教室の窓の外では、すっかり葉を落とした桜の木が、冷たい風に揺れていた。冬の足音が本格的に聞こえ始めた十二月の初め。
期末テストまで、残すところ一週間。
放課後の教室には、妙な静けさと焦燥が同居していた。
ちらほらと残っている生徒たちは、参考書を開いたり、ノートをめくったり。カリカリとペンを走らせる音だけが響く。まるで冬の空気が、そのまま緊張感に変わったようだった。
椿原澪は、窓際の席で静かにペンを動かしていた。すでに試験範囲は把握済み。使い慣れたルーズリーフに、要点を整理した対策ノートをまとめていく。淡々と、無駄のない動き。
一方、その数列を崩しにきたのが、
「計画は今から立てる派だから、俺は」
明るい声とともに、朝倉彰良が教室のドアをくぐった。手にはまとめたプリントの束と、コンビニのホットドリンク。机にどさっと腰かけると、満足げに腕を伸ばす。
「……立てるだけで、やらないタイプでしょ」
澪が眼鏡を押し上げながら冷静に返すと、彰良はわざとらしく胸を押さえた。
「傷ついたわ。信頼のかけらもないな?」
「実績が物語ってるからね。前回の数学、赤点ギリギリだったの、忘れてないよ」
「うっ……」
沈黙。
……からの、
「いや、でも今回は違う!今回はちゃんと頑張るって未来を選ぶ予定だったから!」
「選ぶ“予定”って、なに?」
軽妙なやり取りに、近くの席でうつ伏せていた日暮夏彦が、肩を揺らして笑う。
「お前ら、元気だな……こっちはもう、出そうなとこだけでいいやって悟りモード入ってるんだけど」
「悟るには早すぎない?」
澪が呆れ気味に振り返ると、夏彦は机に顔を乗せたまま、去年の問題集を片手にひらひらと掲げてみせた。
「去年のやつ、先生のクセ出てるんだよ。“偶数ページの語句がよく出る”って、これ有名」
「え、それほんと?」
「俺調べ。信用度は夏彦レベルで」
「信じていいのかわからん……信頼度70%ってとこだね」
そんなやり取りを背に、文蔵想汰は教室の後方で静かに勉強していた。ノートを開いて問題を解き、何かを記す。ときおり視線を上げては、周囲の様子を観察するように眼差しを巡らせる。
「……ねえ」
ふいに、彼がぽつりと呟いた。声量は小さいのに、不思議と全員の耳に届いた。
「なんで勉強って、“できること”だけが評価されるんだろうね」
その言葉に、澪の手が止まる。彰良も、何か言いかけてから、眉をひそめた。
夏彦だけがすぐに返す。
「それが“点数”ってやつだからな。音の正解とかも、結局“合ってたかどうか”で判断されるし」
「……でも、覚えようとした時間とか、理解しようとした過程とか、意味がないわけじゃないでしょ?」
澪が静かに問いかけると、想汰は少し目を伏せて、言葉を選ぶように続けた。
「そう。でも、テストって、形に残ったものでしか評価できないじゃない。記録されない努力は、たぶん見えないまま」
「それを“記録”するのが、お前の能力なんじゃないの?」
彰良が茶化すように言った。
想汰は、笑わなかった。ただ、ノートにそっと何かを記していた。
その沈黙を、夏彦があくび混じりに破る。
「まあ、俺たちの中で、“勉強”って言葉が一番似合うのは澪で決まりだろ」
「名誉ある称号ってことでいい?」
「……勉強キャラは不本意なんだけど」
澪が小さく息をついて、笑う。
その笑みには、確かな安心感があった。
寒い冬の教室の中でも、四限組はいつも通りだった。
勉強への向き合い方はバラバラで、言うこともやることもまちまち。
けれど、その空間だけはどこかあたたかくて
「……期末、終わったら何する?」
ふいに彰良が問う。
誰もすぐには答えなかったけれど、それぞれが何かを思い浮かべたような、そんな一瞬の間があった。
外では風が、窓をかすかに揺らしていた。
ページをめくる音と、誰かのつぶやきと、笑い声。
それらが混ざって、冬の空気にしみ込んでいった。
───
午後二時。空気がひんやりとしているせいか、カフェの中は思いのほか人で賑わっていた。
窓際の丸テーブルに四人分の飲み物と教科書、それからやや乱雑に置かれたノートやペンケースが並ぶ。
「このさ、カフェで勉強してる俺ら、めっちゃそれっぽくない?」
テーブルの端でソイラテを啜っていた彰良が、自慢げに頷く。
その横で澪が静かにため息をついた。
「……“それっぽい”だけで終わるやつじゃん、それ」
「そこが大事なの、雰囲気から入るタイプもいるの。なあ、夏彦?」
「俺は音で覚える派だから、雰囲気は割とどうでもいいかな……」
そう言いつつ、夏彦はカセットレコーダーの録音ボタンを押した。カチ、という小さな音がして、澪がちらりと視線を向ける。
「……また録ってるの?」
「あとで“記憶音”になるかもって思って。四人で勉強してる音って、なんか残したくなる」
「“勉強してる音”って……これ、してるうちに入るの?」
「名目は勉強会だから。実態は……まあ、たぶん、今から始める」
「おっそ」
彰良が笑いながらノートを開く。広げたページは白紙のままだが、本人はやる気だけはあるようだ。
一方で、想汰はすでに数ページ進めていたらしく、シャーペンの芯を替えながらふと顔を上げた。
「……でも、なんか、頭には入ってる気がする」
「え、嘘でしょ、まだ何もやってなくない?」
「音があるからじゃない?」と夏彦。「“何を言ってたか”じゃなくて、“どんな風に喋ってたか”で覚えることってあるし」
「俺がいつもふざけてるのも、覚えやすさ重視ってことにしていい?」
「覚えやすいかどうかは内容次第かな」と澪が即答した。
テーブルにはテスト範囲の教科書と、コピーしたプリント、去年の問題集が広がっていた。
彰良が一枚を引き抜き、「お、これ去年の英語だ。じゃあ俺、出題者になるわ」と突然宣言した。
「いきなりクイズ形式?」
「形式はノリ。じゃあいくぞ、第一問!『It is important ( ) keep your promises.』空欄に入る前置詞は?」
「to、じゃない?」と澪が答える。
「正解ー!さすが秀才、もうこれで英語は満点だな!」
「満点になるのはあなたのテンションのほうでしょ……」
「いける気がしてきたわ今ので」
夏彦が頬杖をつきながら、「音で覚えるって、こういう感じかも」とつぶやいた。
「言い方にノリがあると、脳が“楽しかった”って認識するんだよな。それで記憶が強くなる」
「なるほど、“音のテンション”で残るわけか」と想汰も相槌を打つ。
「じゃあ、逆に俺が読み上げるから、答えろ」
今度は夏彦が問題を拾い上げ、抑揚のない声で読み上げ始めた。
澪は思わず苦笑しながらも、律儀に正解を答えていく。
想汰は黙々とノートにそのやり取りを記録し、時折「これ、テープにして配るの?」と聞き返す。
「面白い記録になりそうじゃん。『四限組英語特訓音声:冬』ってタイトルで」
「絶対使いどころに困るやつじゃん……」
勉強は進んでいるのか、進んでいないのか。
けれど、何かがちゃんと“届いている”感覚だけはあった。
しばらくそんな時間が流れたあと、飲み物がぬるくなったころ。
澪がふと手を止め、小さく言った。
「……なんだかんだ、悪くない時間だよね」
その声に、三人がふと顔を上げた。
誰も言葉にはしなかったが、それぞれがどこかで同じことを思っていた。
勉強なんて、ひとりでもできる。
でも、誰かと一緒なら、“思い出”になる。
たぶん今日の時間も、テストが終わってから思い出すんだ。
そんな予感が、カフェの穏やかな空気と一緒に、静かに満ちていく。
【期末前夜、メッセだけが飛び交ってる】
12月7日(木)22:08
グループチャット『四限組(多分勉強中)』
朝倉彰良:
やっべー明日の数A、なにからやればええの?????
椿原澪:
公式からやれ
てか今から?
朝倉彰良:
そうだけど?
つか、順列と組み合わせ、どっちがどっちかわからんくなる
日暮夏彦:
お前それ、二週間前から言ってる
文蔵想汰:
鼻息=順列
三色団子=組み合わせ(だんご状)
朝倉彰良:
いや意味不明すぎるだろ!?
どっちが何だよ!!!
椿原澪:
前者:順番あり(鼻息)
後者:順番なし(団子)
朝倉彰良:
おい待って
なんか納得しそうになった悔しい
日暮夏彦:
“鼻息で並ぶ”って語呂初めて聞いた。
しかもたぶん全然違う
朝倉彰良:
てか澪、さっきから返信早いけど勉強してる?
椿原澪:
してるよ
ツッコミは反射
朝倉彰良:
天才か
22:21
朝倉彰良:
てかさ、理科って範囲どこまで?
椿原澪:
生物は生殖まで
物理は力の合成
化学は酸塩基+中和計算
朝倉彰良:
なるほど助かる
(助かるだけで理解はしてない)
文蔵想汰:
(笑顔のスタンプ)
朝倉彰良:
え、想汰
今の顔なに!?!?
おれ何かした???
文蔵想汰:
励まし(たぶん)
椿原澪:
たぶんで送るなw
日暮夏彦:
てかお前ら明日何時に登校する?
ちょい早めに来て教室で確認しようぜ
椿原澪:
8時くらいなら
朝倉彰良:
7時半に来て問題出し合おうぜ!
俺が作問係な!
日暮夏彦:
やめろ、明らかにトラップ仕込むやつだ
朝倉彰良:
澪〜!俺が考えた問題、今から送っていい!?
椿原澪:
やめて
寝る前に混乱したくない
22:40
文蔵想汰:
明日の朝:最低気温2℃
椿原澪:
いきなり天気予報
でもありがとう
朝倉彰良:
うそ!?手袋どこだっけ
マフラーは……あ、俺のだよなこれ?(トラウマ再燃)
日暮夏彦:
来たな、マフラー事件の亡霊
朝倉彰良:
うるせぇわ!
23:00
椿原澪:
……で、お前ら何割くらい仕上がってるの
日暮夏彦:
6割くらい
でも計算問題で爆死する気しかしない
朝倉彰良:
心で解く派
答えは出ない
文蔵想汰:
俺はもう眠くなってきた
朝倉彰良:
じゃあ最後に一句!
日暮夏彦:
やめろ
朝倉彰良:
期末前
ノートの隅に
落書き多め
椿原澪:
季語ない
文蔵想汰:
でも冬感はある
23:10
日暮夏彦:
じゃ、とりあえず寝よう
明日、集合な。遅れたら缶コーヒー奢りで
椿原澪:
了解
文蔵想汰:
もう誰が奢るか未来が見える気がする。俺にも未来視が…?
朝倉彰良:
うっしゃ!明日は本気出すぞーー!!!
椿原澪:
(それ毎回言ってる)
朝倉彰良:
違うの!今回は本当に違う!本気の本気!!
日暮夏彦:
そう言って本気出して稀に点数いいのが一番むかつく
椿原澪:
あるあるすぎて笑えない
文蔵想汰:
(既に寝た可能性)
日暮夏彦:
じゃ、また明日。
おやすみ
椿原澪:
おやすみ
朝倉彰良:
おやすm……