暗部の忍が転生して公安ヒーローになる話   作:ぴのっきお

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好きだから

燈矢は待っていた。

 

朝起きたとき、既に家の中に父・炎司の気配がないことには気づいていた。

それでも一人、瀬古杜岳へと向かい、いつも通りに修業を始めた。

訓練場の中央に立ち、屈伸して軽く準備運動。

関節を鳴らし、筋肉を伸ばし、体に熱を入れていく。

それが終われば的に向かって炎を放ち、火力を少しずつ高めていった。

 

いつ来るか分からない父を待つ間に体力を使い果たすのは本末転倒。

だが、炎司が現れてから準備を始めるようでは遅すぎる。

初手から全力をぶつけて、あの父の度肝を抜いてやらなければならない。

今の自分に出せる最大の力を、あの目に焼きつけてやらなければ。

 

すべては、自分を否定してきた言葉を撤回させるために。

『流石は俺の息子だ』――その言葉と共に、あの精悍な顔に笑みを浮かべさせるために。

あの瞳を、もう二度と自分から逸らせなくさせるために。

 

 

 

昼を過ぎても、炎司は現れなかった。

それでも燈矢は待ち続けていた。

大丈夫。ヒーローの仕事に理解はある。

たとえ今日が休みでも、炎司にしか対処できない事件があれば呼び出されることもだろう。

それでも、一晩越しの仕事など滅多にないことを燈矢は誰より知っている。

待ち続けていれば、いつか必ず炎司はここに来てくれるはずなのだ。

 

大丈夫。今日はすこぶる調子がいい。

蒼炎の出力は安定していて、いつも以上に火力が高い。

肌がピリつき、奥の方までジクジクと痛む感覚はあるけれど、まだ耐えられる。

だから――早く、早く見てほしい。

久しぶりに頭を撫でて、よくやったと褒めてほしい。

 

 

 

太陽が西の山に沈み、完全にその姿を隠した頃、燈矢は一度訓練を止めて、いつもの木の根に腰を下ろした。

これ以上続ければ、オーバーワークになる。

朝からずっと個性を使い続けていたせいで、両肩が鉛でも乗せられたかのように重い。

それでもなお火力は上がり続けていた。不思議な話だ。

本当に、今日は調子がいい。

 

 

 

暗い、暗い夜の山に、静寂がぽつりと落ちている。

月の光は木々に遮られ、広がる闇は深く黒い。

こんな場所に何時間も一人でいれば、自分だけが世界に取り残されたような気分になる。

大丈夫。そう繰り返し自分に言い聞かせても、不安はじわじわと足元から這い上がってくる。

 

家を飛び出した時、時計なんて持ってこなかった。

時刻を確認する術はなく、一度集中が切れた脳は焼けるような痛みを次々と拾い始め、それら全てが燈矢の精神にのしかかる重圧を大きく育てていた。

 

――どうして、父は来てくれないのだろう。

 

当然の疑問が頭に浮かぶ。

こちらの準備は完璧だった。

蒼炎さえ見せられれば、すべて上手くいくはずだった。

 

期待などしていなかった息子が真の力を発揮すれば、父は驚き、歓喜し、見直してくれるはずだった。

失敗作の烙印を剥がし、『夢を託すべきはお前だった』と、そう言って――だから早く。早く、早く、早く。

一秒でも早く、ここに来てほしい。

そうでなければ溺れてしまう。

足元から迫りくる闇に塗り潰されて息ができなくなってしまう。

今はただひたすらに、その事だけが恐ろしい。

 

歯を食いしばり、目を強く閉じる。

闇から逃れるように顔を覆おうとしたその瞬間――掌が顔に触れると同時、べたりとした感触が肌を汚した。

昨日の雨で地面はぬかるみ、木の根にも泥がついていた。

そこに手をついていたことに気づかぬまま、その手で顔を覆ってしまったのだ。

 

気持ち悪さに顔をしかめ、立ち上がる。

意識してみれば、泥の感触が尻やもも裏にもじとりと広がっているのがわかり、ますます不快だった。

泣きっ面に蜂とはこのことだ。

何もかもが上手く行かない現実に、いっそ小さな笑いが漏れたその時、燈矢はストンと理解した。

 

――自分は、賭けに負けたのだと。

 

父は来ない。

その事実が、ようやく呑み込めてしまった。

心の支えが音を立てて崩れ、膝から力が抜けて地面に崩れ落ちる。

泥の冷たさすら、もう感じなかった。

 

どうしよう。どうすればいい。

もう、何も残っていない。

唯一あった大切なもの――それすら昨日、自分自身の手で壊してしまった。

知らず知らず心の支柱となっていた存在を、激情に任せて突き放し、踏みにじり、傷つけた。

もう遅い。後悔したって遅すぎる。

 

支えを失った心は、水に浮かぶ木の葉のように揺れ始めた。

喪失感に目眩がする。

焦燥感に吐き気がする。

 

自分という存在が、昨日、彼女を失った瞬間から、ボロボロとこぼれ落ちている感覚がある。

父からも、そして他ならぬ彼女からも可能性を否定され、望み描く未来を心から信じ切れなくなった時、自分の心はきっと形を保てなくなる――そんな気がした。

 

だから炎司に訴えかけた。

僅かな可能性に全てを委ね、もう一度自分を見て欲しいと懇願した。 

全身全霊、全てを投げ打つ覚悟で勝負に挑み、そして今、何もかもを失って燈矢は賭けに負けたのだ。

 

 

「修業……しなくちゃ」

 

 

ふらり。

糸で吊るされたように、顔を俯けたまま片膝を立てる。

泥を払い、ゆっくりと立ち上がる。

 

まだ分からない。もしかしたら、本当に仕事が長引いているだけかもしれない。

夜が更ければ、気にしてここを覗きに来てくれるかもしれない。

心変わりしてくれるかもしれない。

そんなはず無いだろうと嘲笑う自分自身は、胸の奥深い場所へと隠して蓋をした。

認めてしまえば、もう戻れなくなる気がしていた。

 

負けが確定したというのに、諦めの悪い根性だけが燈矢の身体を突き動かす。

顔から、腹から、両手から――青い炎が吹き上がる。

感情の昂りが火力に直結していることを、嫌というほど思い知らされる。

 

意図せずとも炎は勢いを増していった。

まるで涙のように青い炎がその両目から漏れ出したその時、俯いた燈矢の青白く照らされた視界に、小さな靴先が映り込んだ。

 

 

「――もう、帰る時間だよ」

 

 

驚きに目を見開いた燈矢の耳に、蒼鈴の声が届いた。

顔を上げた燈矢の瞳は、無理解を映していた。

何度も唇を震わせ、ありったけの困惑と驚愕を舌に乗せる。

 

 

「……なんで……ここに居るんだ」

 

「帰ろう」

 

「昨日、俺に言われたこと……もう忘れたのかよ……」

 

「帰ろう、燈矢」

 

「俺の質問に答え――」

 

「覚えてる。もう来るなって言われたことも。嫌いだって言われたことも」

 

 

昨日の自分が吐き出した罵倒を平然と口にされ、燈矢は思わず身じろいだ。

 

 

「だったら、どうして……」

 

 

凡庸な反論には、複雑な感情が入り混じっていた。

暗い影のような疑念。

恐れにも似た諦念。

そして――

 

 

「燈矢のことが、好きだから」

 

 

――わずかに混在していたその期待を、蒼良の言葉が掬い上げた。

しかし燈矢は自身の感情の揺らぎを見透かされるのを厭うように、顎を引き、目の前の少女からさっと視線を逸らしてしまう。

 

 

「燈矢が私を嫌いでも、私は燈矢の事が好き」

 

「……他にもっと、言うべき事があっただろ」

 

「あれからずっと考えてた。伝えたい事はちゃんと整理してきたつもり。燈矢が好きだよ。笑ってる顔は特に。泣いてる顔は見たくない。だからこうして会いに来た」

 

「違う……そうじゃない。何で……何でお前は、俺の事を責めないんだよ……?」

 

 

その優しさに救われてきた。

どんな自分であろうと受け止めてくれる懐の広さに甘えて来た。

だからこそ、蒼良の隣は楽だった。居心地が良かった。

けれど、昨日の自分の度が過ぎた振る舞い――それすら何一つ咎められる事無く許されてしまいそうなこの現状を、燈矢は単純に喜べない。

蒼良がいつもと同じ態度で再び目の前に現れた事に対して、安堵を上回る恐怖があった。

 

 

「俺は昨日、お前に酷い事言っただろ……?お前の優しさの上に胡坐をかいて、本当に酷い事を言ったんだ。昨日だけじゃない。俺はいっつも我儘ばっかり言って、勝手な事して、お前の事振り回して、自分の思い通りにならないと小さな子供みたいに駄々こねて、そうやって迷惑ばっかりかけて来ただろ?……それなのに、何でお前は怒らないんだよ」

 

「怒り方なんて、分からない。帰ろう燈矢。修業がしたいなら、また明日から私が手伝う。ちゃんと側で見てるから」

 

 

自分の罪を並べ立て、蒼良の怒りを引き出そうとした燈矢の目論見は、あっけなく潰えた。

それがますます燈矢の胸を焦がすような不安を大きくする。

 

 

「友達だって思ってたの、俺だけかよ……?お前が俺を責めないのは、俺のこと、対等だと思ってないからなんじゃないのか……?」

 

「燈――」

 

「そうやって、俺の体質のことを知っても態度を変えないのは、最初から俺に……期待なんてしてなかったからなんじゃないのかよ!」

 

 

何かを言いかけた蒼良の言葉を遮って、燈矢は怒鳴るように言葉をぶつけた。

それは恐怖と苛立ち、そして限界を迎えた混乱の叫びだった。

 

今、蒼良に優しくされる事が恐ろしい。

同情で優しくなんてしないでほしい。

瞬間的な慰めに救われたとしても意味なんてない。

その温もりの裏で、父と同じように燈矢に諦めを抱いているのなら、いっそのこと言葉にして伝えてほしかった。

 

責められないのは、対等ではなかったから。

失望されないのは、期待などされていなかったから。

最初からその程度の存在だと割り切っていたからこそ、自分に落胆しないのではないか――そんな不安と絶望感が燈矢の胸中から湧き上がり、

 

 

「――知らなかったの」 

 

 

ぽつりと落とされた静かな声に、思考が止まった。

 

 

「誰かに怒った事なんてない。友達だって、これまで居た事もなかったから……だけど今、燈矢との関係性をそう呼ぶんだって気づいて、妙に納得してる。友達って、怒り合わなきゃいけないの?喧嘩しなくちゃ友達じゃないの?私がまた何か間違えたから、燈矢は泣きそうな顔をしてるの?」

 

 

淡々と問いかけてくる声の調子はいつも通りで、そこに燈矢を糾弾するような響きはやはり一つも感じられない。

それなのに、

 

 

「分からない事だらけで、ごめん」

 

 

真摯な謝罪が、燈矢の胸を痛いほどに締め上げた。

 

 

 

 

 

 

沢山勉強したはずなのに、また分からなかった。

また、何かを見落とした。

また、燈矢から笑顔を奪ってしまった。

 

確かに昨日、蒼良はこの少年に酷い言葉をぶつけられたのかもしれない。

けれどあの時、蒼良はそれを気にかける暇もない程、燈矢の表情に気を取られていた。

怯えたように強張って、瞳いっぱいに涙を溜めていたあの表情に。

 

あの時きっと、誰よりも傷ついていたのは燈矢自身だった。

そして蒼良は今もまた、燈矢の傷にさらなる傷を重ねてしまっているらしい。

顔を背けようとする燈矢に一歩近づくと、その全身から漏れ出る炎の熱を強く感じた。

 

 

「……もういいって、言っただろ。俺がそう言ったら、それで終わりって約束だったはずだ」

 

「約束は命令とは違って、強制力なんかない。違えるべきだと判断した時は、破っても構わない――私はそう認識してる。だから、燈矢が良くても関係ない。私は、私の意志で、約束を違える事に決めたの」

 

 

『ずっと見ている』――約束のきっかけは、そうする事を求められたからだった。

けれど今、蒼良は自分の判断で、燈矢から目を離してはいけないと切に感じている。

 

現に今、ここに居るのは影分身ではなく本体の方の蒼良だった。

影分身によって作られた身体は、その分身が解かれたその時に初めて、それまでの体験や情報が本体へと統合される。

逆に言えば、本体と離れて行動している間はその情報を共有出来ないという事だ。

 

だから蒼良は、分身ではなく本体でこの場に訪れ、朝からずっと燈矢の様子を隠れて見守っていた。

昨日あれだけ拒絶されてしまった手前、本人の視界にはよほどの事が無い限りは入らないようにしようと、自分の中でルールを定めて。

そして先ほど、いつもとは桁違いに強力な蒼炎を見て、燈矢を止めるべくようやく姿を現したのだ。

 

 

「燈矢が好きだよ。だから我儘でも、身勝手でも、振り回されても、責めようなんて思わなかった」

 

「でも、それは――!」

 

「好きだから許せる。好きだから受け入れる。好きだから突き放したくない。そんな風に考えるのは、おかしいこと?」

 

 

普段通りの無機質な声で、燈矢に口を開く隙も与えず、蒼良は続ける。

 

 

「何か一つ出来る事が増える度に、足をバタバタさせながらはしゃぐ姿が好き。見て、褒めて、すごいだろって、得意げに笑いかけてくる顔が好き。蒼炎の青を私の髪と同じだって喜んでたところが好き。毎日ここで会ってるのに、私を見て、毎日嬉しそうな顔する燈矢が好き」

 

 

畳みかけられる言葉に、燈矢は二の句が継げなくなり、開きかけた口を閉じた。

湧き上がる感情が行き場をなくし、思考がもつれて頭の中がめちゃくちゃにかき乱されていく。

わなわなと唇を震わせ、燈矢はぎゅっと目をつむった。

 

激情が、込み上げてくる熱いものが、瞼から押し出され、その頬を伝う前に高熱によって蒸発していく。

涙は隠せたはずなのに、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔が隠せていないのではそれも無意味でしかなかった。

罪悪、後悔、歓喜――それらが混ざり合って荒れ狂う燈矢の胸中を見透かしているかのように、蒼良は真っ直ぐな目で言葉を紡ぐ。

 

 

「燈矢が私を嫌っても、私は燈矢を嫌わない。……期待なんて、した事ない。私が好きなのは燈矢であって、燈矢の可能性じゃなかった。弱音を吐いても、夢を諦めても、夢にしがみついてても、どうあろうと燈矢が好きだよ」

 

 

ほんの少しだけ間を置いて、蒼良は続けた。

 

 

「だけど、燈矢が望むなら、私は貴方の背中を押す。期待し続ける。弱音を吐いたら叱ってあげる。怒ってほしいなら、喧嘩だってする。……だから、笑って」

 

 

何を口にするべきか、蒼良は今だってあまり分かっていない。

待たせ過ぎてしまうと寂しがりな燈矢を不安にさせてしまうから、間を空けないように思いついた言葉を音に変えているだけだ。

一方的に自分の思いを主張しているだけ。

それが正解である自信なんて微塵もない。

 

もっと謝罪を重ねた方がいいのだろうか。

燈矢の心情を分かったような振りをして、共感を示せばいいのだろうか。

ただひたすらに、泣かないでと慰め続ければいいのだろうか。

 

正しい選択肢など分からないし、そもそもこの選択肢の中に正答がある確証だってない。

だからこそ、何も分からないからいっそ、言いたい事を言わせてもらう事にした。

 

 

「――笑って、燈矢」 

 

 

一方的な願いの言葉は慈みに満ちていた。

燈矢の心情など無視した押しつけがましいその願望には、愛おしむような、労わるような蒼良の思いが滲んでいた。

 

 

「何にも……何にも、知らないくせに、勝手な事言うな」

 

 

燈矢の喉が、引きつるような音を立てる。

 

 

「俺が、どんな思いでヒーローを目指してたのかも、い、今、どんなに苦しいのかも知らないくせに……!俺が本当に欲しかったのは、そんな言葉じゃなくて――」

 

「聞きたくない」

 

 

消化しきれない不満を乗せようとした言葉が、被せるようにピシャリと冷たく跳ね除けられた。

先程までのこちらを思いやるような雰囲気が打って変わり、水色の双眸が自分を睨んでいるような気がして、燈矢は気圧され、とっさに口を閉じてしまう。

 

 

「燈矢の我儘はもう聞きたくない。身勝手な自覚があるなら、私の勝手だって受け入れて。自分の気持ちばっかり押し付けるはやめて。夢への情熱だとか、燈矢が今抱えてる辛さなんて分からないよ。知っててほしいなら、私にも分かるように説明して。対等であってほしいんでしょう?それなら、私にばかり負担を強いるのはやめて。燈矢も伝える努力をして」

 

「あ……、」

 

「燈矢のためを思ってした発言を、お節介だって捨てられた。顔も見せるな、嫌いだって罵られた。いつもは肯定の言葉を欲しがるくせに、今日はどうして否定をくれないんだって泣きながら怒ってくる。分からないよ。燈矢が何を考えてるのかなんて、分かる訳ない」

 

「だ、だって……」

 

「臆病で、寂しがりのくせに。本当は一人が怖いくせに、意地っ張りで自己主張だけは一丁前。本当に燈矢は我儘だよ」

 

 

淀みなく告げられた燈矢への鬱憤。

これまで蒼良が一度も見せたことのない言葉の刃に、燈矢は目を見開いて蒼良を見ていた。

唇を噛みしめ、その皮膚に僅かな血を滲ませながら、何か言い返そうと思うのに、声が上擦り、喉が詰まり、次の言葉が出てこない。

自分を責めろ、怒ってくれと望んでおいて、いざ本当にその通りになったら、こんなにもズタズタに傷付いている自分自身が心底嫌になる。

情けなく震える唇を何度も開いては閉じて、燈矢はようやく意味のある言葉を吐き出した。

 

 

「そ、そんなの、俺が一番よく分かってる……。迷惑かけて、助けられっぱなしなのに、いつも俺ばっかり蒼良に要求してる。妬みとか、嫉妬とか、焦りで頭回んなくなって……、皆を困らせて、心配させて……!俺がダメダメで格好悪い事なんて、俺だって知ってるよ……!」

 

「そうだね。燈矢はいつも無鉄砲で、時々人の意見を無視してでも我を突き通そうとする頑固者だよ」

 

 

半ばヤケクソな燈矢の自虐を、蒼良は否定するどころか肯定して追い打ちをかけてくる。

燈矢の長い睫毛が震え、その顔がますます引き歪む。

 

 

「だったら……もう、放っておけよ……!そんな奴、愛想尽かされて当然だろ!?皆に背を向けられて当然なんだ!誰にも見てもらえなくなったって文句言えない!自業自得だ!!」

 

 

燈矢はついに、声を荒げて絶叫した。

眉を吊り上げ、肩をいからせ、打ちのめされるような心の痛みに抗うように、蒼良を激しく睨みつける。

 

 

「そうだね。私もそう思う。だけど、私は燈矢から目を逸らさない」

 

 

辛辣な意見を突き付けておいて、燈矢の自嘲に同意を示しておいて、それなのに、蒼良が辿り着いたその結論だけが燈矢とは違っていた。

 

 

「おかしいだろ!?何で今の話の流れで、そんな結論になるんだよ!もうやめてくれ!同情なんて要らない!これ以上俺を惨めにさせないでくれよ!!」

 

「おかしくない。同情でもない。私は燈矢を見放さない。一人にしないし背も向けない」

 

 

分からない。燈矢には蒼良が分からない。

燈矢の身勝手さを、姑息さを、不甲斐なさを認めておいて、その終着点だけは頑なに否定しようとする蒼良が分からない。

そのもどかしさが許せなかった。

納得など到底出来るはずがなかった。

燈矢の身を包む蒼炎が、その勢いを増して燃え上がる。

 

 

「だから何で……っ!俺がどんな奴なのか、今お前が自分で言ったんだろ!?俺の駄目な所一つ一つ、お前が並べて否定したんだろ!?それなのに何で――」

 

「好きだからだって、何度も言ってる……ッ!」 

 

 

怒鳴ろうとした燈矢に先んじて、蒼良が吠えた。

普段の蒼良からは想像も出来ないような、これまで一度も聞いたことのないその大声に、燈矢は驚き、息を呑んだ。

思わずのけ反って後ずさると、燈矢が後ろへ下がった分だけ蒼良が距離を詰めてくる。

 

 

「どうして分からないの?どうして信じないの?どうして一人で自己完結して苦しい方へ行こうとするの。燈矢は私の事、ちっとも分かってくれてない」

 

「そんなの、蒼良だって……っ」

 

「そうだね、私たちはお互いにお互いを分かってない。だから私は今、伝えてる。感じた事、思った事、知っていてほしい事、全部言葉にして伝えてる。だからもう、耳を塞がないで。目を逸らさないで」

 

「あ……、ぅ……」

 

 

語調が強い訳でもない。

早口で言い立てられている訳でもない。

けれど口を挟む隙が全く見当たらない。

じりじりと身を焼く炎に炙られながら、燈矢はようやく気が付いた。

 

心からの思いやりを蔑ろにされて、蒼良が何も思わなかったはずがない。

真剣な告白に聞く耳を持たれず、傷付かなかったはずがない。

鈍感で、空気を読むのが下手で、しょっちゅうズレた行動ばかりするこの少女だって、燈矢と同じように、当たり前に悲しむ心を持っているのだ。

 

 

「今度は燈矢の番だよ。私を見て。理解して。理解しようと努力して」

 

 

自分自身の決定的な過失を自覚した燈矢に対し、それでも蒼良は澄んだ声音で、

 

 

「――私たちは、友達なんだから」

 

 

たったそれだけのことだった。

たったそれだけの一言で、燈矢の心を囲っていたボロボロの堤防が決壊する音がした。

壊れて、砕けて、噴き出す炎がさらにその威力を増していく。

 

 

「喧嘩したいって言うからしたのに……泣かないでよ」

 

 

相変わらずの冷静な声色で、しかしどこか呆れたような響きで言い、蒼良は自分の指先を燈矢の目元へと伸ばした。

燈矢はそれを、咄嗟に身をよじって回避する。

蒼良の肌が熱に焦がされるのを恐れたからだ。

 

 

「誰のせいだと、思ってんだ……。責められたいとは言ったけど、言い過ぎだ馬鹿。ゼロか百しかないのかよ。怒るなら、もっと優しく怒ってくれよ……」

 

「後出しで要望を追加されても困る。やっぱり燈矢は我儘だね」

 

「……うるさい」

 

「泣き虫」

 

「今……、涙見えてないだろ」

 

「自分勝手」

 

「知ってる……」

 

「それでも、好きだよ」

 

「それももう、知ってるよ……」

 

 

何故なら今、理解したから。

 

 

 

 

 

しおらしくなった燈矢を見て、喧嘩はもう充分だと判断したのだろう。

あれほど緊迫した掛け合いをしておきながら、別人のように纏う雰囲気を落ち着けた蒼良が、ほんの少しだけ首を傾げて「ところで仲直りってどうやるの?」などと間抜けな質問を寄越してきた。

 

本当に鈍い。どうしようもなくズレている。

そんな彼女に、いったい自分は何度救われれば気が済むのだろう。

燈矢は唇を引き結んで、端のほうだけ無理矢理に持ち上げて、その泣き顔に笑みを浮かべた。

 

 

「……もう、してるだろ」

 

「いつの間に?」

 

 

真面目な口調でさらに首の角度を急にする蒼良の姿に、燈矢は笑った。

涙も、鼻水も、笑いも全部一斉に、堰を切ったように溢れ出して止まらない。

感情が、思うように制御出来ない。

何故自分が笑われているのかなどきっと理解できていない少女は、煌々と炎に照らされながら、それでも燈矢の笑顔を見て満足げに片手を差し出した。

 

 

「それじゃあ、帰ろう燈矢。その炎はもう抑えて。それで、明日にでも一緒に病院に行こう」

 

 

蒼良から一歩遠のいて、燈矢は力なく首を横に振った。

 

 

「……俺はまだ、帰れない」

 

「どうして?」

 

「お父さんを待ってるから。今日ここで、すごいもの見せてあげるって伝えたんだ。だからまだ、帰れない。……もう少ししたら来てくれると思うから、蒼良は先に帰ってて」

 

「燈矢が帰らないなら、私もここで一緒に待つ」

 

 

予想通りの答えを返す蒼良に、燈矢はまたしても首を振る。

 

 

「駄目だ。蒼良は帰ってくれ」

 

「それもどうして……ねぇ、とりあえず、一度その蒼炎を止めてから話をしよう。さっきから、どんどん火力が上がってる」

 

 

知っている。

先程から燈矢のすぐそばに立つ蒼良の首筋には絶え間なく汗が光っているし、今となっては流れ出た端から蒸発し、白い肌が炙られて今にも焦げそうな状態になっている。

もう一歩、燈矢は蒼良から距離を取った。

 

 

「すごいだろ?今日は朝から調子が良くってさ。やっぱり身体機能だからかな?火力は感情に直結してるんだよ」

 

「それは前にも聞いた。燈矢がすごい才能を持ってる事くらい、もう十分理解してる。だから、火を止めて」

 

 

怪訝そうに首を反対に倒す蒼良を前に、その言葉を父の口からも聞きたかったなと、燈矢は思った。

 

 

「ごめん、蒼良。さっきからずっと、何度も止めようとしてるんだけど、上手くいかないんだ。……止め方、分かんなくなっちゃったみたいだ」

 

 

荒ぶる炎とは裏腹に、やけに凪いだ声で告げられた事実に、蒼良は目を見開いて言葉を失った。

しかし直ぐに平静を取り戻し、素早く印を結ぼうとして、

 

 

「無駄だよ。水なんかじゃもう無理だ。一瞬で蒸発して消えちゃうよ」

 

 

燈矢の至極最もな指摘を受け、自分の頭が正常な判断を下せないほど冷静さを欠いている事に蒼良は気が付く。

水の沸点に対し、蒼炎はあまりにも温度が高い。

蒸発する際に多少は熱を奪えたとしても、火の発生源である燈矢の温度を下げる効果はあまりない。

それはこれまでの修業の日々で既に実証済みなのだ。

 

燈矢の足元で、ただでさえ燃えにくいはずの湿気った草が一瞬で水気を飛ばされ、白い煙をあげながら燃え始めている。

その火がみるみるうちに隣の葉や草へと燃え広がって、近くの木にまで燃え移った。

焦げ臭い匂い。見慣れた世界が炎に包まれていく異常事態。

 

 

「近くのヒーローに、応援要請を……」

 

 

言いかけた言葉は尻すぼみに小さくなってかき消えた。

この近隣区域に蒼炎に対抗できそうな個性を持つヒーローなど居ないことを蒼良は知っていた。

それならば警察は、消防局は、と次なる案を思い浮かべては、そのどれもがこれほどの火力の前では意味を為さない事に気づいてしまう。

 

蒼良の脳内で様々な考えが巡り続けてまとまらない。

そうしている間にも鼻腔をくすぐる焦げた匂いはますます強くなっている。

火の手が、視界を侵食してくる。

考えて、考えて、ぐるぐると渦巻く思考の中で、打開策の一つも手繰り寄せられないでいる蒼良に、「お願いがあるんだ」と声がかかった。

 

 

「俺のお母さん、個性が氷だって話しただろ?」

 

 

その一言に、蒼良の思考が一瞬で切り替わる。

 

 

「連れてくる。今すぐここに連れてくるから、燈矢の家の場所を教えて」

 

「この山を西の方に降りたところに、大きな日本家屋がある。表札に轟って書いてあるし、目立つ家だから行けば直ぐに分かると思う」

 

 

燈矢が言い切る前に、蒼良はもう背中を向けていた。

 

 

「すぐに戻る。それまで絶対に耐えきって」

 

「……俺はもう大丈夫。焦んなくていいから、怪我しないように行けよ」

 

 

悠長な事を言っている場合ではない。

焦らなくていいはずがない。

人の怪我を心配している場合でもない。

全速力で走りだした蒼良の背中に、木々の隙間を縫って青い羽たちが集まってくる。

ふわりとその場に浮上した次の瞬間、風遁チャクラで蒼翼を包み、これまで誰にも見せたことのない最高速度で夜の森を飛行した。

 

 

 

 

 

 

その数十秒後、後方で熱風が爆発した。

 

――やられた、そう直感した。

 

高温の風と大気が蒼良の背中を、肌を焼く。

その衝撃に吹き飛ばされそうになりながらも、瞬時に体勢を立て直すと、迷いなく向きを反転し、元来た方向へ引き返した。

 

自分の限界を把握したその時から、燈矢にはもう助かる気などなかったのかもしれない。

蒼良を遠ざける事だけに思考を割いていたのかもしれない。

妙に静かだったあの声は、自分自身の終わりを悟った者特有の、諦めから成るものだったのかもしれない。

 

眼球が熱い。肺が熱い。上手く酸素を取り込めない。

蒼良でさえそう感じるのだから、あの青い光の中心に居る燈矢が今感じている痛みはどれほどだろうか。

 

夜の森が青色に燃えている。

鮮やかな青が吹き荒れている。

その炎球の中心で、蒼良のたった一人の友が、その身を青に焼かれている。

 

 

 

 

 

 

「――水遁・滝壺の術」

 

 

蒼良の足元に湧き水が生まれ、眼下の燈矢めがけて落ちていく。

火の燃料である酸素をこの水で完全に遮断できれば、あるいは――などという希望的観測はしかし、瞬時に気体へと変わる水流にへし折られた。

このままチャクラが底を突くまで我慢比べをしてみたとして、勝てるという確証もない。

負けてしまえば、死体が二つに増えるだけだ。

 

 

「燈矢……」

 

 

友の名前を口からこぼすと、蒼良は燃え盛る火の中に飛び込んだ。

この状況を打破する何かを思いついた訳でもないのに、身体が勝手に動いていた。

 

焦熱が蒼良に襲い掛かる。

その身を焼こうと迫りくる。

熱さと痛さの境界線が曖昧になって、全身を貫いてくる。

 

――熱い、熱い、熱い熱い熱い痛い痛い痛い。

 

きっと、燈矢はもっと痛い。 

前方にぼやりと見える人影に、蒼良は闇雲に手を伸ばした。

掌が触れたのは燈矢の腕。

露出した肌は完全に変色していて、それを掴んだ蒼良の手首も、同じようにもう肌色には見えなかった。

 

掴んだ手が熱い。痛い。

皮膚が焼けただれていく感覚がある。

 

燈矢は恐らく、ほとんど意識が飛びかけていた。

それでも、腕を掴む蒼良を振り払おうと乱暴に身をよじって突き飛ばす。

その衝撃で、溶けだしていた蒼良の掌の皮がべろりと剥げ、燈矢の腕に貼り付いた。

剝き出しになった桃色の肉が炎に焼かれ、蒼良の思考が白熱する。

 

――痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

壮絶な灼熱が、断続的に容赦なく蒼良を焦がす。

途方もない熱と痛みに意識を刈り取られそうになりながらも、蒼良は再び燈矢に向かって手を伸ばした。

今度は振りほどかれてしまわないよう、正面からその身体を抱きしめる。

 

腕の中で、燈矢が激しく暴れ出した。

ジタバタ、ジタバタと、足をばたつかせてもがいている。

蒼良を逃がそうともがいているのか、生きたいともがいているのか、ただ純粋に、その肉体が耐え難い苦しみを訴えているだけなのか。

 

酸素が足りない。喉の奥から鉄臭い血の味がせりあがってくる。

表面だけでなく、身体の内側からも炙られているのが分かる。

永遠とすら錯覚しそうな痛みが、蒼良の精神を、思考を、そして存在すらをも塗り潰そうと押し寄せてくる。

 

 

「――うあああああああッ!!」

 

 

パチパチと草木が燃える音。轟々と炎が爆ぜる音に混じって、燈矢の悲鳴が蒼良の耳をつんざいた。

焼けつく痛みが、その痛苦の激しさが、燈矢の喉の奥から噴き出している。

眼球がこぼれ落ちそうなくらいに目を見開いて、口の端から垂れる泡は即座に炎に焼かれて消えて。

 

痛みがある。痛みだけがある。痛みだけしかここにはない。

延々と続く痛みで世界の全てが満たされている。

終わりのない痛みに脳を焼かれ、際限のない苦痛に魂を喰われている。

 

この炎の中に入って、いったい今何秒が経過したのか分からない。

今、自分がどうして意識を保てているのか、蒼良にはもう分からない。

 

 

「あ、あああああ!うああああああ……!!」

 

 

突然、悶えに悶えていた燈矢の身体がビクビクと数回跳ねたかと思うと、薄い肩が、細い手足が、痙攣するような動きへと変わった。

叫びをあげる喉が焼け潰れ、次第にその声さえ小さくなっていく。

 

人の死には慣れている。

人の死に際は見慣れている。

だからこそ蒼良には、燈矢の命が削り取られていくのがハッキリと分かった。

開いた口から生気がこぼれ出していくのが見えた。

 

何とかこの場に繋ぎ留めようと、痛みそのもののような燈矢の身体を掻き抱いた。

触れあっている肌が溶け、肉が焼け落ち、骨まで焦がされているかのような錯覚――否、それが錯覚なのか現実なのか、区別できるほど頭がまともに機能していない。

 

 

「――――」

 

 

燈矢の声が、ぷつりと途切れた。

手足から、力が抜けていく。 

命が溢れて。命がこぼれて。命が蒼良の手をすり抜けていくのを止められない。

 

聞こえるはずもない誰かの笑い声が、蒼良の頭蓋で響いていた。

救い方など知らない。守り方など知らない。

命を奪う事しか知らずに生きて来たお前に、都合よく命が掬えるものかと、嘲笑う声が聞こえていた。

 

その声の主は、これまで蒼良が殺した誰かか。

かつて苦楽を共にした兄弟たちか。

はたまた、運命の嘲笑なのか。

 

例えようのない喪失感が、熱を、痛みを上書きしていく。

それに伴って、蒼良の視界が急速に色を失くしていく。

全てが色褪せ、目に映る何もかもがモノクロへと変わっていく。

 

自分が何を感じているのか分からない。

思考が揺れて定まらない。

熱さも痛みも現実すらも理解できない。

ただ、胸の奥で何かが焼け焦げていく音だけが、蒼良の頭の中にあった。

 

 

「……燈矢」

 

 

無意識の内に呟いた声は、掠れてしゃがれて酷いものだった。

しかし口の中も喉もその奥からも、水分という水分が失われているのだから無理もない。

 

 

「燈矢……、燈矢、燈矢……」

 

 

おぼろげな意識の中、蒼良は友の名を繰り返した。

 

 

「燈、矢……」

 

 

けれど腕の中の友は何も答えない。答えてはくれない。

何故なら彼は――

 

 

「――――ッ」

 

 

蒼良の中で、何かが激しく軋みを上げる。

胸の奥から、見えない何かが突き上げてくるような感覚があった。

 

 

「うう……、あ……ッ」

 

 

次の瞬間、不意に視界が揺らいだ。

頭の中で何かが弾けるような衝撃――目の奥に、焼け付くような光が走った。

痛みにも近い熱と共に、世界が突然明瞭化する。

理屈など何も分からない。

けれど今、痛みも混乱も遠のいて、為すべき事だけが確かに意識の中に生まれた。

 

――感情の昂ぶりは、火力に直結している。

 

燈矢が何度も言っていた言葉だ。

仰向けの状態で燈矢を地面に横たわらせ、蒼良は覆い被さるような体勢で、真上からその顔を見下ろした。

虫の息の燈矢の両頬に手を添えて、名前を呼ぶ。

 

 

「起きて……、燈矢、起きて」

 

 

思うように声が出せない。

それでも、蒼良は呼びかけを止めない。

 

 

「起きて……!お願い、私を見て……!起きて!燈矢……ッ!!」

 

 

血を吐くような絶叫に、虚ろな少年の瞳が応えた。

その瞬間。

蒼良の瞳の奥で、赤い光が鋭く灯る。

写輪眼――その存在すら知らぬまま、蒼良はそれを発動させた。

呼応するように、虚ろだった燈矢の瞳が反応を示す。

閉じかけていた目がゆっくりと、蒼良を捉えて見開かれた。

 

 

 

 

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