12月24日、午後四時半。
日が落ちるのが早い冬の夕暮れ、街のざわめきはどこか浮き立っていて、道行く人々は手にプレゼントや買い出し袋を抱えていた。
その中、ひときわ静かに佇む住宅地の一角。今泉秋明の家の前には、場違いなほど整然とした「おもてなし」の気配が立ち上っていた。
「予定では、乾杯は十七時。料理の温度帯を保つためには、各人の到着は十六時五十分を目安に──」
「はいはい、天文時計さん。今日くらいはせかせか動かなくていいんじゃない?」
玄関前で長話になりそうな気配を察知して、今泉が満作の背中を押す。
一歩入れば、室内は意外にも温かい。白いツリーが置かれたリビングには既にテーブルが用意され、プレートの位置やコースターの数に至るまで完璧な配置。
満作が事前に共有していた「クリスマス会スケジュール.xlsx」に忠実に準備された空間だった。
「……このケーキ、もしかして重さグラム単位で調整した?」
「君の家にある天秤を借りた。便利だね、あれ」
「いや俺んちだけど!?なんで俺より使いこなしてんの!?」
笑いながら突っ込む今泉をよそに、満作はテーブルクロスの端を整えながら、ふっと空を仰いだ。
「……今日の星は、あと一時間で南中する。ちょうど乾杯の時間と重なる。なかなか良い一致だと思わない?」
「言いたいことは分かるけど、普通そういうのは“ロマンチック”って言うんだよ。……いや、言うのかな?」
今泉が首を傾げていると、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい、橘来たー?」
「寒い。ていうか時間ぴったりに来る人がいるから、むしろ遅刻扱いされそうでした」
靴を脱ぎながら、橘薫が軽くため息を吐いた。
その手には、包み紙すらないコンビニ袋。中身は──たぶんプレゼントだ。意味不明な。
「予定通りに動くのが悪いとは言わないが、もう少し“遊び”があってもいいだろ。ほら、今泉だってグラタンの焼き加減で3分遅れてるし」
「おい、それはちゃんと焦げ目と香ばしさの境界線を見極めた結果なんだぞ!」
軽口を交わす二人のやりとりを眺めながら、満作は何か言いかけて口を閉じた。
この空気に、計算は必要ないのだと、少しだけ思う。
「それにしても」
橘がちらりとキッチンの横のテーブルに視線を送る。
「このタイムテーブル、マジで配布してきてビビったよね……“18:15 プレゼント交換開始”って書いてあるけど、それ守るとは思えないんだけど」
「守るよ。みんながちゃんと集まればね」
「“みんな”って僕と今泉だけじゃん」
「それで十分だよ。三人で空を見上げるには、たぶん、それが一番バランスいい」
「そういえば、細かく計画してたけど満作の家じゃないんだね」
「ああ、うちの妹が今泉を怖がりそうだからな。君は顔が地味に怖いんだ」
満作の言葉に、橘が小さく笑った。今泉は少しキレた。
「はいはい、じゃあもうちょいゆるくいこうぜ。スケジュールは“目安”であって、俺たちは“今”を楽しむのが目的なんだから」
「でもその“今”が、星の配置とぴったり重なるなら──」
「重なるなら?」
「……それは、ちょっと嬉しいと思わない?」
その一言に、二人は肩をすくめて小さく頷いた。
聖なる夜、この場所で同じ時を過ごしていること──それだけが、ほんの少し奇跡のように感じられた。
満作は、星座の早見盤を確認しながら、言った。
「今日は……ちょうど冬の大三角が東に昇ってる。だから、乾杯のタイミングは──八時ごろになるね!」
「遅いわ!タイミング測らなくても乾杯の音頭くらいは俺がやるって!」
「……まあ、任せるよ。君の音頭のテンポは、いつだって予想外だから」
そして、午後五時。
タイムテーブルに書かれた“乾杯”の文字が、音もなく時間に重なった。
今泉の「メリー、なんちゃってクリスマス!」というゆるい声と、橘の「なんで“なんちゃって”なんだよ」という突っ込み。
その横で、満作がグラスを掲げながら、ただ静かに笑っていた。
窓の外には、まだ降らない雪の気配と、少しだけ瞬く恒星の光。
誰も気づかない場所で、その光が三人をゆるやかに照らしていた。
───
「はい、では満作さん。説明をどうぞ」
「え、僕から?」
プレゼント交換が始まったのは、夕食後の満腹と眠気が入り混じるタイミングだった。
部屋の中央に座布団で円を作り、それぞれラッピングも何もないプレゼントを足元に置く。
「順番は到着順だから、満作、今泉、橘ね。で、開ける前に“誰が何を持ってきたか”をプレゼンしてください」
「そのルール、さっき決まったよな……」
橘がぼやきながらも、少しだけ笑っている。
満作は一度眼鏡を押し上げてから、そっと自分のプレゼントを手に取った。
「僕のは……天球儀のミニチュアと、星座早見盤。両方、自作」
「自作!?」
今泉の声が跳ねる。
「てっきり市販のモデルかと……え、待って待って、どこからどう作ったの?」
「3Dプリンタで外殻を出力して……」
「いやいやいや、天才か!? クリスマス会のためにどこまでやるの!?」
「違うよ。クリスマス会のためじゃない。僕が“この日にこれを渡したい”って思ったから、作っただけだよ」
そう言った満作の声は、いつもより少しだけ素直だった。
橘が受け取って、早見盤を指先で回す。カリカリという小さな音が響く。
「……でもこれ、めちゃくちゃ精密だよ。星座ぜんぶ網羅してる」
「今日の夜に合わせて設定してる。見上げたときに、同じ形が見えるようにしたかったんだ」
その言葉に、しばし沈黙が落ちた。
静かな拍手のように、今泉が手を打つ。
「よし、満作のやつは公式認定“ガチ勢”プレゼントに認定しよう。これ超えられる気しないけど、次、俺!」
今泉の袋の中から出てきたのは、なぜかひとつだけ異様に立派な木箱。
「おお、なんか高級感あるじゃん!」
橘が身を乗り出す。
「開けてみて?」
パカ、と蓋を開けると、中には手書きのメモとともに、一枚のCDが。
『“一番最初に笑った声”を入れておきました』
「……え、何これ、録音?」
「そう。たぶん夏彦の影響で俺もちょっと録音趣味にハマってさ。みんなの“最初の笑い声”を覚えてたくて、過去の動画とか音声とかから探したの。ちょっとエモいでしょ?
あとブレスレットとかのアクセもあるぞ」
「……ガチ勢、もう一人いた」
橘が呆れたように笑った。
どう考えても、“プレゼント交換”の枠を逸脱しているが、誰も止める者はいない。
こんなふざけた空間で、真面目を貫くのはむしろ贅沢なことなのかもしれなかった。
「さて、最後は僕の番だが……ハードルが高いね」
橘が照れくさそうに袋を引き寄せる。
「僕のは、これ」
紙袋の中から出てきたのは……ピンク色のパジャマの“下”だけだった。
「なんで上下じゃないの!?」
「なんか、上が売り切れててさ。でもさ、これ、素材がマジでよくて。あったかいし、肌触りいいし……」
「いや、プレゼントに片方だけってある!? 橘、センスのズレ方が独特すぎるって!」
今泉が爆笑する横で、満作はふっと眉を上げた。
「……でも、冬にあったかいって、十分な理由だよ」
「でしょ!? 満作はわかってる!」
「わかってるっていうか、どこかが“ずれてる”っていうことは、誰かと過ごすにはちょうどいいって意味で」
「それはまぁ、いい言い方だな…」
今泉が感心したように呟く。
そのとき、橘がふいに視線を窓の外にやった。
曇ったガラスの向こうに、まだ星は見えないが、空気が凍り始めていた。
「こういう夜をさ、真面目に過ごすの、けっこう好きなんだよな。別に誰かのためってわけじゃなくて、俺ら自身が楽しんでるって感じでさ」
「うん。それが記録になるかどうかは、あとで考えよう」
満作の言葉に、ふたりは何も言わず頷いた。
意味のないもの、形にならないもの──そのすべてが、今はただ楽しかった。
「……で? 残りのパジャマの“上”はどこにあるの?」
「それは、来年のクリスマスに!」
「おまえ、シリーズものかよ!」
笑い声が、部屋の灯りに混じって弾けた。
夜はまだ長い。外は寒くても、この部屋には不思議と星よりもあたたかなものが、ちゃんとあった。
───
時計の針が、日付の境目を越えていた。
12月25日。クリスマス本番の深夜一時過ぎ。
今泉宅の広い屋上に出たのは、パーティーの喧騒がようやく落ち着いたころだった。
「さむ……! なんで外に出るのに同意したんだっけ、僕たち」
橘が毛布を肩から羽織りながらぼやく。
その横で、今泉もスピーカーと延長コードを抱え、頬を赤くしていた。
「だって、満作が『この時間に星が一番よく見える』って言うから……」
「ちょっと! 君たち、さっきまで“理屈で星を見ようとしないで”とか言ってたのに」
満作はすでに一人、ベランダの端に立っていた。
三脚に立てた小さなスピーカーからは、BGM代わりに小さな電子音が流れている。
「これ、なに?」
今泉が訊ねると、満作は少し恥ずかしそうに答えた。
「冬の星座の解説音声を、自分の声で録った。……編集もしたよ。フフ…」
「うわ、出た、満作の“真面目な狂気”シリーズ……!」
「やめて、褒められてるのかけなされてるのかわからないから!」
苦笑混じりのやり取りが続くなか、橘が空を見上げた。
息が白く滲む。
空には星が、驚くほどはっきりと浮かんでいた。
「……オリオン座、あれだよな。俺でもわかる」
「うん。あの三連星はベルト。冬の大三角も見える」
満作の指が、静かに夜空をなぞる。
彼の瞳は、どこか遠くを見ていた。
「この光が、ここに届くまで、何千年もかかってる。……この恒星たちが、その光を放ったとき、僕たちはまだ、誰一人存在していなかったんだ」
「ふーん……」
今泉が隣でうなずくが、言葉は続かない。
橘もまた、珍しく無言だった。
「でもさ」
満作がぽつりと口を開く。
「その“何千年”を超えて、いま僕たちは、同じ光を見てるってことが、なんか変だよね。いや、嬉しいというべきかな……。わからないけど。とにかく、不思議だ」
今泉と橘が、同時にその言葉に目を向ける。
「……僕たちが生まれる前から旅してきた光を、今見て、なんとなく一緒に笑ってるって、よく考えるとロマンあるよね」
橘の言葉は、珍しく真面目だった。
冗談っぽくない。
けれど、だからこそ本気だった。
満作は首をすくめて、眼鏡の奥の目を細めた。
「うん。そう思えるようになったのは、たぶん、君たちがいたからだ」
「え、なんか告白された?」
「ちょ、おま、そういう台無しな返しするな!」
「いやいや、こんなロマンチックなシーンに一石投じるのが僕の仕事なんで」
わざとらしく胸を張る橘に、今泉が肩をぶつけて笑う。
けれど、その笑いはどこかやわらかで、心の深い場所で誰もが同じことを感じていた。
「じゃあさ、また来年も見ようよ。……同じ光、同じタイミングでさ」
橘が空を指さす。
「たぶん、それだけで十分」
その言葉に、満作も、今泉も、ただ頷いた。
スピーカーから流れていた音声が、やがてフェードアウトする。
空には、何も言わずにまたたく星々。
この瞬間を誰かが記録したかどうかは、もう問題じゃないのかもしれなかった。
満作がふと、口元をほころばせる。
「星ってさ……たぶん、“みんなの無言”に一番近い存在かもしれないね」
「なんだそれ。ロマンチックなのに、やっぱりズレてる」
「でも、嫌いじゃないでしょ?」
橘がぼそりと返すと、今泉がふっと笑った。
「うん。俺ら、今、ちゃんと“いい夜”過ごしてる気がする」
スピーカーを切って、ベランダの灯りが消える。
深い夜の静けさが、ようやく彼らを包み込んだ。
───
時刻は午前二時をまわっていた。
一夜限りの“生徒会パーティー”も、いよいよ終わりを迎えようとしていた。
今泉の家のリビングには、空になった紙皿と飲みかけのココア、リボンの切れ端、ほっぽり出された毛布……その名残が、あちこちに転がっていた。
「……戦場の跡じゃん」
橘が眠そうに目をこすりながら呟いた。
床に座り込んだ今泉は、山になった菓子の包みをまとめながら苦笑する。
「満作の『23:00就寝案』、完全に破綻したな」
「そもそもあれ守る気、俺らにあったか?」
「いや、ないね。100%ない」
そんな会話の背後で、満作は静かに一人、窓辺に座っていた。
手にしていたのは、さっきまでベランダで使っていた星座早見盤。
手作りらしい厚紙の縁が、わずかにめくれている。
「なあ、なに見てンだ?」
今泉が近づくと、満作は少し間を置いて口を開いた。
「……今日の星の並びが、ちゃんと記録通りだったか、確認してた」
「え、確認?」
「うん。いつか、今日のことを思い出すときに、『あの夜は、三人でみた冬の大三角があったよな』って、ちゃんと言えるようにしておきたくて」
橘が隣からのぞきこむ。
「それってさ……今日の思い出を、忘れたくないってこと?」
満作は黙ったまま頷いた。
それは、彼なりの“過ごし方”なのだ。
「……うーん、やっぱ満作だなぁ。ロマンチストかと思ったら、完全に観測者モードだし」
「観測も、想い出も、両立していいって……最近、やっと思えるようになったんだ」
その言葉に、二人とも一瞬だけ動きを止めた。
今泉が、小さく息を吐いて笑う。
「……お前が“今を楽しんだ”って言えるだけで、たぶん俺は満足だな」
橘も、頭をかきながらそっぽを向く。
「ま、僕も……今日くらいは、悪くなかったと思ってる。たぶんだけど」
「ありがとう」
満作は素直にそう返した。
この小さな時間が、どこかで星に記録されているかもしれない。
だとすれば、少しだけ誇らしい。
テーブルの上に残っていたココアを、三人で分ける。
マグカップの底には、溶けかけのマシュマロがゆらゆら揺れていた。
「なんだかんだで、また来年もやるんでしょ?」
「当然。クリスマスは“生徒会の年末行事”って決まってるしな!」
「聞いたことないんだけど、そのルール」
「今、決まったのさ」
三人の会話が、じわじわとまた明るさを取り戻していく。
夜はまだ、ぎりぎり夜のふりをしているが、窓の外は少しずつ色づき始めていた。
空が、淡く、白んでいく。
夜明けだ。
けれどその瞬間を、誰も急かさず、誰も追い立てようとはしなかった。
満作が、そっと星座早見盤を閉じる。
それはまるで、“観測を終える”というより、“記録を終える”ような、静かな所作だった。
「今年の光、ちゃんと見たぞ」
今泉がそう言うと、満作は目を細めた。
「うん。君たちの顔も、今日の星も、ちゃんと観測した」
「……じゃあ、また来年も、俺らのこと観測してくれよ」
「うん。できれば、またこの場所で」
橘がその言葉に笑いながら、
「じゃあ僕、次はもっと豪華なプレゼント考えとくわ。ちゃんと“天才”にも負けないやつな」
と、いつもの調子で締めた。
マグカップを片手に、三人が並んで座る。
窓の向こう、星の光が少しずつ消えていく。
それは夜が終わった証。
けれど、なぜだろう。
この夜のことだけは、ずっと残り続ける気がした。