堵する。
「あの、大丈夫ですか?」
「ああ、気にしないで。とりあえず、この魔法は『
「……?」
首をこてんと傾けるウィンに、クロは少し気恥ずかしくなる。
いや、新しい魔法に名前をつけることは、重要だ。教科書に書いてあったから間違いない。
『
魔力消費(特大)
名前に満足したクロは、マフラーにしまっていた小道具を全て影から放りした。
今の消耗では、『
小石を投げたり、強烈な臭いを放つお手製の袋を投げたりはできないということだ。
足の筋力がだいぶ衰えているウィンを、そのまま連れて逃げるのもきっとよくない。
そう考えたクロは、ウィンを小道具の縄で背中に固定する。
(魔力は残りが少ない。その上、子供一人おぶってるから行動も制限されている。……それでも義賊『ブラックムーン』なら、見捨てることはしない)
クロは覚悟を定め、地下の階段を登っていった。
◇ ◆ ◇
フォレス家は侵入者を察知してからは、慌ただしく人が動いていた。
それらに指示を飛ばしているのは、栗色の顎髭と整髪の男である。
男の名はドロルド・フォレス。フォレス家の当主だ。
大広間にいる曲者は、世間を賑わせている義賊『ブラックムーン』。
さらには、地下に幽閉していたウィンを連れている。
ここで連れ去られてしまえば、フォレス家の計画が水の泡である。
そんな緊急事態であるが故に、ドロルド自身もウィンを奪い返すべく地属性魔法で交戦していた。
魔法が使えない者は巻き込まれないよう距離を取りつつも、『ブラックムーン』をしっかりと包囲している。
(……魔法を使わんな。使えないのか、消耗を気にしているのか)
一見すれば絶体絶命の様子の義賊は、噂ほどの恐るべき実力を見せることはない。
それでも、迂闊にも間合いに入った者はあっという間に制圧されている。さすがは『ブラックムーン』といったところだ。
ウィンを背負って制限された中での、この大立ち回り。数の利にも負けずに、表面上は拮抗している様子である。
だが、ここはフォレス家の屋敷の中。ドロルドが地属性魔法を存分に振るえるように、様々な細工が施されている。
屋敷の至るところに配置された土が詰められた樽は槌として機能し、飛び散った土も操作して武器とする。
倉庫に保管されている予備の樽も召使によって絶えず補充され、土はどんどんと増えていく。
時間が経つほど、状況が不利になるのは『ブラックムーン』の方だ。
魔法は、周りのものを巻き込むことで強くなる。
火属性魔法を火の近くで使えば炎はより大きくなり、水辺での水属性魔法はより多くの水を操作できる。
風属性魔法を広い屋外で使えば大気を支配し、大地を踏みしめた地属性魔法の使い手は難攻不落となる。
また、巻き込む規模は、魔力量の大きさに比例する。
魔力も十分にあり有利な環境に囲まれたドロルドは、少なくともウィンを奪い返すことは可能だろうと確信していた。
(悪名高い『ブラックムーン』がどんなに優れていようと、衰弱した小娘を庇いながらでは分が悪いはず)
そうしてこちらの優勢を自覚しながらも、ドロルドは攻めあぐねていた。
なぜなら手加減をしていたからである。
実際この環境において素手で戦う『ブラックムーン』では、辛うじて善戦したとしても本来は押し切られるだけの戦力差があった。
しかし、その戦力差を自覚し余裕が生まれたドロルドは、どう勝つかに思考を切り替えていた。
ドロルドにとって、『ブラックムーン』を捕まえる必要性は皆無である。
仮に追い詰めた場合でも、ウィンを置いて逃げに徹されると捕まえることはできないだろう。
それよりもドロルドが心配しているは、戦いの中でウィンが大けがをしてしまうことの方だった。
死なないよう慎重に慎重を重ね、丹念に尊厳を踏みにじり心を折った
フォレス家が王族に取り入る計画の要として、ウィンを無傷で取り返すことこそ最優先事項なのだ。
「聞け、賊よ! 今背中のそれを置いて逃げるのなら、見逃してやろう!」
ドロルドは攻撃を中断して、『ブラックムーン』にそう告げる。
「ウィンは、自らの意思でここを出ることを選んだ。お前に阻ませはしない」
返答にドロルドは苛立ちを覚えながらも、言葉を続けた。
「それは我々の所有物だ。お前には何の関係もない。なぜ、追い詰められてまで、それを庇うのだ?」
「彼女とはご飯を共にした仲でね。見捨てるなんていう選択肢はない。それに君は彼女を所有物と呼んだ。私には理解できないが、君にとって所有物なら賊が盗みたくなるのも道理だろう? 」
ドロルドは、口の減らない『ブラックムーン』に業を煮やす。
どうやら奴は、根っからの義賊らしい。くだらない正義などに拘って身を滅ぼすとは、なんと愚かなことだ。
これでは、ドロルドの傷付けずの回収するという目論見が台無しである。
しかし、交渉が決裂しては、どうしようもない。
怪我などで多少価値が下がることは、妥協するしかあるまい。
割り切ったドロルドは、ついに奥の手を使うことにした。
「『
そう唱えると土が一か所に集まり、常人の四倍の大きさはあろうかという人の形となった。
包囲された中で、巨人は敵を着実に消耗させていく。
腕を振るって土石をばら撒き、巨体で押しつぶさんと倒れこむ。
ドロルドの攻撃は、激しさを増していった。
◇ ◆ ◇
威勢のいい啖呵をきったものの、クロの分が悪いのには変わらない。
クロにとって、ウィンとは今日が初対面だ。
傍から見れば、危なくなれば見捨てることの方が自然だろう。
だが、クロにその選択肢はない。
弱々しく震えながらも確かに背中にしがみ付く手を、どうして振り払えるというのだろうか。
(しかし、正面突破しようとしたら、ここまで強いとは。貴族を侮っていたかもしれない)
今までのクロは、貴族が魔法戦で本領を発揮する前に逃げていた。
戦いに本腰を入れた貴族がここまで粘り強いのも、クロの想定外だった。
一人で逃げようと思えば逃げられはするだろう。
だが、次に来たときにウィンの場所を移されたら、手の出しようがない。
一時的であっても諦めるぐらいなら、たとえ捕まったとしても最後まで抗う方がましである。
それがクロの考えだった。
なにより、『ブラックムーン』ならここで見捨てる真似など絶対にしない。
もっとも、原作の『ブラックムーン』は、こんなピンチに陥ることはないが。
「ウィン、君は魔法とか使えたりしないかい? 本来なら君に戦わせたくなどないのだけど、私の未熟さがこのような事態を招いてしまった。申し訳ない」
ウィンは背中に必死にしがみつきながらも、なんとか言葉を発する。
「っ……。風属性魔法なら……な……んとか。でも魔法の名前とかは知らないから……、小さい竜巻を起こすぐらいしかできない」
クロは今ある手札で、即座に戦略を立てていく。
今欲しいのは、包囲を突破するための手段である。
馬鹿正直に、あの巨人に付き合う必要はない。
だからといって、包囲を突破するために、あの貴族や巨人に隙を見せるのは危険である。
突破するために今クロが欲しいもの──それは暗闇であった。
この大広間は、『影足』を使うにはあまりにも明るすぎるのだ。
「考えろ。影……風……竜巻……そうだ!」
何とか打開策をひねり出そうとしたクロは、教科書に載っていたことを思い出す。
魔法は、特定条件下で合体する。
(確か魔力の波長がなんとか……、ええい分からん)
そういえば、前に貴族の魔法攻撃を影でいなしたとき、影がにじむように広がったときがあった。
「ウィン、私に向かって竜巻を打ってくれ。何を言っているか分からないと思うが、私を信じてほしい」
ウィンが打った魔法に、クロが調節して合体させる。
これが、土壇場でクロの考えた作戦だった。
作戦の通りウィンが魔法を使い、大広間の空気を掌握する。
現れた竜巻に意識を集中させるが、なかなかうまくいかない。
ドロルドは訝しげに様子を伺っているが、土の巨人は強風の中でも一歩ずつ距離を詰めてくる。
焦って意識を風に向け続けるクロは、ふと背中に温もりを感じた。
先ほど背中にしがみ付いて震えていたウィンは、今は震えも止まっている。
ウィンの信頼を感じたクロは、大きく呼吸し集中を深めた。
託されたウィンの悲しみや恐怖、勇気や信頼といった感情に思いを馳せる。かちりと何かがはまる感覚がした。
「『
瞬時の考えた魔法の名を唱えると、マントから影が染み出していく。
根本にいるクロの足元から絵具が混ざったかのように、竜巻が黒に染まる。
そのまま黒は広がっていき、大広間は闇に包まれた。
貴族や包囲していた者たちの騒ぐ声が、暗闇から聞こえる。
混乱してる隙に、クロはウィンと共に広間を満たす影に潜った。
どうやらこの空間そのものが影の扱いとなっているらしいと認識したクロは、『影足』で一気に天窓まで上昇して外へと出る。
魔力が底をつきかけたクロだったが、倒れそうな体に鞭を打って敷地から脱出した。
(連中はどうやらいまだ混乱の最中にあるらしい。すぐに追って来る様子はなさそうだ)
少しだけ息を整えたクロは、ウィンを背負ったまま夜の町をかけていった。
戦った後のフォレス家は土塗れなので、後片付けもさぞかし大変に違いない。
次回は、ウィンを信頼できるところに預けて潜入調査に戻ったクロが、とある依頼を受けます。