「──蒼良ちゃんがしよることってさ、要は右手と左手で同時に違う文字を書きよるようなもんたい。俺は能力的には蒼良ちゃんに近いけど、やれって言われても出来る気がせん」
観客席の手すりに両腕を乗せ、その上に顎を置いて感嘆のため息をつく啓悟に、「お前に言われなくても分かる」と廻が幼稚に張り合った。
啓悟よりも廻の方が蒼良と過ごした期間は長い。
その分より深く彼女のことを理解していると思っているし、彼女に関する事では誰にもマウントは取らせたくなかった。
「両手どころか、両足も使う勢いだろあれは。……今年は合格できないかも、なんて弱音吐いてた奴、誰だったっけな」
「な……ッ、僕はそこまでは言ってませんよ!」
「反応するのは近いこと言ってた自覚があるからだろ」
「ぐぅ……」
「ぐうの音がでとるよ、目良さん」
だって、反論の余地もないのだ。
だって、まさかあの子がこんなやり方で強引に勝利を掴みに行けるとは思わなかったのだ。
これまで公安の施設で蒼良に関する様々なデータは数値として記録されてきたし、目良はその全てに目を通してきた。
けれども、啓悟や廻の言うように、両手両足で別の文字を書くような真似を誰が出来ると思うだろうか。
もちろんそんなデータを取る機会などありはしなかったし、目良は彼女の能力限界をまだまだ分かっていないのだなと、今日改めて思い知らされた気分だった。
「目良さん、蒼良ちゃんはほんとにすごかとよ。誰よりも強くて、誰よりも特別っちゃん」
うっとりと、エンデヴァーに向けるような眼差しで蒼良を追いながら啓悟が言う。
「……そうですね。何でも一人で出来てしまう。簡単に一人で勝ててしまう」
「不安そうな言い方だな。あいつがますます孤立するんじゃないかって心配になってきた口か?」
「廻くんは本当に聡い子ですねぇ」
確かに彼女は特別なのかもしれない。
年齢に見合わぬ力がある。
不器用だが、人の心を動かせるだけの誠実さがある。
目良が不可能だと思っていた仲間の心までをも動かしてみせた。
けれど、彼女を必要とする者が居る一方で、彼女の方はどうなのだろうか。
全て一人で出来てしまう彼女の戦いは、他者を必要としない彼女の在り方そのものに見える。
手を差し伸べる事はあっても、それが自分に差し伸べられる必要はないと思っている、そんな彼女の考え方そのものに。
「だったら、俺がいつかあいつのサイドキックになれるように上を説得してくれよ。あの独りよがりな戦い方、俺が隣で矯正してやる」
「なるほど。それ、意外にいい案かもしれないですね。君の蒼良に対する過干渉は僕もかなり信用していますし」
「あんたには言われたくねぇよ、過干渉筆頭」
「わはは、俺からすればどっこどっこいってところやけどね」
わざわざ指摘する二人ではないが、他人事の顔で笑う啓悟もストーカー予備軍であることを忘れてはいけない。
「話を戻しますが、廻くんが蒼良のサイドキックに、と言う話は個人的に結構アリだと思います。ただ、いずれは君も自分の事務所を構えて独立するわけですから___」
「しない」
「は?」
「しないって言ったんだ」
「へ?」
「しつこく聞き返すな。俺は独立なんてしない。興味もない」
「じゃ、じゃあ一生蒼良の隣にいるつもりですか!?君のそのポテンシャルで永遠にサイドキック止まりだなんて冗談ですよね!?」
「えーーー、ずるいずるい!!目良さん、俺も蒼良ちゃんの事務所に入りたい!」
「いやいや、それは流石に過剰戦力でしょうよ……」
公安期待の若手ホープである三人が一か所に固まり続ける事など、そもそも上は許すのだろうか。
はなはだ疑問が尽きない目良の隣で、何故か勝ち誇っている廻が啓悟を挑発しにかかる。
「だそうだ啓悟。残念だったな」
「それなら、廻くんを追い出してから俺が入るけん問題なか」
「そういう台詞は一回でも俺に勝ってから言えよ」
「俺が十三歳になった時が楽しみやね!ケチョンケチョンにして吠え面かかせてやるったい!」
「その時俺は十九だ馬鹿助」
まだまだ口喧嘩では勝ち目のない啓悟は、負けを認めて持参したバッグに勢いよく手を突っ込み、取り出したスナック菓子を腹いせにバリボリと頬張った。
隣の廻がわざとらしく横にズレて距離を取り、「ボロボロこぼしてんじゃねぇ」と低く漏らす。
まったく嫌味な男である。
そんな廻に「一緒に食べる?」とすっとぼけた顔で啓悟が袋を差し出すも、盛大な舌打ちを食らってしまった。
冗談の通じない男である。
「そんなに怒らんでもいいのに。ちょっとした可愛い冗談____あーーッ!!!」
「うるせぇ、急に叫ぶな!口の中に物を入れたまま声を出すな!」
潔癖な廻の逆鱗に触れたことにすら気づかずに、啓悟は思わずスナック菓子の袋ごと両手を握りしめていた。
「廻くん、目良さん、見てッ!逃げられた!」
焦る啓悟が訴えているのは、先ほど蒼良がチームメイトに預けたビーストについてだった。
ワンテンポ遅れ、目良と廻も啓悟の狼狽の理由に気が付く。
創真を筆頭とする四人組が担ぎ上げていたはずのビーストが、檻を目前にしてその姿を消していたのだ。
「ち……ッ、荷運び一つ満足に出来ねえのかよあいつらは」
「お口が悪いよ廻くん!ヒーローたるもの常に品行方正に!でも俺もめっちゃ同じ意見!」
「君たちも蒼良に負けず劣らず素直ですよね、悪い意味で」
三者三様のリアクションを見せながらも、その目は各々逃げたビーストを探していて、最初に見つけたのはまたしても啓悟だった。
「おったー!!」
「どこだ!」
「岩山に向かって高速で移動しとる!仲間と一緒!確かあいつの個性は___」
「瞬間移動、ですね。今日の前半の試合を見た感じ、移動距離は最大約十メートルと言ったところでしょうか……。単体では大した脅威には思えませんでしたが、ここに来て考えましたね」
意識を取り戻したビーストの背中に乗るのは、テレポーターことヒーロー名『フラッシュ』だ。
スピードを手にした獣と言うべきか、パワーを手にしたテレポーターと言うべきか、とにかく今日一番の名コンビが突如として爆誕し、会場をとてつもないスピードで疾走し始めている。
「……なあ、おい。まさかとは思うが、あれはどこに向かってる?」
「やけん、岩場やって言いよるやん!方角的にもほら……あれ……?」
蒼良が最初に立っていた場所。
仲間のピンチを救った後、再び戻ろうと向かっている場所。
つまり必然、ビーストとフラッシュの向かう先、その直線上には___
「蒼良ちゃん、逃げてぇッ!!」
啓悟は今日、蒼良よりも速く動ける人間を初めて目の当たりにしてしまった。
恐らく自分が声を上げるよりも先に背後からの敵の接近に気が付いていたであろう蒼良___そんな彼女の全力をもってしてなお、双方の距離はみるみる縮まっていくばかりだ。
フェイントや蛇行を織り交ぜようとも、線ではなく点で移動するテレポーター相手には大して役に立ちはしない。
後ろを振り返り、敵の位置を確認した蒼良の背中に、会場中に散らばっていた多くの羽が戻ってくる。
華奢な身体が浮き上がり、その進路を突如上空へと変えた。
___真下から敵が迫ってくる。
他のチームメンバーを巻き込まないよう、自分一人仲間から距離を取って上空へと急いだ蒼良は、チラリと足元を覗いて状況を確認した。
敵との距離、約三十メートル、二十メートル、十メートル___来る。
前半の戦闘中に得られた観察結果から、蒼良はフラッシュの移動可能距離を割り出していたつもりだった。
その距離約十メートル。
次のテレポートで敵が自分のすぐ下に現れると予測し、いくつかの羽を用いて素早く青い短刀を生成する。
脅しがてら上から攻めようと構えた直後、フラッシュとビーストが現れたのは蒼良の足元ではなく頭上だった。
どうやらテレポーターは今この瞬間まで自身の最大移動距離を偽っていたらしく、蒼良が敵の用意周到さに気が付いた時には既に頭上から獣の拳が降ってくるところだった。
瞬間、反射的に体が迎撃の姿勢を取り、握る刃に力がこもる。
上体を捻り、回転の勢いのまま相手の首に振りぬこうとして、身体が不意に硬直した。
外的要因ではない。
『ヒーローはヴィランだって殺さない』__多くの人間にとっては常識的な、けれど蒼良にとってはこの世界に生を受けて初めて学んだその知識が、その行動に制限をかけたのだ。
それに加えて、火伊那との約束が蒼良の自由を奪いにかかる。
相手の人間を殺してはならず、チャクラと忍術の使用を抑制され、さらには多くの人の目に晒されているこの局面で、あまりに常識を逸脱した動きも許されない。
そうなると必然、蒼良は顔の前で両腕をクロスし、落ちてくる拳を受け止めるという選択をせざるを得なかった。
風を切って振り抜かれた重たい拳が、 防御と呼ぶにはあまりに脆い細腕を強かに打ち付ける。
容赦のない威力に、軽い身体が岩場めがけて猛スピードで落下していく。
これだからパワー型は苦手なのだ。
内臓が振り回されるような感覚と共に落ちた先、岩壁に叩きつけられる直前に翼のクッションで硬い岩肌から逃れたものの、衝突の衝撃に溜め込んだ空気が肺の中で破裂した。
開いた口から意図せず短い苦鳴が漏れ、意識が軽く飛びそうになる。
世界の認識が遅れかけている頭を振ると、切れた口内に溜まった血液を地面に吐き出して立ち上がる。
遠くの方で啓悟の絶叫が聞こえていなければ、完全に気絶していたかもしれない。
蒼良は心の中で、観客席から身を乗り出して叫ぶ弟分に感謝した。
そして休む間もなく、立ち上がり体勢を整えようとした時だった。
「__アズールッ!!」
こちらの名を呼び、取り乱したように駆け寄って来た男の方を振り返り、蒼良の足元がふらついた。
傾いた身体に腕が回され、抱き留められる。
見上げれば仮面越し、重傷を負った蒼良以上に切羽詰まった顔色をした維の顔があるのが不思議だった。
「アズール、君、手が……!棄権しろ、今すぐ治療を受けに行くんだ!」
維の目に映る蒼良の姿は悲惨だった。
左の手首が不自然な方向に曲がっているのだ。
白いジャケットには血が滲み、無理矢理に袖をまくれば、酷い打撲痕に加えて一部皮膚が裂けてしまっている。
それなのにそんな大怪我を抱えている本人が、背中を丸めることも苦痛に呻きを漏らすこともなく、これまでと変わらぬ様子で動こうとしているのだから、それは異常な光景だった。
「大丈夫、折れたのは左手首だけだから。頭もだんだんハッキリしてきた。もうちゃんと動けるよ」
維の胸を右手で軽く押し退けて、蒼良が身体を離しながら答える。
「頭も打ったんじゃないか!何が大丈夫なんだ、どうしてそんな普通に話していられる!?君は痛みを感じないのか!?」
華奢な身体が打ち落とされ、岩場に叩きつけられる光景を見た時、維は息が止まるかと思った。
それと同時に、落下地点に駆けだしていた。
ビーストたちは格上とみなした蒼良相手に全力をぶつけたかったのだろうが、いくらなんでもやりすぎだった。
相手の命を危険に晒すかもしれない攻撃だったと感じたし、今目の前にいる蒼良は異様な精神力で強がってはいるものの、実際に彼女が負った負傷はとても放置していいようなものではない。
「生憎、ちゃんと痛いよ。昔よりもずっと鮮明で困るくらい」
痛覚が鈍るほど破滅的な戦いばかりを繰り返していた過去がある。
けれど今、大事に育てられてきた身体は怪我には縁遠く、この程度の負傷が驚くほどの痛みを蒼良にもたらしている。
「だったら__!」
「でも、大丈夫。私の身内には優秀な治癒能力者がいるから、この怪我もきっと治してくれる」
きっと、ものすごく怒られてしまうだろうけれど。
「だからそれまで一時的に、止血と手首の固定をお願いできる?」
本来とは逆の方向に曲がりかけていた自分の手首を、もう片方の手であるべき位置に戻しながら蒼良が差し出すと、代わりに維が表情を歪めた。
「……本当に信じられないな。いったいどんな精神力をしてるんだ。君がヒーローにかける思いは、これほどのものなのか」
痛ましい光景を前に目を細めながらも、維は自身の袖口の繊維を分解し、蒼良の手首に固く巻き付けていく。
「私が今日ヒーローになることは確定事項なの。__ありがとう。流石、完璧だね。これでこれ以上の悪化は防げそう」
「どういたしまして。強気なのはいい事だが、くれぐれも無理はするなよ。本当は今すぐにでも棄権させたいところなんだ。後遺症が残ればヒーロー活動にも支障が出るかもしれないんだぞ」
「そんな事にはならないと思ってるけど……」
仮にそうなったとして、維にはなんの不利益があるのだろうか。
続く言葉を口にしなかったのは、ヒーローという生き物が今日出会ったばかりの相手を本気で思いやれる人種である事を思い出したからだ。
眉をしかめて心配そうにこちらを見る維の心理を理解できず、けれど理屈としては腑に落ちた。
そして、やはり相容れないと思う。
自分はどうしたってそちら側にはいけないのだと。
「ジーニスト、そろそろ時間稼ぎの限界が来た。追撃が来る頃だと思うから離れてて。可能なら他のメンバーのサポートをしてくれると有り難い」
「時間稼ぎ?……ああ、君の羽根か。その状態でまだそんな無茶をしていたのか……ますます人間離れしているな。だが、私も一緒に戦ったほうが___」
「ううん、一人で戦いたい。近くにいると、貴方まで巻き込んじゃうかもしれないから」
「……どんな闘い方をするつもりか知らないが、そういう事情なら引き下がろう。他のメンバーの事も私に任せておいてくれ」
無駄な問答はなく、簡潔なやり取りで理解を示して自分のとるべき行動に移る。
そんな維の振る舞いを再度高く評価しながら、蒼良は自由に動く右手で素早く印を結んだ。
____________
「よっ、優秀な治癒能力者」
「茶化すな。俺は今虫の居所が悪いんだ」
「顔怖ァ」
その顔を覗き込んだ啓悟が思わず翼を震わせてしまうほどに苛立った顔で、廻が自身の短髪をかきあげる。
「あの馬鹿……!俺がいつでも快く治してやると思うなよ。どうせ治るからって楽観視しやがって」
「ホントに治してあげんつもり?」
「治すに決まってるだろうが、ふざけたこと言うな」
「口悪ゥ」
「口が悪くなってしまう廻くんの気持ち、僕は分からなくもないですよ」
啓悟が自分を両腕で抱きしめる動作をして茶化していると、目良が廻に同意を示した。
「もっと自分を大切にしてほしいと言い聞かせて大事に守って来た結果がこれですからね。完全に裏目に出ちゃってますもん」
「俺の個性は時間が空くほど効きにくくなるって何度も説明したんだぞ。それなのにあいつは……」
「それを分かったうえで信頼しているんでしょう。君は確かにとても優秀ですから」
「……だいたい、あいつは何で大人しくあの攻撃を喰らってるんだ。防御の構えを取る余裕があったなら、あの刀で相手の腕を切り落とすくらいは出来ただろうが」
何とかしてくれと訴えるように目良に愚痴をぶつけたところ、思わぬ賛辞のカウンターを返され、廻の返答がやや遅れた。
勘違いしてはいけないのは、廻にとっての喜びは目良に褒められた点ではなく、蒼良から預けられた大きな信頼を再確認できた点だということだ。
「たかが試験で人の腕を切り落としたら大問題ですよ。試合中止で相手は病院送り待ったなしです」
廻の過激な発言を目良が呆れ交じりで諫める。
この少年には人の心があるのだろうかと時々本気で心配になる目良である。
蒼良とはまた別のベクトルで道徳心を危ぶまれるべき廻ではあるが、蒼良とは違って常識があり、立ち振る舞いの要領も良いため、組織の人間にはこの危険性があまり知られていない事は救いかもしれない。
「だったら、あのビーストとかいうゴリラは何なんだ。人の手首をぶっ壊すのも大概じゃないのか?俺がいなけりゃ蒼良だって病院送りなんだぞ」
「そうですね。けれど君はここに居る。そして、公安はそれを把握している。もしあの攻撃を受けたのが蒼良ではなく、ここに君がいなかったのなら、試合は中止になっていたかもしれませんね」
自分の存在が、蒼良の自らを省みない自己犠牲的な在り方を加速させている。
それは心底腹立たしいが、今さら距離を置く事など廻にはもう出来そうにない。
彼女が怪我をした時、困った時、一番に思い浮かべる顔が自分のものであればいいと思う。
言う事を聞かずに無茶をする彼女に対する怒りと同じくらい、その原因が自分への信頼にある事を喜ばしいと思う。
「……どうしようもないな」
誰にも拾えないくらいの声量でこぼした言葉は、蒼良と自分、どちらにも向けられたものだ。
蒼良に必要とされる事が嬉しい。
蒼良の役に立てる事も、蒼良の信頼が、感情が、甘えが自分に向けられる事も、全部。
こんな考えを抱いてしまうから、蒼良はまた反省せずに同じことを繰り返すのだろうと分かっているのに。
「そろそろ来ますよ、二人とも。再衝突です」
目良の声掛けに意識を引き戻され、廻が再びモニターへと目を向けると、画面の中、蒼良の周囲を球場に囲むように青い羽が舞っているところだった。
ドームの中心に立つ蒼良はその手に警棒のような細長く丸みを帯びた青い棒を握っており、恐らくはその殺傷性の低い武器で敵を迎え撃とうとしているのが見て取れる。
「周囲に散らした羽は危険察知の役割か」
「そうでしょうね。ただ、いつどこに突然現れるかも分からない敵に本当に対応しきれるのか、少し不安が残る所です」
「大丈夫、蒼良ちゃんは出来るよ。俺、蒼良ちゃんが負けるところとか想像つかんし」
「……まあ確かに、先ほど受けた一撃も蒼良が刀で迎撃していれば対処できていた気もしますもんね」
ただし、その選択肢を選ばないのがヒーローなのだ。
切羽詰まって状況を正しく把握できず、蒼良にあれほどの重傷を負わせたビーストたちと、反撃の余裕があったにも拘わらず、敵に致命傷を与える事を避けて負傷する事を選んだ蒼良。
目良に言わせれば、ここまでの行動でよりヒーローらしいと言えるのは圧倒的に蒼良の方だ。
ヒーロー養成プログラムが着実に彼女の身になっている事を感無量に思いつつ、マニュアル通りの行動を忠実にこなそうとする蒼良が、またしても危険な目に遭うのではないかとハラハラもしている。
この状況を例えるなら、全力でぶつかってくる子供と、その子供を絶対に傷つけないよう上手くかわそうとする大人の構図だ。
_____________
「__雷遁・千鳥流し」
呟きと共に、蒼良の右腕、そしてその手に握られている棒状の武器、さらには周囲で踊る羽々が、一斉に青白い光を纏う。
その発光は月よりも淡く、陽の光の下では誰もその出現に気が付けないほど控えめなものだ。
千鳥流し__それは、自身の内側から取り出した雷性質のチャクラを特定の物体に纏わせる忍術である。
この技の基礎となる『千鳥』を生み出したのは木の葉隠れの天才忍者が一人はたけカカシであり、千鳥流しはカカシ直伝の千鳥を応用したものだ。
高エネルギーを圧縮した光はまるで千の鳥が鳴くが如く絶えず音を響かせることから、このネーミングに思い至ったのだとかつてカカシが言っていた。
現に、今も蒼良の周囲ではかすかにパチパチと何かが爆ぜるような危険な音が鳴り続けているのだが、幸いなことに羽の舞う音に掻き消されてしまっている。
というより、音も光も決して誰にも気づかれぬように蒼良が出力を調整しているのだ。
仮に本来の使用をした場合、この光に触れた者は感電もしくは火傷といった被害は免れられないだろう。
今回に限ってはそれほどの威力は出せないものの____
「が、ぁ……っ」「い、てぇ……!」
このように、油断していた敵の行動を一時的に止める事くらいなら出来てしまうのだ。
蒼良の背後、その距離三十センチもないであろう場所に突如出現したビーストとフラッシュ。
もはや誰の手も届かないのではと思えるほどの活躍を見せた蒼良に、唯一深手を負わせたルーキーたち。
彼らの戦いはいったいどこへ終着するのかと期待する観客たちも多い中、その終わり方はあまりにも呆気ないものだった。
「いらっしゃい。遅かったね」
気やすい言葉選びに、敵を敵ともみなしていない余裕が滲む。
緊迫感はない。覇気もない。
加えて容赦までない打撃が、ビーストとフラッシュの二人を襲った。
血が滴る事も骨が折れる事も筋肉が弾けることもない攻撃。
けれど、ガラ空きの鳩尾に叩き込まれた棒の威力は決して可愛くないものだった。
二人が内臓を抉られるような衝撃を受け、あまりの痛みにうずくまり、動けなくなったところを蒼良が拘束。
そうして動きを封じたまま、羽に吊るして自陣の檻に放り入れた。
「残り時間ももう多くないからね。手早くいかなきゃ」
ゴミ拾いでもし終えたかのような感想を強者が口にしたとき、試合終了を告げる放送が鳴り響いた。
______________
合否発表の後、自分の名前が合格者一覧の中にあることを確認すると、蒼良はすぐさま会場の外へと足を向けた。
駐車場で待ち合わせをしている啓悟たちを長く待たせ過ぎてはいけない。
喜びに震える者、感傷に浸る者たちを掻き分け、すたこらと退場していく蒼良の背中に、声がかかった。
「__アズール。合格おめでとう」
振り返れば、うっすらと赤い目をした創真が背後に立っている。
今回の試験で残念ながら不合格という結果を受け、彼も悲しみに暮れていた者の一人なのだろう。
「どうもありがとう」
「おい、待て待て。それだけ言い捨てて帰ろうとするな。話したい事が沢山あるのは俺だけかよ?」
再びクルリと背を向けた蒼良の左肩に創真の手が触れ、かと思いきや慌てたように放された。
「悪い……ッ、左手は怪我してるんだったよな。それなのに俺、本当にごめん……。そもそも、君のその怪我は俺のせいで……」
「どうして貴方が私に謝るのか分からない。この怪我は貴方のせいじゃない。私が未熟だったのが悪い」
「そんなこと……ッ、何で責めないんだ。俺はお前が与えてくれた簡単な任務一つこなせなかったのに……!」
「こなせない可能性も見こして敵を預けてた。想定内の事をフォローしきれなかった私に責任がある」
思ったことを思ったまま口にするのは蒼良の悪い癖の一つだ。
けれど、自分の言葉を相手がどう受け取るか、そこまで想像できるほどの感受性が育っていないのだから仕方がない。
今回の場合、蒼良の発言は創真を軽んじていると捉えられてもおかしくないものだった。
ここで喧嘩に発展しなかったのは、創真が蒼良のそんな特性を既に理解していたからだ。
「……情けないな。これでも人一倍努力してきたはずなのに」
俯き加減で苦笑する創真に、「そんなことない」と蒼良が答える。
意外にも、ここで励ましの言葉の一つや二つを投げてくれるのかと創真が思わず顔を上げると、
「理想と現実にズレがあるなら、それはただ鍛錬が足りていないだけ。時間はまだいくらでもある。情けなく感じる必要はない」
「……ありがとう。でも、俺はもうやれる事は全部やってここに来たんだ。本当に努力したんだよ」
「だったら、私はその何十倍も努力した」
創真の瞳に、初めて反抗的な火が灯った。
自分のこれまでを何一つ知らない蒼良に、積み上げてきたもの全てを否定されたように感じたからだ。
「……俺が今日まで、どんな風に過ごして来たかも知らないくせに」
「そうだね、私は貴方のことを何も知らない。……でも、貴方はまだ、すごく人間らしいと思うから」
人でいられなくなるほどの苦痛を超えた、その先で手に入れたものが蒼良にはある。
けれど、それと引き換えに失ったものは大きく、持っていないからこそ持っている者が眩しく映ることもある。
蒼良から見る創真は、感情豊かで複雑で、とても人間らしい人だ。
だからこそ____
「そのままでいいよ。そのままで、貴方はきっとヒーローになれる」
変わらなくていいと思った。
人の痛みを理解できる優しさも、泣いている誰かを気遣える思いやりも、恐怖している人の心を温められる笑顔も、全てヒーローには大切な素養だと学んで知った。
かつての蒼良が失い、取り返しのつかなくなってしまったそれを、目の前の青年はまだ手にしている。
「……ホント、君の頭ん中を一度でいいから見てみたいよ」
脈絡のない不器用な激励に、訳が分からないという顔をしながらも、そこに悪意がない事を知っている創真は苦笑した。
「ほとんど理解できてないけど、何となく伝わったよ。ありがとう、アズール。引き留めてごめんね。その怪我、早く治るといいね」
「___アズールッ!君はまだこんな所にいたのか!試験が終わったらすぐに治しに行けとあれほど言っておいたのに!」
創真が別れの挨拶をしようと片手を振りかけたとき、これまでのクールなイメージにヒビが入るような大声をあげ、維が間に割り込んできた。
さながら母親のような剣幕で蒼良をガミガミと叱りつけながら引きずるように連行していくのを唖然として見送り、そして不意に笑い出した。
あんなにも強く美しく隙のない戦い方をする得体の知れない女性が、まるで子猫のように無抵抗に連れて行かれてしまったのだから無理もない。
学生時代、言葉少なかつ冷静に雄英体育祭で優勝をかっさらっていたあのベストジーニストが、実はあれほど世話焼き気質な人間であったこともその面白さに拍車をかけていた。
「……いいなぁ。俺も早く、あの二人に追いつかなきゃだ」
姿の見えなくなった扉の方向を見つめながら、創真が涙を拭っている間も、維によるお説教は続いていたという。