曇った空の下、墓石が静かに並んでいた。
どこかの霊園か、はたまた寺の裏手の墓地か。
しっかりと確認する気力もないが、そんなに大きな違いもないだろう。
人気もなく、灰色の占める割合が多い光景であることは確かだ。
なぜ自分がここにいるのか、見当もつかない。
何か、大切な事があったような気がしたが、それももう、分からない。
けれど、妙に落ち着いていた。焦りも悲しみも、なぜか湧いてこなかった。
ただ、とてつもない疲労感と喪失感だけが、体の奥に澱のように残っていた。
思考も情動も、さび付いたように動かず、世界が止まっているようだ、なんて陳腐な表現がよく似合った。
しばらくして、ふと気づく。
自分の呼吸の音がしない。
吐いても吸っても、何も変わらない。肺が動いている感覚もない。心臓の音も、脈も、まったくない。
……だからといって、別に何というわけでもない。静かでありがたい、そんな程度だ。
倦怠感の促すまま、地面に腰かけ、石畳を眺めていると、上から声が飛んできた。
「ねーねー、そこの無気力くん、聞こえてる?」
反射的に顔を上げると、白いワンピースの少女がこちらを見ていた。
「……え?」
「わ。ちゃんと反応した! もしかして新人くん?」
目が合うと、少女はにぱっと笑った。
この場所にはあまりにも似つかわしくない、明るい笑顔だった。
「えっと…」
「私は幽霊だよ。たぶん、君も。」
なるほど、そうか。幽霊なのか……なるほど?
つまり、僕は、死んでいるのか。
「あっ、今『実感わかね~』って顔したでしょ?うんうん、最初はみんなそうだから」
彼女はひとりで納得したように、したり顔で頷いている。
「じゃあ決まり。今から君は“後輩くん”で、わたしが“先輩”。よろしくねっ」
気づけば、勢いよく手を取られていた。
自己紹介も何もないままに、いつの間にか先輩ができてしまったようだ。
状況はさっぱりだったが、不思議と嫌な感じはなくて。
灰色の中で、彼女のまとう白だけが、やたらと輝いているように見えた。
「先輩になったからには、早速いろいろ教えてあげる!」
ハイテンションに僕の手を引いて、彼女は歩き出そうとした。
が、動かない。
「…えぇ~」
信じられないものを見るような目で彼女が振り返る。
もう一度手を引かれる。
すると、今度は僕の体が少しだけ引きずられた。
「…無気力過ぎない!?」
声のボリュームが一段階上がった。この子、元気だな。
「ふつう、こういう風に手を引かれたら立ち上がってついてくるものでしょ!?」
そういわれても困ってしまう。
「待ってくれ。これにはわけがある。」
「なに、後輩。言い分によってはつねるよ?」
「疲れているから動きたくないんだ。」
「……はい、アウト。ほっぺ出しなさい」
そう言いながら、実際には軽く頭をペシンと叩かれた。
つねるって言ったじゃん、と文句を言いたくなるけれど、それより先に彼女が話を続ける。
「ともかく。今みたいに、幽霊同士は普通に干渉できるけど、物には基本触れないからね」
そう言って、彼女は近くの石を拾おうと手を伸ばす。
けれど、彼女の指先は石をかすめることもなく、するりと通り抜けた。
真似して地面に手を伸ばしてみたが、やはり指先はなんの手ごたえもない。
まるで最初から何もなかったかのように。重さも、音も、感触も。
「……ほら、こんな感じ」
彼女は肩をすくめる。まるで日常のちょっとした失敗みたいに、軽く。
けれどその動きが、妙に印象に残った。
「幽霊ってね、生きてる人には見えないし、声も届かない。物も、触れない。制限だらけ。」
先輩はまるで冗談みたいに言うが、その言葉には実感が伴った重みがあった。
「世知辛いんですね、幽霊って。」
「すっごい他人事!」
…いや、確かに自分も幽霊なんだけど、未だに実感が追いついていないのだ。
「まあ、確かに世知辛いよ。でもね、慣れると結構面白いんだよ、幽霊!」
彼女は胸を張る。まるで一切後悔はないとでも言うように。底抜けに明るかった。
「幽霊未経験でも、いまなら優しい先輩がなんでも教えてあげます!」
急に不安になってきた。恐らくわざとではないのだろうが、そこはかとなくブラックな香りがする。今にもアットホームな職場です、とか言い出しそうだ。
「今のところ、聞いてていいとこ一つもないんですけど。幽霊、やめていいですか?」
「それは君が私の出鼻をくじいたからだよ! ていうか、幽霊って“やめよー”って言ってやめられるもんでもないから!」
うん。この子、面白いかもしれない。表情がころころ変わる。
「あーもう。調子狂うなぁ」
「僕は調子出てきました」
「とにかく! 今から後輩くんに幽霊の楽しみ方を教えてあげる! じっとして悩んでもしょうがないんだから! 人生楽しんだもん勝ち!」
ああ、この人は、僕を元気づけようとしてくれていたのだな、と感じた。生前から、とても優しい人だったのだろう。
「先輩」
自然と口角が上がる。先輩もまた笑顔になった。
「なあに、後輩くん。私を尊敬する気になった?」
「僕たち幽霊なので。人生じゃないですよ」
さっきより強く叩かれた。
くすぐったくて思わずごまかしてしまったけれど。
彼女はどこまでも輝いていて、確かに力を与えてくれた。
止まった世界が、また少しだけ動き出したような気がした。
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