ただ、熱かった。
原型をとどめないほどいじりまわされた脳味噌はもはやまともな思考をせず、壊れたラジオのように同じ指令を繰り返す。
企業の命令と友人の遺志、その二つが悪夢のように反響する空間で、俺は621と対峙していた。
「命令を…… 友人たちの…遺志……を……」
コーラルが充填されたライフルを突きつけられても、621は微動だにしないで俺と向き合っている。
━━アレハ使命ヲ阻ム敵。ココデ殺サナクテハ。やめろ、死ぬも生きるもあいつの勝手だ。もう放っておいてやれ。黙レ。俺の、企業ノ命令ハ絶対。違う、友人たちの想いを無駄にしないためだ。それにあいつは心を取り戻したんだ。こんな心無い男の手など離れて普通の人生を。アレヲ逃セバ取リ返シノツカナイ禍根ヲ残ス。オ前ハソレデイイノカ?………
相反した意志が頭を揺らし、ただ立ち尽くしていた。
『レイヴン……!!』
━━そのとき、声が視えた。
赤く発光するプラズマが、あいつを案ずるようにそばに佇んでいるのが俺の目に確かに映った。
━━それが、お前が選び取ったものか。
強化人間にされたせいで心を失い、生ける屍のようだった621が友人を作るほどの情緒を獲得するに至った。それは計画の遂行よりも喜ばしく、尊いことだ。ならば俺がすることはただひとつ。
「そうか…… 621… お前にも、友人ができた……」
耳鳴りが止んでいく中で銃を下ろす。
コックピットの中は焼けるようだった。だがこんなもの、今俺の目を熱くしているものと比べればぬるま湯だ。
俺の役目は、終わった。
俺は最後までどうしようもない悪人だったが、最期に見られた景色がこんなにも美しいのならなにも後悔はない。全ての罪を背負って、地獄へ行こう。
赤く白いプラズマをまといながらあいつが飛んでいく。煤けたその背中は黒い鳥のよう。行け、どこまでも飛んで。なににも負けないくらい強く、強く━━
そう願いながら、俺の意識は炎に飲み込まれた。
──……いやだ、みとめるもんか。
ごす、おれはすごくよくばりなんだぞ。
◆
「イヌヌワ!」
俺の意識を取り戻させたのは、胸にのしかかる重い感触と、間近に感じるやけに犬臭い息だった。
「う……」
「ヘッヘッヘッ」
目を開けると、そこには奇妙な動物がいた。
見た目は(ずいぶん見ていないので確証はないが)コーギーに似ている。しかしその体色は目が覚めるようなレモンイエローで、瞳は純真そのもの。そうとう可愛がられて育てられたのだろう、この世の悪意を全く知らない無邪気さに満ちている。こんな生き物がこの世に存在するものなのだろうか。
顔をべろべろに舐められながら体を起こした。疲労はあったが、そんなことも気にならないほど周囲の情景が理解し難かった。
「これは……」
コロニーに投射されたものとは違う、青い空に白い雲。風に揺れる、プラスチックでない瑞々しい枝葉。足元に茂る草をちぎって鼻を近づければ、生きた草の匂いがした。
これは、人工的に作られたのでない、正真正銘の自然そのものだ。本物の芝生など、こうして触れるのはいつぶりだろう。
「イヌヌワ! ヘッヘッヘッ…」
「お前は迷子か?」
よりかかって顔をむちゃくちゃに舐めてくる犬にそう問いかけて、自分の行動の馬鹿らしさに苦笑いした。犬が「はい、そうです」とでも返してくれるものか。状況があまりにも現実離れしていて混乱しているのだな、俺は。
こんなにも自然にあふれ、可愛らしい犬が出迎えてくれる。ここが天国なのか? ……馬鹿な。俺が天国に行けるわけがない。
やったことを考えれば俺は地獄行きが妥当だ。こんな俺を天国に迎えるような神は、そうとう暇か、ごく少数な割には声が大きいか、どうしようもなく悪趣味かのどれかだろう。それに、仮にここが天国だとしたなら、俺が今まで使い潰してきたハウンズたちがいるはずだ。いないということは、つまり……
「ワンパチー? もう、ワンパチったらどこに……、……え?」
気配に振り返る。
そこには、明るい茶髪をした若い女性が立っていた。俺と俺へじゃれつく犬を交互に見て、ぽかんとしている。
「イヌワッ♪」
黄色い犬は俺の胸元から飛び降り、女性の足元に駆け寄って甘えた。女性は混乱していたが、その犬を優しく抱き上げ頭を撫でだした。
そのしぐさで、彼女はあの犬の飼い主なのだと理解した。なるほど、この人に好かれそうな雰囲気の女性に飼われているのなら、あの犬もこんなにも愛らしく育つはずだ。
「え、えーっと。あなたは?」
「…、俺はウォルターだ。お前がこの犬の飼い主か?」
「あ、はい。私、ソニアっていいます。うちのワンパチをどうもありがとうございます」
ぺこっと頭を下げるソニアという女性へ、俺は一つ訊くことにした。
「こちらこそ、手厚い歓迎を受けられた。すまないが、ここが何番コロニーなのか教えてもらえないだろうか」
「は? ころ…にー? なんです、それ」
「……なんだと?」
ここはコロニーではないのか? だとしたらここはどこかの植民惑星なのか。いや、地球と同じように自然があり、酸素を管理する必要もなく、紫外線に悩む必要のない植民地などたかが知れている。頭の中に、普通なら正気を疑うような可能性が提示される。
生じた可能性は、次の質問で確信に変わった。
「ソニアと言ったな。お前は、アーマード・コアを知っているか」
「あーまー、え、何? それって何かのゲームですか?」
「……………………」
足から力が抜けて、その場に座り込んだ。
ありえない。ACを知らない人間など、この世にいるわけがない。今となっては戦略兵器としての価値はあまり高いわけではないが、ACはそれでも第一線を張れる戦略兵器だ。
それを知らないということは、そしてあの動物、この自然にあふれる環境──
すなわち──
「──の…… あの…… ウォルターさん?」
心配そうな声で我に返った。
いつの間にやらうつむいていたらしい。顔を上げれば、こちらを案じる表情のソニアが少し距離を近づけていた。
「ええと……ここで話をしているのもアレですし、いったん私の家に来ません? 何か事情はあるんでしょうけど、お茶でも飲んでいればいい考えも浮かびますって」
「あ…ああ、そうだな」
混乱していたのが見え見えだったようだ。年甲斐もなく取り乱してしまって申し訳なく思う。
気恥ずかしかったが、彼女の手を借りて立ち上がった。杖の無い体は、それでもどうにかしゃんと立ってくれた。
◆
「おかえりなさいソニア。その方が電話で言った?」
「ただいまおばあさま。この人はお客様よ!」
「ヌヌワ!」
「まあ、そうなのね。それならとっておきの茶葉を準備しなくては。ああソニア、家に入る前に自分の靴とワンパチの足の汚れを落とすのですよ」
ソニアの家で待っていたその老婆──マグノリアという方は、しわだらけの顔に柔和な表情を浮かべた。
「あなたのお名前は?」
「ウォルターだ」
「なるほど。わたしはマグノリアといいます。カムカメ、おじいさんにご挨拶なさい」
「ギュウギッ!」
……
カメが鳴いた…
いや…
「それよりももっと気にするべきことがあるのではないのか……?」
「え? なにを?」
「いや、俺は男で、お前たちには何の関わりもない……」
「いやですね、目と目が合えばもう友達みたいなものじゃないですか」
ソニアは軽く笑って、ウェットティッシュでワンパチの足を拭き始めた。
先に入っていいと言われたので、恐る恐る家の中に入って行く。
「さあ、そこにかけてくださいな。今おいしいお茶を沸かしますからね」
ソファに座ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
さっき頭に浮かんだ仮説が本当だなど信じられない。しかしそれを裏付ける証拠は山ほどある。
例えば、道すがら目にした田園風景。田畑に使える土があるということは、この土地が汚染されていない証だ。
あそこまで豊かな土壌があるのなら、当たり前に茶を出せるのもうなずける。
さらには、羊のような生き物がのんびりと牧草を食んでいたのも見かけた。
この家の様式から推測するに、牧畜から食品を作る文化があるのだろう。この二つの読みが外れていたとして、娯楽にあんな数の動物を飼う余裕など富裕層にもなかなか見られまい。
「………」
俺は、これからどうするべきか。
なにもかもが見たことのない風景で、脳味噌が混乱しているのが判る。
地獄で苦しむべきだったのにこんな歓待を受けて、はっきり言って居心地が悪い。
戻れるのなら戻りたい。俺の居場所はこんな温かなところではないのだから。
──……だが、もしもこれが
『いやだ、みとめるもんか。ごす、おれはすごくよくばりなんだぞ』
あの時、そんな声を聞いた。あれは確かに621の声だった。俺があいつの声を聞き間違えるわけがない。
俺に起きているこの現象があいつの願いなのなら、その意図は読めないまでも意思を尊重することが、俺の今するべきことではないのだろうか。
身勝手な俺にずっと付き合わせてしまったんだ。今度は、自由も得られず死んでいったハウンズの分まで俺が621のわがままを聞いてやる番だ。
それが俺の──ハンドラー・ウォルターの償いなのではないか?