朝の光が、いつもより少し柔らかく感じられた。 カーテンの隙間から差し込む金色の光をまぶた越しに感じながら、アイリはゆっくりと目を開ける。
夢を見ていた。 けれど、すぐには内容を思い出せない。ただ、額に残るようなぬくもりだけが、現実との境を曖昧にしていた。
「……夢だったよね」
鏡の前で額に指先を当てる。なにも変わっていない、自分の顔がそこにあるだけ。 けれど、ほんの一瞬、光の加減で、そこに“何か”が浮かび上がったような錯覚がして――心臓が、どきりと跳ねた。
「疲れてるのかな……」
小さく息をついて、アイリは身支度を整える。 だがその違和感は、背後に張りついた霧のように、静かに彼女を離さなかった。
◇◇◇
夕暮れ。 アイリは街の小さな図書館に足を運んでいた。
もともと、この手のことを本で調べようと思ったのは、誰かに聞くより確かだと考えたからだ。ユウに尋ねれば、彼はきっと何かを答えてくれる。でも、それは“彼の答え”でしかない。自分の目で確かめたかった。
古い本の棚の前に立ち、埃の匂いと紙の重みに包まれながら、何冊もめくっていく。 神話、伝説、民俗学、幻獣図鑑――ページの中には、思っていたよりも多くの“角”が存在していた。
「ユニコーンの角は、魂の象徴であり、加護の証」
「角を折られた者は、守りを失い、時に新たな形で生まれ変わる」
一文を読むたび、胸の奥がひそかに疼く。
“折る”とは、ただの行為じゃない。
“変えてしまう”ということだ。
「ユウの角を、私が……?」
想像しただけで、冷たいものが背を這った。
ページの挿絵に描かれた、折れた角を抱きしめるユニコーン。 その瞳が、どこかユウと重なるように見えた。
◇◇◇
図書館を出ると、空は淡い群青色に染まりつつあった。 ふと足を止めた公園のベンチに、見慣れた姿が座っている。ユウ。人の姿をしたユニコーン。
「……どうして、ここに?」
声をかけると、ユウはただ静かに微笑んだ。
「きみが来ると思っていたから」
その言葉に、胸の奥がまた強く波打つ。
「ユウ、その角……大切なものなんですよね?」 問いかけた声がわずかに震えていたのを、彼はどう受け取っただろう。
「きみがそう感じるなら、それが真実だよ」
まるで、言葉を濁すような、あるいは選ばせようとするような響きだった。 アイリは何も返せず、そのままベンチの脇を通り過ぎた。
帰宅後、借りてきた本を机に並べ、再びページを繰る。 すると、ある一冊に気になる記述が見つかった。
「角を折ることは、ある種の“儀式”であり、“転生”の始まりでもある」
折ることで何かが終わり、そして始まる――。
「それって、どういうことなんだろう……」
誰に問いかけるでもなく、呟いた言葉が部屋に落ちていく。
ユウの角。 あの角を、折った先に何があるというのか。 そもそも、自分はなぜこんなにもそのことに惹かれているのか。
ただ単にユウが“異質な存在”だからだろうか。 それとも、彼の中に“変わってほしい自分”を見ているから?
思考が絡まり、アイリはふと目を閉じた。ほんのひととき、心を整理したかった。
◇◇◇
その夜。 再び夢の中で、ユウに出会う。
空も地面も存在しない、無色透明の空間。 ユウの額の角が、淡く、呼吸をするように光を放っていた。
「……これは、ぼくのものではないよ」 ユウはぽつりとつぶやいた。
「きみが触れたいと思うのなら、それは……きみのものになるかもしれない」
アイリは、ただ静かに手を伸ばした。 光に包まれたその角に、指が届いた瞬間――ユウの手が、そっと自分の手を包み込んだ。
あたたかくて、切なくて。 まるで、それが“別れ”のように思えてしまった。
目を覚ますと、手のひらにそのぬくもりがまだ残っている気がした。
「触れてはいけない……でも、もう触れてしまった」
誰にも届かないような声で、アイリはぽつりとそう言った。 夜の静寂が、その言葉を優しく包み込んだ。