「むにゃむにゃ、もう食べられないよ…」
「ほんとは起きてませんかそれ」
「ネテルヨ」
「そうですか…」
素直な少年は、言葉を飲み込んだ。
寝てると言うなら寝ているのだろう。
別に起きてようが寝ていようが、少年には関係ないのだ。
なにせ今、少年は宿題の算数ドリルに忙しい。
それに今日は普段自分を預かってくれている教会ではなく、校外学習の一環で地元から少し離れた農家のおじいさんの家に泊めてもらっているのだ。
あまり時間を無駄にするのは失礼というものだろう。
勝手についてきて勝手に家に上がり込んで、惰眠をむさぼるカスなお姉さんは礼儀とかまったく気にしていないようだけど。
…たまに少年はカスなお姉さんが羨ましくなる時がある。
ここまで他人を気にしない性格なら人生楽しそうだな、と。
もっとも、時々カスなお姉さんがすごく寂しそうな顔をするのを知っている少年が、実際に口にすることはないのだが。
さて。
うんうんと頭を悩ませているうちに、だんだんと集中力が落ちてきた少年は、眼の前で狸寝入りするカスなお姉さんとの出会いを思い返していた。
少年とカスなお姉さんの出会いはそれなりに最悪な部類だったように思う。
カスなお姉さん。
そう呼ぶにふさわしい、初対面の傲岸不遜で唯我独尊。
我こそが孤高で至高と言わんばかりの全てを睥睨するお姉さんだったのなんて、ほんの一瞬しかなかったのだけど。
それでも、やはりカスなお姉さんはカスなお姉さんだった。
●
少年に親はなく、親代わりのように優しくしてくれた誰かは少年の眼の前で命を奪われた。
他にも重大な秘密を抱えていた少年が、世界にたった一人の友人を除けば孤独だと感じるようになるまで、そう時間はかからなかった。
クラスメートとはうまくやれている、はずだ。
少なくともいじめられるようなことはないし、給食の時間にいっしょに食べてくれる程度には優しいクラスメートたちに囲まれている。
でも、会話にはついていけないし、なんだかセイシンネンレイってやつのちがいを感じる。
少年は家に帰っても宿題をしなさいとしかってくる口うるさいお母さんもいないし、ビールを飲みながら野球中継を見るためにテレビを独占するお父さんもいない。
自分のおもちゃを勝手に使ってる弟も、理不尽に拳で黙らせてくる姉もいない。
賑やかなはずの教室は、いつだって少年からすれば遠い世界のような、孤独の象徴だった。
じゃあ逆に、同じく親をなくした孤児院の子どもたちはどうだろう。
こちらもまた、少年の人に話せない秘密のせいで素直に心を開けずにいた。
自分よりも幼い子どもたちの遊び相手をして、自分より年上のみんなのために家事を手伝う。
忙しくしていれば孤独を忘れられるのはいいけれど、結局のところ本質的には何も変わらない。
シスターは優しいけれど、それは皆にだ。
だから、というわけでもないのだけど。
少年は友達といっしょに、定期的に孤児院である教会を抜け出していた。
皆と一緒にいるときの孤独より、最初から一人な時間のほうが気楽だったのだ。
決まって少年が足を運ぶのは街が一望できる丘の上だった。
街の光は遠くて、いつもより
少年はそこで、友人と宇宙に向かって届くあてもないメッセージを飛ばすのが好きだった。
届けばいいな、という気持ちと。
届かないからこそ言える言葉と。
少年にとって宇宙とは、自分の孤独をただ受け止めてくれる優しい存在だった。
でもその日は違った。
受け止めるどころか、空が落ちてきたのだ。
『はぁ、あーあ。がっかりだよ。正体不明の電波受信したから暇つぶしになるかと思って見に来たら…ただのガキじゃん。損したー。あーあ、ほんと。束さんの時間を浪費させた罪は重いよ?わかってんの?わかってないんだろうね、呼吸以外何ができんのって話だよ。その絞りカスみたいな脳で、私の暇を潰すくらいのおもちゃにはなってくれるんだよね?それが私の出す無罪放免の条件だけどどうする?』
眩い光とともに少年の眼の前に着弾したにんじん型のロケットから出てきたのは、カスなお姉さんになる前の刺々しい天災で、その物騒な月の兎は吐き捨てるようにそう言った。
あまりの理不尽な展開を前に、思わず少年は胸元に友達を抱きしめて、一歩下がる。
『…は?おいおいおい、そんな
宝物を壊れたラジオ呼ばわりされて、普段あまり感情が表に出ない少年の眉根がよる。
『あなたは、だれですか』
『誰でもよくない?好きに呼ぶといいよ。愚かなお前から呼び方なんて、気にしないし』
『……カスなお姉さん』
『……………いい度胸だね。罰としてその友達、中身覗かしてもらうから』
───少年は次の瞬間気絶していて、目がさめた時には眼の前でお姉さんが土下座していた。
一体どうしてそうなったのかはわからない。
わかるのは、あのお互いの第一印象が最悪な出会い以来、交流を重ねるうちにカスなお姉さんが優しくなったことと、丸くなったこと。
なにやらこないだは普通に駄菓子屋のおばちゃんと仲良く話していたし、今日だって農家のおじいさんと普通に話していた。
刺々しいあのお姉さんよりも、少年は今のカスなお姉さんのほうが好きだった。
「うーん、今少年に告白された気がする」
「寝言は寝て言ってください、カスなお姉さん」
「残念…夢か…」
「それより、おじいさんがスイカ冷やしてくれているそうです。カスなお姉さんもどうですか?」
「食べるー!…むふっ、ちなみに少年知ってる?スイカの種はちゃんと吐き出さないとだめなんだよ!飲み込んだらおへそからスイカの芽が出てくるからね!」
「えっ」
もうすぐ夏が終わる。
ひぐらしの声が、縁側で並んでスイカを食べる二人の耳に哀愁を届けてくる。
蚊取り線香の煙が、涼やかな風に揺れる。
夕焼けに燃える山を見ながら、少年はカスなお姉さんと競うようにスイカの種を吹き出した。
「やったー!100メートル飛んだ!」
「やば…」
まだまだ大きい向日葵が、やがてどちらともなくお互いにもたれ合うように目を閉じた二人を優しく見守っていた。
ゆるゆる原作前パートも終りが見えてきました。
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