暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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寂しいが分からない

トテ、トテ、トテ__。

トテ、トテ、トテ__。

 

目良と並んで歩いた廊下を、蒼良と手を繋いで再び歩く。

九歳の蒼良は、六歳のホークスより頭ひとつ分ほど背が高い。

この年頃の子どもは、月単位でも成長が目に見えて違ってくる。

三歳という年齢差は、身長にもはっきりと現れていた。

 

それなのに、並んで歩くふたりの足音はぴったりと重なっている。

ゆったりとした穏やかなリズム。

蒼良が自分に合わせて歩幅を調整してくれているのだと、ホークスはすぐに気がついた。

 

いつも置いて行かれないよう早足で追いかけてきた。

ある時は父を。ある時は母を。

愛していたからではない。

一人になるのが怖かった。

一人で生きていく力がなかった。その方法を知らなかった。

足を止めれば、自分はすぐに置いてけぼりにされてしまう。それが怖いから追いかけた。

 

この世界の誰一人として自分を気にかけてくれはしない。

最も身近な実の両親ですらそうなのだから、赤の他人に期待した事などあるはずもない。

自分はちっぽけで、取るに足らない存在。

そうやって、自分の居場所と現実を受け入れ、生きてきたはずなのに。

隣を歩くこの少女は、そんなホークスの「当たり前」を今、いとも容易く、あまりにも呆気なく壊そうとしている。

 

やわらかく握られた右手のぬくもりが、心地いい。

重なった足音が、優しいリズムで耳をくすぐる。

こんなふうに気遣われたことなんて、一度もなかった。

先ほどと同じように、ホークスの胸がじんわりと熱くなっていく。

 

 

「……なんで、そげん優しかと?」

 

「私、何かしたっけ」

 

 

本当に、心当たりがなさそうな顔だった。

この程度のことは、彼女にとって『親切』のうちにも入らないのだろうか。

ホークスは思わず足を止めた。

すると蒼良も自然と歩みを止め、こちらを見つめ返す。

この世界にはこんなにも優しい人間がいるのかと、生まれてからの六年間で培ってきた常識が、ゆっくりと、音もなく崩されていく。

 

 

「翼、また動いてるよ。よく分からないけど、それは嬉しいってことだよね?」

 

 

何気ないひと言だった。

その言葉に導かれるように、ホークスは背後へと視線を向けた。

視界の端で、自分の翼が小さく揺れているのが見える。

 

まったく意識していなかった。

動かした覚えも、動かそうとしたつもりもない。

だからこそ、その無防備さに気づいた瞬間、ぞっとするような羞恥が背筋を走った。

 

 

「ちッ……ちがう……!これは、ただ羽がむず痒くて……そう、むず痒かっただけったい!」

 

 

言い訳めいた声が、思わず裏返った。

胸の内にしまい込んできた心の動きが、翼を通して筒抜けだった___それは、大切な秘密の一部を暴かれたに等しかった。

 

幼くして過酷な環境を生き抜いてきたホークスにとって、無防備は弱さと同義である。

自分の感情は、他人には見せない。

それが彼の生き方であり、矜持でもあった。

誰にも悟られず、感情は内に押しとどめる。

それが当然のことだった。

それなのに今、制御しきれず漏れ出した心の内を彼女に見られ、挙句指摘までされてしまったのだ。

 

 

「今度は羽が膨らんでる。ホークスはなんだか忙しそうだね。ヒヨコみたいにピヨピヨしてる」

 

「人の話ば、全然聞いとらん!ピヨピヨなんかしとらんし!さっきも言ったやろ、これは羽がむず痒かっただけったい!」

 

 

火がついたように声を荒げながら、恥ずかしさに頬が赤くなるのを自覚していた。

否定すればするほど、蒼良は涼しい顔で相槌を打ち、一貫してぶれない視線を向けてくる。

からかわれている訳ではない。

ただ純粋に、見たままを言っているのだろうと分かってしまうかのがより厄介で、ホークスから逃げ場を奪っていた。

 

 

「……~~~っ!」

 

 

呻くような声を喉の奥で噛み殺し、ホークスは背中に手を伸ばして羽を押さえ込もうとした。

一人奮闘していると、ふと蒼良の背にある、自分とよく似た青い翼に目が留まる。

ほんのわずか、その翼が揺れていた___ような気がした。

天啓とばかりに目を細め、ホークスが反撃に出る。

 

 

「アズールだって動いとる!羽がピヨピヨしとるったい!人のことばっか言えんのやなかと!?」

 

 

得意げに指差しながら訴えるホークス。

その姿を見て、蒼良がまた「ヒヨコみたい」などと考えているとは気づきもしない。

 

 

「あのね、ホークス。私は心が大人だから、ホークスとは違ってヒヨコじゃないし、ピヨピヨもしないの」

 

「意味わからんこと言っとらんで、後ろ見て!ほら、今また動いた!」

 

 

勢いのままに言い募るホークスの言葉に押されて、蒼良はふと背後を振り返る。

次の瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。

無表情に見える彼女の顔が、かすかに驚きの色を帯びていた。

 

 

「どげんしたと?急に動かんくなって__」

 

「ねぇホークス。私の翼、今動いてた?」

 

「え?あ、うん……ちょっとだけやけど」 

 

「……そっか」

 

 

ぽつりと、間を置いた言葉。

続けてもう一度、確かめるように同じ言葉を繰り返した。

 

 

「そっか……」

 

 

目を伏せたまま、微かに呟く。

 

 

「これが、嬉しい……楽しい……それとも――」

 

「えっと、ホントにどげんしたと……?」

 

 

何かを探るように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐその姿に不安を覚え、そっと問いかける。

すると彼女は「ごめん、気にしないで」と首を小さく横に振った。

 

 

「不思議だね。出会ったばかりなのに、私、ホークスのことが好きなのかもしれない」

 

「……すき?」

 

 

その一言が、頭の中で反響した。

意味は分かるはずだった。

「好き」という言葉も、その使い方も。

ホークス自身、ヒーローが好きだったし、エンデヴァーはもっと好きだった。

世の中の殆どの六歳児がそうであるように、ホークスは何かを好む気持ちを当然のように理解している。

 

けれど、それを生まれて初めて自分自身に向けられた今、「好き」という言葉の重さが何故か酷く掴みづらい。

理解しようとするたび、思考が絡まり、遠のいていく。

頭の中でぐるぐると回り続ける「好き」の反響。

ホークスはただ黙ったまま、蒼良の顔を見つめ続けた。

 

硬直するホークスの頭に、不意に蒼良の手が伸びてきた。

拒む理由も、逃げる理由も見当たらなかった。

じっと固まったままそれを受け入れると、やがて小さな手が頭に触れた。

それは壊れ物でも扱うかのように優しく、慎重で、優しい手つきだった。

 

途端、心臓が苦しいほどに締め付けられる感覚がした。

痛いくらいに苦しいのに、それ以上に、どうしようもなく安堵していた。

 

頭よりも先に心で受け取ったその感情の奔流が、ホークスの胸を叩くように震わせ、気が付けば知らず知らずの内に、両目から涙がこぼれていた。

人前で泣くことを恥ずかしいと思えるほどの余裕は今、無くなっていた。

蒼良はそれを見て一瞬驚いたようにピタリと動きを止めたが、背後で忙しなく動いている赤い翼に気が付くと、「ピヨピヨしてるから、きっと喜んでるんだね」と確認するように口にした。

けれど何故だかホークスはもう、その発言に反発しようとは思えなかった。

 

 

「ねぇ、ホークス。自分の名前、好きだった?」 

 

 

頬を伝う涙を、蒼良が人差し指の背でそっと拭いながら、不意に問いかけてきた。

ホークスは一瞬、その言葉に戸惑った。

意図が読めず、心の中で言葉を探し、けれど結局ありのままの素直な気持ちを口にする。

 

 

「……別に。好きでも嫌いでもなか。どっちかって言うと苗字はあんまり気に入っとらんし、下の名前は……下の名前はちょっとだけ気に入っとったけど。……でも、『ホークス』の方がカッコいいし、俺は別に___」

 

「啓悟」

 

 

話の続きを遮るように、蒼良が静かにその名を呼んだ。

その一言に、喉の奥で言葉が凍る。

思わず口をつぐんでしまった。

 

 

「啓悟、いい名前だよね。私も素敵だと思う」

 

「何で……。副会長、呼んだらダメって言っとったのに」

 

「うん。言ってた」

 

「やったら……」

 

「それでも二人きりの時だけなら、問題ないと思わない?」

 

「……そういうもの?」

 

「誰にも聞かれてなければ、何もなかった事と同じ。規則に背いた事にはならないよ………多分」

 

 

言葉こそ淡々としているが、その羽根にはかすかな翳りがあった。

ホークスと比べると、彼女の翼の変化は分かりにくい。

それでも彼女なりに、今の提案が良くないことだという自覚はあるのだろう。

 

 

「……やっぱり、駄目なんやろ?無理せんでよかよ。俺、ホークスって名前、気に入っとるって言ったのは嘘やないけん──」

 

「名前は自己を確立するうえで、すごく大事な要素なんだって」

 

 

蒼良の手が、ホークスの頬をさらりと撫でたかと思うと、再びそっと髪の毛に柔らかく差し込まれた。

 

 

「覚えておいて、啓悟。自分らしさを削ぎ落としていけば、いつか自分が何者なのか分からなくなる。そしてここは、そういう人間を作る場所。何も無いから揺らぐこともない、そんな空っぽなお人形を作る場所。公安は、使い勝手のいい人形を求めてる。マトモな人間は普通、汚いものばかり見てると壊れちゃうから」

 

 

彼女の紡ぐ言葉に、ホークスは少なからず動揺した。

自分はここで、エンデヴァーのようなヒーローになるのだと、彼の隣に肩を並べて立てるようなヒーローになるのだと、そう志して公安に来たばかりなのだ。

それなのに、蒼良の語る公安は自分の思い描く未来像とは大きくかけ離れているような気がした。

 

 

「……よう、分からんくなってきた。公安って怖いところやったと?俺、ここでヒーローになれるんやなかと?」

 

「もちろんなれる。だけど私たちは、このヒーロー社会という大木を、目に見えない地の中から支える存在なの。そしてそれは、貴方が今想像しているような輝かしいだけのヒーローじゃない。見たくないものを沢山見て、触れたくないものに沢山触れて、失くしたくないものをきっと沢山失くしていく」

 

 

淡々とした口調に脅しの色はない。

ただの事実を語るような冷静さが、かえってその言葉に真実味を与えていた。

怯んだように眉を寄せた啓悟を見て、「だから」と彼女は続けた。

 

 

「だからせめて。貴方が落としてしまうかもしれないものは、私が拾う。貴方の隣で」 

 

 

ひときわ大きな羽音と、空気が震える音がした。

それと同時、ホークスの世界が青に染まる。

蒼良の翼が、ホークスを包み込むように覆っていた。

まるで、冷たい現実の中にぽっかりと浮かんだ青い鳥籠。

その中で、ふたりの雛鳥が静かに互いの視線を合わせる。

 

 

「啓悟」

 

 

再度その名がホークスの鼓膜を震わせた。

蒼良は相も変わらず無表情のまま、けれどくすぐったいほど優しい手付きで、輝度の高い黄土色の髪の毛をかき混ぜてくる。 

 

 

「これから貴方の心に空くかもしれない穴は、全部私が埋めていく。だから貴方は、ここで安心してヒーローになればいい」

 

「……何で、そげん優しかと?」

 

 

気づけばホークスは__啓悟は、またしても同じ問いを口にしていた。

与えられるばかりの優しさに、理由を求めずにはいられなかった。

自分は何もしていないのに。何一つ与えていないのに、どうして彼女はこんなにも沢山のものを渡そうとしてくれるのだろう、と。

問われた蒼良が、一度答えを考えるように視線を逸らした。

 

 

「優しいかどうかは分からない。……ただ、これが私の役割だと思うから」 

 

 

彼女の返答はどこかぼんやりとしたもので、啓悟を納得させるには少しばかり不十分だった。

けれど、今感じている今日何度目だか分からない胸の温もりの前では、そんな疑問も些末な事のように思え、それ以上の追究はしなくても良いような気がしてしまった。

 

 

「アズールには今、名前を呼んでくれる人がおるん?」

 

 

ふと気になって尋ねた疑問に、蒼良はすぐには返事をしなかった。

今日一日を振り返っても、会長、副会長、目良、全員が彼女の名を『蒼良』と呼んだ場面はなかった。

彼女に、自分のように本名を捨てる必要があるとは思えない。

ただしかし、それが公安という場所の決まりなのだろう。

 

 

「今は居ない」

 

 

空いた時間の割に、随分とあっさりとした答えだった。

 

 

「じゃあ、昔はおったってこと?」

 

 

啓悟の問いに、蒼良が頷く。

 

 

「その人、何でおらんくなったんか聞いてもよか?」 

 

「ごめんね、それは話せない」

 

 

落ち着いた声音だった。

けれど、境界線があった。

踏み込めない場所が、確かにそこに存在していた。

 

 

「……寂しくなかと?」

 

 

答えはまた、すぐには返ってこなかった。

 

 

「どうだろう。『寂しい』が、よく分からない」

 

 

静かな声が、胸の奥に沈んでいく。

落ち着きがあり、物怖じせず、落ち着いた口調で話す年上のこの少女は、不意に啓悟よりずっと幼く不安定に見える瞬間がある。

沢山のことを知っているようで、当たり前のことを知らないちぐはぐな人。

彼女はきっと、自分が今日、啓悟に何を与えたのか気づいてすらいないのだろう。

 

 

「じゃあ、今日からは俺が名前で呼ぶ。アズールのこと、誰も名前で呼ばんのやったら俺が呼ぶ。………蒼良ちゃんって、呼んでもよか?」

 

 

意味もなく両手の指を絡めながら、啓悟はオズオズと提案した。

貰ったもののほんの一部でも、彼女に同じものを返したいと思ったのだ。

彼女が自分と同じ喜びを抱くことはなくとも、それでも返さずにはいられなかった。

しかし、相手は今日が初対面で、自分たちは気の置けない仲という訳でもない。

オマケに彼女は自分の先輩に当たる人で、こちらからはどこまで距離を詰めていいものなのか分からない。

 

出過ぎた提案だっただろうかと、口にした後で不安になった啓悟は、俯き加減でチラチラと様子を窺うように蒼良を見た。

そんないじらしい姿を前に、蒼良の両目がわずかに見開かれたかと思えば、すぐにまた元の形に戻り、そして次に、じわりと柔らかく細められた。

 

 

「いいよ。二人の時はそうしよう。ただし、他の公安関係者には秘密。ちゃんと守れる?」

 

 

蒼良が自身の小指をすっと差し出してくる。

その行動の意味が分からず啓悟が首をコテンと倒すと、蒼良は勝手に啓悟の小指に自分の指をキュッと絡めた。

 

 

「こうするんだよ」

 

 

驚いた啓悟が顔を上げると、至近距離に蒼良の顔があった。

そしてそこでようやく、初めて見る彼女の優し気な表情に気がついた。

微笑みと呼ぶにはぎこちなく、けれど無表情と称するにはあまりにも穏やかなそれを見て、啓悟は漠然と理解した。

 

___ああ。この胸を満たす温かな何かをきっと、人は愛情と呼ぶのだろう、と。

 

その声色は冷たくて、その表情はとても静かで、一見何を考えているのか見当もつかないこの少女から、今、啓悟は自分に向けられた愛おしさをはっきりと感じ取ったのだ。

 

 

「____」

 

 

啓悟の羽が、空気を含んだようにたちまちぶわりと膨らんだ。

鼻の奥がツンとして、視界がじわりと揺らいでいく。

 

 

「さっきから顔色の変化が激しいけど、体調は大丈__」

 

「俺は別に泣いとらんし、赤くなんかなっとらん!ちょっと嬉しかっただけったい!」

 

 

膨らんだ翼をバサバサと広げ、青のバリケードから抜け出した啓悟は、照れ臭さを誤魔化すため、「もうっ……!」とデリカシーの欠けた指摘にプンスコむくれた振りをしながら再び廊下を歩き出した。

出会ったばかりの女の子に泣いている姿ばかりを見せてしまい、あまつさえそれを彼女に指摘され、少しだけプライドを傷つけられたように感じたのも本当だ。

 

小さくたってヒーロー志望。

泣き虫だなんて思われたくはないのである。

頭に疑問符を浮かべながらも、その背を追いかけようと蒼良が一歩踏み出すと、啓悟が頬を膨らませたまま、クルリと後ろを振り返った。

 

 

「……ん」

 

   

小さな右手をチョコンと突き出して、

 

 

「施設案内、してくれるっちゃろ?」

 

 

不貞腐れていても甘えたがりなその本質を隠せないでいる雛鳥を前に、蒼良の翼がゆるりと優しくはためいた。

 

 

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