朝から空気が違っていた。大阪という街がそうさせるのか、最終日という意識がそうさせるのか。どちらにせよ、朝倉彰良は──妙にテンションが高かった。
「見ろよ! 通天閣だぜ、通天閣! 修学旅行の大阪って感じ、満点だろ!」
班の先頭を歩きながら、グイグイとカメラアングルを変えつつポーズをキメる彰良を、後ろから澪が半歩遅れてついていく。
「その角度、逆光で顔映んないよ」
「それがええんやって! シルエットがロマン! な、なっちゃん!」
「やめろ、その呼び方はやめろ」
日暮夏彦はイヤホンを片耳だけ外し、露骨に嫌そうな顔をしながらもツッコむ。小柳雪、水木日向、花森菜月はそんな三人を面白がるように微笑んでいた。
「にぎやかだね、今日も」
「うん。でも……こういうの、楽しいから」
雪の隣を歩く澪は、口数こそ少ないものの、目元の表情はどこか柔らかい。
そして、午前中の観光のメイン、通天閣では定番の集合写真を撮影。案の定、彰良が「はいはいグリコポーズ! みんなジャンプな!」と叫び、澪までがまさかのジャンプ参加。
「お前、飛んだのか!?」
「……うるさい。ノリで」
「椿原、意外とノれるタイプ~!」
菜月の茶化しに、澪はやや俯き気味で顔を覆った。が、その横で雪が微笑んでいたので、まあ悪くないか、と思った。
昼食は、事前に予約していたお好み焼き体験の店へ。
「俺、料理ってセンスだと思うんだよな。見とけよ、完璧な返し見せてやるから!」
そう宣言した彰良が見事に失敗し、ソースまみれになった瞬間、店内は拍手と爆笑に包まれた。
「彰良、それ……料理っていうか爆発だよね……」
「……これ、鉄板事故ってやつだな」
澪と夏彦が冷静にツッコみつつ、雪と菜月は真剣な目で火加減をチェックし、見事にキレイな一枚を焼き上げていた。
「やっぱりコツは……丁寧さと愛情」
「あと、計量とタイマー」
「……ですよね」
四限組と女子三人の呼吸が、自然と合ってきているのを、澪はふと感じた。
食後は道頓堀へ。定番の観光地に、これまた定番のグリコ看板。
「今度こそちゃんと撮ろうぜ! せーの!」
全員がタイミングを合わせてポーズを決める中、想汰がなんと自ら笑顔でピースをした。
「うそ……文蔵くんが……」
「成長したな……」
「まるで初期を知ってるファンみたいな感想やめろ」
そんなやりとりも含めて、今この瞬間が、旅の“終わり”に近づいていることを少しずつ実感させる。楽しくて、笑っていて、でも心の奥にじわっと広がっていく、名残惜しさの予感。
その感情を誰も口に出さないまま、班の一行は観覧車のあるあの場所へと向かうのだった。
───
午後の大阪は、人の熱気でむせかえるようだった。道頓堀から移動してきた一行は、なんとなくの流れで観覧車前に辿り着き、自然と「乗ってみる?」という空気になっていた。
「じゃ、適当に二人ずつ分かれていこうぜー」と言い出したのは彰良で、即座に「適当って何!?」と日向に突っ込まれていたが、それぞれの動きは意外とスムーズだった。
澪は、気づいたら夏彦と同じゴンドラに乗っていた。そこは彼女と一緒に乗れよ。
観覧車が静かに動き出す。街がじわりと下に広がっていく感覚に、思わず窓際に手を置いた。
「……けっこう高いな、これ」
「高所恐怖症?」
「いや、大丈夫。ちょっと“おお”ってなるだけ」
澪が小さく笑うと、夏彦はいつものようにイヤホンの片耳を外したまま、窓の外に視線を向けた。しばらく無言が続く。
「……なあ、」
「うん?」
「高校生活って、半分終わったんだよな。気づいたら」
夏彦の声は、いつになく低く、揺れていた。澪は目を細める。
「……うん、まあ、そうだな」
「なんか、今は“旅してる”って思ってるけど、これも、思い出になっちゃうのかね」
「……なるんじゃないかな。ていうか、もう“なってる”気がする」
夏彦がふっと笑った。
「お前もそう言うか。……俺も、そんな気がしてた。“これ思い出すだろうな”って、思ってる時点で、もうそれ、記憶に残ってるよな」
「……うん。記録より、確かかもね。今の気持ちの方が」
しばらくして、観覧車が頂点に近づいた。ガラス越しに見える街の景色が、さっきまでよりずっと遠くまで広がっていた。
「……こういうの、終わってほしくないって思うのって、ガキっぽいかな」
「いや、思っていいんじゃない? 大事にしたいってことでしょ」
「そっか」
再び静けさが降りる。やがてゴンドラが下り始め、少しずつ現実の地面が近づいてきた。
「ねえ、降りたらまたお土産見に行こうよって、さっき水木が言ってたよ」
「……ああ、行こうか」
観覧車を降りて、歩き出したふたり。土産コーナーで澪は、小さなキーホルダーを一つ手に取った。透明なガラスに、観覧車と大阪の街並みが描かれている。
「これ、買うの?」
「……うん、なんとなく」
レジに向かう澪の視線の先、少し離れた場所にいた雪と目が合った。彼女はにこりと笑って、小さく頷いた。
澪もまた、小さく笑い返した。
───
帰りの新幹線は、行きとは違って妙に静かだった。
浮かれていたわけではないけど、朝の集合とは違って、今はもう「終わっていく途中」にいるのが、なんとなく全員に伝わっていた。座席に収まった七人の班。四限組と女子三人も、それぞれの荷物を膝に抱えたり、お菓子の袋をまわしたりして、落ち着いた空気の中にいた。
想汰は自分のカメラを膝にのせ、液晶画面を確認していた。撮った写真は数百枚。風景、人物、食べ物、よくわからない看板……どれもピントは合っていて、でも、“今”じゃない。
ふと、横から彰良の顔が覗き込んだ。
「おー、それ全部撮ってたの? 俺なんか写真フォルダ“ソース”と“ピースサイン”ばっかだった」
「……」
想汰は小さく笑って、無言で一枚の写真を見せた。
それは、午後の商店街を歩く四人の後ろ姿。何を話しているのか分からない。でも、姿勢や歩幅、ちょっとした間の取り方に、“一緒にいた”空気が映っている。
「……なんか、こういうの、残るな」
そう呟いたのは夏彦だった。しばらくして、車内に響く、かすかな走行音と、彰良がチョコを噛む音。日向が「ボリボリうるさいんですけどー」と笑い、菜月が「それ私の分じゃん!」と抗議する声が重なる。
録音機の小さなライトが、淡く光っていた。
「写真、アルバムにしてまとめようぜ!」と、彰良が言い出したのはそのあとだった。
「またそれ? お前が作ると全部ふざけたキャプションつくからな」と夏彦がため息をつく。
「何を言う。俺のセンスでクラスの宝に仕上げてやるからな」
「それ、一番タイプめんどくさいタイプの熱意だよね」
そんなやりとりをしながら、窓の外の景色がどんどん過ぎていく。駅がいくつか流れ、街の明かりが増えてくると、少しずつ“桐明高校の生徒”という日常が戻ってくる気配がした。
「……また、こういうのやれたらいいね」
ぽつりと、澪がつぶやいた。
その言葉に、全員が反応するわけじゃなかった。でも、隣からごく自然に返ってきた。
「だな」
誰の声かははっきりしなかった。でも、それでよかった。
想汰はそっと手を止めた。あとで澪に、その一言の記録を渡そうと思った。
旅の終わりなんて、案外こんなふうに静かでいいのかもしれない。
でも、思っていたよりずっと、心に残る。
車窓の向こう。通り過ぎる街の灯りの中で、旅の余白は、まだ続いていた。