暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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お前、やっぱり猫好きだろ

雨が降っている。

 

落涙する分厚い雨雲に覆われた地上はまだ昼過ぎだというのに暗く、路面は常より一段と黒く濡れている。

そんな薄暗い秋の路上に、一人の少年が居た。

 

少年の名は相澤消太。

現在中学二年生の十四歳。

濃紺のジャージに身を包み、部活帰りの彼は全身を雨に打たれていた。 

 

人通りの少ない道路で、消太はもうかれこれ二十分も前から側溝の蓋を持ち上げようと奮闘している。

そんな彼のすぐ側には、先程までさしていたであろう傘が無造作に放り出されていた。

 

 

「クソ、かってぇな……」

 

 

ビクともしない蓋から一度手を放し、こめかみを伝う汗と雨の混じった液体を腕で拭う。

長い前髪が額に張り付いて鬱陶しかった。

頭を振って嘆息した後、ずり落ちてきていた袖口をまくり、再び蓋に手をかけた、その時だった。

 

 

「___そこに落とし物でもしたの?」

 

 

突然耳元で聞こえた声に驚き、消太は勢いよく顔を上げた。 

見ると、いつの間にやら自分の隣に見知らぬ子供が立っている。

作業に夢中になっていたせいか、雨音が大きすぎたせいか、この距離で気配に全く気づかなかった。

 

 

「何か落としたの?すごく困ってるように見えたけど」

 

 

再度問いかけながら、子供が青い傘をさしかけてくる。

その小さな傘に、歳の割に背の高い消太は当然収まり切るはずがない。

それに、今さら雨を避けたところで意味がないと思えるほど、消太は既にずぶ濡れだった。

どう考えても手遅れの他人に、この距離まで近づいて雨から守ろうとする子供の優しさをありがたく思いつつも、相手の手元をそっと押し返してその申し出を断った。

 

 

「ありがとう、でもその傘は自分のために使ってくれ。俺はもうとっくに手遅れだから」

 

 

態度にこそ出さなかったものの、傘の下、見えた子供の顔が__そこにあった少女の顔が、あまりに愛らしい造形をしていた事に、消太は一瞬少なからず驚いた。

テレビや芸能には疎い方だと言う自覚があるが、それにしたってここまで綺麗な人間を見たのは初めてだった。

以前、クラスメイトの誰かが推しのアイドルとやらに会いに行った時のことを「オーラが違った」などと表現していたが、なるほどこういう感覚かと、今なら多少は理解できそうだ。

失礼な表現かもしれないが、綺麗すぎる人間と言うのはどこか作り物めいていて、人間味を感じられないものらしい。

 

 

「それと、俺は別に何かを落とした訳じゃないよ。この溝の中に子猫が居るんだ」

 

「猫?」

 

「ああ。鳴き声が聞こえて、覗いてみたら案の定だった」

 

「お兄さんの猫なの?」

 

「いいや、多分野良だな。一匹で居るみたいだし、親兄弟とははぐれちまったんだろうと思う」

 

「それなら、お兄さんはここで何をしてたの?」

 

「何って……この溝の中はだいぶ水位が上がってるんだ。衛生的にも良い環境じゃない。放っておいたら死んじまう」

 

「でも、お兄さんの猫じゃないんでしょう?」

 

 

言いながら、少女が首をコテリと傾ける。

消太はここで、ようやく違和感に気が付いた。

大きな瞳に桃色の唇。

幼さと美しさを兼ね備えた美貌がここまで異質なものに感じられる理由は、この少女の表情が全くと言っていいほど変化しないからだった。

 

 

「その猫が助かったら、お兄さんは嬉しい?」

 

 

なかなか答えを返さないでいる消太に、別の問いが投げかけられる。

氷砂糖のように甘く澄んだ声音。

それなのにその声に抑揚はなく、目の前の少女の心情はこれっぽっちも読み取れない。

 

 

「……ああ、もちろん」

 

 

じっと観察するようにこちらを見つめてくる少女に、消太はやや気圧されながら答えた。

問いには答えたというのに、謎の沈黙が生まれる。

その間も少女の瞳はまっすぐに消太に向けられており、鋭い視線に探られているようで落ち着かない。

言葉を選ばず表現すれば、どこか薄気味が悪い。

緊張の面持ちで少女を見つめ返していた消太が、ついに根負けして視線を横にずらした時、沈黙は不意に呆気なく破られた。

 

 

「そっか。それなら助けるね」

 

「は……?」

 

「これ、濡れないように持っててほしい」

 

「おい、待て。何だ急に」

 

 

先程まで謎に張り詰めていた空気はどこへやら、少女が押し付けてくる青い傘とレジ袋を思わず受け取った消太は大いに困惑した。

しかもこのレジ袋、特大サイズでやたらと中身がガチャガチャしている。

つい中をチラ見してしまった消太は、そこに大量のヒーローグッズを見て驚いた。

今をときめく人気ヒーローたちのコースター、タンブラー、クリアファイル、フィギュア__。

 

それが現在コンビニで取り扱い中の一番くじの景品であると分かったのは、消太も先程近くのコンビニでくじを一枚購入していたからだった。

当たったのはG賞のステッカーが一枚。

どうせならタオルやタンブラーなどの実用的なものが欲しかったが、特定の景品を狙っていた訳ではないし、一枚あたりの値段があまり可愛くはないのでそれで満足して店を出た。

 

それに比べて、この少女はいったい何枚のくじを引いたのだろう。

ざっと見ただけでも二十は超えていそうな気がする。

相当な熱量が窺えるが、それがどうにも目の前の少女とは結びつかず、消太はますます困惑した。

 

 

「なぁ、もしかしてヒーロー好きなのか……っておい、何やってる。どう考えたってお前には無理だよ」

 

 

視線を袋から少女へと戻せば、彼女は腰を折り、側溝の蓋を両手で掴んでいる。

何をしようとしているのかは理解できた。

けれど、その蓋は体格のいい男子中学生がニ十分ねばってビクともしなかった頑丈な蓋だ。

恐らく蓋と道路の接地部分に砂が詰まり、長い年月をかけて強固に固まってしまっている。

こんな少女の細腕でどうこう出来るものではないと消太が肩を竦めたと同時、バキ、と鈍い音が聞こえた。

続けてバキ、パキ、パキ、と小気味よい音を立て、あっという間に開いた蓋を少女が路面に静かに下ろす。

 

 

「個性だよ。パワー増強型の個性」

 

 

驚愕を隠しもせずその顔に浮かべ、説明を求めて視線をぶつける消太に、少女が簡潔に答えた。

 

 

「そうか……いい個性だな。見た目には全然分かんねぇけど」

 

 

こうも目立つ鮮やかな翼が背中から生えていれば、普通誰もそんな相手を怪力の持ち主だとは思うまい。

 

 

「そんな事より、猫。居ないように見えるけど」

 

 

少女の指さす先を目で追ってみれば、なるほど、確かに溝の中に猫の姿は見当たらない。

 

 

「音に怯えて奥の方に逃げたのかもしれないな」

 

「……本当だ。見えた」

 

「おい、髪!」

 

 

突然その場で四つん這いになり、水色の髪を垂らしながら側溝の中を覗き込んだ少女の行動に、消太の心臓が跳ねた。

 

 

「泥が付くだろ、気をつけろ」

 

 

手渡されたヒーローグッズを傘の下に入れて守りつつ、少女の上にも傘をさしかけていた消太はヒヤヒヤしながら「急に動くのもやめてくれ」と愚痴をこぼして傘を動かす。

すると次の瞬間、こちらの言葉をまるで聞いていない少女はさらにとんでもない行動に出た。

 

 

「___馬鹿、何やってんだッ!」

 

 

止める間もなくトプンと側溝に両足をつけ、そのまま奥へと匍匐前進しようとした少女の身体を、消太は慌てて空いた片手で抱き上げた。

初対面の幼い女の子に、思わず馬鹿とこぼしてしまうくらいには動転していた。

背後からお腹に手を回して抱え込んだ小さな身体が、密着した部分から消太の水分を吸い取っていくのに気づいて「しまった」と思ったがもう遅い。

何より、ヘドロまみれと化した少女の両足がもうどうしようもなく手遅れだった。

唯一の幸いがあるとすれば、彼女のヒーローグッズだけは反対の手で死守できている事くらいか。

 

 

「何するの」

 

「何するのはこっちの台詞なんだよ……」

 

「猫を助けるんだよ。私なら溝の中に入れる」

 

 

少女の行動の意図は理解していたものの、改めて言われるとその猪突猛進さに軽く衝撃を受けてしまう。

 

 

「お前はそこまでしなくていいよ。後はもう俺がやるから」

 

「お兄さんじゃせいぜい片腕くらいしか入らないと思うけど」

 

「片腕が入りゃどうにかなるよ」

 

「闇雲に手を伸ばしても、ますます警戒されて猫は奥にいっちゃうと思うよ」

 

「それでも、お前が全身ヘドロまみれになるよりはそっちの方が現実的だ」

 

 

至極まともな反論を寄越してくる少女に優しく言い聞かせて諫めていると、それでも納得いかなかったらしい少女はやや間を空けたのち「分かった」と呟いた。

 

 

「それならこれで捕まえる」

 

 

消太の腕に抱かれたまま、彼女の青い羽が数十枚程度分離して宙に浮いたかと思えば、そのままスルスルと側溝の中に入っていく。

 

 

「これは個性だよ」

 

「言われなくても、これは見たら分かる……」

 

「私の羽は、周囲半径一メートル程度の情報を読み取れる。スピードも猫には負けないから安心していいよ」

 

 

言うが早いか、側溝の中でみぎゃっ!と猫の悲鳴が聞こえた。

一体何が起きているのか消太からは見えないのがかなり不安だが、「パニックになって暴れてる」と解説する少女の勝利を信じて待つ以外に何も出来ない。

はらはらと祈るような気持ちで待機していると、しばらくして力の限りに暴れる子猫が、それを巧みにいなしながら包み込む青い羽に連れられてひょこりと地上に顔を出した。

 

 

「捕獲」

 

 

直ぐそばまで運んできた子猫の首元を、むんずと掴んで少女が一言。

ヘドロまみれで元の毛の色すら分からなくなった子猫を、何のためらいもなく素手で掴んだ少女に、消太は天を仰いで呻いた。

自分の監督不行き届きで、彼女の手足は目も当てられないほど汚れてしまった。

顔も知らない少女の両親に心の中で謝罪する。

 

しかし、首根っこを雑に掴まれ、だらりとぬいぐるみのように身体を投げ出す子猫は、先程と打って変わってピタリと暴れるのを止めて大人しくなっている。

母猫が子猫を咥えて運ぶとき、子猫は脱力状態で母猫に身を任せる習性があるという。

そのため、少女の行為は猫を鎮静状態にし、かつ余計な苦痛をあたえない方法として正解だったのだろう。

 

この少女はそのやり方が最適と分かっていたから最初、個性ではなく素手で捕らえようとしていたのだ。

そう思い至り、仮に消太が少女と同じ立場だったとして、ああも迷いなく泥の中に飛び込めただろうかと考え、きっと出来ないと思ってしまった。

消極的。考えすぎ。判断力がない。そんな自分の欠点を、悲しい事に消太は正確に把握している。

 

本当にこれで良いのだろうか。

本当に自分にできるのだろうか。

何か見落としている事があるのではないか。

そんな風にうじうじと二の足を踏んでいる内に、思い切りのいい他の人間が消太の横を駆け抜けていく__十四年という長いようで短い人生の中で、そういう出来事をもう何度も経験している。

そんな消太に、少女の決断力と行動力は眩しく映った。

 

 

「猫、飼ってるのか?」

 

 

少女の手腕に感心し、猫飼いなのだろうと当たりを付けたのだが、少女は首を横に振った。

 

 

「じゃあ、ただの猫好きか」

 

「違うと思う。鳥は好きだよ、多分」

 

「子供と会話すんのって結構難しいんだな」

 

 

どこかズレた返答に首をひねる消太に、「ねぇ」と振り返った少女が落ち着き払った声で言う。

 

 

「この猫、このままだとすぐ死んじゃうと思う。早く洗って乾かさないと。身体もガリガリ」

 

「……ああ、確かにまずい状態だな。でも早く洗って乾かさなきゃいけないのはお前もだって自覚してくれ。家、この辺か?すぐ近くならこのまま送っていくよ」

 

 

水分を含み、泥まみれになった靴はさぞかし履き心地が悪いだろう。

濡れた背中が寒くて道中、辛い思いをするかもしれない。

何はともあれ子猫救出の功労者である彼女を、この状態で一人帰らせるのは気が引けた。

 

パッと見小学校低学年程度だろうし、一人で出歩く距離などたかが知れていると踏んでの提案だったのだが、返って来た少女の返答は消太の想定を超えていた。

少女の家は、ここから電車で三駅ほど離れたところにあると言う。

 

自分が親なら、こんなにも薄暗い悪天候の日に、こんなにも小さな少女を一人で街に解き放ったりなんて絶対にしない。

許せるのはせいぜい近所のコンビニまでだ。

一瞬、自分は面倒くさい親父予備軍なのだろうかと不安になったが、恐らく間違ってはいないはずだ。

 

 

「その格好で電車に乗る気か?」

 

「マナー違反って言いたいんでしょ。大丈夫、分かってるよ。帰りは飛んで帰るつもり」

 

「この強風の中を?駄目だ、危なすぎる」

 

 

こうして抱きかかえている今も、綿毛のように軽い少女の質量を体感している消太だからこそ、風に攫われて迷子になる地獄絵図が鮮明に思い描けた。

少女は「飛ばされない」「出来る」「大丈夫」と頑なだが、消太は断固としてそれを認めるつもりはない。

それならば、少女の意見を上回る代替案を提示しなければと思い悩んだ末、消太は少女に問いかけた。

 

 

「うち、来るか?ここからなら歩いて十五分くらいだ。猫を洗って、ついでにお前の手足も洗おう」

 

 

 

 

________

 

 

 

 

「__こんな日に限ってどうして二人揃って居ないんだろうな、うちの両親は」

 

 

ドアを開け、靴の見当たらない玄関を前にして消太はため息をついた。

何もこんな視界の悪い日に出かけなくとも、とフットワークの軽い両親を恨めしく思っていると、腕の中の少女が「お邪魔します」と律儀に挨拶をしている。

 

 

「……悪いな。家に帰ったらお前の事は母さんに任せようと思ってたんだ」

 

 

子供好きな消太の母は、消太とは違い非常に社交的な性格をしている。

こんなにも可愛らしい少女を連れ帰れば、勝手に世話してくれるだろうと考えていただけに、この展開は誤算だった。

 

 

「言ってても仕方ないか。とりあえず、風呂場に直行だな。泥まみれの靴は……どうするか、後で考えよう」

 

 

そう言えば、小さい頃に母親に買い与えられたものの、デザインの可愛らしさを受け付けず、ほとんど使うことなく眠っている長靴がこの家のどこかにあるような気がする。

消太の母親は物持ちが良いのだ。

物を捨てられない優柔不断な性格とも言えるけれど、今回ばかりはそんな母親に期待したい。

 

少女は靴下までしっかり泥んこになっていたため、抱き上げたまま風呂場へと向かった。

バスチェアに座らせて靴下を脱がせてやりながら、洗面器に猫用のぬるま湯を溜めていく。

両手足の泥をシャワーで洗い流してやったところで、少女は「ありがとう」と立ち上がった。

 

 

「早く猫を洗わなきゃ。優先度は私よりもこの子の方が高いと思うよ」

 

 

少女は裸足でペタペタと歩いて行き、洗面器の前でしゃがみこむと、掌で掬ったぬるま湯を丁寧に子猫にかけ始めた。

驚いた子猫はか細い鳴き声を上げていたが、根気強く徐々に水に慣らしていく少女の洗い方が良かったのか、次第に抵抗を止めてぬるま湯の中で大人しくなっていった。

 

 

「お前、やっぱり猫好きだろ」

 

「そう見えるの?」

 

「俺にはそうにしか見えないよ」

 

「慣れてるだけだよ。猫を洗うの、初めてじゃないし」

 

「飼ってないってさっき言ってなかったか?」

 

「飼ってないし飼ったこともない。ただ、迷子のペット探しとか、凶暴なペットのお世話代行とか、そういう頼まれごとをした経験があるだけ」  

 

「幼いお前に誰がそんなこと頼むんだよ」

 

「権力のあるお金持ち」

 

「お前との会話、やっぱり絶妙に難易度が高いな」

 

 

ふざけているのか冗談なのか定かではないが、少女は真面目な顔で猫を洗い続けている。

その指遣いは小さく弱々しい生き物への配慮に溢れていて、これを猫への愛情と呼ばずして何と呼べばいいのだと思えるほどに優しく見えた。

最初に交わした会話の印象から、野良猫への情がとても薄いと感じてしまったのは、どうやら消太の勘違いだったらしい。

 

 

「見て、お兄さん。汚れはかなり落ちたと思う。ただの水洗いだから、マシになった程度だけど」

 

「ホントだ。こいつ茶虎だったんだな」

 

「シャンプーで洗ったら白猫になるかも」

 

「今は茶虎でも及第点だ。応急処置の限界はこの辺だろ」

 

「そうだね、早く乾かして温めよう。猫用フードは持ってる?」

 

「生憎うちに猫グッズはないな。父親が猫アレルギーなんだ。何か買ってくるから、その間に猫を乾かしておいてくれるか?」

 

 

自分よりもよっぽど猫の扱いに長けている少女にそう頼めば、「分かった」と快諾が返ってきた。

足拭きマットの上で小さく足踏みをしているつむじを見下ろしながら、そういえばこの子供の濡れた服もどうにかせねばと思い出す。

 

 

「確認なんだが、下着までは濡れてないよな?」

 

 

その問いに、上を向いた少女が「無事」と短く答えるのを聞いてホッとした。

猫用のタオルとドライヤーを手渡して使い方を説明した後、買い物に出かける前に消太は一度二階へと上がり、自分の着替えを済ませると、物置部屋を物色した。

思った通り、かつて消太が着ていた服のうち比較的綺麗なものは残っている。

ついでに昔の長靴まで見つけてリビングへ戻ると、少女は子猫をタオルドライしている最中だった。

声をかけると、少女が手を止めてこちらを振り向く。

その眼前に服を広げて見せながら、

 

 

「女の子用じゃないし可愛くもなくて悪いけど、しばらくこれに着替えててくれ。濡れちゃった服は乾燥機にかけるから__」

 

 

言い終わらぬうちに、おもむろに自身の服をまくり上げた少女の腕を掴んで下ろす。

人は本当に焦った時、言葉すら出て来なくなるものなのだと消太は学んだ。まさに今。

何かと大胆な子供だとは思っていたが、まさかノータイムで服を脱ぎ始めるとは思わなかった。

今日が初対面の人間の前で、躊躇なく肌を晒した少女の事が心配でたまらなくなってくる。

 

 

「いくら子供でも、その危機感のなさはちょっとマズすぎるんじゃないか……?」

 

 

仮にも女の子。しかも「とても可憐な」と言う枕詞がつく女の子だ。

何かの事件に巻き込まれてからでは遅いというのに、こんな子に一人で外をうろつかせる親の気が知れない。

よく知りもしない他人の言うことを素直に聞いて家に上がり込んでしまう、こんな女の子を__

 

 

「お前なにホイホイうちに連れ込まれてるんだ。しっかりしろ」

 

「ついて来いって言ったのはお兄さんなのに?」

 

 

それは本当にその通りなのだが、この世の中には悪意を持った悪い人間というのが割とそこら中にいたりするのだ。

もっと気を引き締めて生きてほしい。

 

 

「いいか?今後、知らない男__いいや、お前の場合は老若男女問わず警戒すべきだな。知らない人間に家に来るよう誘われたら、何が何でも無視して逃げるように」

 

「今この状況は?」

 

「この状況も本来ならアウトだ。今回はたまたま俺が悪い人間じゃなかっただけのラッキーだと思え」

 

 

かなり真剣に言い聞かせたというのに、対する少女は「ふうん」と気のない返事を一つ寄越しただけ。

完全に暖簾に腕押し状態だった。

「あのなぁ……」と消太が腕を組んで本格的に説教モードに入ろうとした時、子猫がクチュンと下手くそなくしゃみをした。

すぐさまドライヤー片手に猫に向き直る少女に、これ以上話を聞かせるのも違う気がして毒気を抜かれてしまう。

追撃のように「早くご飯を買ってきて」と急かす少女の正論を受け、消太は大人しく財布を片手に家を出る羽目になった。

 

 

 

______

 

 

 

 

「買い過ぎだね」

 

「……このサイズの子猫がどれを食べてくれるのか、分からなかったんだから仕方ないだろ」

 

「買い過ぎだね」

 

「重ねて言うな。俺だって失敗した自覚はあるんだよ」

 

 

買い物からの帰宅後、少女の濡れた服と、どうやら自分で洗っておいてくれたらしい泥の落ちた靴下を乾燥機付き洗濯機に投入する消太の隣で、少女がレジ袋の中身を見ながら容赦のない感想をぶつけてくる。

 

 

「この子、乳歯は全部生え揃ってるし、割と何でも食べられると思うよ」

 

「逆に何でお前はそんなに知識が豊富なんだよ」

 

 

子猫用ミルクに子猫用フード、猫界の麻薬ことチャオチュールに加え、遅ればせながら猫用シャンプー等々__レジ袋にこれでもかと詰め込まれた猫用品に、少女が無表情ながらも呆れているような気配を感じて少しばかりばつが悪い。

心配性が自分の欠点の一つであることを、こういう場面で痛感してしまう。

しかし猫など飼った経験もないのだから、何が必要で何が不要か、手さぐりになってしまうのも仕方がないはずだと心の中で自分自身を擁護しておく。

 

 

「ていうか、お前に買い物の仕方を注意される謂れはないぞ。お前だってヒーローグッズ爆買いしてたろ」

 

 

リビングへと戻り、ソファの上に置きっぱなしになっている少女の持ち物を指させば、ウェットフードの袋を取り出していた少女がノールックで「それは全部必要なもの」と呟きながら封を開ける。

 

 

「お皿、ある?」

 

「取ってくる。……ヒーロー、よっぽど好きなんだな」

 

「特にそういう訳ではないけど」

 

「何でまたはぐらかすんだよ。好きでなきゃ、そんなに大量には買わないだろ。小学生の所持金から考えたら、相当でかい買い物だったんじゃないのか?はい、紙皿」

 

「ありがとう。あれは私のために買った訳じゃないよ。今、風邪を引いて家で寝込んでる子が居るんだけど、本当は今日その子と買いに行くはずだったの。グッズを欲しがってたのも、ヒーローが好きなのも全部その子」

 

 

言いながら、少女が紙皿を床に置く。

よほどお腹が空いていたのか、フードに顔ごと突っ込みながらチャグチャグと音を立てている子猫の様子に消太の頬は思わず緩んだ。

 

 

「その子が景品全部買って来いって?」

 

「ううん、言わない。聞き分けが良くて、我儘を言うのが苦手な子だから。でも、本当はエンデヴァーのフィギュアを欲しがってるのは分かってた」

 

「ああ……、ラストワン賞の?」

 

「うん。近所のコンビニでは早々に売り切れてたけど、この近くだとまだ残ってたから買っておいた」

 

「なるほどな、それでお前こんな所までわざわざ…。爆買いのお金はどっから出たんだ?」

 

「お小遣い。日頃使わないから、買えるだけの額があって良かった」

 

 

ラストワン賞とは一番最後にくじを引いた人だけがもらえる特別な景品であり、中にはそれ欲しさに一人で何枚もくじを購入して完売させる猛者もいると聞いたことがある。

しかし事も無げに語るこの少女は、まだ小学生程度の幼い子どもだ。

そんな彼女が病気で寝込んでいる家族のために、この悪天候の中で目当ての景品を探し回り、こんな所にまで出向いて小遣いを使い果たしたと言う。

一人っ子である消太に兄弟というものの感覚は分からないが、少なくとも自分の周囲ではここまで思いやりに溢れた兄弟愛は見たことがなかった。

 

 

「……良いお姉ちゃんなんだな。弟もきっと喜ぶよ」

 

 

その優しさに感銘を受けて思わず漏らした消太の言葉に、少女は不思議な挙動を見せた。

不自然な間が空き、突然返事が帰ってこなくなったことを疑問に思った消太が隣に目を向けて見れば、少女は心ここに在らずといった様子で虚空を見つめていたのだ。

その視線は目の前の子猫に向けられているようで、その実どこにも焦点が定まっていないのが消太には分かった。

自分は今、この少女をフリーズさせてしまうほど変なことを言ってしまったのだろうかと焦ったが、心当たりは特にない。

 

 

「もしかして、弟じゃなかったか…?」

 

 

エンデヴァーのファン層は女性よりも男性の方が圧倒的に多いため、勝手に男の子だと決めつけていたが、妹の線もあったかもしれない。

探るように尋ねてみれば、凍結していた少女の意識は解凍されたようで、「合ってるよ」と小さく答えた。

 

 

「弟で合ってる」

 

 

猛スピードで食事を終えた子猫を捕まえ、ティッシュで顔を拭き取ってやりながら、少女は重ねて肯定した。

 

 

「そっか、仲良し姉弟なんだな」

 

「周りの大人にはそう見えてるみたい」

 

「なんか煮え切らない答えだな……。まさか、その弟の事まで好きじゃないなんて逆張りしないよな?」

 

「好きだよ。弟のことは、好きだって分かってる」

 

 

どこか引っかかりを覚える回答ではあるが、今さらこの少女のズレているところの一つや二つにいちいち口を挟む気にはなれないので、消太は構わず話を続ける事にした。

 

 

「お前の弟なら、きっと賢くて優秀なんだろうな。どんな子なんだ?」

 

「エンデヴァーが好きで、ヒーローに憧れを持ってて、よく笑う。将来の夢は、エンデヴァーや私とチームアップすることなんだって」

 

「さらりとお前の将来も巻き込まれてるじゃねぇか」

 

 

当然のように姉もヒーローになる前提で進む弟の夢に消太が笑うと、「だって私もヒーローになるからね」と少女が平然と言ってのけた。

これには消太も笑いを止め、ポカンと口を開いてしまう。

この少女にそういった願望や熱意があることに純粋に驚いてしまったのだ。

出会ってまだ数時間程度だが、その類のものとは無縁な性格だと感じていた。

 

 

「ヒーロー、目指してんのか?」

 

「うん。近いうちになると思う」

 

 

なりたいではなく、なる。

確定事項のような強気な返答が、消太の心にある種の羨望を生んだ。

 

ヒーロー飽和社会と謳われている現代社会において、ヒーローに憧れ、ヒーローを志す子供というのは大勢いる。

一桁の歳の子供たちに将来なりたい職業を聞けば、その半数が迷いなくヒーローと答えるだろう。

消太だってかつてはその内の一人だった。

 

けれど成長していくに連れ、子供たちはその夢が如何に狭き門の先にあるのかを知ることになる。

ヒーロー飽和社会と言えど、その仕事に伴う責任は重く、求められる能力は高く、それ故実際にヒーローになれる人間はほんの一握りしかいない。

全国にいるヒーロー志望の卵たちを押しのけ、その限られた枠にくい込む事がどれほど難しいことなのか、少し考えれば分かることなのだ。

そんな現実を理解し始めた子供は、いつの間にか夢を諦め、妥協を覚えて大人へと変わっていく。

 

 

「……でも確かに、お前ならなれちゃいそうだな、ヒーロー」

 

 

消太には歯が立たなかった頑丈な蓋を、汗一つかかずに開けて見せた力がある。

狭く、身動きの取りづらい地形でも手足のように動かせる羽がある。

その羽は視界の悪い場所で索敵能力を発揮し、さらには飛行手段としても有用らしい。

何て恵まれた強個性なのだろう。

 

それに加えて、高い決断力、弱者を労わる心、身近な人間を大切にできる優しさ。

そんなものまで兼ね備えている彼女は、ヒーローを目指すのに十分な資質を持っているのだと納得できる。

夢見る子供の無鉄砲ではなく、事実に裏打ちされた自信が、根拠ある豪胆さが、自分自身を信じて疑わないその姿勢が、あまりに眩しく羨ましいと思った。

 

 

「……全部、俺にはないもんだ」

 

 

 

 

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