放課後に、僕らは   作:やまざる

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晴れ、ときどき、くだらない

土曜の朝は、いつもより少しだけ空気が軽い。

 

白い雲がところどころ擦れた水彩絵の具のように滲み、空の青さも、平日のそれとはどこか違って見えた。

 

午前十時、駅前のロータリー脇、並木の影に差し込む陽の光は、葉を透かして柔らかい緑色を地面に落としている。

 

文蔵想汰は、ベンチの端に腰を下ろし、鞄から折りたたまれた紙を取り出して、慎重に広げた。

 

──地図。それも、紙の。

 

「うわ、本当に持ってきてるし……。それって昭和通り越して、大正くらいじゃね?」

 

後ろから聞こえた軽口に、文蔵は振り返る。そこには、光沢のない白シャツを涼しげに着こなした朝倉彰良が立っていた。紺のスラックスとローファーという、まるでどこかのカフェ店員のような格好で、呆れたように眉を上げている。

 

「いや、別にいいけどさ。道に迷うつもりはないんだよな?」

 

「迷わない。……たぶん」

 

「“たぶん”って時点でもう怪しい」

 

紙地図の上に指を滑らせながら、文蔵はわずかに肩をすくめる。昭和じみた地図の端には、鉛筆で描き足された細い矢印がいくつも見えた。「ここが商店街」と書かれたその一角に、やけに丁寧な丸印がつけられている。

 

そのとき、ゴトンと何かが落ちる音がした。音の方向を見れば、いつのまにか自販機の前に立つ夏彦の姿。缶コーヒーとラムネどちらにするか悩んでいたようだが、結局選んだのはラムネだった。

 

「……朝からそれ?ってか、ラムネが売ってる自販機自体初めて見たわ」

 

「俺も初めて見た。それに炭酸が飲みたい気分だったんだよ。休日だしな」

 

そう言って、日暮夏彦は買ったばかりのラムネの栓を親指で軽く押して開けた。中から飛び上がったビー玉が、涼しげな音を立てて瓶の中に転がる。

 

「子どもかよ」と彰良が茶化して笑うと、「お前が言うな」と想汰がツっこんだ。

 

夏彦はそれに笑いもせず、ただそのラムネを持った手を伸ばして、隣のベンチに座るもう一人の影へと差し出す。

 

「飲む?」

 

「いらない。水筒、持ってきたから」

 

椿原澪は、ひとつ小さく息を吐くように答えた。膝の上にはステンレスのボトルが乗っている。色は淡いグレージュで、彼の服装と同じく、落ち着いた印象を与えていた。白シャツに、淡いニット、足元はシンプルな白のスニーカー。全体に柔らかい色調のコーディネートは、まるで風景に溶け込むようだった。

 

「……それ、今日いる?」

 

夏彦の問いに、澪は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく笑った。

 

「いるよ。暑いし、外で何があるか分からないし」

 

「そっか」

 

言葉は短く、それ以上のやり取りは続かなかった。でも、その短さの中に、どこか心地よい余白があった。

 

四人が顔をそろえたのは、午前十時少し過ぎ。定刻より五分遅れて来たのは予想通り夏彦だったが、誰もそれを責める様子はない。遅れるのが彼で、持ち物が澪らしくて、昭和みたいな地図を持ってくるのが想汰で、茶化すのが彰良であること──それ自体が、すでに「当たり前」として共有されている。

 

「で、今日の予定は?」

 

彰良が腕時計をちらりと見ながら言うと、文蔵が手にしていた地図をくるりと一回転させて、みんなの前に広げた。

 

「まず、駅前の商店街をぶらっと歩いて、そっから北の公園まで。で、最後にここ。喫茶店に寄って、解散ってとこかな」

 

「ふつうにデートプランなんだが」

 

「誰とのだよ」

 

「全員と、ってことでいいじゃん」

 

くだらない会話に、澪の肩がわずかに揺れる。笑ったのだ。

 

「喫茶店、ねぇ。……“喫茶”って響きがもう昭和だな」

 

「行きたいって言ってたの、夏彦だけどな」

 

「うん。ピアノあるらしい。しかも自動演奏のやつ」

 

「……レトロすぎて逆に気になるな」

 

全員の表情に自然と笑みが浮かぶ。

 

「さて。じゃあ行くか。気温もちょうどいいし」

 

「うん……今日は、なんかいい日になりそう」

 

「こら、勝手にエンディングっぽくするな。まだ始まったばっかだからな」

 

文蔵が地図を畳み直し、鞄にしまうと、くだらないやりとりを交わしながら、四人はゆっくりと歩き出した。靴音が舗道に一定のリズムを刻む。

 

駅前を離れ、商店街のにぎやかな通りへ。

 

いつもの教室でもなく、異能力の話題もない。

 

けれど、こうして「どこかへ向かう」ということ自体が、彼らにとっては十分な出来事だった。

 

風がふわりと吹き抜ける。揃った背中が、夏の陽を少しだけ吸い込んで揺れた。

 

──今日も、誰も変わらない。

 

だからこそ、安心して笑っていられた。

 

───────

 

アーケードの屋根越しに、真昼の陽光が透けていた。

 

頭上から吊るされた古びた飾り旗が、風もないのにゆっくり揺れている。四人は、通りの片側に偏って歩いていた。

 

自然とそうなるのは、たぶん互いのペースが揃ってきた証だ。

 

「──よし、まずはここだろ」

 

朝倉彰良が指さしたのは、いかにも年季の入ったゲームセンターだった。入口の横に並ぶクレーンゲームの筐体には、キャラクターのぬいぐるみや菓子の詰め合わせがきゅうきゅうに詰め込まれている。

 

「どこが“まず”なんだよ」

 

文蔵想汰は半笑いで肩をすくめたが、拒否の意はなかった。

 

むしろ、誰より早く百円玉を取り出していた。

 

やる気は充分らしい。

 

「……やるんだ」

 

椿原澪が呟くと、日暮夏彦がくすりと笑った。

 

「どれ狙う? あのクマ、目が虚無ってるぞ」

 

「いや、あれはあれで逆にレアなんじゃね?」

 

「虚無クマだな、虚無クマ。ここでしか見たことないし、多分レアもんだ」

 

くだらない会話を挟みつつ、四人は順にチャレンジしていく。

 

だが、機械のアームは大概こちらの期待を裏切ってくる。想汰の番では、惜しくも虚無クマの体は動いたが、出口の手前で虚しく落ちて行ってしまった。

 

「うおお……あと数ミリだったのに!」

 

「たぶん、その“あと”が永遠に続くんだよ」

 

彰良がやれやれと肩を落とし、代わりに百円を投入した。無駄に精密な手つきでアームを操るが──結果は、景品がゆっくりと傾いて戻るだけ。

 

「おかしいな。物理的には取れてた…これが虚無クマの力…?」

 

「それ、現実逃避って言うんじゃ……」

 

澪が小さく笑って、百円玉を取り出す。

 

「……やってみてもいい?」

 

「もちろん」

 

無言で操作を始めた澪の指先には、妙な集中力が宿っていた。

 

慎重に狙いを定め、アームを落とすと、あっさりクマのぬいぐるみが持ち上がり、そのまま落ちもせず、スーッと出口へと吸い込まれた。

 

「……えっ」

 

一瞬、四人が止まる。

 

「よっしゃ」

 

澪が控えめに言ったその声で、ようやく現実だと分かった。

 

「マジか、強ぇ……!」

 

「なあ、それ本当に初めてとれたのか?」

 

「うん。たぶん、昔から地味に観察してたかも」

 

「……それ一番強いタイプだ」

 

夏彦が真顔で言い、想汰は笑いながら拍手した。

 

「虚無クマ、どーする?」

 

「……あげるよ」

 

澪が差し出すと、想汰と彰良が同時に「おぉ」と反応する。

 

「分割はできねぇしな」

 

「呪いのぬいぐるみじゃねぇんだぞ」

 

「じゃんけん、する?」

 

「じゃんけんだと朝倉が有利じゃない?」と澪が言う。

 

「俺の《オムニバス》を甘く見るなよ…裏の裏をかいて、勝ってみせる」

 

「夏彦はどーする?」

 

「いや、俺は見守る派で……」

 

そんなやりとりを背に、夏彦はすでに少し離れた喫茶店の店先へと向かっていた。

 

ガラス越しに見える、無人のピアノに目を留めている。

 

小さな店で、客もまばら。だけど、ふと誰かが弾き始めそうな気配がある空間だった。

 

「行かねーの?」

 

気づけば彰良が隣にいた。その手には先ほど澪が取った虚無クマ。

 

勝負は彰良が勝ったらしい。後方からは想汰の「うおぉ…」という慟哭が聞こえる。

 

「見てるだけ。……音が、良さそうな気がして」

 

「へぇ、そういうの、あるんだ」

 

興味なさそうな口調に見せかけて、彰良はちらりと中を覗いていた。

 

そのすぐ後ろ、澪が水筒を開けて一口だけ飲んだ。

 

「喉、渇いた?」

 

「ううん。……習慣みたいなもので」

 

「なるほど」

 

敗北のショックから立ち直っていた想汰が頷きながら、なぜか鞄の中をごそごそし──ポケットラムネの小袋を取り出す。

 

「はい、糖分補給」

 

「なんか配ってるし…」

 

「一周まわって小学生だよな、お前」

 

「どっちかって言うと保護者じゃない?」

 

「ラムネって意外と万能なんだぞ? 集中力と記憶力の……」

 

「根拠、あんの?」

 

「たぶん都市伝説」

 

くだらない会話は尽きない。

 

いつの間にか、午後の空気がゆっくりと流れていく。

 

商店街の通りを進んだ先、ふと目についたのは、古めかしい写真スタジオだった。

 

ショーウィンドウには、七五三や家族写真のサンプルが並んでいる。

 

「──あ、写真とか、撮っとく?」

 

想汰がぽつりと提案する。

 

「ここで?」

 

「せっかくだし。今日、別に特別なことないけど……それでも、なんか、こういう日って残しとくと、あとでありがたくなるから」

 

意外と真面目な口調だった。

 

彰良が「なるほどね」と腕を組み、澪は小さく頷く。

 

夏彦は、少し黙ってから言った。

 

「でも、そういうのってさ、撮ろうって言ったときには、もうその瞬間じゃなくなる気がしない?」

 

「……それ、ちょっと分かる」

 

澪が応じると、想汰も「確かにな」と笑った。

 

「じゃ、今日は記念“未遂”ってことで」

 

「未遂って言うな」

 

四人は、写真スタジオの前を通り過ぎる。

 

特に記念の一枚も撮らずに、けれど何かを確かに残したような空気をまとって、次の場所へと向かっていった。

 

───────

 

商店街を抜けてしばらく歩くと、街外れの小さな公園にたどり着く。

 

名前もなければ、これといって遊具もない。あるのはくたびれた小さめの木製ベンチと、少し開けた芝生、そして葉を落としかけた木々だけ。

 

けれど四人にとっては、そこが「なんとなく落ち着く場所」だった。

 

「ベンチ、争奪戦じゃね?」

 

日暮夏彦がぼそっと呟くと、朝倉彰良が「ははっ」と笑う。

 

「お前、それっぽいこと言ったけど、結局座る気満々だな?」

 

「早い者勝ちって言葉、嫌いじゃない」

 

「だったら俺も──っと」

 

想汰がわざとらしく駆け出すと、夏彦もベンチへ小走り。

 

結果、二人がやや窮屈そうに並んで座る形になった。

 

「ほら、ちゃんとスペース空けといてやったぞ」

 

「優しいなぁ、文蔵くん」

 

「譲るってより、“圧”で勝っただけな気が……」

 

椿原澪が苦笑しながら、その隣に腰を下ろす。

 

彰良だけが芝生にドサッと寝転がって、空を仰いだ。

 

「寝転がると、風の音がよく聞こえるんだよ」

 

「ほんとに? ……あ、でも、わかるかも」

 

澪が小さく頷いて、耳を澄ます。

 

風に乗って、木々の葉擦れがかすかに鳴る。遠くで鳥が一声だけ鳴いて、また静かになる。

 

その沈黙のなかで、それぞれが勝手に過ごしていた。

 

想汰はポケットから文庫本を取り出して、ぱらぱらとページをめくる。

 

澪は鞄から折り畳みのメモ帳を取り出し、ペン先で何かを書きつけている。

 

夏彦はといえば、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見たまま、両耳にイヤホンを差し込んで──けれど音楽ではなく、録音したどこかの“音”を聴いていた。

 

「この音、昨日の駅前のやつだな」

 

ぽつりと呟くその声に、誰も突っ込まない。

 

もう慣れている。

 

やがて、彰良がぼそっとつぶやいた。

 

「おまえらさ、だいたい“自分時間”に入るの、早すぎなんだよ」

 

「それ、悪口?」

 

「いや、褒めてんの」

 

「どこを?」

 

「一緒にいるのに無理して話さなくていいって、けっこう稀有だぞ?」

 

言いながら、彰良は腕を組んで空を見上げた。

 

真上にはうっすらと雲が流れている。

 

「でもまあ、こういう時間も悪くねぇな。誰かが喋っても、誰も邪魔しないし」

 

「喋ってるの、ほぼお前だけどな」

 

想汰が本から顔を上げずに言うと、彰良が「自覚はある」と笑った。

 

「俺が黙ると、空気止まりそうじゃん?」

 

「たぶん、それは自意識過剰」

 

「でも否定しきれないのがくやしい……」

 

そんな調子で、ぽつりぽつりと話が続く。

 

無理に盛り上げるでもなく、沈黙に焦るでもなく。

 

会話が止まっても、しばらく誰も何も言わない。

 

それでも、不思議と気まずさはなかった。

 

夏彦がイヤホンを外し、ふっと息をついた。

 

「……この“音”、録っておこうかな」

 

「え、今の?」

 

「うん。人の声がほとんど入ってない“静けさ”って、案外レアなんだよ」

 

「ふぅん」

 

想汰が頷いて、目を細める。

 

「俺は、今日の空を覚えておこう」

 

「写真じゃなくて?」

 

「うん、目で見たまま。……たぶん、そうしたほうが、あとで思い出しやすいから」

 

澪もメモ帳に一行だけ書き足して、そっと閉じた。

 

その背中を見ながら、彰良が言う。

 

「いいな、俺もなんかやろうかな」

 

「え、今から?」

 

「うん、たとえば──大の字で寝転がるとか?」

 

「それ、もうやってたじゃん」

 

「そういう“くだらなさ”を記録するのが、人生の真理だろ?」

 

「真理、軽っ」

 

笑いながら、日が傾いていく。

 

風は少し冷たくなってきたけれど、まだ帰るには早い気がした。

 

「なあ、次どうする?」

 

誰かが訊いたその声に、誰も即答はしない。

 

けれど、それが心地よかった。

 

次のことを、誰かに預けられる安心感。

黙っていても、勝手に続いていく空気。

そんな時間が、ここには流れていた。

 

───────

 

陽が傾きはじめた頃、四人はまた歩き出した。

 

「じゃ、喫茶店行くか」

 

 

「いや、やっぱり次の楽しみにしておくよ。もう一回ここ来た時に行こう」

 

朝倉彰良の声かけに日暮夏彦が答える。

 

「んー。じゃあ本屋いく?駅前のやつ」

 

「いいな。俺は行きたい」

 

行き先は、駅前の書店。

 

大きくも小さくもない、ほどほどの規模。

 

文房具と雑貨も置いてある、少しだけ居心地のいい空間。

 

「ちょっと寄っていこうぜ」

 

誰が言い出すでもなく、自然と足が向く場所だった。

ドアベルが控えめに鳴る。

それぞれがなんとなく、ばらばらに店内を歩き出した。

────

文蔵想汰は、迷いなく文庫コーナーへ。

 

新刊の棚をざっと見てから、背表紙の並びを丁寧に追っていく。

指先が止まるのは、名も知らぬ作家の短編集。

 

──書名の響きが、なぜか少しだけ引っかかった。

知らない物語。触れたことのない世界。

けれど、そこに自分の知らない“感情”がある気がした。

 

「……こういうのって、何で選んでるんだろうな」

 

誰に聞かせるでもなく呟いて、手に取る。

ぱらぱらとめくった頁に、インクの匂いと紙の手触りが染み込んでいた。

───────

 

椿原澪は、静かに雑誌コーナーを巡っていた。

 

料理雑誌、インテリア、最新の時事特集──けれど、どれにも手は伸びない。

彼の視線が止まったのは、店の奥のノンフィクション棚。

「誰かの記録」に触れたいと、ふと思った。

 

歴史書の間に埋もれるように並んだ、ひとつのエッセイ。

表紙には淡い色合いで綴られたタイトルが浮かんでいる。

──『きみに、言葉を送る』

ページを開くと、誰かに宛てた手紙のような文章が並んでいた。

穏やかで、少しだけ痛みを孕んだ言葉たち。

 

「……伝えるって、難しいのに。すごいな」

 

彼の声は、本の中の誰かに向けたようだった。

───────

 

日暮夏彦は、音楽雑誌の棚を通り過ぎ、理工書のあたりで足を止めた。

 

そして、迷いもなく一冊を引き抜く。

『フィールドレコーディングの現在』

難しそうな専門書だが、彼にとっては「日常」の延長だった。

ページを開くと、音の収集方法、録音環境、音質の微細な違い──

その一つひとつに、彼の目が真剣に動く。

 

「このマイク……試してみたいかも」

 

誰に聞かせるでもない独り言。

けれどそれが、彼の中の「確かさ」だった。

「“聴く”ことを、忘れたくない」

そう思いながら、手にした本を静かに抱える。

───────

 

朝倉彰良はというと、店の中央にある特設コーナーをふらふらと眺めていた。

 

「10代に読んでほしい本特集」──キャッチーな帯が並ぶ本棚。

軽くあしらおうとした足が、ふと止まる。

──『やりなおしの人生案内』

表紙には、白いキャンバスに描かれた一本の鉛筆。

思わず手に取って、ぱらぱらとページをめくる。

 

「……なんか、“選び直す”って、ずるいようで、でも羨ましいな」

その言葉に、自分で苦笑した。

 

「俺は選べる側だったくせに、さんざん逃げてたのにな」

 

目を伏せて、ページを閉じる。

けれど、その本は棚には戻さなかった。

───────

 

しばらくして、四人はまた、レジ前でなんとなく合流する。

「お、選んだの? って、夏彦それ絶対読まないやつだろ」

「読む。ガチで読む。読み終わるの三週間後とかだけど」

「遅……」

 

笑いながら、それぞれが手にした本をちらりと見せ合う。

その内容に、特に深い感想を言うわけでもなく、

けれどそれぞれが「らしいな」と思った。

選ぶ本に、他人の理解は必要ない。

ただ、それを選んだ事実だけで、少しだけ相手が近くなる気がした。

 

「……じゃ、そろそろ帰る?」

 

誰かがそう言ったわけじゃないのに、自然と出口に向かう。

背中の、本の重みが心地よかった。

 

───────

 

本屋を出ると、空の色はすっかり夕暮れに染まっていた。

駅前の通りには帰宅を急ぐ人波があって、けれど彼らはその脇道を、歩幅の合うペースで進んでいく。

 

「ふぁ〜……やば、歩き疲れた……」

 

大きなあくびを噛み殺しながら、彰良が伸びをする。

「それ、朝からずっと言ってない?」と、澪が笑う。

 

「実際そうなんだもん。今日、どれくらい歩いたんだろ」

「スマホ見てみたら?」

「いやそれ見たらもっと疲れそうだからやめとく」

 

夏彦はそんな会話の横で、小さく鼻歌を歌っている。

風に揺れる木々の音と重ねるように、その音階はどこか心地よく馴染んでいた。

 

文蔵は何も言わず、背負ったトートの中にある文庫本の感触を確かめる。

今日選んだ物語は、まだ何一つ読み進めていないのに、なぜか「持っているだけで意味がある」気がしていた。

──きっと、それが今日の一日と似ていた。

 

「なんかさ」

 

ふいに、彰良が口を開く。

「こうして、四人でふらっと出かけて、だらだら過ごして、でもちょっとだけ何か持ち帰って……そういうのって、悪くないよな」

 

「“悪くない”どころか、めちゃくちゃ贅沢な時間だったと思うよ」

そう返したのは澪だった。

「別にすごいことはしてないのに、ちゃんと心が動いてる感じ。……うまく言えないけど」

 

「そういうの、ちゃんと“音”になって残るんだぜ」

夏彦が、いつもの調子でぽつりと言う。

 

「今日の音も──ちゃんと、“四人の音”って感じがした」

その言葉に、少しだけ沈黙が生まれる。

 

でも、それは重いものじゃなかった。

柔らかく、風に吹かれていくような静けさ。

歩道橋の下に差し掛かったところで、四人は立ち止まる。

 

ここで道が分かれるのは、もういつものことだった。

「じゃ、また月曜な」

文蔵が軽く手を上げる。

「うん。また月曜」

「またなー」

「明後日は音楽室行こーぜ、空いてたら」

 

それぞれの言葉が重なるのは一瞬だけ。

 

けれど、それはちゃんと「また会える」ことを意味していた。

 

背中を向けて歩き出しても、誰も振り返らない。

振り返らなくても、確かにそこにあった時間は、ちゃんと残っている。

風が、通り過ぎていく。

ひとつの休日の匂いを運びながら。

──きっと、また来週もこんなふうに。

この四人なら、変わらず笑っていられる。

それだけで、今は十分だった。

 

 

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