放課後に、僕らは   作:やまざる

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祭囃子 浴衣と声と気の抜けたラムネ

 

 

 夏祭り当日、午後五時。まだ陽は高いが、アスファルトの熱は少しずつ引き始め、蝉の声が背中から遠ざかっていく気がした。

 駅前のロータリーには、少し早めの人波。浴衣姿のグループ、団扇を手にした親子、手持ち花火の袋を抱えた高校生──そのなかに、文蔵想汰の姿があった。

 

 ラフなTシャツに短めのパンツ、リュックにはメモ帳が差し込まれている。相変わらず目立つことのない格好だが、不思議と風景に馴染んでいた。

 しばらくして、向こうから小走りに現れたのは椿原澪だった。

 

「……あ、想汰くん」

「ん」

 

 着物をまとった澪は、普段の制服姿とはまるで違う印象を纏っていた。浅い藍の地に小さな桜の模様。髪は左側を少しだけ留めて、ゆるく後ろに流している。整いすぎていないその姿が、彼らしさをより際立たせていた。

 

「似合ってる」

 

 文蔵が短くそう言うと、澪は少し間を置いて、「ありがと」と目をそらすように笑った。

 

「……ちょっと、暑いけどね」

 

「風があるから、夜になれば楽かも」

 

 並んでいると、まるで事前に約束していたかのように自然だった。けれど、何かを言い足そうとする前に、背後からパタパタと軽快な足音が近づいてきた。

 

「おーっす、早いじゃん、ふたりとも」

 

 日暮夏彦が、肩掛けバッグをゆらしながら現れた。Tシャツにチェックのシャツ、カーゴパンツのカジュアルな格好だが、いつものストリート調の空気感がちゃんと残っている。バッグから少しだけ見えるマイクとコードは、今日も変わらない彼の“相棒”だった。

 

「録音する気満々か……」

「いやー、今日の音は絶対いいぞ。ほら、もう遠くで祭囃子聞こえるし」

「夏彦くんも、早いね」

「なんとなく落ち着かなくてさ。……あ、澪、着物いい感じ。想汰も、相変わらずっぽいね」

 

 三人が集まり、話が弾みかけたそのとき。

 

「やっっっっほーい!!」

 

 というあまりに元気すぎる声が響いた。

 

「……誰?」

 

 振り向くと、いた。

 黒地に金の鯉があしらわれた派手すぎる甚平を着て、銀髪をなびかせながら登場したのは、他でもない朝倉彰良だった。

 

「……え?」

「いや、ほんとに誰?」

「おいおいおい、ひどくない? 俺だよ! アキラちゃんだよ!」

「銀髪は……いつ染めたの?」

「たまたま会った日のあと!」

「急すぎない?」

「いやー、夏だし! 花火だし! 銀髪しかなくね?」

 

 文蔵は無言でうなずき、夏彦は「……祭り男の方向性、こっちだったんだ」と肩をすくめる。

澪は「あ、あの……思ったより……派手……」と小さく呟いた。

「……うん、言ってやって。もっと言ってやって」

 

 そんな会話の最中でも、空には少しずつ茜色が混じり始めていた。祭りの気配が、駅前から神社へと伸びる参道に人を誘い込むように漂っている。

 

「じゃ、行きますかー!」

「うん。暑くなる前に、屋台回っとこ」

「夕立も心配だしね」

 

 四人は連れ立って、駅前を後にした。特別な目的もなく、でもなんとなく楽しみにしていた日。

文蔵は、歩きながらふと空を見上げた。風がほんの少しだけ涼しくなっていた。

そして、まだ始まったばかりのこの夏の夜が、ほんの少しだけ胸の奥で鳴っていた。

 

───

 

 駅前の喧騒を離れ、四人がたどり着いた神社の境内は、すでにたくさんの人で賑わっていた。

 赤い鳥居の下に提灯が並び、風に揺れるたびに淡い光を落とす。どこからともなく香る醤油の香り、かき氷の甘い匂い、そして人の声と太鼓の音が入り混じって、空気そのものがざわめいている。

 

「うわ、すごいな……」

 

澪が、少しだけ目を見張って言った。着物の裾を気にしながら、提灯の列を見上げている。

 

「まじで人多い。潰されんなよ?」

 

 彰良が銀髪を揺らして軽く笑うと、澪は「自分がいちばん目立ってるからね……」と返した。

 甚平の背に描かれた金の鯉が、照明の加減でぎらりと光っている。派手さは否定できないが、本人のキャラと妙に馴染んでいるのが不思議だった。

 

「さて、まずは屋台めぐりかな」

 夏彦が肩掛けバッグを整えながら言うと、すでにマイクを手にしていた。

 

「もう録るの?」

「この空気感、今じゃなきゃ無理でしょ。人の声、金魚すくいの水音、太鼓、スピーカーのざらつき──全部、夏祭りにしかない音だよ」

「夏彦……ほんとブレないな」

「褒め言葉として受け取っておく」

 

 文蔵は特に口を挟まず、少し後ろからみんなを見ていた。群れのなかに溶けることも、わざと離れることもせず、ただ自然に“そこにいる”。

 その姿はまるで、筆を持つ前の画家のようで──世界を観察しているように見えた。

 

「じゃ、金魚掬い行こうぜ! 俺、一発で絶対捕まえるから!」

「無理だと思うけど……がんばって」

「言い切るなよ!? 否定の速度、早すぎ!」

 

 屋台が立ち並ぶ境内の奥へ、四人は少しずつ歩を進めた。

 最初に挑戦したのは、金魚掬い。プールのような水槽には赤や黒、白い斑点のある金魚たちがすばしこく泳いでいた。

 

「お、来た来た……!」

彰良がすくい網を手に真剣な顔をする。

 

「金魚と目線合わせると、心が通じ合うって聞いたことあるんだよね……」

「それ多分、金魚じゃなくて犬か猫の話」

 

 澪がすかさず突っ込み、夏彦がくすくす笑う。その隣で、文蔵は小銭を取り出し、ポイを一枚だけ受け取った。

 結果はというと、彰良のポイは水に沈んで穴が空き、逃げられる。澪も挑戦したが、慎重すぎて一匹もすくえず終わった。

 

「意外と難しい……」

「な? 簡単じゃないって」

「いやお前、自信満々だっただろ」

「さっきのはウォーミングアップだってば!」

 

 夏彦はというと、録音に集中しており金魚には目もくれなかった。水音にイヤホン越しで何度もうなずいている。

 

「さて、次は……焼きそば?」

「オッケー。腹ごしらえは大事だな」

「それ、さっきの敗因にしようとしてない?」

 

 文蔵がいつの間にか屋台を見つけて、黙って指を差す。行列ができているが、香ばしい匂いに誰も逆らえなかった。

 

「じゃ、買ってくる」

 

 文蔵が短く言って財布を取り出した。誰も異論を挟まず、彼が自然と先に立つ。

 数分後──手には人数分のパックを持って戻ってきた。キャベツの甘さとソースの焦げる匂いがたまらない。

 

「想汰、こういうとき頼りになりすぎる」

「いやほんと、彼氏かよ」

「……誰のだよ」

「もちろん、俺のだ!」

 

 神社の隅、木陰になっている段差に腰を下ろして、四人は焼きそばに箸を伸ばした。

 にぎやかなはずの境内も、こうして静かな場所に腰を据えると、どこか遠くから聞こえる風景のようだった。

 

「この辺で輪になると、落ち着くな」

誰かが呟き、他の誰かがうなずいた。

気づけば、特別な言葉もないまま、彼らは同じ景色を眺めていた。

そして、夜の祭りは、まだ始まったばかりだった。

 

───

 

 夏の空が、ゆっくりと色を落とし始める。

 午後七時を回った境内は、灯された提灯の赤が、目に見えるよりも空気の温度を変えている気がした。

 四人は神社の端、少し高台になった縁石に腰を下ろしていた。人混みから一歩外れた場所で、屋台のざわめきは遠く、風が通り抜ける。

 

「はあー、歩いた……」

 彰良が両腕をうしろについて仰向けになる。金の鯉が刺繍された黒い甚平は、この時間になるとさらに目立つ。

 が、当の本人は「目立ってなんぼ」くらいの顔で、特に気にもしていない。

 

「水分、摂った方がいいね」

 澪が小さな紙袋からラムネの瓶を取り出した。浴衣姿もすっかり馴染んで、ぎこちなさはなくなっている。帯の色に合わせた小物もさりげなく、けれど丁寧に選ばれていた。

 

「なつかしいな、これ。ビー玉、うまく落とせるかな……」

「貸してみ」

 

 難しそうな顔をする想汰のラムネに彰良が腕を伸ばし、瓶を受け取る。

 しかし、瓶を振ったのが悪かったのか、思ったよりも炭酸が強かったのか──

 

「うわっ、あぶなっ!」

「ちょ、噴き出すっ!」

「それ、さっきから振ってただろ!?」

 

 勢いよく噴き出したラムネの泡が、澪の袖をかすめて、夏彦の膝を直撃する。

 

「あっちゃー」と言いながら、夏彦はそれでも冷静に録音機材だけは死守していた。

「……これ録っとく?」

「やめて」

「でも、いい音だった。ポフっていう瞬間の空気の抜け方とか」

「それ音フェチすぎるでしょ……」

 

 笑い声が響き、ふっとその場の温度が和らぐ。

 文蔵は一歩離れた位置で、団扇をゆるやかに動かしていた。風が顔を撫で、髪が少し揺れる。

 

「想汰くん、それ貸して」

 

澪が声をかけると、文蔵は団扇を渡しながら、ほんの少しだけ口元を緩めたようだった。

 

「想汰のラムネ、全部泡になったんだけど」

「炭酸の墓場やな」

「せめて追悼しようぜ。黙祷、10秒」

「……それ、実質10秒間しゃべらないゲームでしょ」

 

 誰が言うでもなく、空気はそのまま自然に黙る。

境内の中心から聞こえるのは、太鼓の音とスピーカーから流れる昭和歌謡。

けれど、風の音や人の気配、屋台の鉄板のじゅうじゅういう音が、確かに“夏”を物語っていた。

 

「なんか、さ」

 夏彦がぽつりと漏らした。

「もうすぐ、夏終わるんだよな」

 

 その言葉に、誰もすぐには反応しなかった。

けれど、心のどこかに少しひんやりとした風が吹いた気がして、誰もが少しだけ顔を伏せた。

 

「……宿題、終わってないな」

 

澪が冗談めかして言い、彰良が「俺はやらない方針」と胸を張った。

 

「ちゃんとやれよ、銀髪」

「この髪関係ないだろ!? 銀だからって優等生じゃねぇの!」

「いや、どっちかっていうと不良寄りだよね?」

「そっちかよ!」

 

 文蔵は小さく笑った気がした。ほんの、ほんの少しだけ。

けれど、その場にいた三人は誰もそれを突っ込まなかった。

何かを言葉にするよりも、風の匂いと、薄く染まりはじめた空の方が、今は大事だった。

 

「……ねえ」

澪が、ふとした間に言った。

「こういう時間って、あとから思い出すのかな」

 

「思い出すと思うよ」

夏彦が応じる。録音機は一度、止められていた。

「録音とか記録とかじゃなくて、身体で残るっていうか。たぶん、音も、匂いも、空気も──」

「泡が吹き出す瞬間も?」

「それも含めて、ね」

 

彰良はふふんと鼻を鳴らしながら、空になったラムネ瓶をくるくると指で回している。

「じゃあ、そろそろ次、行くか。祭りはまだ終わってないぜ?」

「……じゃあ、最後に一発くらいボケかまさねーと」

「やめて。泡にならないボケにしてね」

「俺のボケ、全部泡扱い!?」

 

笑いながら、四人は立ち上がる。

境内にはまだ灯りが溢れていて、遠くから子供の笑い声と、太鼓のリズムが混じり合っていた。

夏はまだ、ほんの少しだけ続いていた。

 

───

 

 神社の境内を抜けると、屋台の通りは一段と混雑していた。

夜の帳がすっかり下りたあとの夏祭りは、灯りと熱気に包まれ、人の波は緩やかにうねるように進んでいた。

 

「うわ、人多……」

「これはぐれるフラグってやつ?」

「そしたら捜索隊作るか。俺がリーダーで、銀髪探す会とか」

「俺が迷子前提なのやめて」

 

 人ごみの中、四人は一列にもなれず、ふたり、ふたりに自然と分かれて歩くことになった。

澪と彰良が先頭。少し距離を空けて、文蔵と夏彦が後を歩く。

 

───

 

「けっこう買ったな。これ以上持ち歩いたら肩がちぎれる」

 そう言って笑う彰良の両手には、くじ引きで当たった謎のキーホルダーや、ヨーヨー、綿あめなどが詰まった袋がぶら下がっていた。

 

「いまどき手持ちでこんなに買い込むの、あんまりいないと思うよ……?」

「祭りは勢いだろ、勢い!」

 

 澪は笑いながらも、その“勢い”のなかにある明るさに少し安心していた。

こうして並んで歩くことに、最初は少し照れもあったけれど、時間が経つごとに自然になってきている。

 

「そういえばさ。澪の着物、今日すげぇ似合ってるな」

「あっ……ありがとう……」

 

 不意に褒められて、声が少し上ずる。

額にかかる髪を直すふりをして視線をそらすと、隣の彰良は特に悪びれた様子もなく、前を向いたままだ。

 

「おっ!あっちの道だと……いや、なんでもね」

 彰良がふと立ち止まり、脇の道をちらりと見やる。

澪が不思議そうに見返すと、彼はわざとらしく笑って肩をすくめた。

 

「今、ちょっと違うルートに行こうかと思っただけ。……そっちに行ったらおもしろそうだなって」

「じゃあ、なんで行かないの?」

「うーん。今日は、そっちじゃない気分だった」

澪は不思議そうな顔をしながらも、なんとなくその答えを受け入れる。

 

《オプションズ》で決まった、予想の範囲内にある未来よりも、選択肢にない行動がしたかった。

 

「あ、金魚掬いまだやってるじゃん。あとでリベンジしようぜ」

「え、それまたすくえないパターンじゃ……」

「そのときは精神力で泳がせる!」

「いや、それもう超能力じゃん」

 言い合うふたりの足元を、小さな影がすり抜けていった。浴衣の子どもたちが、笑い声をあげながら走っていく。

 

──

 

 一方そのころ、文蔵と夏彦はややゆっくりとした歩調で、人の流れの外側を辿っていた。

「さっきの屋台のところ、音拾えた?」

「うん。ちょっと雑音多かったけど、たぶんあとで整えられる」

 

 肩にかけたバッグから、夏彦が小型の録音機を取り出す。小さな画面に波形がちらつく。

「ねえ、想汰」

「うん」

「記録ってさ、全部必要なわけじゃないよね。残らないものの方が多いし」

 

 文蔵はしばらく黙って、歩きながら考えるように視線を落とした。

「うん……。でも、必要だったかどうかって、あとにならないとわからないかも」

その言葉に、夏彦は「そっか」と頷いた。

 

 屋台の光が、彼のクセのあるやや明るめの栗色の髪をかすかに照らし、歩くたびに録音機の反射で一瞬だけ目が光る。

 

「でも、さ。録らなくても残ってる音って、あるよな」

「あると思う」

「今の足音とか」

「……」

「それに、誰かの声とか」

 

 ふと、夏彦の袖が風に揺れて、文蔵の腕にかすかに触れた。

偶然だったかもしれないけれど、その一瞬の“接点”が、何かをつなぐ音のようにも思えた。

 

──

 

 ほどなくして、再集合地点となっていた小さな広場に、澪と彰良が先にたどり着く。

 

「おー、思ったより早く着いたな」

「みんな、はぐれてないといいけど……」

 

と、すぐに後方から文蔵と夏彦が姿を見せる。

「……無事、合流」

「ふたりとも、道に迷わなかった?」

「想汰は空間把握能力高いからなぁ……」

「いや、その言い方、ちょっとロボット感ある」

 

 四人が顔を合わせた瞬間、どこか自然な安堵が流れる。

再び集まったことで、点と点が線になり、散らばっていた時間が繋がったような心地がした。

 

───

 

 そして気づけば、川沿いの道へと続く坂道の前に、彼らは立っていた。

ここから先にある橋の上で、打ち上げ花火が見られると、祭りの案内にもあった。

 昊天は、いつの間にか群青を深く濃く染めていた。

 

「……そろそろ、行こうか」

 澪がぽつりと口にする。

誰かが手を引いたわけでもないのに、四人は自然と歩き出した。

袖の端が揺れる。草履が小さく鳴る。銀のピアスが微かに揺れる。

 

 誰も言葉にしない静かな気配が、夜の町に溶けていった。

 

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