暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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あなたのために生きたい

「蒼良ちゃん、お帰りー!……って、その子誰?」

 

 

自室へ向かう途中、談話室の前を通り過ぎたところで、中から啓悟が走り出てきた。

立ち止まって振り返れば、扉付近で目を丸くしている啓悟の背後から、廻と目良が姿を現す。

三人とも、蒼良に横抱きにされたまま目を瞑っている薄汚れた少年に目が釘付けになっている。

 

 

「……俺の出番か?」

 

 

他人に触れる事を嫌う廻がそう口にしてしまうくらいには、転弧は彼の目に痛々しく映ったらしい。

最も、転弧の傷を治そうとした動機は、見ず知らずの幼い子供の為ではなく、蒼良の手助けの為ではあるが。

 

 

「ありがとう。目立つ部分だけ応急処置をお願い。細かい部分はお風呂で洗った後にまた頼んでもいい?」

 

「分かった。とりあえずは顔、首、腕だな」

 

 

即座に引き受けると、廻は転弧に手を伸ばす。

 

 

「蒼良ちゃん、俺は?俺は何か手伝えることない?」

 

「啓悟は……うん、今は特に何もないかな」

 

「ガーン!」

 

 

自分も蒼良の役に立ちたかったと項垂れる啓悟を見下ろし、勝ち誇った顔で廻は任務を全うした。

すると、それまで黙って廻の治療を見守っていた目良が、焦ったような顔で口を開く。

 

 

「蒼良、その子供は例の捜索中だった少年ですよね? ここまで連れ帰ったのはどうして……」

 

「ひどく衰弱しています。外傷もですが、主に精神的に。事件のことを思い出すと精神が不安定になるみたいです。しばらくは彼の口から当時の出来事を聞き出すような真似は避けた方が無難だと思いました」

 

「……なるほど、それで警察には引き渡さずに直接ここに」

 

「はい。もちろん警察と捜索中のヒーロー達には連絡を入れるつもりです。そのままの事情を話せば、恐らく容認してもらえるかと」

 

「はいはい!それなら俺、その子のお世話手伝うよ。こん中やったら俺が一番歳近いやろ?」

 

 

ピンと手を挙げ、胸を張りながら啓悟が会話に乱入してくる。

ようやく自分の役割を見つけたと言わんばかりの張り切りようだ。

確かに転弧は現在五歳、それに対して啓悟は七歳、蒼良は十歳、廻は十三歳、ついでに目良は二十三歳___良き遊び相手となるのは、性格的な面から見ても間違いなく啓悟だろう。

しかし___、

 

 

「ごめんね、啓悟。気持ちはありがたいけど、今はとにかく刺激を避けてあげたいの。この子は誰かに触れる事をとても怖がってた。啓悟と遊べるかどうかは、目を覚ました後の様子を見てから判断しようと思う」

 

「ガーン!」

 

「それと、廻くん。お願いしてばかりで申し訳ないけど、この子のために何か胃に優しい食べ物を用意してもらえる?後で受け取りに来るから」

 

「お粥かうどんでいいか?」

 

「うん、すごく助かる」

 

 

二度目のショックに打ちひしがれる啓悟を「残念だったな」と意地悪く廻が笑い、それを目良が窘める。

お決まりの構図で騒ぐ三人の中心にはいつも蒼良がいるのだが、今日ばかりはここに長居はしていられない。

 

 

「それじゃあ、私はもう部屋に戻るね。やらなきゃいけない事が色々とあるから」

 

「俺が必要になったら言えよ。治してやる」

 

「ありがとう、廻くん。頼りにしてる」

 

 

背を向けて歩き出した蒼良は、自分が最後に言い残した一言が廻にもたらした喜びと、啓悟(ついでに目良も)にもたらした嫉妬の大きさには気づかない。

 

自室に入ると、蒼良は温かい蒸しタオルで眠る転弧の全身を拭いてやった。

汚れを落とし終えた身体に目立った外傷はなく、先ほどの廻の治療のお陰でほぼ完治と言っても問題はなさそうだ。

右目と左口元には裂けたような傷跡が残ってしまったが、頬も唇もほんのりと色づき、本来の整った顔の造形がハッキリと分かるようになっている。

 

まだ目を覚ます気配のない転弧に自分の部屋着を着せてベッドの上に寝かせると、共に捜索に当たっていたヒーロー達に連絡を入れ、転弧を一時預かりする許可を得たのち、一度部屋を出て再び談話室へと戻る。

ちょうど出来上がっていた廻のお粥を受け取って再び自室に帰ると、転弧は薄く目を開いてぼんやりと天井を見つめていた。

 

 

「起きてたの?」

 

「……お姉ちゃん」

 

 

視線を向ける事もなく、仰向けのまま転弧の口が力なく動いた。

 

 

「言いそびれてたけど、私の名前は瑠璃川蒼良。呼びたいように呼んでね」

 

「蒼良ちゃん……ここ、蒼良ちゃんの部屋……?」

 

「そうだよ。転弧は途中で寝ちゃったから、私がここまで運んできた。ところで、お腹は減ってない?お粥があるんだけど、食べられそう?」

 

 

尋ねると、転弧の視線がようやく蒼良に向けられ、その手元にある湯気の立つ器を見つめ、しばし答えを探すような沈黙が落ちた。

 

 

「お腹、空いてない……ごめんなさい」

 

 

考えた末、転弧は食欲がないと答えた。

しかし何日も碌なものを食べていなかったであろう少年に、このままはいそうですかと食べ物を与えない訳にもいかない。

蒼良はベッドサイドに腰かけると、レンゲで粥を一匙掬い、息を吹きかけ熱を冷ましてから転弧の口元に近づけた。

香りを嗅げば自然と食欲も湧いてくるかと思いきや、転弧の反応はかなり鈍い。

 

 

「転弧、身体は起こせそう?食べたくなくても何か胃に入れておいた方が良い」

 

 

優しく問いかけても、転弧はなかなか口を開こうとはしなかった。

それでも言葉には応えようと、彼はゆるゆると上体を持ち上げようとしたが、その動きはひどく頼りない。

見かねた蒼良は背後へ回り、その背中を支えるように自分の胸元に抱き寄せた。

後ろから回した手でレンゲを口元まで運び、小さく開いた唇の隙間に滑り込ませる。

ごくりと喉が動くのを確かめながら、一口、また一口と、蒼良は丁寧に粥を与えていった。

 

全て食べ終わった時、転弧はもう夢と現実の狭間にいて、重たい瞼が耐えきれずに落ちてくるところだった。

やはり相当疲れていたのだろうと、夕食後の歯磨きは免除してそのまま寝かせてやることにする。

蒼良も自身のナイトルーティンを終えると、床に布団を敷き、ベッドの隣に並んで眠った。

 

翌日、朝一番に転弧の顔色を確認した蒼良は、青白い顔と額に滲む細かな汗に気が付いた。

額に手を当ててみると、火照ったような熱が伝わってくる。

 

 

「転弧、おはよう」

 

 

声をかけると瞼が開き、虚ろな瞳が蒼良を映す。

遠い世界を見つめているような目に輝きはなく、唇は薄紫で呼吸も浅い。

 

 

「……寒い」

 

 

ポツリと一言呟いた転弧は、発熱していた。

精神的にも身体的にも消耗し続けた結果だろう。

思えば昨晩の重たげな動きにも熱の兆候はあったのかもしれない。

 

公安のかかりつけ医を手配し、疲労による体温上昇との診断をもらうと、応急処置として解熱剤を飲ませる。

体調が回復するまでの数日間は安静を保つようにとのことで、可能であれば即日警察へ引き渡すつもりだった蒼良の計画は、ひとまず延期となった。

 

もうしばらく一時預かりを続けたいと他のヒーローたちに連絡を入れると、皆あっさりと了承してくれたばかりか、蒼良のパトロール管轄まで代わりに回ってくれるという、ありがたい申し出まで届いた。

その厚意に甘える形で、一時的にヒーローを休業することとなった蒼良は、こうしてこの日から、転弧のそばに張り付くようにして世話を焼きはじめた。

 

汗をかいた身体を拭き、清潔な服に着替えさせ、こまめに水分を与えて部屋の温度管理をし、三食すべて蒼良の手ずから与えるという甘やかしっぷりだ。

というのも、熱のせいかすっかりと気力の抜けてしまった転弧は、自発的に動く事も無ければ言葉を発する事もなく、ただじっとベッドの中で脱力する事しかできないのだ。

 

されるがままを受け入れ、与えられるままに受け取りながら日々を生きるその姿は、まるで自分のようだと蒼良は思っていた。

だからこそ、喋らない転弧を不思議には思わなかったし、特に気に留めることもなく無言で世話を焼き続けた。

 

五日も経つ頃にはすっかり熱が下がっていたが、転弧の無気力は相変わらずだった。

この頃には極端に口数の少ない転弧の様子がおかしいと蒼良も勘づき始めていた。

けれど、気が付いたからと言って何ができる訳でもない。

転弧がその理由を話してくれない限りは蒼良に対応手段はないし、手の延ばし方も分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「転弧、寒くない?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 

気温が下がる夜、蒼良がそう声をかけると、転弧は決まって寒いと言う。

いつものようにエアコンの温度を上げようとリモコンを取ろうとしていると、転弧が蒼良に手をのばしかけ、躊躇うように引っ込めた。

あの日から個性対策の手袋を常に身につけてはいるものの、人に触れる事はまだ怖いらしい。

 

 

「どうしたの?」

 

 

何か言いたい事があるのだろうと思い尋ねてみると、転弧は再び「寒い」と訴えかけて来た。

それならと再びリモコンに手を伸ばすと、

 

 

「寒い……から、もっと……近くに来て」

 

 

連日転弧が寒いと言い続けた本当の理由をようやく理解した蒼良は、自身の察しの悪さを反省しながら転弧の隣に寝転んだ。

側に居て欲しい___それは、転弧がこの部屋に来てから初めて口にした要求だった。

 

 

「他に何かして欲しい事はない?私は言葉の裏を読むのが苦手だから、言いたい事があれば遠慮なく言って欲しい」

 

 

転弧は何も答えない。

眠っている訳ではないのは分かっていたが、これ以上は話したくないのだろうと考え、蒼良も目を閉じ口を閉ざした。

 

転弧が以前、どんな性格だったのかを蒼良は知らない。

もしかしたら口数が少なく、心ここにあらずな様子が普段通りなのかもしれない。

けれど深夜、声を抑えて震え泣く彼は、ぬくもりを求めて蒼良に額を押し付ける彼は、自分自身を傷付けるようにその身体を掻きむしる彼は、自らの殻に閉じこもり、寂しさに苦しめられているように思えた。

 

朝の薄明かりが部屋を静かに満たす頃、蒼良はいち早く目を覚まし、転弧の渇いた涙痕をそっと拭き取った。

昨夜、引っ掻き傷が増えた箇所を医療忍術で治療すると、部屋を出て談話室へと向かう。

廻お手製の朝食を二人分受け取り部屋に戻れば、いつの間にか目を覚ましていたらしい転弧がベッドの上で膝に額を押し付けながらうずくまっていた。

 

 

「転弧、おはよう。今日の朝食はパンケーキだよ。なるべく子供が好きそうなものを頼んでみたんだけど、食欲はある?」

 

 

転弧は緩慢な仕草で顔を上げて蒼良を見る。

熱も下がり、ようやく動けるようになったはずだが、やはりその反応は鈍いままだ。

 

 

「食欲がなくても食べよう。好きなテレビを見ながらでいいから、ほら、おいで」

 

 

テレビと向かい合うように配置されたローテーブルの前に座り、自分の隣をトントンと手で叩いてみるが、転弧が動く気配はない。

仕方がないので羽を使って抵抗しない身体をそっと持ち運び、自分の隣に座らせた。

テレビをつけ、子供向けの番組を探してチャンネルを切り替えながら、パンケーキを一口サイズに切り分けて転弧の口に運んでいく。

 

一人では食事が出来ない。

一人では入浴が出来ない。

一人では睡眠をとれない。

一人では泣く事も出来ない。

そんな廃人さながらと化した少年が突如弾かれた様に顔を上げたのは、テレビから聞こえた朝のニュース報道がきっかけだった。

 

 

『___わーたーしーがー、来たーッ!!』

 

 

朝から大型ショッピングモールを襲ったヴィラン数体を、たった一人で制圧したという男のスタンディングポーズが画面いっぱいに映し出されている。

 

 

「オールマイト、好きなの?」

 

「別に、そんなこと……」

 

 

口を開くのも忘れ、画面に釘付けになっていた転弧に尋ねてみれば、何とも歯切れの悪い返事が返ってくる。

それを言葉通りに受け取った蒼良が、「それじゃあ違う番組にしようか」とリモコンを握ると、転弧が勢いよくこちらを振り向く。

 

 

「あ…っ、ぅ……」

 

 

もどかしそうに、焦ったような表情で蒼良の手元を見つめる転弧は、どうやらチャンネル変更には乗り気ではないらしい。

 

 

「思ってることは素直に口にしていいんだよ。オールマイト、好きなんでしょ?」

 

 

オールマイトどころか、転弧はヒーローという存在そのものが好きだった。

しかし、転弧の父__志村弧太朗はそんな息子を疎んですらいた。

弧太朗にとって、ヒーローとは憎悪の対象であったからだ。

 

弧太朗の母__ワン・フォー・オールの継承者だった志村菜奈は、オール・フォー・ワンの魔の手から最愛の息子を逃がすための苦渋の決断として、まだ幼かった弧太朗を手放し離別した。

愛情故のその決断はしかし、弧太朗の心の中に生涯癒えることのない深い傷跡を残すこととなった。

 

ヒーローは家族を不幸にする__その思い込みから彼は自身の母を憎み、ヒーローを恨み、転弧がヒーローに憧れる事を暴力的に抑えつけた。

そんな家庭で虐待まがいの教育を受けて育てられた転弧は、好きなものを堂々と好きという事すら叶わず、不条理に抑圧され続けてきた。

そして今、父は死に、しがらみから解放されたはずの少年は___、

 

 

「言えないよ……だって、だって、僕は人殺しで……僕は、ヴィランで……」

 

「違う。転弧はただの被害者だよ」

 

「……被害者?」

 

「そう。あの一件は事件ではなく事故として処理される。誰一人として転弧を裁く事なんて出来ない」

 

「僕の意志で、お父さんを殺したとしても……?」

 

「殺したとしても。個性の正しい使い方を学ぶ機会が与えられていなかった。不幸な事故だよ」

 

「違う……僕はもう、ヒーローを好きだなんて言えない。言っちゃ駄目なんだ。だって、オールマイトは来てくれなかった……!ヒーローは助けてくれなかった!全部全部、僕がヴィランだったからだよ!」

 

 

突如声を裏返して叫び、自身の頬を、目元を、喉元を、かゆくて堪らないかのように、血の滲む勢いで掻きむしる。

 

 

「違う。オールマイトが救える範囲には限りがある。彼が転弧を見限った訳じゃない」

 

「でも……ッ!だ、誰も助けてくれなかった!」

 

 

荒い息を吐きながら、転弧は叫ぶ。

揺れる瞳にありったけの感情を乗せ、自己否定の海に沈みながら。

 

 

「皆僕を見て顔を背けた!見なかった事にした!気づかなかった事にした!全部、僕が悪い子だから___」

 

「でも、私が来たよ」

 

 

転弧は泣きそうな顔で首を振った。

そんな言葉にはもう自分を安心させられる力など何一つないのだとでも言うように、信じられない、見たくないものから顔を背けるかのように。

 

 

「私がここに居る」

 

「でも、僕は……」

 

「転弧が手を伸ばしたら、私がその手を取りに行く」

 

「違うよ、蒼良ちゃん……」

 

「素直になっていいんだよ。転弧が呼べば、ヒーローは___」

 

「違う……!僕はもう、全部終わりにしたい……っ」

 

 

嗚咽を漏らしながら、転弧は自分の本心と共に涙を流した。

罪悪に怯えて生きていく事が恐ろしいのだと。

のうのうと生きる自分に嫌悪を抱かずにはいられないのだと。

 

 

「……だったらどうして、寒いなんて言ったの?近くに来てほしいなんて言ったの。私の肩に顔を埋めて泣いたのはどうして?」

 

 

言葉とは裏腹に、最後の希望に縋るように人の温もりを求めた彼が、蒼良には理解できなかった。

けれど空虚で諦観に満ちた瞳___蒼良はこの目を知っている。

数年前、蒼良は大切な女性が発していたこのSOSを見逃してしまったのだから。

 

失敗から何も学べない者は愚者だ。

使えない道具に価値はない。

二度の失敗は許されない。

 

たとえどれだけ心が傷付こうとも、当事者がそれを望まなくとも、ヒーローたる蒼良はこの少年を救わねばならない。

命がある限り、未来は続く。

未来がある限り、希望は生まれる。

希望がある限り、可能性は無限なのだから。

 

 

「……蒼良ちゃんは、生きるのが辛いって思ったことはないの?人を殺して……ど、どうして生きていられるの……?」

 

 

蒼良の問いには答えずに、転弧が別の問いを投げかけてくる。

酷い質問をしている自覚はあるのだろう。

掠れた声で、小さく詰まるような息遣いで恐る恐る蒼良を見ている。

 

 

「生きろと言われたから。私は命じられた通りに生きて死ぬ。そこに私の感情や思考は介在しない。……自分のために生きられないなら、誰かのために生きればいい。私は昔からそうだった」

 

 

蒼良の発言をかみ砕いて理解するための時間が流れ、そうして次に転弧の口から発せられた言葉は、蒼良の思考を文字通り白く染めあげた。

 

 

「___それなら……、蒼良ちゃんが僕の生きる理由になってよ」

 

 

意思を持たない操り人形の為に生きたいと、そう言った転弧の言葉が信じられなかった。

目の前の必死な少年の言葉を疑い、己の耳を疑って身を固くする蒼良に、転弧は責めるように畳みかけてくる。

 

 

「だって……ッ、蒼良ちゃんが言ったんだよ?誰かの為に生きろって……!蒼良ちゃんが僕の手を取った!蒼良ちゃんが僕をここに連れて来た!蒼良ちゃんが僕に死ぬなって言う!だったら……ッ!だったら、蒼良ちゃんがその責任を取ってよ!」

 

 

震える少年の瞳に映る少女は、戸惑いに表情を硬くしていた。

返すべき言葉が見当たらず、指先一つ微動だにしないで最適解を探そうとするも、そんなものはどこにも転がっていやしない。

 

 

「僕を蒼良ちゃんのものにしてよ!蒼良ちゃんのために生きて良いって、蒼良ちゃんのために生きろって言って!僕のこれまでの人生全部、蒼良ちゃんのためにあったんだって!無駄じゃなかった、可哀想なんかじゃなかった、間違いじゃなかったんだって思わせて!!」

 

 

どうしようもない運命に閉じ込められ、一人では立ち上がれないと絶望に沈み、自分が孤独だと思いこんで見渡した先に、少年は予想もしなかった支えを見つけた。

口では死を願い、呑み込まれそうなほどの絶望に沈んでいても、いざその命が本当に危うくなったとき、目の前に差し出された手を誰もが必死に掴んでしまう。

死を選ぶ覚悟を決めたはずなのに、命の最後の瞬間にこそ心の奥底で生きたいという本能が目を覚ますのだ。

その手がたった一つの希望であり、温もりであり、命を繋ぐ力を持つものに感じられて、足掻きながらもそれにすがるしかない自分を知る。

 

 

「僕を許して!突き放さないで!僕の生きる意味になって!蒼良ちゃんが来てくれて、手を握ってくれて、側に居てくれて、本当はすごく嬉しかった……!お願い、蒼良ちゃん……ずっと僕の隣にいてよ……ッ!」

 

 

蒼良はヒーローとして、この少年のために出来る事は何でもしようと思っていた。

けれど彼のこの願いは、蒼良が1人で判断を下すにはあまりに重すぎる。

第一、蒼良には誰かの命を背負う資格などないのだ。

死ねと命じられればすぐにでも命を断つ自分が、その時他人の命まで道連れにしてしまうなど、ヒーローとして許されるはずがない。

 

 

「誰かの指示がないと動けない事も、誰かの所有物でいる方が楽な事も、理解できる。だからこそ、転弧を所有するべきは私じゃないって事も分かる。私は___」

 

「蒼良ちゃんは分かってない!僕の気持ちをこれっぽっちも分かってないよ!僕は他の誰でもない、蒼良ちゃんがいいんだよ……!」

 

 

大切なものはもう、全て自分で壊してしまった。

全てを取りこぼし、何も無くなった転弧の掌に再び温もりを落としてくれたのは蒼良だった。蒼良だけだった。

転弧にはもう、蒼良以外何も残されていないのだ。

 

 

「手を取ってくれるって言った。側に居てくれるって、素直になっていいんだって……。あれは全部、嘘だったの……?」

 

 

頼りなく震える細い指が、蒼良に向かって伸ばされた。

この手を今掴まなければ何もかもが取り返しのつかないことになると、本能が警告していた。

焦りを抱え、内から湧き上がる言葉にできない力に押されるように、蒼良は転弧の手に手を伸ばす。

直前まで迷い、葛藤していたことを、この瞬間は完全に忘れ去っていた。

 

差し出された手を握り、蒼良は転弧を引き寄せた。

小さな体を胸の中に収め、柔らかな灰色の髪に指を指し込んで抱きしめた。

転弧は蒼良の腕の中で顔を押しつけ、泣いている。

 

息遣いが熱い。

胸が熱い。

胸の内側が酷く熱い。

転弧の体が安心したように力を抜いて崩れ、蒼良はふと自分の突発的な行動を後悔した。

転弧はきっと今、自分の願いが受け入れられたと受け取ってしまったのだろう。

 

 

「転弧、私は___」

 

 

何を言おうとしているのだろう。

何を言えばいいのだろう。

分からないなら今はただ、この少年にこれ以上の傷を負わせない事が最優先なのではないだろうか。

 

 

「……もしもこの先、私以外にも生きる理由が見つかったら、私だけに固執する必要はないって事、覚えておいて。依存先は揺るがないものが望ましい。いつ消えるかも分からないようなものじゃなく___」

 

「僕はきっと、蒼良ちゃんの事がずっと好きだよ」

 

 

自分のために生きる事はもう出来ないから、誰かのために生きたいのだ。

その誰かが好きな相手であれば、なお良いだろう。

好きな人のために生きることができたなら、自分の存在に意味を感じられるから。

自分を愛することができない代わりに、好きな人を愛し続けたい。

 

転弧は強く、そう願うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

_______

 

 

 

 

 

 

 

「___という訳で、今日から公安所属になります。志村転弧くん五歳。以後よろしく」

 

「何が『という訳で』だテメェ。碌な説明がなかったぞ今。ちゃんと一から詳しく話せ」

 

 

精神的にも転弧の容体が落ち着いた頃、蒼良は談話室にて廻と啓悟に転弧を引き合わせる事にした。

隣に立つ転弧の頭に手を添えて、二人でペコリと腰を折っていたところ、廻に話の腰を折られてしまったが。

 

 

「経緯はもう目良さんから聞いてるだろうと思って」

 

「聞いとらんよ。目良さん、ここ最近ずーっとバタバタしとってご飯も一緒に食べとらんし」

 

「そうなの?書類手続きに追われてたのかもしれないね」

 

「書類って、そいつを迎えるためのか?」

 

 

見下ろす廻の視線に温もりは一つも感じられず、怯んだように転弧は蒼良の陰に隠れた。

 

 

「も~!廻くんてば、弟分が怖がっとるやん!脅さない、絡まない、喋らない!ちゃんと徹底して!」

 

「緊急時のおかしだね」

 

「押さない、かけない、喋らないだろ。ふざけるな、バラすぞ啓悟を」

 

「殺意が俺限定!」

 

 

蒼良贔屓が露骨過ぎる廻に啓悟が噛みつくというお決まりの儀式を終えると、切り替えて三人とも本題に戻る。

 

 

「転弧についての大まかな事情は二人も知ってると思うから、ここからは目良さんと私だけが知ってる内容について話すね。まず、転弧の個性は崩壊___五指で触れたものを破壊できる。今はまだコントロールが完全じゃないから、手袋を付けて制御してる段階」

 

 

公安側としても受け入れるメリットは充分にある強力な個性だ。

それに加えて、個性の使用を封じる事は恐らく彼のストレスに繋がってしまう事。

早い内に制御方法を身に着けておかなければ、事故の再発の危険性がある事。

何より、転弧が蒼良の隣を強く希望していた事。

それらの事情を踏まえて、公安で保護する事がこの少年にとっての最善だと、蒼良と目良は結論付けた。

 

 

「もちろん簡単ではなかったんだけど、そこは目良さんの努力で何とか」

 

「道理で最近の目良さんはいつもより生き生き社畜しとったんやね……」

 

 

遠い目をした啓悟が頷く。

蒼良からの頼み事なら諸手を挙げて受け入れる目良が、啓悟には容易に想像できた。

 

 

「よし、それじゃあ俺たちも自己紹介しようか、廻くん」

 

「断る。俺は小さいガキが一番嫌い___」

 

「脅さない!絡まない!喋らない!」

 

「お前が話しかけたんだろうが」

 

 

マイペースに廻をからかった後、転弧に向き直って啓悟はにこりと人好きのする笑顔を作った。

 

 

「俺のことは啓悟って呼んで。歳は七。で、こっちの愛想が無くて目つきが悪くてついでに言うと口まで悪いのが治崎廻くん、十三歳」

 

「俺の紹介に悪意しか感じないな」

 

 

しかし否定できる点がないのは廻も自覚済みなので、それ以上の追求はせずに大人しく黙っておく。

転弧はと言うと、二人を順繰りに見つめた後、返事をすることなく蒼良の服の裾を引いた。

精神的ショックが完全に癒えていない中、環境の急激な変化に戸惑っているのだろう。

蒼良がその手をそっと包めば、あからさまにホッとした顔をする。

 

 

「廻くん、転弧が緊張してる」

 

「濡れ衣だ」

 

「どの口が言っとるん?」

 

 

真顔ですっとぼける廻を啓悟が逃さない。

言い訳を重ねようとする廻を蒼良と啓悟の二人で賑やかに詰めていると、不意に転弧が蒼良の腕に額を擦りつけるようにして抱きついた。

 

 

「……蒼良ちゃん、僕眠たい。早くお部屋に戻りたい」

 

 

弱々しい声で訴える転弧の背中をあやすように蒼良が叩くと、向かい合う古参二人の胸中にジェラジェラと熱い何かが芽生えた気がした。

 

 

「それじゃあ、そういう訳だから私は転弧を寝かしつけに行ってくるね。短い時間だったけど、二人とも付き合ってくれてありがとう」

 

「待って待って、今日もその子と一緒に寝るん?今日は俺も一緒に寝たい!」

 

「俺の目の前でよくそんなふざけた事が言えたなお前」

 

 

むずがるような表情で啓悟がねだると、間髪入れずに制してくる男がいる。

 

 

「はー!?何で廻くんが怒っとるん!?俺が転弧と同じくらいの歳やった時、蒼良ちゃんと引き離した張本人のくせに!」

 

「過剰な接触を制限しただけだ、俺は悪くない」

 

「悪人はこぞってそう言うったい!」

 

「廻くん、前にも言ったけど、私は啓悟が一緒でも特に問題はないんだよ」

 

「俺も前にも言った気がするが、問題は大いにあるんだよ」

 

 

啓悟の悲痛な顔を見て助け舟を出してみた蒼良だが、廻にはやはり取り付く島もない。

いったい何が彼をここまで頑なにするのだろうかと考えた蒼良は不意に閃いた。

 

 

「それじゃあ廻くんも一緒に寝る?」

 

「何をどう納得したらその結論になったんだ?」

 

「寂しいのかなって」

 

「殴るぞ啓悟を」

 

「流石に理不尽!」

 

 

どうしたって廻の怒りの受け皿役を免れられない啓悟が嘆く。

しかしチラリと転弧の様子を盗み見て、すぐに勢いを収めて気を落ち着けると、蒼良に向かって腕を広げた。

 

 

「……転弧が早く帰りたそうやし、俺もこれ以上は我儘言わない。だから、最後にちょっとだけギュってして」

 

 

キリっと物わかりの言いお兄さんの顔をして言うには、いささか子供じみたお願いではあるが、もちろん蒼良はその頼みに快く応じた。

自分の腕の中で啓悟が弾けんばかりの笑顔を浮かべているのを見て、ふと横を振り返る。

 

 

「廻くんも来たかったらこっちに___」

 

「どう考えても俺はしてやる側だろうが」

 

 

それにはちょっと同意しかねるが、確かに廻がハグをねだってくる姿はあまり想像が出来ないので、そういうものなのかと一応は納得しておくことにする。

しかし、もしかしたら歳下二人がいる手前、甘える事をプライドが邪魔した可能性もあるので、今度二人きりの時にでももう一度提案してあげようと蒼良は思った。

 

 

「……蒼良ちゃん、抱っこ」

 

 

啓悟を腕から解放していると、さらなる要求を提示してくる甘えん坊がもう一人。

啓悟の真似するかのように、腕を広げて蒼良を待っている。

その背中に右手を回し、左手でお尻を支えながら抱きかかえれば、細い腕が蒼良の首に回された。

ギューッと強く抱きついて、頭に頬を擦り付けてくるその姿は、さながら人に甘える事を覚えたばかりの子猫のようだ。

 

これには当然、相対する二人は心中穏やかではいられない。

ピットリと蒼良に身を寄せる転弧に廻はいつぞやのチビ鳥を重ねてイラッとし、啓悟は複雑なもやつきを抱えていた。

幼さを盾に思いのままに蒼良に甘えられる特権が今、目の前で奪われようとしているのを敏感に感じ取ったのだ。

 

そんな二人に気が付くことなく、蒼良は彼らに向き直ると、今度こそもう行くねと別れの挨拶をする。

歩き去っていく蒼良の背を棒立ちのまま見送っていた啓悟と廻は、その腕に抱かれながら不意に顔を上げた転弧と目が合った。

眠そうに目を擦っていた幼い少年の表情が、先程とは打って変わってふてぶてしい無表情に変わっている。

 

 

纏う印象が急激に変化したその姿に、見間違えたかと目を丸くしていると、転弧の口が小さく開き、チロリと赤い舌が覗く。

予想だにしない出来事を前に、二人がそれを挑発だと理解したのは数秒後の事だった。

一瞬宇宙を背負った二人は、一拍の間を置いて二人同時に爆発する。

 

 

「……は、あああッ!?何あいつ!何あいつ!?」

 

「おい啓悟。明日蒼良の目が離れた隙にあれを外に捨てに行くぞ」

 

「気持ちは分からんでもないけど、あの境遇の子にその冗談はまずいかも!」

 

「冗談だと思うか?」

 

「冗談じゃなきゃ許されんからね!!」

 

 

喚く二人を遠目に見ながら、発端の張本人はマイペースに蒼良に頬ずりして甘えている。

転弧にとって、これから先自分の意識が向かうべきはいつだって蒼良なのだ。

自分は彼女の所有物で、彼女だけのもので、彼女の手足で、彼女の為に存在し続ける。

 

彼女は転弧の全てだが、転弧は彼女の全てではない。

それを分かったうえで転弧はこの関係性を望み、喜んで受け入れた。

___けれど。

けれど、ほんの少し。

啓悟や廻と居る時の、わずかに柔らかくなる彼女の雰囲気が。

彼らと居ると、多くなる彼女の口数が。

彼らに向ける彼女の優しい眼差しが。

転弧の中に、嫉妬という感情を生んでしまった。

 

だから、転弧は転弧のやり方で、今だけは蒼良を独占させてもらう事にした。

本当は眠くなどないし、目つきの悪い廻の事も怖いなどとは思わなかった。

一度地獄を見て、そこから這い上がった人間は強い。

人生において最も恐ろしい体験を乗り越えておいて、今さら多少の事で動じるはずもないのだ。

 

 

 

 

 

転弧には、蒼良の在り方に口を出す権利はないけれど。

もっと自分を必要として欲しいと。

自分の価値を、彼ら以上だと感じて欲しいと。

そんな事、一所有物の転弧には口が裂けても言えそうにはないけれど。

 

いつか、自分が彼女を欲しているのと同じくらい、彼女にも自分を欲しがってもらえるように。

この場所で頑張ろうと、転弧は心に決めたのだ。

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