暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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たとえお前を泣かせるとしても

「___随分と遅かったな。すぐ戻るんじゃなかったのか?」

 

 

公安へと戻った蒼良は、自室へと向かう途中でタイミングよく部屋から出てきた廻に呼び止められた。

蒼良が戻るまで眠りもせず、耳をそばだててずっと待っていてくれたのかもしれない。

 

 

「ただいま。ちょっと色々あったの。酔っぱらいと戦ったり」

 

「本当に何やってるんだお前は。どこも怪我してないだろうな?」

 

「問題ないよ、相手は戦闘経験もほとんどなさそうな素人だったから。ねぇ廻くん、それよりも__」

 

「啓悟なら自分の部屋だ。あの転弧が気遣って慰めてやるくらいには落ち込んでる。あの転弧がだぞ」

 

「そんなに”あの”を強調しなくても転弧はもともとごく普通の優しい子だよ」 

 

「お前は早くごく普通の人を見る目を養ってくれ」 

  

 

廻が呆れ顔で見下ろしてくるが心外だ。

蒼良は他人のことであれば、自分のことよりよっぽどよく見えている自負があるのに。

 

 

「で、ちゃんと頭は冷やせたのか?」

 

 

いきなり話題が核心へと移り、蒼良は「一応」と弱気な返事を返した。

 

 

「今なら啓悟にも会えそうか?」

 

「会いたいとは思ってる。会って謝りたい。だけどまだ、傷つけない自信がない」

 

 

蒼良は無意識に自分の右手で左手を掴んだ。

先ほど啓悟の手を払い除けたこの手に、もう一度触れられそうになったとして、蒼良にはそれを今度こそ大人しく受け入れられる自信はなかった。

 

消太は綺麗だと言ってくれた。

あの一瞬、わずかに蒼良の中で霧が晴れたような心地がした。

けれどそれは、彼の目に映る自分が汚れていない事に安堵しただけだ。

彼の言葉一つで全て無かったことに出来るほど、人殺しの罪は軽くはない。

ましてや蒼良の手は、前世も含めれば大量虐殺を犯してしまった手なのだから。

 

 

「何をそんなにビビってる?」

 

「言えない。……言いたくない」

 

 

裏任務のことは極秘扱いだ。

それに加えて、蒼良は自分の汚い部分をさらけ出す事を無意識下で拒んでいた。

 

 

「触れられるのが嫌なのか?」

 

 

意思の弱さ故か、これまでいつだって来るもの拒まずの姿勢を一貫してきた少女が、ここに来て初めて見せた拒絶の態度に、廻は複雑な想いを抱いた。

蒼良の成長を感じると同時に、今目の前で一線を引かれたのだという事実まで感じ取ってしまったからだ。

 

 

「……多分、そう。廻くんと同じ」

 

 

蒼良の返答に、廻がムッとした顔をする。

 

 

「一緒にするな。俺はお前相手に嫌悪なんて感じた事はない」 

 

 

そう言うが早いか、廻が突然蒼良の手を掴んだ。

これまでも怪我の治療の際に軽い接触はしたことがあったが、それだっていつも触れるのは廻の指先だけだった。

こんな風に手を包み込むように掴まれたのは初めてのことで、まさかの行動に蒼良は驚いた。

 

 

「放して」

 

「断る。放して欲しいなら理由を言え」

 

「だって、廻くん嫌でしょ?汚いものに触るなんて___」

 

「俺がお前を汚いなんて言ったことが過去に一度でもあったのか?」

 

 

蒼良が逃れようと腕をひねると、廻の手に力がこもる。

強い瞳が蒼良を見下ろしている。

そこには絶対に逃さないという強固な意志が見て取れた。

蒼良は観念して、視線をやや斜め下にずらしながら口を開く。

 

 

「廻くんは優しいから、言わないだけだと思ってた」

 

「俺をそんな風に言うのはお前だけだ」

 

「廻くんは優しいよ」

 

「だとしたら、それはお前にだけだ」

 

 

手を引かれ、二人の距離が一歩縮まる。

蒼良が怯んだように顔を上げて廻を窺う。

廻はそんな少女の姿を、穏やかな眼差しで見つめていた。

 

 

「そもそも俺は、綺麗だとか汚いだとか、お前をそんな枠で捉えたことはない。仮にお前がどれだけ汚れた存在であったとしても、そんなもの俺には関係ない」

 

「自分が今、何を言ってるのか分かってる?いつもの廻くんらしくない」

 

 

廻の廻たる所以とも言える潔癖を捻じ曲げるような発言に、蒼良は戸惑った。

そうこうしてる間にも、自分の手から廻の手へと垂れ流れていく赤色が蒼良の目だけには鮮明に映っている。

 

「嫌だ。廻くんが良くても私が嫌。ねぇ廻くん、手を放して」

 

 

お願いだから放してくれと蒼良は視線で訴えた。

空いている方の手の袖を伸ばし、直接触れないように注意しながら廻の手を力尽くで引き剥がそうとする。

すると、廻のもう一方の手が伸びてきて、蒼良の抵抗をたしなめるようにそっと、けれど力強く両手を繋いだ。

 

 

「廻くん……!」

 

 

どうして言うことを聞いてくれない。

どうして分かってくれないのだと、蒼良の声色には焦燥と当惑が滲んでいた。

そんな蒼良を見つめていた廻の眉間に、浅いしわが寄る。

それは怒っているというよりも、悲しみに近い表情だった。

 

廻は一度蒼良から視線を外したかと思うと、何かを考え込むような顔で口を閉ざした。

その顔に浮かぶ一瞬の迷い、そしてその後に続く沈黙。

 

この少年はいつも冷静で、どこか人と距離を置いたような存在だった。

今、そんな彼の視線はさ迷い、何かを言いたげなその瞳が蒼良を見つめてはすぐに逸らされる。

まるで普段の彼らしくない行動に、何かしらの葛藤を抱えているであろう事が蒼良にですら分かった。

 

もしかすると、彼はこのままもう何も言う気がないのではないか__そう感じるほど長い時間が流れた頃、廻はゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……分かった。もういい。この際だから一度はっきり言っておいてやる」

 

 

そこにあったのは、いつもの落ち着き払った廻の表情だった。

異なる点があるとすれば、どこか覚悟を決めたような、静かな強さが潜んでいる点一つだろう。

廻が深く息を吐く。

長い間心の中で押し込めてきた感情を吐き出すように、言葉を続ける。

 

 

「俺にとって、お前は特別なんだ。お前は知らないだろうが、お前に救われたあの日から、俺は全部丸ごとお前に差し出してるつもりでいる。身体も心も、俺の持つ力も知識も何もかも」

 

「……何を言ってるの?突然何の話?要らない、そんなの貰った覚えもない。貰っても、私にはそれをどうすればいいのか分からない」

 

「お前は何も気負わなくて良い。俺が勝手にやってることだ。俺をどうしようがお前の勝手だ。お前が何したって全部許してやる。俺を汚してもいいし壊してもいい。だからせめて、拒むことだけはやめてくれ」

 

 

蒼良は廻を、出会った頃から何に対しても興味の薄い少年だと思っていた。

蒼良に言えた事ではないのかもしれないが、一言で言えば子供らしくない子供だった。

冷静で気丈。物事を俯瞰的に見る事が癖づいているような聡い子供。

そんな廻にもここまで強く固執する何かがあったのだという事実が、蒼良にとっては衝撃的だった。

ましてや、その対象が自分だと言うのだからなおさらだ。

 

 

「俺が側に居ることを許してくれ。俺なら何があってもお前を治してやれるから。だから俺の目の届かない場所で、これ以上一人で傷を増やすのはもうやめてくれ」

 

 

成長するに連れ、蒼良は自分がどれだけ空っぽな存在なのかをますます自覚するようになった。

上っ面だけのヒーローだ。

火伊那の言葉を借りるなら、まさにハリボテだ。

そんなものに執着したところで、この少年が幸せになれるとは蒼良には到底思えない。

 

 

「どうせ縋るなら、もっと価値あるものに___」

 

「俺にとっては価値あるものだ」

 

 

蒼良の言葉に被せるように廻が答える。

蒼良が首を横に振り、「間違ってる」と呟けば、「どうしてそう言い切れる?」と責めるように問いが投げられた。

 

 

「廻くんこそ、その選択が間違いじゃないってどうして言い切れるの?確かに貴方は賢いよ。その年齢には見合わない豊富な知識を兼ね備えてる。でも、それはいつだって正解を選べる保証にはならない」

 

「なら聞くが、その正誤を判断するのは誰だと思う?正解なんてのは、採点者にとって最も都合の良い答えの事だ。そして俺は、俺の人生を他人に評価させやしない。それがたとえお前であってもだ。俺の人生の採点者は俺だ。俺の選択を俺が肯定する限り、俺の決断に不正解なんてありはしない」

 

 

屁理屈ともとれる言葉を毅然と並べ立てる廻に、蒼良が口を挟む余地はない。

誰かと言い争いなど一度もしたことがない蒼良が、やたら口の回るこの少年に敵うはずもないのだ。

 

 

「出会った日からずっと、俺はお前を通して世界を見てる。お前が俺たちを理解したいと思うように、俺もお前を分かりたかった。そうすれば、誰よりもお前の役に立てると考えたからだ」

 

 

ずしりと、蒼良は胃の質量が増したような感覚がした。

首を振る。逃げ出したかった。

向けられる思いが、言葉が、眼差しが、あまりにも優しく、息が詰まるような心地がする。

 

 

「ガキが嫌いな俺が、どうして啓悟や転弧を受け入れられたと思う?お前が好きなものを、好きでありたいと思ったからだ。お前と同じ目線に立って、お前の見たもの、感じたものを知りたい、分かりたい、共有したいと思ったからだ」

 

 

蒼良は首を振る。

戸惑いを瞳に宿し、逃げ出そうとする。

繋いだ手を強く握られ、振りほどけない。

蒼良が抵抗すればするほど、細い指に廻の節ばった指が絡まり、しっかりと繋ぎ留められてしまう。

 

 

「俺の本質は、どこまでも利己的な人間だ。自分の快、不快だけで進む道を選ぶような、そんな人間だ。だけどあの日、お前に救われたあの日、俺に唯一の例外が生まれた。一度この手から離れた命を拾ってくれたお前に、俺の全てで返したいと思うようになった。……それなのに、気づいた頃には欲が出てた」

 

 

一度言葉を切り、蒼良を見つめる廻の口元が不意に弧を描いた。

それと同時に眉を下げ、見た事もないような表情で息を吸う。

 

 

「……お前の近くに居たい。俺が触れたいと思う相手は、お前だけだ」

 

 

重たい頭を引きずるような動きで、蒼良は再び首を振った。

信じられなかった。

到底廻の口から出たとは思えない言葉が、何度も脳内で反芻される。

 

 

「放して」

 

「____」

 

「放して、放して……お願い、放して」

 

 

何も答えない廻を前に、一方的に同じ単語を繰り返す。

頭を下げ、彼の顔から眼を背け、どこか遠い場所に飛んで行きたいと願う。

分からないのだ。

この状況の切り抜け方も、彼の言葉の受け止め方も、自分が選ぶべき正解も。

自分で自分を肯定する___それは廻が言うほど簡単なことではない。

確固たる意志など持ち合わせていない蒼良と廻とでは、そこに雲泥の差があるからだ。

 

 

「放して。外に出たいの。帰ってくるから、ちゃんと帰ってくるから。だから___」

 

「蒼良」

 

 

辿々しく、しかし懸命に逃げ出そうとする蒼良の耳元で、廻が蒼良の名前を呼んだ。

反射的に上げそうになった顔を再び下げ、頑なに視線を合わそうとしない蒼良の頭上で、再び名前が囁かれる。

芯の通ったその声色に、彼の中にはもう迷いがないことを蒼良は悟った。

廻には、蒼良を逃がす気などさらさらない。

 

 

「……触らないで」

 

 

どうして分かってくれないのだろう。

こんなにも頼み込んでいるのに、何故廻はこちらの要求を跳ね除け、取り合ってくれないのだろう。

 

 

「近づかないで。手を放して。私は___っ、」

 

 

己を奮い立たせて顔を上げ、正面から廻の瞳を見据えながら、心の内に溜まった不満を全てぶつけようとして、

 

 

「____たとえお前を泣かせるとしても、俺はお前の手を取りたいよ」

 

 

一歩も引かない真っ直ぐな廻の視線と言葉に、蒼良の肩から力が抜けた。

怒りにも似た鬱屈とした暗い感情が、ただ静かに沈んでいく。

 

 

「これがただの自己満足の為なら、こんな事、一生言葉にする気はなかった」

 

 

己が全てはこの少女ただ一人の為に。

蒼良以上に優先させるべき感情など、廻は持ち合わせていない。

 

 

「でも、お前はきっと一人じゃ生きていけないから」

 

 

無自覚な愛に溢れた少女が、孤独の中では生きていけない人だともう分かってしまったから。

独りになんてさせてやらない。

彼女がどれだけそれを拒み、悲しんだとしても。

 

 

「……とは言え、まさか本当に泣かれるとは思わなかったけどな」

 

 

抵抗する気配のなくなった蒼良の手を片方解放し、そのまま頬に手を伸ばす。

そこに伝う一筋の涙に気がついていない彼女の代わりに、人差し指の背でそれを拭った。

自分自身の心の機微が分からない___泣いている理由も、泣いていることすらも理解できていない彼女を前にすると、廻は普通の人間のように自分の胸が痛むのを感じる。

 

人よりも淡泊な自覚があった。

自分の気質が、ヒーローよりもヴィランに寄ったものであると自覚していた。

けれどこの少女と出会ってからというもの、喜びや悲しみが日々目まぐるしく廻の心を支配するようになった。

自分の生きる意味をようやく手に入れたように思えた。

 

 

「なぁ蒼良、俺は合格か?」

 

「……何の話?」

 

「とぼけるなよ。お前の近くに立つ許可を、お前に触れる許可をくれって言ってるんだ」

 

 

望まぬ献身を、頼んだ覚えもない善意を突き付けられた蒼良の困惑は想像に難くない。

彼女の迷いは仕方がない。

彼女が戸惑うのも無理もない。

けれど、廻は一歩たりとも引き下がってやる気などない。

 

 

「私が強いこと、知ってるでしょ?」

 

「それがどうした。たとえお前がオールマイトより強くなっても、俺はお前を心配する」

 

「廻くんが思ってるより、私はずっと汚いかもしれない」

 

「それでもいい。何回言わせる気だ」

 

「私の近くに居ると、廻くんは不幸になるかもしれない」

 

「望むところだ。お前がいない場所で幸福に生きるくらいなら、俺はお前の隣で不幸になりたい」

 

 

食い下がろうと開きかけた蒼良の口が、開きかけたままの状態で止まる。

蒼良の中にはもう、言い返すための言葉がどこにも見当たらなかった。

敵わない。敵うわけがない。

とんでもない殺し文句だ。

この少年は、なんて残酷で優しい言葉を紡ぐのだろう。

 

こんなにも醜く、何も持たない蒼良相手に、どうしてそんな言葉をくれるのだろう。

廻は自分を買いかぶり過ぎている。

彼は何も分かっていない。

本当の蒼良がどれだけ空っぽで、醜悪で、薄汚れた存在なのかを理解すれば、彼はきっと___。

冷静にそう考える一方で、それを知ったところで彼の態度は変わらないと、確信めいたものを胸の中に感じたとき、蒼良は自分の負けを悟った。

 

 

「どうして……、」

 

 

どうして、彼はこんなにも全幅の信頼を自分に預けてくれるのだろう。

どうして、こんな自分を受け入れてくれるのだろう。

たとえ堕ちるところまで堕ちようと、どんな醜態を晒そうと、全てを許容してもらえる____まるで都合の良い夢を見ている気分だった。

 

 

「どうして俺がお前の為にここまで心を砕くと思う?」

 

 

分からない。

蒼良は首を横に振ると、答えを乞うように廻を見つめた。

 

 

「お前が、俺のヒーローだからだ」

 

 

その答えに目を見開き、蒼良はまたしても首を振った。

 

 

「私には、その言葉は似合わない。廻くんの方がよっぽど___」

 

「やっぱりお前は見る目がないな」

 

 

蒼良の言葉を遮って、廻は指で蒼良の額を弾いて笑った。

廻は自分がヒーローに向かないことを知っている。

見ず知らずの民衆を守りたいだなんて、そんな崇高な志は微塵も廻の中にはない。

廻が守りたいのは、たった一人の少女だけ。

全霊を賭して救いたいと願うのは、この少女だけ。

 

 

「そろそろ行くぞ。今ならもう、あいつらにも会えるだろ?」

 

 

蒼良の片手を握ったまま、返事も待たずに廻は歩き出す。

その後ろを大人しくついてくる蒼良の瞳に、自分がヒーローのように映っているのだとしたら___彼女の心を少しでも救えたのだとしたら、これほどの誉れが他にあるだろうか。

 

今はこれでいい、及第点だ。

いつか彼女の奥底にまで触れ、彼女を縛るものの正体を、廻は必ず暴くつもりでいる。

彼女の全てを知り、受け止め、今度こそ根こそぎ救い出してやるのだ。

彼女の手を引きながら歩くその背には、ただの少年には似つかわしくないほどの静かな覚悟があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「啓悟、いい加減少しは元気だせよ。蒼良ちゃんが何の理由もなく突然僕たちを嫌うわけないって分かってるだろ?」

 

「……うん」

 

「啓悟に何も心当たりがないなら、きっと蒼良ちゃんは怒ってないし、啓悟を嫌いにもなってないよ」

 

「……うん」

 

「だぁ〜もう、うんじゃなくてさぁ……」

 

 

ベッドの上、布団にくるまりうずくまって顔だけを覗かせている啓悟の隣で、転弧はもうかれこれ三時間以上も彼に語りかけている。

あまりにも酷い落ち込みようだった事に加え、もしも自分が蒼良にあんな態度を取られたらと思うと想像するだけでも死にそうな気持ちになるので、転弧は非常に珍しい事に心から啓悟を気遣っていた。 

 

しかし啓悟は一向に回復する気配はないし、転弧は元々こういった役回りには不慣れなため、段々とお手上げ状態に近づいている。

だいたい、どうして自分がこんな厄介な役回りを押し付けられているのだろうか。

こういうのは最年長である廻が率先してやるべきだろうと転弧は心の中で毒づいた。

 

あの薄情者は、蒼良が窓から出ていった後、ひどく落ち込んだ様子でスゴスゴと部屋へ向かう啓悟の背中を見ておきながら、アッサリ自室へ帰っていったのだ。

まったく、能力以外は最もヒーローに向いていない最年長である。

 

落ち込む啓悟の肩あたりに、転弧は黙ってポンと小さな手を置いた。

その手にはもう、黒い手袋は嵌められていない。

戦闘中など、気が高ぶった時は制御できなくなる事もままあるが、転弧は既に日常生活に支障をきたさないレベルまで自分の個性を支配下においている。

 

死に物狂いで訓練したのだ。

大人たちの目を欺いて訓練に没頭し、オーバーワークを叱られた事も数えきれないほどある。

そうまでしてでも、早くこの力を自分のものにしたかった。

同じ失敗を二度と繰り返さないために。

蒼良に有用性を見出してもらうために。

彼女の掌の温かさを知るために。

 

 

「……ようやく手、ちゃんと繋げるようになったのになぁ」

 

 

呟きながら、落ち込む啓悟を横目に見る。

あの少女なら、どんな風に啓悟に寄り添うだろうかと考える。

今思えば、転弧たち三人が泣いている時、拗ねている時、落ち込んでいる時、側で慰めてくれるのはいつも決まって彼女だった。

 

 

「……ねぇ、転弧」

 

先ほどまで「うん」以外の語彙を失くしていた啓悟に突然話しかけられ、転弧は驚いて目を丸くした。

三時間に渡る献身的な声掛けは、全く無駄というわけでもなかったらしい。

 

 

「蒼良ちゃん……怖がっとるように見えた」

  

 

啓悟の伸ばした手から逃れるように後ずさる少女の姿は、転弧もハッキリと目にしていた。

 

 

「今日だけやなか。もっと前から、蒼良ちゃんは俺に……ううん、俺たちに触られるのを怖がっとった。転弧も心当たりあるんやなかと?」

 

 

啓悟の指摘通りだった。

けれど、転弧もそれが確信に変わったのは先程のやり取りを見た後だ。

恐らく廻も何かしら察していることだろう。

もしかしたら、そのせいで彼には啓悟を慰めているような余裕すらなかったのかもしれない。

 

 

「俺、蒼良ちゃんにあんな顔させるような事した覚えない。蒼良ちゃんは頭冷やしてくるって言っとったけど、それだけで解決するような問題やない気がする。……もっとちゃんと話し合いたい。蒼良ちゃんが何を怖がっとるんか、ちゃんと知りたい」

 

 

あの少女がいったい何を恐れているのか、転弧にだって正確なことは分からない。

けれど蒼良の過去の断片を知る転弧は、恐らく三人の中で誰よりも彼女の状態を正しく把握出来ていた。

かつて転弧と同じように、蒼良がその手で人を殺めたこと。

その事実を知る者はきっと自分ただ一人だけであることを、転弧は薄々察している。

 

公安に引き取られて以降、転弧は廻や啓悟を通して蒼良に関する情報を仕入れられるだけ搔き集めた。

彼女に関する事は何でも一番に知っておきたかったからだ。

母親から育児放棄されていた過去を持つこと。

彼女の心の動きの鈍さは、その頃の後遺症とされていること。

父親や兄弟に関する情報はこれといって存在しないこと。

 

自分のことを多くは語らない彼女の個人的な情報は、限りあるものだった。

これまで転弧が聞いた蒼良に関する情報の中に、少なくとも彼女が犯した罪の内容は含まれておらず、二人がそれを意図的に隠そうとする様子もなかった事から、転弧は自分だけが持つ彼女の過去の断片をそっと胸の奥にしまった。

簡単に触れ回って良いような話ではないと理解していたし、それが彼女の傷を踏み荒らす行為だと分かっていたからだ。

 

転弧だけが知っているのだ。

彼女の過去も、人を殺した手で大切な人に触れる恐ろしさも。

 

あの少女もとうとう気がついてしまったのだろうか。

自らの背負う業に。

身体に、心に刻まれた傷痕に。 

 

 

「……蒼良ちゃんにだって、きっと言えない事はある。言いたくない事だってある。もちろん話し合いも歩み寄りも大事だよ。だけど、僕らは蒼良ちゃんを待っててあげよう。自分から僕らの方に向かってくるまで、無理やり蒼良ちゃんを暴いちゃだめだ」

 

 

これ以上彼女の中を引っ掻き回すのは危険だと、転弧の本能が告げていた。

あの蒼良のことだ。こちらが何度も問い続ければ、いつかは答えてくれるのかもしれない。

けれど、それはあまりにも彼女の尊厳を無視する行為に思えたのだ。

 

自分の感情の整理すら覚束ない蒼良はきっと、普通の人であれば侵されたくない領域まで他人の侵入を許してしまう。

そんな少女の内面を勝手に暴こうとする行為は、抵抗する手段を持たない相手に無体を働くのと同じように転弧には思えた。

ようやく自分の内側を見つめ始めたあの少女に、他でもない自分たちがこれ以上の負担を強いてどうするのだ。

 

 

「でも____」

 

 

啓悟が何か言おうと口を開きかけた時、突然部屋のドアが開いた。

ノックもなしに不遠慮に開けられた扉の方を、二人揃って振り返る。

一番最初に見えたのは廻だ。

続いてズンズンと部屋に踏み込んでくる廻の後ろに渦中の蒼良を見て、啓悟と転弧の背筋が伸びた。

 

 

「おい啓悟、入るぞ」

 

「……次からは入る前に言ってくれると嬉しい」 

 

「文句より先に感謝を述べろよ。ほら、わざわざ連れてきてやったんだ。仲直りしろ」

 

 

そう言って廻が右腕をグイと前へ差し出すと、その手に繋がれていた蒼良が啓悟たちの前へ進み出てきた。

その光景を見た啓悟と転弧はポカンと口を開けて固まった。

一筋縄ではいかないだろうとばかり思っていた少女のその手を、今まさに目の前で廻がガッツリと握っているのだから無理もない。

 

 

「廻くんは良くて、俺はダメ……ってコト…?」

 

「今のお前、ちょっと別人レベルでネガティブだな」

 

「何の心の準備も出来てない所にいきなり突っ込んでくるからだよ!ていうか廻はどうやって蒼良ちゃんを説得したわけ!?」

 

「説得じゃない。あれは力技の丸め込__」

 

「うるさい、穏便な和解だ」

 

 

蒼良の主張を遮って己の無実を主張する廻を横目に、蒼良が心なしか穏やかな表情で眉を下げる。

そこに、家を出る前の異常な怯えはもう見当たらなかった。

 

今もしっかりと繋がれている二人の手を見て、転弧は安堵と嫉妬を同時に感じた。 

何だかんだ、この男は腐っても最年長なのだと思い知らされた気分だ。

 

転弧もかつて、人に触れるのが怖かった。

大切なものを自分の手で踏みにじった感覚を、今でもハッキリと覚えている。

自分の個性を抑えられず、トラウマを繰り返してしまうことに怯え、何よりも自分自身が恐ろしかった。 

けれど今、転弧がそれを克服しつつあるのは、あの日の蒼良が何食わぬ顔でこの手を握ってくれたお陰だ。

怖くない。おかしくない。気持ち悪くなんてない。ハッキリとそう言い切ってくれたお陰だ。

 

転弧だけは知っている。

彼女の過去を。

大切な人に触れる恐ろしさを。

そして、その恐怖の乗り越え方を。

 

ベッドからひょいと飛び降り、蒼良の空いている方の手を握る。

瞬間、その肩がビクリと揺れたが、振りほどかれる事はなかった。

代わりに、少女はソワソワと落ち着かない様子で転弧を見下ろしてくる。

表情はほとんど動いていないが、彼女が困っているのは伝わる。

 

 

「ごめんね蒼良ちゃん。それでも放してあげられないや」

 

 

拒絶を乗り越えて、無理矢理にでも手を握ってくれる誰かが側に居てくれること。

それがどれだけその人の心を救う事になるのか、転弧はその身を持って痛感した。

自分が蒼良に救われたように、自分も彼女を救いたい。

 

 

「蒼良ちゃんの事が本当に好きだよ。だからもっと、僕のことを利用して」

 

 

背負われるだけでなく、自分も彼女の抱える荷物を持ちたいと___そう、初めて思う事が出来た。

蒼良に救われた日から今日まで、転弧は彼女が貸してくれた背中に甘え、一方的に縋りついてきた。

その背におぶさり甘え続け、自分自身が彼女を苦しめる重荷の一端になっていた。

こんな状況になって初めてそれに気がつくなんて本当に情けない。

 

 

「僕、もっと強くなる。だから、蒼良ちゃんの荷物、僕に押し付けて。僕は蒼良ちゃんに貰える物なら、何だって嬉しいから」

 

彼女の背中を借りるのではなく、互いの背中を預けられるように。

願わくば、自分が彼女を背負えるようになりたいと思う。

転弧の言葉に、蒼良はますます困ったように首を傾げている。

自分でも突拍子もない事を口走った自覚がある。

今の蒼良に転弧の言葉の意味を全て正しく理解しろというのは、きっとまだ難しいのだろう。

でも、今はそれで十分だった。

 

 

「でもね、蒼良ちゃん。これだけはちゃんと知っておいて。蒼良ちゃんが僕を助けてくれたあの日から、僕はとっくに蒼良ちゃんと同じ道を歩くって決めてるってこと」

 

 

良い笑顔で言い放ち、転弧は繋いだ手にギュッと力を込めた。

 

 

「ほら、次は啓悟の番だよ。言いたいこと全部言っちゃいな」

 

 

蒼良に言葉を発する事は無理強いできないが、こちらから一方的に想いを伝えるのは自由なのだから。

これまで布団にくるまったまま成り行きを見守っていた啓悟は、呼びかけられてなお不安そうな表情をしている。

 

 

「___啓悟、」

 

 

意外にも先に声をかけたのは蒼良の方で、その瞬間、転弧と廻は同時にそっと手を放した。

お前にそんな気遣いが出来たのかと驚いて見つめ合う二人を背に、蒼良はベッドサイドまで歩み寄り、その場に膝をついて啓悟と視線の高さを合わせた。  

 

 

「さっきはごめん。驚いたよね」

 

「……ううん」

 

 

言葉少なに返した啓悟は、どうやら言うべき言葉をグルグルと熟考しているように見えた。

何か言おうと口を開きかけては閉じることを繰り返す。

その動作から、その葛藤が垣間見える。

狼狽え続ける啓悟を前に、蒼良はただひたすらに謝罪の言葉を繰り返した。

すると、いよいよそんな蒼良を見ていられなくなったらしい廻が、後ろから口を挟んできた。

 

 

「おい啓悟、なにもたついてる。いつものよく回る口はどうした」

 

「廻くん、私は別に急かしてな___」

 

「お前の意見は聞いてない」

 

「当事者なのに?」

 

 

意見する蒼良を華麗にスルーしながら、廻はツカツカと啓悟の側まで歩み寄ると、その布団を剥ぎ取った。

逃げ場を失った啓悟の翼が、緊張からぶわりと膨らんでいる。

 

 

「言いたいことがあるなら、黙ってないで言葉にしろ。まずは今のお前の素直な気持ちを口に出せ」

 

 

容赦のない廻の追撃に、啓悟はグッと眉間にしわを寄せて顔をしかめ、それからぽつりと呟いた。

 

 

「……苦しい」

 

「どうしてだ?」

 

「そんなわけ無いって分かっとるのに……蒼良ちゃんに嫌われたような気がして、苦しい」

 

 

啓悟の吐露に、蒼良の瞳が揺れた。

自分の軽率な行動が、彼にそんな疑念を植え付けてしまっていた事を、言葉にされて初めて蒼良は気が付いたのだ。

 

 

「だそうだぞ、蒼良。お前には謝罪より先に言うべき言葉があるんじゃないのか?」

 

「……嫌いじゃない。嫌ってなんかない。好きだよ、嘘じゃない。私は啓悟の事が好き」

 

 

言葉を畳みかける姿勢に、誤解を解きたい蒼良の切実さが滲む。

やや前のめりになって対峙する蒼良を見て、啓悟の眉尻がじわりと下がり、口がへの字に曲がっていく。

水分を多く含んだ目は光を反射し、涙を流す一歩手前で何とか持ち堪えているのが一目瞭然だった。

 

子供らしい無邪気さを持つ少年。

子供らしくない打算的思考を併せ持つ利口な少年。

常に飄々とした態度で、成長するにつれ涙を見せる事などなくなった少年。

そんな彼がここまで取り乱し、弱り切った姿を今、無防備に蒼良に晒している。

 

 

「啓悟___、」

 

 

蒼良は宥めようと咄嗟に手を伸ばしかけ、触れる直前で尻込みした。

それを見た啓悟が、とうとう瞼を強く閉じる。

両目の端から涙の粒が頬を伝って落ちていく。

その濡れた線を目で追っているうちに、蒼良の胸の内で、理解の追いつかない感情が急速に膨らんでいく。

動かなかった手足に血が通い、ようやく思い通りに動かせるような感覚。

 

 

「……泣かせたかった訳じゃない」

  

 

両手を伸ばし、啓悟の首に腕を回した。

無抵抗な身体を引き寄せ、その頭を胸に抱けば、すすり泣く声が静かな部屋に響き始める。

 

 

「……俺も、好き。蒼良ちゃんが大好き。……撫でてくれる手が好き。優しい匂いが好き。あったかい体温が好き。全部、好き。お願い……蒼良ちゃん、離れて行かんで……」

 

 

合間合間にしゃくりあがる呼吸音を挟みながら、蚊の鳴くような声で啓悟が言う。

請われた蒼良の手が一度宙に浮き、時間をかけてぎこちなく啓悟の髪に触れた。

そっと指を差し込み、感触を確かめるようにひと撫でし、それから頬に手を添えて顔を上げさせると、間近で潤む瞳を見つめた。

 

 

「私も啓悟のことが好き。笑ってる顔はもっと好き」

 

 

素直な気持ちを打ち明けると、啓悟は鼻をすすり、手の甲で乱暴に涙をぬぐった。

けれど、止まらない涙がすぐにまた浮かび上がり、蒼良の胸に顔を押し付けてその表情を隠してしまった。

抱きしめている啓悟の体が熱い。

胸の内が熱い。

呼吸が浅くなるようなこの感覚を表す言葉は、蒼良の中にはまだ見当たらない。

 

 

「啓悟ばっかりズルい!ねぇ、僕もっ!」 

 

 

それまで大人しく二人を見守っていた転弧が、蒼良の脇の間に、下からズボッと無理やり頭をねじ込んできた。

啓悟はもう大丈夫だと判断したのか、単純に羨ましさが抑えきれなくなったのか。はたまたその両方か。

そんな転弧と啓悟をまとめて、蒼良はぎゅっと抱きしめる。

その腕の中で啓悟は泣き、転弧は笑った。

 

 

「蒼良ちゃん、一人ぼっちは寂しいよ。だからせめて、僕たちだけは一緒に居よう」

 

 

蒼良の胸に擦り寄って、転弧が目を細め、眦を下げながら言う。

そんな転弧を抱きしめる力が一瞬グッと強まったのは、きっと返事の代わりだった。

 

 

「廻くんも、おいで」

 

 

小さな二人を抱え込みながら、顔を伏せたまま蒼良が廻に呼びかける。

 

 

「……お前はともかく、チビ二人とくっつくのは心底嫌なんだが」

 

 

こんな時でも己を曲げない鉄壁潔癖の廻。

そんな彼の背に青い羽が数枚フワフワと回り込み、その背を柔らかに前へと押し出そうとする。

廻は一瞬驚いたような顔をしたが、グイグイと促すように背を押され、観念したように渋々足を動かした。

転弧の隣に並ぶようにしゃがんだ廻に手を伸ばし、蒼良は三人まとめて強く抱きしめる。

言葉では到底表現できない胸の中にあるこの感情が、押し付け合った身体から全て伝わればいいのにと、そう思いながら。

 

四人の体温が重なって、空気が少しだけ温かくなる。

誰も話さない。

けれど、それを不自然だと感じる者もいない。

 

蒼良の服の端をぎゅっと掴む転弧の指先も、蒼良の背にそっと回された廻の不器用な手も、胸元にぽたりと落ちた、温かな雫の重みも_____全部が蒼良に、「ここにいていい」と教えてくれているような気がした。

彼らの背中を撫でるように動かしていた手を止め、ふと自分の指先を見る。

そのまま、もう片方の手のひらを見つめて、目に見えた事実を抑揚のない声で呟いた。

 

 

「……赤く、ない」

 

 

以前は血がこびりついたように赤く見えていたはずのそれが、どういう訳か今はもう見当たらない。

誰かに聞かせるつもりはなく、ただ自分の中で確認したくて言葉にした。

そんな蒼良の呟きに廻が眉をひそめ、啓悟は顔を上げ、その横で転弧が「うん」と曖昧に頷いた。

恐らく意味など誰も分かっていない。

けれど___、

 

 

「もう少しだけ、このまま一緒にいて」

 

 

彼らの疑問に答えることなく、蒼良はそっと目を閉じた。

多分これを、救われるというのだろう。

きっとこれを、安らぎと呼ぶのだろう。

完全に理解するにはまだ時間がかかるとしても、今日のこの日の温度だけは覚えていようと、そう思った。

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