物語終盤なのに、スランプになるとは……。
「厄介ですわね。これでは近づけませんわ」
ルージュは、地面から遠く離れた位置でそう呟いた。
自身に生えた翼で空気を切り裂きながら、迫りくるから脅威から逃げ続ける。
風が吹き荒れる上空で、二つの影が交差した。
一つの影は、黒い風を纏ったウィン。
「『
空を飛ぶウィンの視線の先で、魔法が炸裂する。
四方八方にかき混ぜられた大気は、何者の存在も許されない空間となってルージュへと襲い掛かった。
その空間を間一髪で回避したもう一つの赤い影は、翼を羽ばたかせてウィンの周りを巡回する。
竜と一時的に融合したルージュは、肉体に竜の力を発現できるようになっていた。
この翼も、その一つである。
しかし、ずっと飛び続けられるほどの力はない。
ウィンが氷のつぶてによる追い打ちに気をとられた隙に、ルージュは地面へと降り立つ。
地上では、レインとオルターが合体魔法によってウィンを遠隔から攻撃していた。
「大丈夫ですか。かなり疲労しているようですが」
オルターの肩へと手を伸ばしながら、レインは口を開く。
魔法の制御に集中していて余裕のないオルターも、心配そうな目をルージュへと向けた。
「ええ。これくらいで、へこたれてはいられませんわ」
レインからの気遣いに、ルージュは強気に返答する。
無理をしているのは明らかだったが、レインはそれ以上何も言わない。
ウィンを制圧するには、どうしてもルージュの力が必要なのだ。
レインとオルターの二人の合体魔法によって生み出された氷は、ウィンを追尾し続けている。
オルターとレインの精密な魔力操作によって繰り出されるこの魔法は、非常に厄介な代物であった。
もしその氷が触れれば、たちまち体の表面を凍り付かせて行動を制限する。
しかし、どれだけ強力な魔法も当たらなければ意味がない。
ウィンは、
ウィンの機動力に対抗できる者は、ごく少数なのだ。
最低でも同じく空中を移動できる者でなければ、そもそも戦いの土俵にすら立てない。
ルージュは再び、空中へと飛び立った。
疲れを感じていても、動きにほとんど衰えは見られない。
竜の体がそうさせるのか。あるいは、『スカーレットムーン』としての矜持がそうさせるのか。
救うべき対象がいる前で、弱みなど一切見せることはない。
吹き荒れる風を突っ切り、自身をねじ切らんとする風の渦を回避する。
この暴風の中では、狙った位置に爆弾を投げることも不可能だ。
だは、何度も攻防を繰り返したことで、攻撃を見切れるようになってきた。
その過程で、ルージュは一つの活路を見いだす。
(氷を避けきれないと判断したとき、ウィンは黒い風をまとって防御していますわ。一瞬だけ攻撃が止むその時に、接近できれば……)
ルージュは機会を伺う。
おそらく、その隙をつけるのは一度きり。失敗すれば、警戒されて二度とその隙はさらさない。
黒い風がウィンを包んだ次の瞬間、ルージュは加速した。
限界ぎりぎりの速度で、ウィンへと突進していく。景色が後ろに流れていく最中、翼にはしる痛みに顔を歪める。
(あと少し、あと少し、あと──)
着実に縮んでいく距離に、緊張が高まる中。
黒い風に遮られた風の向こうで、ウィンと目が合った気がした。
「『
空気の刃が、ルージュへと放たれる。
それは、迫りくる敵を切り裂かんとする不可避の迎撃。
自身の死を予感したルージュの脳裏に、今までの人生が走馬灯のように流れる。
止まったかのような時間の中で、記憶を遡っていく。
辿り着いたのは、とある古い記憶だった。
自身の魔法の才に絶望しながらも、あがき続けた幼き自分の姿。
拙くも初めて成功した、自分だけの魔法。
師匠がほめてくれた、
緩やかに動き始める時間の中で、ルージュは目の前へと拳を放つ。
「『
拳が刃に当たると同時に、握りしめた爆弾が爆発する。
手の中の熱が、拳を飲み込んでいく。
空気の刃を爆風で吹き飛ばし、ルージュは黒い風を突っ切った。
そのままウィンへと抱き着いて、地上へと急降下する。
何もかも付け焼刃の力に頼り切りだったが、唯一の努力の証だった魔法も捨てたものじゃない。
ルージュは、初めて自分の魔法が好きになれた気がした。
◇ ◆ ◇
天から流星の如く落ちてくる二人を受け止めるべく、オルターは魔法で地上に巨大な水の塊を作る。
レインも器用に水を操作して、着水時の衝撃を和らげた。
水しぶきを上げることもなく、二人を水が包み込む。
続けて水中へと潜ったオルターは、魔法を発動させるべくウィンの頭に手を添えた。
「『
ウィンの体内に意識を集中させ、精神を穏やかにさせる物質を生成させていくオルター。
闇の力で増幅されている感情の波を、強制的に退かせていく。
苦しそうに目を瞑っていたウィンの顔にあった険しさは、いつしか消えていた。
オルターは、水の中からウィンを出して体を支える。
「ウィン、もう大丈夫だ」
その言葉を聞いて、ウィンがゆっくりと目を開けた。
「……オルター様。他の皆さんも、ご迷惑をおかけしました」
「皆、承知の上だ。それに約束しただろう。もしまたウィンが暴走したとき、私がもとに戻すと」
安堵したオルターは、在りし日を思い出す。
『
この魔法を作り出したきっかけは、ウィンとのある約束だった。
かつて、レインがクロの魔力を利用して魔法薬を作ろうとした時のこと。
オルターは、暴走状態についてウィンに聞き込みをしていた。
「以上が、私の感じた暴走状態についてです。といっても、ほとんど意識はありませんでしたが……」
「……色々と参考になった。怖いことを思い出させてすまない」
オルターは、ウィンへと頭を下げる。
了承してもらったとはいえ、オルターの心は申し訳なさでいっぱいだった。
そんなオルターに、ウィンは笑い返す。
「心配してもらわなくて、大丈夫ですよ。そこまで怖くはないので」
「しかし……」
それでも晴れない表情のオルターに、ウィンは言葉を続ける。
「自分が自分でないのは、確かに怖いです。小さい頃にも、似たことがありましたから。でも、手を差し伸べてくれる人がいました。その経験が、私に勇気を与えてくれているのです」
おそらく、フォレス家にいた時のことだろう。
かつて、ウィンが虐げられて心を閉ざしていたとき、クロに救われている。
「今はオルター様もいますし。私がまた暴走しても、きっと何とかしてくださると信じているのです。……ちょっと甘えすぎ、ですかね?」
そう言って照れくさそうに笑うウィンに、オルターは強く頷いた。
「いや、何とかするとも。ウィンが暴走するようなことがあれば、私が必ずウィンを元に戻す」
この約束をきっかけに、オルターは暴走を抑制する魔法を開発した。
他人の精神を操作する魔法など、闇属性魔法以外では前代未聞である。
しかし、オルターは自分の体内を魔法で操作できる。
そんな離れ業を習得しているオルターには、確信があった。
人間の体は、多くの水が含まれている。水で構成されているといっても過言ではないほどに。
ならば、水の操作を極めれば、精神を操作することも不可能ではないはずだ。
こうして、オルターはウィンとの約束を確かに果たした。
「約束、覚えて下さったんですね」
ウィンは、オルターの目を見てそう告げた。
お互いの目を見つめ合いながら、二人の間に優しい空気が流れる。
その間に割って入ったのは、ルージュの大声だった。
「
「大人しくなさい。竜の体なのですから、この程度かすり傷でしょう。薬が染みるのぐらい、我慢なさい」
レインとルージュの喧噪に、二人は我に返る。
ウィンは支えられていた体を起こして、ルージュの元へと歩いていく。
自分のために身を挺したルージュを、ウィンが知らんぷりできるはずもなく。
一人残されたオルターは、少し顔を赤くしながらウィンの後を追いかけた。
◇ ◆ ◇
「いい加減、邪魔だ!」
焦った様子で魔王が竜をけしかけるも、ワーグは適切に攻撃を対処していく。
『勇者の剣』で闇を切り裂き、『
竜の再生する隙を与えぬように、間髪いれずに攻撃を叩き込む。
「何なのだ、貴様は!?」
魔王の言葉に、ワーグの返事はない。無言でひたすら竜を抑え込む。
ワーグとて、余裕はないのだ。
『勇者の剣』を持ったとて、ただの人間が魔王と拮抗するなど本来はありえない。ここまで食い下がれるのは、異常というほか無かった。
普段のワーグに、ここまでの力はない。ここまでの力を手に入れた原因は、先刻ワーグが飲んだ薬にあった。
この薬は、かつて王族から『杖』を奪う時のために準備していた物だった。
副作用度外視であり、ワーグの体に適合するように調節した劇薬。
義賊『ブラックムーン』に依頼したことで不要になっていた薬を、倉庫から引っ張り出したのである。
竜に比類する可能性があるこの薬の効果は、極めて単純である。
──感情を増幅する魔法薬。それが薬の正体であった。
魔法は、感情の力によって強化される。
ワーグの奮闘は、劇的に強化された水属性魔法と『勇者の剣』による恩恵のおかげであった。
では、ワーグは何の感情を増幅させたのか。
ワーグは、魔王に対してかつてないほどの怒りを抱いていた。
それは、魔王がクロの精神に巣食っているから──
なぜか知らないが、魔王にはクロの意思を尊重している節がある。
魔王に攻め入った他国の軍も、死傷者がでていない。全員、精神掌握はされたが。
これは、魔王が明らかに手加減をしている証拠だった。危険を感じない限りは、クロの嫌がることはしないのだろう。
バーン王子によれば、クロのことを説得で懐柔するつもりでいるらしい。
仮に魔王が侵略してくるとしても、それはずっと先の未来のことだ。ワーグの身近な人間に、危害が及ぶことはない。
そして、これはクロが選んだ結果でもある。
皆から距離を置いて、魔王を自分に封印する。いつか封印が解けるとしても、今の仲間が被害を受けることはない。
こう考えたからこそ、クロは逃げ出した。
だから、魔王の行いにワーグは哀れみこそすれ、怒りはなかった。
バーン王子たちの後方支援はできうる限りするが、死にゆく自分が出しゃばることはない。
ワーグは、そう考えていたのだ。あの言葉さえ、なければ。
「我が名は魔王『ダークムーン』。この世界に恐怖をもたらす者である!」
闇に響く声を聞いたあの時、ワーグは激怒した。
その名前は、明らかに『ブラックムーン』を意識した名前だった。
ワーグにとって、あの小説は忌むべきものである。若気の至りで書いた駄作。誰にも見せられない黒歴史。
だが、それを捨てることはできなかった。年老いても、捨てるか迷いながら持ち続けた。
その物語を、嫌いにはなれなかったのだ。
クロが『ブラックムーン』を名乗っていた時、ワーグの胸の中にはどこか誇らしさを感じていた。無論、その何倍もの恥ずかしさもあったが。
故に、複雑に感じながらも、直接クロを咎めることはしなかった。
自分の物語の登場人物に、ここまで熱を注いでくれる人がいる。
その事実は、忘れていた情熱を再び呼び起こした。
クロの行いは、ワーグの心を救うものでもあったのだ。
だからこそ、魔王『ダークムーン』をワーグは見過ごすことはできない。
──『ブラックムーン』は、闇落ちなどしない。
ワーグの中で生じた解釈違いに対する怒りは、魔法薬と合わさることで最大限の効果をもたらしていた。
ワーグは魔王を抑え込み続けた。
薬の副作用を誤魔化し、吐き出しそうになる血反吐をこらえ続ける。
ついに限界を迎えるまで、ワーグはやり遂げた。
「はぁ、はぁ」
地面に血を吐き出しながら、片膝をつく。
ワーグの顔に、絶望はない。
十分に役目を果たしたことは、ワーグを庇うように立つ背中を見れば分かる。
「よくやってくれた、ワーグ・ハインツ。……ここからは、再び俺が相手しよう」
休憩により回復したバーン王子は、そう言って魔王を見据えた。
◇ ◆ ◇
こちらを射貫く獰猛な視線に、魔王は負けを悟った。
ウィンからの感情も途絶えている。おそらく、負けたのだろう。
頼りにしていたウィンが負けることなど、全く想定していなかった。
一刻も早くに地上の様子を確認しにいきたかったが、その行く手をワーグによって阻れた。
全く予想もしていなかった人物に、ここまで食い下がられるとは。
魔王は基本感情を読み取ることで、戦いで優位にたつ。相手を理解することで、常に最適解を選択する。
そんな魔王にとって、感情を読めなくされる光の魔力は非常に厄介極まりない。
ましてや、血走った眼で猛攻を重ねる老人は、未知という恐怖そのものだった。
かつての勇者ですら、ここまで理解できない存在ではなかった。
老人の怒りの形相に気圧され、魔王はいまや劣勢に追い込まれている。
このままでは、勝てない。ならば、逃げに徹するのみだ。
魔王は影へと沈んで、避難する。
(この空間には入ってこれまい。今は逃げて体勢を……)
影に潜り、魔王は地上へと移動する。しかし、それを逃がすバーン王子では無かった。
手に持った『勇者の剣』で闇を切り開き、影の中を追いかけてくる。
「逃がさん」
影の中で、二人の距離は縮まっていく。その様子は、かつての王宮での追いかけっこを想起させた。
あの時と同じように、バーン王子は魔王へと追いついていく。
体に熱を巡らせ、心に熱を灯し、バーン王子は魔王の手を掴んで抱き寄せる。
熱のこもったバーン王子と目があった魔王は、にやりと笑った。
「闇の中に自ら侵入してくるとは。勇者ですら、このような愚かな事はしなかったぞ。「『
魔王は、バーン王子の精神へと侵入する。
他人の心という暗闇の中で、洞窟を灯す明かりのように輝く感情を辿っていく。
こうなってしまえば、精神を掌握することなどあまりに容易い。
竜の化身すら手にすることに、魔王は舞い上がる。
(これで、竜の化身の心は私の物──何だ? 様子が……)
魔王は、見落としていた。
ウィンがすんなりと精神掌握を受け入れた時に、一つだけ巧妙な罠をしかけていたことに。
精神の洞窟の先で、明かりを手にした幼き姿のウィンが嗤う。
「この手は、読めていましたか? 幾重もの感情の底に隠していた、理性の罠を」
なぜ、彼女がこんなところにいるのか。
そもそも、ウィンのことは完全に操っていた。感情からも裏切りの予兆などなかったはずだ。
「不思議ですか? なぜ気づけなかったのか。簡単ですよ。精神を掌握されるのは、あなたが初めてではなかった。それだけです」
口をパクパクさせる魔王に、ウィンはとびきりの笑顔で種明かしをしていく。
幼き頃の経験から、ウィンは精神掌握への対策を学んでいたらしい。
その対策とは、抗わないことである。
抗えば、それだけ心は傷つき再起不能へと近づいていく。逆に言えば、あえて流れに身を任せることで、心の一番深い部分を守ることができる。
ウィンが魔王の支配を簡単に受け入れたのは、自身の本当の目的を隠すため。
目的のために感情すら天秤にかける合理性を、ウィンは身に付けていた。
感情は魔王に従うことを良しとしながらも、理性はクロを助け出すための策を探っていたのだ。
「あなたは感情を探知する。それゆえに、人の心という闇の中でも迷わない。一番深いところまで、必ずたどり着く」
幼き姿のウィンは、手にした明かりを掲げる。
「なので、私たちの感情で、もっとこの洞窟を明るくしましょう。光には、虫が寄ってくるもの。ですが、強烈な光は時に熱を帯びて、近づくものを焼き尽くす」
心の中の暗闇を、強烈な光が照らす。
その光は、仲間たちのクロへの感情。
ウィンの敬慕。
バーン王子の好意。
レインの興味。
オルターの賛美。
ルージュの羨望。
グレンの執着。
リアの感謝。
ワーグの怒り。
彼らの感情が放つ虹色の光は、洞窟に立ちすくむ魔王の目を焼いた。
(なんだ、これは。感情が強すぎる。これでは探知できない)
強烈な感情という光は、眩しいを通り越して周囲を白に染め上げる。
心の奥底への道しるべは、もはや機能していない。
魔王によるバーン王子の心への侵入を、ウィンが運んだ仲間の感情が阻む。
古来より、風は病を運ぶもの。ウィンが持ち込んだそれは、魔王にとっての劇物であった。
「どうした。精神を掌握するのだろう?」
バーン王子の言葉に、我に返る。
それでも、魔王は諦めない。感情が探知できなくても、無理やり支配を試みる。
明かりがなくても、洞窟を掘り進めばいい。いつかは、必ずたどり着く。
そんな必死になった魔王の顎を、バーン王子は持ち上げた。
「そうだ、遠慮するな。何しろ、こちらからも反撃させてもらうのだから」
「……? 何を──」
「侵食するのはお前だけの得手ではない、ということだ」
困惑する魔王に、そう返すバーン王子。
すると次の瞬間、バーン王子は魔王の唇を塞いだ。
呆気に取られるが、すぐさま狙いに気づく。
(竜の魔力が、流れ込んできている!? まさか、こちらを竜の魔力で侵食する気か!?)
次から次へと襲い来る予想外の事態に、魔王は混乱の渦へと飲み込まれる。
辛うじて古い記憶の彼方から引っ張り出してきたのは、竜の化身についての情報だった。
竜の化身は、婚約者となった者へと竜の魔力を流し込む。
人の身で竜の化身を子として宿すというのは、あまりにも負担が大きい。
よって、次代の竜の化身を身籠るのに耐えられる体へと、相手の体を作り変えるのである。
竜の魔力を受けた体は、とても頑丈になる。刃に貫かれても、毒を飲んでも、死ぬことはない。
それこそ、高い所から自由落下しても、生きている。
このような肉体の強制進化こそが、今しがたバーン王子が魔王に施している侵食であった。
圧倒的な勢いで、竜の魔力が魔王の体を巡る。
魔王の精神掌握の速度とは、比較にならない。
闇の力に侵された体が、竜の魔力に染め上げられていく。
(勇者ですらない者どもに負けるとは……)
そうして魔王の意識は、沈んでいった。
だらりと脱力したクロの体を、バーン王子は大事そうに抱える。
絶対に逃げ出さないように。二度と離さないように。
次回あたりが、最終話です。
早いですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
感想などを聞かせてもらえたら、嬉しいです。
時間が空いたくせして、おこがましいとも思うのですが、よろしくお願いします。
ここが分からない、ここが読みにくいとかでも構いません。