放課後に、僕らは   作:やまざる

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なんだかんだ、なんとなく

 

 昼休み、チャイムが鳴り終わるや否や、今泉秋明は筆箱を素早く閉じて立ち上がった。弁当箱には手もつけず、真っ直ぐ廊下に出る。ターゲットはひとつ。購買の新作スイーツ、「とろける焦がしカラメルプリン」だ。

 

「……今日は、勝つ」

 

 昨日は出遅れた。先輩と話してるうちに列が伸び、目の前で完売するという無念。だが今日は違う。誰にも邪魔されない。生徒会の仕事も、プリンのために先に片付けてきた。

 

 購買前の角を曲がると、ちょうど扉が開く音がした。今泉は駆け足で距離を詰め、扉に手をかけ──そして、硬直した。

 

 先に中にいたのは、真顔の男子生徒。制服の胸元に小さくつけられた「2-7」の名札。そしてその手には、まさしく、ラストワンと思われるプリンが握られていた。

 

「……う、うそだろ」

 

 思わず声に出た。だが、相手は一切動じない。というか、こちらを一瞥もせず、静かに商品をトレーに置くと、レジに並び始めた。

 

「おいおい、マジかよ……!」

 

 今泉は肩を落とした。心の中で地団駄を踏む勢いだ。あのプリンは、今朝からずっとお昼においしくいただこうと妄想していたやつだ。焦がしカラメルの香ばしさと、とろけるカスタードの甘さを想像していたのだ。あのプリン。いや、違う、これはただのスイーツではない。戦略の結晶、計画の成果、その象徴なのだ。

 

 悔しさのあまり、レジに並ぶ彼の横顔を思わず見つめる。淡々と代金を支払い、商品を受け取る姿に、なんとも言えない貫禄がある。黙っていてもただ者ではない感がある。……というか、無言で買い勝つって、なんかズルくない?

 

「ふっ…流石だな」

 

 ふいに隣から声がした。軽い口調に振り向けば、陽に焼けた腕にシャツを無造作にまくった男子が、にやにやしながら覗き込んでくる。

 

「あいつは2年7組の文蔵想汰。奴は動きが無駄に機敏だ。めちゃくちゃ早いから購買戦は基本勝ち組…。あ、てかキミ会長のとこの副じゃん?」

 

「……いや、副じゃない。俺は副“会長”だ。副とか言うな。あと、そっちこそ誰だよ?」

 

「俺は皆さんご存知の朝倉彰良さんだ。……今の見てただろ? あれ、文蔵が本気出した顔ね。やばいっしょ?」

 

「え、いつ本気出してた? 無言で歩いて真顔でプリン買ってっただけじゃん」

 

「それが本気なの。あいつ、速攻で目当てのものだけ取って去るっていう“購買瞬間芸”の使い手だから」

 

「購買瞬間芸て。何その称号……」

 

「いや、マジで今日もスピード感えぐかったって。たぶん全校で一番早いわ、購買レース。……で、何、買い負けたの?」

 

 今泉は肩をすくめた。

 

「……認めたくないけど、そう。あのプリン、あれが最後のひとつだった」

 

「おお、どんまい。……でもまあ、想汰だからねぇ。あいつに勝つには、購買開始2分前に待機するしかないよ?」

 

「そんな……そんな学生生活、俺は望んでない……!」

 

 嘆く今泉の背中を、朝倉が軽く叩く。何気ないその動作に、どこか人懐っこさを感じた。初対面にしては距離が近い、けど不快ではない。

 

「……ていうかさ、じゃあ明日一緒に並んでみる? 二人なら勝てるかもよ、想汰に」

 

「は? なんで俺が……」

 

「いや、面白そうじゃん。生徒会vs購買の覇者、みたいな構図」

 

「どんな構図だよ……」

 

 口では否定しつつも、心のどこかでくすぐられるものがあった。悔しさの火が、少しずつ笑いに変わっていく。知らない誰かと、ちょっと変なことで笑う。こんな昼休み、いつ以来だろう。いや、こんな変な昼休みは流石に初めてだな。

 

「……まあ、いいけど。明日だけだからな」

 

「はいはい、明日“だけ”ね〜〜。ほら、あんた名前なんて言ったっけ?」

 

「今泉だ。今泉秋明」

 

「おっけー、秋明。じゃあ明日、プリン奪還作戦な。よろしく!」

 

「……なんで笑顔なんだよ、お前……」

 

 そう呆れながらも、今泉の頬も少しだけ緩んでいた。敗北の味は、意外と甘かった。

 

───

 

 放課後の廊下を歩く椿原澪の足取りは、珍しくゆっくりだった。今日はプリントの配布で、クラスと生徒会室の間を何往復かしている。こういう雑務を引き受けると、「なんとなく静かに歩ける時間」が増える。それが澪にはちょうどよかった。

 

 渡された紙束を抱えて、渡り廊下を通り抜けたときだった。生徒会室の扉が開き、ふわっとした茶髪の少年が出てきた。目元がやさしく笑っていて、声をかけられる前から、なんとなく「話しかけてきそうだな」とわかる雰囲気だった。

 

「こんにちは。……それ、2年7組の?」

 

「あ、はい。現代文の追記分らしくて……。先生に届けてくるようにって」

 

「なるほど、ありがとう。……君、2年7組の、椿原くんだよね?」

 

「……え、あ、はい。そうです」

 

 少し驚いて答えると、橘薫はふんわりと笑った。

 

「彰良くんとよく一緒にいるよね。昼休み、購買戦で派手に口論してたって聞いたけど」

 

「……たぶん、それはあの二人が勝手に盛り上がってただけです」

 

「ふふ。そうなんだ。でも、あのやりとり、ちょっとおもしろかったって満作が言ってたよ」

 

 その名前が出たとたん、澪はふと視線を逸らす。というのも、四限組の間ではすでに「橋ヶ谷満作=銀色宇宙人事件」は語り草であり、妙な親近感とやや遠巻きな警戒心を同時に抱かれている存在だった。

 

「会長、今日もテンション高いんですか?」

 

「うん。今、なんか“新しい演出の可能性”を探ってるらしいよ。昨日は廊下でスモーク焚こうとして止められてた」

 

「……止められてよかったです」

 

 橘がくすっと笑う。澪もつられて、少しだけ口元をゆるめた。言葉にしなくても、共有できる感覚がある。落ち着いたこの空気、なんだか心地いい。

 

「ところで、椿原くんって、絵とか得意なの?」

 

「……なんで、ですか?」

 

「なんとなく。空間の使い方とか、視線の置き方が、そういう人っぽいなって」

 

 唐突な観察に、澪は少しだけ目を丸くする。そんなふうに見られたのは初めてだった。

 

「……美術は、好きです。うまいかは……わからないけど」

 

「そっか。なんか納得。……今度、よかったら会長の演出案、絵にしてくれない? 口頭だけじゃ伝わらないことが多くて」

 

「……考えます」

 

 やんわりとかわしたつもりだったが、橘は「たぶんやってくれるな」という確信の表情でうなずいていた。

 

 そのあと、ふたりで中庭を通ったときだった。木陰のベンチに見覚えのある二人が座っていた。

 

「……え、あれ……?」

 

 片方は、夏彦。いつもより真剣な顔で、手帳を開いて何か説明している。そして、その向かいには、橋ケ谷満作。キラキラと目を輝かせながら、身を乗り出して話を聞いていた。

 

「この照明演出、もし旧校舎側の暗幕も使えたら、雰囲気もっと出ると思うんですよ」

 

「なるほど! それは“闇を生かす演出”というわけか! ああ、天才か君はッ!!」

 

「え、いや、そこまでは……」

 

 夏彦が明らかに照れて引き気味なのに、満作は完全にノリノリだった。手帳を奪う勢いでのぞきこみ、何やら走り書きしている。後ろで見ていた澪と橘は、思わず顔を見合わせた。

 

「……あれ、仲良くない?」

 

「うん。なんか、噛み合ってる。……方向性は、ちょっと怖いけど」

 

「どっちも止まらなそうですよね」

 

「どっちも止めないと、たぶんやばいよね」

 

 そう言いながらも、ふたりとも笑っていた。静と動、無表情と情熱、無口と演出熱……いろいろちぐはぐなのに、なぜか噛み合っている不思議なバランスがそこにはあった。

 

 結局その日、四限組と生徒会の面々は、なぜか一緒に自販機の前でジュースを買うことになった。

 

「カルピス派? それともファンタ派?」

 

「ミルクティー派はいないの?」

 

「文蔵、何も言わずに青汁選んだぞ!? 逆にすごい!」

 

「いや、それオチやん……!」

 

 ジュースを片手に笑い合う彼らを見て、澪はふと気づいた。

 

 なんか、いつの間にか、輪の中にいる。

 あんなに違うはずなのに。なんでだろう。

 でも、こういうの、悪くないなって───そんな気がした。

 

───

 

 十一月の午後。空気が冷たいかわりに、光だけは穏やかだった。

 

 校舎裏のベンチに腰を下ろしながら、橘薫は紙パックのミルクティーを傾けた。横を見ると、となりには満作。そして、少し遅れて、四限組の四人がゆるやかにやってくる。

 

「おつかれー。……って、え、ほんとに来たの?」

 

 先に声をかけたのは朝倉彰良。ラフに制服の上を脱いで肩に引っかけた姿に、どこか休日感が漂う。

 

「おう。だって秋明が、“テスト前だけどたまには息抜きしようぜ!”って言ってたじゃん」

 

「俺は言ったけど、まさか満作が来ると思ってなかったよ!」

 

「え、僕も行くけど?」

 

 当たり前の顔で答える満作。ベンチの背もたれに腕を乗せて、誇らしげに付け加える。

 

「だってさ! この集まり、いいじゃん。空気が! バランスが! 何より、今泉がちょっと怖い顔してないのがいい!」

 

「おい会長、それはフォローなのかディスなのか、どっちだ」

 

「ディスではない! やさしいツッコミだよ、今泉!」

 

 今泉は軽くため息をついたが、そこに刺々しさはなかった。橘の目から見ても、ここにいる今泉は、生徒会室のときよりも肩の力が抜けている気がする。

 

 誰かがベンチを囲むように座り、誰かが立ったまま、ゆるく輪になって話す。風が落ち葉を舞い上げるたび、誰かが笑っている。

 

 ふと、静かな気配がそっと近づいた。文蔵想汰だ。今日も相変わらず無言で、何かノートを抱えていた。

 

「それ、何?」と橘が声をかけると、彼は少し迷ってから、すっと一枚のメモを差し出した。

 

《満作会長の演出案・補足メモ》

 

 手書きでびっしりと、満作が最近話していた「体育館照明の新配置案」や「舞台セットの素材候補」が、整理されて図解されている。文字は整っていて、何より読みやすい。

 

「……え、すご。これ、僕が書いた原案よりわかりやすいよ……」

 

 橘は素直に感心し、隣の満作にも見せた。

 

「なにこれ!! 文蔵くん、もしかして僕の脳内を可視化してくれたの!? もはや翻訳者! 通訳者! 仲間じゃん!!」

 

「……あのテンションで受け取ってくれるなら、メモ書いたかいがあるね」と彰良がぼそっとつぶやく。

 

 文蔵は、少しだけ肩をすくめたような気がした。けれど、うっすらと目元に笑みのようなものが浮かんでいたのは、橘には見えていた。

 

 それからの時間は、ほんとうに他愛のない会話だった。

 

 どのジュースがいちばん“買われるスピード”が速いかとか、テスト勉強はどこまで進んだかとか、冬に向けて購買で“肉まん戦争”が始まるという予言だとか。

 

「あ、そうだ! 今度、体育の授業で対抗バドミントンとかやらね?」

 

 彰良の提案に、今泉が「やってやろうじゃん」と即答し、なぜかその場でガットの話まで始まる。

 

「でもさ、ほんと。あんたらとこうして話すようになるなんて、思ってなかったな」

 

 ふと、誰かがぽつりとこぼした。たぶん、夏彦だった。少しだけ照れたように、ジュースのふたを指でなぞっている。

 

「うん。僕も、最初は“遠いな”って思ってた」

 

 橘が応じると、風がベンチのまわりをさらりと抜けた。

 

「けど、今はなんか……このくらいの距離感、ちょうどいいなって思う」

 

 言ってから気づく。これは、いつもの生徒会室では出てこない言葉だった。

 

 ちょっと照れる。けど、それを聞いていた誰かが、ぽそっと言った。

 

「……わかる。会議室より、こういうとこがいいってとき、あるよな」

 

 誰の言葉だったかは、たぶんみんな、ちゃんと聞いていなかった。でも、伝わっていた。

 

「じゃあさ、またここで。次は昼メシでも食おうよ」

 

 彰良の声に、満作が「おおっ、それは新たな昼休み革命!」と謎にうなずく。

 

「購買で作戦立てて、ジュース選んで、最後はこのベンチ。……ルーティン化しそうで怖いな」

 

 と今泉がぼやけば、橘は静かに笑った。

 

「でも、それって案外……悪くないかもね」

 

 その日の空は、澄んでいた。何かが変わったわけじゃない。でも、確かにひとつ、なにかが近づいた気がした。

 

───

 

 昼休み。チャイムが鳴った瞬間、2年7組の教室にはざわめきが広がった。

 

「購買行く人ー!」

 

「プリン! 今日こそプリン残ってろー!」

 

「俺、パン派なんだけど!?」

 

 そんな喧騒のなか、椿原澪は立ち上がりながら、周囲をちらりと見回した。教室の後ろのドアが開くタイミングで、文蔵想汰が無言で立ち上がる。どこかで誰かが「あ、文蔵先輩が行った、もう勝負ついたな」なんて声を上げていた。

 

 その少しあと、別の教室の廊下側。購買前の一角に、いつもの顔ぶれが集まりはじめる。

 

「今日こそ、プリンいけるっしょ?」

 

「無理じゃね? 文蔵もう先に抜けてたし」

 

「そういうときは、他のを狙うのが正解なんだよ、今泉」

 

「いいや、俺はまだプリンを諦めてない」

 

 軽口が飛び交う。集まったのは、生徒会メンバーと四限組。学年内でも“謎に仲良くなった連中”として、一部でじわじわ噂になりつつある組み合わせだ。

 

「昨日、満作と夏彦が“購買の照明って雰囲気あるよね”とか言っててさ、マジで購買に演出入れられるかと思った」

 

「それ、もしやってたら“購買演出係”って役職ができてたよ」

 

「それはそれで面白かったけどな」

 

 言いながら、数人が購買へ流れ、数人が中庭へ向かう。

 

 今日のベンチは日当たりが良く、風もやわらかい。誰が決めたでもなく、いつのまにかそこに集まって、ジュースやパンやプリンを手に並んで座る。

 

「……あれ? 結局、プリンどうなった?」

 

「取ったよ」

 

 想汰がさりげなく袋から出して見せる。

 

「やっぱ無敵か、君は……」

 

 今泉が軽く肩を落とし、彰良が「それを狙ってる今泉も、ある意味強者だよな」と茶化す。

 

「でもさ、最近思うんだけど」

 

 夏彦がぽつりと呟いた。

 

「こうやって並んで話してると、どっちが生徒会で、どっちがクラスのメンバーとか、どうでもよくなるよな」

 

「……うん。それ、ちょっとわかる」

 

 澪も、小さくうなずく。

 

 橘はミルクティーのパックを手にしながら、ゆるく微笑んでいた。

 

「境界って、案外、曖昧な方がうまくいくのかもね」

 

 満作はというと、ジュースのストローを口にくわえたまま、ノートに何か描きつづけている。

 

「ねえ、見て! この並びをそのまま舞台にしたら、絶対“なんか意味ありげな青春群像劇”になるって思わない!?」

 

「いや、ならない。というか、どこが意味ありげなの」

 

「え、空気! 雰囲気! 校舎裏のベンチでジュース飲んでる高校生ってだけで、もう90秒尺いけるでしょ!」

 

「はいはい、演出脳は午後の授業始まるまで休んでて」

 

 誰かがそう言って笑う。その笑いが、自然と輪を広げる。

 

 それぞれ違うけど、なんか噛み合う。

 きっかけはほんの些細なことだった。

 でも、だからこそ続いているのかもしれない。

 

 そして今日も、なんとなく集まってる。

 

 

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