放課後に、僕らは   作:やまざる

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番外編:生徒会長の噂

 

 教室の空気には、昼の名残と夜の気配が混ざり始めていた。

 冬の日差しはすでに斜めで、窓際の机には長く細い影が落ちている。

 

 チャイムが鳴ってからしばらく。帰るでもなく、部活に向かうでもなく、数人の生徒が残っていた。

 椅子の上にあぐらをかいていた彰良が、プリントを丸めて投げながらぽつりと言った。

 

「なあ、生徒会長ってさー、いつ寝てんの?」

 

 その場にいたのは、四限組の面々と、教卓前に腰掛けていた今泉秋明、教室の隅でスマホをいじっていた橘薫。ほかにも何人か、帰り支度をぐずぐずしていたクラスメイトがいた。

 

「いや、マジで思わん? 朝も早いし、放課後は生徒会で残ってるし、たまに図書室にもいるって聞いたぞ?」

 

 彰良の声はどこか軽口まじりで、それが妙に教室に馴染んでいた。

 そんな他愛もない言葉が、まるで合図のように、ぽつぽつと噂話の火種を灯していく。

 

「確かに……廊下で会っても、いつも目が冴えてる感じするよな」

 

「この前、夜遅くまで職員室の前にいたって聞いたよ」

 

「いや、それよりさ、あの人実は星と話してるらしいよ」

 

 不意に放たれた一言に、一瞬だけ、場の空気がきしむ。

 目を向ければ、呟いたのは橘だった。スマホを伏せ、淡々とした声で続ける。

 

「屋上でね。夜になると、手すりにもたれて空を見てる。何か、唱えてるっぽい。まあ、こっちは風で聞こえなかったけど」

 

「やっべえな、それ」

 

 彰良が目を丸くして笑う。

 その隣では、夏彦が自前の録音マイクをそっと鞄から取り出していた。澪は眉をひそめながら、それでも話を止めようとはしない。

 想汰はというと、既にノートを開き、淡々と話の断片を書き留め始めていた。

 

「異能力、なんか持ってるんでしょ?」

「あれは絶対、記憶読んでるタイプだって」

「いやいや、もっとヤバいよ。“見える”って。人の“軌道”がさ」

「待って待って、それ漫画の読みすぎじゃね?」

「でもほら、目。あの眼鏡外すとヤバいって噂……。あれで異能力抑えてるんじゃない?」

「それはただの厨二病では……」

 

 まるで都市伝説のように、次から次へと“会長像”が膨らんでいく。

 誰もが、どこか楽しんでいた。ほんの少しの怖さと、たくさんの興味を乗せながら。

 

「俺は見たぜ、文化祭の時、実行委員の子に“未来の選択肢”とか言ってたぞ」

 

「それ朝倉くんの能力じゃね?」

 

「えっ、そうなの?」

 

 笑いが漏れる。

 

 でも、どこかで誰もが少しだけ、信じているようでもあった。

 

「……全部、ほんとにあったら怖いな」

 

 澪がぼそっと言ったその声に、想汰がノートから顔を上げた。

 

「全部、少しずつ違っていて。だけど、全部、少しずつ本当かもしれない」

 

「お前が言うと妙に信憑性あるな」

 

 彰良が笑って肘で突っつくと、想汰は苦笑ともつかない表情で目を伏せた。

 窓の外、空はすでに群青に染まりつつある。

 放課後の教室は、もうすぐ夜に呑まれる。

 

 でもその前にもう少しだけ、話していたい。

 

「……でさ、結局どうなんだろ。生徒会長って、何者?」

 

 

───【証言集。或いは、観測された星の話】───

 

【断章1:今泉秋明の場合】

 

「……で、あいつ、いつ寝てんの?」

 

 誰に聞かれたわけでもないのに、今泉は時折そう呟く。

 

「生徒会長って呼ばれてるけど、実際は“夜間モード搭載型の観測機”なんじゃねえかって思うくらいさ。会議資料、朝イチで届いてるし。俺が3時にライン送ったら、秒速で既読ついたこともあったしな。怖えよ、あいつ」

 

 彼の声には呆れと、ほんの少しの尊敬が滲んでいた。

「寝てないわけないのは分かってんだけどさ。……たまに、あいつの時間だけズレてんじゃねえかって思うんだよな」

 

 そして今泉は、溜息混じりにこう結ぶ。

 

「……俺はあいつのブレーキ役でいられるよう、ちゃんと寝ることにしてる」

 

───

 

【断章2:橘薫の場合】

「星、ですか?」

 

 橘は首をかしげ、ふっと笑った。

 

「会長、よく屋上にいますよ。誰もいない時間、ひとりで夜空を見上げてて。あれ、“星と話してる”って噂になってるみたいですね」

 

 からかうような言い方だったが、笑い方はやさしかった。

 

「この前なんか、満作くん、こんなこと言ってました。『あの光は、届かなかった祈りの残響だと思うんだ』って」

 

 

 しばしの沈黙のあと、橘は淡々と続けた。

 

「……ロマンチストすぎませんか、会長。まあ、でも」

「“そう思って見てる人”の話は、ちょっとだけ信じたくなるんです」

 

───

 

【断章3:朝倉彰良の場合】

 

「おっ、俺のターンだな!?」

 

 勢いよく机に手をついて、朝倉彰良はにやりと笑った。

 

「まずさ、あの眼鏡な。あれ外すと、異能が暴走すんだよ」

「なんか、常時抑制フィールド的なやつ? あるいは“星の観測限界を超えてはいけない”系呪具? 知らんけど!」

 

 周囲がざわめくのも構わず、彰良は更に前のめりになる。

 

「で、暴走したら何が起こるかって? なんかこう、あれだよ、教室がプラネタリウムになるみたいな? 急に天井が開いて星が降ってくる、みたいな?」

 

「だから俺は言ったの。“会長、たまには眼鏡外してみようよ”って」

 

「……あのときの沈黙、忘れられないね。真顔で“それはまだ早い”って言われた。何が!?」

 

───

 

【断章4:匿名希望の図書委員】

 

「あの……本当か分かんないんですけど」

 

 図書室で本を並べていた1年の女子が、声を潜めて言う。

 

「この前、満作先輩と話してたら……なんか、話してないことまで分かってる感じで。たとえば、“その本、前にも読んでたね”とか……“今、迷ってるんでしょう?”とか……」

 

 顔を伏せて、そっと本の背表紙をなぞる。

 

「もしかして、記憶とか……読めるのかなって。変な言い方ですけど、“心のノイズ”みたいなのを、拾ってるみたいな」

 

 そして彼女はぽつりと付け加える。

 

「でも、怖くなかったんです。なんか、安心したんです。……不思議ですよね」

 

───

 

【断章5:誰かのノートの隅に】

「橋ヶ谷満作──異能:星詠み(仮)」

「特技:多視点観測・思考時間伸長・夢遊会議」

「夜空と対話。言葉の“重なり”を記録しているらしい」

「発言は難解、でも全部聞いてる」

「“届かない祈り”にチューニングしてるって、どういう意味?」

「……それでも、嫌いになれない不思議な人」

 

 

インクがかすれて、書いた人物は分からない。けれどその文字の端には、星の落書きが描かれていた。

 

───

 

「橋ヶ谷会長ってさ」

 

 教室の一角、四限組が集まるいつもの窓際の席。冬の陽がゆるく差し込む放課後の空気に、朝倉彰良の声が浮かぶ。

 

「実は、眼鏡を外すと異能が暴走するらしいぜ」

 

「またそれかよ」

 

 日暮夏彦がプリントをぱらぱらとめくりながら、口の端だけで笑う。

 

「つーか前も言ってたよな、それ。天井が割れて星が降るって」

 

「だってロマンあるじゃん? 眼鏡は封印具、そして夜になると真の力が解放──」

 

「はいはい、RPG脳」

 

 澪が呆れたように呟いた。相変わらず背筋は真っすぐで、手元のペンが止まらない。だが、そのペン先がほんの少し震えたように見えたのは、気のせいだろうか。

 

「でもさ」

 

 彰良は口角を上げ、軽い調子のまま話を続ける。

 

「“星と話してる”ってのは、ちょっと分かる気がするんだよな」

 

「会長、前に屋上で一人で空見てたな」

 

 夏彦がぽつりと重ねる。机の上には彼のICレコーダー。録音ボタンの赤い光は点っていないが、彼の中では何かが「記録」されているのかもしれない。

 

「何録ってんの?」

 

「噂話。面白いから」

 

 さらりと返す夏彦に、彰良が笑い声をあげた。

 

「それ使ってなんかにするつもりかよ。『満作伝説〜冬の章〜』とか?」

 

「いいね、それ」

 

 文蔵想汰が、いつのまにかノートに鉛筆を走らせている。「噂話」と見出しが書かれ、いくつかの証言が箇条書きされていた。

 

「“会長は夜しか食事をしない”……?」

 

「それ初耳!」

 

「でも、なんか言いそうじゃない?」

 

「“光が見えない時間の方が、お腹空くんだ”とか?」

 

「それは言うかも」

 

 言うなり、全員が一瞬沈黙して、次の瞬間、爆笑が起きた。

 

「なにそれ、満作くんマジで言いそう」

 

「“この時間にしか味わえない感覚がある”とか言いながらポテチ食ってるとこ想像した」

 

「つーかそもそも、本人はどんなつもりで俺らの噂聞いてんのかね」

 

 彰良がふと真面目な声色になった。

 

「嫌じゃないのかな、こういうの」

 

「気にしてないでしょ、あの人は」

 

 澪がぼそりと答える。いつも通りの表情で、それでもどこか微かな肯定を含んでいた。

 

「……“全部見てる”けど、“全部背負ってるわけじゃない”って顔、してる」

 

「ふーん、さすが。澪、妙に詳しいじゃん」

 

「観察眼ってやつだよ」

 

 夏彦がくすりと笑って、そう言った。

 

「俺は好きだけどな。会長の、あのちょっとズレた喋り方」

 

「分かるー。“意味はあるけど伝える気はない”みたいなやつな」

 

「“質問は許可されてない”感あるよね。クイズかよ」

 

「もしくは“沈黙を含めて答え”みたいなタイプ」

 

 会話が、どんどん“会長っぽい言葉選び”選手権になっていく。

 誰かが言った。「“噂話って、誰かの輪郭を曖昧にするくせに、なんか親近感湧くよな”」

 

 それは文蔵だった。彼のノートに、そんな言葉が静かに書き込まれる。

 ふと、静かな空気が落ちる。全員がどこか、“何か来る”気配を感じたのだ。

 

 そして、ドアが開いた。

 

「……僕の話、してた?」

 

 やけに静かな声が、空間に落ちた。

 

 橋ヶ谷満作が、いつもの柔らかな笑みを浮かべて、教室の中へふらりと入ってきた。

 誰もが一瞬、動きを止める。

 

「えっと、あのですね、満作くん」

 

 彰良がすかさず立ち上がるが、満作はそれを手で制した。

 

「だいじょうぶ。なんとなく、そんな気がしてたから」

 

 彼は教室の一角をぐるりと見渡しながら、言った。

 

「どの噂も、少しずつ間違っていて───」

 

「───少しずつ、合ってる」

 

 その言葉に、四限組全員が、何も言えずに目を見合わせる。

 だが、それは不思議な沈黙ではなかった。どこか、あたたかく、ほんの少しだけくすぐったい。

 

 満作は、最後に一度だけ窓の外を見上げる。

 

「そろそろ、星が見える時間だ」

 

 それだけを言って、満作はくるりと背を向け、教室を後にした。

 

「……ねぇ」

 

 澪がぽつりと呟く。

 

「結局、何者なんだよ、あの人」

 

「会長でしょ?」

 

 夏彦が答えた。

 

「“会うべき星”の人、って書くんだよ、会長って」

 

 彰良が言うと、夏彦が「会星じゃん」と笑った。

 それでも、誰も否定しなかった。

 

───

 

 橋ヶ谷満作が教室を去ったあと、空気は少しの間だけ、何かを飲み込んだように静かだった。

 誰も言葉を継がない。

 それは沈黙ではなく、ちょっとした“余白”だった。

 

「……なんなんだろうね、あの人」

 

 ようやく口を開いたのは、日暮夏彦だった。

 彼はICレコーダーをそっと机に置き直し、手元のイヤホンコードをくるくると指に巻いている。

 

「全部、嘘でもいいのに。信じたくなる」

 

「わかる。なんかさ、そういう空気、出してるよね」

 

 朝倉彰良が苦笑しながら頭をかいた。

 

「“ぜんぶ謎のままでいい”みたいな。そう思わせる人、たまにいる」

 

「俺ら、そういうのに弱いのかもな」

 

 文蔵想汰がぼそりと呟き、ノートに何かを書き加える。

 

 そこにあったのは

 《橋ヶ谷満作》

 ・笑顔の奥に、いつも“もう少しだけ遠く”を見ているような目

 ・噂話が似合う人。なぜか、話したくなる

 ・“わからなさ”が、なぜか居心地がいい

 

「……なあ」

 

 彰良がポケットに手を突っ込んだまま、窓の外を見上げた。

 

「こうやって、たぶん何年後かに思い出すんだろうな。“橋ヶ谷満作って、いたよなー”ってさ」

 

「うん」

 

 澪が静かに返事をした。

 

「思い出すけど、たぶん、ちゃんとは思い出せない」

 

「それ、すごい分かる」

 

 夏彦が小さく笑う。

 

「声も、歩き方も、全部ぼやけるのに……“目”だけは、鮮明に浮かぶんだよな」

 

「星、みたいだよね」

 

 ふと、澪が言った。

 その言葉に、みんなが少し驚いたように彼を見る。

 

「遠いのに、見える。…でも、届かない。…でも、見える」

 

 教室に、夕暮れの光が差していた。

 カーテンの影が揺れ、窓の向こうの空は、少しずつ群青に染まりつつある。

 

「星、もう見えそうだな」

 

 夏彦がそう言って、窓を開けた。

 冷たい風が吹き込む。乾いた空気に、どこか懐かしい匂いが混ざっている。

 

「……ねえ」

 

 彰良がふいに振り返る。

 

「さっきの噂、録ったのってどこまで?」

「途中まで」

「じゃあ、続き、録ろうぜ。俺らの噂話の、続きを」

「……いいね」

 

 想汰がノートを閉じて、ゆっくりと立ち上がる。

 誰からともなく、教室を出る準備をしはじめた。

 

「あの人のこと、俺らはたぶん一生わかんないけどさ」

 

 彰良が、廊下へ出る扉の前で言った。

 

「でも、なんか……そういう人がいてくれるって、ありがたいよな」

「うん」

 

 誰の“うん”が誰のものかも、もうどうでもよかった。

 教室を出ると、すっかり日は暮れていた。

 冬の空は澄んでいて、少しの星が、まるで見つけてほしそうに瞬いている。

 

「なあ」

 

 彰良がポケットに手を入れたまま、口元だけで笑って言った。

 

「……また明日、会長の話しよーぜ」

 

「録っとく?」

 夏彦がレコーダーを掲げる。

 

「ノートにまとめとくよ」

 想汰が静かに歩き出す。

 

「くだらないって言ったの、取り消す」

 澪が呟くと、彰良が振り返る。

 

「おっ、名言!」

「じゃあノートのタイトル、決まりだな」

 

 想汰が笑わずに言う。

「『くだらなくて、大事な話』」

 

「最高。保存版確定だな、それ」

 

 四人の足音が、夜の校舎に吸い込まれていく。

 上を見れば、あの星も、どこかで彼の瞳と重なっている気がした。

 

 橋ヶ谷満作

 

 その名前が、どこか、冬の空気に馴染んでいる気がした。

 

 




『観測者の独白』
 
冬の夜は、すぐに深くなる。
教室の灯りが落ち、靴音が廊下から遠ざかっていくのを聞きながら、僕はまだ一人、校舎に残っていた。
 
星を観るのが好きだ。
遠くにあるけど、どこか手が届きそうで。

賑やかな声が好きだ。
それをただ、“観測する”のが。
 
僕の能力は、《オルビット》。
複数の視点を重ね、関係を“視る”力。
人と人の重なり、交差、軌道──それらを俯瞰で把握し、どこにどんな感情が揺れているのかを、静かに把握する。
そんなものを持っていると、案外、孤独には慣れるものだ。
 
でも、僕の友人たちは違った。
 
教室の窓辺で笑い合う四人組。
静かに寄り添って、誰かの言葉を聞く女の子たち。
先生の声、階段のきしむ音、どこかの廊下でふざける男子の足音。
観測だけでは、届かないものがある。
関係の構造だけでは、測れないものがある。
 
だから僕は、《ステラリンク》を使う。
星の光に宿った、言葉にならなかった感情を受け取る力。
夜の空を見上げて、それでも届かなかった“想い”に、そっと触れる。
 
君たちは、まっすぐだ。
ときに不器用で、騒がしくて、くだらないことで笑い合う。
でも、そのひとつひとつが、とても美しい。
 
だから僕は、今日も観測する。
できる限り正確に、静かに、丁寧に。
そして、ほんの少しだけ、その“光”に、手を伸ばしてみる。
 
届かなくてもいい。
けれど、誰かに届く光になれたなら、それでいい。
 
そう思えるようになったのは、
きっと、君たちを見てきたからだ。
 
だから。
今日も少しだけ遅くまで、校舎に残っている。
ただの“観測者”として、冬の星空の下に。
 

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