放課後に、僕らは   作:やまざる

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短編:冬日のミカンは、戦場にて。

 

 日曜の昼下がり。

 橋ヶ谷家のリビングには、ぽこぽこと湯の沸く音と、壁に掛けた時計の針の音しかない。

 

「……ねぇ、楓ちゃん」

「うん」

「この世界に、残りひとつのミカンしか存在しないと仮定したら、どうする?」

 

 コタツの中、互いの足がぶつかるほど近くに座って、橋ヶ谷満作は正面に座る妹に問いかける。

 あぐらをかいた満作の前には、コタツの上にぽつんと転がった最後のミカン。

 

「うん、そういうのもういいから」

「いや、聞いてください。これは思考実験です」

 

「そのひとつしかないって状況を作ったのは兄ちゃんでしょ。さっき一人で三つくらい食べてたじゃん」

「それを言われると僕の立場が弱くなる」

「そもそもこのミカン、私が持ってきたやつ」

「ぐっ」

 

 鋭く静かなツッコミが飛ぶ。

 とはいえ、楓もミカンに手を伸ばすわけではない。なんとなく、コタツの上で互いに手を出さずに膠着している。

 

「この構図は、まるで冷戦構造ですね」

「コタツで言うことじゃない」

 

「ミカンという資源を巡って、絶妙な緊張状態が──」

「兄ちゃん、たぶんお腹冷えてるだけじゃない? さっきから変なテンション」

「違います。これは極めて科学的かつ詩的な戦いなんです」

 

 楓がふう、と小さく息をつく。

 コタツのぬくもりで頬がほんのり赤い。ミカンの香りがほのかに漂う空気の中、兄妹はしばらく沈黙する。

 

「……でも、こういうとき、兄貴分としてはやはり譲るのが筋ですかね」

「そう思うなら譲って」

「いや、でもそれはそれで楓ちゃんがいや、いいよってなるやつでは……」

「ならないけど」

 

 静かで遠慮のないやりとり。

 けれど、満作の声はどこか本気でミカンの価値を語っているようでもあって、楓は思わず笑ってしまう。

 

「兄ちゃんってさ、普通に面倒」

「それは褒め言葉として受け取っておきます」

 

 その瞬間。

 ふと、机の端にあったノートが滑って、みかんにぶつかる。

 

 ぽこん、と。

 最後のミカンが、転がって落ちた。

 

「あ」

「待って、逃げた!」

「やっぱりこの惑星にも意志が……!?」

 

 二人してコタツを飛び出し、床を転がるミカンを追う。

 滑り込んだ楓が先に手を伸ばすが、そこでミカンがぽとりと割れた。

 

 なぜか、真ん中から、きれいにふたつに。

「……えぇ?」

「……あらら」

 

 しばし見つめ合う兄妹。

 

「仕方ないね。これは、神が分け合えと言っている」

「コタツから逃げたミカンに神の意志を感じないで」

 

「……でもまあ、結果的に平和的解決」

「まったく……はい、こっち半分」

 

 手渡された半分のミカンを受け取りながら、満作はにこりと笑う。

 

「ありがとう。じゃあ……この分かち合いの星、いただきます」

「だからそういう言い方やめてってば」

「でも楓ちゃん、笑ってる」

「うるさい」

 

 コタツに戻り、並んでミカンを頬張る。

 窓の外には、冬の光。どこか遠くで風の音がする。

 

「……兄ちゃん」

「うん?」

「来年も、同じことで争ってる気がする」

「きっとそうなるね。だからちゃんと、来年のミカンは楓ちゃんに任せるよ」

「また三つ食べてから言いそう」

 

 コタツの中、二人の足がまたぶつかる。

 そのまま動かさず、ミカンをもうひとふさ、口に運んだ。

 

───

 

 午後三時を回った頃、空の色がじわりと橙に染まりはじめる。

 冬の日の午後は短い。コタツのぬくもりに包まれていると、その流れの速さに気づかなくなる。

 

 橋ヶ谷満作は、すっかり寝入っていた。

 

「……兄ちゃん、寝落ち早いな」

 

 リビングには静けさが満ちている。

 テレビは消えたまま、ストーブもタイマーで止まっている。

 カーテンの隙間から、淡く射し込む冬の日差しが、満作の頬を照らしていた。

 

「ん……うう、惑星が……軌道をずらして……ミカンが……」

 

 何か夢を見ているのか、寝言まで詩的だ。

 楓は呆れたように息をついて、コタツの上の空き皿を片づけた。

 ミカンの皮だけが、戦の名残のように並んでいる。

 

(ほんと、くだらない……)

 

 でも、このくだらなさが、なぜか嫌いじゃない。

 毛布を一枚持ってきて、そっと兄の肩にかける。

 満作のメガネがずり落ちかけていたので、そっと外して畳んで、手近な文庫本の上に置いた。

 

「……あったかそうで、ずるい」

 

 ぼそりと呟いて、自分もコタツに潜り込む。

 兄の寝息と、外からわずかに聞こえる風の音。

 

 すべてが遠くなっていく感覚の中、楓は目を閉じた。

 まどろみのなか、ふと浮かんだのは子どものころ、兄の寝る背中を追いかけた日のこと。

 同じコタツ、同じ毛布、そして、同じような静けさ。

 

(……また来年も、やるんだろうな)

 

 そのときには、今年のこのくだらないやりとりを、笑って「懐かしいね」って言うのだろう。

 そんなことをぼんやり思いながら、楓も、ゆっくりと目を閉じていった。

 

 コタツの中で交差するふたつの寝息が、冬の午後の中に、やわらかく溶けていった。

 

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