帰り道の風が、ほんの少しだけ涼しかった。
セミの声はもうだいぶ数を減らしていて、入道雲は見あたらず、代わりに空には長く細い雲が水平に伸びていた。九月上旬の放課後。西日に照らされる歩道を、制服のシャツを少し開けながら歩く男子高校生が四人。
「なあ、お前ら」
先頭を歩いていた朝倉彰良が、ぽつりと声を上げた。
「この学校、なんで選んだ?」
唐突な問いに、後ろを歩いていた椿原澪がほんの少しだけ眉を寄せた。
「え、今さら?」
「いや、なんかふと思っただけ。もう二学期入ったしさ。今は当たり前に通ってるけど、そもそも、なんでココにしたんだっけなーって」
「……あー」
その曖昧な間延びした声は、日暮夏彦。斜め掛けのバッグにいつもの録音機材を突っ込んでいる彼は、歩きながら前髪をかき上げて、ちょっとだけ考えるような素振りを見せた。
「家から近いから、とか?」
最初に答えたのは澪だった。言いながら、少しだけ肩をすくめる。
「……いや、正確には“お姉ちゃんがそう言ったから”かな。“あんたには、ここの空気が合ってる”って」
「はぁ……?」
思いきり声を上げたのは彰良だ。
「それで決めたのかよ!?」
「だって、言われた時に、なんか腑に落ちたというか……」
「椿原家、姉ちゃんのカリスマ力高すぎじゃない?」
「……まあ、否定はしない」
澪が静かに苦笑を浮かべると、夏彦が「なるほど」と頷いた。
「なんか、澪っぽいなそれ。言われて“うん”ってなるの、ちょっと想像つくわ」
「他人事みたいに言わないで」
「俺は……うーん、制服?」
「え?」
「だって、前の学校、制服ダサかったし。あと校則も妙にうるさくてさ。なんかここ、うるさそうだけど、自由そうで」
「いや、“うるさそうだけど自由そう”ってどういう判断基準?」
「ほら、音って意味で。校門のところでさ、風鈴の音とかしてて、“あ、ちょっと違うな”って」
「それで転校先決めたんか……?」
彰良のツッコミに、夏彦は悪びれもせず「まあ、結果オーライ」と笑ってみせた。
「じゃ、朝倉は?」
「……俺か?」
「うん。君が言い出したんだから、君が答えなさい」
「お、おう」
彰良は少し照れたように鼻をこすって、言い淀む。
「うちはさ、親がこの辺の卒業生でさ。成績も足りてたし、“あー、じゃあここでいいや”って」
「適当だな」
「まあ、当時はね。でも、今となっては──」
言いかけて、言葉を止める。
「……今となっては、悪くなかったかも」
それは、素直な声だった。いつもの冗談混じりの軽い調子ではなく、ほんの少しだけ地に足がついたような。
そして、誰かが気づいたように振り返る。
「で、文蔵は?」
「あ」
最後方を歩いていた文蔵想汰。相変わらず口数は少ない。制服のシャツの袖を少しだけまくっていて、その腕には小さな擦り傷がいくつか見える。
「お前、なんでここにしたの?」
「……ん」
一拍。
「……なんとなく」
「出た、なんとなく!」
彰良が声を上げるが、文蔵はまったく悪びれた様子もない。
「いやいや、なんとなくで高校決めるなよ!」
「……静かそうだったから」
「もっと嘘つけ」
「ここの方が静かだったんだ」
「うっそだー! 入ってからのクラス、うるさいやつばっかだぞ! 俺とか、俺とか、俺とか!」
「……でも、いまは静かだよ?」
それは、歩いている今この瞬間のことを指しているのかもしれないし、誰かの心のなかのことかもしれなかった。
そんな彼の言葉に、ふと足を止める空気が生まれる。
「……そっか」
「なんだよ、それ。説得力の勝利じゃん」
みんなが苦笑し合うように歩き出す。西陽が斜めから差し込む坂道。少し先に見えるコンビニの看板が、風に揺れている。
「でもさ」
澪がぽつりと呟いた。
「今こうして歩いてるってことは、結果的には……良かったんだよね」
「んだな」
彰良が軽く頷いて、「“どこ”ってより、“誰と”のが大事ってことで」と付け足す。
「“何を選んだか”より、“どこにいるか”より、“今をどう過ごしてるか”の方が、きっと──」
夏彦の言葉の先を、文蔵がさらりと引き取った。
「……いる場所って、あとから決まる」
ふと、三人が驚いた顔で彼を見る。
「……想汰、お前、今日よく喋るな?」
「そう?」
「そうだよ! やっと人間らしくなってきた!」
「やかましい。俺は最初から人間だ」
あははと笑い声が弾けたそのタイミングで、コンビニの自動ドアが開いた。
しばらくして、それぞれアイスを持って再集合。
「じゃ、最後に一言。彰良くん、どうぞ」
と澪が半ば冗談めかして促すと、彰良はアイスの棒をくるりと回して言った。
「この道、選んでなかったら……」
少し間を置いて、照れくさそうに、でもちゃんと笑って。
「……でもまあ、これでよかったって思ってる自分がいるから、いいんじゃね?」
誰もが、それには返さなかった。風が吹いた。
夏の終わりにしては、涼しすぎず、けれど確かに季節は変わり始めていた。