放課後の生徒会室には、奇妙な静けさが漂っていた。
───シューッ……
スプレーの音だけがやけに生々しく響く。
「よし、仕上がった……!」
そう呟いたのは、今まさに全身銀色のスーツに身を包み、顔面までしっかりメタリックな塗料で塗り上げた一人の高校生。橋ヶ谷満作である。
額には銀色のラメ入りタトゥーシールで貼られた「監視中」の文字。背中には手作りの“エネルギーコア”らしき球体がくくりつけられ、両腕にはLEDテープが点滅していた。目元だけを残して銀に染められた顔面は、どこか得意げで、そして……どこからどう見ても宇宙人だった。
「……ふむ。これで、準備は整った。あとは、地球文化を観察するだけだな」
言葉の意味はわかるが、なにかが決定的に間違っている。
「満作……。お前、それで巡回する気?」
副会長の今泉が、死んだ魚のような目で問いかけた。
「当然だろう?今日はハロウィンだよ、今泉くん。仮装して校内を巡回するのは、会長の務めだ」
「違う。仮装して校内を巡回するのは、“普通は”生徒じゃなくて見回る側が仮装を“やめる側”だよ」
「でも、これも一種の“見回り”だよ?文化の体感を伴った視察。ほら、現場主義ってやつさ」
今泉が頭を抱えるのを尻目に、満作は着々と巡回準備を進めていく。
「ていうか、校内仮装のルール決めたの、お前じゃん。“顔が完全に隠れる仮装はNG”って……今、顔面全部銀なんだけど?」
「これは隠してるんじゃなくて、見せてるんだよ。“地球外の顔”をね。……これは異文化理解の第一歩さ!」
どや顔でウィンクを飛ばす銀色の男に、書記の橘が小声でつぶやいた。
「生徒会長になったばっかで、ちょっとテンションおかしくなってるだけじゃない?」
「うん、そうだと思う」
即答した今泉は、もう諦めた顔をしていた。
「まあ……満作らしいっちゃ、らしいけどな……」
───
そして、五分後。
銀色の何かが校内を歩いていた。
「うわっ!? 何あれ!?こわっ!」
「……え、マジで?誰?」
「銀……?満作先輩!?マジで!?」
すれ違う生徒たちがどよめき、撮影用のスマホを構える音が至るところから響く。だが満作は、そんな視線に動じることなく、ゆっくりと歩を進めていた。
───ピッ。
腕のLEDが反応するたびに、「監視中」と書かれた額のシールが反射する。生徒Aが「怖い!」と叫び、生徒Bが「……でも、完成度やばくない?」と震え声で言う。
なにより、彼の背中が語っている。
「これは仕事だ」と。
校内文化に自ら突っ込んでいく姿勢、恐れを知らぬ行動力、すべてが“橋ヶ谷満作”という存在の体現だった。
「……それにしても、満作くんさ……」
校舎裏の窓から覗いていた日暮夏彦が、遠くを歩く銀の男を見てぽつり。
「何してんの、あれ」
「いや……さすがに分かんねえよ」
吸血鬼姿の澪がマントの襟元から顔を出し、ゾンビギターを肩にかけた夏彦の隣で呟いた。
「仮装の限度ってあると思ってたけど、あれは越えてきたな……」
彰良が笑いながらつぶやき、文蔵が死神の鎌を肩に担ぎながら静かに言う。
「……満作。満作だったね、やっぱ」
誰もが、あの“正体不明”を誰だか分かっているのに、なぜか安心して見送っていた。
だって彼は、橋ヶ谷満作だから。
仮装がどれだけガチだろうが、星の話をしようが、笑われようが、どこか憎めない。生徒会長という肩書きよりも、「橋ヶ谷満作」という個性が、今日の校内を一番自由にしていた。
───
橋ヶ谷満作は、階段を一段ずつ丁寧に降りていた。
銀色のスーツは妙に目立つ上に、動くたびカサカサと音を立てる。靴底には“滑り止め対応の惑星用シート”(らしきゴム)を貼っているせいで、足音はやたらに静かだが、その姿はまぎれもなく“異星人”そのものだった。
これで、地球文化との距離を最小限に保てる。
そう信じて疑わない満作は、途中で何人もの生徒に驚かれつつも、「コンニチハ」「平和的ニ観察中デス」とロボ声で挨拶をしながら校内巡回を続けていた。
「次の観測点は…旧図書室、か」
昇降口から渡り廊下を抜け、満作が辿り着いたその扉の前には、なぜか既に四人の影があった。
「なあ、本当にやんのか?この旧図書室で肝試し」
「ええやん、ちょっとだけな。雰囲気だけでも楽しも?」
「でも、あの鍵どこで手に入れたのかはマジで気になる」
「……落ちてたって言ったら信じる?」
死神・文蔵、吸血鬼・澪、ゾンビギター・夏彦、パリピ魔法使い・彰良。四限組の面々が、どう見ても“なんかやらかそうとしている高校生”のオーラを放ちながら集まっていた。
そしてその背後に、音もなく忍び寄る、銀色の影。
「……接触、開始」
───バッ。
旧図書室の扉が不意に開いた、そのとき。
「地球人の皆サン、コチラハ安全デスカ?」
銀色の宇宙人(満作)が、まさかの無音で登場。
「うわああああああああ!!!」
真っ先に飛びのいたのは夏彦だった。
「待って待って待って!何!?お化け!?マジのお化け!?」
「え、逆にこれ誰!?え?マジで!?!?え???」
彰良も一歩後ずさり、澪はマントをばさっと翻しながら文蔵の後ろへ。そして唯一、文蔵だけがじっと銀の宇宙人を見つめてぽつり。
「……満作、だよね?」
「正解っ!!」
顔を光らせて叫ぶ満作に、場の空気がさらに混乱する。
「いやいやいやいや!待って、ハロウィンってそういう日だっけ!?宇宙人アリだったっけ!?」
「うん……どっちかっていうと、ホラーとか、モンスターとか……」
「宇宙人も、ある意味“未知”でしょ?ホラーの一種さ!」
満作は銀の指をピースにして掲げ、LEDが点滅する腕を誇らしげに光らせる。
「……というか、満作くん、それ何時間かかったんすか」
「準備だけで二時間。でも、早めに来て生徒会室でスプレー吹いてたから問題ない」
「問題しかねえよ!?」
「でも、動きが妙にリアルなんだよな……。あ、目、動いてる……すげえ……」
夏彦は半分感心しながら、距離を取りつつ凝視していた。
「というわけで、生徒会長として皆さんの安全確認に来ました。今夜の仮装活動に危険はありませんか?」
「いや、こっちが危険にされかけたんだけど」
彰良がうっすら笑いながら、額に手を当てて言う。
「……満作。逆に一番ホラーだったよ」
「ありがとう、最高の褒め言葉だよ!」
宇宙人は、いちばん無邪気に笑っていた。
その後。満作は四限組の提案で、仮装記念の集合写真に銀色のまま加えられた。銀の中央に、吸血鬼・澪と死神・文蔵が控え、ゾンビ夏彦がピースし、パリピ魔法使い彰良が「ハロウィン、宇宙進出!」と叫ぶ構図。
誰が誰だか全部分かっていて、でも全員が“なりきった”その時間が、なぜだかとても、心地よかった。
そして、旧図書室の前で、澪がぽそりと漏らした。
「……でも、誰かになりきるって、少しだけ勇気いるよね」
その言葉に、満作はそっと頷いた。
「そうだね。でも、誰かになれるって、案外すごいことだよ。仮装って、ちょっとした“星”なんだと思う。光ってて、見上げたくなる」
いつもの調子で、満作は唐突に詩的になる。
「……それ言えるのお前だけだわ」
彰良が笑って肩をすくめた。
「俺たちには似合わんセリフだけど、満作なら、まぁ許すわ」
そんなふうに、いつの間にか空は茜から群青へと染まり始めていた。
銀色の仮装が星空に溶け込む頃、満作は一人、屋上へと足を運んでいた。
───
屋上の風は、満作の銀色のスーツをなでていった。
いや、もうスーツは脱いでいた。
制服に着替えた今、手すりにもたれて星を見上げている姿は、どこにでもいる男子高校生そのものだった。けれど、制服の下に残るラメのひと粒や、うっすら銀の爪先が、まだ今日の余韻を微かに引きずっていた。
「……ふぅ」
深く息を吐く。地球の酸素は、思ったより澄んでいた。
いや、もちろん地球人だ。正真正銘。
でも、たまに“観測者”でいたくなるのも事実だった。
それは、教室のざわめきの中、誰かが笑っている瞬間だったり。校舎の角を曲がる足音に、季節の移ろいを感じるときだったり。あるいは、今日のように、誰もが“誰かになって”はしゃいでいる、その空気の中にいたとき。
「……観測、終了っと」
口元でそう呟いて、満作は今日一日を頭の中で巻き戻す。
銀のスーツを着て生徒会室にこもった午後。
副会長の制止をスルーしたまま、LED装置を起動した時の妙な達成感。
誰にも気づかれずに廊下を移動していたつもりが、四限組に「逆に一番ホラーだった」と言われた夕方。
その全部を、どこか“他人事”みたいに思っていた。けれど。
(……ちゃんと、自分のことだったんだよな)
思いのほか、あの時間は“面白かった”。
誰かと笑い合って、仮装という名の“少しだけ別の自分”になって、でも結局、元の姿に戻って。全部、たった数時間のことなのに。
「なんか……いいな、って思っちゃったんだよなあ」
ぽつりと漏らした言葉に、答える者はいない。
でもその代わりに、頭上の星たちが、静かにまたたいていた。
「地球の文化も、悪くないね。なんていうか、思ったより、“重力”がないというか」
ふわっと笑ったその顔は、いつもの理知的な満作というより、少しだけ年相応の少年のようだった。
そのとき、校舎の下から遠くに響いた声。
「おーい!満作ー!さっきの仮装、写真送りたいんだけどLINEどれー?」
「あ!橋ヶ谷先輩いたー!!こっち見てくださーい!」
誰かが屋上を見つけ、手を振っている。
「……あれ、バレた?」
満作は目を細めて、ゆっくりと手を振り返す。
その仕草は、どこか“地球外生命体のジェスチャー”の名残りがあるような、不器用だけれどどこか真っ直ぐなものだった。
風が、髪を揺らす。制服の袖がぱたぱたと鳴る。
その音がまるで、今日という一日が“もうすぐ終わる”と告げているかのようで──
「……でも、ちょっと楽しかったな」
ふと、満作はそう口にした。
それは誰に向けた言葉でもなく、けれど、どこかにちゃんと届く気がした。
星は今日も、遠くて、近い。
やがて、階段の扉が静かに開いて、満作は屋上を後にした。
帰り道には、まだどこかで仮装したままの生徒たちの笑い声が響いていた。
それがいつか、誰かの記憶に残るのかどうかは分からない。
でも、そういう“くだらないこと”ほど、案外ずっと消えなかったりするのだ。
橋ヶ谷満作。生徒会長。銀色の宇宙人。
その三つの肩書きが、今夜だけ、少しだけひとつになった。
「地球観測完了。また、来年」
満作は心の中でそう呟いて、夜の坂をゆっくりと歩き出した。