砕けた鉄の拳は自由な海を切り拓けるか 作:ハグルマンJP
「私物ってこんなもんだったんだなぁ……」
ジークは自室の整理をしていた。もともと殺風景な部屋で、不必要な物はほとんどなく、私服も数着程度しかなかったので、整理をした後はまさに伽藍洞という言葉が適切な表現となっていた。海軍の制服、コート、制帽、それらは全てここに置いていくもので、それを除いては、持ち出すものを詰め込んだ大きめのボストンバッグがあるだけ。穏やかな潮風が、換気のために開け放たれた窓から吹き込んで、『正義』の二文字を優しくなびかせている。ジークは、その二文字を少しにらんだ。大層な二文字のわりに、結局その定義は人それぞれで一つの組織の根本原理でありながら常に対立し、揺らいで動く。だというのに人としての性なのか、どうにもその二文字を信じてしまう。確かにそこにあるはずなのだと、答えが出るはずなどと傲慢にも思ってしまう、そんな二文字。ジークが結局脱ぎ捨てることを選んだ二文字だった。
「……海に生きる男なんだ、こんなもんさ。吹き飛んでなかったことをよかったと思うべきさ。」
気持ちを切り替えて、もう一度自分の部屋に目を向けて、そう結論をつける。船の上でずっと生きてきた。地面の上よりも、もしかすると海の上の方が過ごした時間はずっと長いかもしれない。そんな男が荷物が少ないことも、ゆらゆらとふらふらと何処かを求めて彷徨うことも当たり前のことだと納得する。納得させる。あの戦争の余波で部屋が荷物ごと無くなっていなかっただけマシだと、そう思うことにしたのだ。そうして、二度と立ち入ることはない自室に、背中を向けてドアを開けた。
「バタバタしてんなぁ……」
海軍の体制が変わりつつあると同時に、海賊の動きは更に活発化するばかり。あの「白ひげ」の死に際にはなった一言は、ゴールド・ロジャーの遺言に相当する激震を世界に与えた。まさに、第二次大海賊時代の幕開けだ。有利であるはずの海軍本部マリンフォードでの戦争で、実質的な引き分けとなってしまった結果、更にその火に油を注ぐ形になり、大炎となった。傷の癒えきっていない海兵を除いて、世界を引っ掻き回すレベルで海兵が投入されて事態の鎮静化を図っている真っ最中といえる。半壊し、未だ修復中の海軍本部の廊下にも駆け回る海兵が多かった。
「悪いことしてるねぇ……ホント……」
彼らと『無関係』になった、ジークは人の波に逆らうようにふらふらと歩きだす。そんな中、見知った海兵が彼の顔を見つけて大きく目を見開いてこちらに駆け寄ってきた。
「ジーク准将!!!!」
「おぉ、コビー君。見分色の覇気のせいで倒れたって聞いてびっくりしたよ。」
その海兵は、同じガープ中将の弟子のひとり、コビー曹長である。彼はあの戦争で「四皇」赤髪のシャンクスをして、貴重な数秒を稼ぎ海兵の犠牲を減らした勇敢なる停戦の立役者である。彼は、兄弟子であるジークにきらきらとした目線を向けていた。
「いやぁ、まだまだダメで……全く制御も効かなくて……」
「急に覇気に目覚めた者は皆そういうものだ。私はそうじゃなかったから、いいアドバイスはできないけれど……また訓練に……あ……」
いつものように、弟弟子を訓練に誘おうと思って言葉を紡ごうとした。だが、途中で口ごもる。ジークはここを出てしまったらもう二度と、海軍の敷地は跨げない。コビーに、教えることはできない。
「ジークさん、辞めるんですか……?それで私服……?」
コビーの制御できていない見聞色は、ジークの心の内を鋭敏に察知したようだった。見聞色の覇気に目覚めたばかりとは思えないほどの驚異的な精度に、驚きを隠せなかった。そして同時に、黙って出て行こうとしていたというのにそれももう出来ないという事がハッキリと分かってしまった。
「目覚めたてだってのに凄い見聞色だねぇ、君は。流石はガープさんが連れてきたニューホープ!」
びしっと親指を立てるジークに対して、コビーは強烈に突っ込んだ。
「話をそらさないでください!」
「あ、バレた?」
「あからさますぎです!」
ジークはボリボリと頭を掻く。話題をそらそうとしていたというのに、逆に戻そうとしてくるとは、彼はまじめが過ぎる。本当にあのガープの弟子なのかと疑いたくなるくらいだ。自分も真面目な方だということは棚に上げて。
「まぁ……辞める。それは決定事項。あと一応、一日中将として、辞める。」
「中将!?昇進してるじゃないですか!」
「ガープさんが一応昇進だけは受けてから辞めろってうるさくてね。私もそんなのアリかよとは思ったけどねぇ」
小声で話しながら両の手のひらを天に向けてやれやれとポーズをとる。口にすると余計に意味が分からなくなってくる。本当にあの人中将か?ガキ大将のままデカくなってるだろと何度口にしようと思った事かと懐かしい気持ちになる。
「せっかく中将になれたのに……」
海軍大将になるという彼の夢からすれば、中将という階級は、夢の一歩手前といったところだ。だからこそ、その階級の重みを知っている。だが、それでもジークはその重みを背負えないと思ってしまったのだ。
「生憎と、中将という『格』に私の心がついていけなくってね……。まぁ~……海軍としての生活も長かったし、ちょいと早いけどリタイアしちゃおうかなってさ。」
空元気で笑っていると、廊下の奥、後ろの方から強烈な気配を感じる。見聞色の覇気など使わなくたってわかるほどの強烈なプレッシャーだった。
「おい……どういうつもりだい……!」
周囲の海兵がプレッシャーのせいで動きが止まる。まるで女傑が海を割るように廊下をずんずんと進んでくる。
「あっちゃぁ~……」
ジークは額を手で抑える。ガープ中将を除いては、今もっとも出会いたくない人物だったからだ。まさか今日この海軍本部に来ていたとは全く予想していなかった。
「ど、どうも……ドールさん……」
情けない愛想笑いを浮かべて手をひらひらと振って挨拶をする。次の瞬間、彼は襟首を掴まれて壁に押し付けられていた。
「さっさと説明しな……私の気がかわらない内に……」
とても怒っている。かつてない程怒っている。無茶をして死にかけたとき以来、いやそれ以上といってもいいレベルで、お世話になった先輩がハチャメチャに怒っている。自分よりも背が小さいはずの彼女の見掛けからは信じられない膂力があふれている。
「……もう、自信をもって正義を背負えなくなった。それだけです。だから、ここを出て行かせてください。ドールさん。」
「本気で言ってんのか……あれだけ本気で人を守ることに『命』かけてた男の台詞かい!」
「その守るべき命の価値が!俺とこことで違うから悩んでんでしょうが!」
思わず怒鳴ってしまった。センチメンタルな気分だったからか、過敏な反応をしてしまったことに、目をそらす。だが、ジークを見つめるドールの目はぶれていなかった。
「だからってここ出るってことに繋げなくてもいいんじゃないのかい……!アンタの師匠のガープみたいに自由にやれるくらいになっちまえばいいじゃないか!」
「ガープさんですら、本当に自由なわけじゃない……!貴女だって分かってるはずだ!俺はもう……命を選ぶような真似するのはこりごりだ……!」
本当は言い訳も入っていた。ジークは器というものを分かっている。何より覇気というものがそれを示している。ジークには、覇王色の覇気はない。ロジャー含め、真の意味で強大な海賊はほとんど持っているその覇気を持ち合わせていないことは、それに並び立つ『王』の器ではないということを証明しているのだ。つまりは、ジークはガープ未満にしかなれないと、少なくともジーク本人はそう思っていた。そして、そのガープですら、天竜人には逆らえない。四皇から縄張りとされている島を解放してやることはできない。無断で動き、戦えるといっても本来海軍として踏み切るべき一線を越えられないのだ。結局のところ、ガープにすらなれない木っ端海兵が譲れない正義を守るなどというのは戯言にしかならないのだ。
「……表、出な。」
「表って……海兵同士で私闘なんてご法度じゃないすか……」
「辞めんだろ、海兵。だったら私がやるのは一般人とのしばき合いだ。」
「コビーくぅん……あとでご飯奢るからドールさん止めてぇ……」
ジークの煮え切らない態度を見透かされて、ドールは実力行使に出るようだ。困ったことがあったら取り敢えず拳で語り合って、そこから考えるというのは少しでもガープ中将に薫陶を受け、育てられ、共に戦った海兵にはよくある話だ。そういうわけで、私闘厳禁というのは建前上というわけでもないが、敢えてこう呼ぶならガープ系列の海兵はよく破るルールで、私闘を止めるために今から引き合いに出してもドールを止められるはずはなかった。だからこそ、ジークはコビーという先輩うけがいい後輩を鉄砲玉にしようとしたのだ。
「コビー……アンタも見ておきな。中将クラスが全員覇気使いってのは知ってるね。」
「えっ、あっ、はい!」
「いいものが見れるよ。悪魔の実の能力者であり、あの英雄ガープをして、大将『青雉』の後釜として推され続けてきた男……もっとも、ガープから離れたくねぇのと、度重なる命令違反と無茶苦茶で中々昇進できなかったが……『鋼拳』のジーク、鋼鉄の英雄と、海軍本部中将の私の戦いなんだからさ。覇気の使い方の参考にするといい。」
「うわぁ……!!!!」
いかん、こりゃぁダメだと内心でため息をつく。コビーの目が完全に憧れの海軍将校たちの戦いぶりを見る目になっている。こうなったら誰も助けには入ってはくれまいだろう。これでは数少ない私服の一つがダメになってしまいそうだが、仕方あるまいと、今日何度目かの納得を無理やりする。
「分かった……分かりましたよしょうがない……少しだけですよ……」
いつの間にか離されていた襟首を整えて、ドールの目を真っすぐ見つめる。いつ見ても、この人のまなざしは優し気で、強くて、そして美しいなと、戦うはずの相手に対して、ジークはぼんやりとそう思っていた。