キミのいない腐り切った世界に、漬物石くらいデカい一石を投じたい。 作:Ruka(るか)
-1- 俺しかいない独りきりの部屋に、漬物石なんて置いてあるはずがない。
「⬛︎⬛︎はさ、将来何になりたいの?」
目も眩むような晴天の下、夏が似合う少女はいつも楽しそうに…
夏空よりよっぽど眩しく、きらきらと笑っていた。
俺のいる日陰の下と、少女のいる日向の下は、お互いに異界みたいで__もう少しで手が届きそうなのに、どこまでも遠い。
「そんなの分かる訳ないだろ、まだ俺は小学生だし。」
だから日差しを遮る木陰の下、夏なんて絶対に似合わない俺は決まってそう答えたんだ。
日焼け止めの匂いを漂わせて、季節外れの長袖で。
でもその日は珍しく少しだけ、彼女に笑ってほしかった。
とはいえ俺は口下手で、何を言って良いか分からないまま「そっちこそ何になりたいんだよ」って、ぶっきらぼうな態度のままで聞いたんだっけ。
「私はね、みんなを助けられるような……」
荒唐無稽な夢を語っているとは思えない少女の自信ありげな笑顔も、それに答えて「頑張れよ」なんて言いつつ焦った心情も、へばりつくようなTシャツの湿り気も、生温く頬を撫でた夏の風も、全部全部鮮明に覚えてる。
いいや、違う。「覚えてる」なんて生優しい物じゃない。
ただ胸の奥に染み付いて、俺の中から消し去れないだけだ。
でももしかすると、それすらも俺の錯覚で__実際には、残しておく為に必死なだけなのかもしれない。
(あー…嫌な夢、見たなぁ……)
七月十二日、木曜日。夜中十一時半、布団の上で目を醒ます。
昼夜逆転の生活を送っている俺としては、こんな時間になっても何かをする気力なんて起きない。
する事と言えば毎日毎日毎日毎日、無駄にただごろごろと寝転がっているだけだ。
それでも今日は瞬きの時、妙に瞼が張り付いて気分が悪い。
思わずぐしぐしと軽く拭うと、薄黄色いべたべたとした物体が手についた。
(……泣いてた、のか。俺。)
あれは俺の過去じゃない。俺に友達なんて、ましてや女子の話し相手なんて、今まで一度もいた事がないんだから。だから、俺の過去である筈はない。
とは言えあんな最悪な夢を__キラキラして夢に溢れた人間を__見たあとだし、仕方ないと言えば仕方ないか。
そう思ってもう一度寝転がろうとするが、やっぱり気持ちが悪い。
まぁいくら俺が引きこもりでも、目やにまみれの顔で生活する趣味はないって事だな。
少し面倒だけど、顔でも洗いに行くか。ついでに、何か朝食__いや、時間的には夜食か__でも、何か適当に腹に入れれば、もう一度何も考えずに眠れるだろうし。
そう考えてのそのそと階下に降りると、母親と目が合ってしまった。お互いにふいと目を逸らし、母親は二階へ上がって行く。振り向きもせず、俺の真横を通り過ぎて。当然、俺も振り向かない。
パジャマ姿だし、もうすぐ寝るんだろうか。正直どうでもいい……そう内心で思ってしまうぐらい日常的に、俺達の間に会話はない。
両親は俺に学校へ行けと言うのを諦めたし、俺だって両親に理解してもらうのを諦めた。
ふと食卓を見れば、ラップの掛けられた皿が机の上に鎮座している。こんな俺なんかを生き延びさせるため、と考えればありがたいと思わなくもないが、むしろ滑稽だという印象が勝ってしまう。
そんな訳で。
この家の状況を一言で表すとするなら、目の前の皿と同じ__“冷え切った”という表現が一番しっくりくるだろう。
(__俺の、せいだ。)
それでもなんとか洗面所に立つと、変わり映えのしないもやしみたいな体格の上に乗っかった俺の顔がこちらを見返していた。
三白眼気味で怠そうな目の下のクマは、今の気分とは真反対に健在な様子で何よりだ。まぁ見た目に与える印象としては、俺の立場にちょうどいいのか。
そう言えば伸び切ったマッシュカットもボサボサで、いかにも野暮ったい。
まさしく、引きこもりって感じだな。
(本当に__何のために生きてるんだろうな、俺は。)
自嘲気味にそう考えてみても、答えなんて出ない。出るはずもない。
ただ底なし沼のようにずぶずぶと、ハムスターの車輪のようにからからと、底に沈んで空に廻ってを繰り返すだけ。
バシャバシャと勢いよく顔を洗うと、ようやく人の形に戻った気がする。
それでもやっぱり、俺は人間とは言い難い。
寝て、起きて、寝て、起きて、寝て起きて寝て起きて寝て起きて寝て起きて__その無限に近い繰り返しで、日々を無為に消費し続けるだけ。
朝陽が何度登ろうと、夕陽が幾度沈もうと、分厚いカーテンで作り上げた牢獄の中で冷たい液晶に釘付けな俺が、それを見る事はきっともうない。
そう、思っていた。
十七回目の七月十三日、悪夢のようなあの金曜日が来るまでは。
そうして、俺はまた眠りに就く。
何もしないまま歩みを止めて、何もできない振りをして。
そうすればきっと__もう、苦しいなんて思わなくて済むから。