『サンデーサイレンス、海外へ』(月刊トゥインクル)
『破壊者、アメリカへ逆輸入』(ダートマスター・ジャパン)
『サンデーサイレンス、米三冠を表明“今度は本場で”』(民報日本)
『
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羽田空港、国際線ターミナル。
朝の光が、巨大なガラス窓をゆっくりと滑り落ちるように差し込み、出発ロビーを淡く照らしていた。冷たい床には人々の影が長く伸び、機械音声のアナウンスがその合間を縫うように響く。
行き交う人々の中に、ひときわ目を引く存在があった。
黒髪のウマ娘。無遠慮な立ち姿で、チェックインカウンター近くの柱にもたれ、口の端を吊り上げながらガムを噛んでいる。
サンデーサイレンス。
その眼差しは、飾り気ひとつないまま、じっとこちらを見ていた。
彼女とともに向かう先は、アメリカ。ダート三冠レース。
ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス。
……帰国は、おそらく6月中旬以降になる。
約3ヶ月。
それはウマ娘としての挑戦であると同時に、自分たちが何者なのかを世界に問う旅でもある。
サンデーは俺をみて、サンデーはゆっくりと片眉を上げ、ガムを嚙む手を止めた。
くるりと背を向けて、肩越しにぼそりと返す。
「オレは3ヶ月だけどよ……。お前、何年分の覚悟してんだよ」
低く、でも確かに聞こえるその声には、からかうような響きと、重さが同居していた。
そして彼女は、言葉の終わりを区切るように無遠慮な足取りで歩き出す。
ラフな姿勢のまま、それでもその背中には、妙に静かな決意が漂っていた。
理事長、教官、数人の関係者がロビーの一角で見送りに立っている。
制服姿の空港職員たちは、少し緊張した面持ちで、頭を下げるタイミングを探していた。
理事長が一歩、前に出た。
穏やかな笑みをたたえ、しかしその瞳の奥には、厳しさと期待が混じる。
「応援!どうか、悔いのない3ヶ月を!」
その言葉に、俺は深く頭を下げた。
胸の奥が、少しだけ熱くなるのを感じる。
視線を上げると、サンデーの背はすでに少し先を歩いていた。
その後ろ姿を追いかけて、俺もゆっくりと歩を進める。
出発ゲートの先、セキュリティを超えたその向こうに、世界が待っている。
ガラス越しに見えた飛行機の尾翼には、青いマーキング。
それは、今の彼女がただの挑戦者であることを表しているようだった。
そして今だけは、分かる。
この場所を出た瞬間からが、本当の勝負だ。
誰も見たことのない景色へ。サンデーとともに。
■
ロサンゼルス国際空港に降り立った瞬間、空気の温度が違っていた。乾いていて、どこか無機質。
けれど、それが悪いとは思わなかった。
サンデーサイレンスはひとつ、小さく息を吐いた。
「……着いたな」
荷物を引きながら空港の出口へ向かうと、サンデーはフードを深くかぶり、ガムを噛みながら前を歩いていた。
そのリズムはいつもと同じ。けれど、歩幅は少しだけ広くなっている。
生まれ育った国に、競走者として戻ってきた。その意味を、彼女なりに噛みしめているのかもしれない。
「カリフォルニアか……どうするよ、トレーナー。どこで走りゃいい?」
言葉はいつも通りの軽口だったが、声色はどこか低く、湿り気を含んでいた。
アメリカ三冠の開幕はまだ先だ。
それまでの調整のため、西海岸・ロサンゼルス郊外のトレーニング施設に一時的な拠点を構える手はずになっている。
空港出口。朝の光に照らされたロータリーで、1台のSUVが待っていた。看板には、手書きの太文字で『Sunday Silence / AKI TRAINER』と記されている。
いささか無骨なその筆致に、米国らしい雑さと実務的な気配がにじんでいた。
運転席にいたのは、年配の黒人男性だった。寡黙そうな人物で、こちらに気づいて軽く顎を引いて見せただけで、言葉はなかった。
助手席には若い女性トレーナーが座っていた。
見るからにアスレチックな体格。長い手足に軍人のような姿勢。金髪のポニーテールと無愛想な表情。
誰に対しても『慣れている』……そういう種類のプロフェッショナルに見えた。
「あなたが秋ね?」と、女性が先に口を開いた。
「私はミリア・ジョンストン。あんたらの現地担当。まずはクレモントの練習施設に向かうわ。空港からは車で1時間くらい。……寝ててもいいわよ」
どこか釘を刺すような言い方だったが、事務的な口調に悪意はなかった。
むしろ、感情を挟まないだけの言葉だ。
荷物を後部に積み終え、サンデーは後部座席の奥に陣取った。腕を組み、肩肘を窓の縁にあずけるようにして、遠くの景色を見つめている。
空は高く、乾いた光が空港の敷地をなめていた。カリフォルニアの空……まるでどこにも属していないような、孤独な青。
「懐かしくもねぇな」
ぽつりと、サンデーが呟く。
「けど、帰ってきた感じはする。泥のにおいも、空の色も、走ってたころのまんまだ。……まあ、あの頃は牛としか走ってなかったけどな」
くちゃ、とガムを噛む音が響く。それは何かを遮るような、また何かを受け入れたような、曖昧な音だった。
「……走らねぇと、何も始まんねぇけどな」
その言葉に、助手席のミリアがルームミラー越しにちらりと視線を向けたが、何も言わなかった。代わりに、車が静かに発進し、滑るように空港を後にする。
カリフォルニアの朝。
その乾いた空気の中で、サンデーサイレンスはひとり、静かにギアを上げていた。
■
到着翌日の朝6時。
まだ外は灰色の光に包まれていたが、施設内の会議室には4人のスタッフが集まっていた。
ドアを開けた瞬間、ひと目でわかった。全員、プロフェッショナルだ。
先頭に立っていたのはミリア・ジョンストン。昨日、空港で出迎えた無愛想な女だ。今日もジャージ姿のまま、背筋を伸ばして立っていた。
その横には、昨日の寡黙な黒人運転手……今は黒縁の眼鏡をかけ、手元のノートに目を落とす戦術分析官としての顔になっている。
そして、若い女性栄養士。パステルカラーのカーディガンを羽織り、疲労回復と食事計画を担当するらしい。
最後に、医療スタッフ。いかにも軍医あがりといった屈強な強面の男性で、道具一式の点検をしていた。
このチームは、中央トレセン学園の理事長が『アメリカ三冠挑戦のために』と依頼し、現地で最も信頼できる面々を集めて構成したという。
ドアを閉めた瞬間、誰からともなく全員が立ち上がった。ミリアが一歩前へ出て、俺に右手を差し出す。
「改めて、ようこそカリフォルニアへ。今この場所は、あなたのためにあるわ」
その手を握り返すと、ミリアは手短に頷いた後、サンデーの方へと視線を移した。
だがサンデーはフードを深くかぶったまま、表情も見せずに軽く片手を上げるだけだった。口元のガムをくちゃりと鳴らす音が、静まり返った部屋に小さく響く。
それを見たミリアは、少しだけ眉を上げた。だがすぐに口元にわずかな笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「まぁ、無愛想なのは分かってる。もっと手のかかるのも見てきたから」
場に冷たい緊張が走るかと思われたが、どこか含み笑いがこもったようなその言い方に、スタッフたちもわずかに表情を和らげる。
サンデーは返事もせずに、ミリアの言葉に何の感慨もない様子で空いている椅子に腰を下ろした。だが、彼女の目だけが、ふと鋭く光っていた。
俺はゆっくりと資料を机の上に置くと、手にしていた黒いペンで一つのレース名をホワイトボードに書いた。
『San Felipe Handicap(G2)Dirt 1700m』
書き終えた瞬間、壁のスクリーンに連動したプロジェクターが起動し、サンタアニタパークの空撮映像が静かに映し出される。
乾いた大地。くすんだ赤褐色のダート。鋭角的なスタンドの構造。
そのすべてが、日本で見慣れた景色とは違っていた。
まず、ダートの質が違う。
吸収されるような日本の砂ではなく、こちらは『土』そのもの。沈む。跳ねない。脚がもぐる。
資料に目を落としながら説明を始めた俺の言葉に、主任のミリア・ジョンストンが頷き、説明を引き継いだ。
「ゲートも、日本より浅くて短いわ。反応がすべて。ほんの数秒の立ち遅れで、レースは終わる」
彼女は手元のタブレットをスワイプし、昨年のサンフェリペのレース映像を呼び出す。画面に、まるで弾けるように飛び出していくウマ娘たちが映る。
1コーナー前にはすでに隊列が決まり、そこからは息を削るような粘り合い。日本でよく見る『探り合い』や『折り合い』の余地はない。
「こっちはスタートで前を取れなきゃ話にならない。コーナーで溜めて、直線で爆発なんてのは、そもそも構造的に無理。みんな、その前に脚を使い切ってるわ」
現地の土に馴染んだ言葉は、静かだが現実的だった。
この地で走るということは、日本での理屈や理想を脱ぎ捨てて、荒々しい実戦に飛び込むということだ。
沈黙のなか、後ろにいた黒人分析官が、ぽつりと呟く。
「……まずは様子見か?」
俺は首を横に振る。
「違う。様子見じゃ、意味がない」
あのコースに、あの展開に、サンデーサイレンスの名を刻むこと。
すべてをひっくり返す走りを見せなければ、遠征の意味はない。
「確認するのは走りが通用するか。通用するなら、それはもう異物として、ここを制圧できる」
画面に、ラチ沿いで競り合う2人の姿が映る。日本なら、どちらも溜めを意識する場面だ。だがこちらでは、すでに全力の出し合いが始まっている。
サンタニアパーク。
それは、俺たちにとっては、戦う準備を整える場所じゃない。
戦いながら、適応するしかない場所だ。
背後から、椅子にだらしなく腰をかけていたサンデーが、口の中でガムを鳴らす音がした。
「ふーん……面白ぇじゃん。通用するか、じゃねぇよな?」
彼女の声は低く、淡々としていた。
「黙らせられるか、だろ?」
だがその瞳だけが、スクリーンの赤土を食い入るように見つめていた。
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西海岸の乾いた朝。
クレモントのコースに、まだ霧の名残が漂っている。
レース3日前の最終追い切りの時計が回り始めた瞬間、黒人分析官は双眼鏡をそっと目にあてた。横でミリア主任も無言のまま、腕を組んでサンデーの動きを追っていた。
第3コーナー。
その瞬間、ふたりの肩が、わずかに震えた。
「……信じられん。まだ2日目だぞ」
黒人分析官が、低く漏らす。
サンデーサイレンスは、まるで何年もこの土で走ってきたかのように脚を運んでいた。通常なら脚を取られ、沈むはずの深い西海岸のダート。その粘りを逆に利用するかのように、脚が跳ね返る。
踏み込みが異常に強い。地面に沈み、弾けるまでの時間が、他と違う。その反動を、コーナーで最大限に引き出していた。
次の瞬間、第4コーナーで彼女は、内ラチすれすれを滑るように駆け抜けた。浮かない。膨らまない。
遠心力が存在しない世界で、ただしなやかに、内ラチにピッタリ沿って走っている。。
「私の知らない重力でもあるの……?」
直線に入ってからの加速も、異常だった。
ダート特有の土の壁を脚で掻き出し、何段階にも重ねて押し出す。
時計が止まる。ミリアが無言で手元のタイムを確認し、息を呑んだ。
「ロイ。あれ、三冠級よ」
「いや、三冠で済めばいいがな」
漆黒の破壊者は、この地の法則を、順応ではなく、踏み倒しに来ている。
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サンフェリペハンデキャップの前日、ロサンゼルス・サンタアニタパーク内メディアセンター。
午後3時。場内の会見ブースには、各チームの関係者が次々に姿を見せ、各紙記者たちが手にしたレコーダーを並べている。
しかし、その一角だけ、妙に静かだった。
ホワイトボードには、手書きでこう記されていた。
【Sunday Silence / Trainer: Aki】
現地のスポーツ紙記者が、冗談混じりに小声で囁く。
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