放課後に、僕らは   作:やまざる

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燃やすな、焦がすな、焼きそばは。

 

 

「……これ、思ってたよりガチの山じゃん」

 

 夏彦は、軽量録音マイクのケースを肩に下げながら、緩やかに傾斜を登る道の先を見上げた。空は高く、雲は薄く、どこからか草いきれと土の匂いが混ざって風に乗ってくる。

 

「いや、だから言ったじゃん。俺の親戚んとこ、結構本格派なんだって」

 

 先頭を歩く朝倉彰良が、麦わら帽子をくいっと上げて振り返る。手には派手なアウトドア用バッグ。さっきから軽口と足取りだけは元気だ。

 声が、乾いた土を踏む音に混じって聞こえる。蝉の鳴き声が遠くから響いている。空は見事なほどに晴れ渡っていて、視界の端に揺れる木々が、ここがきちんと“自然のなか”だと実感させてくれる。

 

「っていうか、そっちこそ本気すぎない? なんだよそれ。録音用機材って」

 

「自然音コレクション。夏の音、撮っときたくて」

 

「お前、趣味の幅どこまで広がるの……」

 

「まあ、そのへんに蚊がいたら即終了だけど」

 

そう言って、夏彦はスプレー式虫除けをもう一度全身に振りかけた。肩に下げたバッグから録音機材を取り出す。マイクに風よけのカバーをかぶせながら、耳を澄ます。葉擦れの音、川のせせらぎ、たまに鳥の鳴き声。悪くない。いや、むしろ最高かもしれない。

 

「……録音しに来たの?」

 

「目的はひとつじゃない。複数選択肢があるのが夏休みの正しい過ごし方ってね」

 

にやりと笑ってそう返すと、横で澪が手にした分厚いマニュアルを読み込みながら、テント設営に挑もうとしていた。

 

「ポールは……Cの穴に通して……えっと……ここか?」

 

「なぁ、それ逆じゃね?」

 

「えっ、でも、こっちに“C”って書いて──あ、Bか……」

 

「早くも崩壊しそうな予感しかしねえ」

 

夏彦が笑いながら、スニーカーのまま芝に突っ立っている。ジャケットとカーゴパンツのバランスは、確かに“動きやすさ”も考慮しているのだろうが、どうにも本人が動く気配を見せない。

 

「じゃ、俺は全体が組み上がったら褒める係ってことで」

 

「最初から戦力外宣言かよ」

 

「いや、鼓舞って大事じゃん?」

 

夏彦が苦笑しながら視線を巡らせると、いつの間にか文蔵想汰がテントの骨組みを半分ほど完成させていた。黙々と、無駄な動きなく、ポールを通し、布を張る。装備は地味ながら、やたら手際が良い。

 

「おい、もしかしてこの人、家で練習してきた?」

 

「たぶん読まなくても理解してるタイプだと思う……」

 

澪がぽつりと呟く。文蔵はその声には何も返さず、ただ黙ってテントのジッパーを閉め、入り口の紐をきちんと結んでいた。

 

「できた」

 

一言だけ置いて、彼は荷物置き場として用意されたベンチに腰を下ろす。水筒を開けて一口。実に自然な流れだった。

 

「静かな有能が一番怖いな」

 

「いや、怖がる方向性おかしいから」

 

誰かがやるべきことを、誰にも言わずに黙ってやってる。想汰のそういうところは、いつだって唐突で、でも不思議と馴染んでいる。

 

キャンプサイトの空気は、騒がしさと静けさが同居していて、夏彦はそんな“混ざり方”が心地よかった。

 

「え、これ俺の働き……ゼロ?」

 

「いや、ほら。今から本気出せば挽回の余地はあるって」

 

「なにその慰め方、やめてくれ、心に刺さる」

 

 夏彦は笑いながら、マイクの角度を少し調整する。風が吹き抜ける音が気持ちいい。そういう音は、どこか涼しさを連れてくる気がするから好きだった。

 

「なあ、さっきからずっと耳に入ってくるあの音、川かな?」

 

「たぶん、そう。結構近いって地図にあったし」

 

「録音できるかな……雑音がなければ、蝉と川だけの組み合わせって、けっこう貴重なんだよね」

 

「録音班が本気すぎる」

 

「……でも、ほんとに来ちゃったな、キャンプ」

 

 澪がぽつりと呟く。

 

「うん。思いつきで言ったのに、みんなノッてくれてびっくりだったわ」

 

彰良はあくまで得意げだ。

 

「まあ、非日常ってやつだしね」

 

「俺にとっては虫の音がごちそうです」

 

「それもう人間やめてるだろ」

 

そんな風に、会話だけはどんどんテントの中に積み重なっていく。暑いのに、少し楽しい。面倒なのに、どこか自由だ。

 

たぶんこの空気が、キャンプの醍醐味なんだろう──夏彦はそう思った。

 

───

 

 川の音が、ずっと遠くで続いている。風は心地よく、日差しは眩しいけれど、木々の影がところどころに落ちていて、それがかろうじて体温を逃がしてくれていた。

 

「……ほんとに、ここで釣れるの?」

 

 小さな声で呟くと、すぐ横で釣り竿の糸を垂らしていた夏彦が、「たぶん」という曖昧な言葉を残した。夏彦は、釣る気があるのかどうか怪しかった。というのも、釣り竿の傍らに置いた録音機材のマイクを川面に向け、ずっとイヤホンを片耳にあてて音に耳を澄ませているのだ。

 

「川の音、やっぱ違うな。町中の“水音”とは別物って感じ……もうちょい近づけてみるか」

 

 澪が視線を戻すと、浮きが静かに揺れていた。竿を握る手が汗ばむ。釣り竿なんて、持つのも初めてだ。そもそも“魚を釣る”という行為が、自分の生活圏にまったく存在していなかったから、何が正解なのかさっぱりわからない。

 

「なあなあ! ほんとに釣れんのか? エサってこれで合ってる? 食いつき悪くない?」

 

 彰良がやたら元気に声を張る。短パンに膝上までまくったジャケット、首にはタオル。いかにも“釣りに来ました”感のある出で立ちだが、浮きの動きに合わせてしゃくるタイミングが全然合っておらず、横から見ていてもまるで釣れる気がしなかった。

 

「それ、魚が逃げる音出してる」

 

「えっ、魚って音で逃げるの?!」

 

「逃げるんじゃない、嫌われてるだけだと思う」

 

「もっとひどいじゃん!」

 

 そんなやりとりを聞きながら、澪は少しだけ笑ってしまった。そしてふと気づく。さっきまでの緊張が、どこかへ消えている。川の音と蝉の声、それに混ざる笑い声──静かだけれど、ちゃんと息がある空気。

 それから、少し離れた位置に座る文蔵を見やる。相変わらず黙って釣り竿を握り、じっと川面を見つめている。何の変哲もない姿勢、何の特徴もない仕草。だが──

 

「……え、釣れてる?」

 

気づけば、彼の足元に置かれたクーラーボックスに、すでに数匹の魚が収まっていた。あまりに静かに釣り上げていたらしく、誰も気づいていなかった。

 

「文蔵くん、いつの間に……」

 

「さっき」

 

それだけ言って、また川に目を戻す。まるで日常の延長みたいな、淡々とした態度だった。

 

「ねぇ、俺がうるさすぎて魚いない説ある?」

 

「それは説じゃなくて、ほぼ確定」

 

「やめて傷口に塩」

 

澪はまた笑って、そっと竿を持ち直した。浮きが、風に揺れて小さく動いた。いや、違う。今のは──

 

「……ん?」

 

体が少しだけ緊張する。竿の感触に意識を集中して、小さく、ゆっくりと引いてみる。浮きが一度、沈み──

 

「……っ、来た」

 

そう思った瞬間、竿がびくりとしなった。驚きと興奮と、ちょっとした焦りが入り混じる。でも、手はちゃんと動いていた。

 

「引いて! もっと巻いて!」

 

誰かの声が聞こえる。横で誰かが走る足音。もう、耳も目も、川面の先に集中していた。

 

そして──

 

「──釣れた」

 

魚が、網のなかで跳ねた。小ぶりな川魚。光に照らされて、体がぬめりながらもきらりと光った。

 

「おおおお……」

 

「やるじゃん!」

 

「まじか、すげぇ!」

 

拍手が起きた。みんなの声が、いつもより少し大きく聞こえる。澪は竿を持ったまま、少し息を吐いた。指先がかすかに震えていた。怖かったわけじゃない。ただ、初めての体験に、体が反応していただけ。

 

でも、それも悪くないな、と思った。

 

「ありがとう……」

 

ぽつりと、誰にともなく言ったその声も、川の音に溶けていった。

 

───

 

「――よし、火起こし、完っっっ璧!!」

 

自信満々の声と共に、炭の間から赤い火の粉が舞い上がる。立ちのぼる煙は勢いがあり、思わず「おおっ」と唸ってしまうほどに迫力があった。

 

「……いや、ちょっと待て。これ火力強すぎない?」

 

夏彦がすかさず冷静にツッコむ。

 

「強い方がテンション上がるじゃん? BBQっていったら勢いだろ?」

 

「焦がす未来しか見えないけど」

 

「じゃあ、焦がさなきゃいいんだよ」

 

「それができるなら苦労しねぇよ」

 

 テーブルの上では、スーパーで買ってきた肉や野菜が並び、発泡スチロールの容器には午前中に釣った魚が、すでに内臓を取り除かれラップをかけられている。見れば、端っこに立つ文蔵が静かに包丁を洗っていた。どうやら魚の下処理も彼がすべてやってくれていたようだ。

 

「……ほんと何者なんだ、あの人」

 

澪がぽそりと呟く。その口調は呆れ半分、尊敬半分。

 

「マジで忍者の末裔かもな。無音のうちに仕事終わってる感じ、半端ない」

 

「忍者って魚捌くのうまかったっけ?」

 

「知らん。でもたぶんうまい。文蔵くんならできる」

 

 言ってるそばから、「そろそろいいだろ」と思って網に焼きそばを投入。肉と野菜も同時に乗せ、トングを握り締めて焼きの神になりきる。

 

「見てろよ、俺が最高の焼きそばを仕上げてやるからな!」

 

だが

 

次の瞬間。

 

──ぼふっ。

 

炭の火が一気に吹き上がり、焼きそばの端が一気に焦げつく。

 

「おおおおい!!」

 

「だから言ったじゃん!」

 

「火力……強すぎた、か……?」

 

「いや、“火”っていうよりそれ“爆発”寄りだったぞ?」

 

「やばい、音が割れてる……録音終わった……」

 

「ご愁傷様です」

 

夏彦が録音機の電源を切る横で、澪が小声で「……炭の配置、内側だけ詰めすぎたかも」と気まずそうに囁く。なるほど、それであそこだけ熱が集中したらしい。

 

「……え、なに? 俺だけのせいじゃないの?」

 

「いや、結果的に全部お前がやったことだし」

 

「理不尽すぎる!!」

 

それでも何かを焼かねば始まらない。焦げた部分を取り除き、気を取り直して第2ラウンド開始。

 

だが、火の加減が読めずまた焦げる。

 

さらに野菜が生焼け。

 

油を足しすぎて煙がもうもう。

 

「助けてソウえもぉぉぉん!!」

 

とうとう叫んでしまった。

 

 すると、さっきまで別のコンロで魚を焼いていた文蔵が、無言でトングを手にこちらへやってくる。そのまま、炭をさくさくと組み替え、網の位置をずらし、油をキッチンペーパーで軽く拭い──まるで“整地”するかのように、次々と環境を調整していく。

 

「……あとは焼くだけだ」

 

それだけ言い残して、自分のコンロに戻っていった。

 

「……ほんとにこの人、何者?」

 

 三人同時につぶやいていた。なんかもう、職人って感じだった。

 しばらくして、文蔵が焼いた肉と魚が人数分、きれいに皿に盛られて戻ってきた。焼き目は完璧、ジューシーそうな香りが鼻をくすぐる。

 

「いただきます」

 

「うわ、なにこれうまっ」

 

「焦げてないとこんなに味違うんだ……」

 

「逆に俺が焼いたやつ、食べ物じゃなかったまである……」

 

空が朱に染まり始める中、ようやくまともな食事にありついた四人は、ほっとしたように笑い合った。

 

「結論:焼きそばは焦がすとただの炭」

 

「次からは文蔵メインで、俺サブね。助手とか、見守り係とか」

 

「最初から見守ってりゃよかったのに」

 

「でも楽しかったからオッケー!」

 

無駄に明るく笑って、焼きそばの残骸を皿の端に寄せた。

 

───

 

火のぱちぱちという音だけが、穏やかに耳に届いていた。

 

日が落ちて、すっかり暗くなったキャンプ場。BBQの残り香がまだ空気に混ざっているけれど、煙の匂いも、少し湿った夜の風に流されていく。

 

焚き火の炎は、思っていたより静かだった。

 

文蔵はその火をじっと見つめていた。うねるオレンジ、はぜる音、木が焦げていく黒と灰。全部が、ただそこにあるだけのものなのに、なぜか目が離せなかった。

 

「……完全に、“終わった”って顔してるな、想汰」

 

向かい側で彰良が笑いながら、マシュマロを枝に刺している。ちゃんと焼けるのかは分からないけど、「キャンプといえばコレだろ?」という勢いだけは強い。

 

「でもさー、俺ほんと、焦がしてばっかだったわ。焼きそばも、肉も、あと夏彦の録音も」

 

「録音は焦げないだろ……」

 

夏彦がとなりで呟く。けれどその声にも、どこか笑みが混じっていた。

 

「でも火の音は、最高だった。焦げててもさ。風が混じる感じとか、炭が崩れる音とか、こう……残しておきたいって思った」

 

「へぇ。そりゃ意外。もっと文蔵っぽい感想かと思ったのに」

 

「俺が?」

 

「うん。“火は記録に向かない”とか、“変化しすぎて残せない”とか」

 

「……そういう考えも、なくはないけど」

 

文蔵は小さく息を吐いた。ノートは、今日一度も開いていない。

 

けれど、それでいいと思っていた。

 

火は形を変え続ける。言葉にしきれない。記録しようとしても、こぼれてしまう感覚ばかりだ。

けれど、だからこそ残っていくものもある気がする。

 

「記録しなくても、残るよ。……こういうのは、特に」

 

「それ、俺が言うよりずっと説得力あるな」

 

夏彦が、録音機の電源を切って膝の上に置いた。焚き火の音はもう記録されない。けれど、そのかわりに、記憶には残る。

 

澪が、火を見ながらぽつりと言う。

 

「また……来たいな、こういうの」

 

誰も否定しなかった。

 

むしろ、全員が頷いていた。

 

それぞれがマシュマロを焼いては食べ、焦がし、また焼き直し、火を囲む夜が過ぎていく。

空を見上げると、星が散らばっていた。たぶん、見えている星の名前を言える人はこの場にはいない。

でもそれでよかった。名前も、形も、正確じゃなくていい。ただ、今日の夜空を「きれい」と思えたなら、それでいい。

 

文蔵はノートを持っていた。けれどそれは、最後まで開かれないままバッグの底に眠っていた。

 

──この時間は、記録しなくても、残る。

 

火を見つめながら、彼はそう思っていた。

 

───

 

テントの内側に、小さな呼吸の重なりがある。

夜は深まり、焚き火のぱちぱちとした音ももう聞こえない。虫の声だけが、少し遠くで続いている。

四人分の寝袋が並べられたテントの中、ライトはすでに消されていたが、誰一人としてまだ本格的に眠っている気配はなかった。

 

「なあ、今日……焦げた焼きそば、食ったの、誰だっけ?」

 

ぽつりと響いた彰良の声に、寝袋の中から夏彦が「俺だよ」と返す。

 

「うまかった?」

 

「いや、味というか……音の記録に最適だった。」

 

「そっちかよ」

 

くすくすと、別の寝袋から澪の笑い声が洩れる。それだけで、なんとなく空気が緩んだ。

 

「……にしても、うるさかったよな、あの火の音」

 

「うん。でも、静かすぎるのも逆に落ち着かないし」

 

「わかる。家でもさ、何かしら鳴ってる方が安心するんだよな。冷蔵庫の音とか……」

 

「換気扇の音とか」

 

「それはわかる」

 

文蔵の静かな相槌に、一同が一瞬だけ静まった。あまり喋ることのない彼が、こういうときにふと声を出すと、少しだけ嬉しくなる。

 

「……なあ」

 

今度は澪が、寝袋から顔だけ出して小声で続ける。

 

「なんか、こういうとき……言わないと損なことって、ある気がしない?」

 

「たとえば?」

 

「んー……好きな人の話とか」

 

「お、来た来た!」と彰良が飛びつくように起き上がろうとするが、「立つなって、テント破れるから」と夏彦が牽制する。

 

「で? 澪くんにはいるの? 好きな人」

 

「い、いや、別にそういうわけじゃなくて、例え話で......クラスの女の子ともそんなに話せてないし!」

 

「ちょっと怪しいか?おおーい、じゃあ例え話禁止な、今からはリアルな話限定!」

 

「なにそのルール……」

 

みんなで笑い合いながら、それでもどこかで、誰かが何かを言いかけて、やめるような時間。

文蔵がぽつりと、「好きなものなら、ある」と言った。

誰も返事はしなかったが、それは否定ではなかった。

 

「じゃあさ」

 

しばらくしてから、夏彦が呟く。

 

「また、こういうのやろうな。なんかさ、意味とか目的とかなくていいけど──こうして、一緒にいる時間」

 

誰かが、そっと「うん」と言った。誰かが、黙って寝返りを打った。

 

やがて、ひとつずつ、静かな呼吸が重なっていく。

眠れない夜ではなく、静かに眠れる夜になっていく。

音も記録もいらない、ただの夜。けれど、その“ただの”が、たまらなく大事に思える夜だった。

 

───

 

風の音で目を覚ましたのは、まだ空に星の残る明け方だった。

 

 最初にテントの外に出たのは澪だった。ひんやりとした朝の空気のなか、そっと息を吸い込む。

 寝癖を指で直しながら、水道で顔を洗い、持参した小さなドリップバッグでお湯を沸かす。カセットコンロの火はすぐにつき、湯気が上がる音が静かに響く。

 

 それはまるで、まだ眠るキャンプ場全体を起こさないようにするための儀式のようだった。

 やがて、テントの中でごそごそと動く気配。

 

「……あー、かゆっ……」

 

寝袋から這い出てきた彰良が、首のあたりをかきながらぶつぶつ呟く。

 

「なんで俺だけ刺されてんだ……」

 

「そりゃ……半袖で寝てたからだろ」

 

「そんなことある!?半袖関係ないじゃん!?」

 

隣でまだ半分寝たままの夏彦が、くしゃくしゃの髪で寝袋から顔を出す。

 

「コーヒー、あるよ」

 

澪が紙コップを差し出すと、二人は「神……」とぼそりと呟いた。

 

しばらくして最後に起きてきたのは、文蔵だった。

黙って顔を洗い、タオルでぬぐうと、そのまま焚き火の跡へ向かう。

 

前夜の炭を掘り出して片付け、石を元の場所に戻していく。その手つきは慎重で、何かに対して“ありがとう”とでも言っているようだった。

 

「……焚き火って、朝に見るとさ、ただの炭の山なんだよな」

 

ぽつりと呟いた夏彦の声に、誰も答えなかった。

けれどその沈黙は、全員が“思った”あとのものだった。

 

やがて、撤収作業がはじまる。

テントを畳み、寝袋を丸め、ゴミをまとめて、クーラーボックスをチェック。

 

無駄口もなく、けれど空気は静かで、穏やかで、誰も「帰りたくない」とは言わない代わりに、やたらと手際が良かった。

 

「はいはい、最後は記念写真な!」

 

彰良が叫び、スマホを持って駆け寄る。

 

「どこ置く? これ立つ?」

 

「タイマー設定すれば──」

 

「タイマーの前に固定する場所がない!」

 

結局、石と枝とペットボトルを使って不安定に立てられたスマホは、タイマーの3秒前に倒れ、音だけを録音した。

 

「……記録されるの、音だけだったな」

 

「夏彦の録音機が本領発揮したな」

 

「あとで“幻の記念写真”ってタイトルで保存しとくわ」

 

帰り道、四人は緩やかな山道を歩く。荷物は少し軽くなって、足取りもほどよく疲れている。

 

「また来ようぜ」

 

誰かが言って、

 

「次は誰が焦がすか賭けよう」

 

誰かが続けて、

 

「焦がさなくていいから」

 

と澪が真顔で返す。

 

それでも、みんなが笑っていた。

 

次にまた来たとき、同じ景色がそこにあるとは限らない。けれど、今日のこの空と空気が、確かに記憶のどこかで続いていくことだけは、全員が知っていた。

 

「……焼きそばは焦がしたけど、ま、いいキャンプだったよな」

 

彰良の言葉に、誰かが「うん」と答えた。

 

そしてまた一歩、夏が少しだけ深くなった。

 

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