暫くして、また微かに床の軋む音
ゆっくり曲がり角へ目を向けると、そこには妖夢さんの姿
彼女は俺と、その傍らの女性を認めると小さく会釈して、俺の左側に腰を下ろした
「よく眠ってますね」
「俺は動けなくて、肩が痺れてきたところなんですけどね」
苦笑して答える
重いわけじゃない、寧ろ軽すぎるほどなのだが、彼女の触れているところには何故か力が入れにくいのだ
「そんなカンタンに馴染まれると、ちょっと妬ましいです」
対する妖夢さんは、そんなことを言いながら優しげな笑みを浮かべている
きっとこのヒトと仲がいいんだろう
「この人も、ここの住人なんですよね?」
「そうですよ。ホント、そうして静かにしていてくれれば私も楽なのになぁ」
「あぁ、これで案外トラブルメーカーだったり?」
「そーーなんですよー。いっつもいっつも事を起こしては『ごめんね♥』なんて言って誤魔化して、私ばっかり苦労するんです」
先の笑顔は何処へやら
すっかり愚痴るモードに入ってしまった妖夢さんは、それからいろいろと話してくれた
…主に、彼女を起因とする被害について
「それでこの間なんか、急に『天界へピクニックに行きましょうか』とか言い出して。そりゃあ確かに天子さんとのコネはありますけど流石に無理が…あ、天子さんっていうのは天界の偉い人の娘さんらしいんですけど」
「あっはは、まるで主人と使用人みたいですね」
そう俺が言うと、彼女はハッとしたようにこちらを凝視する
反射的に視線を返して、数秒の後
「…………言ってませんでしたっけ?その方、西行寺 幽々子(サイギョウジユユコ)様はこの白玉楼の主なんですケド…」
?「そうよぉ?偉いのよ?」
妖「ッ!?」
「あ、おはようございます」
気付くと、俺の右肩に頭を預けていた女性はぱっちりと目を開けていて
妖「あ、ゆ、幽々子様、お目覚めに…」
笑っているのに、冷たい空気を漂わせていて
妖「あの、どこから…聞いていたんですか?」
間違いなく、不機嫌だった
幽「最初から、よ?」
それを聞いた妖夢さんはがっくりと肩を落として、力ない笑みを浮かべた
幽「でも、普段聞けないことが聞けたから、彼に免じて許してあげようかしら」
妖「本当ですか…?」
幽「ま、それでもひとつ言うことを聞いてもらうんだけれど」
妖「はぁ…わかりました。それで、今回は何をご所望で?」
問われた幽々子さんは俺に視線を向けると微笑んで
幽「彼の力試しでも、してもらいましょうか」
少しして、俺と妖夢さんは庭の中程で対峙していた
妖「あの…本当に実剣で大丈夫なんでしょうか?」
幽「数枚上手の妖夢なら、適度に手を抜くくらい余裕でしょう?」
「それはそれで複雑な気持ちですが…」
そもそも、だ
ここに来る途中に、魔理沙からざっくりとここの住人の説明を受けていたのだが
魔『恐らく何かしらの方法で腕試しをさせられると思うけど、実剣の妖夢が相手の時は特に気を付けろよ。アイツすぐに熱くなるからな』
なんて言われていたのだ
正直かなり不安だった
幽「さぁ、二人とも抜いて!」
妖夢さんが腰の二振りのうち、長刀を抜く
話は聞いていた
名を楼観剣という簡素な装飾のそれは、一見何の変哲もない刀のように見える
しかしその白刃は、あまりにも冥く冷たい輝きを放っていて
まだこちらに向けられてすらいないのに、俺は身体が強張るのを感じた
頭を振って気を取り直し
腰に差した鍔の無い白鞘に手を掛け、あの言葉を繰り返す
「頼む、力を貸してくれ」
それが1度脈打ち、微かに開いた隙間から熱が漏れ出す
圧された心を振り払うように、一息に刃を引き抜く
呼応するように解き放たれた刀身が唸り、旋風を巻き起こした
「…これは……」
幽々子さん曰く、俺の目の色は蒼だという
その変質の結果もたらされたのは、以前は見えなかったものを見る力らしい
…今なら、見える。白金に燃える刀身が纏う、緋の色をした高密度の妖力が
「そ、そんな…」
それを見て妖夢さんは愕然とした表情を──いや違う。その視線の先は俺の足元
釣られて下を向いてみると、そこには剥き出しになった土肌
荒れ狂う妖力に灼かれて、芝生がなくなってしまったようだ
「……あー、その、スミマセン」
「…いいです、その力、試させてもらいますから」
明らかに怒気のこもった言葉と共に駆け出す妖夢さん
それは、異常に速かった
「はぁあっ!!」
こちらが構えるとほぼ同時に大上段からの一撃を繰り出される
「うっ…そだろ…ッ」
辛うじて受け止めるが、大槌でぶん殴られたような衝撃に身体が軋む
先程まで、所詮は女の子だと侮っていた
その認識を力づくで改めさせられる
「守るだけ、ですか!?」
「そんなわけ…!」
上からの力を、受ける刀を素早く大きく傾ける事で下へ逃がす
楼観剣の切っ先が地面に突き刺さると同時に、俺は刃を返し振り上げた
しかし、それは当たることはない
反撃を繰り出した瞬間、彼女は素早く飛び退き悠々と射程外へと移動していた
はずだった
「あつっ…!?」
その前髪が僅かに焦げていた
掠った程度だが、しかし命中していたのだ
どうやらこの刀、纏う妖力のお陰で実体部分より多少射程が長いらしい
「…今度は見誤りません。さあ構えてください」
悔しそうな表情も一瞬だけ
再び駆け出した彼女は、やはり凄まじい速度で距離を詰めてくる
息付く間もなく繰り出された鋭い連撃に、俺は必死に食らいついた
しかしその均衡も長くは続かない
何せ一撃の重さが尋常じゃない
少しでも受け方を間違えれば守りが崩される
そんなことを考えていたからだろう
守勢の弛みを見切ったような真一文字の斬撃に、俺の守りは崩されてしまった
「これで…!」
突き出される楼観剣の鋒
その行先は俺の腹だ
弾かれた左手と得物は間に合わない
かといって残された右手で出来ることは…
《よく見て、諦めないで》
そうだ、多少手が切れようが腹を貫かれるよりはマシだ
思考をする余裕があるなら、手を動かす余裕だってある
「まだ…だ…ッ!」
無理やり身体を捻りながら、迫る刀身に手を伸ばす
止めるんじゃない。その軌道を逸らせればそれでいい
手は、届いた。
突き出される鋒、その僅かに後ろ側
俺の腹を貫くはずだった刃は、脇腹を素通りした
小さく息を吐いて大きく距離を取る
「…驚きました。まさかあの体勢から防がれるなんて」
「自分でも驚いてる。あんな機転が利くとは思わなかった」
「自分でも…?面白いことを言いますね。でも、ここまでです」
彼女は懐から札のようなものを取り出すと、空へ放った
無意識に身体が強張った
アレは一体…
人符[現世斬]───
放った札を斬り捨てると同時に、彼女の姿が消えた
《防御 右》
反射的に右側へ防御の構えをとる。その瞬間
ギィンッ!!
凄まじい衝撃が俺を襲った
足が踏ん張りきれず、そのまま左へ吹っ飛ばされてしまう
「よく見えましたね?驚きましたよ」
「勘だよ…痛っ……」
立ち位置を見るに、アレは恐らく突進系の技か
あまりの衝撃に足がまだ震えている
「では次、行きます」
「容赦、なさすぎだろ…ッ」
言うや否や駆け出す妖夢さん
俺も負けじと走り出す
再び札を懐から取り出す
眼前に放ったそれを斬り捨てた直後、彼女は両足で急ブレーキをかけながらその手の得物を大上段に構えた
断迷剣[迷津慈航斬]──
距離はまだ5mほど空いているはずなのに、頭の中に警鐘が響く
アレはまずい。離れなければ─
危険を察知すると同時に楼観剣が青白く輝き、その刀身を瞬く間に何十倍にも肥大化させる
踵を返すにはもう遅かった
《信じて 唱えて》
どこからともなく響く声
そして、覚えの無い羅列が頭に浮かぶ
俺はそれを、迷わず口にした
───[壱式・劫火]
得物の刀身が一際大きく脈打つ
纏う妖気が激しく燃え上がり、紅蓮にその色を変えた
振り下ろされる巨大な光刃に、自身の刃をぶつける
予想に反して、抵抗は少なかった
「…そんな、ありえない!」
紅蓮の刃は楼観剣の刀身に突き刺さり、その肥大化したうちの中程を易々と斬り裂いた
渾身の一撃を砕かれた彼女は、そのまま体勢を崩す
「これで────!?」
俺は勢いのまま跳び、攻撃を繰り出そうとした
しかし、身体が宙でその動きを止める
幽「そこまで。なかなかいい動きをするじゃない」
声に振り向くと、桜色に煌めく扇を手にした幽々子さん
妖「……申し訳ありません」
幽「やりすぎよ、妖夢」
何らかの術で拘束されたのだろうか
俺の身体はゆっくりと高度を下げ、やがて地面へと降ろされた
全身から力が抜けていくような感覚に、思わず身震いする
幽「とりあえずお疲れ様。なかなか楽しめたわ」
「俺も、すみませんでした。今止められなければ、最悪……」
俺は納刀しながら頭を下げる
それを途中まで聞いて、幽々子さんは笑い出した
幽「…ふふっ、あっはは! 危うく殺されるところだったのに、妖夢の心配までするなんて。面白い子ね?」
妖「つ、次はちゃんと手を抜きますし、遅れをとるようなこともしませんから!」
「それはどういう力加減…っ」
笑う幽々子さんにブレブレな発言の妖夢さん
俺も釣られて笑っていたが、突如として意識が遠退く
どうして
《あれだけ頑張ったんだ。無理もない》
誰だ、アンタ
妖「ちょ、幽々子様、もしかして…」
幽「……てへ?」
視界が霞んで、徐々に暗くなる
《少し休むといい》
抗えない
俺はそのまま、意識を手放した