放課後に、僕らは   作:やまざる

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椿原澪、生誕祭 in 桐明高

 

 11月30日、朝。

 気温は低いが、空気は晴れて澄んでいる。

 椿原澪は、いつも通りの時間に教室へ入り、いつも通り席へ向かった。

 

「……おはよう」

 

 声は小さく、そして確かに。数人のクラスメイトが返事をくれるが、澪はそれ以上誰とも話さず、自分の席に座る。椅子の脚が床をかすめる音が、朝の静けさに心地よく混ざった。

 

 今日は自分の誕生日だ。とはいえ、それを特別なものとして捉える気はない。家族には朝「おめでとう」と言われたし、LINEで小柳雪からも、少し照れくさそうなメッセージが届いた。それだけで、澪にとっては充分だった。

 誰にも言ってない。だから、今日も普通の一日だ。

 

 そう思っていた。

 

「おっす、澪〜。……今日、なんかある気がしない?」

 

 不意に、隣の席から日暮夏彦が顔を覗かせてきた。片耳にイヤホン、もう片方は外していて、そこから音楽の余韻が微かに漏れていた。

 

「……なんかって、何が?」

 

「うーん。なんか。空気感?」

 

「曖昧すぎるでしょ」

 

「でもさ、あるって。こう、空気が“ざわざわ”してる。こう、行事の匂いってやつ?」

 

「……行事?」

 

 嫌な予感が、澪の背中を這うように這い上がってくる。

 

 夏彦は相変わらず曖昧に笑っているが、その笑顔の奥に、わずかな“確信”がにじんでいる気がして、なんとも落ち着かない。

 

 廊下の方では、朝倉彰良のやけに元気な声が響いていた。

 

「今日の日直って誰だっけー!? えっ、俺じゃない? マジ? いやでも澪だっけ? でもそれはそれとして今日は……」

 

「……うるさいな、朝から」

 

「うるさくて元気なのが俺の取り柄じゃん?」

 

 教室に入ってきた彰良は、澪の机の前でピタリと止まった。

 

「でさ、澪くん」

 

「……何」

 

「今日日直だよね?」

 

「そうだよ」

 

「やっぱり! だって今日はさ、日直っていうかさ、えーと、こう……」

 

「……なんだよ」

 

「……ううん、やっぱなんでもない! いやー、今日も清々しい朝だなー!」

 

 爽やかさを100%人工で練り固めたような笑顔を残して、彰良は自分の席へ向かっていった。

 

 澪は、腕を組んで窓の外を見る。

 

 天気はいい。風もない。けど、落ち着かない。

 

 視線を感じる。

 

 それも一人や二人じゃない。

 

「あれ、椿原くんって誕生日いつだっけ?」

 

「え、今日じゃなかったっけ?」

 

「まじ? なんで知ってんの?」

 

「図書室の貸し出しカードに書いてあったの見たことある〜」

 

「え、それってダメなやつじゃ……」

 

 そんな会話が後ろの方で聞こえてきた気がした。いや、聞き間違いかもしれない。けど、これまで気づかれたことなんてなかったはずだ。

 

「……まさか、ばれてる?」

 

 小さくつぶやいた声は、もちろん誰にも届かない。「…いや、別に隠しているわけではないし祝ってほしくないわけでもない。不都合なこともないし。なんとなくタイミングがなかったから誰にも言ってなかっただけだ。」と一人で考えていると、次の瞬間、教室の隅っこで静かにスマホを操作していた文蔵想汰と目が合った。

 

「……」

 

 たぷたぷ、とスマホをいじる音がする。

 

 文蔵は、なぜか完全に用意された動きで、メモ帳アプリを操作している。

 

 そのまま小さくうなずくと、再び視線を外した。

 

「いや、なんで頷いた……?」

 

 声に出さないツッコミを胸に抱きつつ、澪は頬を押さえる。

 

 なんだ、この圧。なんだ、この全体的な“ばれてる感”。

 

 さっきも考えたが、別に祝ってほしくないわけじゃない。

 

 でも、静かに過ごしたかった。それだけのことだったのに。

 

 チャイムが鳴った。1時間目の始まりを告げる音。

 

 その音に、澪は小さくため息をついた。

 

「……なんか、嫌な予感しかしない」

 

 ほんのりとした頭痛の前触れみたいに、うるさい一日の幕が、確かに上がり始めていた。

 

───

 

 やっぱこういうのは、タイミング命だと思うんだ。

 

 ってことで、昼休みチャイムが鳴ると同時に、朝倉彰良は駆け出し、教室に滑り込む。そしてドアをすかさず閉めた。ガラガラッと勢いよく。

 

「さあ、作戦開始ー!」

 

「……それ、必要だった?」

 

 斜め後ろから夏彦がぼそっと言う。手にはスマホ。画面には再生準備済みのBGMアプリ。

 

「演出は勢い! 気配で押し切れ!」

 

「押し切れるもんなの?」

 

「押し切れるの!!」

 

 勢い任せに近づいた黒板に、想汰がすでにチョークで文字を書き終えていた。シンプルな字で、でも太くて見やすく。

 

《椿原 澪 祝・生誕!!!》

 

 その横には、なぜかイラストで描かれた笑顔のミニミニ澪の顔。表情が妙にリアルで、ちょっとかわいい。想汰が黙々と描いた力作だ。

 

「なあ、これ……ちょっと似すぎじゃない?」

 

「……想汰の観察力、怖いよな」

 

「ていうか、これ何枚刷ったの?」

 

「50」

 

「50て!」

 

 気がつけば教室の後ろの棚には、同じ絵柄のA5プリントが束になって積まれていた。

 

「もう全校配れるじゃん!?」

 

「いや、配るのはクラスだけだよ。たぶん」

 

「“たぶん”やめろ、“たぶん”!」

 

 想汰は相変わらず無表情で、「クラスで十分足りる計算だった」とスマホをいじっている。どうやら“祝福プリント”を一部折ってメッセージカードに加工するつもりらしい。

「さて、音いく?」

「よし来い、夏彦!」

 

 夏彦がスマホをタップすると、教室に緩やかでポップなメロディが流れ始める。澪の趣味とは真逆に振り切った“ハッピー・バースデー・夏彦Remix”。

 

「ちょっと明るすぎじゃない!?」

 

「ギャップ演出!」

 

「そういうとこは攻めんのね!?」

 

 準備は整った。教室は空気が妙に熱気を帯びている。あとは主役を迎えるだけ。

 そして。

 カラカラ、とドアが開いた。

 

「……お、おつかれ。プリント渡して──」

 

「\\ハッピーバースデー椿原澪!!!//」

 

「──っ、え?」

 

 完全に虚を突かれた顔。

 

 いつもより目が丸い。口もわずかに開いてる。その手には、配布用の地理プリントの束。完全に普通の午後の顔だった。

 

「サプラーイズ! てことで、おめでとう!! てか今日なんも言わないで来るの、マジで不正だと思うんだけど!!」

 

「……え、え?」

 

「さあ! まずはこのプリントをどうぞ!」

 

 想汰が無言でイラストプリントを差し出す。澪、反射的に受け取って、チラ見して、すぐ顔をそらす。

 

「……これ、誰が描いた」

 

「想汰! めっちゃ似てるだろ!?」

 

「……やだ、もう……」

 

 耳まで赤くなってる。

 

「そして次は、恒例! 彰良&夏彦による即興お祝いミニ漫才いきまーす!」

 

「え、ちょ、やんないって言ってなかった?」

 

「さっき思いついた!」

 

「お前、誕生日祝うのに思いつきすぎじゃない!?」

 

「誕生日はノリと勢い! まずはボケます!」

 

「……うわ、始まった……」

 

 澪が机にプリントを置いて、片手で顔を覆った。笑ってるのか呆れてるのか、判別不能なまま、彰良による祝・バースデー漫才が始まる。

 

「いやー今日はめでたいですね、ねえみなさん!」

 

「いや、誰に向けて喋ってんの?」

 

「そこにいる全人類!」

 

「いや教室にいるのクラスメイトだけだから」

 

「そして本日お誕生日の澪さんに、我々から愛と笑いを込めて——」

 

 少し続いたところに夏彦のツッコミが入ったところで、漫才終了。

 

「……やっぱ、やめときゃよかったかな」

 

「いや、最高だった。俺たちの中では満点」

 

「評価基準どこ……」

 

 夏彦がBGMをフェードアウトし、想汰が再び席に戻ると、教室は少しだけ落ち着いた。

 

 澪はチョークアートを一瞥し、イラストをもう一度見て、そして言った。

 

「……なんで、知ってたの」

 

「え、普通にバレるよ?」

 

「そうそう、雪ちゃんがうっかり言いそうになってたの止めたし」

 

「俺は図書委員のカードの端っこで気づいた」

 

「ネット検索したらヒットした」

 

「いや最後のやつ、一番怖いんだけど!?」

 

 三人がそれぞれバラバラの理由でバレてるのを聞いて、澪は「どう防げばよかったんだ……」と静かに頭を抱えた。

 

 それでも。

 

「まあでもさ。……おめでとう、椿原澪」

 

 彰良が、今度は真面目な声で言った。

 

 夏彦も「一緒にいてくれて、ありがとな」と口を添える。

 

 想汰はなにも言わず、だけどプリントの端に小さく“祝”と書いてあった。

 

 澪は少しだけうつむいて、でもそのまま、

 

 「……ありがとう」

 

 小さく、ぽつりと返した。

 

 耳がまだ赤かったけど。

 

 でも、どこか嬉しそうで。

 

 四限組の昼休みは、今日もやかましく、にぎやかで、どこまでもあたたかかった。

 

───

 

 放課後の昇降口は、いつもより人が多かった。

 

 期末テスト前の静けさと、部活の余韻と、雑談のざわめきが、半端な温度で空間を満たしている。

 

 椿原澪は、下駄箱の前で靴を履き替えながら、こっそりため息をついた。

 

 今日だけで、何回ため息ついたっけ。

 

 プリント配りの途中で「お誕生日おめでとう」と言われた回数、五回。

 

 四限組の漫才を聞かされた回数、二回。

 

 想汰のイラストプリントを受け取った回数、三回(なぜか増えてた)。

 

「……もしかして、地味に配布拡大されてる?」

 

 小声でつぶやいたところで、誰に聞かれるでもない。

 

 これから雪と会う予定がある。場所は近くのカフェ。まだ少し時間がある。

 

 あとは昇降口を抜けて、と思った、そのときだった。

 

「やあ、主役。お疲れ!」

 

「……うわっ」

 

 靴を履き終えたそのタイミングで、正面から現れたのは彰良。

 

 そして、その横には夏彦。

 

 少し離れて、柱の陰には想汰。

 

 つまり、四限組、全員集合。

 

「……なんで、いるの」

 

「え? いやいや、放課後の祝福タイムでしょ?」

 

「……祝福、タイム」

 

「ちゃんと“仕上げ”までやるのが、プロのサプライズ演出よ?」

 

「誰がプロ……ていうか、まだ続くの……?」

 

 澪は眉を寄せたまま、鞄を持ち直す。逃げる気満々だったのに、囲まれたらどうしようもない。

 

「はい、じゃあ俺から! プレゼントー!」

 

 彰良が差し出してきたのは、もこもこの布。

 

 開いてみると、薄手の、しかし内側がやたらふわふわした冬用ソックス。ワンポイントの本の刺繍が入っている。

 

「“真面目そうなやつが履く靴下”を目指して選びました!」

 

「それ、どういうイメージなの……」

 

「机の下で冷えがちな足元に、やさしいぬくもりを。名付けて、“脱・足冷え計画”!」

 

「……別に、冷えてないんだけど」

 

「今後に備えて! 今後の人生における冷えに備えて!」

 

「……人生、長いからな」

 

「だろー!? 受け入れるの早くない!?」

 

 その横から、夏彦がゆっくりと手のひらサイズの箱を差し出してきた。音楽プレイヤーかと思ったが、よく見るとちょっとレトロなデザインのICレコーダーだった。

 

 

「録音、できるやつ。最近、澪さ、自分の声で確認してるときあるじゃん?」

 

「……うん。読書発表の練習で」

 

「それ、これならもうちょいクリアに録れると思う。俺も使ってるやつ」

 

「……ありがとう。うれしい」

 

「よかった」

 

 短いやりとり。でも、温度はちゃんと伝わる。

 

 そして、最後に想汰が小さな封筒を差し出してくる。

 

 中には、一枚の紙。それは、彼が描いた“澪風デザインの栞”だった。色鉛筆で描かれたシンプルな本の絵。その中に、「今日は何の話を読もうか」という言葉が小さく入っている。

 

「……これ、想汰が?」

 

 想汰は「あぁ」とうなずいた。

 

「たぶん、澪が読みそうな雰囲気で作った」とだけ、あとで付け加えた。

 

「……ほんと、君ら……」

 

 澪は受け取った三つの贈り物を、そっと鞄にしまいながら、ぽつりとこぼす。

 

「……こいつら、なんでここにいんの」

 

「祝福のためです!」

 

「いや、もう散々されたし」

 

「でもさ、俺、澪が雪と会うときの顔って、ちょっと気になるんだよね」

 

「……なんで」

 

「そりゃあ、なんかこう、イイ感じに照れてそうじゃん?」

 

「やめろ」

 

「俺も見たかったけど、想汰が“空気読め”ってLINEで」

 

「えっ、想汰LINE送ってたの? 今日一番空気読んでたの君じゃん!」

 

 想汰は無言でスマホをしまった。

 

 澪が目を細める。

 

「……お前ら、ほんとにここで解散な」

 

「ラジャー! じゃあ、ゆっくり行ってこい、主役!」

 

「帰り道の途中で“うるさかったな……”って思い出してくれれば、俺たちの勝ち!」

 

「そう思いそうな気しかしないんだけど……」

 

 ちょうどそのタイミングで、校門の向こうに現れたのは小柳雪。

 

 制服の上にカーディガンを羽織り、マフラーを巻いた姿が、夕暮れの光に包まれている。

 

「じゃ、行ってきます」

 

「いってらっしゃーい」

 

「くれぐれも、紳士的にねー!」

 

「……うるさいな、ほんと」

 

 背中を向けた澪は、そう言いながらも、ほんの少し笑っていた。

 

 四限組はその場で、自然に引いた。

 

 それぞれ違う方向に歩きながらも、なんとなく同じ空気を残していく。

 

 昇降口に響いた足音は、やけに軽やかだった。

 

───

 

 カフェの奥の窓際席。ガラス越しに見える夕暮れは、もうすっかり冬の色をしていた。

 

 朱色の空と、ビルの影がのびる街。ガラスにうつる店内の灯りが、静かに揺れている。

 

 椿原澪は、カップを両手で包むようにしてホットミルクを飲んでいた。

 

「熱くない?」

 

 向かいに座った小柳雪が、心配そうに覗き込んでくる。マフラーを解いて、首元をゆるめた彼女の声は、さっきよりほんの少しだけ近い。

 

「うん。ちょうどいい」

 

「そっか。……それ、ホットミルクって聞いて、なんかぽいなって思った」

 

「……それはどういう意味?」

 

「なんとなく、静かで、白くて、やさしい味しそうな感じ」

 

「それ、僕のこと?」

 

「そうだよ?」

 

 平然と答えられて、思わず目をそらす。

 

 外は冷えるけど、カップから伝わる温度が手にしみて、落ち着く。あの騒がしかった昼の時間が、少し前のこととは思えないくらい静かだった。

 

「……今日、教室、うるさかったでしょ?」

 

 雪はふと、澪の顔を見ながらそう言った。

 

「うん。……めっちゃうるさかった」

 

「ふふっ。やっぱり」

 

 笑った雪の声も、うるさくはなかった。だけど、ちゃんと心に響いた。

 

「でもね、嬉しかった」

 

「……うん」

 

「澪くんが、祝われてるの見て。なんか、よかったなって」

 

「……恥ずかしかったけどね。めちゃくちゃ」

 

「知ってる」

 

「……知ってたんだ」

 

「うん。顔真っ赤だった」

 

「……言わないでよ」

 

 カップに視線を落とす。そこに湯気がひとつ、ふわりと立ちのぼる。

 

 雪は鞄から、小さな紙袋を取り出した。

 

 白と水色のシンプルな包装。そこに小さなタグがついている。

 

「はい。……これ、プレゼント」

 

「……ありがとう。開けていい?」

 

「もちろん」

 

 袋の中に入っていたのは、落ち着いた青の布に、銀糸で名前のイニシャルが入ったハンカチだった。柔らかくて、でもしっかりとした手触り。

 

「……いい色だね」

 

「澪くんに合うと思って。……地味すぎた?」

 

「いや、すごく……好き」

 

「よかった」

 

 そう言いながら、雪は少しだけ間を置いて続けた。

 

「それ、使ってほしいけど……なくされるのもいやだから」

 

「……がんばる」

 

 真顔で答えると、雪はくすっと笑った。

 

 窓の外では、人の流れがゆっくりと変わっていく。

 

 誰かが帰り道を急ぎ、誰かが歩道橋で立ち止まる。

 

 四限組のことを、ふと思い出した。

 

「今日、あいつらうるさかったよね。ほんと」

 

「うん、すごかった。なんか、漫才してたよね?」

 

「そう。しかも二回。あと、プリントを刷りすぎて配ってたし」

 

「わたしももらったよ?」

 

「えっ……」

 

「ちょっと恥ずかしがるミニ椿原くんってタイトルで保存してある」

 

「お願いだから消してくれ……」

 

 苦笑しながら、カップを置いた。

 

でも、本当のところは、たぶん。

 

「……うるさいの、悪くなかったなって思ってる」

 

「うん」

 

「ほんと、うるさかったんだけど」

 

「でも?」

 

「ちゃんと……うれしかった」

 

 雪は、何も言わずにうなずいた。そのうなずきが、ことばよりもあたたかかった。

 

 カフェを出ると、夜の風が頬をなでていった。

 

 マフラーを巻き直しながら、並んで歩く。いつもの道なのに、今日はどこか、違って見える。

 

 信号待ちの間、ふと澪は雪のほうを見た。

 

「……今日、ありがとな」

 

「うん」

 

「全部、ちゃんと、うれしかったよ」

 

 雪はまっすぐこちらを見て、やわらかく微笑んだ。

 

「わたしも。……おめでとう、澪くん」

 

 街の灯りがひとつ、またひとつと灯る中で。

 

 騒がしくて、静かで、でもたしかにあたたかな一日は、ゆっくりと終わっていった。

 

 

 

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