放課後に、僕らは   作:やまざる

11 / 87
答案よりも、顔が死んでる

 

 夕方五時前の教室には、曇りガラス越しの淡い陽が射していた。蝉の声が窓の向こうでけたたましく響いている。一方で教室の空気 は夏の終わりを思わせる程の重さが漂っていた。

 

いつもなら賑やかな四限組の席も、今日ばかりは静まり返っている。筆記用具の音、紙をめくる音、そして──誰かの深いため息。

 

そう、明日から定期テスト。勉強モード突入である。

四限組の面々も、それぞれのスタイルで“戦”に備えていた。

 

「……あー、ダメだ。なんでここマイナスになるんだっけ」

 

教室の一角。数学のプリントと格闘していた朝倉彰良が、椅子の背にもたれながらぼやいた。

机の上には、書いては消した跡が何度も重なったノートと、シャーペンの芯が何本も転がっている。

 

「知らん。けど、お前そこの符号、前のページで同じミスしてたぞ」

 

斜め前から日暮夏彦が肩肘をついて指摘する。彼の机にはイヤホンと音声教材のタブレット、英単語カード。順調そうに見えるが、隣には国語の教科書がまるで“処刑台”のように置かれていた。

 

「やっぱ“未来視”とかでチートできないの?答案写すくらい朝飯前でしょ?」

 

「できるけど、俺は“あえてやらない男”なんで」

 

「かっこつけてる場合かよ」

 

言い合いながらも、どちらも本気で怒る風ではない。試験前日という緊張を、ほんの少し和らげるためのジャブの応酬。

だが、そんな空気に混ざらず黙々とノートにペンを走らせている生徒が一人。

 

文蔵想汰は、教室の一番後ろの席で静かに問題集を開いていた。

彼の隣に積まれたノートは、丁寧に日付が書かれ、要点にマーカーが引かれたまさに“模範的勉強ノート”だ。

だが、一つだけ違っていたのは――その手に握られた“黒革の手帳”だった。

 

(出題傾向:昨年は関ヶ原、今年は江戸初期の政治制度……。傾向としては、徳川家の継承に絡めた出題が――)

 

《オムニバス》

 

過去の生徒たちの記録から知識の断片を引き出し、解答の糸口を探る彼の異能。

 

ただし――

 

「それ、ズルいからね」

 

どこからか声がして、文蔵が顔を上げると、同じ机にいつの間にか椿原澪が座っていた。

文蔵が手帳を閉じ、問題集に手を移すと、澪は小さく微笑んだ。

 

「先生が言ったでしょ。“学ぶ”って、自分の頭で考えることだって」

 

「……記録は、考えることじゃないと?」

 

「いいや。だけど、“今の自分”が考えてないと、きっと意味がないんだと思う」

 

澪は静かに語り、手に持っていたノートをめくる。そこには付箋が何十枚も貼られていて、まるでカラフルな森のようだった。

おそらく、誰よりも準備はしている。けれど、不安そうに目を細めるその顔は、どこか“戦々恐々”としていた。

 

「……椿原、落ち着いてるように見えて、実はけっこう焦ってるだろ」

 

「…否定はしないよ」

 

「俺、国語捨てたかも。”抜き出しなさい”の問題がもはや“俺の作文”になってた」

 

「それはもう感性が国語に拒絶されてるね」

 

夏彦の愚痴に、澪がすかさず返す。その横で、文蔵はまた静かにノートへと視線を戻した。

彼にとって、“記録”とは無数の過去であり、道しるべだった。

だが今、彼は“問題集”を選んでいる。誰かと同じ方法で、同じ課題に挑む時間を、選んでいた。

 

「……想汰、案外真面目じゃん」

 

「俺はずっと真面目だか?」

 

「うわ、乗ってきた。テスト前のハイテンション怖い」

 

 「てか想汰、顔が死んでる」と、夏彦のぼやきが聞こえた。

 「……顔より、答案の中身が死んでないか心配したほうがいいと思うけど」と、澪が返す。

 

「うっ……ごもっとも……」

 

 笑い声と疲労の混じる空気の中で、教室の時間は少しずつ夕暮れへと溶けていった。

 

誰かがぼやくたびに、誰かが突っ込んで、誰かが笑って、また静けさが戻る。

 

だがその静けさも、どこか心地いい。

 

「……あと少しだね、一学期も」

 

澪がぽつりとつぶやいた。

 

その言葉に、全員が一瞬だけ顔を上げる。

明日から始まる試験。

そして、その先に待つ“夏休み”。

 

「――とりあえず、生きて帰ろうな」

 

誰の声ともなく、全員が無言でうなずいた。

 

───

 

静寂。

教室の空気が、まるで凍ったように張り詰めている。

鉛筆が紙を滑る音、ページをめくる微かな気配、誰かの小さな咳払い。

それだけが流れていく中、時計の針は無情に進んでいった。

 

テスト前の予鈴が鳴る。

 

「はい。ペンと消しゴム以外は全てしまって、カバンはロッカーの上か椅子の下においてください」

 

皆が一斉に動き出し、集中力を高めていく

 

ついに、本鈴が鳴り響き──────

 

「開始してください」

 

教師の一言で、テストが始まった。

 

☆☆☆

 

《1限目:国語》

 

文蔵想汰は淡々と問題を読み解いていた。

 

漢字、語句、文法、設問、そのすべてに目を走らせつつも、彼の脳裏には、ほんの一瞬だけ《オムニバス》がざわつく。

数年前の生徒の答案。設問の意図。誤答と正答の傾向。

 

(……使えば楽なのに、って思うんだろうな)

 

しかし今、文蔵は使わないと決めていた。

 

「問題を解く」という行為そのものに、初めて“面白さ”を感じていたからだ。

そこには、自分と問題との真剣勝負があった。

 

(……作者の気持ち? 知るかよ。って答えたいところだけど)

 

隣の席。

 

日暮夏彦は、試験開始からすでに5分ほどが経過してもなお、問題文の3行目でフリーズしていた。

 

(なにが“作者の心情を選びなさい”だよ……“やっと帰れてほっとした”と“寂しさが募った”って両方ありじゃん!どっちだよ!)

 

頭を抱えながら、彼はちらりと斜め前の澪に視線を送る。

が、当然ながら、澪はまっすぐに前を向いて集中しており、助けを求める隙など皆無だった。

 

(あれ?これってカンニング未遂じゃん?俺が普段バカにしてるやつじゃん?)

 

内心で自嘲しながら、夏彦はとりあえず選択肢Bにマークをした。

 

(もういい、国語は記号運ゲーって決めた)

 

☆☆☆

 

《2限目:数学》

 

今度は朝倉彰良が苦戦していた。

 

(よし、解けた……あ、符号間違えた)

 

最初の計算問題でつまづいたミスが、連鎖してどんどん広がる。

ページをめくるたび、別のミスに気づいて修正、また気づいて修正。

シャーペンの芯を折る音が、3回目になった頃には、彼の表情も限界を迎えていた。

 

(このスパイラル、早く抜け出したい……!)

 

横から聞こえてくる静かな筆音。

その主は文蔵。

緻密で整った数字が、ほぼノーミスで並んでいく。

 

(こいつほんと機械か……)

 

そんな視線に気づいたのか、文蔵がふと顔を上げて、彰良に目線だけで問いかける。

「大丈夫か?」

それに対して、彰良は口を動かさず、わずかに親指を立てて返した。

 

(大丈夫じゃないけど、見栄張っとくか)

 

そしてまた、彼はシャーペンを握り直す。

 

☆☆☆

 

《3限目:英語》

 

“音で覚える派”の夏彦にとっては、お待ちかねの得意科目。

設問を読み、英作文もスラスラ書ける。リスニングも完璧。

 

(よっしゃ、勝ったな)

 

そう心でガッツポーズをしたとき、ふと斜め後ろから聞こえてきた小さなため息に気づいた。

 

澪だ。

 

彼は英語が苦手というわけではない。

だが、この日は明らかに様子がおかしかった。

筆が進んでおらず、眉間にしわを寄せ、焦燥感が伝わってくる。

 

(まさか、数学の出来引きずってる?)

 

夏彦は、咄嗟に自分の解答用紙を彼に“見せる”ことすら一瞬よぎった。

だが、そのとき――

澪が自分で顔を上げ、深呼吸して、問題に向き直った。

 

(……やるじゃん)

 

何も言わず、ただ“勝手に心の中で応援する”。

それが、今できる精一杯だった。

 

☆☆☆

 

《最終限:日本史》

 

平安初期の問題が山場になるかと思いきや、出題は“江戸初期の統治体制”。

文蔵は、ほぼ予想通りの問題に内心で小さくガッツポーズを決めていた。

 

(……来た。これは予想通り)

 

彼の解答欄には、歴代将軍の政策、年号、出来事の因果が迷いなく並んでいく。

《オムニバス》なしで、今の自分の力だけで書き切る感触。

初めて味わうその高揚に、文蔵は気づかないうちに微笑んでいた。

 

(――”楽しい”って、こういうことか)

 

一方その頃、彰良は

 

(江戸?なんか侍いた時代でしょ?)

 

という雑な理解から適当に埋め始めていた。

だが、《オプションズ》を使わずとも、なぜか正答率が高いのが彼の怖いところである。

 

☆☆☆

 

最後のチャイムが鳴る。

 

「はい、そこまで!」

 

答案が回収され、試験終了を告げる声が響く。

重い空気が、静かにほどけていった。

誰もが口を開かず、ただ、席に伏せたり、天井を仰いだり。

その中で、夏彦がぽつりとつぶやいた。

 

「……まだ、死んでない。多分」

 

四人のうち、誰かがうなずいた。

終わったような、終わってないような、不思議な解放感と疲労。

それは、彼らにとって“一学期の最終試練”の、静かな終焉だった。

 

───

 

テスト終了のチャイムから、およそ二十分後。

灰色だった教室は少しずつ色を取り戻し、廊下には「やばかった」「終わった」「寝たい」の三語がこだまする。

 

期末試験――その長い戦いが、ようやく終わった。

 

「あーあ、俺の語彙力じゃ今の気持ち、語れねぇ……」

 

背伸びしながら、夏彦がぐったりと教室の扉にもたれかかる。

 

「語る以前に、お前、答案で暴れてたぞ。設問と無関係の例文、二問くらいにぶっ込んでた」

 

「ははっ、それでも点になれば儲けもんだろ。英語は……勝ったからヨシ!」

 

「勝ち負けじゃないし、そもそも国語は何だったのあれ。作文?」

 

澪が冷静に指摘するも、夏彦は頭をかくばかり。

 

文蔵はというと、自席の荷物を整えながら、ちらりと皆に視線を向けた。

筆箱のファスナーを閉じる音が、やけに静かに響く。

 

「で、お前はどうだったの? 何か拾って使ってた?」

彰良が、わざとらしく目を細めて尋ねた。

 

「《オムニバス》か? 使ってないよ。……ちょっとは考えたけど、今回はやめといた」

 

「へぇ。えらいねー、普通にカンニングしようとするやつよりずっとマシだわ」

 

そう言いながら、彰良は自分のノートを手で隠すジェスチャーをして、

 

夏彦に向かってウインクを投げる。

 

「俺じゃん!!いや、違うからね!?」と夏彦が叫ぶと、澪が呆れ混じりに笑った。

 

「でも……わかるよ。プレッシャーで頭真っ白になる瞬間って、あるもん」

 

「英語の時、だったろ?」

 

「えっ」

 

「いや、なんか様子変だったし。途中から吹っ切れてたけど」

 

「見てたんだ……」

 

「あんまジロジロ見るのも悪いけど、なんか、応援したくなるっていうか……」

 

照れくさそうに夏彦が視線をそらすと、澪はわずかに肩をすくめて、

「ありがと」と短く返した。

 

二人のやり取りを横目で見ていた文蔵と朝倉は思った。

 

(いい話っぽく言ってるけど、カンニングだよな…)

と。

 

夕方の帰り道。校門をくぐった四人は、緩やかに下り坂を歩く。

普段なら元気に喋る夏彦も、さすがに体力ゲージが底をつきかけていた。

 

「ところでさ、次ってなんだっけ。地獄のあとは……何地獄?」

 

「……個人面談、来週の水曜からだって」

 

文蔵の言葉に、全員が一斉に顔をしかめた。

 

「……あー、まじかー。先生に全部バレるやつじゃん」

 

「勉強態度と提出物で怒られるやつだ」

 

「でも逆に、褒められる人って誰?」

 

三人の視線が、自然と澪に集まる。

当の本人は、「僕は真面目にやってたからね!」と胸を張っているが、その頬はうっすら赤かった。

 

「いや、でも想汰も褒められるんじゃね? 最近ちゃんと勉強してたし」

 

「んー、どうだろ。評価されるためっていうより、自分が知りたいからやってたし……でも、まあ」

 

文蔵は言いかけて、少しだけ笑う。

 

「……ちょっとは、期待してもいいのかも」

 

ふと、雲間から陽が差す。

 

道端の草が金色に縁取られ、空気はほのかに夏の匂いをまといはじめていた。

 

「――夏休み、近いな」

 

誰ともなく漏れた言葉に、全員が足を止めた。

しばし無言のまま、その先を思い描くように空を仰ぐ。

 

「今年はさ、どっか行く?」

 

夏彦が尋ねると、彰良が肩越しに振り返ってにやっと笑った。

 

「まずは面談で怒られない計画を立ててからな」

 

「現実……!」

 

笑い声が風に溶けて、坂の向こうに消えていった。

そうして、四人の夏が、ゆっくりと始まりを告げたのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。