あれからワーグと何回かやり取りを重ねたクロは、早速王宮へと潜入していた。
(広いし人も多いが……。私の魔法にかかれば、この通り)
『
順調であっても、慎重さは忘れない。
危険だと感じれば即座に撤退するように、ワーグから口を酸っぱくして言われたのである。
しかしその一方で、なんとか今回限りで盗み出せないかと
初見殺しや不意打ちこそが、クロの最大の武器である。
多少の危険は承知の上でも、今日盗み出せるなら大金星だ。
(押し切れそうなら、制圧したうえで盗み出せばいい)
そんなクロの覚悟とは裏腹に、意外にもすんなりと目的地に近づくことができた。
ワーグのようにこちらに気づく実力者がうようよといるのではという不安もあったが、肩透かしを食らったようだ。
(ワーグって、実はこの国一番の魔法使いだったりするんだろうか)
そんなことを考える余裕が生まれたクロは、何回目になるかも分からない『
立派な石で作られた王宮は音が響くので、人を察知できるという点では貴族の屋敷よりも簡単である。
さらに銅像や鎧なども、結構な頻度で廊下に並んでいる。隠れる影にもあまり困らない。
(今のところはうまくいっている。もしかしたらこのまま簡単にいくかも?)
そう思っていたクロは、突然影の中で背筋にぞくりとする感覚がはしる。
ワーグに気づかれたときと似た感覚だったが、それとは比較にならないほど異様だった。
まるで、巨大な猛獣を前にしているかといった威圧感。
「……ネズミが一匹、紛れ込んでいるようだな」
(バレてる!?)
クロは即座に『
そこにいたのは、赤い髪と鋭い目つきをした青年だった。
服装からして、明らかに召使のような平民ではない。
つまり、魔法が使えるということだ。
臨戦態勢になったクロは、小道具を取り出す。
マフラーから出したのは、激臭を放つ袋。
本来は敵の鎧や服の中に放り込むのだが、投げつけて意識を逸らすことにも使用している。
魔法を打たれても、袋が破ければ激臭は広がる。
なんとか、隙を作って制圧すれば増援は来ない。
ワーグに用意してもらった睡眠薬を飲ませて縄で拘束でもしておけば、まだ撤退はせずに済むはず。
「ほう、ネズミが向かってくるか」
幸いにも、相手はこちらを侮っているようだ。
(さあ、魔法で撃ち落とすなら、撃ち落としてみろ!)
隠し持った袋を投げつけるクロ。
「『
青年は落ち着いた様子で、魔法によって炎を放つ。
だが、その規模が尋常ではなかった。
この視界を埋め尽くすほどの炎の威力は、クロまで致命傷を負いかねない。
そう判断したクロは、咄嗟にマントで全身を包んで『
攻撃によってマントを失い、影から引きずり出される。だが、今の炎は無傷でやり過ごせた。
袋は近くにあった王宮の調度品ごと燃えつき、焦げ臭さだけが周りに残っている。
青年の足元は、一部熱で融解している部分もあった。
「手加減したとはいえ、この炎を受けて無傷とは。お前、名をなんという?」
無傷で立つクロを見て、青年は興味深そうに尋ねる。
「我が名は義賊『ブラックムーン』。無事だったのはちょっとした手品さ。お気に召していただけたかな?」
『ブラックムーン』としての態度を保ちつつも、クロは内心冷や汗をかいていた。
先ほど失ったマントはいつもの手作りのものではなく、ワーグが直々に魔法によって仕立てた耐火の特別性であった。
影が要の魔法であるクロは、火属性魔法を苦手としている。
王宮にうじゃうじゃと魔法使いがいることを想定して、ワーグに必要な物資として用意してもらったのだ。
クロが自分で試したときは、一日中焚火で炙っても焦げ目一つできなかった。
その耐火の特別製マントを、目の前の青年はこうもあっさりと燃やしてしまった。
加えて隠密を看過したことも考えると、明らかにワーグ以上の存在である。
「ほう、ではお前が
上機嫌そうに見える青年の言葉をきいて、クロはこの青年の正体を理解する。
貴族を格下に見る発言に圧倒的な魔法とくれば、王族としか考えられない。
「今回は王族に手を出すつもりはない。それでもというならお相手するが」
人が集まる前に逃げ出したいところだが、炎によって影を作るような物体は燃やされてどこにも隠れられそうにない。
ここから離脱する上で戦う意思のある王族に背を向けるのは、自殺行為だった。
戦って切り抜けるか、見逃してもらうかの二択。
できることなら見逃してほしいと、クロは考えていた。
ワーグの話では、王族は国のあれこれにあまり関心を示さない。
力の頂点として君臨するのが王族の役目であり、宝を守るために汗を流すのは貴族の役目のはずだ。
「なるほど、賊のくせに多少は物を知っているらしい。……確かに王族ならただの盗人は見逃すだろう。しかし、この廊下の先にあるのは、王家の許した人間のみが近づける宝物庫。その宝物庫の近くにいるお前は、どうやらただの盗人ではないらしい」
王族の青年はそう言いながら、道の真ん中に立ちふさがる。まるで挑戦してこいと言わんばかりだ。
どうやら戦うしかないようだ。
クロはどのようにして切り抜けるか、頭の中で考えを巡らせる。
宝物庫が近い以上、この王族を撒いてゆっくり『杖』を探している時間はない。
制圧して睡眠薬を飲ませるしかなさそうだ。
マフラーに予備のマントをいくつか入れているので、使い捨てになるが防御は問題ない。
「そういえば、名乗るのが遅れたな。俺の名はバーン・ドラファイス。この国の王子だ。どうか俺を退屈させないでくれ、『ブラックムーン』」
そう言って、バーン王子は獰猛な笑みを浮かべながら魔法を放った。
◇ ◆ ◇
バーン王子は退屈していた。
貴族どもは自分の周りで日夜騒がしく競争しているのに、自分はずっと蚊帳の外である。
バーン王子に近づく者は、ほとんどが自分を良く見せようと取り繕う。
母親でさえ、取り繕ってバーン王子と接していた。
王族とはそういうものであり、そんな些細なこと気にすることではない。
王家ではそう伝えられてきたらしく、父からもそう教わった。
我らは君臨することが責務であり、深い関わりを求めてはいけないと。
しかし、バーン王子には歴代の王家とは違う点があった。他人への興味である。
平民や貴族に対して関わりを、心の奥底では求めていた。
所有する財宝に心を奪われる竜など、あってはならないことだ。
竜とは財宝そのものではなく、財宝を所有する自分の力に悦を見出さなければならない。
そうした歴代の王家の考えからは、バーン王子はズれていた。
バーン王子が感じる退屈さは、王家として歪な感覚だったのだ。
そんな中、退屈な日常に刺激がもたらされたのは唐突だった。
「『
バーンの放った炎がまるで生き物のようにうねり、前方を薙ぎ払う。
広がった炎が消えても、その人影は煙の向こうに立っている。マントが燃えただけで無傷のようだ。
目の前にいる賊。『ブラックムーン』とかいう名前だったか。
加減したとはいえ魔法を凌いだのは、これで5回目である。
王家は基本的に火属性の魔法の適性を持つ。これは竜の化身の末裔であることが原因であると言われている。
五大属性である『火』『水』『風』『地』『光』の中でも、火属性の魔法とそれ以外には特性に大きな違いがあった。
魔法は、周りの巻き込めるものによって威力が高まる。
そして、火以外の属性は、巻き込めるものが自然に存在するのである。
一方で、火属性魔法は巻き込めるものがなく、人の手で火を起こして初めて巻き込むものが生まれる。
そこには、ある種の格差があるのだ。
ただし、火属性の使い手が不遇というわけではない。火は触れるだけでも敵や物に大きな損傷を与える。
攻撃における一般的な火属性魔法の威力は、物体を巻き込んで強化された他属性の魔法と対等として語られるほどであった。
では、
仮に人の手で火を起こしたとしても、自然に存在する水や大気、大地そのものの量に匹敵することはない。
しかし、竜の化身の末裔である王家は、その身に莫大かつ強力な炎の力を宿していた。
魔王と勇者が争っていたという古の時代、戦乱の最中に現れた一体の竜が吐く青い炎によって、いくつもの国が焦土になったという伝説がある。
もちろん、竜の化身の末裔であっても、人間である限りそこまでのことはできない。
だが、王家の持つ火属性魔法の力は、あまりにも人間の範疇を逸脱しすぎていた。
その炎を、少なくとも『ブラックムーン』は受けきっている。
それだけでも、バーン王子は目の前の存在に夢中になった。
一体どのくらい自分の力に耐えられるのか。
興奮に胸を躍らせていると、防御に回っていた『ブラックムーン』がこちらに一気に距離を詰める。
「来るか! この俺を楽しませてみよ!」
即座に魔法で迎撃の準備をする。
『ブラックムーン』はどこから取り出したのか、いくつものマントを空中にばさりと広げた。
炎で全てのマントを即座に燃やし尽くしたバーン王子は、燃えたマントから黒い煙幕が出てきたことで悪手だったことに気づく。
煙幕の中でお腹に蹴りを放たれたのを認識し、その蹴りをものともせずに足を掴む。
竜の化身の末裔として人間離れしているのは魔法だけではない。バーンの身は刃物を通さないほど屈強であった
捕まえたと確信するが、するりと溶けるように手の中の感触が消えた。
背後に気配が回ったのを感知して、後ろを振りかえる。
すると『ブラックムーン』の顔が、すぐ目の前にあった。
体に絡みついた手足を振りほどこうとした瞬間、相手の思いもよらぬ行動に固まる。
目の前に迫った顔のマフラーがはらりとほどけると同時に、『ブラックムーン』の口がバーン王子の口を塞いだのだ。
一瞬呆気にとられたバーンだったが、体内に何かが入ってくるのを感じて我に返る。
すぐさま強引に振りほどいて距離をとった。
異物を吐き出そうとしたが、すでに体内で溶けて吸収されたようで吐き出せない。
薄っすらと眠気がこみ上げるのを自覚したバーン王子は、自身が不覚をとったことに驚愕していた。
(この俺が女の唇で呆気にとられた、だと?)
こみ上げる眠気に竜の力を宿した体で抗おうとするが、力が入らず壁を背に座り込んでしまう。
竜の力をも上回る睡眠薬など、きいたこともない。
そのようなものを生み出すなど、そこらの貴族では難しいはずだ。
「……女、見事……だ」
瞼が落ちる前に最後にバーン王子が見たのは、マフラーを拾ってこちらを見下ろす『ブラックムーン』の姿だった。
◇ ◆ ◇
クロは荒い息をしながら、なんとか成功したと一息ついた。
「ギリギリだった。煙玉と睡眠薬をワーグから貰っといてよかった」
じり貧と悟ったクロは、予備のマントのほとんどを囮として、ありったけの煙玉を放出したのだ。
黒い煙幕によって生まれた影を使い、バーン王子の懐に飛び込むところまでは良かった。
ここまで接近すれば、バーン王子も自分が巻き込まれるのを恐れて迂闊に魔法を使えないだろう。
目論見通りにバーン王子が魔法の使用を止めるのを確認したクロは、バーン王子の腹への蹴りで口を開けさせて睡眠薬を放り込むつもりだった。
体があまりにも強靭すぎて、蹴りが通用しなかったのは完全な想定外だった。人間の硬さじゃない。
掴まれたのが、影の中でよかった。影の中なら、衝撃をいなしたり掴みや縄などの拘束を抜けることだってわけない。
拘束から逃れた後は、『
人間の体内は暗闇であり、接吻をすれば口を介してお互いの影が繋がる。
影さえ繋がっていれば、あとは『
口元のマフラーにしまっていなければ、咄嗟に口の影に移動することも難しかっただろう。機転が利かせなければ、おそらく負けていた。
また、今回使用した煙玉と睡眠薬は、ワーグに融通してもらったものである。ワーグには頭が上がらない。
特にこの睡眠薬は、ワーグの自信作らしい。
毒への耐性が強い王族には、通常の薬は効かない。
だが、ワーグが密に開発していた薬は、理論上は王族にも効くほど強力だという。実際に効いたから、すごいものだ。
最悪の場合、ワーグ自身で『杖』を奪うことも考えて準備していたのだとか。
王族の
直接戦った今なら分かるが、こんなのとまともに戦って勝てるわけがない。ワーグが正面から戦うのを避けるのも納得だ。
バーン王子は遊び半分で本気を出していなかった。だからこそクロが付け入る隙ができたのが勝敗を分けた。
修羅場を潜り抜けて、クロは宝物庫にたどり着いた。
バーン王子はいつ起きるかわからないし、縄で縛ろうとして起こしたりしたら怖いのでそのまま放置してきた。
(起きる前に、なんとしても王宮を離れないと)
宝物庫に入り、ワーグからの情報をもとに『杖』を見つけ出す。
情報通り発光はしていないので、影にしまえそうである。
マントに『杖』を収納したクロは、来た道を戻っていく。
もしも、先ほど燃やされたときのように、マントを失えば『杖』が出現してしまう。
目的は、破壊ではない。奪取して後に返還する以上、壊さないように気を付けなければ。
帰り道の途中で、眠っているバーン王子のところに差し掛かる。
ほっとしながら、怖いので遠巻きにしながら通り過ぎるクロ。
瞬間、脳が危険を訴え始め、背筋に鳥肌が立つ。
咄嗟に熱気を感じたクロは『
一瞬でマントが焼かれたのか、その場に放り出されたクロが目にしたのは、立ち上がり目を開いてこちらを見つめるバーン王子だった。
(もう目を覚ました!? いくらなんでも早すぎる)
転がった『杖』をすぐさま拾うクロを見て、バーン王子は口を開く。
「その『杖』を持ってどこへいく。魔道具は繊細だ。貧民街のゴミ漁りにばら撒いても、何の足しにもならんぞ」
先ほどまでの余裕のある表情ではなく、真剣なまなざしでこちらを警戒している。
さすがに王家の未来を左右する『杖』を持っていかれるとなると、遊び半分ではなくなるらしい。
加えて先ほど制圧できてしまったこともあり、付け入る隙も皆無だろう。
「これは今の貴族には過ぎたものだ。貴族が改心するまで私が預かろう。なに、いずれ王家にお返しするさ」
その言葉を聞いても、バーン王子は矛を納める気はないようだ。
まあ当然か。持ち去って無事に返ってくる保証もないし。
しかし、今回は有利な点がクロにはある。
まず、相手の手の内がある程度まで判明していること。
炎を使うことや接近戦で魔法が制限されることを知っているため、対処法もある程度は思いつく。
加えて、さっきはクロが宝物庫に向かうと途中にバーン王子が立ちふさがる形だったが、今は目的の物を手に入れたクロをバーン王子が追いかける形である。
戦わずして逃げ切る。いつもクロがしていることだ。
それに先ほどのようにバーン王子が放てば、『杖』が破損する可能性がある。
さすが王家の所有する『杖』とあってなかなか頑丈そうだが、バーン王子の炎ならいとも簡単に破壊するだろう。そう易々と攻撃はできまい。
「今度はそちらが挑戦者だ。杖を取り返せるものなら取り返してみるがいい」
マフラーの下で不敵に笑ったクロは、人質だと言わんばかりに『杖』を手で持ちながら予備のマントを羽織りなおす。
──追いかけっこの始まりである。
誤字とかあったらすみません。
王子様にセミみたいに抱き着いてキスするのって、傍から見たら絵面がとんでもないことになってそう。