放課後に、僕らは   作:やまざる

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プロローグ②

───【選ばなくても、ここに】───

 

 教室の扉を開けたとき、すでに教室には一人しか残っていなかった。

 

 案の定、窓際の席には文蔵がいた。あの男は、どうやら図書館に行った後によく教室に残っているようだ。ひとりで本を読んでいたり、誰かと静かに話していたりする姿を見かけるが──

 

「おーい、文蔵!」

 「……お前、また来たのかよ」

 

 「“また”ってなんだよ、“また”って」

文蔵想汰。

《オプションズ》でも予測しづらい動きをするやつ。声をかけたのは、ただ興味本位だったのに、なんだか妙に噛み合って、それからちょくちょく一緒に行動するようになった。

 

 軽口を叩きながら近づく。何でもない日常だ。だが、朝倉彰良の目には、その光景が妙に“正しい”ものとして映っていた。

 

それと、もう一人話してみたい男がいる。

 

椿原澪。

 

 

話しかけたことはまだなかったけど、想汰と何やら静かに話している様子を見かけたとき、彰良はなぜか“選ばない未来”を視た。選ばないのに、なぜか印象に残った。

 

 《オプションズ》。

 それが自分の能力だ。

 

 目にする選択肢が、視覚的に浮かび上がって見える。それぞれの分岐点にある可能性──「もし◯◯したらどうなるか」を、擬似的に“知ってしまう”力。

 

だから、失敗も少ないし、話しかけてくる人間の意図も、ある程度は読み取れる。

彼の笑顔が“場の空気”に馴染むのは、そうやって“最適な自分”を選んできたからだ。

 

 便利そうに思えるが、正直なところ煩わしい。

 選ぶ前から“結果”が分かるということは、驚きも失敗も味わえないということだ。予想外を楽しめない人生は、どこか空虚だ。

 

 選んでばかりいると、時々、本当は何を選びたかったのか分からなくなる。

 

 だから、最近はあえて見ないようにしている。選択肢を無視して、その場の流れに身を任せるようにしている。

 

 今日、教室に入るときも、実はひとつだけ選択肢が浮かんでいた。

 

 ──「教室に入らず、帰る」

 

 それは一見、楽な選択だった。誰とも関わらずに済むし、何も起こらない。

 でも、その隣にはこう書かれていた。

 

 ──「教室に入る」→「文蔵と喋る」→「夏彦も来る」→「静かに、笑う」

 

 その“未来”はやけに穏やかで、暖かかったから。

 

 「で? 今日も何かあったのか?」

 

 「いや、別に。ただ教室に来たくなっただけ」

 

 答えながら、彰良は椅子に腰を下ろす。文蔵の隣──気づけば、その席が“自分の定位置”になりつつあった。

 

 窓の外から風が吹き込む。遠くでカラスの鳴き声がして、あくび混じりの部活の声が響く。

 日常だ。何の特別さもない。

 

 でも、それがいい。

 

 「お前、あんま選ばなくなったよな」

 

 文蔵がぽつりと漏らす。

 

 「前は、もっとあれこれ先に考えてたろ。『そっち選ぶとこうなるから』って」

 図星だった。

 

 「……見てたのか」

 

 「まぁな」

 

 文蔵は、たまにそういうところがある。

 他人の輪郭に妙に敏感で、でも決して踏み込まず、ただ“そこにいる”。不思議な距離感の持ち主だ。

 

 「なんとなく、今は選ばなくてもいい気がするんだよな」

 彰良はぼそっと漏らす。

 

 「だって、選ばなくても──こうしてここにいられるんだし」

 

 「……それ、名言っぽいな」

 

 「やめろ、照れるから」

 

 二人で笑う。風が再びカーテンを揺らす。

 ふと、扉が開いた。

 

 「やれやれ、またいるじゃないか。ほんとに騒がしい奴らだな」

 日暮夏彦だった。黒いイヤホンを片耳にぶら下げ、いつものように飄々とした顔をしている。

 

 「おー、夏彦。お前も来たか」

 

 「来たら悪いのかよ」

 にやりと笑いながら、夏彦も席に着く。彼が加わると、会話のリズムが少し変わる。言葉の隙間に音が混ざるように、緩やかで、でもどこか居心地のいい空気が流れる。

 

 その瞬間、彰良はなぜか、“視えていた選択肢”のことを忘れていた。

 言葉を選ばずに喋った自分。

 構成を考えずに笑った自分。

 何も“最適化”しなかったのに、妙に楽しかった。

 

 「……変な話だけどさ」

 彰良は、ふと思ったことを口にする。

 

 「たぶん、俺、この時間が一番“予測できない”」

 

 「それは……いいことなのか?」と夏彦。

 

 「わかんね。でも、悪くはないよ」

 

 そんな会話を交わせる今を、きっと《オプションズ》の未来予測には映せない。

 この日常は、選択の先にあった“例外”なのだ。

 

 だからこそ、いい

 

なんとなく、そう思った。

だから、ちょっとだけこの空間が気に入った。日が傾きかける教室。

カーテンが揺れ、風が入り込む。

その風景を見ながら、彰良は珍しく何も選ばず、ただその場に“いた”。

 

───【椿原澪は線を引く】───

 

 

 校舎の裏手、誰も通らない旧校舎とフェンスの隙間に、小さな空白がある。

 

 その場所は、椿原澪にとって「自分だけの領域」だった。昼休みに弁当を広げるには少し静かすぎて、読書をするには風が強すぎる。でも、適度に人の気配から離れていて、適度に誰にも干渉されない。椿原はその「適度さ」を誰よりも大切にしていた。

 

何かに混ざりすぎず、かといって遠ざかりすぎず。均衡を保ったまま日々を過ごす、それが彼の信条だった。

 

 春の風が、ページを一枚めくる。椿原は手を伸ばしてそれを押さえ、再び目を走らせた。読みかけの本は、ヒュームの『人間本性論』。分厚い翻訳書ではあるが、椿原にとっては気休めのようなものだった。論理と懐疑、定義の整理と知の分解。そうした思考の流れに身を委ねることで、彼は世界との距離を保っていられた。

 

 しかしその日、世界はひどく賑やかだった。

 

 「あ、こんなとこいた! 椿原くん!」

 

 声の主は、この1、2週間で見知った顔だった。朝倉彰良。クラスでいつも明るく振る舞っている様子をよく見かける。その後ろには、少し気まずそうな文蔵想汰。こちらを気遣っているのかもしれない。

 

 「ここ、静かなんで……あんまり大声は」

 

 椿原は声を落として指先で唇に触れるような仕草をした。朝倉は、あっと小さく言って肩をすくめた。

 「ごめんごめん。でも、今日ちょっと話せないかなって思ってさ。文蔵も一緒で」

 

 「俺は……ついてきただけなんだけど。悪いな、椿原。こいつが行こうってうるさくて」

 

 椿原は一瞬、視線を本に戻した。ページの間で時間を稼ぎ、やがてそっとしおりを挟んだ。

 

 「話すことって、何か?」

 「ほら、異能力のこと」

 朝倉がそう言った瞬間、椿原の表情がわずかに強張った。口には出さない。けれど、それは明らかだった。

 

 「……その話は、聞くだけにしてほしい」

 

 「うん。だから、聞いてくれたらいいんだ」

 

 文蔵が視線をそらしながら言った。彼の声は、どこか弱々しかった。それでも、真剣だった。

 椿原は、ふたりの顔を交互に見た。能力を持つ者と、持たざる自分。交わらないはずの線が、いま交差しようとしている。

 

 「僕は、能力者じゃないよ」

 

 「それはわかってるんだ。異能力って、面倒くさい。でも、それを共有できる相手がいるだけで少しはましになるかもしれないって文蔵と話して、思ったんだ。それに、こう言うとちょっと恥ずいけど、俺さ、椿原と話してみたかったんだよ」

 

 沈黙が落ちた。春の風がまたページをめくり、しおりが風に飛ばされそうになる。椿原はそれを片手で押さえた。

 

 「わかったよ。ただし、僕はその“まし”になる保証はできない」

 

 

「それで充分さ」

 

 そう言って笑うふたりの姿に、椿原は少しだけ目を細めた。それは、どこか懐かしい風景を見ているような表情だった。

 

 世界と自分の間に引いたはずの線が、少しだけ揺らいだ気がした。

 

───【その音は、今ここに】───

 

日暮夏彦の世界には、“音”が残る。

 

それは、ただの記憶ではない。

 それらは全部、夏彦の中で“記録”されていく。

 

 彼の能力《リプレイ》は、記憶の断片を「音」として再現する力。

 鮮明ではないが、どこか懐かしく、耳の奥に残る音がある。

 だから、彼はよくこう言うのだ。

「この音は、お前のやつだな」と。

 目の前の空気を、時間を、音の輪郭で覚えている。

 

すべての“今”は、いつかの“記録”になる。

そして彼は、その“音の記録”から、人の気配や感情の揺れさえ読み取ってしまう。

 

だから、賑やかな教室が苦手だった。音が多すぎて、重なりすぎて、うるさくて、――時々、息苦しくなる。

けれど。

最近、よくいるようになった教室の一角。

そこは“うるさくない賑やかさ”に満ちていた

 

 放課後の教室は、まるで使い古されたカセットテープのように、少し色褪せた静けさをまとっている。

 

 日が傾き、窓から差し込む光が机を淡く照らしている。

 その中に、いくつかの“音”があった。

 

─────椿原澪のノートをめくる小さな音。

 

─────文蔵想汰の、ページをめくる規則的なリズム。

 

─────朝倉彰良の、急に弾けるような笑い声。

 

それぞれがバラバラに響いているのに、不思議と調和していて。

耳に刺さらず、心に染みるような音たち。

 

 「……また集まってるな」

 

 教室に入ると、やっぱりいた。

旧校舎の音楽室にいたときに出会ってからよく話す文蔵想汰と朝倉彰良。

そして最近はその二人といるから、自然と話すようになった椿原澪。

夏彦は、自分の席ではなく、わざわざこの教室の窓際を選んで座る理由を、説明するつもりはなかった。

 

でも、たぶん――そこにいたいと思ったのは、残る音が心地よかったからだ。

放課後、教室の窓が少し開いていた。

 

 文蔵想汰が本を閉じ、朝倉彰良が気だるげに椅子を揺らし、椿原澪はペンを止めてこちらを見て、声をかけてくる。

 

 

「おう、夏彦」

 

 「何だ、今日は“全員集合”か?」

 

 冗談混じりに言うと、文蔵が「珍しくな」と笑う。

 その声の抑揚を、夏彦は覚える。

 彼は無意識に、今この瞬間の“音”を記憶していた。

 カーテンが風で揺れ、誰かが笑い、椅子の脚が床を擦る音──それら全部が、「この午後」の記録になる。

 

 「お前さ、何が楽しくて毎回ここ来てんの」

 

 「お前らの音、悪くないからな」

 

 「またそれか」

 

 彰良が苦笑し、澪が小さく吹き出す。

 この空間は、少しだけ柔らかい。

 言葉が過ぎても傷つかず、沈黙が訪れても気まずくならない。

 こんな場所があるなんて、昔は知らなかった。

 能力が発現した当初、夏彦はその「音」の重みに困惑していた。

 忘れたかった記憶も、思い出したくない声も、《リプレイ》は鮮明に再生してしまう。

 耳を塞いでも、再生される音は止まらなかった。

 

 でも、今ここにある音は、違う。

 それは痛みでも、後悔でもなく、たった今、目の前にいる誰かの音。

 

その音の重なりもまた、夏彦の中に残る“記憶”になる。

これがずっと続くとは思っていない。

音はいつか消えるし、人の関係も、風のように形を変える。

でも、いま確かに鳴っているこの音を、夏彦は“記録”したかった。

あとで、きっとこの音を再生したくなる気がする。

 

 「……この音は、いい音だ」

 

 「また始まったぞ」と彰良がつぶやき、

 

 「どの音のことなんだい?」と澪が静かに尋ねる。

 

 

 夏彦は、言葉にしない。

 

 だって、それを言葉にした瞬間に、音は“意味”に変わってしまうから。

 ただ、この音は──「今この瞬間、ここにいる」という証だ。

 カーテンが揺れる。誰かがあくびをする。教室の時計が、ちいさく時を刻む。

 それら全部が、耳の奥に残っていく。

 時間と記憶の境界で、音は生きている。

 

 「ねえ、夏彦」

 

 澪の声がした。いつになく、素直な声だった。

 

 「そういう音って、ずっと残るものなの?」

 彼は少し考えてから、答えた。

 

 「残したいと思えば、残るよ。きっとな」

 

 澪は「そっか」と呟いて、ノートを閉じた。

 

 そのときの音──パタン、と心地よい音だった──を、夏彦は忘れない気がした。

 そのとき、文蔵が不意に言った。

 

 「……四限組って名前どうだ?案外悪くないだろ」

 全員の目が彼に向く。

 

 「なんだよ、それ」

 

 「いや、俺らさ。よくこの時間にここ集まってんだろ? 四限終わって、日が傾くこのタイミング。俺さグループ名みたいなやつ、憧れてたんだよね」

 

澪はちょっとだけ困ったように微笑んで、

 「そのまんまだね。でも、呼びやすいかも」と肯定する。

澪が口の中で転がすように言い、数秒の間が空いて、彰良が吹き出すように笑った。

 

 

「なにそれ。ダサいな、でも……悪くない」

 

 夏彦は、窓の外を見た。

視界の隅には「ダサいのか…?」とつぶやく想汰の姿。

 

思わず吹き出しそうになった。

 

 夕陽が、校舎のガラスに反射している。

 この“音”も、残しておこうと思った。

 

───【風が吹いた午後】───

 

 

 教室の窓が、ゆっくりと風に揺れる。

 まるでこの場所が、まだ“何者でもなかった”彼らを、そっと包み込んでいるかのように。

 

 放課後の西陽が、斜めに差し込んでいた。

 机の天板に落ちる影が、じりじりと伸びてゆく。もうすぐ、今日という日が終わろうとしている。

 だがこの教室には、まだ“終わらない何か”が、確かに残っていた。

 

 窓辺には、文蔵想汰。

文庫本を手にしていたが、今はもう閉じて、ページを撫でるように指でなぞっていた。

言葉にならない思考が、彼の中で静かに渦を巻いている。

異能力《オムニバス》──記憶の世界を紐解くその力は、過去と今とを接続する。

だがこの教室だけは、過去に引きずられず、ただ“今”に留まれる場所だった。

 

 教卓の端に寄りかかっているのは、朝倉彰良。

彼の視線はぼんやりと天井を泳ぎ、けれど目の奥は鋭いままだ。

《オプションズ》。数多の“選択肢”が視界に浮かぶこの世界で、

彼は初めて「選ばなかった未来」を怖れずに、今を選び取ろうとしている。

 

 椅子に座り、ノートを閉じた椿原澪は、穏やかな顔をしていた。

能力を持たない彼にとって、この空間は常に「異質」であるはずだった。

けれど、澪は気付いていた。

異能の有無より、隣に座る誰かを理解しようとする心の方が、ずっと難しくてずっと尊いことを。

 

 そして最後に、窓際から少し離れた席にいた日暮夏彦。

彼はただ黙って、耳を澄ませていた。

笑い声、風の音、誰かの椅子が軋む音。

それらすべてが、《リプレイ》として彼の中に沈んでいく。

──ああ、この音は、きっとしばらく消えない。

 

 沈黙が、ふと訪れる。

 だが、それは気まずいものではなく、心地よい余白だった。

 誰もが同じ時間を違う速度で過ごしながら、今だけは、同じ教室の中にいた。

 

 

  ──“四限組”。

 それはまだ、名前のないつながりに、そっと与えられた仮の名前だった。

 風がまた、カーテンを揺らす。

 影が伸び、陽が沈み、夕焼けが窓を赤く染める。

 

 「なあ、次はどこに集まる?」と誰かが言った。

 その問いに、正確な答えはなかった。

 

 けれど、全員が「またこの時間がある」と思っていた。

 “特別”じゃない。

 

 けれど確かに、ここにしかないもの。

 

 その午後の終わりに、確かに風が吹いた。

 

 四限、きみと窓辺の風──それが、はじまりだった。

 

 

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