「うん、やっぱ……これ、ちょっと派手すぎ?」
鏡の前で帽子を傾けながら、水木日向が首をかしげる。魔女のとんがり帽はキラキラのラメ入りで、紫と黒のスカートが軽やかに揺れていた。
「いや、めちゃくちゃ似合ってる。日向ってほんと“映え”がわかってるよね」
花森菜月はそう言いながら、自分の腰のリボンを結び直す。彼女の仮装は、白い羽のついた天使風の小悪魔。ミニスカートはピンクと黒のストライプ、そしておなじみのちょっと悪そうな笑みが今日も健在だった。
その隣で、小柳雪は静かに尻尾をつけている。黒猫のカチューシャ、しなやかなラインのワンピース、そして首元には赤いリボンのチョーカー。
「……あのさ、ほんとに、これで大丈夫かな」
「なに言ってんの。今日の主役でしょ、ゆきは」
日向がくるりと回って、笑顔でウインクする。その無邪気な仕草に、雪は思わず視線を落とした。
放課後の女子トイレ。鏡の前は三人の女子高生による、静かなる仮装作戦会議の真っ最中だった。ハロウィン当日の校内は思ったよりにぎやかで、四限組をはじめ、男子たちも仮装でふざけ合っているらしい。
「にしても、こうして並ぶとバラバラだよね、私たち。魔女に天使に黒猫って」
「それがいいのよ。個性出してなんぼ!」
菜月が指をぱちんと鳴らす。
「でもまあ、ほら。そういう仮装ってさ、ちょっとだけ“なりたい自分”を出せるチートじゃん?」
「え、それ言うなら菜月は“天使ぶった悪魔”ってこと?」
「そうそう。内面をそのまま表現したらこうなりました!って感じ」
「開き直りがすごい……」
笑い合う二人のそばで、雪はそっと小さく息を吐く。チョーカーを直しながら、ふと鏡に映る自分を見つめる。
(……澪くん、今日もいるのかな)
そう思ってしまう自分に、自分で気づいて、恥ずかしくなった。
「……私、澪くんに見られたら、どうしよう」
ぽつりと漏らした言葉に、日向がぱちりと瞬きした。
「それ、いい意味で?」
「わかんない。でも……なんか、変なふうに思われたくないというか」
「へぇ?」
日向がにやりと笑う。
「じゃあ、逆に言えば、“いいな”って思われたいってことじゃん。それって、いいことじゃない?」
「うわ、日向それ強引〜」
「うるさい、小悪魔」
日向と菜月がじゃれ合うように突っ込み合う。そんなふたりのテンポを見ていると、雪の心にも少しだけ灯りがともるようだった。
「でも、仮装ってさ」
日向が続けるように言った。
「“普段じゃない自分”で歩ける日って感じ。ちょっとだけ大胆になれるっていうか」
「それを真に受けて突撃して失敗したらどうすんのさ」
菜月が笑いながら指摘すると、日向は「まあまあ」と肩をすくめた。
「でもね、雪。あんたのその黒猫、すっごく似合ってる。なんかこう、可愛いんだけどちゃんと芯がある感じ。澪くんも、絶対“いいな”って思うと思う」
「……そうかな」
「そうだよ。あんたって、いつも控えめだけど、今日くらい“見てほしい自分”を出していい日なんだって」
菜月が最後に言った言葉は、ふざけているようでどこか優しくて。
雪は小さくうなずくと、鏡の中の自分にもう一度だけ微笑みかけた。
「……じゃあ、行こっか」
「よしっ!」
「突撃、仮装大作戦!」
三人の声が重なったとき、外から聞こえてきたのは、どこかの教室で響き渡る男子の歓声と笑い声。
「誰だよ、あれ!」
「椿原だろ、あれ絶対!」
菜月と日向が顔を見合わせて、吹き出す。
「え、今の声……澪くん? ……いたんだ、やっぱり」
「どうする?行く?」
「もちろん。作戦、開始でしょ?」
そう言って、三人はトイレの扉を開いた。
すっかり日が傾いた廊下。窓の外には茜色が残り、秋の風がカーテンを揺らしている。
雪はその中に立ちながら、心の奥にほんの少しの期待をしまい込んだ。
ほんの、ちょっとだけ。
“今日の私”を、澪くんに見つけてほしいなって。
───
廊下の窓から差し込む夕陽が、校内の景色をオレンジ色に染めている。
黒猫、魔女、天使風小悪魔の三人組は、その中をわいわいと歩いていた。
「ちょっとちょっと、さっきの教室、やばくなかった!? スモーク出てたよ!? なにあれ!?」
日向が前のめり気味に言うと、菜月が指をさす。
「パリピ魔法使いとロックスターゾンビと……死神? あれ、いつもの四人組でしょ。絶対そう」
「澪くん、いたよね……」
雪はその言葉に反応して、小さくつぶやいた。
「……吸血鬼だった」
ほんの一瞬だったけれど、その姿は印象に残った。
赤いマントが揺れていた。目深に帽子をかぶり、マントの裾を不器用に直していた。
……誰よりも、真面目にふざけていた。
(ちょっと、ずるい)
可愛かった。
普段の静かな椿原くんじゃなかった。
でも、そこに確かに“彼”がいた。
「いまのうちに突撃しようよ!」
「ちょうどマントも猫もいて、並べば映えるって!」
日向と菜月が冗談交じりに盛り上がっている。
スマホを取り出して、「ね、ツーショ撮ろう!」と、雪の肩を揺らしてくる。
「えっ……ちょっと、無理かも」
「なんで〜!? せっかく仮装したのに!」
「……なんか、恥ずかしい。ていうか、邪魔しちゃうかもしれないし」
その言葉は嘘ではなかった。でも、全部じゃない。
あんなに楽しそうに笑ってる彼に、自分が踏み込んでいいのか、わからなかった。
「……そっか。じゃあ、やめとこっか」
日向があっさり引き、菜月もにこっと笑って肩をすくめる。
「来年もあるしね。今日じゃなきゃダメってこともないし」
ふたりのその柔らかさに、雪は少し救われたような気がした。
足を止めて、ふと見た先。
中庭のベンチ。そこには、楽しそうにお菓子をやり取りする四人の姿が見えた。
仮装が似合ってるかどうかじゃない。
ちゃんと“そこにいる”感じがして、羨ましかった。
「……いいな。楽しそうだな」
自分でも聞き取れるくらいの、かすれた声だった。
「ん? なにか言った?」
日向が振り向いたが、雪は首を横に振った。
「ううん、なんでもない」
けれど胸の奥では、ひとつの思いがしっかりと芽を出していた。
(もしかしたら私、見られたかったのかも)
仮装がどうこうじゃない。
今日の自分を、澪くんに見てほしかった。
“可愛いね”って言われたかったわけじゃない。
ただ、「気づいて」ほしかった。
言葉じゃなくてもいい。目線の端でも。すれ違いざまでも。
ほんの少しでも、自分の存在が届いていたらいいのに───
そんな風に思ってしまうことを、まだ少し恥ずかしいと思っている自分がいた。
今度こそ、ちゃんと目を合わせて。
ちゃんと声をかけて。
そんなふうに“また来年”を夢見るのも、悪くない。
───
仮装を脱いだ三人の女子高生が、昇降口の前で制服姿に戻っていた。
「はー、やっぱこのスカートの長さが“現実”って感じするわぁ」
「でもさ、仮装のあとだと、制服もちょっとだけ特別に見えない?」
そんなやり取りを交わしながら、着替えたあとの髪を整えたり、落ちかけたアイラインを指でそっとぼかしたり。
その所作にも、どこか祭りのあとの名残が漂っている。
校舎の外に出れば、空はすっかり群青色。
夕焼けの名残が薄く残る中、街灯のオレンジがぽつぽつと灯り始める。
「はいっ、じゃあ記念に!」
日向がスマホを掲げて、三人の仮装姿を再生する。
「うわっ、なんかウチ、羽根曲がってない!?」
「ちょ、猫耳が浮いてるってば!なんで直してくれなかったの!」
「日向は……ああ、ばっちり可愛い。さすが魔女代表」
「でしょ?」と得意げに笑う日向に、菜月が指を差す。
「でも次はやっぱ、お化け屋敷側行きたくない? 私、脅かすの得意だから」
「いや、そんな特技あったの?」
「あるよー、たぶん。ね、雪も一緒にやろ?」
少し前を歩いていた雪が、振り返る。
制服の袖が、街灯の光で柔らかく透けていた。
「……うん、やってみたいかも」
その声は、なんでもないように響いたけど、ふたりにはちゃんと届いていた。
「じゃあ決まり!」
「来年のハロウィン、出演決定~!」
「雪は正体バレバレ吸血鬼で出てよ。さっきの澪くんくらい真面目にふざけてくれれば完璧!」
「それ、仮装なのにキャラ崩壊しそう……」
「崩壊歓迎じゃん。ハロウィンだもん!」
そんな他愛ない話を続けながら、彼女たちは坂をくだる。
帰り道は、いつもの景色。でも今日は、少しだけ特別。
足元に積もる落ち葉が、かさかさと音を立てる。
どこからか、金木犀の名残の香りも漂っていた。
「ねえ、日向、菜月」
雪がふと立ち止まって、スマホの画面を見たまま呟く。
「……この仮装、誰に見せたくてやってたんだろうね。私」
二人は顔を見合わせてから、笑った。
「それ、今言う?」
「……言えるようになっただけ、進歩じゃない?」
雪は少しだけ照れくさそうに笑った。
「見られたかったの、たぶん。……澪くんに、っていうのもそうだけど、なんていうか……“今日の私”を、誰かに」
仮装って、ちょっとだけ別の自分になれる。
だからこそ、本当の自分の輪郭が、逆に浮かび上がる。
「……明日も、席は隣だしね」
菜月の言葉に、雪は静かにうなずく。
「うん。また、明日も」
夜の空は、高く、澄んでいた。
星がいくつか、瞬いている。
雪はそのひとつを見つめながら、心の中でそっと呟く。
来年もまた、きっと今日のことを思い出す。
そのとき、私はもう少しだけ、素直になれてたらいいな。
「……また明日ね」
そう言って、ふたりに追いつくように駆け出した。
その背中に、黒猫のしっぽの影が、ふわりと揺れた気がする。