放課後に、僕らは   作:やまざる

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だから言ったのに。って笑われながら

 

 朝の光はまだ硬く、冷たさを含んで差し込んでいた。

 1月下旬。前日に比べて気温はさらに低いはずなのに、桐明高校の通学路にはいつも通りの足音が戻ってきていた。

 

「……おー、今日も寒っ」

 

 教室の扉をくぐった朝倉彰良は、いつもの調子で声を張った───ように見えた。けれど、その声には少しだけ掠れがあった。足取りはいつも通り軽やかだが、どこか足元がふらついて見える。

 

「おはようございますー。今日も元気に登校しましたー。はい拍手ー」

「……やっぱダメだったな」

 

 呆れ気味に出迎えたのは、すでに登校していた日暮夏彦だった。彰良の顔をちらりと見て、「ほら見ろよ」とでも言いたげにため息を吐く。

 

「昨日、あんだけ汗かいて走って、上着も脱いで……」

「いやいやいや、これはほら、気合の問題ですよ? 心頭滅却すればなんとやらって言うし」

「言うけど、たぶん無理だよそれ」

 

 隣に立った椿原澪が冷静に突っ込む。冬の空気を受けて、白い息が三人の間に漂う。

 

「で? 熱は?」

「測ってないけど、たぶんない! ……いや、あっても微熱くらい? たぶん?」

 

「ダウト。目が赤いし、声もちょっと枯れてる。無理してるのバレバレ」

「お前、元気なふりだけは達者だもんな……バレるんだが」

 

 三人が口々に言う中、遅れてやってきた文蔵想汰が、教室の入り口で立ち止まった。何も言わずに彰良の顔をじっと見て、ほんの少しだけ眉をひそめる。

 

「……俺は元気だって。な?」

 

 そう言って、彰良は無理やり笑ってみせた。

 いつものように前髪をかき上げて、軽口のひとつでも叩こうとしたその瞬間──

 

「……うっ」

 

 その身体が、ぐらりと揺れた。

 背中が壁にもたれかかるように、自然と力が抜けていく。

 

「おい、彰良?」

「……大丈夫、大丈夫。ちょっと立ちくらみってだけで──」

「保健室、行こ」

 

 一歩、澪が前に出た。迷いのない声だった。

 彰良は笑ったまま、でももう言葉が出てこないようだった。

 

───

 

 1時間目が始まる頃には、朝倉彰良の姿は教室になかった。

 担任に気づかれて、あっさり保健室行きを言い渡されたのだ。

 

 それはもう、いつもの彰良の“口八丁”もまったく通じないほどの説得力で。

 教室の窓の外には、雲が広がっていた。けれど雪はまだ降らない。

 

 昨日と同じような、でもどこか違う冷たい空気が教室を包んでいた。

 昼休み、四限組の机の周りは少しだけ寂しくなっていた。

 

 いつもなら誰かが「寒すぎー!」と騒ぎ出す時間。

 誰かが唐突に立ち上がって「外で走らね?」とか言い出すはずの時間。

 その中心にいるべき“声”が、今日は少しだけ静かだった。

 

 

───

 

 

 保健室の窓辺には、分厚い雲と、風に舞う乾いた葉が見えていた。

 暖房の効いた室内と、ガラス一枚隔てた外気の冷たさ。

 

 その境界に、朝倉彰良は横たわっていた。

 

 毛布の下、ほんのり汗ばんだ額を枕に預けて目を閉じる。

 頭の奥が少しだけ重い。喉は乾いて、鼻の奥がむず痒い。

 

 ──ああ、これは風邪だな。自分でもさすがに認めざるをえなかった。

 

「……ったく、バカみたいに走るから……」

 誰にともなく呟いて、目を閉じたまま、昨日の光景をぼんやりと思い出す。

 

 白い息を吐きながら、グラウンドを駆け回った昼休み。

 体の芯まで冷えていたはずなのに、笑っていた。笑いが止まらなかった。

 澪に引っ張られて走って、夏彦とぶつかって転んで、想汰にタッチして、

 誰かの笑い声が響いていた。

 

 その記憶の中に、急に現実の音が差し込んだ。

 

「入るよ」

 静かな声がして、保健室の扉が開いた。

 

「……お前、ほんとバカだよね」

 椿原澪だった。

 手にはポッカリスエットのペットボトル。無言で枕元に置かれる。

 

「ありがと……」

 声がかすれていた。澪は眉をひそめたが、それ以上何も言わずに椅子を引いて座る。

 

「……あのあと、ちゃんと着替えた?」

「うん、一応……」

「それでこれって、どんだけ免疫ないの」

 

 言いながらも、澪の手が毛布の端をきゅっと引き上げて、肩元を整えてくれる。

 無表情にも見えるが、どこかぎこちなく、それでも優しい所作。

 

「……昨日、楽しかった?」

 ぽつりと聞かれて、彰良は薄く笑った。

「うん。楽しかった。……やっぱ、ああいうのが好きなんだ、俺」

 

 澪は何も言わずに少しだけうなずいた。

 数秒後、立ち上がって「ちゃんと寝とけ」と一言。

 椅子を戻す音とともに、足音が遠ざかっていく。

 

 すぐにまた、別の足音が現れた。

 

「入るね。……おじゃま」

 今度は、日暮夏彦だった。制服のポケットから取り出したのは、小さな録音機。

 

「これ、昨日の昼。ちょっとだけ録ってたやつ」

 再生ボタンを押すと、雑音交じりに笑い声が流れた。

 

「……うわ、俺、すげー騒いでんな……」

「うん、まあ。テンション高かったね」

「バカっぽいなぁ……」

「バカだったよ。ほんとに」

 

 夏彦の声はどこか優しい。

 録音機を止めて、机の上にそっと置くと、彼は彰良の寝顔を見下ろしてつぶやいた。

 

「……おつかれ」

 そのまま背を向け、何も言わずに去っていく。

 音が消え、また少しだけ静かな時間が流れた。

 

 最後に訪れたのは、文蔵想汰だった。

「……もう誰か来た?」

「うん、二人ほど……」

 

 想汰は何も言わずに、ポケットからノートを取り出して椅子に腰掛けた。

 黙々とページをめくり、何かを書いている。

 彰良は目を閉じて、ゆっくりと息を吐いた。

 

(あー、なんか……落ち着くな)

 数分、静かな時間。ペンの音だけが室内に響く。

 やがて、想汰は一枚の紙を切り取って、それをそっと枕元に置いた。

 何が書いてあるかは見なかった。ただ、それが彼なりの“言葉”だと分かった。

 

「……ありがとう」

 かすれた声に、想汰は少しだけ首をかしげるようにうなずき、また無言で立ち去った。

 三人それぞれの訪問が終わったあと、保健室には静けさが戻った。

 

 窓の外を見ると、小さな白い粒が、風に流されて踊っていた。

 雪だった。

 ようやく、空からの贈り物が降りてきた。

 彰良はまぶたを閉じて、小さく笑った。

 

「──今日も、悪くなかったな」

 

───

 

 放課後のチャイムが鳴ったころ、保健室の空気は少しだけ夕焼け色に薄い曇り空が染まり始めていた。

 窓の外には、しんしんと降る雪。午前中よりも粒が大きく、舞うというよりは、静かに落ちてきている。

 

 白い世界が、少しずつ日常の輪郭を塗り替えていく。

 ベッドの上、彰良はまだ毛布にくるまっていた。

 

 熱は下がりきらないが、額の汗は引いてきて、喉の痛みもいくぶんかマシになっていた。

 それでも、体の芯にはまだ倦怠感が残っていて、動こうとするたびにため息がこぼれる。

 

「……もうちょい寝ててもいい?」

 独り言のように呟いたとき──カーテンの向こうから、誰かがそっと顔をのぞかせた。

 

「……もうちょいって言っても、閉められちゃうよ? もうすぐ。」

 その声に、ゆっくりとカーテンが開く。

 現れたのは、椿原澪だった。制服の上からコートを羽織って、白いマフラーを首元に巻いている。

 いつもの整った佇まいのまま、澪は無言でベッドの横に立った。

 

「……お迎え?」

「小橋先生に頼まれて。ついでに……心配だったし」

 

 言いながら、澪はかすかに視線を逸らす。

 彰良は笑って、毛布を払いのける。少しだけ寒気が走ったが、もう歩けないほどではない。

 

「よし、帰ろっか」

 立ち上がるとき、ほんの少しよろけた。

 その腕を、澪がさりげなく支える。

 

「……バカだな、ほんとに」

「うん。言われ慣れてるから、もう傷つかないよ?」

「むしろ褒めてほしいくらいのテンションだったもんな、昨日」

 

 二人は並んで廊下を歩く。誰もいない放課後の校舎。

 窓の外には、まだ雪が降り続いていた。

 靴箱で他の三人と合流するかと思ったが、今日はそれぞれ先に帰ったらしい。

 

「夏彦、なんか言ってた?」

「“あとで録音聞かせるね”って。想汰はメモだけ置いてったよ」

「あー……想像つくな」

 

 くすっと笑って、彰良はふと、上を見上げる。

 昇降口の小さなガラス越しに、空から落ちてくる雪が見えた。

 

「……ねえ、澪」

「なに」

「昨日のこと、後悔してないよ。今日こうなったけどさ」

 

「……だろうな。」

 少しの間があって、澪が答える。

 

「でも、反省はしろよ?」

 その一言に、彰良は苦笑いをすることしかしなかった

 

 上履きを脱いで、ふたり並んで靴を履く。

 ドアを開けると、外はすっかり雪景色だった。

 靴音が、しゃり、と音を立てる。

 雪を踏むたびに響く感触が、どこか心地いい。

 

「……寒いな」

「当たり前でしょ。学ばなかったの?」

 

「学んだうえで、またやるタイプなんだよ俺は」

「タチ悪いな」

 

 軽口を交わしながら、白い息を吐いて歩く。

 校門を出たところで、彰良がふと立ち止まった。

 

「……でもさ、思ったんだよ」

「何を?」

「風邪ひいて、こうして迎えに来てもらって、白い雪のなかを歩いて……なんか、それも悪くないなって」

「……」

 

 澪はそれには何も答えなかった。

 ただ、その横顔を見て、彰良は少しだけ笑った。

 

「だから言ったのに、って?」

「うん。……まあ、ほんとにバカだけど、楽しそうだったから許す」

 

「優しいなあ」

「いつもじゃないよ。今日は特別」

 

 冗談のようなやりとりが、歩く速度と一緒に進んでいく。

 道の途中で、ふたり並んでホットドリンクの自販機の前に立つ。

 

「おごってよ」

「俺はわざわざ迎えに来てやってるんだけど」

「そういう機会でこそ、甘えたいんです」

 

 澪はため息をついて、缶の温かいコーンポタージュを押した。

「……ほら。あったかいうちに飲んで」

 

 受け取った缶は、手のひらにじんわりと熱を伝えてきた。

 それを顔の近くに持っていって、彰良はもう一度、微笑んだ。

 

 雪はまだ止まない。

 でも、それでもいいと思えた。

 

 

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