放課後に、僕らは   作:やまざる

23 / 87
きょう、誰と会ったっけ。

 

 夏の午後、陽射しは強いはずなのに、どこか乾いた風が吹いていた。

澪はひとり、駅前の書店にいた。特に目的があったわけじゃない。ただなんとなく、本棚を眺めて、気が向いたら何か買って帰ろう、くらいの気持ちだった。文庫コーナーの前で立ち止まる。背表紙の色がずらりと並ぶその静けさが、少し心地いい。

……と、その背後からふと気配を感じた。

 

「椿原」

 

 聞き慣れた、けれどあまり人混みでは聞かない声だった。

振り返ると、想汰がいた。灰色のTシャツに、膝下丈の黒いパンツ。いつも通りの無頓着な服装なのに、不思議と違和感がない。彼は手ぶらで、ただ立っていた。右手だけポケットに入れて、目線だけこちらを向けて。

 

「……文蔵くんも?」

 

「ああ」

 

「ふーん」

 

澪は少しだけ肩の力を抜いた。気まずさも、驚きも、ほとんどなかった。ただ、「あ、いるんだ」と思っただけで、気がつけば隣に並んで歩き出していた。

 

 ふたりで駅前を抜け、商業ビルの外に出る。日差しは強いけれど、足元に落ちる影は長くなりつつある。

 近くのカフェに入って、アイスティーを頼んだ。想汰は特に迷わずアイスコーヒーを選んでいた。

 

「あんまり……こういうとこ来るイメージないけど」

 

「うん。来ない」

 

「だよね」

 

 会話は短く、ときどき止まる。でも、それが不思議と心地よかった。澪はストローでグラスをくるくると回しながら、カフェの中の他の客たちをぼんやり眺める。大学生らしきグループ、親子連れ、ひとりで本を読んでいる男性。色々な“夏休み”が、そこにはあった。

 

「今日、なんか予定あった?」

 

「いや。ない」

 

「俺も。……でも、家にいる気分じゃなかったんだ」

 

「わかる」

 

 想汰はそう言って、アイスコーヒーをひとくち飲んだ。

会話が途切れても、沈黙がきまずくなることはなかった。駅前の喧騒から一歩離れたこの空間が、ふたりにとってちょうどよい“隙間”になっていた。

 

 そのあとは、ぶらぶらとゲームショップを覗いたり、文房具屋で新しいノートを手に取ったりした。想汰は何も買わなかったけれど、澪は小さな付箋セットをひとつ選んでいた。使うあてもないのに。

 

「そろそろ……帰る?」

 

「うん」

 

駅に戻るまでの道、風が少し涼しくなっていた。空の色も、少しずつ夕焼けの気配を帯びてくる。

 

「……文蔵くん」

 

「ん?」

 

「今日のことって、たぶんすぐ忘れると思う。でも、忘れたくないなって、ちょっとだけ思った」

 

想汰は特に表情を変えずに、「そうか」とだけ答えた。

改札の前で立ち止まり、自然に手を振る。

 

「じゃあ、また」

 

「うん。気をつけて」

 

澪は人混みに消えていき、想汰はしばらくその背中を目で追っていた。ふと時計を見て、来た道をゆっくり引き返し始める。足元に伸びる影が、ゆらりと揺れた。

 

何もなかったはずの午後に、ふたりの足跡だけが静かに残っていた。

 

 

───

 

 

 駅前から少し外れた道を、想汰はゆっくりと歩いていた。コンクリートに染みた夕立の跡が、ところどころ灰色を濃くしている。澪と別れたあとの時間は、特に急ぐ理由もなく、ただ足の向くまま、路地裏へと誘われていた。

 

そのとき。

 

「うわっ、想汰? ……いや、まじで偶然すぎない?」

 

ふいに背後から声がして、振り返る。

 

夏彦だった。Tシャツの上にゆるいシャツを羽織り、カーゴパンツにスニーカー。首からは例の録音機材を提げていて、見慣れた無線マイクのコードがゆるく揺れていた。

 

「……録ってるのか?」

 

「ああ、ちょうどカラスの鳴き声。今の季節、住宅地と商店街の間がベストでさ」

そう言って、夏彦は小さく笑う。肩の力が抜けたその笑いに、想汰はなんとなく歩調を合わせた。

 

 ふたりで歩く路地裏は、狭くて、少しだけ薄暗い。古びたアパートのベランダから垂れる洗濯物、カラスの羽音、遠くの車のクラクション。都市の隙間にある、濁りと静けさの混ざった空間。

 

「こういうとこさ、普通だったら“何もない”って思うんだよ。誰かに話すと、“何しに行ったの?”って言われる。でも俺は、なんか、……音があるだけで意味になる気がする」

 

夏彦の声は、録音のためか少し抑えめだった。けれど言葉の輪郭ははっきりしていた。

 

「意味に……するんだな」

 

想汰がぽつりと言う。

 

「ん?」

 

「音も、記録も。意味があるんじゃなくて……意味に、するものだろ」

夏彦は目を細めた。しばらく考えるように無言が流れ、それから言った。

 

「……なあ、想汰」

 

「うん」

 

「全部、残す必要って、あると思う?」

 

問いは不意だった。だからこそ、想汰は少し考えてから答えた。

 

「ないと思う。でも、残るものはある。……そういうものだろ」

 

「……あー。やっぱお前、俺より一歩先のとこにいるよな」

 

 そう言って夏彦は肩をすくめた。悔しそうというより、どこか納得しているような表情。

ふたりの影が、路地裏の壁に少し長く伸びていた。夕陽が差し込み、街の喧騒の代わりに、蝉の声が背中を押すように鳴き始める。

 

「そろそろ、次のポイント行くわ。カラス、たぶんこの辺じゃもう鳴かないし」

 

「……そうか」

 

「想汰は? もう帰る?」

 

「もう少し、歩く」

 

「んじゃ、またな」

 

「うん。また」

 

 夏彦は録音機を確認しながら、軽く手を上げて路地の角を曲がっていった。想汰はしばらくその背を見送り、ふと足元のアスファルトに目を落とす。

音は消えても、誰かとすれ違った“何か”だけが、微かに残っている気がした。

 

───

 

 風が、少しだけ涼しくなってきた。

日も傾き、商店街には夕飯の買い出しをする人たちがちらほら。路地から抜けた澪は、ふと懐かしい駄菓子屋の前で足を止めていた。ショーケースの中にはカラフルなラムネと、懐かしい名前のチョコバー。扇風機が唸る店内からは、かすれた昭和歌謡が漏れていた。

 

「よお、澪じゃん。ひとり? ──ってか、なんか今日、夏っぽくていいじゃん、その服」

 

声に振り向くと、そこには彰良がいた。

アイボリーのシャツにグレーのワイドパンツ、耳元にはシルバーのピアス。アッシュブラウンの髪が日差しの下でふわりと光っていた。

 

「てか、ヒマなら付き合えよ。今日の俺はお菓子の目利きになる予定でね」

 

「予定って……」

 

「今、思いついた!」

 

 あまりにも自信たっぷりな即興に、澪は小さく息をついた。それでも、「まあ、いいけど」と答えたのは、たぶん自分でも不思議じゃなかった。

 

 ふたりで並んで歩く。駄菓子屋の袋を片手に、道端の風鈴がチリンと鳴る。商店街のアーケードには、古い祭りのポスターがいくつか残っていて、その色褪せた朱色が、妙にきれいに見えた。

 

「そういやさ、澪ってさ。服、いつも夏っぽいよな。なんか涼しげっていうか、こう……“風”っぽい」

 

 

「……風?」

 

「うん。見てて、勝手に爽やかな気持ちになる」

 

「なんそれ」

 

「褒めてんの! 照れてんのか?」

 

「別に……」

 

 小突かれて、澪はそっぽを向いた。でも、耳の先が少しだけ赤くなっていたのは、たぶん風のせいじゃない。

 

「さっき、文蔵くんと会ったんだ」

 

澪がぽつりと言うと、彰良は「へえ」と相槌を打つ。

 

「夏彦とも会ったって。今ごろ、どこで録音してんだか」

 

「それ、俺もどっかで出くわすんじゃね?」

 

「かもね」

 

その“かもね”の言い方が、やけに柔らかくて、思わず澪は足を止めた。

「あのさ、彰良」

 

「ん?」

 

「……また、こういう日って、あると思う?」

 

彰良は立ち止まり、少しだけ空を見上げた。

西の空が、オレンジに染まりはじめていた。

 

「あるさ。ていうか、俺がつくるし。次は、なんかちゃんと計画して遊ぼうぜ。今日のは偶然すぎて、“会えたけど足りない”って感じ」

 

「……うん」

 

駄菓子屋の袋が、風に揺れた。

 

「じゃ、またな。澪もどっか寄るんでしょ?」

「うん。じゃあ、また」

ふたりは、違う方向へと歩き出す。偶然と偶然の合間に、誰にも知られない小さな会話だけが、そっと残っていた。

 

 

───

 

 

「おーい、そこの耳にコードぶっ刺してる人! もしかして、夏彦くーん?」

 

 明らかにわざとらしい大声に、夏彦はイヤホンを片方外した。

振り返ると、案の定そこにいたのは、派手な動きで目立ちまくっている朝倉彰良だった。

 

「……マジで、よく見つけるね、あんたは」

 

「んふふーん。だって、なんかそれっぽい後ろ姿してたもん。音拾ってそうな雰囲気、出てる出てる」

 

「俺、蚊じゃないんだからさ……」

 

夏彦はちょっと肩をすくめながら、録音機を小さく掲げて見せた。

 

「で? 今度はどこの音?」

 

「商店街のアーケードの軋み音。ちょっと古くて、風が吹くとギギって鳴るんだよ。ほら、あれ」

 

指さした先で、ちょうど鉄骨の繋ぎ目がきしんだ。夕方の風がゆるく吹いて、誰も気にしないような雑音が、夏彦にはちゃんと聞こえている。

 

「すげー……ほんとに拾ってるんだな、こういう音」

 

「ふつうは拾わないけどね。俺は、たぶん、残しときたいだけ」

 

「ほうほう、じゃあ今日という日の“音”も記録しちゃってるってわけか」

 

「んー……でも今日は、なんか“記録より記憶”寄りかも」

 

「お、どした、ロマンチック発言。恋でもした?」

 

「ないない。ていうか、お前が言うと全部ギャグにしか聞こえない」

 

「失礼なやつだなー!」

 

冗談を飛ばしながらも、足取りは自然と並んでいた。商店街の端にあるベンチに腰を下ろす。近くの金物屋から、古びた風鈴の音が聞こえた。

 

「彰良は? 今日、何してたの」

 

「んー……なんとなく、ぶらついてただけ。そしたら澪に会ってな」

 

「……マジで? 俺も想汰と会った」

 

「なんそれ、偶然過ぎじゃね?」

 

「なに、今日って“ばったりデー”?」

 

 思わず顔を見合わせ、ふたりで笑う。

 

「なあ、さっき澪にも言ったんだけどさ。偶然って、けっこう良くない?」

 

「うん。予定じゃないから、変に気負わなくていい」

 

「そうそう。それで、でもさ──こういうのも、“残っちゃう”んだよな。不思議と」

 

夏彦の言葉に、彰良はふと真面目な顔になる。

 

「……ああ。わかる。記録も記憶も、どっちもなにかしら残っちまうんだよな。予想外って、結構、強い」

 

 ふいに沈黙が落ちた。

だけど、その沈黙はどちらも気まずくなくて、風が通りすぎる音だけが、ふたりのあいだにそっと流れていた。

 

「じゃ、俺、そろそろ帰るかな」

 

「おう。またどっかで、ばったりな」

 

「……次は、ばったりじゃなくて、ちゃんと約束してもいいかもな」

 

「お、デートの誘いですかー?」

 

「帰る」

 

 夏彦は無言で立ち上がり、イヤホンを戻しながら歩き出した。その背中に、彰良は楽しそうに手を振って、ぽつりと呟いた。

 

「──今日って、やっぱ、いい日だな」

 

 

───

 

 

 夕暮れが、街の輪郭をゆっくりとぼかしていた。

西の空はオレンジと薄紫に染まりかけていて、遠くから聞こえる踏切の音が、その静かな終わりを告げているようだった。

 

 文蔵想汰は、駅の改札前で立ち止まった。

今日は、特に目的があってここへ来たわけではなかった。昼間は澪と少しだけ歩いて、別れたあとはなんとなく川沿いを散歩し、本屋で立ち読みをして、気がつけばここへ戻ってきていた。

 改札の上に設置されたアナログな時計が、午後五時二十二分を指している。

 

「……」

 

なんとなく、帰るには早いような気がして、改札横のベンチに腰を下ろす。

そのときだった。

 

「──おいおい、また会っちゃった?」

 

聞き慣れた軽い声に、顔を上げる。

案の定、そこに立っていたのは彰良だった。掻き上げたような髪が夕陽を受けて、やけに目立っている。

 

「お前も帰り?」

「そう。でも、なんか……」

 

 彰良が言いかけたそのとき、

 

「──あれ、彰良?」

 

背後から別の声。振り向くと、商店街のほうから澪が小走りで近づいてくる。

 

「椿原、もしかして……」

「うん。彰良とさっき別れたと思ったら、今度はここで……」

 

 そして──その隣に、もう一人の影があった。

 

「やっぱり、みんなここに来る運命だったのかもな」

 

 そう言って歩いてきたのは、録音機材を首に提げた夏彦だった。

文蔵は思わず、肩を小さくすくめた。

 

「……どうして、こんな偶然が成立するんだろう」

「知らん。でもなんか、すげぇな」

「今日、なにが起きてるんだ……?」

 

四人が改札前に並んだ瞬間、しばしの沈黙が流れる。けれどその沈黙は、どこか面白くて、温かかった。

 

「ってか、俺、今日だけで全員とばったりしたわ。これもう、奇跡ってやつじゃね?」

「……記録しておけばよかったな」

 

夏彦がぼそりと呟くと、文蔵は小さく笑って、頭を振った。

 

「記録しなくても、残ると思う」

「……だね」

 

 夕陽が改札のガラスに反射して、四人の姿をゆがませて映し出す。

誰かがぽつりと、言った。

 

「──予定がない日って、案外いいよな」

 

それを皮切りに、

 

「わかる」

「むしろ、今日が一番“予定”だったかも」

「誰かが決めたスケジュールよりも、こっちのが、ずっと面白い」

 

 自然と笑いがこぼれる。

夕焼けは徐々に赤みを増し、やがて夜の帳へと変わっていく。

四人は、いつものように、特に約束もせず、それぞれの帰路についた。

 

 でもきっと、誰もが今日の“偶然”を、少しだけ覚えているのだろう。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。