本当にありがとうございます。
クーラーのガンガン効いた図書館。
壁から染み出すようにアブラゼミの大合唱が聞こえてくるが、程よい音量へと抑えられていた。
午前中は、学校のプール開放に合わせてクラスメートたちに会いに行って泳いできたからか、少し眠い。
快適な環境と、程よいセミの声が子守唄となって少年の意識を揺らす。
思えば、こないだカスなお姉さんと海に行ってから約一週間。
ずっとお姉さんと遊び倒していて、こうして静かな午睡というのは久しぶりだった。
やれ駄菓子屋のお菓子制覇だの、やれキャンプに行きたいだの、向日葵しかない畑を見に行きたいだの、やれ8月だけど蛍を見たいだの。
お陰様で絵日記のネタに困らないのは嬉しいけれど、少年だって一人の時間は必要だ。
「ふぁ…」
うつらうつらと、自由研究のプリントを前に船を漕ぐ少年に、後ろから忍び寄る影があった。
「むふ、ぐふふ…やー、やっぱ少年ってビジュいいよね。女の子って感じでもないんだけど、超可愛い。将来有望で捗るなぁ」
言わずもがな、カスなお姉さんである。
カスなお姉さんはカスらしく、無駄に気配を殺して忍び寄る。
その顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女は、バレないように匂いを嗅いで、プールの塩素の匂いと汗の混じった香りを肺いっぱいに息を吸い込むと、少年の頭が机に落ちる直前に、耳をはんだ。
「はむっ」
「───っ!?!?!?」
赤面。
そして、言葉にならない悲鳴。
未成年に性的羞恥を覚えさせるとかいう所業は普通に犯罪だった。
未成年に対してやらかしていい所業ではない。
ここにカスなお姉さんの幼馴染がいたのなら、まず間違いなく顔面に拳をめり込ませるどころか、カスを通り越してゴミだなと吐き捨て、地面に兎ごと沈めていたことだろう。
妹が見たらドン引き間違いなし。
姉さん事件です。
というか、姉さんが事件です自首してください気持ち悪い…というセリフすら飛び出る可能性があった。
「お姉さんのおバカ!!!!」
「でへへ、いやぁそれほどでもあるよね」
だというのに、涙目で頬を膨らませる少年に嗜虐心を刺激されてニヤニヤするカスなお姉さんはやっぱりカスなお姉さんだった。
図書館を追い出され、裏の公園でカスなお姉さんを説教をする少年は、ようやくおさまってきた心臓を撫で下ろし、呼吸を整える。
なにせこのカスなお姉さん、動揺する少年の隙をついて耳の中に舌まで入れてきたのだ。
少年の心臓はそれを平常に受け流せるほど朴念仁ではなかった。
というか、カスなお姉さんは通報されてないだけ本当に感謝しないといけないということを自覚するべきだ。
「むしろあそこで踏みとどまったお姉さんを褒めてほしいよね」
「誰がほめるんですか、誰が。…というかあれ以上何をするつもりなんですかね…」
仮に通報されると、世界中が探している世紀の大発明者にして世紀末な犯罪者様が、少年に痴女って捕まるとかいう、最悪なオチすらつくところだったのだ。
やっぱり本当の本当に少年の優しさに感謝して欲しい。
そして反省して欲しい切実に。
「まぁ、それはもうぐっちょんぐっちょんに…なんて話は置いといてさ」
「おいておけない…」
「花火しようぜ、少年!」
サムズアップするカスなお姉さんの顔に一片の悔いもない、晴れ晴れとした笑顔を認めた少年は、ああこの人って反省とか出来ないんだと、諦めたように首を振った。
「───うっひょー!スターバースト・ストリームだぁぁぁぁああ!」
夜闇に光が零れ落ちる。
赤青黄色、緑、ピンク。
カスなお姉さんの操る二本の細い棒の先から飛び出してくる光の粒は、線を描いて夜を彩る。
カスなお姉さんいわく、違法改造線香花火という名前らしく、電ノコみたいな機械的な音ともに光が発射されているせいで、風情はあまりない。
この人はたぶん、イベント事を知識として持ってるだけで、なんで人がそこに惹かれているのか…みたいな部分は理解できていないのだろう。
「おーい少年!ほら、こっちこっち!次は違法改造ロケット花火を打ち上げるよ!」
「…それ、大丈夫なやつですか?」
「これはねー。結局何発もうつのまどろっこしいし一発でよくね?みたいなことを考えたカスなお姉さんが作った、一撃で百発花火になる花火玉だよ!ものすごい音が出るからね!撃った瞬間逃げるよ!!!警察来るから!」
「だめじゃないですか!」
悲しい生き物なんだこのお姉さん…。
と、暗闇の中なのをいいことに思いっきり哀れんでいたら、人類の最高到達点なお姉さんにあっさりバレて、お仕置きと称して思いっきり対面座位の姿勢でハグされたのだけど、少年はその記憶を丁寧に消すつもりだし、もはやもう覚えていないと言っても過言ではなかった。
過言かも知れないけど、早めに忘れようという努力だけはあった。
「あははは!やばいやばい!夜空キレ〜!」
「けっ、け、け、警察来てますお姉さん!」
「ひゃっほー!逃避行だ!どこまでも行こうね少年!私と君なら宇宙の果てまでいけるよね!」
とんでもない状況なのに、カスなお姉さんの笑顔から少年は目が離せない。
綺麗な笑顔の向こうで花火がもう一度炸裂して、夜空に極彩色がぶちまけられる。
パトカーのランプすらも、眼の前のお姉さんの魅力を後押ししてるかのようだった。
どうしてか高鳴って仕方のない胸を抑えて、顔を真っ赤にする少年は、その日───。
「お姉さん…」
「ん?どうした?」
「カゼひいたかもです…」
「あちゃー!少年にはちょっと夜遊びは早かったかー!」
風邪をひいた。
もしかしたらそれ以外かもしれなかったけれど、それをわかるほどまともに大人をしている関係者は存在しない。
子どもと子どもよりも他人への機微に疎いかなしきモンスターのコンビには、色恋はまだ早かった。
少年は、カスなお姉さんと顔を合わせれるようになるまで数日を要することになる。