暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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自由にワガママ言ってくれ

違和感があった。

それがぼんやりと形を持って啓悟の前に現れたのは、いつの頃だっただろう。

振り返れば、彼女が見せたサインはいくつもあったような気がする。

 

無表情故に冷徹な印象を持たれてしまいがちな彼女はその実、事あるごとにこちらの頭を撫で、甘やかそうとする優しい人だ。

言葉などなくとも、その柔らかな指先があれば、温かい掌の熱があれば、彼女の愛は十分に伝わっていた。

 

けれどいつの日からか、彼女は啓悟に___否、誰にも触れようとしなくなった。

もう随分と長い間、彼女の温もりを感じていない。

そんな寂しさと違和感がハッキリと輪郭を成したのは、とある晩のことだった。

 

何の変哲もない、普段通りのささやかな日常の一コマがあった。

その日は目良の都合がつかず、廻、蒼良、啓悟、転弧の四人で食卓を囲んでいた。

食後、卓上の空いた器を蒼良が器用に積み重ねて流しへと運ぼうとしているのが目に入り、啓悟は手伝おうと声をかけた。

彼女のバランス感覚が非常に優れている事は理解していたが、少しでも役に立ちたくて、「半分持つよ」と手を差し出した。

 

____和やかな食卓の雰囲気が崩壊したのは、まさにその瞬間だった。

 

蒼良の左手に啓悟の右手が触れた瞬間、まるでそれを払い除けるかのように蒼良が素早く手を引いたのだ。

崩れた食器が勢いよく床に叩きつけられ、耳をつんざくような音が部屋中に響く。

その音に驚いた廻と転弧が何事かと振り返り、駆け寄ってくる間も、啓悟は驚き固まっていた。

あの蒼良に、自分が拒絶されたように感じてしまったのだ。

 

 

「おい、お前ら怪我は___」

 

 

廻の心配の声が途切れた。

いつも落ち着き払っている少女が、何かに追われているような、見た事もない切羽詰まった様子で突然啓悟の腕を掴んだからだ。

服の上から掴んだ細腕を引き、テーブルの上に置いてあった布巾を手に取ると、蒼良は啓悟の右手を強い力で擦り始めた。

汚れ一つない啓悟の手を、ただひたすらに、一心不乱に。

 

廻と転弧の制止の声にも耳を貸さず、啓悟の手の甲が赤くなっている事さえ気にかけず____否、彼女は気づいてすらいなかった。

凍り付いたような瞳はたしかに啓悟に向けられているのに、それは現実を映してはいなかった。

 

 

「いた……、痛いッ、痛いよ蒼良ちゃんッ!」

 

 

肌と布が擦れる熱さに啓悟がたまらず声を上げると、ピタリと蒼良の手が止まる。

不意に我に返ったように顔を上げた蒼良の額には、冬だと言うのにじんわりと汗が滲んでいた。

ハッハッと数回短い呼吸を繰り返し、自分の行動が信じられないとでもいった様子で啓悟から距離を取る。

その尋常ではない様子に、三人とも咄嗟に声がかけられなかった。

 

 

「蒼良ちゃん……?」

 

 

啓悟が蒼良に手を伸ばすと、怯えたように蒼良が一歩後ろへ下がる。

滅多なことでは表情の動かない蒼良が、愕然とした顔をしていた。

またしても拒絶を突きつけられたようで、啓悟の胸がギシリと嫌な音を立てる。

 

 

「ごめん、私……ごめんなさい」

 

「ううん、俺は大丈夫。それより、蒼良ちゃんの方こそどうしたと……?顔色が真っ青たい」

 

 

啓悟の指摘に、蒼良は両手で隠すように自分自身の顔を覆った。

そんな蒼良の異常をようやく感じ取った三人が何か行動を起こすよりも先に、蒼良はクルリとこちらに背を向け、背後の窓から外へ飛び降りた。

 

 

「頭、冷やしてくる。___すぐ戻るから」

 

 

青い翼が、バサリと広がり音を立てる。

この上層階から空へと飛び立つ少女を追いかけられるのは、今この場において啓悟ただ一人だけだった。

それなのに、どうしても足が動かなかった。

もしも彼女を追いかけて、そしてまた拒絶を突き付けられようものなら、今の自分にはきっと耐えられないと、そう思ってしまったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の寒空を、蒼良は行く宛もないまま飛行していた。

その脳内に浮かんでいるのは、先ほどの出来事と、それから懐かしい女性__筒美火伊那の姿だった。

 

この世界で蒼良が一番最初に好きになった人であり、一番最初に取りこぼした愛情だ。

自分自身を汚いと言い、泣きそうな顔で笑っていた彼女。

綺麗なものに触れられないと嘆いた彼女。

そんな彼女の姿が、あまりにも今の自分自身に酷似しているような気がしていた。

 

実のところ、蒼良は今日まで啓悟たちを避けている自覚がなかった。

一連の行動は全て無意識下で行われており、蒼良自身も先ほどようやくそれに気が付いたのだ。

啓悟の手が触れた時、蒼良の目には彼の手にベッタリと付着した悍ましい赤黒い血が見えていた。

穢れを知らない純粋無垢な小さなあの手を、自分が汚してしまったように思えた。

冷静になって考えてみれば、そんな事あるはずがないと分かるのに。

 

ふともう一度自分の手を見つめてみる。

血なんてどこにもついていない。

それなのに、油断していると不意にこの両手は赤く染まる。

 

厄介なことだ。

自己を失いかけて耐えられなくなってしまった火伊那と、自己を取り戻しかけて苦しんでいる蒼良。

向かう先は真逆だったはずなのに、二人は今、恐らく同じ場所に立っている。

 

喜びや愛情、何かを大切に思う気持ち___それらは人生を豊かにしていくために、大いに役立つはずのものだ。

けれど正の感情と負の感情は表裏一体で、切り離すことは不可能だ。

欲しいものだけを選り好んで手に入れて、要らないものを放棄するなんて都合の良いことが出来るはずもない。

 

愛情を覚えた心は、同時に痛みも感じてしまう。

それはまさしく、心を育んだ事による弊害だった。 

今の蒼良は、以前よりもずっと不幸に近い場所にいるのかもしれない。

これから先、これまで見えていなかったからこそ耐えられていた膨大な自身の傷に、一つ一つ気がついていく事になるのかもしれない。

この成長の行き着く先が、吉と出るか凶と出るか。

それはきっと、蒼良自身にも分からない。

 

 

これからいったいどうしようと虚ろな目で空を飛び続けていた蒼良の耳に、ふと騒がしい物音が飛び込んできた。

高度を下げて見下ろしてみると、コンビニ前で複数名の若者たちが小競り合いをしている真っ最中だ。

事件と呼ぶにはあまりにも可愛らしい騒動だが、店前で暴れる彼らに、店員も客も迷惑しているのが見て取れる。

 

まがいなりにもヒーローである蒼良に、この光景を見て見ぬ振りするのは難しい。

しかし勢いだけで飛び出して来た蒼良は薬も飲んでいなければ、コスチュームも仮面も持っていない。

そこで上空に翼を残し、少女の姿をした本体だけで彼らの側に着地した。

突然大きな音を立て上空から落下してきた少女に、不良じみた男たちの視線が一斉に集まる。

 

 

「ねぇ、お兄さんたち。ヒーロー免許を持たない民間人が人に個性を使用するのはご法度だって知ってる?もうその辺でやめておいた方が良いと思うよ」

 

 

幸い攻撃力の高そうな個性持ちがいないお陰でただの喧嘩に収まっているが、これが殺傷能力の高い個性だった場合はそうはいかない。

 

 

「はぁ……?んだこのチビ。ヒーローごっこでもしてんのか?」

 

「世の中優しい大人だけじゃないんだって事、知らねぇ感じ?」

 

 

見た目で人を判断するのは早計かもしれないが、恐らく全員二十代でやや好戦的。

チャラついた身なりと、「だったら俺らで教えてやろうか」などと浮かべた薄笑いから察するに、こちらに対して全く友好的ではない。

ここら一帯から強い酒の匂いがするし、どうやら彼らのほとんどはかなり酔いが回っているらしい。

 

 

「忠告を何度も無視するようなら、拘束して警察に突き出すよ」

 

「わはっ、気持ちわりぃ〜。こういうの何て言うんだっけ。非合法ヒーロー?」

 

「信じられないかもしれないけど、これでも私は政府の認可のもとで活動してる」

  

「信じねーよバーカ。いい加減しつこいぞお前。そんなに遊んでほしけりゃ相手してやろうか?」

 

 

気がつけば、小競り合いをしていた彼らの意識はいつの間にか蒼良へと集中している。

 

 

「いいじゃんそれ、つかコイツ顔は超可愛いし。おい、誰か動画回しとけよ」

 

「よっしゃぁ!かかってこいよ、正義のヒーロー!」

 

 

そしてついに、そのうちの一人がその個性を蒼良へ向けた。

人に悪意を持って個性を使用したその瞬間、ただの一般市民はヴィランという括りへと変わる。

こんな展開は本意ではなかったが、攻撃されたのなら応戦はしなくてはならない。

無力化しようとチャクラを腕に纏わせたところで、こちらに向けられていた個性の一つが突然消えた。

 

 

「……あれ、不発?」

 

 

戸惑っているその隙に、前方の男の溝内にめり込む拳を一撃。

 

 

「ちょっ、待て、俺も出ねぇぞ……!?」

 

 

今度は隣にもう一撃。

 

 

「おい、お前ら酔い過ぎだ!」

 

「違うッ!意識はハッキリしてんだ!それなのに……ッ!」

 

 

さらに一撃。ついでに一撃。

そうして順々に意識を刈り取っていき、伸びている集団を一塊に積み上げた後、後処理は全て警察任せで通報しておくことにした。

 

 

「___さて、」

 

「ちょっと待て。久しぶりの再会だってのに、挨拶もなしか?」

 

 

ポケットにスマホをしまい、そのまま再び飛び去ろうとした蒼良の背中に声がかかった。

振り返ると、そこには二年前に一度だけ関りを持った、個性『抹消』の少年が立っている。

いや、今ではもうすっかり背も伸びて百八十は優に超えていそうなので、青年といった方が正しいのかもしれない。

 

青年の名は相澤消太。

あれから二年の月日を経て、十六歳の高校一年生になっていた。

 

実は蒼良は、彼の存在には敵の三人目を倒した辺りで気がついていた。

けれど、今は自分のコンディションがすこぶる悪い。

このまま知らぬ存ぜぬで逃げ去ろうとしていたところ、そうは問屋が卸さなかったという訳だ。

 

 

「私の事、覚えててくれたんだ。手伝ってくれてありがとう。久しぶりだね」

 

「本当にな。ところでお前、背中の翼はどうしたんだ?」

 

 

既に一度翼のある状態で対面したことのある消太相手では誤魔化しようもない。

蒼良は頭上を指さすと、「あそこ」と短い説明をこぼした。

釣られて上空を見上げた消太が、訝し気な顔をする。

 

 

「何でわざわざこんなことを?」

 

「蒼翼は悪目立ちするから隠しなさいって。両親が」

 

 

もちろん嘘である。

ヒーローアズールの身バレ対策として、外をうろつく際には蒼翼を隠すようにと上層部から圧力をかけられているだけだ。

 

 

「……ああ、なるほどな」

 

 

やや間があって、勝手に一人納得したらしい消太は顎に手を当てながら頷いた。

これほどの美貌を持ち、一人でフラフラと遠出してしまう性質の娘を持てば、ご両親が心配するのも当然だろうと。

ご両親はきっと、娘が事件に巻き込まれるのを心配してそんな指示を出したのだろうと、消太の考察はそんなところだ。

  

 

「お兄さん、話をするなら場所を移そう。ここで立ちっぱなしだと、お店側にも悪いと思うから」

 

 

もうすぐここには警察が来る。

個人情報を根掘り葉掘り探られるのは蒼良としてもあまり都合が良くないので、適当な理由をつけ、消太を人気の少ない通路へと連れ出し、その場を離れる事に成功した。

完全に二人きりになった所で、蒼良はふと目の前に立つ青年が着ているジャージに目を奪われた。

青を基調とした布地に赤と白のラインが入ったこのジャージは、蒼良にも見覚えがあるものだった。

 

 

「それ、雄英高校のジャージだよね。もしかしなくてもヒーロー科?おめでとう、夢に一歩近づいたんだね」

 

「まぁな、あれから俺もけっこう頑張ったんだ」

 

 

消太がわずかに口角を上げた。

しかし直ぐに「そんなことより」と真面目な顔つきをして蒼良を見下ろす。

 

 

「お前、さっきのはかなり危なかっただろ。酔っぱらい集団にたった一人で突っ込むなんて何考えてんだ」

 

「結果的には二人だったよ。お兄さんが居たからね」

 

「ああそうだ、結果的にはな。だがたまたまこの辺りをランニングしていた俺が居なかったら一人だったわけだろ?」

 

「その時は一人で勝ってたから問題ない」

 

「あのなぁ……」 

 

 

消太がぐうの根も出ないと言った顔で押し黙る。

それから、呆れたように口元を緩めた。

 

 

「お前は相変わらず、ヒーローって感じだな」

 

 

小さなため息と共に呟かれたその一言に、蒼良は少なからず動揺した。

 

 

「……それは、どうだろう」

 

 

かつて火伊那にヒーローと呼ばれた時にも感じていた違和感は、歳月を経てますます蒼良の中で肥大化していた。

何故なら自分が人を助けようと動くのは、自分の意思ではなく任務をこなすためであって、ましてや蒼良は清廉潔白とは程遠い人間なのだから。

 

 

「どうしたんだ?前はもっと自信たっぷりって印象だったのに。お前は今もちゃんとすごいよ。さっきの奴ら、俺はきっと敵わなかったと思う。俺の抹消は相手の攻撃を無力化するだけで、自分から何か始められるわけじゃないからな。それに比べてお前は___」

 

「相手の出鼻をくじいて強制的にこっちのターンに出来るのは、最強の矛だと私は思うよ」

 

 

すぐに自虐に走ってしまうのは、二年前と変わらない消太の悪癖だ。

今回に限ってはこちらを励ますためのものだと理解できるが、だからといって必要以上に自分を卑下するのは違う。

言葉を遮られたにも拘わらず、嫌な顔一つせずに「ありがとな」と消太が微笑んだ。

 

 

「それでも俺は単体じゃ決定力に欠けるんだ。結局一人じゃ何も出来ない。それが今の俺の課題だ」

 

「チームプレイ向きって事だね。さっきもお兄さんのアシストのお陰で、すごく戦いやすかった」

 

「……お前、そういうとこ全然変わってないんだな」 

 

 

そういうとことはいったいどういうとこなのだろう。

蒼良が首を傾げていると、消太は柔らかに表情を崩した。

 

 

「あの時の子猫、優しい里親さんに引き取ってもらったよ。今も定期的に写真で様子を見せてくれるんだ。見るか?」

 

 

蒼良の返事も待たず、消太はポケットからスマホを取り出し、画像フォルダを漁りだす。

そうして見せられた複数の写真の中では、手のひらサイズだった子猫が両腕で抱きかかえられるサイズになるまでの成長過程が丁寧に映されていた。

見るからに幸せそうな顔で、里親に甘える猫の姿がそこにはあった。

 

 

「お兄さんはこの子のヒーローだね」

 

「お前もな。そう言えば、あの後お前の方はどうだったんだ?苦労して手に入れたエンデヴァーフィギュア、弟くんは喜んでくれたか?」

 

「弟……」

 

「どうせ今も良いお姉ちゃんやってるんだろ?」

 

 

消太の言葉に、蒼良はふと最後に見た啓悟の姿を思い出した。

眉を下げ、困惑した顔で呆然とこちらを見ていた啓悟の姿を。 

今、彼に問われるまで蒼良は自分のことばかりで、すっかり周りの事が頭から抜け落ちていた。

笑顔がよく似合うあの少年に、あんなにも悲しい顔をさせてしまった事すら。 

何も答えず、無表情で何かを考え込むように沈黙を貫く蒼良を前に、消太は自身が何かしらの地雷を踏み抜いてしまった事を察した。

 

 

「あー……まぁ、何だ。いくら仲が良くたって喧嘩することくらいあるだろ」

 

 

落ち込む少女を励まそうと、その頭に手を置いてぽんぽんと優しく叩く。

 

 

「……違うな。確か、こうだったか」

 

 

二年前、撫で方に強いこだわりを見せ、納得するまで指導してきた蒼良のことを思い出し、その時の指使いをぎこちなく再現する消太のせいで、蒼良の頭の中に火伊那の姿が次々と溢れ出して止まらなくなる。

蒼良にとって、こんな風に誰かに甘やかされるのは本当に久しぶりのことだった。

しばらくしてその手が離れていくと、蒼良は顔を上げて遠ざかっていく消太の手を視線で追った。

 

 

「ねぇ、お兄さん」

 

「うん?」

 

「もっと撫でて欲しい」

 

 

自分らしくない要求をしている自分の事がよく分からないまま、蒼良はそれを口にしていた。

目の前の消太がぱちくりと目を見開いている。

 

 

「……いいよ、このくらいならお安い御用だ」

 

 

甘え下手な少女のアピールを受け、普段子供に好かれることなど殆どない甘やかし下手な青年は、少女の薄水色の髪の毛に長い指を差し込んだ。

その大きな硬い掌の下で、少女は猫のようにそっと目を細めている。

少女の気が済むまで、消太は随分と長い間その小さな頭を優しく撫で続けていた。

ようやく蒼良が顔を上げたタイミングで、それを終了の合図と捉えた消太が手を離す。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。まぁお前には何かと恩があるからな。俺に叶えられることなら自由にワガママ言ってくれ」

 

「恩?」

 

「それはあんまり気にすんな、こっちの話だ」

 

 

深く話す気はなさそうなその口調に、蒼良も追及する気にはならず、「それなら」と話題を切り替える。

 

 

「ねえお兄さん、もう一つだけワガママ言っても良い?」

 

「何なりとどうぞ、お嬢さん」

 

 

その場にしゃがみ込み、それでもなお蒼良よりも高い位置にある顔がほんの少しだけ微笑んだ。

 

 

「抱きしめて欲しい」

 

 

かつて、あの女性が飽きる程そうしてくれたように。

久しぶりにそれが欲しいと、素直な気持ちで蒼良はそう思ってしまった。

 

 

「……それはちょっと返答に迷うな」

 

 

しかし、対する消太の反応は鈍い。

 

 

「自由にワガママ言って良いって言った」

 

「確かに言ったが」

 

「駄目なの?」

  

「駄目というか……犯罪臭がすごいだろ」

 

 

陰気な見た目の男子高校生が、夜中に人気の少ない路上で美幼女を抱きしめるという構図はかなりマズいのではと消太は一考する。

自分がもしプロヒーローなら、その現場を目撃し次第反射でその男を拘束するだろうとも思う。

 

 

「犯罪臭?」

 

 

一方で、何も分かっていなさそうな顔が向かい側でこてんと斜めに傾くのを見て、そういえばこういう子供だったと消太はため息を一つついた。

 

 

「あのな、今後のためにも覚えとけよ?一般的に、百八十近い大男が幼女を抱きしめてる場合、その男は父親か変態の二択だ。そして俺は流石にまだ父親の見た目には見えない。よってお前を抱きしめるのは非常にまずい」

 

「……そうなんだ」

 

 

そう言って頷いた少女の顔が、どこか寂し気に見えるのは消太の気の所為なのだろうか。

この少女がどうして突然こんなにも自分に甘えてくるのか分からない。

それに加えて、消太は基本的にパーソナルスペースを大事にするタイプなので、他人とベタベタ接触することにかなり不慣れだ。

けれど懐いてくる子供は素直に可愛らしいと思うし、なるべくなら望みを叶えてやりたいとも思う。

どうしたものかと頭をガシガシかいていると、目の前にハラリと何かが落ちてきた。

 

___雪だ。

風がないので、雪はふわふわと真っ直ぐに下に落ちてくる。

 

そのうちの一つが目の前の少女の青白い顔に着地した。

目元付近でじわりと溶けて、まるで涙みたいに頬を伝って落ちていく。

そんな光景を見てしまったからか、何故だかどうにもやるせない気持ちになって、消太はまた一つため息をついた。

 

この少女が泣いているわけではないと分かっているのに。

そんなに簡単に泣くような子じゃないだろうと、そう思っているはずなのに。

消太はとうとう観念して、その両腕を小さく広げた。

 

 

「……おいで」

 

 

呟くようなその声を聞いた瞬間、蒼良は彼に磁石のように引き寄せられていた。

とてとてと小さな足で歩み寄り、消太の胸板に自分の頬を擦り寄せるようにしてピッタリとくっつく。

消太は少女の華奢な背中にそっと腕を回した。

小さな身体だ。

スッポリと全て自分の中に収まってしまいそうな程に。

  

 

「いい匂いがする」

 

「嗅ぐなよ。こっちはランニング中だったんだぞ。汗かいてんだ」

 

「うん、汗と柔軟剤の香り」

 

「おい」

 

「落ち着く香り。私、この香り好きだと思う」

 

「……そりゃどうもありがとね」

 

 

そう言ったきり、蒼良は何も言わず、目を閉じて布越しに伝わる心音を聞いていた。

こんな風に誰かに抱きしめられるのも、包まれるような温もりを感じられるのも、本当に久しぶりのことだった。

夜の静寂の中、雪は音もなく降り続けている。

二人の肩や髪に、ふわりと白い粉雪が積もっていく。

冷たさと温かさの入り混じる静かな時間を、ただじっと享受していた蒼良の頭上に、不意に不安げな声が落ちて来た。

 

 

「……なぁ、やっぱり俺が一方的に抱きしめてると犯罪みたいに見えないか?」

 

「大丈夫。誰かに聞かれたら合意の上ですって言うから」

 

「語弊のある言い方をやめろ」

 

 

蒼良は良い提案だと思ったのだが、消太はお気に召さなかったらしい。

 

 

「お前からも無邪気に抱きついてる感じを出してくれって言ってるんだよ。これじゃ俺が恐怖で身動きの取れない子供を襲ってるように見えるだろ?」

 

「どうしてもって言うなら、手袋をしてからでもいい?」

 

「ここまでさせといていきなり汚物扱いは酷いだろ」

 

「違うよ。お兄さんは綺麗だよ。すごく綺麗」

 

「そこまで媚びろとは言ってない」

 

「媚びてるわけじゃない。私にはそう見えるの。汚いのは、むしろ私の方。私のこの手じゃお兄さんには触れられない」

 

「……何言ってんだ?」 

 

 

身体の横に垂れ下がっていた手首を不意打ちで大きな手に掴まれて、蒼良の身体がビクリと震えた。

反射的に距離を取ろうとする前に、消太は蒼良の両手のひらを勝手に広げてじっと観察するように見つめていた。 

 

 

「放し___」

 

「なんだ、綺麗じゃないか」

 

 

彼の手から逃れようと力を入れかけていた蒼良の身体が、ピタリと止まる。

 

 

「……お兄さんの目には、そう見えるの?」

 

「ああ、ちゃんと綺麗だぞ。何をそんなに気にしてんだ。どっかで泥遊びでもしてきたのか?」

 

「泥遊びなら良かったんだけど___あっ、」

 

 

突然消太が蒼良の手に顔を近づけてきたので、蒼良は驚いて思わず声を上げてしまった。

 

 

「匂いも普通だな」

 

「嗅がないで」

 

「さっきの仕返しだ」

 

 

消太がニッと白い歯を見せて意地悪く笑う。

蒼良が咎めるように消太をじっと見上げると、「それは睨んでるつもりか?お前そういうリアクションも出来たんだな」とますます楽しそうに言う。

 

 

「悪かったよ。ほら、抱きしめてやるから機嫌直せ」

 

 

そう言って、蒼良を引き寄せて腕の中に閉じ込めると、ポンポンと背中を一定のリズムで叩いてくる。

その空間の心地よさに、文句を言う気など失せてしまい、蒼良は再びその胸に擦り寄った。

「猫みたいだ」と小さく笑う声を無視して、再び目を閉じる。

 

 

「……私、お兄さんのこと好きだと思う」

 

「やめろ。この状況でその台詞は通報案件だ」

   

 

やっぱり行動の読めない不思議な少女だ。

薄い背中を優しく叩きながら、消太は今この現場を誰かに見られていやしないかと、今さらながらヒヤヒヤしてきた。

 

 

「お兄さん、知らないの?好意は積極的に口に出した方が良いんだよ。それに、好きだって気づいた時に言わなくちゃ。伝えられなくなってからじゃ遅いから」

 

 

今日の蒼良は、火伊那の事を思い出してばかりだ。

あの人にも伝えておけば良かった___否、伝えるべきだった。

あんなにも自分を好きでいてくれたあの人に、ほんの少しでも同じものを返してあげられていたのなら、彼女はきっと、とびきりの笑顔を見せてくれたのではないだろうかと、今でもたまに考えるのだ。

 

 

「……なぁ蒼良。お前スマホ持ってたよな?」

 

 

少女の真面目な声色を聞きながら、柔らかな髪を梳いていた消太が、不意に問いかける。

 

 

「うん、持ってる」

 

「なら、俺と連絡先交換しようか」

 

 

この少女にいったい何があったのか。

何を感じ、何に怯え、どうしてこうも心細そうに一人夜道をさ迷っていたのか。

知りたくないと言えば嘘になるが、消太はそこに踏み込む気はない。

本人が自分から話したいと望まないものを、無理に暴くのが正しいやり方だとは思えないからだ。

けれど___、

 

 

「また頭撫でて欲しくなったら、いつでも連絡しておいで」

 

 

この小さな女の子が自分に寄りかかりたいと望むなら、それを受け止めてやれる存在でありたいと思う。

 

 

「ハグは?」

 

「さてはお前、こっちが下手に出たら調子に乗るタイプだな」

 

 

消太はワシャワシャと少女の髪をやや乱暴にかき混ぜた。

 

 

「いいよ。時と場合によるけどな」

 

「夜中で人気のない場所だったら良いってこと?」

 

「不思議なもんだな。口に出すとますます今の状況が恐ろしくなってくる」

 

 

こちらを見上げていた小さな頭を消太が軽く押さえつけると、蒼良はしばらくモゾモゾと抵抗した後、消太の手からすり抜けて再び顔を上げた。

 

 

「お兄さんはやっぱり、ヒーローに向いてるね」

 

 

嘘のない瞳で、また軽々しくそんなことを言う。

 

 

「ありがとな。お前に負けないようにこれからも頑張るつもりだよ」

 

「ねぇお兄さん、好きだよ」

 

「はいはい、ありがとう。俺も好きだよ」

 

 

一見投げやりにも聞こえる返答が、夜の静寂に溶けていく。

どこかくすぐったさを感じながら、消太は腕の中の温もりを確かめるように少女の背中をそっと撫でた。

 

 

「……瑠璃川蒼良」

 

 

自分のスマホに新しく追加された連絡先を、誰にも届かないような小さな声で呟けば、夜空に向かって白い息が立ち昇る。

雪は降り続け、世界を静かに包み込んでいる。

どうかこの少女の憂いが、この雪のように静かに溶けていきますようにと___らしくない祈りを捧げながら、細い肩を抱きしめた。

 

 

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