放課後の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。ハロウィン当日とあって、装飾の片付けや写真の見返し、飴玉の交換でひと盛り上がりしていたりと、いつもの下校準備とは違う雰囲気が漂っている。
「……なあ、おい。誰だよあれ」
日暮夏彦が、ペンを止めて廊下側のドアを顎で示した。
扉の隙間から入ってきたのは、真紅のマントをひるがえし、帽子を目深にかぶった長身の“吸血鬼”。血のようなスカーフ、ワイングラス型の小道具(中はぶどうジュース)、そして……異様なほど丁寧な足取り。
「おま、絶対あれ澪だろ」
「いやいやいや、仮装してるってだけで即バレするやついる? いるわ。めちゃくちゃ仕草が澪じゃん」
「ほら見ろ、立ち止まってちょっと目を伏せたぞ。あれ、100%椿原澪です」
「その分析力を勉強に回してほしい」
彰良と夏彦が口々に突っ込みながら、ニヤつき合う。吸血鬼(仮)は沈黙を保ったまま近づいてきて、やや不器用に机の前で立ち止まった。
「……と、トリック・オア・トリート」
小声すぎて聞き取れない囁きに、教室中が一瞬静まり返ったあと、爆笑の渦に包まれる。
「いや無理無理無理!可愛すぎかよ!言い方可愛すぎだろ椿原!」
「お前、声で即バレしてんのわかってる? あとそのマント、たぶん旧演劇部のやつじゃない?」
「……うん。準備室にあったやつ、借りた」
真顔で答える澪に、再び爆笑が起こる。本人はいたって真面目だが、その真面目さこそが全力のボケになってしまっているのが澪という人間である。
「よし、こうなったらオレらもやるしかねえ!」
「オプションズ、発動。変装ルートにシフト!」
夏彦と彰良が勢いよく立ち上がり、用具室に突撃していく。残された澪はマントの裾を直しながら、小さく息をついた。
少し、胸がくすぐったい。
こういう“ふざける時間”が、実は嫌いじゃないのだと最近になってようやく気づいてきた。そして思い浮かぶのは、あの笑顔。いつか、あの子とも、こんな時間を笑い合えたら。そんなことを、一瞬だけ考えてしまう。
(……なに、考えてるんだろ)
照れくさくなって、澪はマントの襟にそっと顔を埋めた。
そのときだった。教室の扉がガラッと開いた。
「───やあ、血を求める死神だ」
現れたのは、全身黒づくめ、顔半分を覆面で隠し、鎌(紙製)を肩に担いだ……どう見ても文蔵想汰だった。
「え、なんであんたが一番完成度高いんだよ……」
「え、怖。普通に完成度で言ったら一位なんだけど」
「……準備室に、あったから。あと、ちょうど合ってるかなって」
「何?お前、死神向いてるって自覚あるの……?」
文蔵はうっすら笑ったような顔で、澪の隣にすっと立った。二人の並びが、ちょっとしたホラーペアのように見えて、何人かの女子がそっと教室を離れていった。
そこに追い打ちをかけるように、今度は金色の帽子とサングラス、モップをギターに見立てた夏彦が、「イエー!ロックンロールゾンビ見参!!」と教室に飛び込んできて、背後からはキラキラのマントに帽子をかぶった「どう見てもパリピな魔法使い」彰良が、「トリート!全員に幸あれぇえええ!!!」
と叫びながらスモーク風のスプレーをばら撒いた。
教室は一瞬にしてカオス。
もはや「仮装というより仮面舞踏会」と化した四限組の乱入に、他の生徒たちはスマホを構えて動画を撮り始める始末。
「全員、誰だか分かるけど、あえてノるのが友情な。文化だからな」
「すごい文化だな、これ」
「どうせなら、仮装コンテストやるか?即席で」
そんな提案に、誰かが拍手で応じる。澪は、「……そういうの、いいと思う」と呟いた。
その声は、騒ぎの中ではかき消されたかもしれない。でも彼の頬は、マントの襟元で少しだけ赤かった。
そしてその小さな仮装の夜は、まだ始まったばかりだった。
───
「てか、ほんとどこで調達したんだよ、そのマント……」
スモークスプレーを振りまいた直後、軽く咳き込みながら彰良は澪に詰め寄った。
仮装というにはあまりにも堂に入った吸血鬼。暗紅のマントは丈もぴったりで、シャツの襟元には、きちんと巻かれたスカーフ。いちばん驚いたのは、その目元にほんのり入った赤茶のアイシャドウだった。
「準備室。あと、……メイクは、姉に」
「うわ、姉ちゃん仕込みか〜〜!そりゃレベル高いわ」
「……すこしだけ、教えてもらった」
「教えてもらったレベルでそれ!?はぁ~~ずるいね、椿原くん。顔がよくて性格が真面目で、地味にメイクも映えるとか、どういうスペックしてんの?」
彰良は自分の紫マントをひるがえしながら、ハイテンションでぐるぐると澪の周囲を回る。
「ところで、俺のはどう?この“パリピ・オブ・ザ・ダークネス”っぷり。光る魔法ステッキと謎サングラスのコントラスト。これが異文化融合だよね!」
「うん、まぶしい」
「まぶしさは正義だよ!」
そう言いながら、彰良は自らの胸元に貼った「グリッター加工済み魔法陣(厚紙)」を指差す。
たぶんこれ、体育祭の団扇の残り。加工が甘くて、さっきから服にラメが落ち続けてる。
一方で、教室の後ろでは、
「おい夏彦、ギター(モップ)折れかけてんぞ!」
「大丈夫大丈夫、ノリでどうにかなるって!イエー!ゾンビって最高!!」
夏彦が黒いTシャツに鎖をジャラつかせて暴れ回っている。
ゾンビにしては肌ツヤが良すぎるし、サングラスが妙に似合いすぎて、もはや“死から蘇った陽キャ”と化していた。
「マントは旧演劇部、メイク道具は姉、ギターは掃除用具、帽子は美術部の忘れ物……って、オレら全部、学校の備品と流用品でできてんのか……?」
彰良がポツリと呟くと、澪が小さく、「文化部の総力戦だね」と返した。
「そのうち『四限組演劇団』とか名乗るぞ、オレら」
「やだそれ……めちゃくちゃクセ強そう」
そんなときだった。
「……誰?」
ぽつりと、背後から女子の声が聞こえた。
振り返ると、同じクラスの女子が数人、スマホ片手にぽかんと立ち尽くしている。
「それ、誰?って……椿原だよ、椿原」
「あ、うん……でも、仮装してるとなんか雰囲気違って見えて」
女子たちはちょっとだけ頬を染めて、目をそらした。澪は「……え」と小さく呟いたあと、耳まで真っ赤にしてマントの裾をぎゅっと握った。
「おい椿原、モテ始めてんぞ」
「ハロウィン効果だね〜〜。正体バレてんのに、ときめかせるとはやるなぁ」
「……やめて」
照れてる澪を見て、彰良はこっそり文蔵のほうを振り返る。
そこには、やはり何も言うことのない、完成された死神がいた。
完璧な黒装束。顔半分が布で覆われ、肩に担ぐ紙製の鎌には血のような赤いペイントまで施されている。
「ねぇ、文蔵。君ってば、なんでそんなに完成度高いの?」
「……似合うと思ったから」
「自信満々だな!!でも事実だから否定できねえ!」
「てか、四人並ぶと……うん。俺らまじでカッコよくない?」
「おお、じゃあ今から“仮装コンテスト”する?」
彰良の提案に、周囲から「いいね!」「ノッた!」の声が上がる。
即席で、黒板に線を引いて「吸血鬼/魔法使い/ゾンビ/死神」と書かれた投票欄が完成。
下駄箱用のシールや余ったプリントで即席投票用紙を作り、暇そうにしていた生徒たちはこぞって投票を始める。
「でもこれ、誰に投票しても正体バレバレなんだよな……!」
「仮装って、誰かになる“フリ”ができるのが楽しいんだよ」
「なるほど、それっぽくなるチートってことか」
笑いながらも、ふと彰良は思う。
仮装なんて、ほんの遊び。だけどその“遊び”のなかで、普段はちょっと隠れてしまう誰かの顔がふっと出てくることがある。
たとえば、澪の照れた顔とか。文蔵の意外とノリの良さげな姿とか。
「……なんか、いいじゃん。こういうの」
誰かにならなくても、ちゃんと“オレら”で楽しい。
でも、誰かになることで、ほんの少しだけ“普段より遠くまで届く言葉”がある気もする。
「ってわけで、次はクリスマスだな。サンタコスで勝負だ!」
「え、早くね!?次はまだあと2か月あるだろ!」
「企画は早めが肝心です、ゾンビ先輩!」
「それ言うならパリピ魔法使い会長がやれよ!」
騒ぎながら、黒板の仮装コンテスト投票数はどんどん増えていく。澪は、ちらっと自分の欄に視線をやって、
「……二票、入ってる」
と、小さな声でつぶやいた。
その目は、ほんの少しだけ、うれしそうに笑っていた。
───
「なあ、鍵…だれか持ってたっけ、旧図書室の」
夕暮れの校舎に、ひときわ悪い笑みを浮かべた彰良の声が響いた。
すでに仮装でテンションは臨界点を突破していた四限組。仮装コンテストも終わり、生徒の大半が帰ったあとの廊下に、その声が吸い込まれていく。
「いや、普通、図書室の鍵って持ち出さねえだろ……」
夏彦が苦笑しつつも、なぜかもう足はそっちへ向かっている。
そして、誰も止めないどころか、文蔵がポケットからすっと鍵を取り出した。
「準備室の引き出しに、入ってたから」
「便利すぎるなお前のポケット……!」
「でもまあ、誰もいない旧校舎で、仮装して、お化け屋敷ごっこって……」
「最高じゃん」
そう、澪も思った。
非日常を演じられる仮装と、誰もいない校舎の静けさ。どこか現実じゃないような空気に、少しずつ心が浮き足立っていく。
───
旧図書室。
そこは今では使われていない、埃っぽくて暗い部屋。
本棚はほとんど撤去されており、使われなくなった椅子や机が隅に寄せられている。窓は曇っていて、夕日が斜めに差し込むその空間は、まるで時間が止まったかのようだった。
「よし、ここで“プチ肝試し”やろうぜ。順番に一人ずつ入って、指定の物拾って戻ってくるルールな」
彰良が急に紙を取り出し、手書きで“お題”を書き始めた。
「古い本のしおり」「赤い紙の切れ端」「封の開いたラムネの包み紙」などなど、まるで何らかの都市伝説を再現するかのようなチョイス。
「ちょっと待って、それ本当にどこかにあるの?」
「さあな。でも探すのが楽しいんだよ、こういうのは!」
澪は順番的に、三番目だった。
最初に入った夏彦は、途中で「わっ!?」と声を上げたあと、変な笑い声を響かせながら戻ってきた。
「いやあ、文蔵が黙って椅子に座ってて、ガチでビビった。マジで死神かと思った……」
「座ってただけだけど」
「それが怖いのよ」
次に彰良が入り、叫び声をあげるでもなく、「おっ、これじゃん!」と何かを掴んで颯爽と出てきた。
「何このアグレッシブなメンタル……」
そして、澪の番がきた。
「椿原、がんばれ~。吸血鬼だから闇は得意でしょ」
「それ、キャラ的な意味で……?」
苦笑しながら扉を開けた澪は、静かな空間に一歩踏み出した。
───
カタン、と扉が閉まる。
空気が一変する。
外の喧騒がすっと遠ざかり、代わりに埃の匂いと、足音が微かにきしむ音だけが満ちてくる。
澪は、胸のあたりをきゅっと掴んだ。
(……やっぱり、ちょっと怖いかも)
手探りで進むと、背後からわずかに風が吹いた気がして、振り返ってしまう。
(……風、じゃないよな。窓、閉まってたし)
と、そのとき。
「──ぅ……あ、あの」
薄暗がりから聞こえた、かすれた声。
(……え?)
澪は足を止めた。一瞬、本気で血の気が引いた。
が、次の瞬間。
「椿原ぁあ~~~!!!お前の後ろに……!」
バンッ!
扉が勢いよく開いた。
夏彦がゾンビテンションで叫びながら飛び込んできて、澪は思わず「ひっ」と声を漏らして肩をすくめた。
「ば、バカっ!びっくりするだろ!」
「へっへっへ、これが“びっくりさせ選手権”です!」
背後では彰良がスプレーを撒き、文蔵は椅子の上で静かに佇んでいた。まさに、死神の審判のように。
「ああもう……!」
澪はついに苦笑しながら、ほこりまみれの“赤い紙”を見つけて手に取った。
みんながふざけてる。でも、ふざけてる中に、どこか安心感がある。
バカみたいで、でも……嫌じゃない。
(……こういう時間、誰かと分け合いたいって思うのって、変かな)
教室のあの席。文化祭の午後。
何気なく、視線を交わしたあの子のことが、一瞬だけ脳裏をよぎった。
(……ううん)
(今は、こっちをちゃんと楽しもう)
息をついて、澪は仮装のマントをひるがえし、扉を開けた。
「トリック、オア、勝利」
そう口にした彼の手には、ミッション達成の赤い紙と、少しだけ誇らしげな微笑みが宿っていた
───
中庭には、ほのかな夕陽が差し込んでいた。
照り返す芝とレンガ敷きの広場。落ち葉が風に舞い、まるでハロウィンらしい演出をしてくれているような気がする。
「よーし、じゃあここで“お菓子交換タイム”といきましょう!」
宣言したのは、もちろん彰良だった。
仮装を終えてひと段落ついた四限組は、再び集まり、中庭のベンチに輪をつくる。誰ともなく持ち寄ったお菓子が並べられ、その様子はどこか平和なパーティー会場のようでもある。
……と、思ったのはほんの一瞬だった。
「このラムネ、爆発するぞ」
「は?」
「見ろ、包装の裏に“口の中で衝撃波”って書いてある」
「食い物に“衝撃波”って文字ついてたら普通避けるわ!」
夏彦が恐る恐るラムネを手に取ったと思えば、勢いで一気に口に放り込む。
「──うぉっ!? シュワ……いやこれもう痛い!痛いって!!」
「マジで衝撃きてるじゃん!音までパチパチいってる!お前、口内で花火してんの!?」
「うるさい……やばい、涙出てきた……ッ!」
夏彦がむせながらのたうち回る横で、彰良が何やら真剣な顔でチョコのパッケージを吟味していた。
「“激辛チョコ、心して食せ”……うん、いくか!」
「いややめとけって、それ絶対やばいって!」
「ハロウィンは挑戦の季節!」
そう言いながら、パキッと一口食べる。
……数秒の沈黙。
「……………………舌が……無くなったかもしれん」
「想像よりだめだったー!!」
「なにしてんのほんとに……」
澪がぽつりと呟くと、その横で文蔵は淡々と、お菓子の山から個包装された無難なものだけを選別して並べていた。
「え、それだけ選んでんの? なんでお前だけ貴族みたいな立ち回りしてんの?」
「混ぜられると、甘いのか辛いのか分からないから」
「慎重派か。というか逆にそれはそれで小悪魔的だよね」
「……そう?」
文蔵は首をかしげ、静かにマシュマロを口に入れる。
その中で、ふと気づけば、澪が何かを鞄から取り出していた。
「……あの、これ」
差し出されたのは、小さなラッピング袋。透明なフィルムの中には、手作りのクッキーがいくつか並んでいた。形は揃っていないけれど、どれも丁寧に焼き色がついている。
「澪、それ……作ったの?」
「うん。なんか、作ってみたくなって……」
「おーいーねー! ってか、うまそう。ひとつもらっていい?」
彰良が即座に手を伸ばしかけたが、夏彦が先に指を突き出した。
「いや、ちょっと待て。一旦これは、神聖な供物として丁重に扱おう」
「なにその宗教儀式」
「だってこれ、“まともなお菓子”という概念が崩壊しかけてた我々にとっての最後の希望だぞ?」
「真顔で語るなや!」
結局、文蔵がひとつ手に取って、静かに口に運ぶ。
さくっという音とともに、バターと砂糖の香りがふわりと漂う。
次の瞬間、文蔵は小さく「うまい」と呟いた。
「え、本当に?!」
「うん。普通に……市販品より、やさしい味がする」
その言葉に、澪の顔がすっと赤くなった。
「どれどれ! あっ、ほんとだ、ちゃんと甘くて、ちょっとだけしっとりしてる」
「おお、オレも! なんかこう、部活の引退試合後に配られるやつ感ある!」
「それは褒めてるのか?」
「全力で褒めてる!」
みんなが笑って、食べて、少しだけ、沈黙があった。
その中で、澪は自分の作ったクッキーが、こうしてちゃんと誰かの口に入り、笑い声と一緒に消えていくのを、どこか夢のような気持ちで見ていた。
(……楽しいな)
ふと思う。
(こういう時間を、いつかあの子とも分け合えたら──)
そこまで考えて、やめた。
今は、今をちゃんと笑っていたい。そう思った。
文蔵がふと、空を見上げた。中庭の上空には、仮装の帽子が風に舞っている。
誰のものか分からないけれど、それはもう関係なかった。
仮装も、変装も、お菓子も。
今日の彼らには、どれもが“遊び”で、どれもが“本気”だった。