「なんか、あの四人ってさーよくわかんねぇけど、ずっと見てられるよな」
昼休み、教室の隅でぼそっと青野が呟いたのは、別に話題の中心にしたかったわけじゃない。ただ、なんとなく目が行っただけだ。
廊下側の窓際、四人で囲む机のかたまり。文蔵、朝倉、日暮、椿原。通称“あの四人”。ちょっとした噂の的になっている。
「また変なこと言い出した」
隣に座る中村が呆れ顔でツッコミを入れた。けど、目線は同じ方向を向いている。
「いや、さ。たとえばあいつら、パン食うだけでも妙に楽しそうなんだよな」
「パンで?」
「パンで」
青野は指先で視線の先を示す。
今日も、いつものように四人が集まっている。わざわざ“並べました”感のある机の並び。正面に座るのが朝倉、右に文蔵、左に椿原、奥が日暮。何が始まるでもなく、ただただパンやら紙パックのジュースやらを前に、普通に飯を食ってるだけ。──のはずなのに。
「……あれ見ろよ。日暮がなんか、パンの断面をやたら真剣に眺めてる」
「……クリームパンの分布が偏ってるとか言いそうだな、文蔵が」
「それな」
間もなく、朝倉が日暮の手元を覗き込んで、首を傾げて、何かを言って、それに日暮が軽く肩をすくめて笑った。
そのあと、椿原が一言ぽつりと何か返して、朝倉が爆笑。文蔵はパンをかじりながら、うっすら笑っているような、いないような。
セリフは聞こえない。けれど、空気が丸ごと伝わってくる。
「なんだろな。あの感じ。別にうるさいわけじゃないのに、目ぇ引くっていうか」
「変に群れてる感じがしないからじゃね? でも仲は良さそうだし」
中村の言葉に、青野も思わずうなずく。
そう、四人でいるのが“当たり前”みたいな空気なのに、誰かひとりだけでも絵になる感じ。
授業中、文蔵は黒板の内容をほとんどノートに写さないかわりに、なぜか板書の内容を図解した「まとめボード」をクラスで一番早く仕上げていたりする。
椿原は静かだが、気がつくと掃除当番がサボったあとの教室を何も言わずに拭いていたり、誰かが落としたプリントを無言で直していたりする。
朝倉はひとことで言えば“陽キャ”だが、騒がしさより「なんか一緒にいると楽しくなる」系のにこやかなムードメーカーで、誰にでもフラット。
日暮に至っては、音楽の授業で即興ハモりを入れてきたかと思えば、体育で跳び箱飛んだあとに「これは……いい“空間の響き”だったな」とか言っていて、たぶん天才か変人だ。
「よくあんな四人、そろったよな」
「っていうか、あいつらもともと仲良かったんだっけ?」
「さあ。けど、最初は誰かが入ったのかと思ってたけど最初から四人だった気がする」
ちょっと不思議で、ちょっと羨ましい。
意味もなくつるんでるわけでもないけど、必要以上にべったりしてるわけでもない。
一緒にいるのが自然すぎて、逆に「どうして?」って聞きたくなるような距離感だ。
チャイムが鳴る。昼休み終了。
それぞれの机に戻っていく生徒たちのなかで、四限組の四人も何気なく席を立ち、それぞれの机に戻る。わざわざじゃない、でも確実にあった“空気”だけが、そこに残っていた。
青野はなんとなく、消えていくその背中を目で追いながら、ぽつりとつぶやく。
「……やっぱ、なんか見てるだけでも、ちょっと面白ぇんだよな、あいつら」
その言葉に、中村は「はいはい」と苦笑しながらも、どこか納得したように返した。
廊下の窓の外、冬の入り口の陽射しが静かに差し込んでいる。
───
ちょっとだけ、気になってた。
いや、気になるっていうか、あの四人って、見てるとなんか、ちょっと変だ。
美咲は昼休み、友達とパンを食べながら、ちらっと廊下の方に視線を向けた。例の四人組だ。文蔵、彰良、夏彦、そして椿原が、教室の外で何やら盛り上がっている。
「ねえ、あれまた彰良じゃない? 変なポーズで笑わせようとしてるっぽくない?」
隣の澄香が笑いながら指差す。たしかに、彰良が廊下で大げさな身振りをしていて、夏彦は片眉を上げて反応し、文蔵は無表情のまま腕を組んで、なぜか視線だけでツッコミを入れていた。
それを見て、椿原がふっと笑ったのが、なんか妙に印象に残る。
「あいつらってさ、ほんとにあの四人でちょうどいいって感じだよね」
別の子がそう言って、美咲はこくんと頷いた。たしかに、あのバランスは絶妙だ。
夏彦のことは、音楽室の近くに行けばすぐわかる。あの人、マイクとかミキサーとか、音響機材の話になると急に専門家みたいな顔になるから。
「なんかね、“ライブ音源のリマスターと波形調整が甘いと、リリース前の段階でわかる”とか言っててさ……」
前に夏彦と話したことがあるというクラスメイトが、苦笑交じりにそう教えてくれた。
いや、なにそのスキル。
でも、すごい。ギャップが。普段無愛想ってわけでもないけど、淡々としてる分、そういう情熱をちらっと見せられると、ちょっとかっこいい気がしてくる。
彰良はその逆。いつでもテンション高くて、でも妙にまわりをよく見てる。美咲はこないだ、掃除の時間にモップを倒しそうになったとき、ぱっと飛んできて「おっとっと、俺が受け止めたの愛かもな!」って言われて、笑うしかなかった。
「そのギャグ何点?」って返したら、「五十八点! 微妙に惜しいっ!」って言って去っていった。
あれはたぶん、本人なりの優しさなんだと思う。
文蔵は……正直、よくわからない。でも、よく教室の記録ボードを整理してるのを見かける。無言で、淡々と。誰にも何も言われなくても、それをやってる。昨日も、ホワイトボードの隅に残ってた落書きを消してた。たぶん、言葉より先に手が動くタイプなんだろうな。
そして、椿原澪。最近、ちょっとだけ、変わったと思う。前は、もっと静かで、表情も固い印象だった。でもこの間、たまたま、体調悪くて早退した友達の机の上に荷物を取りに行ったら、当番表に名前がなかった椿原が、そっとその子のプリントをまとめて机の中にしまってたのを見た。
声はかけなかったけど、たぶん見られてたのに気づいてた。でも、そのまま、何も言わずに席に戻っていった。
「……そういうとこ、あるんだよな」
美咲は自分の机に戻りながら、ふとつぶやいた。
あの四人、何考えてるかよくわかんないこともあるし、テンションが読めないときもある。けど、なんというか、「ちゃんと周りを見てる」人たちなんだと思う。
言葉にしなくても、動きで見せたり、ちょっとしたことで気づかせてくれる。
それって、たぶん“仲がいい”ってだけじゃなくて、ちゃんとお互いを見てるからなんだ。
そういうの、ちょっとだけ、いいなって思う。
授業が始まるチャイムが鳴った。美咲は教科書を開きながら、教室の後ろの席をちらっと見る。
あいかわらず、四人でなにやら目配せしていて、文蔵がちょっとだけ頷いた。次の授業でやる発表を確認し合っているのだろう。
そういうとこ、やっぱり面白いんだよね。
何がって言われると説明できないけど、つい見ちゃうんだよ。
───
廊下の向こうで、四人が笑っていた。
寺岡は自分の席に肘をついて、窓の外を見ていたはずが、気づけば視線は教室のドアのほうに向いていた。
たまたま通りかかっただけなのか、それとも昼休みの終わりに集合してたのか、あの“変な四人”が並んで、笑ってた。
なんの話をしてるのかまでは聞こえない。
でも、なんか楽しそう。言葉じゃなくて、空気で伝わってくる感じ。
なんだろうな、あれ。
あの四人は、クラスではちょっと異質だ。
それぞれバラバラに見えるし、元々そんなに“親友です!”みたいな空気でもなかった。最初の頃は、ちょっと話す程度の印象だったし、授業中もべつに固まって座ってるわけじゃない。
けど、気づいたら“そういう集団”になってた。いつのまにか、誰も違和感を抱かなくなっていた。
……いや、違うな。
違和感は、今でもある。
でも、その違和感が「なんか、いい」になってる感じ。
文蔵先輩(いつも心のなかでそう呼んでいる)は、喋らないわけじゃないけど、喋るとなんか変に説得力がある。たぶん、日常の中に“無音の間”があっても平気なタイプなんだと思う。前に班発表のとき、誰よりも準備してたのを見たことがある。
椿原は、一見すると優等生タイプ。でも、よく見ると“ちゃんとしてる”とこより、“たまに抜けてる”とこが味なんだよな。
筆箱のファスナー壊れたの、セロテープで補強して使ってたりとか。
でもその姿で普通にテスト90点取ってくるの、なんかずるい。
夏彦は、音響オタク。これはもう確定。
でもそれだけじゃなくて、たまに真面目な顔してツッコミ入れてるときが好き。冷静なんだけど、急に“楽しんでる側”にも回るから、その切り替えが見てて面白い。
で、最後に彰良。
あいつはもう、説明がむずい。
テンション高くて、チャラそうで、でもノリだけじゃない。
なんていうか、“ふざけていい場所”と“ちゃんとすべきとき”を、無意識で分かってる感じがある。前に後輩が泣いてたのを、何も言わずに教室から連れ出してたのを見た。
誰かが言ってた。「あの四人、謎だけど、ちゃんとしてるよな」って。
たぶん、それが正しい。
「寺岡ー、現代文、教科書出しとけよー」
前の席の青野に声をかけられて、寺岡は「あー」と気の抜けた返事を返しながら、鞄を漁った。
廊下の向こうでは、四限組が並んで教室に戻ってきた。
何しゃべってんのか全然聞こえないけど、笑いながら、ぽんぽんと背中を叩いたり、肩をぶつけあったりしてる。
「なんか、いいよな」
ぽつりと呟いた言葉は、たぶん誰にも聞こえなかった。
それでよかった。聞かれても、どうせうまく説明できない。
でも、見てるとちょっとだけ、元気が出る。
理由はわかんないけど、たぶんそういう存在って、貴重だ。
チャイムが鳴った。
四人が席に着く。何事もなかったように、いつもの日常が再開する。
でも、なんとなく思った。
あの四人が笑ってるだけで、たぶんクラスの空気がちょっと、あったかくなってる。
───
ホームルームが終わって、生徒たちがぞろぞろと教室を出ていくなかで、サツキは自分の席に座ったまま、教室の窓を開けた。
ひんやりした夕方の風が、頬を撫でる。窓の外には西日が差し込んでいて、校庭が赤く染まっていた。
今日も、もう終わりだ。
「ねえ、あの四人また一緒に帰ってる」
隣の席のアヤメが、こっそり笑いながら言った。
その声に、サツキもつられて窓の下を見る。
いた。
校門へと続く坂道を、並んで歩く四つの後ろ姿。
文蔵はいつもの鞄を背負って、肩を揺らしながら淡々と歩いている。
彰良はその隣で、なにかをやたら大きな身振りで話していて、両手が忙しく動いていた。
夏彦はポケットに手を突っ込んで、笑いながらもどこか冷静な顔でツッコんでるように見える。
そして澪は、ちょっとだけうつむきながらも、口元がゆるんでいる。
何を話してるのかは、やっぱりわからない。
でも、楽しそうな空気だけは、遠くからでも伝わってきた。
「なんか……うまく言えないけど、あの四人って、ちょっと憧れるよね」
「わかる。でも、たぶん入れない感じもする」
「それね」
サツキとアヤメは、ふふっと小さく笑った。
あの四人は、べつに他の人を拒んでるわけじゃない。
でも、四人のあいだには、それぞれが“ちゃんとそこにいる”感じがして、誰かがぽんと入る隙間はない
ように見える。
それが、ちょっと寂しいようで、でも心地いいような、そんな矛盾をはらんでいる。
「誰が一番最初に歌うか」でジャンケンしてたり、
「今日の購買戦争、誰が勝ったか」で盛り上がってたり、
「文化祭のとき、マジで泣くかと思った」とか言ってたり、
そういう何気ない話を、楽しそうに交わしてる。何をそんなに面白がってるのか、こっちからはよくわからないのに、その輪のなかには、ちゃんと「自分たちの世界」があって。でも、それが“閉じてる”わけじゃないのが、見ていて優しい。
「なんか、あの四人ってさ──」
アヤメがぽつりと口にした言葉の続きは、結局そのまま空気のなかに消えていった。
でも、サツキはたぶん、同じことを考えていた。見てるだけでも、ちょっと面白い。
それくらいでちょうどいいのかもしれない。遠くで笑ってる誰かがいるだけで、今日がちょっとよくなることもある。
坂の上で、四人が信号待ちで立ち止まった。
誰かが振り返って、何かを指差した。
光のなかで、シルエットが揺れる。
もうすぐ冬が来る。
でも、笑い声があるだけで、この季節も案外、悪くない。
そう思いながら、サツキは窓をそっと閉めた。